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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
花咲く乙女
233/360

花咲く乙女(13)


――おねえちゃんいっちゃった、ずっといっしょだよってやくそくしてくれたのに……――


 十年経った今でも、紗久羅はその悲痛な叫びをはっきりと覚えている。その時の彼女は真っ赤なほっぺを涙で濡らし、目を真っ赤にし、いつもの輝きはなりを潜めまるで別人のようになっていた。彼女のことが大好きだった紗久羅も、他の子供達もその姿を見て胸を痛めた。彼女にいつもの笑顔を浮かべさせてあげたいと思っても、出来なかった。まだ幼かった紗久羅達でも、彼女の悲しみは容易に拭い去ることは出来ないことを理解していた。「大丈夫だよ、きっと戻ってくるよ」とか「元気出して」とか口が裂けても言えず、裂けるのはただただ心だけ。しかもある事件が原因で心に深い傷を負ってしまった子は彼女以外に身近にもう一人おり、その子にはますます何も言えなかった。その子の大切な人はもう絶対に戻ってこないことを子供心にも理解していたから。

 自分と同い年の二人の女の子。彼女達やその家族等多くの人を悲しみと苦しみの渦の中へ突き落としたある事件。それは十年前の冬、今よりもう少し春に近い頃に起きた。

 その事件がいかに凄惨なものであったのか、当時はまだよく分からなかった。詳しいことを親は教えてくれなかったし、例え聞いたとしてもよく分からなかっただろう。だがそれはまだ幼かった頃の話で、今は違う。どうしてあんなことが起きてしまったのか、少しでも詳しく知りたかった紗久羅は親や、自分よりも年上の人に話を聞き、そして色々知っていった。


(何で、あんなことが……)

 退屈な位平和な町で起きた事件。それは殺人事件だった。桜山神社のすぐ目の前で一人の少年が殺されたのだ。何でも全身をメッタ刺しにされ、見るも無残な姿で発見されたという。真っ赤な鳥居の前に、真っ赤な血の池、その底に沈むのは鬼のように真っ赤に染まった体……決して想像したくない光景、第一発見者はしばらくの間寝込んだそうだ。

 殺された少年の名前は笹屋秀人。当時高校一年生――今の紗久羅と同い年だった。事件が起こる数ヶ月前に桜町へと引っ越してきた彼は大人しく、あまり目立たない人ではあったが心優しく、また読書が好きでよく図書室や図書館で本を読んでいたという。

 彼には歳の離れた妹がいた。その子の名前は歩美といい、兄同様大人しかったが暗くはなく、仲良くなった子と一緒に遊んでいる時は明るい笑顔を浮かべ、はしゃいでいた。紗久羅も彼女とは友達で、よく一緒に遊んだことを今でも覚えている。だからこそ彼女が大好きだった兄を失い、深い傷を負った彼女を見るのは辛かった。どうにか笑顔にしてあげたいと思っても、何も言えない。そんな自分が悔しくて仕方なかった。


(歩美とあたしや他の友達を引き合わせたのがあの子だったな……)

 桜町で初めて歩美に出来た友達。

 その少女の名前は西原美紀。彼女には歩美の兄と同い年の姉がいた。紗久羅の記憶が正しければ、その人の名前は真紀だった。

 西原真紀……彼女こそが妹の友達である歩美の兄、笹屋秀人を殺した人であるらしい。らしい、というのはつまり彼女が本当に犯人なのか分からないということだ。ただ、秀人の体に突き刺さっていた小刀(特殊な素材で出来ていたらしく、販売されている店どころか、誰が作ったものなのかさえ判明しなかったらしい)に真紀の指紋がついていたこと等から彼女が犯人の最有力候補になっているというだけの話だ。おまけに彼女は秀人が殺されたのと同じ日に行方をくらまし、十年経った今も見つかっていない。

 美紀の顔は今でもはっきりと思い出せるが、姉である彼女の顔は全く思い出せない。特徴的な顔ではなかったし、美紀のような人を惹きつける輝きも感じなかったし、そもそもあまり会ったことがなかったからまあ無理もない。


 美紀と歩美の仲が良かったように、その姉と兄である真紀と秀人も仲が良かったらしく、楽しそうに喋りながら一緒に帰ったり、図書室で一緒のテーブルについて本を読みつつ小さな声でお喋りしたりしていた姿も目撃されていたらしい。しかし事件直前までずっとそうだったかといえばそうではなかったらしく、ある時を境に真紀は図書室に殆ど来なくなり、秀人とも話さなくなったそうだ。そうなる前とそうなった後に言い争いをしているのを見たという証言もあったらしい。

 そして更に。秀人が死に、真紀が行方不明になったことを知った二人と同じ高校に通っていた人達は口を揃えてこう言ったそうだ。


――ああ、最近の彼女だったらやりかねない……――

 彼女がそんなことをしたなんて信じられない、という言葉ではなくそんな言葉が飛び出したのだ。つまり誰もが真紀を「人を殺しかねない」人物だと思っていたということになる。その辺りのことは事件発生当時は知らなかったが、歳を重ねる内に知っていった。そしてそのことや、事件が発生する前の彼女の様子などを知った時、美紀が不安そうな表情を浮かべながら自分や他の友達に漏らした言葉の意味を何となく理解したのだ。


――――……かぐやひめみたいになっちゃったの。だからね、なんだかね、ふあんなの。いつかおつきさまのところにいっちゃうんじゃないかって……――

 かぐや姫。それは美紀が一番好きだった物語の主人公、月に住む美しいお姫様。

 美紀にとってかぐや姫というのは『綺麗な人』の象徴だったようだ。それも単純に綺麗な人、というわけではなく月、という別世界に住んでいるような人……平たくいえば人とは違う異質な空気をまとった、美しい人。見る者全てを惹きつけるものをもった人。例えば出雲のような。そして真紀はそういうような人は必ずいつか月へ帰ってしまう……というより、どこか遠くへ行ってしまうと考えていたようだ。

 彼女は姉がそういう人になってしまったことで、とても不安に思っていたのだ。


 真紀は元からそういう人だった、というわけではなかった。それは彼女と何度か顔を合わせたことのある紗久羅にも断言出来る。そんな人だったら、顔などをこれ程すっかりぽっかり忘れてしまうことはないだろう。彼女は人を惹きつける力をもった妹とは正反対の、地味で目立たない透明人間のような存在であったようだ。クラスの人間にもその存在を殆ど認識されず、友達もおらず……とかなり深刻な目立たなさっぷりであったらしい。

 そんな彼女がある時から、クラスの人達の目に映るようになった。そして友達が出来、大人しくてどちらかというと暗めな性格も変わり段々と明るくなっていったそうだ。

 ところが更に少しずつ彼女の雰囲気は変わっていき、やがては化け物みたいな人間になったという。化け物みたい、というのは恐ろしい顔になったとかそういうわけではなく、化け物みたいに人離れしているという意味のようだ。人とは到底思えない、妖しい輝きをもった美しい人に変わった彼女は性格も変わり、世界全てを馬鹿にしているような態度をとるようになったそうだ。また、先生に逆らうこともあったという。決まりがどうのこうのなんて馬鹿馬鹿しい……そんなようなことを言ったという話も聞いたことがある。


 誰が見ても、真紀はおかしくなっていたという。また、事件が起こる少し前辺りから秀人を見て鬼がどうとか言ったり、悲鳴をあげたりし、彼から逃げるようにもなったそうだ。かつて仲の良かった人相手にとる態度ではないだろう。もしかしたら彼を恐れるようになった原因となる出来事が二人の間にあったのかもしれなかったが、真実が明かされることは永遠にない。

 彼女はどうしてそこまでおかしくなってしまったのか。それも今となっては分からないが、どうやら真紀はある人物と出会ったことで変わっていったらしい。彼女の友人が、そんな話を聞いたと証言したのだ。だがその人がどんな人であったのかまでは聞いておらず、警察が調べても結局その人物の正体は明らかにならなかった。もしかしたらその人物(どうやら男であるらしい)が真紀に何かしたのかもしれない。秀人を殺すよう唆した、或いはそうするように仕向けたのかも。そもそも真紀がおかしくなった原因はその男にあったのかもしれなかった。


(美紀の姉ちゃんが変になっちゃった原因が本当にそいつにあったのか、そもそも本当に殺したのは姉ちゃんだったのか……)

 実は、凶器から見つかったのは真紀の指紋だけではなかった。別の人間のものもあったのだ。ただ、それが誰の指紋であるのかはついに分からなかった。販売員のものかもしれないし、真犯人のもの、もしくは真紀を変えたという人物のものか。いや、その人物こそが真犯人であったのかもしれない。

 

(でも誰が犯人かとか、そんなことは……あたしにとってはどうでもいい。分かったところで歩美の兄ちゃんは帰ってこないし、美紀が姉ちゃんと再会できるわけでもないんだ。真実が明るみになっても、過ぎた時間を巻き戻すことは出来ないんだ)

 胸がずきりと痛んだ。その痛みがスイッチとなり、あの事件が起きた後の出来事が紗久羅の頭の中で再生された。事件が起きたのは小さい頃だったのにその映像は腹が立つ位鮮明で、幾度となく再生しているにも関わらず、映像や音が飛んだり乱れたりすることはない。

 泣きながら「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と何度も言う歩美の姿、お姉ちゃんがいなくなってしまったと泣き叫ぶ美紀の姿。小さい体を震わせるその姿は痛ましく、唐突な家族との別れを嘆く泣き声は思い出しただけで涙が出てきそうになる位だった。

 式の時、真紀の両親が秀人の両親に泣きながら謝る姿も見た。勿論真紀の両親も、彼女が秀人を殺したなんて信じたくはないだろう。だが、可能性はかなり高く……。秀人の両親はただ涙を流すばかりで何も言うことが出来ないでいた。人殺しとなじることも出来ず、かといって謝らないでくださいとも言えず。双方の姿もまた、見ている方まで胸が張り裂けそうになる位のものであった。


 惨殺されたのは高校生、容疑者は同じ高校に通う少女で、事件の後行方知れずに。この事件は大きく報道された。

 西原家にも笹屋家にも連日マスコミが押しかけ、彼等の世界を踏み荒らし、心無い言葉を投げ続けた。

 不幸中の幸いか、美紀が学校でいじめられることはなかった。お前のお姉ちゃんは人殺しだ、とかお前も人を殺すのかとかそういうことを言う者は紗久羅が知る限りではゼロに等しかった。学校の授業で「やってみたいこと」というのをテーマに作文を書いた時、美紀は「友達を五百人作って、皆で仲良く大きな山に登っておにぎりを食べたり、鬼ごっこやかくれんぼで遊んだりしたい」と書いていた。ある意味では壮大な夢である。だがそんな夢を彼女なら叶えられるだろうな、と紗久羅は美紀がその作文を読み上げたのを聞きながら思ったことを覚えている。彼女には人を惹きつける力があった。だから、それ位きっと出来るだろうと思った。実際小学一年の時点で彼女には相当の数のお友達がいた。上級生や、中学や高校に通っている人にもそういう仲良しの人がいて、先生にも好かれていた。そんな彼女だったから、酷い仕打ちを受けなかったのかもしれない。

 だが、いじめる者こそいなかったがあの事件以来皆殆ど美紀に話しかけなくなった。紗久羅もそうだった。何て声をかければいいのかとか、どう接すれば良いのか分からなかったから。だから実質彼女は孤立状態であった。

 しかも美紀と歩美は同じクラスだった。だから余計言葉がかけづらかった。そして皆、歩美にも殆ど話しかけなくなった。美紀以上に彼女には話しかけづらかった。「元気出してよ」などと言える状態ではなく、かといって普段通りの会話をすることもためらわれ。

 ある意味自分達は酷い言葉を浴びせるのと同じ位、或いはそれ以上に酷いことを二人にしてしまったのかもしれない。


 そうして二人との距離はみるみる内に広がっていき、そして結局それを元に戻すことの出来ないまま……まず笹屋家が桜町を後にした。父親が三つ葉市にある会社に電車で通える程度には遠くない町へ行ったようだが、具体的にどこへ引っ越したのかは知らない。

 それから約一ヶ月後、西原家も桜町から出て行ってしまった。彼女達はかなり遠い所へ引っ越したらしい。

 美紀と歩美に、紗久羅達はまともに「さよなら」を言えなかった。彼女達がいなくなってしまった後になって、自分達は何て冷たいことをしてしまったのだろうと皆うんとうんと悔やんだ。彼女達の心をどうにかして癒し、笑顔を取り戻させる為の努力をもっとすれば良かったと思った。でも思った時には何もかも遅かった。

 やがてこの凄惨な事件のことはニュースでも取り上げられなくなっていき、世間からも忘れ去られていった。紗久羅達の世界にも日常が戻っていった。そして常に美紀や歩美のこと、あの事件のことを考えることはなくなっていったが何もかもがすっかり消えたわけではない。消えたわけではないから、こうして思い出して胸を痛めているのだ。


 この事件について楽しそうな声で、笑いながら話していた霧江達の姿を再び思い出してしまう。


――何かね、十年位前に桜町で殺人事件があったらしいよ。頭がいかれちゃった女子高生が、同じ高校に通っていた男子を殺したんだって。それでもってその女は行方不明、後に残ったのは無残な死体だけ……――

 霧江の言葉に紗久羅や奈都貴、その他桜町出身の生徒達が反応した。


――しかもかなり酷くてね、全身メッタ刺しにしたんだって。その人が殺された場所、血の池になっていたらしいよ。怖いわよねえ!――


――やだ何それ怖い! 全身刺されるとか超痛そう。ていうかよくそんなこと出来るよねえ。ああ、頭がおかしくなっていたから出来たのか。グサグサ刺された死体ってどんな感じなんだろう。やっぱり超グロいのかなあ――


――しかもね、その頭おかしくなった女の妹と殺された男の妹って友達同士だったんだって。今はもう桜町にはいないらしいけれど。もしまだ居たら聞いてみたかったんだけれどなあ、その事件が起こった時何を思ったかって! そういうことってなかなか聞けないじゃん? 私としては超気になるんだよねえ。人殺しの妹になっちゃった気持ちとか、自分のお兄ちゃん殺した人の妹が自分の友達だった時の気持ちとかさあ――

 霧江は本当に楽しそうな顔をしながらそんなことを言っていた。彼女のことだ、もし美紀と歩美が桜町にまだいたら絶対に色々聞いただろう。そして聞いたことを周りの人にぺらぺら喋る。その姿が目に浮かび、腹立たしくなった。それは他の人達も同じだった。

 しかも彼女はすぐ近くにいた桜町出身の女生徒に声をかけた。


――ねえ、貴方その子達とは知り合いだった? 確か同い年だったんだよね。ねえねえ、その時のこと覚えている? ちょっと聞かせてよ――

 女生徒は不快を露わにしながらそれを拒否する。すると霧江は「けちー」と言いながら笑う。


――いいじゃん、どうせ昔のことなんだしさあ――

 その女生徒は何か言いたげだったが、どうにか耐え「そんな軽いノリで話すようなものじゃない」とだけ言うと霧江達から離れていった。紗久羅は彼女のことをすごいと思った。自分だったら確実に霧江を殴っていただろうから。

 一体どういう風に育てばあんな無神経な人間になれるのだろうか。


(そうだよ、昔のことだよ。もう終わったことだよ。でも、だからって……)

 紗久羅は目の前にあった石を思い切り蹴飛ばす。


「くそ、あの女! あいつの話を笑いながら聞いていた奴等も大概だけれど、くそ、ああ腹立つ!」

 美紀や歩美、そして彼女達の両親にとっては未だあの事件は「終わった出来事」として片付けられるものになっていないだろう。多分、そうなる日は永遠に来ないのではないかと思う。少なくとも紗久羅はそう思った。


(それにしても、どうしてあんな事件が起きちゃったんだろう……)

 立ち止まり、広い空を見ても答えは出てこない。



「桜村奇譚集にね、似たような話があるの」

 二年程前、話の流れでこの事件のことが出てきた際にさくらがした話を、家に帰って店番をしている時に紗久羅はふと思い出した。勿論さくらは霧江とは違い、弾んだ声で楽しそうにそれを語ってはいなかった。いつも桜村奇譚集や妖の話をする時はテンションが高かったが。


「あまり目立たなかった女性がね、ある時から急に綺麗になってね……皆の注目を集めるようになるの。彼女は、ある人と出会ったことで変われたと話したそうだけれど、その人がどんな人であるかとか、そういうことは話してくれなかったみたいね。その人はどんどん綺麗になっていって、段々と人離れした輝きをもつようになっていった。妖しく、美しく、恐ろしい……そんな感じ。そして性格も段々と歪んでいってね……そして最後、彼女は自分の両親と妹を殺してしまうの。といっても本当に犯人が彼女だったかどうかは分からないようだけれど、多分そうだろうって。狂ったように笑う彼女の声を聞いた人が沢山いたらしいわ。けれど、村人達が駆けつけた時にはすでに彼女の姿はなくて。結局二度と村に戻ってくることはなかったそうよ」

 あの事件とあまりに似た話に紗久羅はぞっとした。


「いつもだったら、もしかしたら西原真紀さんとその女性がおかしくなってしまった原因は同じ人物にあって、しかもその人物は妖か何かで……彼女達に何かしたんじゃないかって考えるのだけれど。あの事件に関しては、ね……」

 そう悲しげな表情で言ったさくらの顔を思い出した。

 当時は二人共、妖など『人ならざる者』が存在することも『向こう側の世界』の存在も知らなかった。

 だから紗久羅も桜村奇譚集に載っていた物語と、あの事件が気持ち悪い位一致していることにぞっとしつつも、本気でその二つが繋がっているなどと考えはしなかった。だが、今は違う。

 何か不思議な出来事があると、すぐに妖や向こう側の世界と結びつけようとしてしまう癖をどうにかしたいとは思うのだが。一度自分の知らなかった世界を知ってしまうと、それを知る前の自分には戻れないらしかった。もう自分は根本的に一般人とは感覚がずれているのだ。



(もしかしたら美紀の姉ちゃんは、妖怪と出会って妙なことをされたか吹き込まれたかしたのかもしれない。そしてそのせいでおかしくなって、最後にそいつに唆されて歩美の兄ちゃんを……。凶器の刃の材質はよく分からないものだったらしいけれど、それが妖怪の持ち物だったとしたら納得出来る。あっちにはこっちにはないようなものが沢山あるし……って何を考えているんだあたしは!)

 首を横に振り、その考えを振り払う紗久羅だった。それから紗久羅はもやもやと霧江達への怒りなどを抱いたまま、店番の役目をしっかり務める。


 それから数日後の休日、紗久羅は出雲のいる満月館を訪ねた。目当てはいつも通り美味しいお菓子である。出雲は庭を望む、程よく和と洋の入り混じった部屋で紗久羅を迎え入れお菓子とお茶をご馳走してくれた。


「君って私のこと、お菓子ばら撒き機か何かと勘違いしてやいないかい?」

 自分との話などそっちのけで、クッキーやケーキをもぐもぐ食べている紗久羅を見て出雲は呆れ気味の様子。また、その問いに対して紗久羅は平気な顔をしてこくんと頷くのだ。


「勘違いっていうか、そうなんだろう? 美味しいお菓子が食えないなら、わざわざお前に会いに行きやしないよ」


「まあいいさ、私には分かっている。君がそういうことを言うのは照れ隠しなんだってことはね」


「何でそうなるんだよ!?」

 危うく喉にケーキを詰まらせるところだった紗久羅は紅茶で慌ててそれを流し込み、赤面しながら反論する。しかし出雲はにやにやするだけで、少しも動じていない。またまた照れちゃって、可愛いなあという様子がまこと腹立たしい。


「まあ、ゆっくりお食べよ。君がゆっくり食べてくれれば、それだけ一緒にいられる時間が長くなるから」


「じゃあ速攻で食う。食ってさっさと退散してやる」


「なんだかんだいって、結構私と長話してくれるくせに」

 紗久羅はぎくりとする。確かに気分によって変わるが、何時間も雑談して帰るということもないわけではない。紗久羅はぷいっとそっぽを向く。


「そんなのお前の気のせいだっての」


「ああ、紗久羅は可愛いなあ本当に。可愛いと思えば思うほどいじめたくなるなあ」


「うるせえ、この変態狐めが」


「ははは、まあ庭でも眺めつつ私と話ながらお菓子を食べてのんびりしていなよ」


(せわ)しないなあ、なんか」

 と言いつつ紗久羅は庭に目を向ける。以前の満月館の庭は洋風だったが(あまり眺めたことはなかったが)、ここが和風の屋敷に変わってからは庭もそれに合った雰囲気になった。模様のついた泡をぷくぷく出す鯉などが泳ぐ池があり、松の木や花が植えられている。盆栽なども幾つかあった。これら全ての世話は鈴がしているらしい。お前はやらんのかと聞いたことがあったが、笑顔でそんな面倒くさいこと誰がやるかと答えられた。誰がやるかってことをやっているちびっ子って……とそれを聞いて呆れて。

 華やかな庭も好きだが、こういう比較的落ち着いた雰囲気の庭もまた魅力的である。


(たまにはぼけーっと眺めるのも悪くないかもしれない)

 そう考え、クッキーの盛られた皿を手に縁側へ。そしてそこに腰かけ、足をぶらぶらさせながら庭を見る。出雲が隣に座ってしまったことは若干不満であったが、まあいいやと思い直した。

 庭の奥に植えられている花などは、どれも美しい。その中でもとりわけ美しい花があり、紗久羅の目をひいた。

 他の花に囲まれているその一輪の花は、丈がやたらと長い。紗久羅の背丈位はあるように見えた。翡翠色の茎から伸びる葉はしなやかな女の手に見え、艶かしい。それ以上に艷やかで妖しい輝きを放っているのはその頂きにある花だった。形としては蓮に似ており、夜空に浮かぶ銀色の月を思わせる色をしている。この花が人の姿をとったなら、出雲のように妖しくそして恐ろしい程美しい女性になるだろうと思った。

 紗久羅がその花に釘づけになったことに気がついたらしい出雲がふっと微笑む。


「あれは昼間よりも夜に見る方が良い。月の雫に濡れて輝く花は、恐怖すら覚える位に美しいよ。まあ、私には敵わないけれどね」


「あれって、この屋敷に変わってから植えたもの?」


「いや、ずっと前からあったよ。十年位前に手に入れたものだったかな。普通の花とは違って、別に地面に植えて水をやらなくても生きていられるものなんだよ。ずっと咲かせ続ける為には時々力を注いでやる必要があるがね。まあそれだって多少の間やらないでも大丈夫だけれど。……実はそれ以前にも全く同じ花を手に入れたのだけれど、手に入れたことに満足して当時の家にあった物置の奥に突っ込んでしまって。ふと思い出した時に取り出したら手遅れでねえ」

 存在を忘れていたようなものなのだから、あってもなくても別に困らない。困らないが、あったことを思い出した途端、無性に再び手に入れたくなってしまう。出雲も急に「ああ、再び手に入れたい」という思いに駆られ、この花を手に入れるべく奔走し、少し時間はかかったものの最終的には無事手に入れたようだ。今度はしっかり庭に植えてやり、きちんと育てている。といっても花が枯れないように力を注いでやっているのは出雲ではなく、鈴なのだが。


「何か気味悪い感じもするけれど、すごく綺麗な花だな」


「お褒めに預かり光栄だよ。ところで紗久羅」

 出雲は急に邪悪で冷たい笑みを浮かべた。その笑みに紗久羅の心臓は、体は一瞬にして凍りつく。そして出雲は紗久羅の耳元に唇を寄せ、囁いた。


「あの花はねえ……実は、人間なんだよ」

 その言葉に、そしてその声の冷たさに紗久羅の体はびくりと肩を震わせる。そして衝撃的な事実に何も言えず、呆然。どういうことだよ、などと叫ぶことなど到底出来なかった。まるで耳から体内へ無数の氷を流し込まれたかのようになっている。彼が冗談ぽく言っているのなら、何馬鹿なこと言っているんだで済ませられる。だが本気で言われるとそうはならない。彼が少しその気になれば、言葉や表情、そのオーラだけで容易に紗久羅を凍りつかせることが出来るのだ。

 出雲はしばらくの間何も言わずにいたが、ふと表情が和らいだ。そしてそれから愉快そうに声をあげて笑いだす。紗久羅は目をぱちくり。


「あはは、冗談だよ! あれは人間なんかじゃないよ。嫌だなあ紗久羅だったら、本気にしちゃうのだもの」


「て、てめえこの野郎!」

 紗久羅は自分がすっかり出雲の冗談に騙されたことに気がつくと顔を真っ赤にし、さっと拳を振り上げる。出雲はけらけら笑い、そうしながら衝撃的な言葉を吐く。


「まあ、人間を花に変えてしまう種っていうのも実在はしているんだけれどねえ」


「今度こそ騙されねえぞ!」


「本当なんだってば、これはね。人間にそれを飲ませると、種がその人の魂にくっつくんだ。けれど、どんな人間でもいいというわけではない。人の魂とは生まれつき、輝きをもっている。その輝きの度合いや系統は人それぞれだけれど。その輝きが強い人は、他の人を惹きつける力も強い。いるだろう? 特別顔が良いわけでも、何かに優れているわけでもないのに妙に周りから好かれる人とかさ」

 紗久羅は真っ先に美紀の顔を思い出した。彼女はまさにそんな人間だったから。とびきり可愛いわけでも、頭が良かったり運動神経が良かったりするわけではなく、性格がものすごく良いというわけでもなく、だが彼女は多くの人に愛されていた。魅力的な輝きが、人々を惹きつけた。


「経験や心身の成長がその輝きを増減させる。年頃の娘なんかは、特別輝きが強くなるね。そしてその輝きから『女』を感じるようになる。輝きを増した彼女達はまさしく花だ、花咲く乙女だ」

 けれど、と出雲は急に無表情になる。


「魂の輝きを生まれつきもたないものもいる。全くといっていいほどね。そういう人は兎に角目立たない。人を惹きつけないし、存在を認識され辛い。努力次第でどうにでもなる場合もあれば、どうにもならない場合もある。……さっき言った『種』はね、そういう輝きを殆どもたないまま成長した年頃の娘の魂にだけつくことが出来る」

 紗久羅はどうせまた冗談だろう、まあでも仕方ないから騙されてやろうじゃないか、という姿勢で出雲の話を黙って聞く。


「体内に入った種は、魂につく。そして外部から注ぎ込まれる妖の力に反応し、魂に根を張る。その根は、魂の周りを覆う『自分の世界を守る』という意思で作られた殻を突き破る。この殻というのは、まあ人が人として生きる為に必要なものだ。私からしてみれば馬鹿みたいな決まりごとを守り、他人が作り出した『常識』に縛られて生きるなんて阿呆らしいと思うが、君達にとっては何より大事なことらしい。そういうものを壊して生きる方がずっと楽しいのだけれど、まあそちらは置いといて。兎に角根はそういう殻を突き破り、魂からええと君達世界でいう『えねるぎー』というのを吸収し、かつ外側から送られる妖の力も吸収して成長する。成長した種は花のつぼみに姿を変え、強い輝きを放ち宿主に『仮初の輝き』を与えるんだ。まあ、宿主の魂から吸い取ったものも含まれているから完全にそうとは言えないけれど」

 だが基本的にその輝きはその花のつぼみのもので、宿主自体のものではない。もっとも、宿主本人はそんなことには気がつかず、自分自身の輝きであると錯覚するようだが。

 

「花は成長を続ける。一方で魂を覆う殻を壊していく。この殻が壊れていくと、決まりごとを守らなければとか、自分自身の世界を守り続けなければという気持ちが薄れていく。そして心は自由になっていくわけだ」

 そうして少しずつ、少しずつ宿主を壊していく。だが宿主自身は自分が壊れていっていることに気がつかない。むしろ魂が解放されていく思いに開放感を覚え、危機感は覚えない。


「花のつぼみは徐々に開いていく。その花びらが開くごとに、宿主の魂と同化していく。そして君達が人として最もしてはいけないと思っているだろう『殺人』を犯すとか、まあ完全に一線を超えてしまった時殻の強度が一気に弱まり、そして花の根によって完全に破壊される。宿主自身が一線を超えてしまったと認識する必要があるけれど。そしてその瞬間、花は魂と同化し、そして完全に開く……そうなると、その花に完全に乗っ取られた宿主はその身を花に変えてしまうんだよ」

 そう言って、出雲は微笑んだ。紗久羅は「ふうん」と言いながらも「よくもまあそんな話をぱっと思い浮かべてすらすらと話せるものだなあ」と感心する。

 実際にあったらとてつもなく恐ろしいとは思う。思いながらそんな風にして『生まれる』花というのはどんなものなのか想像してみる。


(もしかしたら、目の前に咲いているあの花みたいなのかも)

 などと思ったら、ぞっとした。もしあれこそが出雲のいう「魂を乗っ取られた人間の成れの果て」だとしたら、あれは一体誰なのだろうと。

 出雲が隣でくすくす笑う声が聞こえるまで、紗久羅は割と真面目にそんなことを考えていた。だが彼のいかにも「本気にして、お馬鹿さんだなあ可愛いなあ」というオーラによって我に返った。


(いかん、いかん。あいつの冗談を本気にするところだった!)

 紗久羅は本気で考えてしまった事実を隠そうと努めつつ、出雲に尋ねた。


「まあその花の話はどうでもいいけれどさ。……あそこに咲いている花って何て名前なの? 一応名前、あるんだろう?」


「そうだねえ……」

 出雲はすぐには答えなかった。それを見て「ああ、こいつのことだから花の名前なんて覚えちゃいないんだな」と紗久羅は合点した。彼は花の名前など本当にどうでも良さそうな人物だったから。

 しかし出雲は忘れた、とは答えなかった。しばしの間考え込むような仕草を見せた末に、微かに笑む。


「……月の様な色をしていて、まるでお姫様の様に美しい花だから『かぐや姫』」


「かぐや、姫」

 それを聞いた時、紗久羅の頭に再び浮かんだのは美紀の顔。


――おねえちゃんが、つきにかえっちゃった……――

 悲痛な声が引き金となり、紗久羅の中である恐ろしい物語が組み立てられる。

 新しい花の調達、地味な娘、花、急激な変化、恐怖する程の美しさ、一線を超える、行方知れず、かぐや姫……。

 だがその最悪の『妄想』物語が出来上がる寸前に出雲が声をかけてきた。


「どうしたんだい、紗久羅? さっきの話のことをまだ考えているのかい? 本当君は可愛い子だねえ」


「ってやっぱりあれは嘘……い、いや分かっていたけれどね! そ、それに別にそのことを考えていたんじゃないからな。昔のことをちょっと思い出していただけだよ」

 本当かなあ、とにやついている出雲を小突いてから紗久羅は縁側を後にした。その時にはもう、あの馬鹿げた物語は紗久羅の中からすっかり消え去っていた。

 そんな彼女に続くようにしてゆっくりと立ち上がった出雲が、小さな声で呟く。


「そういえば『あちら』の花ももう少しすれば咲くかな……ふふ、楽しみだ」


「何か言ったか?」


「いいや? 何にも。さて、お茶の続きをしようか」

 そんなことを話す二人の姿を、花はじっと見つめている。


 美しくも哀れで愚かな『かぐや姫』は月に帰ることなく、異界に一人、咲く。

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