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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
番外編
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番外編2:桜、憂う

 桜、憂う


 どん、がらがら、どんっ。派手な音と共に、桜村の長の息子である弥作(やさく)は村で一番立派な造りの神聖な社から蹴り落とされ、階段に頭や腕をぶつけながら惨めに地べたに転がっていった。当然、痛い。情けない呻き声をあげながら悶絶する。


 誰が弥作を蹴り落としたのか。犯人は、社の入り口の前で仁王立ちしている女であった。彼女はこの社の主だ。

 美しく、気高く、強くて賢くて……乱暴で凶悪で短気で口の悪い巫女。名は、桜と言う。桜は、地面でのたうち回っている弥作を汚いものでも見るかの様な目で冷ややかに見つめている。彼女に仕える娘達、近くに居た村人達は「またやっているよ」と半ば呆れながらその様子を見ている。


 しばらくしてから、ようやく弥作は立ち上がり、自分を思いっきり……一切手加減せずに蹴飛ばした桜を睨み、大声で叫んだ。


「てめえ、いい加減にしやがれ! この俺様の愛を受け取らないどころか、こんな乱暴な真似しやがって! ちょっと手を握っただけじゃねえか!」


「黙れ、腐れ外道が! 私は神に仕える者。この体も魂も、全ては神のもの。貴様のものにはならぬ。手はおろか髪の毛一本も触れさせてやらぬ。汚らわしい」

 桜はそう言いながら、顔にかかった太陽の光を受けて七色に輝く髪を、面倒くさそうに振り払う。


「体も魂も全て神のもの」実に巫女らしい言葉ではあるのだが、彼女が言うと何故か酷く胡散臭いものに聞こえる。平気で人を蹴飛ばし、乱暴な言葉を吐く娘が言っても今いち説得力に欠ける。


「ふざけんな! 大体、神なんている訳ねえだろう。そんないもしないものに、身も心も捧げる? 阿呆らしい! 第一もったいないじゃねえか、そんなにいい体しているのによ!」

 そうして、弥作は彼女に聞くに堪えぬ卑猥な言葉を次々と投げつける。


「その体、全て俺に寄越せよ。大事に扱ってやるぜ」

 そうして下卑た笑みを浮かべる。と、そんな彼の右耳を何かがかすった。それは、矢であった。弥作がべちゃくちゃといやらしいことを言っている間に、桜が弓を用意し、彼めがけて矢を放ったらしい。その弓は、神木から作られた彼女愛用の品であった。

 弥作は口をぽかんと開けて、その場に固まっていた。狙いが逸れていればどうなっていたかは想像しなくても分かることだった。


「貴様が神様にでもなれば、考えてやってもよいぞ? まあ、貴様の様な下種な男が神になどなれるはずもないがなあ? さて、まだ何か言うつもりか? これ以上汚らしい言葉を吐いてみろ、今度はその脳天をぶち抜いてやる」

 脅しでは無く、半ば本気の様であった。弥作は顔を真っ赤にして怒り狂いながらも、覚えていろと捨て台詞を吐いてさっさと逃げていった。

 桜ははあとため息をつき、さっさと社の中へ入っていった。そしてその後、弥作に触れられた手を、憎いようなものでも見るような目で見ながら、それはそれは丁寧に清めた。


「貴方、またあの村長の馬鹿息子をぼこぼこにしたんですって?」

 社から伸びる渡り廊下を渡った先には、桜の部屋がある。その目の前には庭がある。庭にある桜の木を眺める桜の隣に、一人の娘が座っている。彼女は桜の幼馴染であり、彼女の身の回りの世話役であった、名をいよと言う。呆れたように言ういよを、桜はちらと見、また視線を庭に戻す。


「本当にしつこい男だ。あれだけやっても、一向に諦めようとしない。私は奴のことなど少しも好きではないのに。というか嫌いだ。一刻も早くくたばってもらいたいものだな。ああ、あいつに触られた手から未だ変な臭いがする! 忌々しい!」

 そう言って、手を乱暴に振った。


「はあ。貴方位のものよ、あの馬鹿息子に手をあげられる人なんて。普通の人じゃ、今頃村長に酷い目に合わされているわよ。あの狸、息子には甘いから」

 村人に影で狸と呼ばれている長は、典型的な親馬鹿であり息子に非常に甘い。だから、例え息子の方に非があったとしても、彼に手をあげた者には理不尽な制裁を与える。そのせいで元々我侭だった弥作はどんどん我侭になり、やりたい放題である。我侭で乱暴で欲張りでけちで助平。桜村歴代ろくでなしの中でもぶっちぎりのNO1である。2は、その父である。先代村長(現村長の父)が優れた人格者であっただけに、何故こんなことになってしまったのかと村人達は首を傾げ、頭を悩ませている。

 そんな馬鹿息子、弥作に手をあげて無事でいられるのは桜位のものだ。

 

「ふん。……いい加減射殺した方がいいかもしれぬ」


「貴方ねえ。仮にも神聖なる巫女様でしょう。それが射殺すだなんて……。大体貴方、本当に神のことを信じているの? いつも思うけれど本当は神様なんていないって思っているんじゃないの」

 いよが問うと桜がくすっと笑った。桜の花の様な柔らかくて可憐な笑みだ。


「信じているさ。だって、私に力を授けてくれたのは他ならぬ神なのだから。私は神と会い、そしてこの力を手に入れたのだ。あの日から私の人生は大きく変わった」

 桜はそう言って、庭に出た。

 庭にある桜の木は薄桃色の花で鮮やかに彩られている。ひらひら舞い散る花を浴びながら、桜はくるりと回る。髪が、手が足が、衣装の袖が日の光を浴びて金色に輝く。彼女の「人」としての部分は日の光に隠れ、彼女の乱暴で男勝りな部分は消え失せる。そして神聖で村の誰よりも女らしい彼女の姿が現れる。この時の彼女には、どんな人間でも触れられないといよは思う。妬く気持ちもおきない程、彼女は美しい。


 彼女は変わった。

 

(昔は、どこにでもいる普通の女の子だったのに)

 昔の事を思ういよに、桜は微笑みかけた。


「私は、あの日私の目の前に現れた神のことを、今でも強く想っている」


(本当に、そうなの?)

 いよは、知っている。彼女がその『神』の名を口にする時に浮かべる笑みには陰があることを。本人が気づいているのかは分からない。

 本当に彼女は感謝しているのだろうか。彼女がよく語ってくれる「自分に力をくれた神様」のことを。


「桜を見る度に思い出す。あの日のこと。そしてあの日出会った『神』のことを」

 桜は頭上に咲き誇る自分と同じ名の花を、じっと見つめる。けれどやはりその姿はどこか憂いを帯びているように思える。


 桜の持つ力は、生まれつきのものでは無い。幼い頃の彼女はそういった力を一切持っていなかった。

 彼女は桜村にあるこの社に住み、占や加持祈祷等で村を助ける一族の娘だ。この家系のものは皆生まれつき、未来を予言する力や雨を呼ぶ力、普通の者が見ることの出来ないものを見る力、物の怪を退治する力等を持っている。彼らはその力を用い、常に人々の力となっていた。


 ところがその一族の娘であるはずの桜は、そういった力を一切持っていなかった。一族の誰もが生まれつき、大なり小なり持っていたものは彼女は持たずに生まれてきた。後に産まれた妹は力を持っていたというのに。

 それゆえ、村人達には馬鹿にされ、子供達には「お前はあの家の子供じゃないんだろう」と言われ、家族にさえ見放された。彼女のことを心配し、味方になってくれる者等殆どいなかった。弥作も昔は桜のことを馬鹿にし、率先して虐めていた。


 顔も平凡で、特別美しい訳では無かった。昔と全く変わらぬところといえば、意地っ張りで男勝りで乱暴だったところ位だ。どれだけいじめられたり、からかわれたりしても彼女は決して負けなかった。少なくとも人前では泣いたり弱音を吐いたりすることはなかった。周りの人の冷たい態度が、彼女をそういう風にしていったのだ。

 刃向かってはやられ、そしてますます意地っ張りになり、反抗し、またやられては……その繰り返しだった。いよはそんな彼女の助けになりたいと想っていたが、手を差し伸べれば彼女に睨まれて乱暴に振り払われそうだったから……何もすることが出来なかった。


 昔の彼女はいつも一人ぼっちだった。

 

 酷い世界だと、思っていた。力が無いという理由だけで馬鹿にされる。他の人達だってそんな力は持っていないくせに。皆と何一つ違うところなど無いはずなのに、不思議な力を持つ一族の娘として生まれたばかりに酷い仕打ちを受けることなった。

 この世界には何も無いと思っていた。温もりも優しさも色も、無い。喩えるなら冬に降り積もる雪だけの世界。雪は綺麗だと皆言うが、桜にとっては忌々しいものだった。色も温もりも何もないあんなものを、何故そんなに美しいと思えるのか理解できない。

 壊せるものなら、こんな世界壊してやりたいと桜は思っていた。けれど彼女には何の力も無い。ただの意地っ張りで生意気な小娘なのだ。

 家族や村人達のいう『神』なんて本当はいないのだと思っていた。そんなもの、いるわけがないと思っていた。いたとしても、酷く残酷で汚くて、力のある者にだけ力を貸す様な、そんな奴だと思っていた。


 『神』に出会うまでは。


 それは丁度、今の様に桜の花が咲いている時のことだった。

 桜はいつもの様に一人桜山を歩いていた。山を薄桃色に染める桜をぼうっと眺める。とても美しい花なのに、桜には何の色もついていない雪を被った花に見える。桜の花に囲まれても少しも楽しい気分になれない。かといって村に戻ればまた弥作に腹の立つことを言われ、家族に冷たい目で見られる。どこへ行っても桜に幸せなどない。桜は、ため息をついた。


――君、一人ぼっちなの――

 背後から聞き覚えの無い声がした。少年の声だった。一体誰だろうと桜は後ろを振り向く。

 桜の木の下に、一人の少年が立っていた。

 雪のように白い肌、肩まで伸ばした空に浮かぶ銀の月と同じ色の髪、瞳は秋に舞う紅葉の様な赤。青い着物を着ていて、背丈は桜と同じ位。

 甘い匂いのする桜の花の吹雪の中で、彼は微笑んでいた。


 力の無い桜にも、彼が人でないこと位は一目見れば分かった。けれど、妖怪の様な穢らわしい存在には思えなかった。

 ならば、ならば彼は。


――可哀想に。一人は辛いよね、苦しいよね―― 

彼の声を聞いた途端、桜は自分が心の中に溜め込んでいた色々なものが外へ噴き出るのを感じた。

 どうしようも無く苦しくなって、桜は泣いた。人前で(最も彼は人ではないけれど)泣くのは本当に久しぶりだった。もう自分では止められそうになかった。そんな彼女の様子を少年……いや『神』はじっと眺めている。


――私は、神様なんだ。だから君に力をあげることが出来る。力が欲しいだろう?力があれば、何だって出来る。君のことを馬鹿にしている人達を見返すことも出来る。もうそんな風に苦しむ必要も無くなる――


 桜は顔をあげる。彼は微笑んでいた。

 その笑みは彼女の体を冷やし、暖め、痺れさせ、震えさせ、蕩けさせた。彼女はもう彼から目を逸らすことが出来なくなってしまった。彼は微笑んだまま、桜に手を差し伸べた。桜はその手を恐る恐る握る。酷く冷たくて、触れた途端体がびりびりと痺れた。


――一緒に行こう。私が、良い所に連れて行ってあげる。そこへ行けば、私は君に力を分けてあげることが出来る――


 足音も立てず、ふわふわと歩く少年に桜は引っ張られていった。


 そうして彼と歩いているうち、桜は世界に色が戻っていくのを感じた。さっきまで、冷たくて何もない真っ白な雪の様だった世界は、温かくて優しく美しいものに見えてきた。

 それは、自分の手をぎゅっと握り締めながら走る彼のお陰かもしれない。


――どうして、私のことを助けてくれるの?――


――君のことが好きだからだよ。だから、力をあげるんだ。私は神様だから、ずっと君と一緒にいることは出来ない。力を分けたら、すぐに帰らなくちゃいけない。……約束だよ、私のことを忘れないで。絶対に。私のことをずっと想い続けていて。私も、君を忘れないから――


 うん、うん。絶対に忘れない、貴方のことは決して。私は貴方に仕える巫女になります。貴方の為に……生きていきます。


 神は、その言葉を聞いてまた笑った。


――与えられた力を使って、力なき人々を救って。弱き人々の為に、生きて。それが、人々を想い、君を想う私の為になることだから――


 そして桜は神に秘密の場所へ連れて行かれた。そして、彼の力を分けてもらった。けれど、気がついた時には彼の姿は無かった。

 以来、彼には一度も会っていない。


 そしてその日を境に桜は、無力な娘では無くなった。自分を冷たい目で見ていた家族達よりもずっと強い力を手に入れた。魔を滅ぼし、雨を呼び、傷を癒す霊的な力を。

 更に、平凡だった彼女の姿は日に日に美しくなっていった。そこらにどこにでもいるような村娘とは比べ物にならぬ位、美しい女性に。……もっとも気が強くて意地っ張りな性格は変わらなかったが。


 世界は、大きく変わった。今まで散々自分のことを馬鹿にしていた人々は、手の平を返し彼女を頼り、敬うようになった。いじめっ子の弥作も最早桜のことを虐めなくなり、逆に彼女に言い寄るようになる(これは迷惑な話であったが)家族は自分のことを自慢の娘と誇るようになった。

 壊したくなる程憎んでいたはずの世界。その世界は神との邂逅をきっかけに、ある意味では完全に崩壊した。


 こうして桜の人生は大きく変わった。今では、桜様と皆に呼ばれ慕われる優れた巫女となった。


「私は、感謝しているんだ」

 そう桜は呟く。けれど、どこかそう自分に無理矢理言い聞かせているような気がして、いよは不安になった。

 本当に、彼女は幸せなのだろうか。


 昔は力を持つ家系に生まれながら、何の力も持っていなかった娘。たったそれだけの理由で、人間扱いされず、酷い仕打ちを受け続けていた、哀れな娘。

 しかし彼女は力を得たことで、誰からも愛され、慕われ、敬われる存在となった。


(確かに桜は力を手に入れた。けれど、私は思う。結局今も昔も……変わっていないんじゃないの?)

 神聖で、神に近しい存在として彼女を見る者は大勢いる。けれど彼女を一人の人間の女の子として見てくれている人は……殆ど居ない。弥作だって彼女の顔と豊満な体しか見ていない。あれは、女性として、一人の人間として見ているというより、快楽を得る為の道具として見ているといった感じだ。


 結局何が変わったというのだ。昔も今も、彼女を一人の人間として見てくれている人など誰もいない。そんなことを考えているいよもまた、彼女を普通の人間の娘として見ることが出来ない。そんなこと考えられない位、強い力を持っているのだ。

 しかし、それは果たして本当に幸せなことなのだろうか。彼女の笑顔は本物なのだろうか。


「桜……貴方、本当に幸せなの?」

 悲しげな表情を浮かべ、いよは呟いた。それを聞いた桜が瞬きしながら彼女を見る。


 桜の花びらが、桜を包み込む。


――……約束だよ、僕のことを忘れないで。絶対に。僕のことをずっと想い続けていて。僕も、君を忘れないから――


 桜は微笑んだ。その笑みは、いよの体を冷やし、暖め、痺れさせ、震えさせ、蕩けさせた。

 もういよの手の届かぬ場所に行ってしまった、幼馴染。桜はただ一言呟いた。


「幸せだよ」

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