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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
桜の夢と神隠し
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桜の夢と神隠し(7)

 お代を払って、私と紗久羅ちゃんは、静かに歩く出雲さんの後についていった。

 念の為に通しの鬼灯を持っていて良かったわ。

 拭っても拭っても、体を伝う汗は、暑さからくるものなのか、それとも緊張からくるものなのか。もう分からない。紗久羅ちゃんは何も喋らず、私と同じようにひっきりなしに汗を拭っている。


 けれど、どれだけぎらぎらと太陽の光が降り注いでも、出雲さんの手も足も髪も、氷の様な冷たい輝きを放ち続けていた。あの人の体に温もりが宿ることは、どんなことがあってもないのだろうと思った。


 住宅街を抜け、桜山に近くなると少し涼しくなってくる。空の青と山の緑が、目を介して熱を奪っていく様だった。それはとても心地よくて、緊張していた心も落ち着いていく。


 けれど、桜山神社の鳥居を前にして、通しの鬼灯を握りしめた途端、和らいでいた緊張感がぶり返してきて、吐き気がしそうになる。涼しいを通り越して、寒さすら感じる。とても綺麗で、私が一番好きな幻想的な光景であるはずなのに、何度見ても目の前に広がるそれは、私を不安にさせた。

 曖昧で、不完全で、どの世界にも属していない……境界であるその道。その得体の知れない感じが人を不安にさせるのかもしれない。この階段の先にあるのは、異界だ。自分の常識の通用しない、自分が居てはいけない世界だ。

 だから、恐ろしいのだ、きっと。


 どれだけ、そういう異界へ行くことを望んでいても、心の奥底にある何かが、そう思わせるのだ。私は、あちらの世界へ行くことを何より望んでいたし、あちらの世界に憧れていたのに。それでも、恐ろしく思うのだ。私でさえ恐ろしいと思うのだから、紗久羅ちゃんはもっと恐ろしいと思っているのかもしれない。

 けれど、先へ進まなければ物語は進まない。


 私と紗久羅ちゃんは、階段を上る。階段を一つ上がる度に、体中の温もりが奪われていくようだ。出雲さんは、何のためらいもなく進んでいる。それはそうよね、だって出雲さんにとっては、今向っている異界こそが、本来の世界なんですものね。

 鬼灯を、ぎゅっと握りしめる。優しい温もりが、少しだけ不安を和らげてくれる。


 階段を上りきり、鳥居をくぐりぬける。扉の前に、鈴ちゃんが立っていた。出雲さんの姿を見ると、にこりと笑って、とことこ駆けてくる。出雲さんは、笑って鈴ちゃんを抱きしめ、優しく頭を撫でた。


「ただいま、鈴」


「おかえり、出雲」


「こんばんは、鈴ちゃん」

 笑って、声をかけてみる。けれど鈴ちゃんは無言で、小さくお辞儀をしただけで、そのままそっぽを向いて、扉を開けた。紗久羅ちゃんが私の隣で「生意気な奴」と言った。あら、とっても可愛らしいと思うけれど……。もっと仲良くできたらいいな。

 出雲さんがまず館の中へ入っていく。続いて私と紗久羅ちゃんが入り、最後に鈴ちゃんが入って、扉を静かに閉めた。


 テーブルの真ん中にはお皿があって、その上には切り分けられたカステラが置いてある。後は、小さめのお皿が三つ。


「さあ、座りなさい。カステラも、遠慮なく食べておくれ。なかなか美味しいよ」

 出雲さんがそういうなら、遠慮なく。私はカステラを一つ取って自分の目の前にある小皿に置いた。そしたら、鈴ちゃんが扉を開けて入ってきて、私達の前にミルクティーの入ったカップを静かに置いた。鈴ちゃんは、やっぱりその後特に何か話すわけでもなく、静かに出て行った。


「鈴ちゃん、偉いですね。あんなに小さいのに、しっかりお仕事していて」


「まあ、小さいといっても、君達よりはずっと長生きしているからねえ。あれでも、二、三百年位生きているんだよ。正確な年齢は知らないけれど」

 そうか。見た目は小さな子でも、鈴ちゃんは妖なのよね。二、三百年前……私も、私のお母さんやおじいちゃんも生まれていなかった頃……。私達よりずっと長く生きている彼女にちゃん、なんてつけたら失礼かしら。


「あいつ、出雲以外には全然懐いていないよな。話かけてもそっぽ向いたり、そっけないこと言ったり。たまにぼそっと毒舌吐いたりさ」

 紗久羅ちゃんは、私よりは鈴ちゃんと付き合いが長いらしい。きっと、店番をしている時に会ったことが何度かあるのだろう。忌々しそうに言って、カステラを手に持ち、食べようとする。

 出雲さんが静かに笑った。


「まあね。あの子は、人間はあまり好きではないみたいだ。あの子は化け猫なのだけれど、普通の猫だった時代もあった。けれど、黒猫だったからねえ……まあ嫌な目によくあったらしい。妖となった後は後で、悪い人間に捕まって酷い目にあって。まあ、それを私が助けてあげたのだよ」

 紗久羅ちゃんのカステラを口元に運んでいた手が、止まった。


「その悪い人間は懲らしめてやったけれど」


「まさか、殺したとか?」

 出雲さんが、まさか、と言ってにやりと笑った。とてもいい笑顔で、あまりにいい笑顔すぎて、逆に気味が悪い。


「殺す? あはは、そんな訳ないじゃないか。それでは、あまりにつまらない。彼があの手この手で手に入れた財を全て奪って、後は再起不能になる位まで色々してあげただけだよ」

 流石というか、なんというか。

 桜村奇譚にも出雲さんを怒らせたり、彼の機嫌を損ねたりすると、後で酷い目にあうと書かれている。命を奪うのではない。ただ「いっそ殺してくれ」と叫びたくなるようなことをするのだ、と。ある人は大切なものを奪われ、ある人は濡れ衣を着せられ、ある人は光も音も一切無い空間に閉じ込められたという。


「まあ、人間に限らず、あの子は他人と接することが苦手みたいだけれど。ふふ、でも私にはよく懐いているんだよ。もう、本当あの子は可愛いよ。食べちゃいたいくらいだ」

 出雲さんが言うと、冗談が冗談に聞こえない。いつか本当に取って食べてしまいそう。

 カステラを一口、食べる。ふんわりしていて、それでいてしっとりとした生地。甘い砂糖と、卵の味がした。ああ、これ美味しいわ。お口の中が、幸せ。


「ふうん、色々苦労していたんだなあ、あいつ。まあ、それでもあたしは生意気なガキは嫌だけどな。あたしも生意気なガキだけど。……って、あの化け猫のことはどうでもいいんだよ、一瞬忘れそうになっていたけれど……馬鹿兄貴! 馬鹿兄貴達の居場所が分かったんだよな? 後、骨桜の空間に入る方法って言うのも!」


 あ、忘れていたわ。そういえば、それを聞くためにここに来たのよね。

 出雲さんが、立ち上がった。


「ああ。私の忠実な使い魔が調べてくれたよ。……折角だから呼んでこよう。ちょっと待っていてね」

 テーブルから離れ、涼しい風の入り込む窓へ向う。

 何か笛の様なものを取り出し、それを吹いた。音は聞こえない。人間には聞こえない音なのかもしれない。そうした後、出雲さんは手招きして私達を呼んだ。窓の外を見つめている出雲さんのところまで行って、彼の隣に立つ。


 窓の外に見えるのは、無数の木。相変わらず幹も枝も葉も、黒く染まっている。

 そんな木々の間で、何かがキラっと光った。その光は少しずつ近づいてきて、やがて木々の間を抜けてこちらまで飛んできた。何か光るものをつけた、黒い塊だ。目の前に広がる木々の様に真っ黒なそれは、鳥だった。きっと烏だ。一羽ではなく、二羽いる。

 二羽の烏は鳴き声をあげながら、ものすごい速さで部屋の中に突っ込んできて、出雲さんが普段使っているであろう、紙やペン、本がたくさん置かれた机の上に降り立った。

 

 その烏達を見た紗久羅ちゃんが、ひいっと小さな悲鳴をあげる。

 よく見てみれば、二羽の烏の足は、三本だった。三本足で烏ということは……八咫(やた)(がらす)?そういえば、出雲さんは使い魔達の事をやた吉とやた郎って呼んでいたわね。

 光の正体は、勾玉と翡翠の玉を連ねた首飾りだった。勾玉の色は、それぞれ違っていて、片方は赤い勾玉でもう片方は青い勾玉だ。


「こいつらが、やた吉とやた郎だよ。赤い勾玉の方がやた吉。青い勾玉の方が、やた郎」


「ああ、この二人が旦那の言っていたお嬢さん方? 二人共、サクラって名前なんだよな、確か」

 やた吉君が口を開く。彼は、人の言葉を話した。インコやオウムの様な声ではなく、小学生位の男の子の声だ。はきはきしていて、とても聞き取りやすい。烏から発せられた声とはとても思えない。なんていったら烏に失礼かしら。

 首を傾げるやた吉君は何だかとても可愛らしく見える。烏の瞳って、よく見るととてもつぶらでキュートなのよね。


「ええ、そうよ。私のことはサクと呼んでくれて構わないわ。宜しくね、やた吉君。あ、君付けでいいかしら」


「構わないよ、呼び方なんて何でもさ。呼び捨てでも、おいら全然気にしないよ」


「俺も、気にしないよ」

 と言うのは、やた郎君。やた吉君よりやや落ち着いた声だ。


 ところで、紗久羅ちゃんはといえば、まだ三本足でおまけに人間の言葉を話す二羽に慣れないのか、嫌っているはずの出雲さんの背中にひっついていた。そこから恐る恐る顔を出し、ちらちらと様子を見ている。


「ただ足が一本多くついているだけなのに、何がそんなに恐いんだい」


「足が二本と三本じゃ大違いだ。それに人間の言葉を話すなんて、おかしいよ」


「え、でも烏もインコ達と同じように、人間の言葉を覚えて喋ることが出来るらしいわよ」

 TVで、喋る烏を見たことがある。紗久羅ちゃんが、小さくなった。


「う……」


「こいつらは無害だから安心おし。少しも恐くなんてないよ。君よりずっと可愛いし、乱暴じゃないしね」

 烏と比べられた挙句、烏以下と言われたことにカチンと来たらしく、紗久羅ちゃんが出雲さんの背中を勢いよく蹴飛ばした。


「うるせえ! ふん、こんな烏達少しも恐くないよ!」

 紗久羅ちゃんは見事にいつもの紗久羅ちゃんに戻り、やた吉君とやた郎君を睨みつけた。今度は、二羽が怯える番だった。


「何か、恐い……」


「巫女の桜みたいだ」


「え、やた吉君達は巫女の桜さんを見たことがあるの!?」

 まあまあ、何て素敵。やた吉君とやた郎君は顔を見合わせ、こちらをまた向いて頷いた。


「ちょっとだけ。まだおいら達が只の烏だった時にね。ものすごく綺麗な姉ちゃんだったけれど、ものすごく恐かった。おいら、あの巫女の姉ちゃんに睨まれたことがある。あの姉ちゃん、睨んだだけで小動物とか殺せたよ、きっと」


「俺は、うっかりあの巫女の肩にフンを落としちゃって。そしたら矢を飛ばされて、危うく殺されるところだった」


「まあまあ、素敵だわ。とっても勇ましい人だったのね。ああ、一度会ってみたいわ、本当!」

 そうか……?と二羽が首を傾げる。随分戸惑っているらしい。

 やっぱり、巫女の桜さんは本当にいたのね。しかも、言い伝え通り、とっても格好良くて、美人で!素敵!想像するだけで、ドキドキするわ。


「会っているといえば、会っているんじゃないかね。彼女の魂は、私の体の中で未だ生き続けているのだから」

 出雲さんが、自分の胸に手を当てた。


「ということは、出雲さんが巫女の桜さんの魂を食べたというのも、本当の話だったんですか?」


「ああ、食べたよ。けれど、私は死んでいない。彼女は私を殺すことは出来なかった」

 くすくすと出雲さんが笑う。言い伝えでは死んだことになっている出雲さんは、この通りぴんぴんしている。出雲さんが彼女の魂を喰らったところまでは言い伝え通り。でも、その後は違う。

 喰らった魂に体内を焼かれて死んだ……それは、出雲さんという大悪党によって酷い目に合わされてきた村人達の、願いや希望のようなものだったのかもしれない。そうであって欲しい、という思いがあの言い伝えの最後の部分を生み出したのだろう。


「旦那に目をつけられたのが、運の尽きだったんだよな、あの巫女。おいら達は詳しいことは知らないけれど」


「でも、あの巫女のことを旦那に教えちゃったの、俺達なんだよね」


「え?」

 私はやた郎君の言葉を聞いて声をあげ、彼に顔を近づけた。やた郎君は、びっくりしたような声をあげた。そして、ため息をつき、話を続ける。


「忘れもしないよ、あの日の事は。やた吉と一緒に木の枝に止まって喋っていたら」


「いきなり旦那に襲われてさ。旦那が、おいら達のいた木の下で眠っていたんだ。ところが、おいら達が大声で喋っていたせいで、目が覚めたらしくて。それで怒って、さあ」


「前足で押さえつけられて、食われそうになってさ。とっさに『俺達を食べるより、村にいる巫女の肝を喰った方がいいよ』って言ったんだ」

 そして、彼らは解放され、命は助けられた。代わりに巫女の命が奪われることになるのだけれど……。

 まあ、こいつらから教えてもらわずとも、きっと別のきっかけで彼女の存在を知ることにはなったろうと出雲さんは述べた。彼女の死期が少し早まっただけさ、と続ける。


「でも、それから何年か経った後、旦那と再会して。……そしたら何故か知らないけれど、下僕にさせられたんだ」


「で、今に至る」


「下僕なんて。使い魔だよ、使い魔」


「下僕と殆ど変わらないよ! いつもいつもこき使うじゃないか、旦那! 今回だって、一本の骨桜を探す為に、休む間も無くおいら達を飛ばし続けて! 見つかるまで休ませてくれなかった! 羽がもげるかと思ったよ、羽が!」

 涙声になりながら訴えるやた吉君。そんな彼の首を、出雲さんがくいっと掴んで締めた。出雲さん死んじゃう、そんなことしたらやた郎君死んじゃう……っ。


「もげてないからいいだろう? ていうか何口ごたえしているの? 下等生物の分際で」

 下僕扱いはしていないけれど、下等生物扱いはしているらしい。

 あからさまにやた吉君達を見下している感じの表情が、とても恐ろしい。


「わあ、許して、死ぬ、死ぬ!」

 ようやく、出雲さんはやた吉君を解放した。私は、首を絞められた時に鳥が出す声というものを初めて聞いた。毎回こんなことされているのかしら、二羽共。可哀想、本当に。


 そういえば、さっきやた吉君がとても重要なことを言っていたような……。


「骨桜! そうだ、骨桜! また話脱線していたけれど!」

 紗久羅ちゃんが大声をあげる。ああ、そうだわ。そう、骨桜よ。やっぱり、やた吉君とやた郎君に探させていたのね。


「本当に、面白い位脱線するね、話が。こいつらが、しっかり見つけてきてくれたよ。いなくなった人全員、ちゃんといたそうだ」


「良かった。あ、孝一さんもですか? 後、間違いなく皆さんなんですよね……? やた吉君達、さらわれた人達の顔、知らないですよね」

 

「それなら心配ない、あっしが被害者達の顔の映っている写真もしっかり入手して、その二羽にやったからな」

 背後から聞きなれた声が聞こえて、振り向けば、いつの間にか弥助さんが腕を組んで立っていた。いつから居たのかしら。話に夢中になっていて、全然ドアが開いたことに気がつかなかったわ。というか弥助さん、喫茶店の方はどうしたのかしら。まだやっているはずなんだけれど。

 

「そうそう、弥助の兄貴のおかげで助かったよ。初めの頃は酷かったんだ。旦那に聞いても『気合で探せ。目で探すな心で探せ、合っているか間違っているかは自分で判断しろ。ああ、もし間違えたら釜茹でにしてやる』って言うだけだしさ。ああ、孝一っていう最後に連れて行かれたらしい人も、ちゃんと居たよ。結界越しにしか見ることはできなかったけれど、多分皆無事だ」

 それを聞いて、私はほっとした。手遅れにはなっていないようだ。今すぐ助ければ、きっと大丈夫だ。紗久羅ちゃんもほっと肩を撫で下ろした。


「仕方無いだろう。私だって顔を知らなかったのだから。大体、人に『助けて』とか言っておいて、写真の一つも入手しないサクが悪い」

 

「見事な責任転嫁だな、おい……」

 確かに、そういうのを用意した方が良かったわね。失念していたわ。いいのよ、紗久羅ちゃん。私が、悪いの。


「まあ、最終的に皆を連れて行った骨桜が特定できてよかったすね。割と近かったんでしょう、その骨桜がある場所は。もっと遠いところにあったら、やた吉とやた郎が疲労で死んでいただろうな。で、出雲。どうやって、骨桜の空間に乗り込むっすか?」


「知り合いの爺さんから、いいものを借りてきた。それを使って、入り込む。……ただ、もう少し待たないと。骨桜の空間の活動は、夜の方が活発らしいからね。ふふ、楽しみだよ。どうやっていたぶってやろう」

 自分の左の人差し指をぺろりと舐めながら、妖しく不気味な笑みを浮かべる。こういう時の出雲さんを見ると「ああやっぱりこの人は人間では無い」とはっきりと思う。 

一方、少しも妖らしく見えない弥助さんは、妖しさも怪しさも皆無な人間くさい表情を浮かべ、ため息をついた。本当に弥助さんって化け狸なのかしら。信じられないわ、やっぱり。


「ま、骨桜なんて雑魚だし、すぐに終るだろうさ。今日の夜にでも、乗り込もうか。面倒くさいことは、さっさと終わりにしたいしね。馬鹿狸、お前も行くかい?」


「一応行くよ、夕菜さん達が心配だからな」


 弥助さんが頷いたのを見て、出雲さんが「足手まといにはならないでおくれよ」と憎まれ口を叩きながら静かに頷いた。

 「さて、問題は君達なんだけれど。どうする? 私達と一緒に行く?」

 笑う出雲さん。対して、驚いたような表情を浮かべる弥助さん。私も紗久羅ちゃんも、弥助さん同様、思わぬ提案に驚いた。どうせ、危ないし足手まといだから留守番してなさいと言うのだろうと思っていたから。


 私としては、願っても無い提案だ。人々を永遠に醒めぬ夢の世界へ誘う、美しくも恐ろしい骨桜の姿を見てみたいと思っていた。言い伝えに出てくる世界は、どんなものなのだろうか、気になるし。文字だけでその世界を想像するのも楽しいけれど、やっぱり、実際にその世界を見てみたいわ。

 それに、一夜達のことも心配だし……。


「いやいや、何言っているんすか、馬鹿狐! 危ないっすよ、この二人は人間なんすよ!?」

 弥助さんが、私達を指差しながら怒鳴る。けれど、出雲さんは怯む様子はない。


「うるさいねえ。何も、無防備の状態で放るつもりはないよ。やた吉とやた郎がどうにかしてくれるさ」

 ねえ?と出雲さんは、ぺちゃくちゃ喋っていた二羽に話を振る。話を振られた二羽は、慌てふためき、ええとええとと言いながら、ようやく何を聞かれたのか把握したらしく、こくこく頷いた。


「ええと、大丈夫だよ、弥助の旦那。おいら達、結界を張るのだけは得意だから」


「この二人のお嬢さん達位は守れるよ」


「そうそう。万が一、こいつらの結界がしょぼくて、二人を怪我させるようなことがあったら、この二羽の羽をもいで、目を潰してやるから。ああ、釜茹でもいいかもねえ。逃げられないように縄でぐるぐる巻きにして、水の入った釜に入れて、少しずつ熱していくんだ……ああ、それいいかもしれないなあ」

 出雲さんは笑う。笑いながら、脅す。頭の中で、悶え苦しむ二羽の姿を思い描き、幸せそうな笑みを浮かべている。きっと本気だ。本気で、やりかねない。

 それならば、いっそ私達はついていかない方がいいのかもしれない。やた吉君とやた郎君の為にも……。でも、気になる。行きたい。ああ、難しいわ。


「それだけはやめて! おいら達頑張る、死ぬ気で頑張るから!」


「死ぬ気でやりすぎて、本当に死なないようにね」

 脅した本人が、そんなことを言う。


「まあ、確かにこいつらの結界が強力ってことは知っているけれど。……さくらと紗久羅っ子はどうしたい?」

 私と紗久羅ちゃんは顔を見合わせる。


「さくら姉は、行きたい……んだろう?」


「え? あ、うん。私は、やっぱり色々気になって。紗久羅ちゃんは?」


「私も、色々気になる。……さくら姉や、他の皆が行くっていうのなら、あたしも行く」


「だそうだよ。本人達が行くと言っているんだ。いいだろう?」

 出雲さんが、妖しく微笑み、弥助さんが小さく舌打ちする。どうやら、もうこれ以上反対するつもりはないらしい。


「あ、でも骨桜のところに乗り込むのって夜、なのよね。お母さん達にどう説明しよう……」

 行き先も告げずに、しかも夜遅くに外出するなんて。そんなことしたら、お父さんとお母さんを心配させてしまうわ。かといって「今から妖怪の出雲さん達と一緒に、骨桜のところにいって、一夜達を連れ戻してきます」なんて正直に話すわけにはいかないし。誰もそんな話、信じてくれないわ。言ったら言ったで、別の意味で心配されそう。ただでさえ、普段から心配させてしまっているみたいだし……。


「あたしは何とかなりそうだけれど。婆ちゃん達は、出雲のこと知っているし、何となく説明すれば分かってくれそうだ。でも、さくら姉はどうするんだ」


「秋太郎の家に泊まるって言えばどうっすか? 秋太郎なら、話も通じるし。さくら、しょっちゅう秋太郎の家に遊びに行って、そのまま泊まっているっていうじゃないっすか。あまりにしょっちゅう行くものだから、あっちの家に着替えまで置いてあるって」

 弥助さんの提案に、私はぽんと手を叩いた。


「あ、そうか。……て、やっぱりおじいちゃん、弥助さんの正体とか知っているんですか?」

 弥助さんはうんうんと頷いた。


「あっしとしては、普通の人間として生きるつもりだったんですけど、何かすぐに見破られちゃいました。はあ……出雲の様に明らかに化け物っぽい奴ならともかく」

 そうだったの。ああ、おじいちゃんと弥助さんの出会いとかも気になるわ。というか、いつどこで出会ったのかしら。ああ、今すぐにでも聞きたいわ。


「それじゃあ、一度喫茶店に行こうか。そこで秋太郎に話をつけて、そこから家に電話をかければいい」


「はい。それじゃあ、一度戻ります。そういえば弥助さん、喫茶店の方大丈夫なんですか? まだお店開いているはずなんですけれど」


「ん? ああ、大丈夫っすよ。今休憩時間中だから。まあ、そろそろ戻った方がいいけれど。で、出雲。どれ位の時間にあっちへ行くんだ?」


「そうだねえ……サク達のいる世界の時間でいうと、12時? ええと24時? くらいか?」


「こちらの世界では何時になるんですか?」


「いや、私達の住む世界には細かい時間の概念とかってないんだよ。月とか日にちとかもかなり大まかなものだし。大体、そんな細かい時間なんてこの世界には必要ないしね。君達世界とほぼ同じ概念をもって、それに則って行動している者が一切いないわけではないけれど」

 成る程、それで。出雲さん達のいる世界は、割と大雑把に生きているのね。でもまあその方が気楽だし、いいような気がする。

それにしても24時なんて。私、いつもその時間寝ているわ……。うう、乗り込むまでの間ちょっと仮眠した方がいいかしら。


「それで、この館からその骨桜のある場所まではすぐに着くのか?」

 弥助さんの問いに、やた吉君が答える。


「遠いかな、ちょっと。飛んでいくなら、まあものすごく時間がかかるってことはないけれど。歩いていくには、ちょっと」


「ということを、聞いていたから。あれを借りてきた。紗久羅は覚えているだろう? 鬼灯夜行の帰りに乗ったあれだ」


「ああ、あの牛車っぽいやつ? あれって借りたものだったのか」


「まあね。あれで行けば、そう時間もかかるまい。私と紗久羅、サクはそれに乗って行こう。やた吉とやた郎に道案内をしてもらってね。馬鹿狸は、自力で何とかおし」

 弥助さんは何となくそう言うことを予想していたらしく、特に反論するわけでもなく、へえへえと気の抜けるような返事をした。まあきっと、弥助さんなら木をぴょんぴょん渡って、楽々と追いつくでしょう。ものすごい運動神経だし。


 一度、私と紗久羅ちゃん、弥助さんは満月館を後にした。数時間後にはまた来ることになるのだけれど。結局23時30分頃にまた満月館に集合し、そこから骨桜へ向うことになった。

 喫茶店には、おじいちゃんと朝比奈さんがいて、いつものように温かく私達を迎えてくれた。弥助さんはそのまま仕事に戻る。

 その時弥助さんは、簡単におじいちゃんに話をしたらしい。おじいちゃんは、自分の家の鍵を私に渡してくれた。


「もうしばらくしたら、私も家に戻るから。紗久羅ちゃんと一緒にお茶でも飲んで待っていなさい。電話も使っていいよ。……まあ、気をつけなさいよ」

 おじいちゃんはそう優しく言って、笑いながら店を出る私と紗久羅ちゃんに手を振った。


 おじいちゃんの家は、喫茶店のすぐ裏にある。二階建ての、落ち着いた雰囲気の木造の家。時を感じさせる匂いがする。私は、その匂いを嗅ぐと何となく落ち着く。


 木の、もうぼろぼろになった塀の内側には小さな庭がある。小さな池があり、松の木や紫陽花、つつじなどが植えられている。

 その庭には、ピストルの弾丸の様な形の大きな岩がある。何でも家を建てる前からあったらしく、その黒く光る岩が何となく綺麗だと思ったおじいちゃんは、それを残してくれるようお願いしたらしい。かくしてその岩は、その場に残されることとなった、らしい。おじいちゃんも、私と同じ様に不思議なものが大好きなのだ。


 私は、おじいちゃんから預かった鍵を使って、戸を開ける。玄関から見てすぐ左に居間、その奥に台所がある。玄関から伸びる廊下の突き当りにはトイレとお風呂。玄関から見てすぐ右側には二階へ続く階段がある。


 おじいちゃんの家は、家と言うより書庫という方が、正しいかもしれない。居間にも本棚がびっしり、二階にある部屋はほぼ全て本で埋め尽くされている。いつか、本の重みに耐え切れず、この家は崩壊してしまうのではないだろうかと本気で心配になる。実際、天井がぎしぎしという音をたてることがある。けれど、本で一杯のおじいちゃんの家は、とても魅力的。まるで、別世界に迷い込んでしまったかのようだし、沢山の本を、好きなだけ読むことができる。


 居間に置いてある電話を使って、私は家に電話をかける。おじいちゃんの家に泊まってもいいか、と聞いたらお母さんはあっさり承諾してくれた。よくあることだから、お母さんも慣れっこなのだ。まあ、若干嘘が混じっているのだけれど……うう、ごめんなさい。

 続いて、紗久羅ちゃんが電話を借りて、家へ電話をかけた。紗久羅ちゃんは、嘘も何もつかず、正直に話す。しばらくして、電話を切った。


「大丈夫そう?」


「ああ。勝手にしやがれ、だってさ。ていうか、あたしまでここの家にいて大丈夫?」


「大丈夫よ。何にも問題ないわ。昔、時々ここで遊んでいたじゃない。少しも遠慮することはないわ。あ、そうだ。夕飯を作っておきましょう。勿論、おじいちゃんの分も」


「そうだな。折角だし、作ろうか。一緒に料理とか、わくわくする」


 紗久羅ちゃんは一応着替えを持ってくる為一度家に帰り、そしてすぐ戻ってきた。

 その後、私と紗久羅ちゃんで煮物を作った。といっても、殆ど紗久羅ちゃん一人で作っていたようなものだけれど。菊野おばあ様と小さい頃から、沢山料理をしていた為か、料理が好きなのだ。野菜を切ったり、味見したりする紗久羅ちゃんはとても楽しそうで、見ているこっちも何だか楽しくなってきた。

 味噌汁の具は何にしよう、ああそれはそんなに入れなくて良いよ、後何か一品欲しいかな……楽しくお喋りしながら、ご飯を作っていく。家庭科の実習よりも、ずっと楽しい。


「やっぱり、こうして料理すると、気持ちが落ち着くよ。うん。馬鹿兄貴とかを無事に連れ戻すことが出来たら、もっと楽になるね」

 にこりと紗久羅ちゃんが笑う。私も、そうねと笑った。

 一夜が帰ってきたら、何を話そう。そのことを考えると、もっと楽しくなった。


 絶対に、一夜達を連れ戻す。……実際連れ戻してくれるのは出雲さん達なのだけれど。


 その後、帰ってきたおじいちゃんと夕飯を食べ(おじいちゃんは、美味しいと喜んでくれた。紗久羅ちゃんが、とても可愛らしい笑みを浮かべていた)、軽くお風呂に入った。私は、おじいちゃんの家に置いてきていた服に着替えた。紗久羅ちゃんには、さっきまで着ていた服を入れる袋を貸した。そして、二階にある部屋(一番本棚の数の少ない、一応二人くらいなら寝ることの出来るスペースがある)で、軽く眠った。

 といっても、二人とも興奮していて、殆ど眠ることは出来なかったのだけれど。


 約束の時間の少し前、弥助さんが迎えに来てくれた。


「全く。あんたら本当に行く気っすか」


「行く気だよ。なあ、さくら姉」


「ええ。行く気満々。待っているだけなんて、落ち着かないもの」


「へいへい。それじゃあ、行くか。それじゃあ、行ってくるっすよ」


「はいはい。気をつけてね。本当は私も行きたいところだけれど、流石にねえ」

 おじいちゃんは、ちょっと残念そうな表情を浮かべながら、私達を見送った。


 真夜中の桜町をこうして歩くことになるとは、思わなかった。何だか、とても新鮮な気分だった。暗闇を鈍い光で照らす街灯も、昼と同じ蛙の合唱も、家も、何もかもが。

 胸の鼓動は桜山に近づく毎にどんどん早くなっていく。息苦しくなって、胸がかあっと熱くなる。けれど、紗久羅ちゃんや弥助さんと一緒にいるのだと思うと、少しだけほっとする。


 いざ向おう、骨桜の下へ。


 この先にあるのが、幸せな結末であることを信じて。

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