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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
君は私の助女房
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第四十七夜:君は私の助女房(1)

 助女房、という妖がいたそうだ。その妖は怪我或いは病気等で身動きが取れなくなり、生活するのに必要なことが出来なくなった独り身の男の家にだけ姿を現すという。

 女は家の主が再び元気になるまで甲斐甲斐しく世話をしてくれるという。その代償に何かを貰うとか、悪さをするとかいうことは全く無い為全く恐ろしい妖ではない。

 その妖は家の主の体がすっかり良くなると姿を消してしまうそうだ。


 桜村に昔、太吉という男がいた。彼は独り身であった。そんな彼はある日病に倒れ、動くことさえままならぬ状態になってしまった。その彼の前に助女房が現れた。彼女はとりたてて美人というわけでもないが、優しい笑顔が魅力的な気立ての良い女であった。

 彼女は食事を作ったり、薬草を煎じたものを飲ませたり、彼の代わりに畑仕事をしたり、快方に向かった太吉の話し相手になったりした。太吉は彼女に感謝し、それと同時に特別な想いを抱いていった。

 やがて太吉はすっかり良くなり、自分で動けるようになった。すると助女房は「良かった、良かった」と言って、家を出ようとする。ところが太吉はそんな彼女の手をつかみ、彼女が外へ出ることを拒んだ。


「お願いだ、私とずっと一緒にいれくれ。私はお前のことが好きになったのだ」

 すっかり助女房に惚れてしまった太吉は彼女と別れるのが惜しくなり、そう懇願した。それを聞いた彼女はすっかり困り顔。


「私は体調を崩して身動きがとれなくなった人間の世話をする者。貴方が元気になった以上、もうここにはいられない。私はそういう者なの」


「そう言わずに、お願いだ。私とずっと、ずっと一緒にいてくれ」

 太吉はなおもそう訴えたが、結局助女房は彼の手を振りほどくと姿を消してしまった。


 彼女がいなくなり、太吉はとても寂しい思いをした。何日たっても彼女のことが忘れられない。何とかして彼女とまた会えないだろうかと思った彼は、あることを思いついた。


「そうだ、そうだ。体をわざと壊すか何かして、動けなくなってしまえばまた彼女は現れるはずだ!」

 そう思った太吉は、身動きが取れなくなるよう自分の足をわざと刺してしまった。

 だが助女房は一向に現れず、しかもかなり深々と足を刺してしまったものだから血が止まらずそのまま死んでしまったそうな。



『君は私の助女房』


「……何で」

 トントントントン。


「何だって」

 トントントントン。


「あたしは」

 トットットットット。

 まな板の上で、色鮮やかな野菜を切る音が響くのは台所。炊飯器も電子レンジもオーブンも電気冷蔵庫も湯沸かし器も蛇口もない、現代日本人が足を踏み入れれば「自分は江戸時代かそこらにタイプスリップしてしまったのか」と錯覚するような光景がそこには広がっている。

 そんな台所で調理をしているのは、現代日本人の一人である紗久羅だ。三角巾とエプロンを身につけ調理用に身なりを整えており、男の子っぽくいかにもがさつそうで、料理など不得意そうな見た目とは裏腹に一つ一つの作業は丁寧かつ素早く、普段から料理をしているというのがひと目で分かるような手つきの鮮やかさ。

 しかしそんな彼女はいかにも不機嫌そうであった。というか不機嫌だった。

 紗久羅は野菜を切り終えると一旦手を止めて、それから叫んだ。


「こんなことをあの化け狐の家でやっているんだ!」


 そう、ここは満月館。出雲の住む家である。どうして彼女が出雲の家で料理をしているのか。

 話は今から数時間前――昼頃に遡る。



「化け猫娘が風邪?」


「そうなんだよ……熱を出してしまってねえ」

 桜町商店街、弁当屋『やました』。お小遣い欲しさに店番をしている紗久羅と話しているのは出雲である。彼は基本的には夕方頃ふらりとやって来るのだが、時々少しずれた時間に来ることもある。今日もいつもよりも大分早い時間にやってきて、鈴が風邪をひいて寝込んでしまったことを紗久羅に話した。その表情を見る限り、本気で心配しているらしい。


「妖怪も風邪とかひくんだ。なんか意外」


「ひくよ、私達だって。病気になることが一切ないというわけじゃない。まあ、君達人間に比べればずっと丈夫だから、滅多にないことではあるけれど。鈴だって寝込む程の風邪をひいたのは……何十年ぶりかな、ちょっと覚えていないけれど。昨日からあまり調子はよくなかったようなのだけれどね」

 自分が倒れたら出雲が困ってしまうと思い、無理をして何でもないフリをしていたらしい。しかしきちんと休息をとらなければ病状が悪化するのは人も妖も同じ。朝になって熱が出て、殆ど動けなくなってしまったそうだ。それでも出雲の為にご飯を作らなくちゃと無理をして台所に立った結果……倒れてしまったそうだ。


「どれだけ具合が悪くても、私の為を思って働こうとするなんて。本当に健気で良い子だよ」

 と顔を手で覆いよよと泣く。正確に言えば泣くふりをしている。紗久羅はじと目でそんな彼を見、言ってやった。


「お前が鈴なしだと家のことなんて何一つ出来ねえポンコツ駄目男だから、あいつも安心して休めねえんだろう。なっちゃんとかから聞いたけれど、お前握り飯一つ満足に作れないんだろう?」


「あんなもの作れなくたって少しも困りはしないよ」


「……お前朝は結局何食ったんだ」


「私の家にたんまりあるお菓子と、昨日の夕飯の残りを少々」


「不摂生極まりないな! 毎日夕食がコンビニ弁当な独身男よりある意味酷い……菓子が朝食って」

 彼は米も鈴がいなければろくに炊けず、単純に何かを焼いたり煮たりするだけの料理さえ出来ないようだ。面倒だからやらないのではなく、出来ないのだ。全く呆れるより他ない。対して出雲は涼しい顔で、別に菓子でも何でも腹にたまればそれでいいだろうといった風である。

 

「で、鈴には何か食わせてやったのか? お前ら妖怪は少し位食わなくても問題ないそうだけれど、流石に体調が悪い時は別だろう」

 それがねえ、と出雲はため息をつく。


「私もせめて鈴にはまともな食事をとってもらいたいと思ってねえ。おかゆを作ってあげようと言ったんだ、そしたら」


「いい、大丈夫って言われたんだろう?」


「まあそんな感じかな。ぜえぜえ言いながら台所へ向かおうとする私を止めてね『それならいっそ何も食べない方がいい』って」


「お前のことが大好きなあいつがそこまでして止めるってことは相当ってことだな……で、結局どうしたんだよ」


「きゅうりを持っていったよ、勿論何も手は加えずに。味噌も一緒に持っていって、それをつけて食べさせてやったんだ」

 その時紗久羅は珍しく鈴のことを哀れに思った。きゅうりに味噌は確かに合うが、それが朝食というのも侘しいというかなんというか。自分だったらご主人様のポンコツっぷりを呪うだろうが、彼女の場合はそれでも彼に失望することはないのだろう。


「あいつら……やた吉とやた郎は? 少なくともお前よりかはずっとましだろう?」


「まあね。あいつらはそういうことをやる為だけに存在しているのだから。だからいつもだったらあいつらを呼んで何でもかんでもやらせるのだけれど。今あいつら、天狗の鞍馬と一緒に遠くへ出かけていてねえ。だから呼び出せないんだよ。あいつらが二人だけで出かけているっていうのなら、遠慮のえの字もしなかったけれど今回ばかりはねえ」

 ちなみにやた吉とやた郎が様々な術を使えるのは鞍馬に師事しているからだそうだ。そんな師匠と今はとある京にある宿に泊まっているらしく、明日まで帰ってこないようだ。

 へえ、お前の辞書にも一応『遠慮』という言葉が存在しているのかと紗久羅が嫌味を言えば「私は常に謙虚に生き、あらゆるものに遠慮して生きている」などとあんまり嘘っぱち過ぎてつっこむ気力も失せるようなことを真顔で言う。


「で、これからどうするわけ? 病人ほったらかしにしておくわけにはいかないだろう?」


「勿論。とりあえずいなり寿司食べて、それから向こうの世界へ戻って鈴の為に薬を買うつもりだよ」


「夕飯とかは? 何か適当に買って食って、鈴にも買ったものをやるの? せめて病人にはちゃんとしたもの食わせてやった方がいいと思うんだけれど」

 そう聞くと何故か出雲はにこりと笑った。その笑みにそれはそれは不吉なものを感じ、背筋がぞっ。

 

「紗久羅」

 途端、気持ち悪い位甘い声になる。ますます不吉な予感に鳥肌がぼつぼつと。


「私と鈴の為にごはんを作ってくれないかい?」

 

「は?」

 一瞬何を言われたのか分からなかった。少しして言葉の意味を理解して、それから叫んだ。


「いやいや、何でだよ! 何であたしがそんなことをしなくちゃならんのだ!」


「だってぱっと思い浮かぶの君しかいないのだもの。鈴が元気になるまで、夕飯を作ったり身の回りのお世話とかしたりしてもらいたいなあと。朝は君も学校があるだろうからいいけれど……あ、でも何か作り置きしてもらうと助かるなあ。君は見た目に似合わず料理が得意だし」

 手を合わせ、にこにこしている彼は、最早紗久羅が出雲と鈴の為に料理を作ったりその他諸々のことをしたりすることが決まっているかのように語る。完全に頭の中が盛り上がってしまっている。


「鈴も一日二日で治りそうにはないんだよ。治る時は治るけれど、一旦酷くすると人間以上に治りにくくなることもある。鈴は後者の場合が多くてねえ、以前も治るまでに少し時間がかかったんだ」


「病人の鈴の面倒見てやるだけならともかく、何だってお前の面倒まで見なくちゃならんのだ。適当に店行って食うか、何か買って食ってろ! 後のことだって知ったことか!」

 思わず紗久羅は立ち上がり、全力で拒否をする。こうしなければ勝手に話を進められそうだったから。

 菊野の「うるさいこの馬鹿孫!」という怒鳴り声が調理場から聞こえる。残念ながらその声の方が余程うるさい。一方の出雲は紗久羅が嫌だと言っても引きやしない。


「鈴の世話だけするのも、私の世話も一緒にするのもそう変わらないよ」


「いいや、変わるね! お前のことだ、あたしのことをこき使うに違いない! というか何であたしが面倒を見なくちゃいけないんだよ、あたしはお前の女房じゃねえんだぞ!」


「君と私との仲じゃあないか」


「別に面倒見てやる程仲良くねえよ!」


「それじゃあさ、せめて鈴の面倒だけでも。私のことはいいから」


「とか何とか言って、どうせあっちに着いた途端無駄に達者な口で上手いことあたしにさせたいこと全部させるつもりだろう! 気がついたらお前の飯も作っていて、風呂とかの準備もしていましたって感じで!」


「君は本当に私のことを良く分かっているね。これも愛だね、愛。うんうん」


「否定しないのかよ!」

 ショーケースをどん、と叩いた直後調理場から出てきた菊野に背中を叩かれた。


「何夫婦漫才やっているんだ、あんたらは」

 誰が夫婦か、と菊野にツッコミを入れる紗久羅に対し出雲はにこにこしながら「祖母公認の仲、素晴らしい!」」とふざけたことをぬかす。

 紗久羅は菊乃に、鈴が倒れたことや出雲のお願いのことなどを話してやった。すると菊野はうんうん頷き、それから紗久羅を見る。その目の輝きに「げげっ、何だか嫌な予感」と心の中で呟く紗久羅。果たしてその予感は見事に的中していた。


「いいじゃないか、やってやりな」


「ばあちゃん!」

 にやにやする菊野、絶叫する紗久羅、にこにこする出雲。味方はなし、家族は敵。


「飯作って、ちょこちょこっと他の家事をする位いいだろう。お前も一応年頃の娘、良い花嫁修業と思って頑張りな」


「花嫁修業とか訳分からねえよ、あたしは当面結婚する予定はないっての!」


「え、君は私の将来のお嫁さんじゃないのかい!」


「わざとらしい口調で気持ち悪いことを言うな!」


「ああ、そうか。君には奈都貴という未来のお婿さんがいたねえ……悲しいけれど、君とて妖より人と結ばれる方が幸せだろう」


「何でいつの間にかなっちゃんが未来の婿になっているんだよ!? そりゃあお前なんぞよかずっといいけれど!」

 出雲に相手に怒鳴ってから、菊野を見る。


「ばあちゃん、自分の可愛い孫をそんなほいほいやっていいのか!」

 出雲が人ではないこと、人ならざる者の世界に住んでいることは知っているだろう、そういう所にあんまり通わせるのは良くないんじゃないか……という意味で彼女は言った。

 場合が場合なだけにお茶とお菓子をもらいにしょっちゅう彼の家を訪ねていることや、自分の意志で向こう側の世界の行事にちょくちょく参加していることなどは棚にあげ。菊野はあえてそのことについては指摘せず、彼女の問いに答える。


「安心しろ。こいつは馬鹿だが、自分の損になる行動が何で得をする行動は何であるのか、そういうことだけはちゃんと理解しているはず。間違い起こせばその後自分がどんな目に遭うか分かっているだろうから、大丈夫だろうさ。そもそもお前みたいなクソガキに手を出すほどの大変な変態ではあるまい。大層な変人だけれどね」

 誰も間違いがどうのこうのなんて聞いてないやい、と顔を真っ赤にして叫ぶ。菊野は分かっているわい、馬鹿めと言わんばかりに笑っている。出雲は出雲で「ご飯を食べればそれでお腹がいっぱいだから問題ないよ」とか訳の分からないことを言っていた。


「兎に角、あたしは反対しないよ。常連客が困っているんだ、助けにいってやれ」

 と出雲を思いやって言っているように一見聞こえるが、彼女の顔を見る限り単純に面白がっているだけのようだ。だから余計に腹立たしい。

 出雲はそんな紗久羅の気持ちは一切無視し、ぱんと両手を合わせてるんるん笑顔。


「よし、決まり。しばらくよろしくねえ、紗久羅」

 そして言うや否や「紗久羅、少し借りていくね。一応帰りは送ってやってあげるから安心して」などと言い、紗久羅を連行していく。いかにも腕力などなさそうなもやし妖な癖して、こういう時だけは力が強い。

 口笛吹きたい気分であろう出雲と正反対に、紗久羅は一人で泣きたい気分であった。


「何でこうなるんだよ! ばあちゃんの馬鹿!」


 その声が日曜の桜町商店街にこだました。

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