宮の花々(2)
鬼灯姫は以前紗久羅が会った時とはまた違う格好であった。螺鈿の輝き見える黒髪、天には花の蕾と見紛うような愛らしい団子が一つ。その髪を飾るのは鬼灯の実を象った飾り等がついた簪で、外から吹く冬の風にしゃらしゃら揺れて、ひらり舞い踊る花びらのようで。身に纏うは十二単。桜に若葉、鶯、土筆、乳白色がかった空等など、まだ訪れぬ春を一足先に纏ったようだ。可憐な微笑みは、桃の花。唇から聞こえるのは、春告げる鳥の鳴き声に負けず劣らず愛らしい。着物からのぞく小さな手、見たら「握りたい」と思わずにはいられない。まさに春の精、ただ彼女がそこにいるだけで真冬さえ暖かな春に変わる。鬼灯姫の他にも部屋には三人の女性がいた。どうやら鬼灯姫の身の回りの世話を任されているらしく、彼女よりもずっと動きやすそうな格好をしている。いずれも美しい人であったが、鬼灯姫程の輝きは無く霞んで見えてしまう。それ程までに姫は輝いていた。奈都貴はぽうっとし、紗久羅は抱きつきたいという衝動を抑え、さくらはあまりに可憐な少女を前に気絶寸前。けろっとしているのは出雲だけ。
「改めて紹介しよう。彼女が翡翠宮三の姫、鬼灯姫だ。元は人間の娘だけれど、ゆえあって今は鬼灯の精となっているんだ」
「紗久羅様はお久しぶりでございます。後のお二方は初めましてですね。鬼灯姫と申します、どうぞよろしくお願いいたします」
手をつき小さな頭を下げる。つられて紗久羅達も頭を下げた。それからさくらと奈都貴が簡単に自己紹介。あらまあ、と鬼灯姫は口元に手をやり。
「貴方様もさくら様とおっしゃるのですね。まあ、ではさくら様と呼んだらどちらか分からなくなりますわね」
「それじゃあ私のことは苗字で呼んでください」
「臼井様……でよろしいのですか?」
ええ、構いませんとさくらが言うと分かりました臼井様、と微笑む鬼灯姫。その微笑みにさくらはドキリとし、赤く染まる頬を隠すかのように顔を伏せ。奈都貴は思わず「可愛い……」と本心を口にし、それを隣で聞いていた紗久羅がにやつく。奈都貴がそう口にするのも無理はないと思いつつ。
続いて世話役の娘達が名乗る。女郎花に寒椿、それから芙蓉、いずれも見た目は二十歳前後。他の娘達とは違い彼女等は人間や妖にそこまで嫌悪感を抱き、蔑んでいる様子は無い。無理をしているのではなく、心から出雲達の訪問を歓迎しているようだった。やがてお茶と菓子が運ばれてきて、どうぞ召し上がってくださいと差し出される。それじゃあ遠慮なく、と言って出雲は湯呑を両手で取ると非常に上品な所作でそれを口へと運んだ。それに続いて紗久羅達も茶を口に含む。優しい甘みが口の中に広がり、変に残らない苦みがじんわりとその後を追う。盆に盛られた菓子も最初は遠慮がちに、一個二個手に取りちまちまと食べる。
「この砂糖菓子、花の匂いがする……」
「花の香、と申します。様々な香りを楽しむことが出来ますわ」
「ああ、女郎花。私が説明をしたかったのに」
「まあ、申し訳ございません姫様」
説明役を奪われた鬼灯姫が頬を鬼灯のように膨らませると、ほんわかした印象の女性――女郎花が自身の長い髪と同じようにふわふわした笑みを浮かべて謝った。彼女達の仲はすこぶるよさそうだ。
様々な色、様々な花の形をした砂糖菓子はかじるとその名の通り花の香りがする。あまりきつい匂いではなかったから、美味しく食べることが出来た。ただ奈都貴は口に合わなかったらしく、一個だけ食べると後は別のお菓子――果実の味がする寒天ゼリーをもぐもぐ。鬼灯姫も菫の香りのする花の香をかじっている。またそれがひまわりの種をかじっているハムスターに負けずとも劣らぬ位の愛らしさ。
「通しの鬼灯は、鬼灯姫が作ったんだよな」
「はい。こちらと向こうをよく行き来していらっしゃる出雲様が『段々と道が見え辛くなってきた。このままだといずれ肉眼で捉えることは出来なくなるだろう。そうなると困るのだが、どうしたものか』とおっしゃるものですから、それでしたら私が『道』をその目に映す力を持った鬼灯を作りましょうと申し上げたのです。作るのはなかなか大変でしたが、出雲様は私にとってとても大切な方ですから、頑張りました」
と出雲の方を見、優しく微笑む。その頬には梅の花。その姿を見れば、彼女が出雲に対し友人以上の感情を抱いていることが容易に分かる。くすくす、女郎花達も花の笑み浮かべ。その顔に書かれているのは「本当に我等が主はかあいいですわ」という言葉。この様子だとしょっちゅうこのことをネタに姫をからかっていそうだ。出雲はその気持ちに気づいているのかいないのか。
「出雲さんと鬼灯姫って結構長い付き合いなんですか?」
そうだねえ、と出雲は頷く。何でも彼女と出会ったのは少しずつ『向こう側の世界』に足を踏み入れるようになった頃――巫女の桜を喰らうよりも少し前のことであるらしい。
「六七百年位前かな。……より交流を深めたのは桜を喰らった後だけれど。丁度あの辺りから私はこちらで過ごす時間の方が長くなっていった。いやあ、懐かしいなあ。鬼灯姫や胡蝶と共に色々な所へ行って遊んだっけ。桔梗の海で釣りをしたり、歳寿京で年を明かしたり、遊盤や遊札で勝負したり……月を見て語らいながら酒を酌み交わすこともあったっけ」
鬼灯姫は静かに頷き、目を細める。その目で遠い過去の美しく楽しい思い出を見ているのだろう。宮の花として生きる代償として差し出した宝物のような日々を。かりっと花の香かじりながらそんな彼女を見つめる出雲の瞳は優しい。
「あの時の君は今以上におとなしくて、少し暗い位だったね。今はすっかり明るくなって本当に良かったと思っているよ。君みたいな子はにっこり笑っている時が一番可愛らしいもの」
「出雲様……」
「私の可愛い花、愛でるに足る花」
「そんな、可愛い花なんて……」
「ああ甘い、花の香よりも甘い空気が漂っていますわね」
「とっても苦いお茶が飲みたい気分ねえ。ふふふ」
「も、もう! 女郎花、芙蓉!」
出雲と見つめ合い、周囲に甘い香り放つ花を飛ばしていた鬼灯姫がますます顔を赤らめ、背後でにやにやしていた二人をたしなめる。おかっぱ頭に切れ長の瞳の女――寒椿はやれやれ、とため息。紗久羅達もぬくぬくほわほわ甘い空気にあてられ、思わず仄かな苦みが嬉しいお茶を口に入れる。と、茶を口にした奈都貴がふとした疑問を口にする。それは他の二人も抱いているものだった。
「あの、鬼灯姫。貴方は元は人間だったんですよね? それがどうして鬼灯の精に」
しかしそれに対する答えは無く。むしろ聞いたことを後悔することになった。陽光浴びる花が満ちているかのような、温かく甘い空気で満ちた部屋の雰囲気が一瞬で変わったのだ。花は寒風によって外へと一つ残らず吹き飛ばされ、まるで部屋中が氷で覆われてしまったかのように冷たくなり、色も消え。鬼灯姫は困ったような表情を浮かべ、女郎花達の表情も沈んだものになる。出雲はあちゃあ、と額に手をやり「そのことは聞かないであげて、と言うのを忘れていた……」と本気で申し訳なさそうに言う。空気を一瞬で悪いものに変えてしまった奈都貴は大いに慌て、紗久羅は「なっちゃんてば何をやっているの!」と彼をたしなめ。彼が聞いていなければ自分が聞いていたところだった、という考えは努めて隠して。
「色々ありまして……」
「すみません、変なことを聞いてしまって。今のは忘れてください」
「申し訳ございません、そうですわよね、気になりますよね。……あの、それ以外のことでしたら大抵のことにはお答えいたしますから、その、許してくださいね?」
「許してだなんて、そんな、いや、本当に申し訳ないです」
ただただ謝ることしか出来ない。これは別の質問をして上手いこと空気を変えなくちゃと今度はさくらが口を開いた。本当は彼女が人間だった頃――当時の生活など――について色々聞いてみたかったが、下手に過去に触れれば彼女の花の笑みを再び曇らせてしまうかもしれないと思い、彼女にしては珍しく空気を読んだ。
「あの、この宮にいる方々って何かお仕事みたいなことはされているんですか? それともここでのんびりと暮らしているだけなんですか?」
雪に包まれたかのように硬くなっていた鬼灯姫の表情が、和らぐ。ふっと微笑みながら誇らしげに胸を張ってみせ、本当にしつこい位言うが大変可愛らしい。
「勿論、きちんと働いていますよ。我々の仕事は『浄化』が主です」
「浄化?」
「この世界は常に歪な力が満ちているんです。黒くて禍々しいものが。その力をある程度取り除くことが私達宮の姫達の仕事です」
「歪な力……桜町とかの土地に流れているのと似たようなものか。でも、そういうものって妖怪達にとっては良いもので、わざわざ取り除くことはないんじゃないか?」
鬼灯姫は静かに首を横に振る。
「確かに妖達にとってそういったものは魅力的です。彼等の体に活力を与えますし、それが満ちている土地は大変居心地の良い場所となります。けれど、薬やお酒もあんまり摂りすぎれば毒になるようにその力もまたあまりに多すぎると皆さんの体に良くならないのです。人を狂わす『魔』を引き寄せやすくなりますし、疲労感に襲われ、心を病み歪み、そしてそれが騒動や混乱を招くことになる場合だってあります。ですからある程度は取り除かなくてはいけないのです。この宮の中はそういったものをほぼ全て取り除き、常に清浄な状態を保っていますが」
歪な力はあんまり多すぎると良くない。そのことに気がついた神(カガキミの樹、もしくは彼女の子の血を継ぐ者と云われているらしい)は悪しきもの、歪んだ者を取り除くことの出来る精霊達に世界を安定させる為の仕事を任せた。神に選ばれた精霊達は各地に日々を過ごす為の場所―宮を作った。この初めに選ばれた者達が今の一の姫であるらしい(全員がそうというわけではないようだが)。宮が近くにある土地は特に妖にとって過ごしやすい場所となっており、多くの妖が宮の周囲に住むようになった。そして気がつけば巨大な集落が生まれ、それらは『京』と呼ばれるようになった……先に宮が生まれその後に京が生まれた……らしい。ただこれは気が遠くなる程昔の話であるらしいから、鬼灯姫も真実は知らないそうで。ただそう教わったというだけのことであるようだ。また天高くにある宮に住まう女神達も同じ様なことをしているらしい。その辺りのことをさくらは千勢大社で千歳から聞いた。
「恐らく少しも取り除いていなければ、貴方方人間などひとたまりもないでしょう」
「そうね、寒椿。皆様の住んでいる辺りも、同じようにある方がある程度良くない力を取り除いていらっしゃるようです。あの辺りは本当にその、こんなことを言うのは申し訳ないのですが……かなり、ええと」
「かなり酷いからねえ、あの辺りは。本当『ここに住もう』とか言いだした人間の気がしれない。……爺さんもよくぼやいているよ、人間達はどうしてこんな所に住もうと思ったのかって。幾ら儂が手を加えて整えているといっても、異常な土地であることに変わりはないのにってさ」
「じいさん……ってもしかして、骨桜が木の内側に持つ空間に入り込む為の道具を貸してくれた?」
さくらの問いにその通り、と出雲。その表情はかなり苦々しいもので。どうもあまりその人物のことを好いてはいないようだ。と言ってもある程度の付き合いはあるのだろうが。その爺さんってのはどういう爺さんなんだよ教えてくれよ、と俄然興味を抱いたらしい紗久羅が尋ねても答えようとしない。教えろよ、教えろよ、その爺さんって神様なの精霊なのなんなのどういう奴なのとあんまりしつこいものだから、とうとう「どうだっていいじゃないか」と彼女の頬をむぎゅっとつねり。
「あんな爺さんよりも、ぴちぴち若いお兄さんである私の方に興味を抱いてもらいたいものだねえ」
「千六百年生きたじじいが何言っていやがる、というか痛い痛い爪食い込んでる爪! 血、血出る!」
「結構。私は赤いものが大好きだからね。ちろりと血が出たらぺろりとそれを私が舐めて差し上げよう」
「きもいこと言ってんじゃねえよこのくそ狐!」
とばたばた暴れる紗久羅と彼女と遊ぶのが楽しくて仕方ないという様子の出雲を見て、鬼灯姫が笑みを零す。その笑み、春の野に咲く花さえ溶かす。別に自分に向けられたわけでもないのにまたまた奈都貴が顔を赤くし、俯き、それを見た芙蓉が「可愛らしい」とくすくす。
「紗久羅様は本当に出雲様と仲がよろしいですわね。少し、妬けてしまいます。私はもう紗久羅様のようにいつだって出雲様と会えるわけではありませんから」
「別に仲は良く……ああでもなんか焼きもち妬いちゃっている鬼灯姫も可愛いです!」
まあ、そんな恥ずかしいと言いながら姫は両手で頬を包む。その仕草にもあざとさや嫌味を感じないから不思議である。
「鬼灯姫はともかく、他のお姫様達はあまり……妖には好意を抱いていないようなのですけれど、それでもきちんとこの世界の安定の為に働くんですね」
流れをぶったぎったのはさくらだ。出雲がそりゃあねえ、とうんざりしたような顔つきでため息交じりに答える。
「宮の花に選ばれるということはすなわち、神に選ばれるということ。私からしてみればそんなことには何の価値も無いのだけれど彼女達にとっては違う。この世で生きる者にとって最も名誉なことであると考えているんだよ、宮の花に選ばれここで暮らすこと、そして神から賜った務めを果たすことは。妖の為、この世界の為にということはどうだっていいのさ、大事なのは神に選ばれたという事実。宮の花なんて自分は選ばれた者なのよって威張り散らしているような奴ばかりだよ、全く。勿論鬼灯姫は違うよ」
「我等が姫様はとてもお優しい方ですもの。自分のことしか考えていないような人とは違います」
「芙蓉!」
鬼灯姫にたしなめられ舌ぺろり。彼女は長い髪を紗久羅同様ポニーテールにしており、三人の中で一番明るく元気な娘に見える。そんな彼女を見て鬼灯姫はか細い線の肩すくめ。
「他にも色々なさっているんですか?」
「はい。例えば記録、ですわね。毎日京や周辺の土地の天気、歪な力の満ち具合、起きた出来事等を式神の力等も借りながら調べ、それを記録しているのです。私達の記録はそれこそ個人的な日記のようなものですけれど、記録係の姫君達は公式の記録になるもっと本格的なものを作ります。そして毎年歳寿京という京にそれを収めるのです。勿論宮にも。いつどこでどんなことが起きたのか、その日はどんな天気だったのかなどということがその記録―巻物を見ればすぐに分かるのです。他にも色々やっておりますよ。そして特別仕事をしていない時はのんびり過ごしております。過ごし方はかつて私が人間であった頃とそう変わらないように思います」
「ああ素敵! 日々の様子をしたためた巻物……読みたい、読みたい、とっても読みたいわ! きっとファンタジー小説に負けない位面白いに違いないわ! きっと寝る間も惜しんで読んでしまうでしょうし、創作のネタにもなりそうで……嗚呼、想像しただけで気絶してしまいそうよ、私。この宮でどんな風に過ごしているのかも気になる! きっと雅な時間を過ごしているのでしょうねえ……嗚呼素敵、是非詳しく、詳しく聞きたいわ! お仕事についてももっと聞きたいわ。どうやって悪いものを取り除いているのだとか、他のお姫様のこととか、きっとあるだろう祭事や行事についても……そういう話なら、一週間以上ずっと聞いていたって飽きないわ」
恍惚の表情で暴走するさくらに鬼灯姫もたじたじ。紗久羅は小声で「また始まったよさくら姉ってば……」とぼそり。仮に大きな声で言ったとしてもまだぺちゃくちゃ喋っている今の彼女の耳には届くまい。出雲は鬼灯姫に両手で作った×マークを必死な表情で見せる。もし「分かりました。出来る限りお話しいたします」と姫が答えようものならメルヘン暴走娘に完全に火をつけることになるからだ。火がつけば、よく燃える。手や口を出したってぼうぼう炎は消せやしない。鬼灯姫も一度この火、鎮めねばまずいと判断したのかやや引きつった笑みを浮かべつつ「それよりも」と話題を変えようとする。
「皆様の住む世界について色々聞かせてくださいな。今あちらの世界がどのようになっているのか、とても気になるのです。皆様のお召し物も見慣れないもので……大変興味深いですし。女郎花だって気になるでしょう? ふふ、彼女は裁縫が好きなんです。勿論皆様自身のことも大変気になります。お願いです。通しの鬼灯の代金だと思って、色々聞かせてくださいませ」
お姫様に畳に手をつき頭を下げられてはたまらない。暴走娘も「あ、はい分かりました」と即答。勿論、鬼灯夜行の時みたいに色々話すよと紗久羅は前のめりになり、左手を畳につけ右手を挙げて力になりますアピール。奈都貴も喜んで、といつになく積極的、最終的に紗久羅になっちゃんも男よのうとからかわれる始末。
残酷な冷たさ放つ六花に満ちた時間は幻になり、すっかり室内は一足早い春を迎えている。そしてその時間は永遠に続くものだと誰もが思っていた。
まずはどんなことについて聞きたいですか、とさくらが言い鬼灯姫がそれに答えようとした時。幻となり消えていった六花孕む風の如き声が背後から聞こえた。
「美しき宮に穢れを感じ足を運んでみれば……やっぱり貴方でしたのね、鬼灯姫」
悪意や敵意で作られた結晶がその場にいた全員の体に当たり、そしてそれは体内に入り込み腹の中に溜まる。冷たい、痛い、嗚呼腹立たしい。その声を聞いた途端びくりと体震わせた鬼灯姫の顔は雪に包まれ凍りつき、女郎花達はこれ以上ない位不機嫌な顔になり声の主を無言で睨む。出雲など「また来たか」と顔を歪め、舌打ちする始末。
「まあ、この宮に喜んで穢れを招き入れる姫など貴方位のものですものね。本当、酷い方」
初め三人は、そこに立っているのは一点の穢れも無い白雪で作られた像かと思った。彼女達がそう思うのも無理はない位、彼女は上から下まで白、白、白ずくめ。
陽を浴びて銀に輝く真っ直ぐな髪は一切飾りをつけていなくても華やかで、出雲のそれより更に白い肌。瑠璃の埋め込まれた目は吊り上っていてかなりきつい印象を与えるが、非常に整った形をしている。露草の上に白い着物を重ね、更に纏うは真白の打掛。彩る銀の刺繍は冬の音に合わせて舞う六つの花。鬼灯姫が平安時代の姫なら、こちらは江戸時代の姫といった装い。彼女の周りには世話役らしき女性が三人、そして彼女達もまた揃って吊り目である。吐瀉物、或いは排泄物でも見るかのような目でじろじろこちらを見、ああいやだいやだとわざと聞こえるように言う姿に好印象など抱けるはずもなく。
(うわあ、いかにも性格悪……きつそうだな)
紗久羅はそんな気持ちを隠すことなく顔に出し、奈都貴とさくらは困惑の顔。クラスの子に嘲笑されたり、聞こえる位の声で悪口を言われたりしても平気のへっちゃら(そもそも限られた人間以外はさくらにとっては路傍の石ころと同じようなもの。石の声など耳に入らぬから自分がどれだけ馬鹿にされているか気が付いていない)なさくらであるが、流石にここまでの悪意を自分だけの世界に入っているわけではない時にぶつけられたらたまったものではない。冷たい氷が腹にたまり、痛い痛いと悲鳴をあげ、胃は縮こまり、これまたずきずきと痛む。
「白鷺姫……」
「いつもいつも、よくやりますわねえ? 他人の血と魂に濡れた、穢れの塊のような妖狐を招き入れるなんて。しかも今日は人間まで! 生きとし生ける者の中で最も卑しく汚らわしい者を三人も……嗚呼、気分が悪い。吐いてしまいそうですわ」
「嗚呼、お可哀想な姫様!」
等とわざとらしく言う世話役の女。全くあれが人間であったら今頃紗久羅は彼女にとびかかり、何発かぶん殴ったに違いない。拳を握る力が強くなるのを感じ、それを見た奈都貴が「どうどう」と小声でなだめ。
(気分が悪くなることが分かっているなら、わざわざ来るなっての!)
「穢れをこの宮に呼び込むなどという罪深いことを平気でするなんて、気が触れているとしか思えませんわ」
そう言って、世話役の女達と共に嘲笑。このあんまりな言葉に女郎花が声を張り上げ抗議する。先程までのふんわりした雰囲気は影を潜めている。
「我等が姫君をこれ以上愚弄することは許しませぬ!」
「本当のことを言ったまでじゃないの。いつもいつも穢れを招き入れて、全ての姫君に迷惑をかけて。私達がそのせいで嫌な思いをしているというのに、自分はにこにこ笑いながら化け物と楽しくお喋りなんて!」
「申し訳ございません……」
「ふん、そんなこと少しも思っていないくせに。だからいつになってもやめないのよ」
鬼灯姫はしゅんとしている。だが心優しい上、口で相手を負かすことは得意では無いのか抗議することが出来ない様子。そんな彼女の代わりに目の前にいる女を罵ってやりたいと思うのは紗久羅だけではない。彼女に比べれば温厚な奈都貴、それ以上に温厚でのんびりしたさくらも同じ気持ちになっていた。これだけ一方的に蔑まれ貶められながら、何も言うなという方がおかしい。
「この部屋に来るまでの間、彼等はクシミタマの結界に包まれ、そしてこの部屋にも同様の結界が施されております。それゆえ穢れは外へは出ませんし、宮を穢すことは決してありません。それゆえ貴方や他の姫君達が穢れを感じることは無いはずですが」
「そういう問題ではないわ、寒椿。化け物や人間が宮に入りこんでいる、その事実がすでに『穢れ』なのよ。その穢れを進んで招き入れるなんて、万死に値する大罪だと私は思いますわ」
そうだ、そうだと同意する世話役達のいやらしい顔と言ったらない。鬼灯姫は顔を上げ、じろっと自身を睨んでいる白鷺姫に向けて震える唇を動かした。
「……出雲様達を招き入れることは翡翠の御方の許しを得ております」
「とうとう開き直ったわね! 矢張り先程の申し訳ございませんという言葉は嘘だったみたいねえ! ふん、そうして開き直ってでも愛しい化け物との時間を過ごしたいのね。だったらこの宮に来なければ良かったのに。そもそも貴方は宮にはふさわしくないわ。鬼に魅入られ、憑かれ、人の道を外し、多くの命を奪いながら死んだ化け物の分際で! 精霊の皮を被っても所詮化け物は化け物、宮を穢しながら笑っていられるなんて、私達『真っ当な』精霊には出来ないことですわ」
鬼灯姫の顔が真っ青になり、体は震え、生気を失った花の顔地へ垂れる。ぽとりと落ちる夜露の何と悲しいことか。逆に女郎花達は怒りのあまり顔が真っ赤だ。もう我慢出来ないとばかりに立ち上がるが、鬼灯姫に「おやめなさい、お願いだから……」と震える声で言われてはどうしようもなく。
(多くの命を奪いながら死んだ? 鬼灯姫が?)
俄かには信じがたい発言ではあったが、鬼灯姫の様子を見る限り真実であるらしい。鬼に魅入られ、憑かれた娘。それがどういうわけか今は鬼灯の精となっている。理由は分からぬが思った以上に軽々しく聞いてはいけない過去であったようだ。
しかし、それにしても。
(なんてむかつく女だ! 鬼灯姫が何も言わないからって調子に乗りやがって……!)
自分達が『穢れ』扱いされていることにも腹が立ったし、鬼灯姫をとことん貶める発言にも殺してやりたいと思う位むかっ腹が立った。もう紗久羅の頭は噴火寸前。噴火すればもう自分の手には負えなくなるだろう。
そんな紗久羅の肩を出雲が叩く。見れば、そこにはいつも以上に冷たい表情を浮かべている出雲の姿があった。ただほんの一瞬見ただけで、心臓を氷の刃で突き破られ、呼吸することもままならなくなり、生を奪われる。それを見れば彼がとてつもなく怒っていることは明白だった。自分が馬鹿にされているから怒っているのではなく、大切な友人を傷つけられたことに怒っていることも分かる。そして今までずっと黙っていた彼がとうとう、口を開いた。
「……たかが五の姫の分際で、ぺちゃくちゃと」
冷たい、冷たい、あまりの恐怖と苦しさに涙が出そうになる位冷たい声であった。勝ち誇った笑みを浮かべていた白鷺姫の表情が凍りつく。鬼灯姫よりも実は位は低いという事実に驚き呆れる余裕さえ無い紗久羅達は、錆びたブリキのおもちゃのような動きで二人を交互に見る。
「化け物と蔑む娘よりも位が低いなんて、笑える話だねえ」
嘲笑。姫の白雪に火の灯照る。世話役共は完全に固まっており、自身の主を馬鹿にされたことに対して何かを言うことさえ出来ずにいた。白鷺姫が激情に任せて開きかけた口に、出雲が氷の塊をぶちこんでいく。
「鬼灯姫が言った通り、きちんと翡翠宮一の姫の許可をとった上で我々はここにいる。お前は一の姫が決めたことに文句を言い、逆らうの? それに、鬼灯姫を選んだのは神だよ。まあお前みたいな者を選んだ時点でその目が節穴である可能性は否めないが、だとしても『精霊の皮を被った化け物』を選ぶなんて愚かな真似は決してしないだろうさ。お前の発言は鬼灯姫だけではなく、高みにいる者達をも愚弄する言葉だ」
「騙されているのよ、皆……そうでなければ鬼灯姫なんかが宮の花に選ばれ、お前達穢れの塊が宮に足を踏み入れることなど、ありえないですわ……どうせお前達のことだから、妖術か何かで欺いて」
僅かな間に余裕等吹き飛んだ白鷺姫の言うことは最早滅茶苦茶だ。出雲はにやりと笑い、更に責める。
「ほう? お前は一の姫や宮の花を決める神が私や鬼灯姫如きの術で欺かれ、籠絡されるような存在であるというのか。これ程酷い侮辱の言葉は無いだろうねえ。ふふ……翡翠宮二の姫である二人にお前がそんなことを言ったと教えれば、はて、どうなるだろうねえ?」
屈辱に震え、怒りに赤くなっていた顔から血の気がさっと引いた。二の姫と言えば二番目に位の高い姫だ。しかも彼女の反応を見る限りだと相当おっかない存在であるらしい。
なおも口答えしようとする白鷺姫を出雲がぎろっと睨む。これ以上ぐちゃぐちゃ言うと殺すぞ、とでも言いたげな目。それを直接向けられているわけではない紗久羅達でさえ気を失いそうになる位恐ろしい。
「私はお前のようなつまらない上に卑しい女などと、くだらないことを喋る為にここに来たわけではない。親愛なる友人であり、穢れなき美しき花である鬼灯姫と語り合いお茶を飲む為に来たんだ。貴重な時間をお前なんかの為に無駄にするなんて、耐えられない。鬼灯姫のことは好きだけれど、お前は大嫌いだからね。ここで流血沙汰等起こそうものなら愛しい姫に迷惑をかけることになる。だから我慢しているんだよ。けれど、ものには限度というものがあるんだ。その限度を超えれば……」
後はわざわざ言わずとも分かるよな、という無言の訴え。その訴えが分からぬ白鷺姫ではない。ただもう青ざめながら口をぱくぱくさせるだけ。間抜けな道化者の姿、嗚呼最早美しい姫君の面影などどこにもなく。ところで出雲の話し方は基本的に淡々としているが『卑しい女』『親愛なる友人』『好き』『嫌い』等一部の単語だけ気のせいか強調しているように聞こえた。まるでいかに自分が鬼灯姫のことを好いているか、そしていかに白鷺姫のことを嫌っているのか教えることで、彼女をずたぼろにしようとしているような。「むぐぐ……」と悔しげな白鷺姫のその瞳には出雲の姿が映っている。そしてその瞳には……熱情が、見えた。
「何よ、鬼灯姫鬼灯姫って……! 私よりもそんな小娘の方が良いなんて、やっぱり化け物の気は知れないわ! お、覚えていなさい!」
冷たさの欠片も無い、上擦った間抜け声でベタにも程がある捨て台詞を吐くと、かちんこちんになっていた世話役の娘達を引っ叩き、慌ててこの場を去って行った。その姿が見えなくなればこっちのもの、紗久羅は彼女が消えた方向を向いてあかんべえ。さくらはようやくギスギスした空気から解放されたことで、ほっと一息。
「それにしてもまさかそういう方向性だったとは……」
「ふん。あの女、私が来る度にわいてくるんだ。来ないのは外出している時位さ。そして最後には私を怒らせ、きいきい猿みたいに喚きながら逃げていく。全く今日は一段と腹が立ったよ、鬼灯姫が過去に触れられるのを最も恐れていることを知っていながらあんなことを……」
「ああ、お前もあのお姫様が自分のことを本当はどう思っているのか気がついているんだ……」
「何となくは。けれどおあいにく様、私はあの女のことが大嫌いだ」
「……鬼灯姫に酷いことを言うような人だから、ですか?」
「それもあるけれど、一番の理由はあの女が白ずくめだってところさ。全く忌々しい……姿も衣装も白、白、白! 白鷺―コサギだったかな―の精ってのも気に食わないし、真白白雪という白ずくめの名まで持っている。そんな女に好かれているなんて反吐が出るよ」
何だかあの憎たらしい白鷺姫がちょっと可哀想になる位散々な言いようである。そして彼の話を聞くまで出雲が『白』という色を最も嫌っているらしいということを忘れていた紗久羅達(奈都貴は知らないが、こんな話を聞けば流石に察する)は「ああ……」と納得。
「他の花々も私達が足をこちらに踏み入れることを良しとしてはいない。だがわざわざ文句を言いには来ないよ。後日嫌味の一つや二つは言うようだが、あそこまでぴいぴい喚く女はいないだろう。はあ……毎回私に負かされ、屈辱に震えながら逃げ帰ることになるくせに、懲りずに……全く……何度来たって結果は変わらないというのに。あの女、学習能力というものがないんじゃないかな。私はああいうやかましいだけの馬鹿は嫌いだよ。あ、でも紗久羅は好きだよ」
「おいそれどういう意味だよ」
「君は彼女と違って可愛らしいから」
「答えになってねえ!」
どういうわけか好意を抱いている出雲の顔を見たいが為、そしてそんな彼に好かれている鬼灯姫に嫉妬して嫌味を言いたいが為、毎回やって来る白鷺姫。そしてその度出雲にぼこぼこにされ、逃げるように去っていく。懲りない方ですわよね、と女郎花はため息。
(そんなことの為に毎回悪口を言われる鬼灯姫はたまったものじゃないよな……)
「申し訳ございません……皆様。とても嫌な思いをされてしまったでしょう?」
「そんな、あたし達は大丈夫だよ。それより鬼灯姫、大丈夫か?」
「ええ、私は大丈夫です。……いつものことですから」
とは言うが、その声に先程までの明るさはなく。過去に触れられたことが余程堪えたのだろう。正直紗久羅達も彼女の過去のことは気になった。だが触れるわけにはいかない。
「鬼灯姫。あの女のことは忘れて、話をしよう。紗久羅達の話も沢山聞きたいだろう? 何、そんなに気落ちすることはないさ。君は間違いなく心優しく美しい精霊だ。正真正銘の宮の花だ。あんな女の言葉など、気にしなくていい。自分という存在を君は誇っていいんだ」
彼にしては随分と優しい言葉だった。その声にもいつも以上に温もりを感じられる。鬼灯姫の頬に赤みが差し、そしてぽろぽろと真珠の涙零して何度も、何度も「ありがとうございます」と言った。出雲はゆっくり立ち上がると、小さなその体を優しく抱きしめる。鬼灯姫の求める『愛』と彼の『愛』はきっと違う。それでも、彼からの『愛』は彼女の傷ついた心を癒すだろう。
さあ、と手を叩くのは女郎花。
「気持ちを切り替えましょう。私、焼き菓子をお持ちいたしますわ。姫様のお好きなお菓子を。出雲様に『あ~ん』してもらいます? それとも鬼灯姫が『あ~ん』して差し上げます?」
「お、女郎花! も、もう!」
「私は構わないよ。食べさせあってしまおうか、うんうん」
「い、出雲様ったら……!」
まだ涙残る顔は真っ赤で、困り顔で、いとうつくし。
やがて再び部屋の中に戻る春、暖かな笑い声と甘いお菓子の匂い、宝石のようにきらきらとした話の数々。そしてじき、この宮にも本当の春が訪れることであろう。
鬼灯の様な日が沈むまで、紗久羅達は鬼灯姫と語らったり、向こうのゲームで遊んだり、お菓子とお茶をたらふく胃に収めたりした。宮を後にし、京の中を歩く彼女達の表情は晴れやかだ。
「また鬼灯姫と一緒にお喋りしたいなあ、すごく楽しかった! 花の香もお土産に貰ったし、紅茶と一緒に食べようっと!」
「私も楽しかったわ……貴重な話を沢山聞けたし。鬼灯姫が人間だった頃の暮らしについても少し聞くことが出来たし、とても幸せ」
「井上と違って、それはそれは可愛らしいお姫様だったなあ。……正直俺もまたお話ししたいなと思うけれど……でもあそこへ行くともれなく白鷺姫の嫌味もセットでついてくるんだよな……」
奈都貴がぽろっと零した言葉に、一同、固まる。出雲はあははと大笑い。
「大丈夫、大丈夫。何回来たってこの私がぼっこぼこにしてあげるから」
「お前、次はもう少しだけ手加減してやれよ……」
「あれだって十分手加減していたよ。もうあれ以上優しくなんて、出来ないよ」
「お前が本気出したら、それこそ口だけで人の心臓止められそうだな……」
などとくだらぬことを話した後京にて夕飯をとり(甘いものとご飯は別腹である)、それから元の世界に帰る紗久羅達だった。