花咲く乙女(3)
*
真紀は公園へは真っ直ぐ行かなかった。わざわざ遠回りして、しかものろのろと歩いていた。それは意識的に行なっていたことではなく、殆ど無意識の内に。足は鉛のように重く、心も今は鉄球のようだ。
どうあっても自分は最後にはあの公園へ足を運ぶ、そのことは分かっている。
だがそれでも自分はどうすればよいのだろうかという迷いがあった。どうせ抗えないんだし、などといって素直に真っ直ぐ公園へ向かおうとは到底思えず、そしてその思いが無意識の内に彼女の足を公園から遠ざけていた。
本当にこのままでいいのだろうか、どうにかして逃れる方法はないだろうか。
今の彼女の頭はそのことでいっぱいだった。出雲と再び会えば、何をされるか分からない。人を惹きつけ、そして近付いた者をその身に含んだ毒で破滅へと導いていく……人々はそれが分かっていながらも、彼から逃れられない。
ああ美しき毒の花。その花に真紀の体はすでに侵されている。男の甘い吐息が、冷たい唇が、舌が、白い肌が、今なお彼女の体に絡みつき、入り込み、侵し、犯し……。体が震え、疼き、燃える。僅かな時間言葉を交わし、触れ合っただけでこのザマだ。もし今日も彼と会ったら、今日だけでなく毎日彼と会い続けたら?
(きっと自分は自分でいられなくなっていく……どんどんあの毒に侵されて、体は崩れて壊れていく……ただ人と会っただけでそうなるなんて、そんなの有り得ない、でも実際私は……)
確かにあの男、出雲と共に時間を過ごすだけで今までの自分とはさよなら出来そうではある。しかも短期間の内に変わっていくことだろう。だが、その変化の先には必ず破滅が待っている。そのことを真紀の中にある『人として生き続けたい』という本能が訴えていた。化け物的である人間、出雲……彼と会ってはいけない、強い気持ちを持って彼と会わないようにすればまだ引き返せるかもしれないと全身が叫んでいる。
しかしそう思う一方で、彼と再び会いたいと望んでいる自分もいた。彼に触れられることで得る快楽にもっと溺れたい、彼の手で自分の人生を変えてもらいたいとも思っている。最後には破滅を迎えてしまうとしても、現状を変えてくれるのならもう何だって構わなかった。
(あの人なら、きっと私を変えられる。私だけの力ではどうにもならないことも、きっとどうにかしてくれる。馬鹿げた幻想を、疑いもなく信じられる位のものがあの人にはある……)
触れて欲しくない、でも触れて欲しい、逃げたい、逃げたくない、会いたくない、会いたい、この身をその毒でもっと侵して欲しい。
首を横に振り、その恐ろしい考えを振り払おうとする。人を、平穏な生を捨ててまで咲かす花に果たして意味などあるだろうか?
(いいじゃないか、例え理由が何であれ私のことを見てくれて、私に穏やかな時間をくれる人がいるのだから。友達とも呼べず、かといって恋人とは決して呼べない関係だけれど……それでも彼は私と話してくれる。あの人との時間を大切にしながら、それなりに平穏な日々を過ごせばいい……。私には美紀だっている。あの子は私のことを本当に大切に思ってくれている。いいじゃない、それで充分じゃない、笹屋君と美紀さえ居てくれれば、石ころのままだって……そうすればトラブルに巻き込まれたり、いじめられたりもしない)
そう言い聞かせるが、矢張り『花』への未練は断ち切れない。その二人だけでなく、他の人の目にも触れられる人間になりたいと望む。しかしそれは自分の力でどうにかなるものではないと真紀は思った。幼い頃よりますます内向的で後ろ向きになってしまった性格を変えたり、おめかししたりしただけでは石ころを卒業出来ない。もっと根本的な、生まれついた時からもっているものを変えなければいけないのだ。
月を思わせる肌、暗闇の下で流れる川の様な髪、星空を閉じ込めたような瞳――出雲という男にあるのは『夜の住人』というイメージだ。昼の住人である自分とは全く違う世界に生きている人に思え、そういう人だからこそもっているものもあるのだと真紀は思う。そんな人物なら今の自分をどうにかしてくれると心から信じられる。
(平穏を選んで石ころのままでいるか、それとも破滅を選んで石ころから卒業するか……)
真紀は悩む。頭は痛く、胃もきりきりと痛む。心臓の鼓動は早いままで、足は重い。早く決めなければいけない。前者を選んだのなら、公園へ足を運ばないよう、毒に負けない強い意志を持たなければいけない。そちらを選び、強い意志をもったところでどうにもならないかもしれなかったが。
どうしよう、どうしよう……ぐるぐる回る思考に頭がくらくらして、目をぎゅっと瞑る。その時聞こえてきたのは小さな子供達の笑い声だった。
声はすぐ近くの空き地からした。その空き地は子供達の遊び場になっていて、いつも賑やかだ。真紀の家からも極端に離れておらず、幼い頃は何度かそこで遊んだことがあった。といっても遊んでいる内皆して真紀の存在を忘れていき(意図的でないことは、幼い頃の彼女にもよく分かっていた)、いつもとぼとぼと家に帰る羽目になった為、あまり良い思い出は無いのだが。
空き地の前で足を止めると、男の子と女の子合わせて七人で遊んでいる姿が見えた。手には新聞紙を丸めて作った棒を握っており、元気な声をあげながらチャンバラをしている。今時珍しい光景だと真紀は思った。蛙の帽子を被っていたり、折り紙で作ったメダルを首に提げたりしている子や、ジュースの紙パックらしきものをトランシーバーに見立て、会話をしている子供もいる。男とか女とか、そんなもの関係無しに彼等は楽しく無邪気に遊んでいて、浮かべる表情も羨ましい位生き生きしている。彼等は皆、輝いていた。
「いけいけ、そう、そこだそこだ!」
そんな中でも一際眩い輝きを放っているのは、ピラミッド状に積み重ねられた三つの土管の上に立っている少女だ。
歳は皆と同じ小学一年、肩ほどまで伸びているさらさらで真っ直ぐな髪が風に揺れている。黒と白のチェックの可愛らしいワンピース、頭と首には折り紙で作った鎖。冠、及び首飾りといったところか。彼女もまた右手に新聞紙を丸めた物を持っている。
「ああ、負けそう! ええい、これ以上黙って見ていられない、私も戦うぞ!」
威勢のいい言葉を口にしたかと思うと、彼女はぴょんと飛び降りて地上で行なわれていた戦いに混ざる。今まで土管の上で見守っていたところを見ると、どうやら下で戦っているどちらかのチームのボス役であるらしかった。
他の子供達の中に混ざっても、彼女の姿を見失うことはない。それだけ彼女は他の子以上に輝いていたのだ。
(美紀……)
今他の女の子とチャンバラをしているその少女は、真紀の妹の美紀だった。
太陽のような輝きを常に放って彼女は生きている。生まれつきそうで、容姿も運動神経も勉強も抜きん出て良いというわけではない(何でもかんでも平均的な真紀に比べれば優秀だったが)し、奇抜なことをしたり、変なことを言ったりするわけでも、おしゃべりが群を抜いて上手いわけでもないし、何か一つのことに特化しているということもないのに、とても輝いていて、常に目立っている。生まれつきもっている輝き、魅力的なオーラと呼べるものは人を惹きつけ、虜にする。その輝きに彩られた喜怒哀楽の表情は誰が見ても魅力的で、ずっと見ていても飽きない。
そんなわけだから、彼女の周りには常に人がいた。その中心で彼女は輝き、人々を照らすのだ。彼女と自分が実の姉妹であることは俄かには信じられず、もしかしたらどちらかが両親の本当の子供ではないのではないかとさえ思う。
美紀を見る度、彼女の傍に立つ度真紀はとても惨めな思いをする。それは普段感じる惨めさとは比べ物にならない位で、死にたいとさえ思うことさえあるほどだ。美紀のもつ輝きが、真紀を笑う。ただでさえ痛い頭がますます痛くなり、重い心がずっしりと更に重くなった。
活発そうな女の子とチャンバラをしていた美紀が、空き地の前で突っ立っている真紀の存在に気づく。彼女はとても嬉しそうな表情を浮かべながらとてとてとこちらまでやって来た。真紀は複雑な心情を隠して微笑み、彼女と視線を合わせる為にしゃがむ。
「お姉ちゃん! おかえりなさい!」
「うん、ただいま。……今日も元気に遊んでいるわね」
その言葉に美紀は首がもげてしまうのではないだろうか、と心配になる位元気よく頷いた。真紀はそんな彼女の頭を優しく撫でてやる。幸せそうに目を細める美紀が、たまらなく愛おしい。愛おしく思えるからこそ、余計に苦しい。
「今日はね、新聞紙の剣で遊んでいるの。先生がねうんと小さい時にやっていたってお話を聞いたら、面白そうだったの。私はね、戦うお姫様の役なの。後はね、王子様とか海賊とか色々な役の人がいるの」
「そう、とても楽しそうね」
「とっても楽しい! お姉ちゃんも一緒に遊ぼうよ」
「お誘い感謝するけれど、遠慮しておくわ。皆と楽しく遊んで頂戴」
苦笑いしつつ美紀の着ている服に目を向ける。そのチェックのワンピースに見覚えがなかったからだ。美紀は姉が自身の服に目を向けていることに気がついたのか、スカートの裾を左手で軽くつまむ。
「あのね、これ、お母さんに作ってもらったの。帰ったらこれをくれてね、嬉しくてね、すぐに着たの」
ずしり、再び重くそして冷たくなる心。その心が叫んだ……またか、と。
先月も母は美紀に服を作っていた。ピンクの可愛らしいスカートで、今でもそれを彼女はよくはいている。母が美紀の為に作ってあげた服の数は二十を軽く超えていた。服だけではなくちょっとしたアクセサリーも作ってはあげていた。上着、スカート、ワンピース、髪飾り……あらゆるものを作っては美紀にあげ、そしてそれを身につけた彼女の姿を見て幸せそうに笑うのだ。
勿論真紀だって幼い頃に母に服や小物を作ってもらったことはある。母は洋服や小物を作るのが大好きだった。しかし真紀の為に何かを作ってくれた回数は、美紀のそれより圧倒的に少なかった。気のせいなどではないと言い切れる程の差があった。
「ねえ、似合う? 似合う?」
「え……ああ、うん似合っているわ。とっても可愛い」
やったあ、と美紀は無邪気に両手を挙げて喜んだ。彼女は純粋に喜んでいるのだ。その喜びに、真紀を蔑む気持ちは微塵も含まれていない。そんなことは真紀にだって分かっている。分かっていても、悲しくなってくる。自分がどんどん惨めになっていく。
その惨めな気持ちがある人物の姿を脳内に形作っていく。美しく妖しい毒の花。その人はにこりと笑った。
脳内に現われた彼が真紀に微笑んだ時、彼女はあることを決心した。その決意に打ち震える真紀の体。あらゆる感情がその中に混ざっていた。
「……どうしたの、お姉ちゃん? 何だか具合悪そうだよ?」
「何でもない。……美紀、家に帰ったらお母さんに伝えてくれる? もしかしたら少し帰るのが遅くなるかもしれないって。そんなに遅くならないかもしれないけれど」
美紀が不審に思わないよう、なるべく優しく、そして普段通りの声色でお願いした。震え、上擦る声をどうにかするのは大変だったが、どうにか上手くいったと真紀は思った。美紀は真紀がどんな思いでそのようなことを言ったのか気づきもせず、元気に頷いた。
「分かった、ちゃんと言うね」
「ありがとう。それじゃあね、お姉ちゃんもう行くから。友達と遊んでおいで。でも、あんまり遅くまで遊んでいちゃ駄目よ。もう少ししたら、ちゃんと帰りなさいね。大分暗くなってきたし」
「うん、大丈夫! 後ちょっとしたら、帰る!」
そう言って元気よく友達のいる方へと走っていく彼女の後姿を見送り、空き地から離れる。
思うように動かない足を無理矢理動かし、ある場所目指して歩く、歩く。どくんどくんと音をたてて、心臓が叫んでいる。本当にその選択肢でいいのかと、今ならまだ間に合うと……。だが真紀はもう、選んだ道を変えはしなかった。
真紀がまだ小学生だった時、母から「真紀、貴方お姉ちゃんになるのよ」と言われた時大層驚いた。この歳になってから妹もしくは弟が出来るとは思いもしなかったからだ。最初は喜ぶとかなんとか以前に驚いたが、徐々に嬉しさがこみ上げてきた。妹や弟が欲しいなあと何度か考えたことがあったし、姉になることで地味な自分を少しは変えられるかもしれないと思った。
そして夏、美紀は産まれた。わくわくしながら病院へ行き、興奮した顔で産まれたばかりの妹を見た。大きな頭、小さな手、真っ赤なほっぺ……その姿に美紀は一瞬で心奪われた。人を惹きつける強い力をその小さな体から感じとった。自分がそれを一切持っていないから、敏感にそれを感じ取ったのかもしれない。それでも始めの内はその力が、赤ん坊だけが限られた期間だけもつものなのか、そうではないのか判別がつかなかった。
美紀は両親や真紀、近所の人や親戚の人……多くの人々に愛されてすくすくと育った。少しずつ大きくなっていっても、真紀が感じ取ったあの強い力が消えることはなく、むしろ強まるばかり。赤ん坊の時から今に至るまで、彼女は常に輝いていた。美紀は沢山の人から大いに愛され、可愛がられて育った。過剰なまでの愛情を注がれてもその人格が歪まず、我侭な子にも、人のことを馬鹿にして自分が一番だと威張りくさるような子にもならず、心身共に健やかに成長した。気持ち悪い位良い子……ということもなく、程よく良い子、時々悪い子、美紀はそんな子だった。
彼女は誰からも愛された。周りの人が注ぐ愛情の量は、真紀に注いだものより遥かに多い。比べることが馬鹿らしいと思える位だ。彼女は何をしても目立ち、特別なことをせずとも人が寄ってくる。友達などいないに等しい真紀とは違い、美紀には大勢の友達がいた。生きている年数が十年も違うというのに。
(あの子が産まれてからというもの、私はますます惨めな思いをするようになった)
まるで自分とは違う妹、その妹が輝けば輝くほど真紀は自身の輝きのなさを思い知らされる。そして思い知る程苦しく、惨めになっていく。惨めになればなるほどますます美紀は輝いて見え、そのせいでより惨めになって……そんな負の連鎖が延々と続くのである。
美紀のことは決して嫌いではない。むしろ大好きだ。妹として本当に愛しく思っていたし、大切な家族だと思っている。いっそ嫌い、憎めればもう少し楽だったかもしれないと真紀は思う。好きだからこそ苦しく、辛い。憎むことも、突き放すことも出来ず、嫌でも美紀との違いを思い知り続けなければいけない。
(美紀は愛されている。誰にも忘れられることはないし、友達だって沢山いる。彼女は大きくなったらとても素晴らしい花を咲かせるのだ……私とは違って。誰もが私よりも美紀を選ぶだろう。きっと笹屋君だって……被害妄想なんかじゃない、絶対にそうだ。私が美紀以上に大切にされることなど決してない……こんな私を、誰にも大切にされず、視界にも入れてもらえない石ころの私をあの人なら変えられるに違いない。もう迷わない、拒絶しない……)
最終的にどうなろうと知ったことじゃないと真紀は思った。一度そう思ったら、男への恐怖も破滅の道を辿ることに対する躊躇いも消えてしまった。消えたら楽になって、歩くスピードも速くなっていく。
(石ころのままでいたくない……私も美紀のように輝くんだ。花を咲かせてやる、花を……)
今まで抱いていた惨めな気持ちを放出しながら歩く内、例の公園に着いた。
もしかしたら男はいないのではないかと少し不安に思ったが、青いベンチに着物を着た人物が座っているのを見て安堵。ベンチに座って自分を待っている男に吸い寄せられるようにして真紀は進む。
ここへは自ら望んでやって来た。それでもおぞましい程美しい彼の気にあてられた途端、胃がきりきりと痛み、恐怖が押し寄せ、泣き喚きたくなる。覚悟を決めた位で克服出来る程、彼のもつ力は弱くないのだ。
出雲は真紀が目の前までやって来ると満足そうに笑み、ゆっくりと腰を上げる。その所作も実に優美で、流れる冷や汗を拭うのも忘れて見惚れてしまう。
「やあ、真紀……で良かったかな」
「あ、は、はい!」
「こんにちは……いや、もうこんばんはといった方が良いかな? ふふ、きっと君は今日もここに来ると思っていたよ。君に私を拒むことは出来ない。親切な申し出を蹴るなんて愚かな真似をするような娘じゃないものね?」
彼は昨日と同じように、その冷たい両手で真紀の顔を包み込む。あまりの冷たさに心臓が凍りつきそうになり、とても苦しい。一方その手で触れられることに喜びを感じていた。
「……貴方なら、私を石ころから花へと変えられるんですよね」
彼の問いには答えなかった。出雲はくすくす笑いながらそのあまりに整いすぎた顔をぐいっと近づけた。吐息が真紀の顔にほう、ほうとかかる。その度真紀は全身が蕩け、倒れそうになる。
「そう。君の『花』を咲かせてあげる。蕾のままで一生を終えようとしている哀れな花を。君を人並みに、いや、人並み以上に輝く存在にしてあげる。私に全てを委ねてごらん。……悪いようにはしないから」
「い、一体どんなことをする、ん、ですか……? 花を咲かせる為に」
吸い込まれそうな瞳、甘い吐息にくらくらし、貧血で倒れる寸前のような状態になりつつも、真紀は思い切って尋ねた。もしかしたらとてつもなく恐ろしい方法を使うかもしれなかった。そういうことをやりかねない人に見えたから、不安になる。
出雲は何も言わず、彼女をベンチに座らせ、自身もその隣に座る。真紀の耳に囁く、声。
「大丈夫、腸を引きずり出すとか、そんな恐ろしいことはしやしないよ。私の傍にいればいい。私の声が、肌が、私の持つ全てが君の体に染みこんで、奥の奥で固く結ばれた花を引っ張りあげて、そしてその花弁を一つずつ開かせる……。きっと、他の人には決して咲かせられないような花が咲くだろう。この私が咲かせるのだから。人とは違う花はきっと目立つだろうね」
足の上に置いた真紀の手に、出雲が触れる。体もぴったりとくっついていて、その美しい顔がすぐ真横にある。それだけ密着されても嫌悪感はなかった。この美しい人が私に触れている、それを思っただけで恐怖に、そして喜びに震える。
彼は確かに真紀のはらわたを引きずり出しはしなかった。ただ真紀に色々尋ね、それに真紀が答えるだけ……そんな時間が続いた。
真紀は包み隠すことなく自分の全てを出雲に話す。自らのことを、体の内から自分の手で取り出して彼に差し出しているのではなく、彼が真紀の中に入り込みそこから真紀の思いを取り出している、そんな感じがする。
気づけば真紀は美紀のこと、そして秀人のことを彼に話していた。そのことを昨日も話したかどうかは、途中から自分が何を話しているのか分からなくなっていた真紀には不明だった。
「そう。ふふ……いるよね、そういう子。生まれつき人を惹きつける輝きをもっていて、誰からも自然と愛される。生まれつきもっていなくても、自身の努力などで手に入れる者もいるけれどね。……その君の妹、というのが君を一番苦しめているんだねえ。けれどその子に対しては愛情を抱いている。だから余計に辛い。いっそ憎めたら楽なのにねえ?」
「一度も憎んだことがないと言ったら嘘になります……でも、すぐに消えるんです。そういう思いは」
「家族だから?」
「好きだから、あの子のことが……だから」
「可哀想にねえ。私だったら邪魔なものはすぐ取り除いてしまうよ。自分よりも輝いていて、自分を惨めな気持ちにするようなものなんて。それが一番手っ取り早いもの」
その声の冷たさには冗談の欠片も存在していない。ああ、確かにこの人はそうするだろうと真紀は思う。彼の言う『取り除く』というのは、恐らくこの世からその存在を消し去る、その人の灯を奪うということを指している。自分のことを苦しめるもの、自分にとって邪魔な存在だからといってその人を殺めることなど真紀には到底出来ない。そもそもそんなことはこの世界において許される行為ではないのだ。
そんなことを何の躊躇いもなくいえるこの人は矢張り普通の人では無いのだ……だからこそどうしようもない自分の事を変えられる力があるのだと思う。
「君に穏やかな時間を与えてくれているという少年だって、もし君と君の妹が同い年で、好きな本も同じで、かつ同じ時間に図書室にいたら……きっと君の妹の座っているテーブルについただろうね。今の君を選ぶ人はいないだろう。いるとしたらそれはかなりの物好きだ」
秀人の笑みが脳裏に浮かぶ。ええ、きっとそうだと思いますと真紀は呟いた。
誰だって輝きのないものより、眩く輝くものの方を選ぶ。そんなこと当たり前だ。
時間を重ねるごとに段々と頭がぼうっとしていく。彼の声は体内に入り込み、冷たく滑らかな手で真紀の全身を撫でる。体が火照り、息が荒くなっていく。 ただ彼は喋っているだけだ、それなのに真紀は何だか淫らな行為をしているように感じてしまう。その感覚に真紀の意識が段々と溺れていく。彼の吐息があたる度、変な声をあげそうになる……。
彼が何を話し、そしてそれに対して自分がどう答えているのか分からなくなっていく。昨日も彼と話している時、そんな状態に陥っていた。
体の中……胸の辺りで何かがもぞもぞと蠢く(うごめ)感覚がする。小さな生命体が胸の中に住み着き、出雲の声を聞く度身じろいでいるような奇妙な感覚。それが何を示すものなのかも真紀には分からない。
撫でられ、侵され、犯されていく。これ以上いけば、限界を迎えてしまいそうで、それは嫌だと思いながらもいっそいけるところまでいかせて欲しいと願いもする。彼と接すると、矛盾した二つの思いに息が詰まる。
今耳に聞こえる喘ぎ声交じりの呼吸は一体どちらのものだろう、それすら分からない。
「君はきっと素晴らしい花を咲かせるよ……私には分かる。君の様な子はね、完成されていないからこそ染まりやすい。目覚めてすらいない、無色透明な娘。そういう子を自分の色に染めるのが、私は大好きだ。だから染めてあげるよ……そして咲かせてあげよう。美しい花を君の為に、そして何より……」
出雲のその声が遠くから聞こえた。彼はその続きを話していたが、また何を言っているのか分からなくなってしまった。




