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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
学校の怪談~開花への階段~
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学校の怪談~開花への階段~(4)


 放課後、二人は千代子のいる教室を尋ねた。彼女は今日当番であるらしく机で日誌を書いていた。ほのりは躊躇うことなく教室の中へ入っていき千代子の名を呼ぶ。他クラスの教室に入るのが苦手なさくらはやや足を踏み入れることに躊躇したが、入らないことにはどうにもならないから意を決して中へと入った。室内の空気の淀み具合は自分のクラスのそれと変わりなく、まだ教室に残っている生徒達の表情もまるで死人で気味が悪いといったらない。自分は墓場に足を踏み入れてしまったのではないか、などということを思ってしまう位だ。

 ほのりに名を呼ばれ顔をあげた千代子と目が合う。見てみれば、そういえば確かに何度か見かけたことのある顔だと思った。左胸の上にかかる豊かな髪を緩めに編んで作った三つ編み、黒縁眼鏡。何だかいかにも頭が良くて真面目でおとなしい優等生ちゃんといった感じだ。読書なども好きそうで、窓辺の席や中庭にある木の下で穏やかな笑みを浮かべながら本を読む姿を想像したら思わず顔がにやついてしまう。

 しかしほのりはそのさくらの想像を一瞬で打ち砕いた。


「見た目に騙されちゃ駄目よ、サク。こいつは見た目こそ優等生ちゃんって感じだけれど実際は全然違うんだから。見た目だけ優等生ちゃんなのよ」


「見た目だけとは失礼な、見た目だけとは」

 ぷくーっと頬を膨らませて抗議するその姿に、最早『優等生』を思わせる部分はなかった。わずかな時間でさくらの中の『花澤千代子像』はガラガラと音をたてて崩壊していく。よくよく見てみれば眼鏡の奥にある瞳がもつきらきらとした輝きは、頭が良くて真面目で大人しい優等生ちゃんは決して持ち得ないものであった。その爛々とした輝きは小さな子供――好奇心旺盛で悪戯などが好きで無駄に明るい子――のそれだ。旺盛すぎる好奇心などが原因でしょっちゅうトラブルを起こしていそうだ。それにほのりや要は振り回されまくり……そんな姿が容易に想像出来る。


「問題児が何をいうか。こほん……サク、改めて紹介するわ。こいつが花澤千代子。あたしと要の幼馴染」


「よ、よろしく。あの、えっと私は」


「はい、臼井さくらさんですよね。ばっちりしっかり存じ上げてます。全校生徒のデータは頭に叩き込んであるんです。ふふ、色々なプロフィールも言えますよ」

 ほのりの言わんでもいいわよ、という言葉も無視して千代子はさくらのプロフィールをつらつらと述べていった。桜町出身であること、出身小学校や中学、所属している部が文芸部であること――その程度のものから家族構成、身長体重、スポーツテストの結果等「何でそんなことを?」と思うようなことまで色々と。それを詰まることなくすらすら言ってみせるのだから恐ろしい。さくらは呆気にとられ、ほのりは変態を見るような目つきで千代子のことを見ていた。


「ええと、それでもってスリーサイズは」


「え、え、ええ!?」


「ちょっとあんたそんなことまで把握しているわけ!?」

 突然にして衝撃的な発言に二人が絶叫すると千代子はにっこり。悪戯が上手くいって喜ぶ子供のような笑顔だった。


「冗談ですよ、私もそちらは把握していません」


「びっくりした……」

 さくらはばくばくする心臓をおさえる。自分でさえろくすっぽ把握していないものを彼女が把握しているなどということは流石になかったようだ。千代子は右頬に右手をやりつつ何故だか残念そうにほう、とため息。


「学校の健康診断ではスリーサイズ、測定していませんからねえ……」


「何かその言葉にあたしは恐怖を覚えるわ」

 学校の健康診断にもしスリーサイズの測定というものがあったら彼女は……と思うと何だか怖い。


「ところでほのちゃん、私に何かご用ですか? 用が何にもないのに私の所にほのちゃんが来るなんてことはありませんよね?」


「ああ、そうだった。あたしはあんたの情報収集能力を目の当たりにして震える為に来たんじゃないんだった。……あんた、今学校で起きているこの事態のことについて色々調べているわよね?」

 それを聞いて千代子は誇らしげに胸を張ってみせる。


「勿論! こんなに面白いことを放っておく私じゃありません! 訳が分からないからこそ情報の集めがいがあるってもんですよ、ふっふっふ」


「この悲惨な事態を指して『面白い』とほざくような娘はあんた位のものね……サクでさえ今の状態を面白がってはいないってのに。まあいいや。ちよ、今まで調べたことをさああたし達に話してくれない? この子が今回のこと色々気にしているようなのよ」

 ほのりに指さされ、さくらはぺこりと頭を下げる。千代子はんーと口元に指をやりながらどうしようかな、と考えている様子。自分が色々調べた情報をぺらぺら喋りたくないのかもしれない。


「もしかして次の学校新聞、そのことについて書くつもり? だからあたし達にはまだ話せないと?」


「いえいえ。確かに最初はそうしようと思っていましたが。今起きている出来事をなるべく主観を混ぜずにまとめて載せ、皆さんに客観的に現状がどうなっているのか見てもらうことでこの事態をどうにか落ち着かせようと思ったのですが……ここまで酷くなると、もうどうしようもない気がして。何かとてつもなくインパクトの強い何かで目を覚ますか、時の流れに全てを任せるしかなさそうです。……そうですねえ、ですからまあ、良いでしょう。ほのちゃんの頼みを断るわけにもいかないですし、私が知っていることでよければお話しましょう」

 墓場に咲く、太陽の如き輝きを見せる明るい色をした一輪の花。今の彼女はまさにそれであった。この異常事態の中でこれだけ自分の輝きを失わぬまま過ごすことが出来ている彼女をさくらは素直にすごいと思った。もしかしたら学校がおかしくなってすぐ情報収集を始め、それらを客観的に見つめることで現状の異常度がいかに高いものかきちんと理解したからなのかもしれない。文章、或いはデータとして見ると見えないものも見えるようになるものだ。


「色々質問しちゃってください。勿論私自身も分かっていないことも多いですが」

 千代子とほのりの視線がさくらに集まる。あんたが知りたいと言ったのだからあんたが聞きなさい、ということなのだろう。さくらはまず全ての始まりに関することから聞くことにした。


「一番初めにこの学校で流行った怪談……あれは昔からこの学校で語られていたものなの? そもそも数十年前に女生徒が屋上から飛び降りて自殺したというのは本当の話なの?」


「んー……数十――三十二年前、一人の女生徒が飛び降り自殺をしたというのは事実のようです。まあ実名を出す必要はありませんから、それについては言わないでおきますが……自殺の理由というのはどうやら自分の希望する進路を両親や教師に強く反対され、挙句無理矢理進路を変えさせられてしまったことを苦にして……といったところのようですね。演劇部に所属していたとのことですから、もしかしたら演劇関係の道に進みたかったのかもしれませんね。まあその辺りのことまでは流石に調べていませんが」

 本当にいたんだ、とさくらは思った。本当は自殺した女生徒などいなかったのではないか、という考えたこともあったからだ。確かに自分のやりたいことを否定され、進みたいと願った道を無理矢理変えさせられたら辛いだろうとは思う。しかし何も死を選ぶことはなかっただろうに、と思うと胸が痛い。


「彼女が飛び降りたのはやっぱり十一時二十八分十三秒だったの?」

 それを聞いたのはほのりだ。千代子は困ったような顔をしながら頬をかく。


「十一時三十分頃だった、と情報元の新聞には書かれていました。けれど十一時二十八分十三秒だったかどうかは分かりません。そもそも誰かが飛び降りた時間が秒数まで分かっているなんておかしな話だと思いませんか? 考えてみてくださいよ。仮にお二人が誰かが屋上から飛び降りる姿を目撃したとします。そしてその後警察に何時頃飛び降りたのかなど色々事情を聞かれたとしましょう。その時お二人は『十一時二十八分十三秒に飛び降りました』って答えますか? 答えないですよね。秒数まで正確に把握していることなんてまずないでしょう? せいぜい『十一時二十八分頃に飛び降りました』と答えると思います。後は『十一時三十分頃でした』とかですね」

 電流を体に流されたような衝撃が走る。確かにそうだ、とさくらははっとした。今まで何の違和感も覚えずにいたが、言われてみれば随分妙な話であった。


「十一時二十八分十三秒というのは誰かが事実を基に作り上げた時間の気がします。時間をより細かく設定することでこの怪談によりリアリティを与えたかったのかもしれません。十一時三十分というぴったりの時間より、十一時二十八分十三秒という半端な時間の方がより現実味がありますし。まあ十三秒という部分は余計でしたが」


「成程。あの、それでこの怪談が昔から語られていたかどうかなのだけれど」

 バッテン。人差し指を重ねて作られた×マークがさくらの目に飛び込んだ。それから千代子はゆっくりと首を振る。


「私が調べた限りでは、かつてあの怪談がこの学校で語られていたという事実はありませんでした。学校の怪談をテーマにした映画が大ヒットした頃、東雲高校で学校の怪談が流行ったそうです。そこで様々な怪談が語られたようですが、あの怪談は語られなかったようです。まあ、絶対今まで一度も語られたことがないと断言できる程調べてはいませんから、この辺りは曖昧です」


「じゃあごく最近誰かが数十年前に起きた事件を基に作り上げた話って可能性も高いわけだ」

 そういうことです、と千代子。皆さも昔から語られていたかのように話していたが、実際のところは大分怪しいようだ。年季が入っているとみせかけて新品同様のものでした、という可能性も高い。その可能性をさくら自身考えたことがなく、どうして当たり前のように『昔から存在したもの』だと思ってしまっていたのか全く不思議であった。腕組みしてはあ、と息を吐いたほのりが続けて千代子に尋ねる。


「誰かが最近作り、そして広めた話だったとして……一体誰なのかしら、そんなことをしたお馬鹿さんは。その辺りも分からない?」

 申し訳なさそうに千代子は頷く。大抵の噂の出処は調べられるのですが、と述べてからほのりの質問に答えた。


「あんまりあっという間に、一気に広がったものですから皆さん自分が最初に誰から聞いたのか曖昧なんですよ。友達から聞いたはずだけれど、その友達が誰だったのか忘れてしまったとか、誰かが話しているのを聞いて知ったが、誰の話を聞いたのかまでは覚えていないとかまあそんな感じで」


「初めに幽霊を見た……安達さんも誰から聞いたか覚えていないの?」


「はい。安達――安達鈴鹿(すずか)さんもよく覚えていないそうです。同級生だった気がする、ということ位しか。はあ……少しずつ広まっていったというのなら皆さん誰から聞いたとか、誰々が話していたとかそういうことも分かるのでしょうが。驚異的なスピードでしたからね、皆ほぼ同時に騒いでいた感じでしたし。おまけに今は阿呆みたいな数の怪談を皆さん聞いていますからね、もうどれを誰から聞いて誰に話したかなんてこと覚えていないんですよねえ。まあそれでも頑張って調べてはみましたけれどね。その結果どうも一年生の間で最初広がって、それから別の学年へと広まったらしいということが分かりました」


「一年生? じゃあこの騒ぎの元凶は一年の誰かってわけ?」


「必ずしもそうであるとは限りません。例えば二年或いは三年生の誰かが仲の良い後輩をからかってやる為に事実を基にでっちあげた怪談を話したらどういうわけか学校中に広まってしまった……なんてパターンもあるかもしれないです」

 誰が話したか、はおろか学年さえ分からないとは。あんたでも突き止められなかったとなるとあたし達じゃあ一生無理ね、とほのりは嘆息。彼女がそう言う程千代子の情報収集能力は優れているようだ。

 とりあえずあの怪談話についてはこれ以上聞けることはないだようだ。それなら今度は。


「他の怪談話は? あれらも事実を基に語られていたりするの? この学校で死んだ人云々ってお話とかが多いけれど。皆が怪談を求めるあまり色々調べて、それを基に作り上げた怪談を語っているということは?」

 とりあえず聞いてみる。すると千代子は困ったような、嘆いているような妙な表情を浮かべた。


「お二人共大分この空気に毒されちゃっていますねえ。……正常な状態だったら最初からそんなこと聞こうとも思いませんよ。ほら、これを見てください」

 千代子はカバンからバインダーを取り出した。そのバインダーには沢山の紙が綴じられている。よく見るとそれはこの学校の地図で細かく分割されていた。地図にはびっちりと書き込みがされており、何が書かれているのかと思えばそれは無数の正の字であった。廊下、各教室、どこもかしこも正の字でいっぱいでじっと見ているとゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうである。正の字に侵食された地図はどことなく不気味で見ていると何故だか寒気がする。


「この正の字、何を表しているか分かりますか」


「え、ええと……」


「もしかして、怪談の数? 1―Aの教室内に書かれている正の字は、この教室が舞台となる怪談の数って感じで」

 ほのりの言葉に千代子は頷いた。つまり「1―Aにはこれこれこういう幽霊(もしくは妖怪)がいる」という話を一個聞いたら地図上の『1―A』の部分に線を一本引く……ということのようだ。1―Aと書かれた四角内にある正の字を数えてみる。たかだか一つの教室だけで十三個の正の字があり、十四個目の正の字も後少しで完成しそうである。


「類似した話もまあ阿呆みたいにありますがね。九割方同じ話でも死んだ人の名前などが変わったり、その現象が起こる座席の場所が変わったりしていたら一応別物の話としてカウントしています。正の字で書き記すだけでなく、どういう内容のものなのかというのを記録したものも別のファイルに保管しています」

 そう言って今度はまた別のファイルを取りだし、その中に挟まれている紙を二人に見せる。そこには各所で語られている怪談が記されていた。


 ・十年前心臓発作を起こして死んだAさんはかつて自分が座っていた席にいる生徒に心臓発作を起こさせて殺してしまう。

 ・十二年前心臓発作を起こして死んだBさんはかつて自分が座っていた席にいる生徒に心臓発作を起こさせて殺してしまう。

 ・十六年前心臓発作を起こして死んだAさんはかつて自分が座っていた席にいる生徒に心臓発作を起こさせて殺してしまう。


 成程、確かに類似した話が阿呆程ある。しかしさくらは今まで色々な怪談を次から次へと聞いても「あれ、これって前も聞いたことがあるような」と思ったことがなかった。どれもこれも新鮮に聞こえ「ああまた新しい怪談だ」とごく自然に思ったのだった。

 改めて地図に書き込まれた正の字を眺める。気持ち悪い――と思った。今この学校の生徒達が抱く狂気が目の前にある。気持ち悪い、とても気持ち悪くて、ただ正の字が羅列されているだけのものなのに、とても気持ち悪くて吐き気がする。漠然と捉えていたものをはっきりと突きつけられたことで耐えられない程の衝撃に襲われ目眩さえ覚えた。

 確かに自分は理解していたはずだ。怪談の数がとても多いことを。もしかしたらその数は生徒の数を上回るかもしれないとも思っていた。しかしその数がいかに異様であるか今ほど分かっていなかった。随分数が多いな、おかしいな位にしか思っていなかった。おかしいなどころではない。自分はこの狂っているとしかいいようのない数にもっと恐怖すべきだった。恐怖しなければおかしかったのだ。ほのりも余程衝撃を受けたのか珍しく顔色が悪い。彼女も「幽霊や妖怪なんてなんているわけないじゃない!」ということは主張していたが「それだけの数の人間がこの学校で死んでいるなんてこと有り得ない!」とかいうことは一切言っていなかった気がする。環や陽菜もそのことについては恐らく言及していなかった。

 自分は狂っていないと思っていた。まともだとそう思っていた。でも違った。さくらもほのりもとうの昔に狂っていたのだ。


「でもその数などたかが知れています。これ全部が事実に基づいて語られたものだとしたら、この学校では毎年おびただしい数の人間が死んでいるということになります。重複する話を省いてもなお有り得ない数ですよ。そりゃ勿論部活中の不幸の事故などで校内で亡くなった生徒、学校外で交通事故にあったり、自ら死を選んだり病にかかったりして亡くなった生徒もいます。でもその数などたかが知れています。間違ってもこんな数にはなりません。……でも皆さん気がつかないんです。自分が聞く怪談全てが本当だとすると毎年すさまじい数の生徒及び教師が亡くなっていることになるということに。その数は常識的に考えれば絶対に有り得ないことに」

 実際に千代子は大分参っている友人にこの地図を見せたという。だが彼女達の反応は芳しくなく、だから何という風だったらしい。さくらやほのりのように「おかしい」とは微塵も思わなかったようだ。

 普通ならおかしいと考える。けれど今の皆は考えない。もうとっくにおかしくなっているから。


「お二人は気づいただけまだましです。狂っていたことに気づける内はまだ正常といえるでしょう。本当に狂っている人は、自分が狂っていることにも気がつかないんですから」

 彼女が呟くように言った言葉。その言葉の恐ろしさに二人共しばらく声も出なかった。


「今までに皆さんの間で語られた怪談の内、事実が少しでも含まれているものは数える程でした。後は全部一から十まで全て作り話、というものですね」


「でも皆作り話だとは思っていない。下手するとでたらめな作り話を話した本人もそれが自分の作った話だということを自覚していないかもね。『自分で作った物語』を『誰かから聞いた本当にあった話』であると思い込みながら他人に話しているのかも。……今の皆なら十分有り得るわ。でも、自分が気がつかない位狂っている奴等も、外に出ると元通りになるのよねえ」

 そう。皆が狂っているのは学校の中限定なのだ。校内では常に精神状態が不安定になっている人も、外へ出ると普段通りになる。怪談で騒ぐこともないし、突然悲鳴をあげたり泣いたり笑ったりしだすこともない。

 それが不思議なんですよねえ、と千代子は困り顔。彼女も矢張り何故この学校にいる時だけ皆がおかしくなるのかよく分かっていないようだ。


「この学校に堆積している気持ち悪くてなんだか禍々しい空気が皆を狂わせるんでしょうかねえ。だからその空気に侵されていない外へ出ると大丈夫、みたいな。それにしても変化が顕著すぎるような気がしますけれどねえ。……学校の図書室では今怪談が載った本が人気のようです。無意識の内に『怪談のネタ』を探しているのかもしれませんね。桜村奇譚集も今貸し出されているみたいです。確か桜町や三つ葉市、舞花市があった辺りに出没した妖怪とか神様の話などが主に載っているものですよね?」


「ええ、桜村奇譚集は」


「ストップ、ストップ! あんたがそれについて語りだしたら夜になっちゃう!」

 ほのりに口を抑えられ、桜村奇譚集語りはあえなく断念。千代子はそれを見てから話を続けた。


「この桜村奇譚集は舞花市や三つ葉市の図書館にもありますし、書店にぽつりと置かれてもいます。ですがこれらを借りたり買ったりしている人はいないようです。つまり学校にいる時は興味があった怪異の物語も外に出た途端どうでもいいものになっちゃうんですねえ」


「学校でのあれは演技だったんじゃないかと思える位元気になるもんねえ」


「とはいえ、皆さん心の内には漠然とした不安を抱えたままのようですね。実は最近この学校の近くに露天商の方が姿を見せるようになりまして、魔除けのアクセサリーを売っているみたいなんです。それをこの学校の生徒が購入しているみたいですねえ。しかもそれなりに効果があるのか、それを買った人は落ち着きを取り戻しています。正常な状態、とは言えませんが。他にもアロマキャンドルやら心安らぐ音楽が入ったCDやらを買っている人が急増しているようで。……一番効果があるらしいのは露天商の方が売っているアクセサリーのようですが。値段もお手頃で学生さんでも簡単に買えるようですし」


「アクセサリーなんぞ買った位で多少改善するなんて、単純ねえあたし達って。思い込みの力はただのアクセサリーにさえ不思議な力を与えるってか? そういうのって何て言うんだっけ? プラシーボ効果だっけ?」


「確かそんな名前だった気がします。まあ思い込みでもなんでも、プラスの方向に働けばいいんじゃないんですかねえ」

 それもそうだ。いっそ全員がそのアクセサリーを買えば案外この酷い事態もどうにかなるのではないか、という気もする。


「しかし何でこんなことになっちゃったのかしらねえ……」


「たった一個の怪談、たった一人の悲鳴が……」

 安達鈴鹿が幽霊を見たと言って騒がなければ、或いは騒いだのが彼女程真面目な子でなければこんなことにはならなかったのだろうか。いや、そもそもあの怪談を誰かが語らなければ、そしてそれが学校中に広まらなければ。


(そんなこと今更言っても仕方ないけれど)

 その問いに対しての答えが分かったところで、すでに起きてしまったことをなかったことにすることは出来ない。しかしそれでも気になるのが人の性である。


「お二人共、私は一つ妙に思っていることがあるのです」

 それぞれが色々考えていたところで千代子が口を開いた。妙、とはどういうことかと二人同時に問う。


「そもそも例の怪談はどうしてあんなに早く学校中に広まったのでしょう? とてつもない早さですよ、本当に。他愛もない怪談なのに……。……逆だったらまだ納得出来るのですが」


「逆?」

 さくらが聞くと千代子が重々しく頷いた。


「まずごく一部のグループの間でのみあの怪談が語られる。その中にも安達さんがいた。そして彼女はどういうわけかその怪談通りのものを見てしまい、悲鳴をあげて恐怖に震えてしまう。その姿を見ていたクラスメイトの子達はびっくり仰天。真面目な彼女があんなことになるなんてどういうわけなのかと興味を持ち、そして怪談の存在を知る」


「悪戯に授業を滅茶苦茶にするような性格ではない子が『見た』と言うのだから本当に見たのかもしれない。と思って他のクラスの子や先輩達に話す。誰かが授業中幽霊を見たと言って騒ぐ……なんてこと滅多にないから話のネタとしては最高……だからこそ皆に話さずにはいられない」

 そして一部の人の間でのみ囁かれていた怪談はいつの間にか全校に広がる。真面目な子が悲鳴をあげて恐怖に震え、大騒ぎになったという事件と共に。

 つまり千代子は怪談が校内に広がるのと優等生である鈴鹿が悲鳴をあげる順番が逆の方がしっくりくると言いたかったのだ。そういったきっかけも何もないのに、あんなに一気にこんな何でもないような怪談が広がるなんて妙だと彼女は思っている。

 嗚呼、確かに言われてみればそうかもしれない。さくらは今までそんなこと考えたこともなかった。それはほのりも同じのようで、成程ねと千代子の意見に感心している様子だ。


(そうよね……あんな怪談があれ程早いスピードで広がってしまうなんておかしいわよね。勿論特にこれといったキッカケもなくなんてことはない話が広がるということはあるけれど)

 もしかしたら自分達は幽霊を見たなどといって騒ぎだす前からおかしくなっていたのかもしれない。あの怪談を聞いた時にはすでに皆狂っていたのかもしれない。そんな考えまで出てきて急に恐ろしくなった。

 自分達はいつからおかしくなった? いつまで正常だった?

 頭の中で巡る問い。それを止めたのは千代子の声だった。彼女は左手の人差し指をぴんと立てる。


「もう一つ、妙なことがあるんです」


「まだあるの?」


「まだあるんですねえ、残念ながら。今この学校には様々な怪談が蔓延(まんえん)しています。今やこの学校はどこもかしこも幽霊もしくは妖怪出現スポットになってしまっています。図書室も、部室も、廊下も理科室も音楽室も更衣室も、恐ろしい数の怪談に侵食されている状態です。ところがですね」

 これを見てください、そう言って地図の入ったバインダーをぺらぺらとめくり、目的のものを見つけたらしく神妙な面持ちでそれを二人に突きつけた。それもまたある場所の地図であった。

 だが、その地図には正の字が一つもなく真っ白だった。他のものはどれもこれも正の字でいっぱいだというのに。とても綺麗で、だからこそ逆に気味が悪い。

 その紙に書かれていた場所。その場所の名前を見た瞬間さくらは衝撃に襲われた。有り得ない、と思った。この場所にまつわる怪談が一つもないなど、普通なら考えられない。ほのりの「嘘でしょう……」という掠れた声が微かに聞こえる。しかしよくよく考えてみれば確かにその場所に出てくる幽霊の話等は一つもなかった。確かに聞いた覚えがなかった。そのことにも今の今まで気がつかなかった、いや、そのことについて考えようともしていなかった。


「ここには……無いの? 一つも?」


「無いんです。おかしいでしょう? 一つも無いなんてことはまずない。でも無いんですよ……」

 他の物より一際大きな長方形。そこの中に書かれている名は……――。


「体育館に関する怪談が、一つもないんです」

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