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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
学校の怪談~開花への階段~
254/360

学校の怪談~開花への階段~(14)

 *


 身にまとう闇が全く似合わず、酷く浮いているように見える佳花は困惑している様子だった。それはさくらも同じである。


「どうしたの、さくら姉。あの人……知り合い?」


「美吉先輩。部活の先輩で、引退するまでは部長さんだったの」


「へ? 何でそんな人が今ここに?」

 素っ頓狂な声をあげ、紗久羅は佳花を指差した。そんなこと、私が聞きたい位だとさくらは手で口を覆いつつおさげの少女を困惑と不安に濡れる瞳で見つめる。佳花もそれと似たような目をしているように見えた。

 佳花が語るか、自分から聞くか。どちらかが動かなければ、気まずい沈黙は永遠に続くように思われてさくらは必死に固くなった口を開こうとする。けれどなかなか言葉を発せないでいた。聞くのが怖かったのだ。知らない方が幸せだった真実を知ることになってしまうかもしれなかったから。


「貴方は一体どうしてここに?」

 そんなさくらの代わりをするかのように、英彦が尋ねる。その声は優しげ、それでいて警戒心というものがたっぷりと詰まっているように感じた。佳花は怯えたように震え、英彦やさくらを順繰りに見つめ、それから幾度か何か言いかけては口をつぐみ、黙りこくる。佳花の後方に控えている影二つが代わりに我々が話しましょうか、というが彼女は首を横に振る。語るなら自分の口で語る……そう決意はしているようだが、覚悟はまだ決めかねている様子。さくらはそんな煮え切らない態度をとっている佳花を見ているのが辛くて仕方なかった。さくらの知る佳花はうだうだぐずぐずするような人物ではなかったからだ。

 それ程までに語りたくないのか。そう思うと、胸の内に抱いていた不安や疑念が騒ぎだし胸を激しく叩く。辛くて、苦しい。それから逃れる為には真相を佳花の口から聞く必要がある。例え真実がどんなものであったとしても。


「美吉先輩、何か言ってください。先輩は花鬼なんかじゃないですよね? 花鬼は安達さんのはずですもの。違います、よね? でも、それならどうして先輩はここにいるんですか。やましいことをしているから、話せないんですか? もしかして先輩は花鬼の従者なんですか? それとも花鬼の育てた鬼ヶ花の溜め込んだ力を横取りしようと考えている妖なんですか? そんなこと、でも、先輩……先輩ですよね……私の机の中に脅迫の手紙を入れたのは。私に色々探られて、出雲さんに報告されたら不味いと思ったんですか。怪談の闇に触れようとする者は化け物に殺される――あの怪談を広めたのも」


「違うわ!」

 どんどんと悪い方向へ考えが言ってしまっていたさくらの言葉を佳花が遮った。その声が闇を叩く。

 さくらに信じてもらいたい、どうか信じてくださいますように――そんな祈りを天に捧げる為に合わせたかのように見える手を見つめながら佳花は「違う、違うのよ……」と今にも消え入りそうな声で言う。その声に嘘はないように思える。

 震えるさくらは誰かに肩を叩かれたのを感じた。びっくりする程大きく、がっちりとした手は弥助のものであるとすぐに分かった。彼は膝を折り、困惑した様子で自分を見るさくらと目線を合わせる。


「多分彼女の言っていることは本当だ。……彼女は人を困らせて楽しむような人間じゃない。彼女の背後にいる二人をあっしは知っている。栄達と安寿、そうだよな?」


「久しぶりじゃのう」

 佳花の背後にいた影二つ、その姿がはっきりと見えた。弥助に久しぶりだと言った翁は萎烏帽子(なええぼし)直垂(ひたたれ)姿と平安時代の庶民のような格好をしたあごひげの立派な人で、もう一人は中学生位の、赤い着物におかっぱ頭とまるで日本人形のような姿の少女であった。少女はぺこりと弥助にお辞儀する。

 さくらは妙に親しげな弥助と、栄達と呼ばれた男と安寿と呼ばれた少女の顔を見比べ目をぱちくり。


「ほら、以前桜町とその周辺で雨が降り続けるって事件があっただろう? そうお前が原因で起きたあれだ。あのことについて調べている時に会ったのがあの二人。彼等のお陰であっしはお前が元凶だということを知ることが出来たんだ。美吉山に住んでいるという二人はあの雨のことを気にしていた主の代わりに桜山の方まで様子を見に来ていたんだ。多分その主っていうのが」

 あの子だ、と佳花を指差す。佳花は俯き「あの時栄達と安寿が会ったという妖は……そう……臼井さんの知り合いだったの」とぼそり。弥助の言葉を否定するつもりはないようだった。


「あの雨のことを気にかけ、色々と心配していたらしい彼女が学校を混乱に陥れている奴の仲間なんてことは有り得ない。凶つ力を手に入れようと考えているってこともないはずだ。困っている人を見捨てたと知ったら怒るような姫さんらしいしな」

 その通りだ、と安寿と仲良く頷く栄達。佳花は恥ずかしそうに頬をやや赤らめる。


「それじゃあ、先輩は……」

 佳花はそれに答えようと口を開きかけ、そのまま固まり。しばらくして息をゆっくり吐き、吸い、それから決心したようにさくらを正面から見据えた。


「確かに、あの手紙を書いたのは私よ。机の中に入れたのも私。でもそれは、貴方を怖い目に遭わせたいからとか、貴方に色々調べられると困ることがあるからとか、そういう理由じゃない。私は心配だったの……だって臼井さん、私が校舎を無闇に歩き回らない方がいいと言ったそばから歩き回って挙句……」

 皆の視線が一斉にさくらに突き刺さる。今度はさくらが恥ずかしさと気まずさに頬を染める番だった。


「つまり美吉先輩はさくら姉に危ないことをしてもらいたくないから、脅かすことで大人しくさせようと思ったってわけだ」


「お前あの人のことを疑っていたみたいだけれど……紗久羅が言った可能性については考えていなかったのか?」


「全然考えていなかったです……」

 もう佳花と顔を合わせることさえ恥ずかしく、今すぐこの場から消えてしまいたいと思った。よく考えなくなって、佳花が自分の為を思ってやったという可能性は思い浮かぶはずだ。佳花がどれ程自分達文芸部の部員達を大事に思っているかよく分かっているのだから。それなのに自分はそんな可能性を思いつきもしなかった。鬼ヶ花のせいだ、などと言い訳することは出来ない。そんなことしたくもない。


「まさかそれと時を同じくしてあんな怪談が広まるなんて思いもしなかったの。臼井さんはあの怪談が生んだ者に頬を傷つけられたのよね?」


「え、あ……」

 明らかに自分を責めている様子の佳花相手にはっきりと「はいそうです」とは言えず、気まずい思いをしながら小さく頷くのが精一杯だった。それを聞いた佳花も悲しみと後悔という名の影をその顔に落とす。


「私の手紙が原因で余計あの怪談を意識してしまったのだろうし、恐怖を増長させてしまっただろうとも思った。災いが降りかかるとか、常に見ているなんて書いてしまったから……。あの学校が異常であること、恐怖などの感情が恐ろしいものを生みだすような場になってしまっていることを私はちゃんと理解していたはずなのに。栄達と安寿が学校に忍び込んだ時、闇から現れた幽霊や妖の偽物に襲われたことだってちゃんと知っていたのに。軽率な行動だったと今では思っているわ」

 きっと佳花はさくらの頬の怪我を見て、自分を責めたのだろう。手紙と怪談が合わさることで膨らんだ恐怖心と、恐怖してなお真実を知りたいと願う気持ちが化け物を生み出し、さくらに手を出した。自分があんな手紙を書かなければ大丈夫だったかもしれない、そう佳花は考えたようだ。あの化け物だってただ怪談の闇に触れようとするだけでは現れず、ある程度対象者がその怪談に対して恐怖を抱き、その怪談のことを強く意識していなければ生まれなかったのかもしれないから。

 あの手紙が恐怖や不安を増長させたこと、怪談をより一層意識させたことは確かだが、あの化け物に襲われたのは決して佳花のせいではないとさくらは思った。結局の所脅迫されようが、怪談を聞こうが首を突っ込むことをやめようとしなかった自分に責任がある。そのことをさくらは訴えたが、佳花は寂しく笑うだけ。自分のせいで、佳花は自分自身を責めていると思ったら胸が痛み、苦しい。本当自分は親不孝者、いや先輩不孝者だとこちらはこちらで自分を責める。


「臼井さんがあの手紙を机の中に入れたのは私であることに気づいたらしいことは、御笠君の話を聞いた後の様子を見て察したわ。そして臼井さんが、手紙を書いた人物とあの怪談を流した人物が同一人物であると考えていることも何となく。そう思うのは無理もないことだと思ったわ……それでも苦しかったけれど。でも、言えなかった。臼井さんの為とはいえ脅迫の手紙を書いたことは事実だし、それに無実を訴える為には手紙のことだけではなく、他のこと全て話さないといけないような気がして。その勇気が私にはなかったの」

 苦しい思いをさせてごめんなさい、と佳花は謝る。謝るのはこちらの方だ、何故美吉先輩が謝る必要があるのかとさくらは慌ててしまう。隣にいる一夜はこんな人をよく疑えたものだという風にさくらを見、呆れている様子だ。さくらだってこの学校が鬼ヶ花のせいでおかしくなってなどいなければ佳花を疑うことなど決してなかった。


(それにしても、全てを話すのに勇気がいるなんて……全てというのは自分の正体も含めて、ということなのかしら。やっぱり先輩は出雲さんが言った通り)


「今回の騒動の犯人どころか、さくら同様この事態を気にかけて色々調べていた人だったというわけだ。ところでお前さんは一体何者だ? もうさくらに自分の正体を隠す必要もないだろう。この際きっちり話した方が楽になれると思うぞ」

 弥助がゆっくりと、優しい口調で諭す。佳花はさくらを見つめ、俯き、それから栄達と安寿を見る。二人は静かに頷いた。ここで会った以上、全てを話さないことには話は進まないと言いたげだ。

 やがて佳花は静かに息を吐いた。目を瞑り、そしてゆっくりと開く。そこに迷いという文字はもうなかった。


「……私は美吉山の『妖姫(あやかしひめ)』です」

 その名の響き故か、佳花の凛とした表情や声の為か今彼女の姿はとても高貴なものに思え、只人であるさくら達が決して触れてはいけないものに見えたような気がした。侵すことも、汚すことも出来ない気高く清らかな姿。幾重にも重ねた着物が見えるような気さえする。麗しき姫君に闇さえ霞む。

 それを聞いて、弥助と英彦がはっとしたような表情を浮かべる。恐らく二人は妖姫というのがどういう存在であるか知っているのだろう。


「妖姫……人と妖、双方の生を見守る存在と言われている方ですね。実際にお会いしたのは初めてです」


「こちら側の世界に残り、ひっそりと暮らすことを選んだ者達の居場所を守る為に人知れず活動したり、そういった妖の面倒を色々と見たり、自分の統べる土地で暮らす妖が人間に悪さをしないようにしたりするとかいう話だったな確か。美吉山にいる妖達を守り、舞花市で暮らす人間達を見守っているのがお前さんなのか」


「そんなところです。栄達や安寿といった美吉山に古くから住んでいた妖の一部は今、私の住む屋敷で共に暮らしています。人と妖その中間に立ち、どちらにも属さず中立の立場でいる……それが妖姫」


「姫様は人間贔屓のきらいがありますがな」


「人間のこともちゃんと知っておく為、学生として長い間人間と共に暮らしてきましたからね。仕方のないことです」

 栄達の嫌味に佳花は苦笑する。人の世界について勉強する為、舞花市にある小学校に入学しそれから今日に至るまで過ごしてきたという。実年齢は偽っておらず、十八であることに変わりはないという。

 普通の人間の女の子としての毎日を過ごす一方、彼女は妖と共に暮らし妖姫として彼等の日々の暮らしを守っていた。妖のことや言い伝えのことなどについて詳しいはずだ。彼女の傍にはいつも『人ならざる者』がいたのだから。そして彼女自身も、人ではない。


「美吉先輩は人間じゃなかったんですね。出雲さんの言葉は嘘ではなかった……」

 そう言うと佳花が寂しそうに微笑む。


「確かに私は人間ではないわ。かといって妖、というわけでもないのだけれど。人とも妖ともつかぬ者、それが私なの。半妖、という言葉が一番近いかもしれないわね」

 そういう人だからこそ、どちらのことも(最近は人間贔屓のきらいがあるようではあるが)平等に扱えるのかもしれない。聞けば寿命は人の倍程度と極端に長いわけではない。成人位までは人間と同じように成長するが、それが止まった後は老いることなく死ぬまでそのままの姿を保つという。だから彼女は高校卒業を機に人の世界と距離を置くつもりでいるらしい。ほのりや環達と会えるのもせいぜい後数年程度。それを聞くと胸が痛んだ。文芸部の人達と共に過ごせる時間は永遠ではないということを改めて思い知らされる。


「本当は話したくなかった。臼井さんの中で、私は人間として生き続けていたかった。永遠に会えなくなった後も。人としての美吉佳花を消したくなかったから。だから本当のことを話せなかった。貴方が『向こう側の世界』と深い関わりをもってしまっていることには何となく気づいていたけれど」

 だから彼女は疑われていることが分かっていても、本当のことを話せなかった。疑いを晴らすには自分が人でないことも話す必要があると考えていたから。本当のことは言えず、かといってさくらの疑念をそのままにしていたくもなく、また彼女が怪我をしたことに対して負い目もあり……そうした色々な思いのせいか、近頃の佳花はさくらとあまり目を合わせようとしなかったのだ。

 彼女が人ではなかったということには驚いたが、しかし彼女が犯人ではないこと、悪意をもってさくらを脅したわけではないことが分かったのでほっと胸を撫でおろす。しかしその口から入ってくる黒い気が体内を冷やすと安堵も凍りついて消えていく。佳花も同じだったようでさくらを見て微かに笑んだ後すぐ真剣な面持ちになる。


「臼井さん達は、今回の騒動が花鬼の仕業である可能性が高いことをすでに突き止めていたのね。それとさっき貴方、花鬼は安達さんであるはずと言ったわよね。安達さんって確か……」


「はい、一番初めに屋上から飛び降りる幽霊を見たという一年の女子です。多分彼女はそうすることで皆の心の中に恐怖の種を植え、そしてそれを鬼ヶ花の力で膨らましてきたんです」

 さくらは今までのことを話した。いつ花鬼が行動を起こすとも限らないから、余計な部分はなるべく省こうと努めて。もしかしたら自分達が気がついていないだけで、もう花の収穫を開始しているのではないかという不安もあったが、まだ大丈夫と言い聞かせる。佳花はそれを聞き終えるとこくりと頷いた。


「そう……安達さんは本当の委員長に憑き、同時にその存在を奪い御笠君のクラスの委員長という枠を自分のものにしたのね。私は栄達が以前学校へ潜入した際採取した鬼ヶ花のエネルギーを解析してもらって……それから禍々しい色の花が学校を埋め尽くしているという話を聞いて、ようやく辿り着いた。でも花鬼が誰なのかまでは分からなかったわ。それに辿り着いた頃にはもう、事態は簡単に収束させることが出来ない位にまでなっていた。私が文化祭の時花鬼や鬼ヶ花の種の存在に気がついていれば今回の出来事は事前に防げたかもしれないのに。その時は気がつかなくても、鬼ヶ花が収穫出来る程度まで成長する前に気がついていれば良かった」

 と悔やんでも悔やみきれない様子。佳花は文化祭前後の自分の行動を語り始める。術を発動させる為、学校のあちこちにお札を貼ったこと(文芸部が部誌などを販売した部屋の掃除用具入れにお札を貼ったのも佳花らしい)、同じ術を去年と一昨年もこの学校にかけていたこと、文化祭の前何か良からぬ者がこの学校に入り込んだ気配を一瞬感じ取ったこと(恐らく榎本が男子三人組に怒りをぶつけている時にさくらが感じたものだ)、それもあって普段以上に文化祭当日は色々と警戒していたこと。


「文化祭の日、妙なことは沢山あった。去年や一昨年とは比べ物にならない位の数の妖が迷い込んできたこと、生命エネルギーを吸い取られ干からびた状態で絶命している妖が多々見つかったこと、文化祭当日の朝、体育館に入った時術が何かに強く反応しているのを感じたこと」

 さくらはあの日、体育館の前で棒立ちになった佳花の姿を思い出す。あれは矢張り体育館の異常を察知してのことだったのだ。自分も体育館で過ごした時は終始頭がぼうっとしていたし、他の生徒達も上の空といった様子であった。あれは術が何かに強い反応を示した結果だったのだろう。


「他の場所は特にそんな強い反応を示していた印象はなかった。まだ妖達も迷い込んでいなかったし……けれど、体育館だけは違った。あそこだけ強い反応を示していた。もっとも、何に反応したかまでは分からないけれど。もしかしたらまだ他の場所には蒔かれていなかった鬼ヶ花の種が、大量にあそこにだけ蒔かれていたのかもしれない。私や従者達が気がつかなかった種の存在に、術だけは反応した。となると、何故あの時点で体育館にだけ種が蒔かれていたのかという話になるけれどね。もしかしたら術が反応したのはそれだけではなかったのかもしれないし」

 また、佳花は自分達がかけた術に『歪み』が生じているのを感じ取ったという。


「どうも花鬼側がこちらの術の上に、別の術を重ねたみたい。自分達のこと、自分達がやっていることを私達が調べるのを阻害するようなものを。しかもこちらの術の力を利用することで、本来より少ない負担で術を発動させたようなの。私達がかけた術のおかげで種や妖の存在に人間達は気がつきにくくなっているし、自分達のかけた術も相まって、彼等は当日かなり動きやすかったと思うわ」

 人間達の為を思ってかけた術、それがある点では逆効果になってしまった。向こうが自分達の行動を探られないようにする術をかけてくることを想定してはいなかったらしい。恐らくそれなりに力のある術者が花鬼の配下にいるのだろうと英彦が言う。


「体育館で起きたという出来事のことも、後から聞いたわ。術の核となるものの一つは体育館にあったの。それが何か歪んだエネルギーのせいで駄目になってしまった。そのせいで術のバランスが崩れ、校舎の方ではちょっとした騒ぎがあったわ。学校中に貼った札が剥がされたり破られたりしても多少は大丈夫だけれど、核を一つでも駄目にされるとちょっとね。ただしばらくしてその核も元通りになり、パニック状態だった生徒達もすっかり元通りになったけれど」


「もしかして体育館にあった核って……」


「出雲さんが掘り起こしたもの?」

 紗久羅と柚季は出雲が力を込め直し、元に戻したもののことを思い出しているらしい。さくらもそれを真っ先に思い浮かべた。恐らくそれで間違いないだろう。佳花はその話を聞くと「そう、あの人が……」と呟いた。その声はどこか震えている。以前彼と顔を合わせた時に感じたものを思い出したのかもしれない。彼のもつ冷たく妖しい気は妖さえ恐れるというものだから、彼女があの時恐怖を感じたとしても何らおかしくはない。さくらに自分が人間ではないことを話してしまうのではないかという不安もプラスされ、相当強い苦手意識をもってしまったようだ。

 佳花も従者達も、結局文化祭の日に誰かが禍々しい何かを体育館に撒いたり、何故か妙に沢山迷い込んできた妖達から生命エネルギーを吸い取ったりしたことには気づいたものの、その犯人が誰であるのかとか、目的は何なのかとかこの先も学校に良からぬものをもたらそうとしているのかどうかとかそういったことを突き止めることは出来なかった。体育館に異常をもたらしたものの正体も出雲が綺麗さっぱり浄化してしまったので、調べることが出来ず。

 文化祭が終わった後のキャンプファイヤー、その場を抜け出し校舎へと入ったのは後始末の為だったらしい。


「こちら側の世界に迷い込んだまま帰れなくなった妖達を誘導し、舞花市にある『道』から帰してあげたり、札の始末をしたり、後は全クラスのお金を……」


「お金?」

 どうしてここでお金の話が出るのだと首を傾げれば、佳花が説明をしてくれた。


「あの日は多くの妖が学校を訪れたわ。そして彼等は模擬店で食べ物を食べたり、お化け屋敷を見て楽しんだりした。けれど彼等はその支払いを自分達の世界でないと通用しないようなものでしたり、場合によっては何も払わなかったりした。そんなでも、術の影響で生徒達は全く気にしなかったし。けれど術が解けた後お金の集計をすれば間違いなく異常に気がつく。だから……」

 こっそり忍び込み、売上金や何をどれ位売り上げたかということが分かる表やら食券やらを探しだした。そして皆で協力してそれから足りない分を補充したり、妖が払ったお金とこちら側の世界のお金を交換したりしたらしい。そんな彼女達の地道な作業のお陰で「見慣れないお金がある」とか「お金が足りない」とかで皆が大慌てすることはなかったのだ。佳花の命令とはいえ、人間の為に金勘定をする妖の姿を想像したら涙が出てきそうになった。


「文化祭の後も色々警戒はしていたわ。けれど特に異常は感じられなかったし、あの怪談騒ぎが起きるまでは平和そのものだった。実際はそうではなかったけれど。種の存在にも、花鬼の存在にも気づくことはできなかったわ。栄達や安寿に怪談騒動が起きる前、この学校を調べてもらったことがあったけれど……」

 何の成果も得られなかったそうだ。聞けば佳花は多少の霊力を持っているものの、大したものではなくほぼ人間と変わらないそうだ。成体になる前の花鬼とさして変わらないのではないかと本人は言う。それゆえもしかしたら自分が気づかないだけで、気配等を察知するのが得意である栄達らが調べれば何か分かるかもしれないと考えた。だが結局彼等でさえ種の存在に気づくことは出来なかった。


「鬼ヶ花の種を見つけるのは難しいと言われていますからね……力の強い術師でさえ、適性がなければ気づくことが出来ないそうですし。逆に力が弱い者でも適正さえあれば気づくことが出来るとか。誰も気がつかなかったのも無理はないでしょう」


「この学校で騒ぎを起こしている花鬼は成体ではない上に相当弱っているらしい。あんまりその力が微弱なせいで、そいつに憑かれた存在がいることにも気づけなかったのかもな。そもそも一年と三年じゃあ接する機会も少ないだろうし」

 だからあまり気にすることはないんじゃないか、と弥助は優しさを込めた声で責任を感じてしまっているらしい佳花に言ってやった。ありがとうございます、と彼女は素直に感謝の気持ちを述べたが今回の騒動を未然に防げなかったことを後悔し、自分を責める気持ちはそう簡単に消えないようだ。彼女のことを皆のお姉さん或いはお母さんのような人だとさくらは思っていた。人間の生を見守りたい、平和な日々を守ってやりたいという彼女の願いが目や表情に現れ、そんな印象を自分に与えていたのだと彼女の話を聞いている内に気づいた。守ってやりたい、そう彼女は強く願っていた。それなのに花鬼や鬼ヶ花の存在に気づけず結果生徒達の平和な日々が壊れてしまった。自分は守ってやることが出来なかったのだ、そう思い彼女は自分を責めているのだ。


「本当に、こんなことになる前に気づくことが出来ればどれ程良かったか」


「過ぎたことを悔やんでいても仕方ありません。今はそれより、これからのことを考えなければ。人の負の感情を吸収し、膨大な力を生成しただろう鬼ヶ花……これらを消す術を貴方方はお持ちですか?」

 英彦の問いに、佳花は悲しげな表情を浮かべながら首を横に振る。彼はその答えを予想していたのか、落胆した様子はない。柚季も「こんなのを消すのなんて、出来っこない」と呟く。力を持っているからこそ、彼女にはそれがどれだけ難しいことかよく分かるようだ。


「正直、これといった策のないままここへ来たのです。出来れば花鬼の方と直接話をしたくて……」


「策が無いって点は俺達も同じだよな」


「やっぱりてっとり早くぼこぼこにしちまおうぜ。花鬼の方をぼこぼこに出来ないなら、そいつを守っている従者をぼこってさ。それでもまだどうにもならなきゃ仕方ない。本来の体の持ち主には悪いけれど一発顔をがつんと」


「物騒な奴だなあ、お前は」


「なるべく穏便に済ませたいんだけれど……」

 紗久羅の乱暴発言には一夜も柚季も呆れるしかない。その意見にあたしも同感だと言いだす秋野の頭をぺしんと叩きながら英彦も苦笑いし、それからふうと息を吐く。


「花鬼と会わないことにはどうにもならないでしょうね。しかし彼女は一体どこにいるのでしょう」

 学校にいる可能性は限りなく高いだろうが、と天井を見つめる。


 闇が招く気持ち悪い静寂。一旦静かになると皆黙ってしまい、口を開くことが出来ない。ただ誰かが話しだすのを待つようにしながら、辺りを見回した。

 その静寂は、闇によって生まれた心細さや不安、恐怖を胸の内で膨らませていく。そうして恐ろしい位膨らんだそれは、突如校内に響いた大きな音によって破裂する。


 ぴんぽんぱんぽおん……。

 それは今の時間決して聞こえるはずのないもの。校内放送の前に流れるチャイムであった。妙に響くその音に皆びくりと体を震わせ、柚季は悲鳴をあげる。そのチャイムの音によって破裂したものから溢れ出た様々な感情が体内を巡り、さくらは軽くパニックを起こした。紗久羅や一夜もかなり動揺しているようだ。心臓が痛い、胸が苦しい、何が何だか分からない。

 混乱する頭の中に浮かんだのは「地獄放送」という怪談。これもまた東雲高校の生徒だか先生の一人が言いだした怪談で、太陽が沈んだ後四がつく時間に校内で「44.4」と四回呟くと地獄放送というものが始まる、というものだ。始まってしまった地獄放送を最後まで聞かずに学校を出ようとすると血まみれの怪人に追われて殺され、最後まで聞いたら聞いたで四日以内に無残な死に方をしてしまうという話。

 チャイムが鳴った後少しの間があった。その間が緊張感を高まらせる。紗久羅や一夜の心音が聞こえるような気さえする、それ位皆緊張していたのだ。


『あー、あー、只今マイクのテスト中です。あー、あー、本日は晴天なり』

 体内に溢れているものを吐き出す為に叫びたい、そう思った直後聞こえてきたのは何とも間の抜けた言葉。「なんじゃそりゃ」とコントのようにずっこける余裕などは誰にもなく、皆天井を見上げながら呆然とするのみ。

 全員を凍りつかせたチャイムの後に聞こえてきた、間の抜けた言葉。それを発した声にさくらは聞き覚えがあった。汗が落ち、闇に吸い込まれていく。


「その声……安達さん? 安達さん、なの」

 束の間の静寂の後、校内にくすくすという女の無邪気で残酷な響きの笑い声が響き渡る。その声は不吉な静寂の中に立っていた者達の心をざわつかせた。


『ぴんぽん、正解です臼井先輩。あれだけ怖い目に遭っておきながら懲りもせずやって来るなんて、驚きです』

 感心と侮蔑の入り混じった声。それは間違いなく鈴鹿の声で。ほっそりとした体に真っ直ぐな黒髪、涼しげな瞳がぱっと思い浮かんだ。きっと彼女は氷のような、それでいて愛らしい笑みを浮かべていることだろう。鬼とも天女ともつかぬその笑み、彼女とは一回しかまともに顔を合わせていないのに不思議と自然に浮かんでくる。


「鈴鹿さん、貴方今どこにいるの?」


『愚問ですね、先輩。校内放送を私達しているんですよ? 放送室以外ありえないじゃないですか。ねえ?』


「う……」

 動揺のあまり、聞かなくても分かるようなことを聞いてしまう。鈴鹿の嘲笑に骨まで火照って烈火のごとく真っ赤になってしまう。


『ふふ、皆さんの話は一部始終聞いていました。どうやら色々なことをすでに掴んでいるご様子。さて、今度は私の話を聞いてくださいな』


『僕の話も一緒に聞いてもらいたいなあ』

 微妙な明るさの混ざっている冷たい鈴鹿の声。その後聞こえてきたのは冷たさが微妙に混ざっている、だがそれを殆ど感じさせないおちゃらけちゃらちゃらへらへらの男の声だった。その声にも聞き覚えがあった。


「貴方、もしかしてアクセサリーを売っていた露天商の」


『大正解! おめでとうございます、ぱふぱふ! あ、ちなみに僕の名前は修羅というんだ。約六百歳の愛されるより愛したい派の男です、よろしくねえ』


『お前なんかに愛されるなんて、可哀想な女性もいるものですね。ああ、何て可哀想なんでしょう』


『つまり姫様は超可哀想な女性ってことだねえ』


『どういう意味ですか、それは!』


『言った通りの意味ですよ、言った通りの。え、分からない? うわあ、姫様って本当鈍感お馬鹿さんなんですね。僕、哀しい!』


『着物の袖を噛んで泣く真似をしないでください、気色悪い!』


「え、何こいつら急に痴話喧嘩始めやがったんだけれど……」

 鈴鹿達の起こした茶目っ気のある(?)行動によって張られた緊張の糸が、彼女達の会話によってぷつんと切れ、力が抜けそうになる。修羅――恐らく鈴鹿の従者にからかわれた鈴鹿の声に先程まで感じられた余裕はない。

 こちらが呆然としていることに気づいたのか、鈴鹿が咳払いをするのが聞こえる。


『こんな馬鹿を家来にしてしまった哀れな花鬼、それが私です。もう先輩方は気がついているようですが、私は今ある生徒の体を拝借しています。彼女の名前は垣谷英恵(かきたにはなえ)、本来私のクラスの委員長をしていた人間です』

 しかし今、垣谷英恵という人間は存在しない。『安達鈴鹿』にとって変わられてしまったから。英恵自身は乗っ取られていること、自分の『枠』を奪われていることに気づいてはいないようだが。


「そうやって英恵とかって生徒の体を奪い、それでもってあの文化祭の日学校中に鬼ヶ花の種をばらまきやがったんだな!」

 声のする天井指差し、紗久羅が怒鳴った。しかし直後聞こえてきたのは「ぶっぶー」という予想外の答え。ぶっぶー、と紗久羅の指摘が不正解であるかのような発言をした修羅の愉快そうな笑い声に紗久羅が顔をしかめる。どうやら相当いらっときたらしい。


「どういうことだよ! 何が違うんだよ!」


『文化祭の日、体育館に種を蒔いたのは間違いなく僕達だよ。でも、他の場所に種を蒔いたのは僕達じゃない』


「どういうことですか? 貴女方でないなら、一体誰がやったというのですか」

 佳花がいつになく険しい表情で天井を睨む。鈴鹿と修羅の笑い声が場をぐちゃぐちゃにかき乱し、闇をますます濃くしていった。


「笑っていないでさっさと答えやがれ!」


『それではお答えしましょう。……あの日学校中に種を蒔いたのは先輩方、貴方達東雲高校の皆さんです』

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