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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
学校の怪談~開花への階段~
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学校の怪談~開花への階段~(17)

 

 突然の出雲の登場に、驚きの声を口にしない者は誰一人としていなかった。さくら達を追うようにして気配を消した状態でここまで来たのか、それともずっと前からここにいたのか。

 ばさばさ、と鳥か何かが羽ばたく音が聞こえたので見てみれば、そこには人間形態のやた吉とやた郎の姿があった。二人はさくらの視線に気がつくと困ったように笑う。

 出雲は呆気にとられ、棒立ちになっている鈴鹿の肩に手を置いた。そして嘲笑入り混じる、これ以上ない位冷たい声で言い放つ。


「残念だったねえ」

 直後響き渡った、鈴鹿の叫ぶ声。そうして彼女が全身の毛が逆立つような声をあげたのは、出雲の無慈悲な攻撃を受けたからだ。恐らく自身の持つ力を肩に置いた手から鈴鹿の体に流したのだろう。彼女の華奢な体が宵闇の電撃に包まれる。あまりの悲鳴に、そしてその電撃のすさまじさに見ているこちらの心まで切り裂かれる思いがした。自分達以上にずたずたにされたのは、それを見ていながら止めることさえ出来ない修羅や羅刹だろう。愛する主への容赦ない攻撃に今の彼等は悲痛な、そしてかなり弱々しい声で「やめろ!」と叫ぶのが精一杯。

 やがて攻撃が止むと、どさりという音が聞こえる。鈴鹿が倒れたのだろう。修羅や羅刹は彼女の所へ行こうとするも体に受けたダメージは大きく、まともに動けやしない。その光景は出雲にとってこの上なく愉快痛快なものだったのだろう、この場には大変似合わないそれはそれは楽しそうな声で彼は笑う。鈴鹿が花を喰らうことを阻止出来たことは良いことではあるが、と皆内心複雑である。


「いいねえ、その苦しみ悶える姿。さっきの声なんてなかなか素晴らしくてぞくぞくした位だ。もう一回やりたいなあ。けれど我慢するよ、うん。あんまりやると君が乗っ取っている体とそこに宿る魂が駄目になっちゃうからねえ。まあ私にはそんなこと微塵も関係ないのだけれど、あまり調子に乗ると紗久羅に嫌われちゃうから」

 やろうがやるまいがあたしはお前のことが大嫌いだ、という紗久羅の呟きは果たして彼に聞こえたかどうか。出雲は起き上がることの出来ない鈴鹿から、頭上に咲く黒い花へと視線を移す。本来の目的は鈴鹿ではなく、これだろう。


「いやあ、素晴らしいねえ。何て美しい花だろう。ふふ、今宵はご馳走だ」


「や、やめ……」


「やめろと言われてやめるなんて、つまらないよ」

 それだけ言うと彼は説得や交渉の余地も与えぬまま、鈴鹿が喰らおうとしていた花のエネルギーを喰らい始める。修羅は彼を止める為立ち上がろうとするが、すぐ崩れ落ちてしまう。それを二三度繰り返す内、体をほんの少し動かすだけの力さえ無くなってしまったのか、片膝を立てた状態から進むことも戻ることも出来ないようになってしまった。

 その間にも出雲は花のエネルギーをどんどん吸収していく。空に咲く大輪の花はみるみる内に小さくなっていき、絶望に何もかも洗い流され虚無を抱く者となった鈴鹿達の目の前でやがて消えてなくなった。

 もう花はどこにもない。今の今まで空に浮かんでいたあの花は夢の中のものであったのではないか、という位跡形もない。

 鈴鹿が成体になることも、もう出来ない。彼女の長年の願いを叶えるものは永遠の夜の彼方へと追いやられてしまった。一人の美しい化け物によって。儚い泡沫、弾けて消えるは一瞬。そして永遠にそれは元の姿を取り戻すことは出来ないのだ。もうどこにもない泡沫を、元に戻したいと、その姿を再び目にしたいという思いがひしひしと感じられる鈴鹿の呻く声。全てが終わったことを理解してなお、まだ終わっていないと思う気持ちはあまりに痛々しい。そんな思いも出雲の胸には届かない。彼はのんきにわざとらしく大きな音をたてて手を合わせて頭を下げる。


「ああ美味しかった、ごちそうさま。これで私もまたちょっとだけ強くなった。花鬼程効率よく吸収出来ないのは惜しいけれど、まあ十分だね、うんうん」


「うんうん、じゃねえよ馬鹿狐! お前何しに来たんだ!」

 紗久羅の問いかけに、出雲は初めてこちらを見る。鬼ヶ花のエネルギーを吸収した為か彼はますますその艶を、妖しさを増したようであった。


「何しにって君達を助けに。学校中巡っていちいち浄化するのは面倒だから、彼女達が『収穫』を終えるまで待っていたんだ。で、無事収穫は終了した。しかし一箇所に集まったあいつを浄化するのはこの私でさえ大変なこと。そんなことをするよりも、食べちゃった方が楽かなあと思って……まあそれで今に至るというわけさ」


「嘘をつけ、この性悪狐。どうせ初めからお前の狙いは鬼ヶ花の中に溜まっていたエネルギーだったんだろう? だからこの学校に鬼ヶ花の種が蒔かれたことに気がついていながら放っておき、さくらが東雲高校の異変を伝えに来た時も知らぬ存ぜぬ関係ないって態度を貫き通した。それでもってやた吉とやた郎に学校を毎晩見張らせ、収穫の日が訪れたことを二人から聞いたお前はここまで来て、気配を隠しながらその時が来るのをずっと待っていた。そうなんだろう?」


「ばれたか」

 弥助の指摘になんの悪びれもなく即答する。やっぱり、とその答えには誰も驚かなかった。


「鬼ヶ花が負の感情を吸収して生成するもの……それを食べられる機会なんて滅多にないからね。いやああの日文化祭に行って正解だった。ふふ、あの種の存在を感じとった時は興奮したよ。あれを食べられる機会に巡り会えるとは思いもよらなかったからねえ。あの日から私はずっと待っていた。この日が来るのをね。馬鹿狸が言う通り、さくらから怪談騒動の話を聞いた日からやた吉とやた郎に毎晩学校を見張らせた。そして今日、やた吉から連絡をもらってね飛んできたんだ」


「気がつかなかった……あんたの存在を警戒していたのに、ずっと」

 今にも死にそうな声の修羅を出雲はふん、と鼻で笑う。


「お前ごときに気がつかれてたまるか。格が違うんだよ、格が。いやあ、満足満足。美味しいものは食べられたし、おまけに誰かの願いを実現寸前でぶち壊すという遊びも出来たしねえ。この遊びは本当に楽しいよ。後少しで全てが終わり、始まるんだって顔をしている人を絶望という名の谷底に思いっきり突き飛ばすのって」

 むしろそっちが本当はメインだったのかもしれない、と嬉々とした表情で語る彼の姿を見てさくらは思う。人を喜ばせることよりも、人を絶望させることの方が万倍好きだろう彼のことだから。


「貴方は……お、に、ですか」


「残念、狐でした。ふふ、ああ本当良い顔をしているなあ。切り取って飽きるまでずっと眺めていたい位だよ」

 しゃがんだ出雲はどうやら鈴鹿の絶望と喪失感に満ちた顔を凝視しているらしい。もしかしたら手で彼女のあごをくいっと上げているかもしれない。出雲の藤色の髪が滝のように下へ向かって真っ直ぐと流れ落ち、無機質なコンクリートの地を静かに叩く。


「どれだけ悔しがっても、後悔しても遅いよ? 時間は戻せない。だからこそ重い。戻せぬ時の重みに潰されて苦しんで苦しんで、苦しみ続ければ良いさ。ま、この私があの日学校を訪れたことが運の尽きだねえ」


「……確かにその通りだ。あの日あんたの姿を見た時に僕思ったもの。あ、終わったなってさ……本当はね。絶対に何かすると思った。そう思わせる目をしていた……でも、どうしようもなかったんだ。だって力の差は歴然だもの。人間同然の力しか持たない姫様は問題外だし、彼女を守る僕や羅刹だってあんた程の力は持っていない。……そちらのお嬢さんから情報が漏れるのを少しでも防ごうとはしたけれど、多分防げていたとしても無駄だったろうね」

 ぜえぜえ言いながらも修羅は己の気持ちを吐露した。鈴鹿も最初から半ば諦めていたらしい修羅の話を聞いても、ふざけるなと怒ることもしない。そんな気力ももう無いのかもしれないし、単純に彼女自身も心の底では失敗することが分かっていたのかもしれない。その思いを「絶対に成功させる」という言葉で今の今までごまかし続けていたのかもしれない。だが、もうその言葉さえ今は何の意味も持ちはしない。

 彼等は本当に運が悪かった。さくらが誘いさえしなければ出雲はあの日東雲高校には来なかっただろう。そうすれば彼は鬼ヶ花の種の存在に気がつきはしなかっただろうし、さくらから怪談騒動について話を聞かされても「どうでもいい」と一蹴したに違いなかった。そうなっていれば、鈴鹿は恐らく成体になることが出来ただろうに。


「運も実力の内。まあ、でも感謝するんだね。私は君がほんの少しでも花の力を口にするのを待っていてあげたんだから。たったあれだけでも、君のこちら側の世界に固定出来なかった肉体もちゃんと固定出来るようになるだろう。確か君達花鬼の肉体は我々とはまた違う、特殊なものなんだよね? だからそんな仮初の体はいらなくなる。寿命だって百年位は伸びたんじゃない? そのことを君は喜ばなければいけない。私はとても親切だからね。君がそれだけのものを得るのを許してあげたんだよ」


「なんちゅう上から目線……下衆だ、あいつ本当に下衆だ……」


「人のものパクっておいてあの言い草……」

 一夜も、紗久羅もあんまりな出雲の態度に呆れるやらぞっとするやら。鈴鹿や修羅も彼の発言に絶句。怒ることも泣くことも出来ずにいる。

 さて、と出雲は立ち上がると軽く伸びをする。


「もう目的は達成したし、これ以上こんな所にいても意味はない。後はどうぞご勝手に。お嬢さん、成体になれなかったことを悔やんで自ら死を選ぶことだけはよしておくれよ? 君に譲ってあげた分の力が無駄になってしまうからね。それにさっさと死なれても面白くないし。それじゃあねえ、さくら。明日からは元通りの酷く退屈だろう学校生活が再開するだろうから、まあせいぜい楽しんでよ」


「別に退屈じゃあ……」

 ありがとう、と素直に感謝の言葉を告げることも出来ず、そんなどうでもいいことしか言えないさくらに笑みを向けると出雲は例の牛のいない牛車に乗り込み、闇夜の彼方へと飛んでいく。しょっちゅう借りているらしいそれは出雲お気に入りのものなのだろう。やた吉とやた郎もぺこりとお辞儀するとそれに続く。空飛ぶ牛車と、背に羽を生やした山伏姿の少年二人……何とも異様な光景が、まだ事態を飲み込みきれていない一同の前に広がり、やがて消えていった。

 やりたいことだけやってさっさと出雲が帰った後、屋上はしばらくの間静まり返っていた。それぞれ自分が何をすればいいのか、誰にどんな言葉をかけてやればいいのか分からない状態だった。冬の風が戸惑うばかりのさくら達の体を叱りつけるように静かに叩きつける。

 どれだけ続いたか分からないその時間を破ったのは佳花であった。安寿と栄達をまだ倒れている宵風や樹の所へ向かわせ、自身は鈴鹿の方へとゆっくり歩いていく。冷たい地べたにぺたりと座ったまま動けずにいる彼女は、自分の目の前に立った佳花を見上げた。


「……立てますか?」

 佳花は怒るわけでもなく、右手を鈴鹿へ差し伸べながらそう声をかけた。しかし鈴鹿はそれを掴んで立ち上がろうとはしない。どうやらまだダメージが残っているらしい。

 結界を無理矢理破られ(ついでに攻撃もされていたのだろう)ふらふらな状態の羅刹が何度も倒れながら鈴鹿の背後にやって来た。直後、鈴鹿のいる辺りから温かい色をした光が見える。どうやら羅刹が鈴鹿を回復させてやっているらしい。さくら達もより詳しい状況を知る為に、彼女のすぐ近くまで移動した。

 出雲にこっ酷くやられた修羅もようやく少しは動けるようになったのか、這うようにして移動して鈴鹿の傍らに座る。そんな彼の顔色はかなり悪そうだった。鈴鹿の方は羅刹の治療によって幾分調子が良くなったようだった。彼女は気まずそうな表情を浮かべ、佳花やさくらの顔を見つめる。


「……全て、終わったのね」


「終わってしまいました……」

 泣いているような、笑っているようなそんな顔で鈴鹿は言った。さくらには、彼女が思った程絶望していないように見えた。それはまだ奥の手を残しているからとか、そういう理由ではなく。


「もしかして、ほっとしているんじゃない? 成体になって、榎本さん達に災いをもたらさないで済んで」

 はっとしたような表情。じっとそのまま佳花を見つめていた鈴鹿はそのことを否定しなかった。やがてそうかもしれないと小さく頷いた。本当に、心底安堵しているような様子で。矢張り彼女はどうあっても人に災いをもたらすことなど出来ない、花鬼らしくない花鬼なのだ。


「成体にならなければ、貴方達に言ったことを実行に移さなくて済みますから。馬鹿にされて悔しくて、それでもやりたくはなかった。言うだけ言って実行には移さないという手だってありますけれど、それはつまり花鬼としての自分を否定するということで……。ああ、でも本当に私ほっとしている。こんなにほっとしているなんて、自分でも驚く位。そう、私……楽しかったんです……安達鈴鹿としてこの学校で毎日を過ごすことが。文化祭が終わった頃位まではまだ、学校生活をそれなりに楽しむ一方で成体になる為なら皆がどうなっても構わないって普通に思っていたのに」

 本当は花など育てず、他人の体、他人の存在を借りたままずっと『安達鈴鹿』という人間として生きたかったと鈴鹿は言う。だが花を育て、喰らわねば自身の寿命は尽きる。東雲高校の生徒を傷つけることを拒否し、僅かに残る命の火を燃やし尽くして逝くという道を選ぶことは流石の彼女にも出来なかった。成体になった後も、そのまま『安達鈴鹿』を演じたまま生きることも出来た。しかしいずれその日々に虚しさを覚える日は来る。所詮何もかも借り物で、偽りで紛い物である事実から目を背け続けることは出来ない。自分の居場所は本当は垣谷英恵のもので、安達鈴鹿なんて人間は本来存在しない。自分が本当にクラスの、東雲高校の一員になることはない。一旦英恵に体も存在も返し、皆の記憶をまっさらにした後色々手を尽くして誰の存在も借りていない、本物の『安達鈴鹿』として学校へ転入することも出来なくはないが、その場合数ヶ月間の時間は全て無かったことになる。敦子と過ごした日々も、全て。

 そんなことをずっと考えながら彼女は日々を過ごしていたという。


「本人がこれだもん、僕達がどれだけ頑張っても無駄だよねえ。ああ結局僕も羅刹も殆ど鬼ヶ花の恩恵を受けることなく終わってしまった」

 まだ本調子ではないくせにすっかりお調子モードに戻っている修羅はわざとらしいため息をつく。


「うっ……」


「ま、別にそんなことどうでもいいんだけれどねえ!」


「どうでもいいなら言うなよ……」

 鈴鹿の気持ちを代弁するように紗久羅が呟く。修羅はにひひと笑うばかり。


「ところで貴方達、これからどうするんですか。もう種は全て蒔き尽くしてしまったのでしょう?」


「予備に幾らか残していれば良かったなあ。ま、残していたとしても結局は無駄になっただろうけれど。はて、一体どうするんだろうねえ……どうするのさ、姫様」

 鈴鹿は苦しげな表情を浮かべながら自身の胸に手をやる。


「……垣谷さんにこの体と、存在を返します。あの出雲という男の言う通り、一応自分の肉体を固定するだけの力は取り戻しましたからもう必要ない。ここでの日々を捨てるのは惜しいですが、これも仕方の無いこと。その後のことは何も考えていません……人間に何か悪さをする、ということは無いですが」

 それを聞いた佳花は唇に手をやり、何か考え事をしているらしい。少しして考えをまとめたのか、宵風達に応急処置を施している栄達と安寿の方を見た。その表情を見て二人は佳花が何を考えているのか察したらしい。彼等は姫様のお好きなように、と静かに頷く。佳花も頷き返し、再び鈴鹿へ視線を戻す。


「……貴方達を『向こう側の世界』に帰すことも出来るわ。この街にはまだ『道』が残っているから。もしくは」


「もしくは?」


「私の住む屋敷に来ない? 三人揃って」


「先輩!?」

 驚きの提案に皆して驚きの声をあげる。さくらもびっくりしたし、鈴鹿も「はい!?」と目をぱちくり。直後その表情ものすごく間抜けだねえ、と修羅に言われ彼の頭をぺちんと叩く。佳花は冗談で言っているわけではない。それは彼女の表情を見ればすぐに分かる。


「……屋敷でゆっくりと休んで体を癒し、元気になった後もずっといてくれて構わないわ。山の中でそのまま静かに暮らしてもいいし、飽きたら『向こう側の世界』へ帰ってもいい。人間に危害を加えることもないでしょうから、山を下りて人と触れ合い人と共に過ごす時間を送ってもいい。安達さんは人のことが嫌いではないみたいだし」


「人と……」


「老いない以上、そのことを不思議に思わせない力を持っていない限りは……ずっと人の世で生き続けることは出来ないだろうけれど、そのことを辛いと思う日も来るかもしれないけれど、それでもいいなら」


「今すぐどんな風に生きるか決める必要はない。姫さんの言葉に甘えて、まずは屋敷に行ってみたらどうっすか? それでもってその体を休めながら、三人でこの先どうするかゆっくり考えてみるのもいい」

 弥助の言葉に栄達や英彦が頷いた。


「で、でも私はこの学校にいる人達を苦しめた存在で……そ、そんな私を迎えるなんて」


「確かに学校を混乱に陥れ、生徒達をうんと怖い目に遭わせたことは事実だわ。でもだからといって新しい人生を歩んではいけないわけではない。人間を苦しめた妖はやり直してはいけないなんて決まりだってない。そもそも貴方達は『間違った』ことをしたわけでもないし……人間にとっては『間違い』でも、貴方達にとってはそうではないわ。人だけが正しくて、人が間違いだと思ったことは全て間違いであるなんて思わない。私は人間と妖の真ん中に立つ者だから、その辺りのことは分かっているつもりなの」

 さあ、どうすると佳花の瞳が問いかける。鈴鹿は修羅、それから羅刹を見やった。修羅は右手をひらひらと振りつつ笑う。


「僕はどちらでも。姫様が選んだ道が僕の進む道。あ、でも『もう私に仕えていても鬼ヶ花の恩恵を受けることはない。だから解約してお別れしましょう』ってのだけはなしね。僕そればかりは聞けないよ。ねえ、羅刹?」

 羅刹は細い茎の上に咲く白い花の如き頭を縦に振った。彼女も同じように、鈴鹿の選ぶ道を選ぶらしい。鈴鹿は二人の答えを聞き、しばらく考え込むとやがてぺこりと頭を下げた。


「それでは……よろしくお願いします」

 彼女は佳花や、多くの妖が住む屋敷に身を置いてこれからのことをゆっくり考えることを決めたようだ。そのことに反対する者は少なくともこの場には誰一人いない。


(これで一件落着。けれど……)

 これからのことを思った時、さくらは胸が痛んだ。鈴鹿はどの道を進むにしたって、この学校で過ごした時間を捨てなければいけない。そうして敦子との友情も、他の生徒達との絆も無かったことになるのだ。人間としての『鈴鹿』はこの学校から、いや、この世界から消えてしまうのだ。そのことで一番胸を痛めているのは鈴鹿自身だろう。彼女は自身の両手を見つめ、それから色々耐えられなくなったのかその手で顔を覆った。嗚咽が聞いている者の胸を刺す。


「分かっていたのに……大切にすればする程、辛くなるってこと……皆のことを、皆と過ごす日々を好きになればなる程苦しくなるってことが……でも、でも止められなかった……」


「君って本当人間のこと大好きだよねえ。ああ、その愛を少しでもいいから僕にくださいよ。僕はこんなに君のことを愛しているっていうのにさあ」


「うるさい、馬鹿、馬鹿……」


「それとも本当は滅茶苦茶愛してくれているとか? あ、これってもしかして『つんでれ』とかいうやつ?」


「よく分からんけれど、お前しばらく黙ってやれよ……」

 鈴鹿が気持ちを吐き出すのを邪魔する修羅を紗久羅はたしなめる。ぶうぶう膨れる彼を見て、彼女は本当こいつ出雲に似ているなと呆れ気味。

 そんな修羅を無視し、泣きじゃくる鈴鹿を佳花が優しく抱きしめる。彼女に人間『安達鈴鹿』としての時間と別れを告げる決心がつくまで。


「確かに皆の中では、貴方と過ごした時間は無かったことになるかもしれない。その時間は全て英恵さんのものに変わるかもしれない。けれど『安達鈴鹿』と過ごした事実が完全に消えてなくなるわけではないわ。自分が何かしたという事実、何かを思った事実というのはね、決して消えない。永遠にそれはこの世界に確かに残り続ける。そして貴方の心の中にも……」

 鈴鹿は何度も、何度も「うん、うん」と佳花の言葉に答えるのだった……。


 その後のことは佳花達に任せ、さくら達は帰ることになった。鈴鹿が落ち着いた辺りで速水が姿を現した。


「とりあえず空っぽになった鬼ヶ花は全部処分してあげたよ。別に残っていても勝手に枯れてくれるから問題ないんだけれどさあ。いやあそれにしても皆ぼろぼろだねえ、ものすごく痛そう」


「あんたが手伝ってくれれば何もかも一瞬で終わったし、私がここまで怪我することもなかったんだけれど」


「最強キャラってのはあんまり出しゃばっちゃいけないものなのさ。その傷はちゃんと後で治してあげるよ、勿論他の人達のもね。鬼さん達はそっちにお任せするよ。それじゃあ、帰ろうか」

 別れを前に、さくらは鈴鹿を見た。やっと泣き止んだ鈴鹿も真っ赤な目をこちらに向けている。そしてそれから静かに頭を下げる。恐らく自分や一夜は彼女のことを忘れることはないだろう。けれど敦子は……改めてそれを思うと、自分なんて二人の友情には何にも関係がないのに泣きたくなってしまう。


「それでは、さようなら臼井先輩。……先輩とはまたお会いする機会があるかもしれませんが」


「そうね。また会いたいわ、私も。それから美吉先輩には妖姫のことなどについて色々聞きたいです!」

 

「覚悟しておくわ」

 と佳花は苦笑い。暴走する彼女の被害に幾度となくあっている一夜達は、これからの佳花のことを思い心の中で、合掌。


(東雲高校の狂った歯車は元に戻り、元通りの時間を動かす。安達さんのいない時間を……。けれど、以前とは違う部分もある。先輩が人間ではないことを知らずに生きていたあの時間はもう戻らない。完全に元通りの関係のままでいることはもう出来ない。そのことを先輩は望んでいなかったのだろう)

 でも、とさくらは微笑む。佳花が素晴らしい先輩であることに変わりはないし、彼女のことを大好きでいる気持ちも変わりはしない。これからも彼女のことを部活の先輩として、彼女が卒業して今まで通りに会えなくなった後も慕い続けることだろう。

 鈴鹿の、敦子や他の生徒達を大切に思う気持ちもきっと変わらないと信じているし、その気持ちを無かったことにしてもらいたくはない。その気持ちを持ち続けることで苦しく辛い思いをすることになったとしても。


(そして出来ることなら、榎本さんの安達さんを大切に思う気持ちも……)

 それを願いながらさくらは速水に連れられて帰っていった。帰った直後彼に治療を施され、あちこちにあった傷はあっという間になくなった。傷がなくなっても疲れがとれたわけではない。しかしそれもこの後ゆっくり休めばどうにかなるだろう。

 さくらは英彦や弥助に何度もお礼を言い、そして彼等と別れた後日記に今日の出来事について書き、泥のように眠った。



 それから、数日が経った。学校はすっかり元通りになり、もう幽霊や妖怪を見たといって泣きだす者もいない。怪談を口にする者だって誰もいない。そもそも怪談が異常なまでに流行ったことも、それによって自分達がうんと恐怖し、狂ったことさえ殆ど覚えていないようだ。恐らくもう少し時間が経てば、あの時の出来事は完全に忘れられてしまうだろう。

 

「くそう、何だってこんなに授業が進んでいないんだ! もっと進んでいるはずなのに訳分からん!」

 晶がそんなことを授業中幾度となくぼやく度生徒達は「さあ、何ででしょうねえ」と呑気に声を揃えて答える。その理由をはっきり答えられるのはさくらと一夜だけだが、花鬼のせいですなんて正直に言う訳にはいかないからただ苦笑いするだけである。

 どの科目の進行度も予定より遅れてしまっており、先生達は頭を抱えている。一コマほぼ丸ごと授業が潰れたこともあったのだからそうもなるだろう。最悪休日が幾らか潰れることになるかもしれない。

 

 今日、昼休みにこっそりと環のクラスを見に行った。そこには英恵の姿があった。彼女は鈴鹿にずっと体を乗っ取られていた影響か、或いは出雲の攻撃の影響か今日まで休んでいたらしいことを佳花から聞いた。だが復帰した彼女はいたって元気そうだったので少しほっとする。彼女は鈴鹿が過ごした日々の一部を、自分の過ごした日々として認識しているらしい。その為かあまり生活に支障はきたしていないようだ。また、敦子ともそれなりに仲良くやっているようだ。もっとも鈴鹿程彼女と親しくははないようだが。敦子達も鈴鹿がやったこと、彼女とやったことの一部を覚えているらしい。だがそれも鈴鹿とやったことではなく、英恵とやったこととして認識しているようだが。

 鈴鹿がいなくても、彼等の時間は回る。それを改めて目にして、彼女の泣きじゃくる姿を思い出して胸がちくりと痛む。鈴鹿や修羅もすっかり傷は癒えたそうだ。修羅はあっという間に屋敷の空気に馴染み、他の妖達とも仲良くなって、おちゃらけお調子っぷりを発揮しているらしい。鈴鹿と羅刹はまだ慣れない様子だが、少しずつ馴染んでいこうと努力しているそうだ。いつか会いたいなと言ったらいずれ家に招待すると佳花は言ってくれた。その日を楽しみにしようとさくらは思った。


 次の日の昼休み、図書室を目指して歩いていると目の前を歩いていた人物のスカートから何かが落ちたのを見つけた。その人はそれが落ちたことに気がついていないらしい。慌てて駆け寄り拾った時、どきりとした。

 見覚えのあるストラップ。銀色の鈴と破魔矢を象ったもののついた……。


「あ、あの! 落ちたわよこれ」

 その声に気がつき振り返った人物はさくらの予想通り、敦子だった。敦子はスカートのポケットに手をやりはっとし、慌ててさくらからそのストラップを受け取る。ちりん、と鳴る鈴にどきどきする。


「臼井先輩……ありがとうございます」


「それ、この前見せてもらったわよね。ええと……お友達から、貰ったのよね?」

 自分にそのことを話したことまで覚えているかどうか怪しかったし、きっと英恵から貰ったと答えるのだろうと思っていたが、たまらず聞いてしまう。

 敦子はこくりと頷く。だがその頷き方がどうにもすっきりしないもので、なかなか「誰々から貰った」という話をしようとしない。どうしてそんなに話しにくそうにしているのか、さくらは不思議でならなかった。それでもしばらくして、ようやく話す決心をしたらしんです。


「あの、笑わないで聞いてくださいますか」


「え、ええ……」

 何でそんなことを尋ねるのか。心臓が早鐘を打つ。英恵に貰ったという答えでないことは確実で。

 それなら、それだったら。


「これ……『幻の親友』から貰ったんです」


「幻の親友?」

 恥ずかしそうに敦子が頷く。そうしながらストラップをとても優しく撫でた。


「つい最近まで、私の傍にいたような気がする人から。女の子で、私と同い年で……でも私よりも大人びている人。その人から、魔除けのお守りとして貰ったんです。私はその人ととても仲が良くて、最高の親友で……でも、覚えていないんです。その人の名前を。顔も声もはっきり覚えていなくて、思い出そうとすると別の友達の顔へと姿を変えてしまうんです。その人とも仲は良いんですけれど……でも、私にこれをくれたのは彼女ではない。多分、その人よりもずっと大切な友達。それなのに、覚えていなくて……本当にいたのかさえ分からなくなる」

 だから、幻の親友なのだと言う。いたかどうか分からない、でも大切だった人。


「でも、いるって私は信じています。どうして忘れちゃったのか分からないですけれど、でも絶対にいる。きっとどこかにいて……また、会いたいと思います。本当、変な話ですよね。でも、あの御笠君から臼井さんは不思議な話とか好きだって聞いていたので思わず話しちゃいました」

 さくらは涙が出そうになるのを必死にこらえながら微笑んだ。そして、私はその話を信じるしきっとその人はいると思うと言ってあげた。敦子はほっと胸を撫で下ろした。さくらがお世辞でそう言っているわけではないことを感じ取ったのだろう。


「いつかまた、会えるかもね」


「ありがとうございます」

 敦子は礼を言い、さくらと別れる。それを見送りながら、さくらは佳花の言葉を思い出した。


――確かに皆の中では、貴方と過ごした時間は無かったことになるかもしれない。貴方が過ごした時間は英恵さんのものに変わるかもしれない。けれど『安達鈴鹿』と過ごした事実が完全に消えてなくなるわけではないわ。自分が何かしたという事実、何かを思った事実というのはね、決して消えない。永遠にそれはこの世界に確かに残り続ける。そして貴方の心の中にも……――


(榎本さんの心の中にも、残っている。安達さんと過ごした日々が……)

 敦子が『幻の親友』の存在をこれからも忘れることなく生きることを、さくらは心から願う。そしてもし叶うなら、いつか彼女と『幻の親友』に再会してもらいたい。

 その日は遠くない未来に来るかもしれないな、そんなことを思いながらさくらは図書室へと向かうのだった。

 

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