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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
花咲く乙女
232/360

花咲く乙女(12)

(さて、行ってきますか。……今日は鬼に会わなければいいけれど)

 幸い、三つ葉市を散策している間は鬼と遭遇しなかった。だから自由気ままに、そこそこ楽しく遊ぶことが出来た。鬼のことを警戒する気持ちも軽快な気持ちに削られていき。

 冬の風の羽衣身にまとい、舞うように街中を歩く。その姿に誰もが目を奪われ、命を削られ恐怖に震えつつ魅了されて。逸らそうと思っても逸らせない瞳、瞳、瞳。この世にある全ての瞳、視線が自分のものであるかのように錯覚してしまう位だ。

 飼い主に連れられて散歩している犬達は皆、真紀に会うとうるさい位吠える。その声には怯えが混ざっている。可哀想に、怯えてしまってと彼等に哀れみとありったけの愛を微笑みと共に送る。そうすると、犬は黙ってしまう。その姿がまた愛しく、そして面白かった。


 あらゆる者を馬鹿にし、哀れみ、愛しながら一日を過ごし気づけば夕方になっていた。夜の訪れは近い……真紀にとっては朝よりも夜の方がずっと愛おしい。太陽なんて昇らなくてもいいとさえ思う。


(だって私が一番輝けるのは夜ですものね!)

 それから三つ葉市を後にし、桜町のはずれの方にある桜山へ。建物の数も町の中心に比べるとかなり少なく、人通りもぐっと少なくなる。こちらの方へ来る人の殆どは、小さな喫茶店『桜~SAKURA~』が目的で、それ以外の所にはあまり足を運ばない。そもそも足を運ぶような場所が殆どないのだ。

 出雲はもう来ているだろうか。そんなことを思いながら目の前にある山を目指し、歩き……始めようとした時だ。


 あの、もう何度も感じた気配を背に感じた。振り返るとそこには鬼が立っていた。まさかこんな所で会うとは思っていなかったから、真紀は驚いた。

 鬼はしばらく無言でいたがやがて何かを決意したかのようにこちらへ向かって走ってきた。今回はとことん真紀を追いかけるつもりであるらしいことが、その走り方で分かった。真紀は絶叫し、山へ向かって走った。真紀は本気で走った。今まで出したことのないスピードが出ている。もしかしたら普通の人には出せないようなスピードであったかもしれない。

 鬼が何か叫んでいる。とてつもなく恐ろしい声で。その声に心臓を握られながらも真紀はただ走った。

 山の麓、桜山神社の社へ続く階段の前に出雲は立っていた。真紀は更に足を早く動かし彼の所まで行き、その胸に勢いよく飛び込んだ。


「何だい、どうしたんだい」


「お、に、お、お、おに、おに、鬼が!」

 それしか言えなかった。震えながら振り返れば、二人から数十メートル程離れた所で止まった鬼の姿があった。鬼はそこから動かず、二人のことをじっと見つめている。

 出雲は真紀の体を抱き寄せ、その耳元にあの甘い声で囁く。


「確かに鬼だね。……真紀、あれを持っているんだろう? 持っているなら、使えばいい。そうすれば全てが終わるから」


「でも……こ、殺すことなんて」

 彼の頭も感覚も麻痺させるような声を聞いてもなお、真紀は躊躇った。相手はかなり人間に近い姿をしている。その為か、人を殺してはいけないという『決まり』が頭をよぎってしまう。相手が猫やうさぎのような生き物だったとしても、殺す決心はつかなかっただろう。

 鬼は今のところ距離を縮めようとはせず、その場に突っ立ったままだ。だがいつまでその状態が続くのか分からない。決着を着けるなら、さっさと着けた方がいいと思うのだがそれでも体は動かないし心も縛られたままだ。

 震える真紀になおも出雲は悪魔の囁きを注ぎ続ける。


「君にはあれが人に見えるの? だから殺せないの? 人を殺してはいけないから? そんな決まりなんて、無視すればいいじゃないか。無闇に生き物を殺してはいけないとか、倫理がどうとか、そんなものはくだらない。君には必要のないものだ。決まりは人を縛るだけ、自由を奪うだけで何もしないよ」


「で、も」


「真紀。あれは人じゃない、そうだろう? 彼は鬼なのだろう? 人を殺してはいけないという決まりはあるけれど、鬼を殺してはいけないという決まりはないよ。だから少しも遠慮する必要なんてないじゃないか」

 出雲は真紀のバッグを勝手に開け、そこからあの小刀を取り出す。そして真紀にそれを手渡した。ずしりとした重みが心も沈めて、苦しくなる。


「彼は鬼だ、鬼を殺しても誰も咎めやしないよ。鬼は悪しき者だ、禍つ者だ。君がまだ決まりがどうと言っているのなら、見方を変えればいい。あれは鬼だから、殺しても決まりを破ったことにはならないと……」

 残酷な冷たさをもつその声が、真紀の中へとくとくと注ぎ込まれていき頭がぼうっとしていく。迷いも意識と共に遠くへといって、消えていった。

 鬼だから、殺しても良いのだという彼の声が体中で何度も何度も繰り返される。そしてそれが真紀に、動け、殺せと命令した。

 目の前にいる鬼はまだ動かない。逃げもしないし、こちらを襲おうともしない。


(今だ、今のうちに……そうよ鬼を殺したって誰も私を咎めない。だってあれは人じゃないもの、大丈夫よ……私は昔の自分と完全にさよならするの、不要な部分は切り捨てて更に生まれ変わる)

 ゆっくりと鞘を抜く。きらきらと輝く刃は悪しき者を殺めるにはあまりに美しすぎた。

 自分と別れ、そして『恐怖』という今の自分に似つかわしくない感情を与える者と別れ、新しい一歩を踏み出す。そうしたいという気持ちが、とうとう真紀を動かした。


「石ころなんかに戻されてたまるものですか! お前の思い通りになんて絶対にならない!」

 心に沈んでいた重いものを吐きだすように叫び、刃を鬼の方に向けたまま一直線に駆けた。鬼は予想だにしなかった真紀の行動に呆然としたのか、逃げなかった。ただ二三歩後ずさりしただけ。

 どん、という鈍い衝撃と共に鬼の腹に刃が突き刺さる。耳を塞ぎたくなるような声が辺りに響き渡る。

 鬼は体から力が抜けたのか、呻きながら地に倒れた。しかしまだ死んではいない。


(殺さなくては、ここで完全に。鬼だもの、きっとこれ位の傷訳ないに違いない)

 そう思った後は、鬼に馬乗りになってただ無我夢中でその刃を抜いては刺し抜いては刺しを繰り返した。最初はその感覚が気持ち悪くて、嫌で嫌で仕方なかったが何度もやっている内その感覚さえ麻痺してどうでも良くなっていく。

 肌と同じ色をした真っ赤な液体が何度も飛び散って、辺りを赤く染める。冷たい気を放つ鬼なのに、それは人のものと同じく生暖かい。

 これで全てが終わる。ここまでしたのだから、自分は幸せにならなければいけない。


 息が切れる程激しく体を動かし、そして止めに――いや、もうとっくに死んでいたろうが――刃を心臓の辺りに突きたて、ようやく真紀は止まった。

 不快な匂いが漂い、気持ち悪い。その匂いを吸い込んでは吐き、繰り返す呼吸は荒い。両手は鬼の体のように真っ赤で、自分の手ではないようだ。


(ああ、これで鬼は死んだ。鬼は……)

 ようやく息が整ってきたところで、真紀は鬼の顔を見た。その死に顔を確認しなければ安心できなかったからだ。

 だが真紀はその顔を見て安心するどころか、混乱することになる。

 そこにある顔を見た瞬間、時間が止まり世界は活動をやめる。辺りの景色は真っ白で、ただ馬乗りになられている死体だけが真紀の瞳に映りこんだ。


 真紀の下についさっきまでいたはずの鬼はいなかった。……代わりに、そこには。


「さ、笹屋、君?」

 そこには変わり果てた姿の秀人がいた。角も鋭い歯も当然なく、髪も白くないし長くもない。黒い瞳には生が宿っておらず、虚空を見つめるのみ。肌は赤いが、それは元々のものではなく自身の体から流れ出た血によるものだ。

 鬼はどこにもいない。そこにいるのは秀人だけ。真紀にはその状況が理解出来なかった。何故鬼が消え、代わりに秀人がいるのか。そしてどうして……。


「さ、笹屋君。なん、で、なんで、し、死んで……死んでいるの?」

 不安や戸惑い、恐怖でようやっと絞り出した声に秀人は答えない。何故なら彼はもう死んでいるから。

 その問いに答えたのは自身のすぐ後ろにいつの間にかいた者だった。


「何故って? そんなの簡単なことさ。君が殺したからだよ」

 触れたもの全てを壊してしまうのではないかと思える位冷たい手が真紀の体に触れる。夜の川、或いは死の川の水のような髪が、体を撫でる。柳の葉の形をした瞳、赤い唇、雪のように白い肌をすぐ背後に感じた。

 真紀に信じられない言葉をつきつけたその声に優しさはない。ただ、冷たい。しかしどこか嬉しそうな印象も受ける。まるで腹を抱えて笑いたいのを必死にこらえているかのような。


「聞こえなかった? それならもう一度言ってあげよう。笹屋秀人が何故死んでいるのか、それは君が彼を殺したからさ」


「そ、んな」

 そんなことがあるはずない。自分が殺したのは秀人ではなく、鬼だったはずだ。真紀には今見ている光景が、そして出雲がつきつけた事実を信じることができない。

 これは何か悪い夢だ、鬼が見せている幻だと思い込もうとする。だがそうして守ろうとする心を、出雲がずたずたに切り裂いていった。


「真紀、君が殺したんだよ。君を元の君に戻そうとした『鬼』こそが笹屋秀人だったんだ」


「嘘、鬼が……笹屋君」


「私が君に以前言った言葉が、きっと君の頭の中に残っていたんだろうね。覚えているかい、私が以前言ったことを。君が彼に私ともう会わない方がいいと言われた日の夜のことだったかな? 君は私と会わなくなれば、元に戻ってしまう。だからそうして君と私を引き離そうとする彼は、君を石ころに戻そうとしている鬼のようだねと言ったんだよ、確か」

 真紀はその時のことを思い出した。その時真っ赤な体の、頭に二本の角を生やした恐ろしい鬼の姿を思い浮かべたことも。


「彼は、その後も諦めなかったのだろう。そしてその気持ちは、君が私のような化け物に近づけば近づく程強くなった。君が愛した時間を、彼もまた愛していた。君がその時間を取り戻したかったように、彼もまたその時間を取り戻したかったのだろう。彼は君を元の『人間』に戻そうとしたんだ。それはきっと人として正しい行いだったろうね。だが、彼のその強い意志と私の言葉が混ざり合った結果……君の目に、彼の姿が恐ろしい『鬼』として映るようになった。元の君に戻そうとする彼は、君にとってはまさに鬼だった。元に戻るということは、石ころに戻るということだから」

 

「で、でも笹屋君が普通の人に見えていたことだって、あったわ」

 心を引き裂かれ、悲鳴をあげるようにしながら訴えた。しかしその言葉さえあっさり出雲は切り捨てた。


「彼だって四六時中君のことを考えているわけではないだろう。君をどうにかしたい、と強く願っていない時には人間の姿に見えたんだろうさ。彼がもつ心や意志を感じ取った時だけ、君の目には鬼として映ったんだ」


「そんな……」


「周りの人には『鬼』は見えなかった。君だけだよ、鬼を見たのは。……ねえ真紀、君は最後まで彼の気持ちに気がつかなかったね。可哀想だねえ、彼は。真紀、彼は心から君のことを大切に想っていたんだ。好きだったんだよ、真紀のことが……女の子として」

 体を稲妻が走ったような衝撃が襲う。目を大きく見開き、口から息がもれ、胸がかあっと熱くなった。


「今の君ではなく、地味で目立たないけれどそれでも自分に愛しい時間をくれた昔の君のことをね。同情や哀れみではなく、心から一緒にいたいと思ったから彼は居たんだよ君の傍に。それを君は最後まで分かってやらなかったね。自分は石ころだからと卑屈になって、ひねくれた考え方をして、皆の気持ちを素直に受け取らず、そしてますます卑屈になって……とても愚かな子だよ、君は」

 秀人が自分のことを好きだった。その言葉を聞いても真紀は簡単に信じられなかった。


「そう、なの? そうなの、笹屋君……ねえ、答えて」

 瞬きもしないその瞳を見つめ、頬に触れて尋ねても答えは返ってこない。涙が溢れて止まらない。もう一度聞いてみるが、結果は変わらなかった。


「駄目だよ、もう手遅れだよ真紀。だって君が殺してしまったんだもの。人の思いと真正面から向き合わず、どうせああだこうだと決めつけて。その結果がこれだよ。やっと正面から向き合おうと思った時には、もう手遅れだ」

 それから出雲は笑った。その冷たい笑いはぐさぐさと真紀の体を刺す。


「人殺し」

 真紀の体がびくんと動く。


「彼は本当の鬼じゃなかった。君の目に『鬼のように』映っただけでね。彼は正真正銘の人間だ。……真紀、この世には人のことを殺してはいけないという決まりがあるね。ましてや理由が身勝手なものならなおさらだ。多分あれは人を人たらしめる為に必要なものなのだろうね。そしてそれがこのくだらない世界を平和にする。でも真紀、君はそれを破ってしまったね。その行為は世界を乱す……この『桜町』という小さな世界をね。まさに化け物だねえ。この世を乱す化け物。真紀、君は決まりを破った。人が人である為のものを破った。だからもう君は……人間じゃないね」


「人間じゃ、ない」


「そしてもう君は引き返すことが出来ない。もう取り返しのつかないことをしてしまったから。……人としての君と、もうお別れだねえ?」


「人間じゃ……」

 秀人を見る。あんな惨めな自分を彼は好きだったという。だがそれが真実であるのかどうか、もう確かめる術はない。どちらにせよ、もう真紀は彼を手に入れることもあの時間を取り戻すことも出来ない。

 そのことを思った時、ようやくはっきりと自分の気持ちに気がついた。


(そうだ、私も同じだった。私も笹屋君のことが)

 気づきそうで気がつけなかった想いに気づいても、心は晴れなかった。むしろ気がつかないままでいた方が良かったとさえ思う。もう彼は死んでしまった、自分が殺してしまったのだ。

 彼の笑顔を思い出す。とても優しくて穏やかな笑顔だ。その笑顔がどれだけ自分の心を救っていたか、彼は知らないまま逝ってしまった。


(化け物……そう、もう私は完全な化け物だ。私がもつ輝きは人のものではない。そして私は人を殺した。勝手な理由で、それもこれ程までに惨たらしい姿にするまで、何度も刃を突きたてた)

 自分の体は彼の血で染まっている。その手はまるで化け物のそれのようだった。

 もう何もかもどうでも良くなってしまった。彼を殺した自分のことも、人としての自分を失ったことも、決まりを破ったことも、そういった決まりそのものも……秀人のいない世界も。全てがどうでもよくなってしまった。

 どうにでもなればいい。もう知ったことじゃない。


「もう君は、人間じゃないねえ」


「あは、はは、ははは……ははは」

 口から漏れるのは笑い声だけ。その声は段々と大きくなっていき、途中から笑いなのか悲鳴なのか分からないものになっていった。狂ったように笑った。ただ笑い続けた。笑いすぎて涙が出る。涙は頬を伝い、変わり果てた秀人の体に落ちていく。

 笑って、笑って、笑って、声が枯れてもなお狂ったように笑った。いや、狂った『ように』ではない。

 もう彼女は完全に狂っていた。とっくの昔に。


 そして最後、真紀の胸の中でぱきん、と最後の殻が割れる音がした。それと共に自分の中の『花』が咲いたのを感じた。完全にそれは花開いた。とてつもないエネルギーが怒涛の勢いで胸から全身へと流れていった。同時に意識が薄れていく、世界が真っ白になって秀人の姿ももう見えない。

 真紀はもう自分は家に帰れないことを悟った。美紀との約束は果たせそうにない。そのことが今の彼女にとってほんの少しだけ気がかりだった。


「やれやれ、ようやっと手に入った」

 出雲の声が聞こえる。真紀は出雲と初めて出会った時、彼は何かを探しに来ていたと言っていた。そしてそれが手に入りそうだということも聞いた。


(どうしてそのことを今になって思い出したのだろう……)

 体が内側から破壊されていくような、奇妙な感覚。その感覚がはっきりすればするほど意識は遠のく。


「約束は守るよ、私ってとても優しい人だから。君を『向こう側の世界』に連れて行ってあげる……」

 その言葉を聞いた直後、もう完全に真紀の意識はなくなった。


 そして、真紀の全てが終わった。秀人の全てを終わらせたのと同時に。

 乙女は花を咲かせ、そして人生を散らす。 

 

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