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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
学校の怪談~開花への階段~
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学校の怪談~開花への階段~(16)


 屋上へとやって来た鈴鹿と修羅を迎えたのは、鈴鹿の従者である羅刹である。主が帰還した際は必ず「おかえりなさい」を言う彼女だが、今回に限っては何も言わなかった。そもそも鈴鹿達が戻ってきたことに気づいているかどうかさえ怪しい。それ位今の羅刹は集中しているのだ。手先の器用な修羅が作った祭壇を前に正座し、目を瞑り、両手を合わせて座るその姿は石の如く微動だにしない。銀色の月光を織って作られたような髪は夜を受けてぎらぎらと輝く。まぶたを縁取るものと同じ赤色をした唇は固く結ばれ、微かな息さえ漏らすまいとしているようだった。口から息を吐きだすエネルギーさえ今の彼女には惜しいのだ。

 その彼女の頭上には、夜を覆う幕よりなお暗い色をした巨大なエネルギーの塊があり常時ばちばちと闇を叩く音をあげている。それはまるで蓮の花のような形をしており、とても妖しく嗅いだものを等しく狂わせる匂いでも漂ってきそうだ。夜露に濡れる、人を狂わす闇の花。触れればたちまち人間など命を根こそぎ奪われてしまいそうである。


「結構集まってきたねえ……あの子達が絶対足を踏み入れないだろう場所のはあらかた集まったかな」

 

「そうですね。やがてもっと大きく、美しい花となることでしょう。ああ、それにしても何て美しいのかしら。またこの姿を見ることが出来る日が来るなんて」

 感慨深げに言いながら見上げる鈴鹿の瞳。喜びに満ちているかと思えば、それとは正反対の感情も入り混じっているように思える。その顔を見た修羅は大きなため息をついた。


「それで、姫様。本当に榎本のお嬢さんに災いを与えて殺すつもりで?」

 鈴鹿は修羅へと視線を移し、かなりの間をおいてから頷く。あんまり小さく頷いたものだから、修羅は彼女が頷いたことに一瞬気がつかない位だった。それを見れば彼女の本心など明確だ。


「君っていうのは本当嘘を吐くのが苦手だねえ」


「嘘なんかじゃありません。私は花鬼、災いを与える者。人の悲しみや苦しみを喰らって生きる鬼なのですから。人間を想う気持ちなんて、私にはありません」


「かつて一人の人間の男に身も心も許した人の吐く台詞ではないね。その前だって、一人の童に情が湧いた結果、また次があるからとか何とか言って折角発芽した鬼ヶ花を放って枯らしたし。まあ別に僕はどちらでも構いませんがね。姫様が人に災いを与える存在になってもならなくても。成体となり、今すぐ儚くなることさえなくなれば、それで。生きていればそれでいい。でもどちらかというと、幸せにはなってもらいたいなあ。君の幸せは、人を不幸にするという行為の中には存在しないと思うけれど?」

 むっとした様子で鈴鹿は修羅を睨む。しかし心の底から怒り、不快な気持ちになっているようには見えない。彼の言葉を真っ向から否定することが彼女には出来ないようだった。


「……あの時の私はどうかしていたのです。きっと人の世に蔓延っていた病か何かの影響で頭がおかしくなっていたのです、ええそうに違いありません。人の不幸は私の幸福。人の平穏な日々の中に、私の幸せは存在しない。そのことをお前にも、そして彼女達にも証明してやります。……榎本さんの死をもって。だから彼女達は殺しません。そうしないよう、鬼ヶ花達には命じてある。私を馬鹿にしたことを後悔させてやります」

 あ、そうと修羅は肩すくめ。これ以上このことについて何か言っても無駄であると判断したようだ。それから改めて上空に咲く花を見つめる。少しずつ、少しずつその花は大きくなっていく。


「そもそも無事この花を姫様に食べさせてやることが出来るかどうか」

 そう彼が小声で呟いた言葉も、今の鈴鹿には聞こえないようだった。



「きゃあ、こっち来ないで!」

 涙目になりながら柚季が叫び、包丁を持って突進してきた白い服の女へ自身の気を飛ばす。それを受けた女は四散するも、今度は虚ろな目をしたずぶ濡れの男子生徒が襲いかかってくる。その首にはロープか何かで縛られた跡がある。ある雨の日、中庭で首を吊って死んだ生徒がここ二階を彷徨うという怪談がこの学校にはあった。何故中庭で死んだ生徒の霊が校舎内を徘徊するのかは分からないが、恐ろしいことに変わりはない。誰かがこちらへ向かってくる度固くなる身は、最早石のようになっている。襲われる度悲鳴をあげている柚季の声は心なしか枯れつつあった。英彦の冷静になりなさい、という言葉を聞き入れる余裕もないらしい。そんな英彦も、今は次々と襲いかかってくる者達の対処で忙しい様子だ。すでにその体には幾つもの傷がある。一つ一つはそこまで深くないようだが、痛いことに変わりはないだろう。


「……何て数だ!」

 目玉を突き刺し失明させる上、そこから毒を注ぎ込んで苦しめ最後には自身と同じ妖にしてしまうという、大きく鋭い針を持つ巨大な蜂が英彦の眼前に迫る。それを叩き落としたのは弥助で、床に叩きつけられびくびく痙攣しているそれに英彦は止めを刺した。その蜂の妖は消えたが、また同じ蜂がどこからともなく現れてしつこく英彦を攻撃する。余程イラついたのか殺虫剤でも撒いてやろうか、といつになく低い声で呟いたのをさくら達はしっかり聞いていた。

 そんな彼によって張られた結界だが、こちらはもうあってないようなものになっている。結界を張りながら次から次へと襲いかかってくる幽霊達に対応することはかなり難しいのだ。片方に重きを置けば、片方はおざなりになる。英彦としては何の力も持たないさくら達を守ることの方を優先させたいのだろうが、今の状態ではそうもいかないだろう。それは佳花達の方も同じようである。彼女は殆ど霊力を持たないそうだが、それでも全くそういうものがない(と思われる)さくら達に比べれば幾分ましで弱まっている結界の中に入り込んでくる者達を、指に集中させた霊力をもって弾き返している。いっそああいう力が少しでもあったらいいのに、とさくらは思う。実はご先祖様は妖でその血がピンチの時に目覚めるとか。


「ぎゃあ! ちょっと何するんだよ!?」

 結界を破り、起き上がりこぼしのような男の妖が紗久羅の背中へしがみついた。それを弥助が同じく結界を破って突っ込んだ手でむんずとつかみ、自分に襲いかかってきた幽霊に投げつける。そいつを投げ飛ばした腕に別の幽霊が刃物を突きたてたが大して深くまで刺さることなく、弥助はそいつを引き抜くと自分を攻撃してきたその幽霊の眉間に刺し、動きが鈍ったところを秋野がぶん殴ってあえなく散る。


「俺達滅茶苦茶足手まといじゃねえか……」

 という一夜の言葉を、一緒についていくと言って聞かなかったさくらも否定することは出来ない。弥助や英彦はさくら達になるべく危害が及ばぬよう行動している。それゆえ動きが制限されてしまっているのは日の目を見るより明らかだ。そのことを大変申し訳なく思う気持ちは勿論あるが、それでも自分は今後もこうして戦闘が確実に起こるだろう場についていくだろうという確信もある。

 弥助は向かって来る妖に蹴りを入れたり、殴ったり投げ飛ばしたりと物理的な攻撃を加えている。その動きには無駄が見られず、必要最低限の力しか使っていないことは素人目にも分かる。まだ当分は戦える様子だが、幾ら約八百年生きているという怪力の妖でも永遠に戦い続けることは出来ないだろう。しかも彼の場合、霊力だとか妖力だとか、そんな風に呼ばれる力が殆どない。このエネルギー体をどうにかするには、物理的なダメージを加えるだけでは足りないから英彦や秋野が止めを刺さない限りは、ただ少しの間行動不能にするという程度の効果しかない。もっとも今回の目的は彼等を倒すことではなく、屋上まで辿り着いて鈴鹿を止めるということだから、この紛い物の幽霊や妖共を倒す倒さないはあまり関係ないといえばないのだが。それに、この幽霊達は本当の意味で倒れることがない。倒されても、また鬼ヶ花によって全く同じ造形の者が生みだされてしまう。それが大変面倒であった。


「ったく、次から次へと……くそうざい!」

 秋野の蹴りが夜中校内を徘徊するという肖像画にヒットする。直後、二人の妖によって両腕を掴まれ動きを封じられるが、英彦がその妖達に向かって攻撃したことで自由になった。柚季は栄達を襲う男子生徒の幽霊を攻撃し、彼を助ける。その幽霊は今度は柚季に向かってくる。また耳が痛くなるような絶叫と共に彼女はその幽霊に向かって気を飛ばす。その華奢な右手にはすでに細かい傷が幾つかあり、かなり痛そうだ。


「それにしても全くなんちゅう種類だよ、ったく! お前ら一体どれだけの怪談を作りやがったんだ!?」

 確かに襲いかかってくる妖や幽霊の種類は様々だ。その数分の怪談がこの学校にはある。しかも今さくら達を襲っているのはあくまで今いる二階のこのエリアに出没されるとされている者のみ。学校中動き回ることが出来る、という者もごく一部いるが(その者達も本当に別の場所から徘徊してここまでやって来たわけではなく、あくまで生みだしたのはさくら達の近くに咲いていた鬼ヶ花のようだが)。どうやら鬼ヶ花は自分のいるエリアに関係する妖や幽霊しか出さないらしい。そして今は今までに一度でも出し、自分達が記憶している姿の妖や幽霊を出しているらしい。弥助や栄達が学校に忍び込んできた時も同じ方法をとったのだろう。今の鬼ヶ花は「こんなの出たら嫌だな」「怖いな」と思う思わないに関わらず、異形の者達を出してくる。「何で花のくせに知能なんてあるのよ、忌々しい!」と柚季が言う気持ちも分からなくはない。


「向こう側がかなり手加減してくれている、という点が唯一の救いですね……!」


「儂らに自分を馬鹿にしたことを後悔させる為、敢えて生かしておくつもりなのじゃろう……少なくとも今は!」


「殺したくない、という気持ちも混ざっているかもしれないけれど……」


「あの娘っ子が早まらないことを祈るしかねえな!」

 それぞれ戦い、息を切らしながらも思いを口にする。佳花の表情がそのやり取りを聞いたことで一段と曇る。自分が色々鈴鹿に言ったせいでかえって状況を悪くしてしまった、そう思っているのだろう。そう思っているのはさくらも一緒だ。恐らく他の人達もそう考えているに違いない。


(もし、もしも榎本さんに何かあったら……それは間違いなく、私達のせい)

 鈴鹿が宣言通り敦子を殺すとは到底思えないが、万が一ということもある。だから彼女を何としても止めなければいけない。一刻も早く屋上に辿り着かなければ、どうにかしなくてはと焦る気持ち。しかし気持ちは焦っていても足はなかなか進まなかった。


(いっそ何も言わず、安達さんが成体になるのを放っておいた方が良かったんだと思うような結末だけは……)

 ただそれを祈るしかない。自分達はともかく、鈴鹿のことを本当に大切に思っている敦子に危害が及ぶのだけは避けたい。鈴鹿だって彼女を手にかけることは望んではいまい。万が一そんなことをしたら、彼女は一生後悔するだろう。そんな気がしてならなかった。

 虚ろな瞳を向け、ただ自分達の足を止める為に動く者達。作り物の思いを抱き、作り物の人生を内に抱き、作り物の体を動かす。虚ろで、邪悪で、おぞましい化け物。


(それにしても何という数だろう……)

 これだけの数の化け物を、自分達東雲高校の人間は作っていたのだ。恐怖、そしてどこか虚無という言葉も入り混じる瞳で、淡々と語った怪談がこれ程までにおぞましい者を次々と生んだ。作って、作って、溢れて、でも殆どの人は気がつかなかった。自分達がどれだけ異常な数の化け物を生んだのか。どれだけ、狂っているのか。

 目の前にいるのは、この学校の人達の狂気と恐怖そのものだ。そう思ったらおぞましくて、恐ろしくて吐きそうになる。一夜もそのいかれ具合を最悪の形で目の当たりにし、困惑しているようだった。


 膨大なエネルギーはいつになっても消えない。倒しても、倒してもまた新たな化け物が姿を現す。心が折れそうになる状況だが、折れれば何もかも終わってしまう。力を発揮するには心を強くもつ必要がある。心が乱れれば力も乱れ、折れれば何も出来なくなる。柚季も「もう嫌だ!」と何回も叫んでいるが、それでもギリギリの所で踏みとどまり幽霊達と対峙している。紗久羅の足元に群がってきた蜘蛛の妖を霊力を込めたらしい足で踏みつけ、自分だって大分参っていて、怖くて嫌で仕方ないだろうに「大丈夫?」と紗久羅を気遣うような言葉をかける。秋野も英彦も弥助も、体中から絶えず流れる汗を拭う暇もない。

 途方もない時間をかけながらも少しずつさくら達は進んだ。階段を上がる時は本当に何度も心臓が止まりそうになった。階段から落ちて死んだ幽霊に足を引っ張られたり、妖に突き飛ばされそうになったり、攻撃をうけてよろめいたりと出来ることなら二度と体験したくないようなことが立て続けに起きた。実際弥助なんかは甚平の裾を引っ張られて階段から転げ落ちたし、英彦は次々と現れた幽霊達にもみくちゃにされ、危うく足を踏み外すところだった。


「あたししばらくゾンビ映画は見たくない……」


「それには同感!」

 自分に襲いかかってきた首にカッターが刺さっている女生徒の霊を思わずぶん殴ってしまい、こいつら俺でも殴れるのかよ、うええと変な呻き声をあげながら紗久羅に同意する一夜。殴ったものの特にダメージはなかったが直後英彦によって倒される。戦闘は得意ではないと本人は言うが、そうは見えない位の活躍だ。

 三階へ上がると、予想通り二階とはまた違う造形の幽霊や妖が現れる。しかしその数は二階に比べると格段に少ない。数が少ないことは良いことだが、喜んでばかりもいられない。


「数が少ない……まさか、三階の鬼ヶ花のエネルギーは殆ど吸収された?」


「急がなくてはなりませんな!」


「ったく、あの馬鹿狐がいりゃあこんな奴等あっという間なんだろうが……!」

 自分の背後に現れた妖に裏拳を弥助は食らわせ、それから英彦にしがみついていた者達を引き剥がしてぶん投げた。彼の言う通り、出雲がいれば浄化の力であっという間に花を消し去ることが出来るだろう。


「いない奴のことなんて話していたってしょうがないよ! なんて助けられているあたしが言う立場じゃないと思うけれどさ!」

 空気がびりびりとしていて、嫌な感じがする。先程までは見えたり見えなかったりを繰り返していた鬼ヶ花はもうその姿を隠そうともしていない。廊下を、天井を、壁を、ありとあらゆる所をびっしりと埋め尽くす紫がかった黒い花。僅かな灯りに照らされているだけの、暗闇。その闇の中でもはっきりと花は見える。昼見ても大層不気味だろうが、夜に見るとますます気色悪い。下手に触れれば何もかも凍りついて意識をふっと失ってしまいそうだ。花もまた嫌なものを感じさせるが、そこから出ているものも恐ろしく、こんなものが溢れているような場所にずっと居たのだと思うとぞっとする。黒っぽい紫、或いは黒っぽい紫色のもやが天井を突き破り、屋上へと向かっていく。ああこれは間違いなく、文化祭の時に見たもの。

 三階、そこからすぐまた階段を上って四階へ向かおうとしたがわらわらと現れた妖や幽霊の波に押され、どんどんと階段から離れてしまう。段々とエネルギーが屋上へ行ったことで大分減ったとはいえ、それでも幽霊や妖の数は多い。はやる気持ちを抑えつつ、ここでも戦闘となる。もう無傷の者など誰一人としていない。結界だってもうとっくに消えてしまっている、完全に。腕や頬が痛む。これだけ沢山の傷をこさえたことなど初めてだ。傷口に鬼ヶ花の内にあるエネルギーが突き刺さり、ずきずきとして涙が出そうになった。自分でさえこうなのだから、ずっと彼等と対峙している弥助達などもっと酷いだろう。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。


「何だ!?」

 弥助が蹴飛ばそうとしていた女の幽霊が、ふっと消えた。それだけではない、先程までここらにいた他の化け物達も一斉に消えてしまった。同時に、ゆっくりと静かに少しずつ上っていたあのもやが巨大な掃除機で吸い込まれるかのように、怒涛の勢いで天井へと上っていき消えていく。どうやら屋上にいる鈴鹿が花を『収穫』するスピードを早めたらしい。あれとあれよという間にあのおぞましいものが消えていった。

 ようやく自由になったさくら達は急いで屋上向かって駆け出す。もう皆へとへとだったが、ちんたら歩いている暇はないのだ。四階へ行けば、そこには妖や幽霊の姿など一つもなくずっと学校を満たしていた暗く、重苦しい空気も感じられない。すでに収穫を終えた後なのだろう。もしかしたら先程のあれで全てを収穫し終えてしまったのかもしれない。

 屋上へと続く階段を上り、そこへと至るドアのノブに弥助が手をかける。ドアはあっさりと開き、冬の夜風がさくら達を叩く。その風にはあの黒いもやが混ざっているように思われた。

 

 煌く星を抱きかかえる空、それを背後にして宙に浮かんでいるのは巨大な黒い花。ばちばちという音をたてているそれこそが、恐らくは収穫された花のエネルギー。真っ先に飛び込んできたそれの下に鈴鹿は立っていた。その体を覆うようにして、ドーム状の何かが見える。白がかったそれは恐らく結界だろう。

 目を瞑り、口を固く結んでいる彼女の背後には祭壇のようなものがあった。その祭壇の奥に誰かが座っているのが微かに見える。恐らく彼女のもう一人の従者、羅刹であろう。彼女もまたドーム状の結界の内にいる。

 鈴鹿の左隣には葡萄茶(えびちゃ)色の着物に黒っぽい灰色の袴姿の男の姿。服装こそ違うが、あの露天商のお兄さんであることはすぐに分かった。ならば彼は修羅であろう。アクセサリーを売っていた時は洋服を着ていたが、まあ盗品だったのだろう。どちらが似合うかと言えば、袴姿の方が彼にはずっと合う。洋服姿もあまり違和感はなかったが。その辺りは出雲と大違いである。彼の傍らには巨大な丸い鏡がある。その鏡でさくら達の様子をずっと眺めていたのかもしれない。

 そんな彼等の前に、人――男が三人倒れている。その姿を見た時佳花が悲鳴をあげた。


「宵風、樹、株木!」

 どうやら佳花や栄達らと共にこの学校へ潜入した者であるらしい。一足先に屋上まで辿り着いたものの、鈴鹿を止めることが出来ぬまま倒されたのだろう。


「僕、こう見えても結構強いんだよねえ」

 佳花が叫んだのを見た修羅が愉快そうに言った。佳花は彼を睨む。


「そんな怖い顔しないでよ、姫さん。大丈夫、殺してはいないからさあ。ちょっと気を失っているだけだよ。いやあそれにしてもよく頑張ったねえ、それだけの傷で辿り着くなんて思っていなかった。もっと酷いことになるもんだとばかり思っていたよ」

 馬鹿にしたような拍手。余裕ぶっこきやがって、この野郎と紗久羅が怒鳴るがあははと修羅は笑うだけ。こういう感じは出雲にそっくりである。


「でももう遅いよ。花の収穫は終わって、後は姫様がそれを食べるだけだもの。収穫をすっかり終えた羅刹は姫様を守る結界を張っている。収穫が終わる前だったらそんなものを張る余裕なんてなかったんだけれどねえ。花の力をちょっとばかり分けてもらった彼女はかなり回復したから、強固な結界を張ることが出来ている。こいつを打ち破る力を君達は持っている? 大分消費しちゃったろうから厳しいんじゃない? 羅刹を攻撃すれば結界を弱めることも出来るかもしれないけれど、彼女もまた結界の内側にいるからねえ」

 さくらは英彦と柚季を見る。二人は「厳しいかも」とだけ言った。鬼ヶ花の生み出した化け物達との戦いのせいで霊力も気力も体力も、何もかもを大分消費してしまった今の二人には難しいようだ。あの化け物達を消すにはさくらが想像している以上の霊力を消費するらしい。弥助は問題外である。


「君達が何かしようとすれば、僕が君達を攻撃する。僕と戦ってますますその力を消費させればいい。そっちの大きなお兄さんも肉弾戦以外じゃ雑魚同然っぽいし、どうにかなりそうだ」

 修羅をどうにかしつつ結界を破ったとしても、学校中の鬼ヶ花から収穫したエネルギーの塊を浄化することは出来ないし、鈴鹿を無闇に攻撃すると英恵の肉体や魂にダメージを与えてしまう可能性がある。矢張り鈴鹿を説得するより他ないようだ。


「安達さん、貴方本当に榎本さんを殺すつもりなの? そんなことをして、貴方本当に後悔しないの?」


「無駄だよ姫さん。今の姫様、集中しているから誰の言葉にも耳を貸しやしないよ」


「修羅さん、止めてください安達さんを! 彼女が本当は人を――榎本さんを傷つけることを望んでいないこと位貴方だって分かっているんでしょう!?」


「まあねえ。でも臼井のお嬢さん、僕は止めないよ。姫様がやると決めた以上はね。僕は人間のことが好きでも嫌いでもないし、わざわざ傷つけようと思わなければ傷つけずに見守ろうとも思わない。姫様がどの道を選んでも逆らうつもりはない。僕はただ姫様のやりたいようにやらせるだけだし、彼女の命令に大人しく従うだけ。人間を殺せと言われれば躊躇いなく殺すし、殺すなと言われれば放っておく」


「そんな……」


「僕の願いはただ一つ。姫様に成体になってもらうこと。……だってそうしなければ、姫様は消えてしまうから。僕は姫様に消えてもらいたくはない。だって僕姫様のことを愛しているもん」

 そんなことを恥ずかしげもなく言う。その言葉に偽りはなく、声からは深い愛を感じた。それを聞けば彼がどれ程鈴鹿のことを想っているのかよく分かった。


「もっとも姫様は未だに自分のことを騙した人間の男への想いを断ち切れていない様子だけれど。……あの人間の男だって本当は……。招きさえすればすぐにでもこちら側の世界へ来られるようにしたのだって……。人間のことなんてどうでもいいけれど、あいつのことだけは嫌いだな」

 遠い昔をその黒い眼で見つめながら、彼はぼそぼそと呟いた。それは殆ど独り言に近いものだった。


「愛しているから、安達さんの好きなようにさせると?」


「ま、そんなところかな。僕は姫様に生きていて欲しい。自分のやりたいように生きて欲しい。……好きなようにやった結果傷つくことになっても、苦しむことになっても、いい。生きてくれてさえいればそれでいいんだ。立派な花鬼として生きる彼女の隣に僕がいなくてもいいよ。羅刹も同じように思っている」

 だから、と修羅が二三歩前に進む。いつの間にか表情は冷たいものに変わっており、飄々とした様子はもうどこにもない。主をからかってげらげら笑っていた男と同一人物であるなんて、信じられない位だった。あまりの冷たさにさくらは初めてこの男に恐怖を覚えた。


「君達に邪魔はさせない。姫様の願いも、僕の願いも羅刹の願いも皆みんな叶えてみせる。その為だったら、何だってするよ」 

 直後、宙に浮いていた花に異変が起きる。花が眩く輝き、バチバチという音をより激しく大きくさせ、震え始めた。鈴鹿の固く結ばれた口が開く。嗚呼そしてその口の中へ花から零れ落ちた黒いもやが……。

 鈴鹿が成体になる為の食事を始めたのだ。


「しまった!」

 咄嗟に前へ飛び出した柚季と英彦が慌てて自身の力を飛ばそうとするが、そんな二人に修羅が妖力を練り上げたものを飛ばす。それをもろに喰らった二人はその場に崩れ落ちる。紗久羅の悲鳴が耳を刺した。


「柚季! おっさん!」

 続いて栄達や安寿が修羅を攻撃しようとするも、大分力を消費している二人よりも修羅の動きの方が早かった。二人もまた同じように攻撃を受け、倒れる。佳花は慌てて駆け寄り、震える声で二人の名を呼んだ。弥助も目に止まらぬ速さで修羅に接近したが、彼の蹴りが炸裂する前に攻撃され無残に吹き飛んだ。

 そうしている間にも鈴鹿は力を吸収している。


(成体になるだけなら、まだいい。けれどもしその後……)

 鈴鹿がどうするのか、今の時点では分からない。分からないから怖かった。万が一のこともあるから、止めた方が良いのかもしれない。例えその結果彼女が命を落とすことになったとしても。しかしさくらには鈴鹿を止めることは出来ない。いっそ榎本さんを連れてくることが出来れば、などと考えるがそんなことが出来るはずもなく。

 このまま彼女が成体になるのを見ているしかないのか。その後人間達に危害を加えないことを祈るしかないのだろうか。


 どん!

 さくらのただぐるぐる回っているだけの思考を止めたのは、修羅の叫び声と彼が倒れる音だった。彼は突然見えない何かに突き飛ばされたかのように後方へ吹き飛び、そのままコンクリートの床に叩きつけられた。異変に気がついたらしい鈴鹿が、目を見開いた。花を食べるのも中断してしまう。

 そして今度は彼女と羅刹を守っていた結界がとてつもない光を発した直後、綺麗さっぱり消えてしまった。術を無理矢理破られた羅刹が悲鳴をあげる。


 一体、何が起きたのか。誰もが呆然としている中、彼は忽然とその姿を現した。

 藤の花で染めあげたような色をした長い髪が、夜風に揺れる。


「やあ、お嬢さん」

 鈴鹿のすぐ目の前に立つ後ろ姿はさくら達が見慣れているもので。


「い、出雲……さん?」

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