つくりかえて あそぼう!(9)
*
叫びたくなる程冷たい風が、階段を上った紗久羅の髪や制服をばたばたとたなびかせる。頬がびりびり痺れ、悲鳴もあげられない。口から出る白い息と同じ色をした雲が、いつもよりもずっと近くにある。青くて暗い色の空が大きい。
澄んだ色をした空、白い雲。……変てこな物がうじゃうじゃ浮かんでいなければ、さぞかし素晴らしい眺めだっただろう。先程までに比べればぐっと近づいた空と雲には、どれだけ手を伸ばしても届かないと思うのだが、そこらに浮かんでいる変てこな物の数々には、少し手を伸ばせば触れられそうだった。
様々な物体の『情報』をキューブ状にしたものが沢山入っている箱、各々自由に遊んでいる巨大果物、飼育ケージと諸々の材料を組み合わせて作られた観覧車、風船で浮かぶ屋根はとうもろこし壁は豆腐、ドアはごぼう、窓は輪切りしたきゅうりで出来た家、首をくるくる回転させ足から火を吹いて跳ぶ日本人形……そんなものが目と鼻の先でぷうかぷうかと浮かんでいるのだから、たまったものではない。空はもうかなり暗いというのに、それらは馬鹿みたいに明るく誠に残念なことにはっきりくっきりと見える。ぐっと距離が近づいたことで、異質度もぐっと上がる。衝撃度は格段に上がって、上がって、留まることを知らず。
「ここ、どこ……?」
「桜町だろう? 桜町……だよな?」
風に叩かれる頭の中は真っ白だ。思わず呟く紗久羅に対し、えらく自信なさそうに言葉を返すのは奈都貴。柚季にいたっては目を両手で覆い、見たくない見たくない見たくないと呪文のように早口でぶつぶつと言い続けている。
塔を中心に、放射状に道が伸びている。あるものは石、あるものは金属、またあるものは土で出来ているようだった。そしてその道は別の塔や、空に浮かぶ謎の建物、オブジェなどと繋がっていた。他の塔からも同じように道が伸びている。中にはあるオブジェの周りを螺旋状に囲んでいるものも。遠くから見るとメルヘン王国だが、こうして近づいてみると近未来都市に見えないでもない。どちらにせよ、現実とか日常とかそういった言葉からは大きくかけ離れた世界ではある。
「こんなものまで……本当、小人さん達色々作ったんだねえ。下から見上げている時は見えなかったけれど、私達が迷路で散々迷っている間にこしらえたのかな」
「兎に角、この道だか橋だかを渡って移動して……白星と黒星とやらを探そう。きっと本体の気配と分身の気配は波長こそ同じだけれど、根本的な部分は違うと思う。明らかに他のとは違うものを辿っていけば、彼等の足取りが分かるかもしれない」
それを聞いた紗久羅と奈都貴はぎょっとする。目の前に伸びる道の幅は平均台程狭くは無いが、あまり広いともいえない。少しでもバランスを崩せば、あっという間に地上へ落下。地面は遥か彼方、足を踏み外して落ちてしまえば明日は無い。
「これを渡って進むのか……? 幾らあたしでも、ここ渡るのには相当な勇気が」
「一度思い切って行ってしまえばどうにかなりそうだけれど……ためらうよな」
「それじゃあ、僕達がきっかけを与えますです」
遠く、或いは近くから聞こえたのは天使の様な悪魔の声。その言葉に「え」と一同固まる。その直後、数時間前に聞いたような気がする音が聞こえた。
まさかと思った瞬間、どおん、どおんという何かを発射する音と共に闇を引き裂き、ハンバーガーが飛んできた。こちらに向いた砲台から、ハンバーガー砲が次々と発射され、紗久羅達を襲う。
ぎゃああ、と紗久羅が叫んだ。奈都貴も、顔を覆っていた柚季も悲鳴をあげ、飛んで跳ねて屈んでハンバーガーを必死に避ける。小人達はそれを見て笑い、攻撃の手を緩めようとせず。馬鹿騒ぎ、バーガー騒ぎ。
「遊ぼう、遊ぼう。ここには色々面白いものがある。そうれそれ、撃てや撃て撃て、ハンバーガー飛ばせ。当たりたくなければ、先へ進めや進め!」
「お前らの、思い通りにはならないぞこら! うわ、ケチャップ!」
塔の上で間抜けなステップ踏んでハンバーガーを避けるが、撃たれてくるバーガーの数がいかんせん多すぎて避けきれない。それでも根性で五人は塔の上に留まっていた。
「そうらそら、逃げろや逃げろ、逃げなくちゃ面白くない!」
ひゅううと、何かが空へと打ち上げられた。横一列に並んだそれは緑色で随分ぶよぶよとしている。それは弧を描き、塔の上へべちゃん! と落ちる。
わたわたしている紗久羅達の目の前に現れたのは、バスケットボール位の大きさの、枯れた銀杏の葉のような色のぶよぶよとした物体だった。水風船をものすごくぶよぶよに、そして恐ろしく気持ち悪いものにするとこうなるだろうというような。
そのぶよぶよはしばらくそこでぶよんぼよんとしていたが、急にぶっくりその身を膨らませたかと思ったら、始まりました大変身。前足と後ろ足が生え、ぎらぎらした目ん玉二つぼこっと現れて、体中にイボがぽこぽこ現れ、あっという間に巨大蛙となった。ぬめぬめしている上に、異様に大きい蛙の出現に柚季は大きな声で悲鳴をあげ、紗久羅は真っ青、奈都貴は絶句。
しかもその蛙が、すさまじいまでの跳躍を見せて紗久羅達に襲いかかってきたものだからたまらない。
彼等は腹の底に響くような声で鳴きつつ、とろとろしていて非常に生温かそうな舌をべろんと出し、飛び跳ね、時に口からヘドロのような液体とも固体ともつかぬものを発射する。
小さな蛙なら平気な三人も、大きい上にとても気持ち悪い蛙が相手だと悲鳴をあげて逃げ惑う他なく。ハンバーガーが乱舞し、蛙が暴れ、長い舌がべろべろ伸び(時々ハンバーガーをとらえ、ぱくんちょと食べていた)、大混乱の塔の上。
とうとうたまらず、紗久羅達三人組は塔から伸びていた道の一つに足をかけ、一気に渡っていった。下をなるべく見ないようにしながら……もう半ばやけくそである。美沙と榊も彼女達を追う。
手すりも柵も何もない道、空の道。落ちればただじゃ済まないが、それでも進まなければ仕方無い。塔から逃げたところで何にも解決しておらず、ハンバーガー砲は向きを変え、容赦なく紗久羅達を襲う。
「きょええ! ああ、いい、きい!」
それはもう滑稽な叫び声に合わせて紗久羅は膝を折って跳躍したり、変な格好をしたり、しゃがんだりしてハンバーガーを避ける。当たったら死ぬ……それ位の気持ちで、必死に。
「こ、ここから落ちたら……私達どうなっちゃうの!?」
頭についているカチューシャのように真っ赤なケチャップのついた顔を歪ませ、柚季が叫ぶ。頭に巡るのは最悪の結末。そんな彼女のすぐ近くに、ぷかぷか浮かぶ黒い影が見え隠れ。どうやらあの小人達であるらしい。
「棒で叩かれた西瓜みたいになるのかな? 割れた西瓜は見たいけれど、割れた頭は見たくない」
「割れた西瓜は食べたいが、割れた頭は食べたくない。ということで、皆落ちても大丈夫なよう、納豆ネットなるものを用意しているから安心してね」
そうか落ちても大丈夫なのか、それならいいや、ほっ……などと思えるような状況ではない。ハンバーガーやらチキンナゲットやらを避けたり、当たったり、現在進行形で大騒ぎである。小人達は笑いながらなおも続ける。
「納豆をね、思いっきり大きくしたの。粒がとっても大きくなって、そしたら粘り気もものすごくアップして」
「匂いも超アップ!」
楽しそうな声と同時に、三人の絶叫がこだまする。絶対に落ちてたまるかこんちくしょう、と紗久羅はますます必死になり、柚季も落ちたらある意味終わりと涙を目に浮かべながらバランスを崩すことのないよう頑張った。落下して死ぬのも嫌だったが、強烈な粘り気と匂いをもつ納豆に体を受け止められるのも嫌であった。
橋の幅とほぼ同じ位の、大福のようにふっくらしたネズミが突進してくる。
「おわっと!」
「きゃあ!」
「うわ!?」
先頭になってしまった紗久羅がそれをタイミングよくジャンプして避け、他の者がそれにならって跳んだ。かと思えば今度はマヨネーズや七味がかかったするめが低空飛行、びゅんびゅんいいながらこちらへ向かってくる。今度は全員しゃがんでやりすごす。その間もハンバーガーがぼこぼこと襲う。なかなかのスピードで飛んでくるものだから、当たると結構痛い。
しばらくするとハンバーガー砲の数は減っていったが、それ以外のものが紗久羅達を襲うようになる。
鉄や土、石などで作られた巨大ボールに追い掛け回され二股に分かれた道を右に渡る。左の道を、わたあめトルネードがいく。もしあちらに渡っていたらと思うとぞっとする。
二本の木の棒に缶を吊り下げた紐をくくりつけたものを連続ジャンプで飛び越し、やたらぬめぬめしている陶製タコを避け、柊の葉がしこたまくっついた壁が後方から迫ってきたので全速力で駆け、巡り巡って別の塔の頂上へ辿り着いた。
塔の上にはマシュマロや飴がばらまかれており、それを茄子の豚がぶひぶひ言いながら食べている。彼等の体からは気持ち悪くなる位甘い匂いが漂っていた。ここにずっといたら吐いてしまいそうだと、その塔から伸びている別の道を行った。
「も、もう何なのよ……!」
紙か何かを詰めた黒いビニール袋で作られた烏の群れが、紙製の翼をはためかせて頭上を飛んでいる。更にその上空には折り紙の舟が浮かんでいて、鬼の面を被った何かがソーセージを手に持ち、下に垂らしている。一羽の烏がそのソーセージに食いつくと、待っていましたとばかりに彼はソーセージを引っ張りあげる。烏釣り……というわけであるらしい。
それを見た他の烏がパニックを起こし、暴れだした。ただ暴れているだけなら騒がしいなあ、の一言で済んだのだが。
「おわっ、ちょっと来るな!」
「うえっ」
「深沢君大丈夫!?」
暴れる烏の突進を腹に食らい、奈都貴は呻きよろめく。よろめいた拍子に足を踏み外し、転落……だがすんでのところで道の端に手をかけた。しかし依然危険な状態であることに変わりは無く。
「あ、ちょっとなっちゃん!」
紗久羅は奈都貴を助けに行こうとしたが烏達の暴れっぷりはますます激しくなり、おまけに小人達がわざわざ彼等に向かってハンバーガー砲を発射した為に事態は更に悪化。紗久羅は前に一歩も進めない状態になった。
道に手をかけた奈都貴は、思わず下に目を向ける。下に広がるのは暗闇。
そして、納豆ネットを手に持ち「まだ落ちないの、落ちないの?」と言わんばかりの表情で自分を見上げている小人四人の姿。それを見た途端、奈都貴は「うおおりゃあ」と普段出さないような暑苦しい声をあげ、全開にしたパワーとド根性で、自力で道の上まで這い上がってきた。小人達の「ちえっ」という声が、烏の鳴き声に突き刺されている紗久羅の耳に届いたような気がした。
「あ、あんな芸当……多分この先一生出来ない」
納豆ネットのお世話にならずに済んだ奈都貴は息を荒く吐いた。そんな奈都貴の傍らにしゃがみこみ、大丈夫かと美沙が語りかける。
「ゲームとか映画の主人公みたいで格好よかったよなっちゃん! きゃあ素敵、惚れそう!」
「そんな馬鹿なこと言っている場合か!」
「なっちゃんたら照れちゃって……ってああ! 道、道が!」
紗久羅は元来た方の道――いや、先程まで道が『あった』場所を指差す。気がつけば今まであった道は空飛ぶチョコレート製の鹿に食われていた。彼等は道を食べながらこちらへどんどん進んできている。一体いつの間に現れたのか、全く分からないが、そんなことはどうでも良かった。しゃがみこんでいた奈都貴も美沙もそれに気がつき声をあげる。
「前、どんどん進まないと!」
「休む暇も与えないってのか! くそ!」
兎に角早く走らないとまずい。皆して慌てて走る、走る。道をふさぐプリンを、やけくそで突っきっていき、お菓子やクリームでデコレーションされた、半分に切ったタイヤの上を渡りながら進み、孫の手の魔の手から逃れ。その先に別の道が見えた。道と道の間には若干の距離があったが、勢いよくジャンプすれば充分渡れる距離であった。ひょいっと紗久羅は軽くジャンプして目の前にある道に着地、柚季は「ああもう嫌よこんなの!」と泣きながらもジャンプし、皆順番にジャンプしていき無事新たな道へと辿り着いた。鹿はその道を食べることなく、どこぞへと消えていく。丁度腹がいっぱいになったのかもしれない。全くこんなものまで作り上げるとは、何と恐ろしい小人であろうかと皆感心するやら、震えるやら。
丸や星、魚といった様々な形のものが埋め込まれた水色のゼリーの中を泳ぎ、
薔薇を組み合わせて作られた達磨がころころしている中や、スーパーボールが跳ね続ける中を走り、道を叩き割ろうとする大根ハンマーや道を破壊しようとする人参ドリルをぶち壊し。
ある道を走っている時、いきなり道がぐわんと盛り上がった。何かが生えてきたらしい。見ればそれは巨大カステラで、道の先までびっちりずらっと並んでいる。カステラは常時上下する。その動きはカステラによって違うから、ウェーブ或いはでこぼこ、走りにくいったらありゃあしない。たけのこがつららのように頭上から落ちてきて、薄切りしたトマトで作った花畑を踏み荒らし、壷からひょっこり顔をだした鬼に豆をぶつけられ、逃げ惑う。
緩やかな坂になっている道をひたすら上っていくと道は途中で切れていた。
切れた先には螺旋状に配置されたピザ。ピザの階段、或いはピザの飛び石である。
「食べ物の上に乗っかるなんて……ばあちゃんにばれたら殺されるな。まあすでにトマトとか、色々なものの上に乗っかったり、踏み潰したりしているけれど」
「私だって両親に知られたらきっと泣かれるわ。でも平気よ、だってこれはあくまで本物ではなくて、ピザの『情報』ですもの。情報で構成されたものは、本物じゃない、本物の食べ物じゃない、だから問題なし! さあ、紗久羅早く!」
「それもそうだ……な!」
紗久羅は思いきって、目の前にあるピザに飛び乗る。ピザは通常より多少大きくなっているが、一人上に乗ればもう殆ど余裕はなくなる。
とろっとしたチーズが足にくっつき、離せばびよんと伸びる。あの独特の、それでいて大変良い香りが大分空いてきた腹をくすぐった。かりっとした生地の耳の部分の匂いも、サラミやシーフードの匂いもたまらない。空には、橙色の淡い光を発している達磨や林檎、こけし、鬼灯、狐面が浮かんでいる。しかしそれらをじっくり眺める者は誰もいなかった。
上った先には新たな道があった。その上には水色のウレタンキューブが敷かれており、非常に動き辛い。おまけに水のように冷たいから、動き回っていて火照った体があっという間にかちんこちん。
「美沙姉ちゃん、他の奴等とは違う気配とか感じる!?」
「なんか、ちょっと違うなってものを感じはするけれど……はっきりとは分からない」
後方から張り上げた美沙の声が聞こえる。もしかしたら近くにいて、自分達を笑っているのかもしれないと思ったら矢張り腹がたち、怒りの炎が固まった体を燃やす。
その時、紗久羅は急に体がふわっと浮いたのを感じた。ぎょっとする間もなく、どんどんと体が持ち上げられていく。慌てて下を見てみれば、いつの間にか自分の体は巨大な金魚すくいのポイの上にあった。そして頭上には、捕らえた金魚を入れるのによく使われそうなボウルがあり、ぎらぎらと輝いていた。
「嘘だろう!? あたしは金魚じゃねえ!」
ものすごい勢いで上がっていくポイから、紗久羅は思いきって飛び降りる。
ひゅうと冷たい風をきって、ウレタンの水にダイブ。あまりの冷たさに心臓までカチンコチンになったかと思った。ウレタンの中から抜け出そうと必死にもがくが、意外と上手い具合に出られない。奈都貴に助けてもらいながらようやく出たところで、今度は柚季の悲鳴が聞こえた。
見れば、柚季の体が網によってすくわれており今にもボウルへ入れられそうになっていた。
「柚季! 飛び降り……」
言い終わる前に、柚季の体をすくっていたポイの紙の部分が破れて、彼女の体はぽいっとウレタンめがけて一直線。叫び声が段々と近くなっていき、やがてどぼん! というよい音が。ウレタンの中でもごもごしている柚季を紗久羅と奈都貴が協力して助けだすと、青い顔をしている柚季の口から縮緬製の金魚がポロリ。ポロっとこぼれた金魚はあっという間にウレタンの中へ潜りこんでしまった。柚季はそのことにきがついていないらしく、ぶるぶると頭を振っている。話さない方が良いかもしれない、何となくそう思った二人だった。
ポイは行く先々で紗久羅達をとらえようとする。出現するタイミングは予測出来ないし、体をすくわれるまで存在に気づけない。だからすくわれてはそこから飛び、すくわれては飛び出しを繰り返すしかなかった。紗久羅は何度か、道のぎりぎりに落ちたことがあり、危うく地上へ……というより、小人達が手にもつ納豆ネットの上へ落ちそうになった。
(もしあのボウルの中まで行っちゃったら、一体どうなるんだ……いかんいかん、そんなこと考えている場合じゃない!)
やがてウレタンのエリアは越えたが、それで何もかもが終わったわけではなく。
五人はただひたすら道を進んでいった。もうここがどこであるのかさえ分からない。何が起こり、どんなことが紗久羅達を襲ったのか全て挙げたらきりがない。きりがない程の数の変てこが、怒涛の勢いで襲ってきたものだからたまったものではない。走っている間、紗久羅達は様々な奇声を発した。新たな奇声を次々と生みだし、奇声に次ぐ奇声。恐らく姿の見えない出雲は大笑いしていることだろう。……勿論彼が現在進行形で紗久羅達についてきていればの話だが。
障害物を避けたり敵を倒したりしながらひたすら進む、ゲームの主人公達の気持ちが嫌というほど分かる。よく見れば、今の桜町はゲームの世界そのものである。ファンタジックな世界。
気がつけば地上は遥か彼方、塔さえ霞んで見える。五人が悠々と座れる位大きな皿、洒落たカップが周りを取り囲み、そしてその皿からは蜘蛛の巣状に道が伸びている。もう自分達がどの道を、どんな風に渡ってこの皿まで辿り着いたのか分からない。
「な、何なんだよ……もう!」
「私達今日どれだけ走ったの……? もう動けない!」
「でもまだ終わりじゃないんだよなあ」
「なっちゃんそれを」
「言わないで!」
奈都貴の放った残酷な現実を振り払うように紗久羅と柚季が絶妙のコンビネーションで叫ぶ。
「とりあえず、気休め位にしかならないと思うけれど回復させてあげるよ。ささ、皆こっちへおいで」
手招きするのは美沙だ。彼女はRPGなどでよく出てくる回復魔法に似たようなものを使えるそうだ。どうやら自分のもつ力を気力・体力に変えて相手に注ぎこむものであるらしい。
その最中も変てこなものが降ったり、飛んできたりしたがある程度は無視した。
作業があらかた終わった時、それは聞こえた。
きゃはは、きゃはは。
無邪気で可愛らしくて、ものすごく憎たらしい笑い声が響く、天から降ってくる。一人では無く、おそらく二人の人間が同時に笑っている。紗久羅は辺りを見回すが、笑い声の主らしき者達の姿は見当たらない。
「どこだ、どこにいやがる! むかつく声で笑っていやがるのはどこのどいつだ!」
きゃはは、きゃはは。面白い面白い。
もう一度怒鳴ってやろうとした紗久羅より早く、美沙が口を開いた。
「……この感じ……ここらにいる他の子達のものとは全然違う。いる、近くに……本体である子達が!」
正解、とでも言いたげな笑い声が響く。声は空の中をぐるぐる回って、渦巻いて。段々その渦巻きは小さくなっていき、しまいにうずまき消えちゃって一つの点に変わっていった。その点が、ぱあんと弾けて。弾けた途端遠かった声が近くなった。
弾けた点があったのと同じ位置に、いつの間にか小人が二人浮かんでいた。
着物の色が白と黒とで違う、という点を除けば背格好といい顔といいまるで同じであった。ちょこんと被っている烏帽子も、林檎色の頬も、太い眉も円らな瞳も大変可愛らしい。可愛らしいが、その顔に張りついている笑みは見ていると何故か大変腹が立つものであった。
ほぼ間違いなくこの二人こそ、白星と黒星だろう。確かに、霊的な力を持たない紗久羅にも何となく彼等が他の者達とは違うことが分かった。彼等の周囲に漂っている空気は、他の場所のそれとは違う気がする。
突然の登場に、五人はしばし呆然。その顔を見て二人は笑う。
「とっても楽しませてもらったよ!」
「皆してわあぎゃあ言いながら、あっちへ行きこっちへ行き……ものすごく面白かった!」
その言葉に最初に反応したのは紗久羅だ。
「そっちは面白くても、こっちはちっとも面白くない! ろくでもないことしやがって、いい迷惑だっての!」
ここぞというばかりに怒りをぶつけてやるが、二人は手を合わせくすくす笑っている。怖いとか、そういった感情は彼等にはおよそ存在しないのではないかとその笑顔を見ると思う。
「君達が楽しくなくても」
「僕達が楽しければそれでよい」
「自分よければ全てよし」
「この世界の真理だよね!」
交互に喋ってから「ねえ?」とお互い顔を見合わせて確認しあう。当然のことながら紗久羅は怒鳴る。
「ふざけんじゃねえ! くそ、お前等一体何が目的でこんなことしやがったんだ! この桜町を征服して、お前等の国にでもするつもりか、こら!」
白星と黒星は何のこっちゃと首を傾げる。
「自分達の国を作るのって面白いの?」
「さあ? 人間達にとっては面白いんじゃない?」
でも僕達にとっては面白くない、と二人で声を合わせた。そういう目的は皆無であるらしい。
じゃあ何でこんなことするんだ、と紗久羅は聞いた。何でそんなことを聞くのだろうと二人は目をぱちくり。
「何でって言われても」
「ただ遊びたいから遊んでいるだけだよね?」
「はあ!?」
やっぱり、という奈都貴の小さな声が聞こえる。美沙や榊も彼等の答えに驚いている様子はない。なんとなくそんな気がしていたのだろう。紗久羅は全身から力がへなへなと抜けていくような思いだった。
「色々材料を調達して、色々なものを沢山作って遊ぶの。作るのって楽しい!」
「作るのって最高! 作った物を色々置くのも楽しい! 何百年ぶりかなあ、こうやって遊ぶのは」
「もっともっと遊ぶんだ、僕達は」
「飽きるまで作って遊ぶんだ。この町を作り変えて遊ぶんだ」
「遊ばれてたまるか! 今すぐ元に戻しやがれ!」
ぴっと指差し、大声で怒鳴る。それよりも小さく、それでいてよく響く声で白星と黒星は即答する。
いやだ、と……。
「飽きたらやめるよ」
「そうそう。でも飽きるまではやめるつもりはないなあ! 別にいいじゃないか、僕達別に人間に危害加えるつもりないし」
「あたし達はたった数時間ばかりの間に、沢山危害を加えられているよ!」
もう皆ぼろぼろである。大きな怪我はしていないが、体を打ったり転んですりむいたり、貴重な時間を奪われたり、気力を削がれたり……。これらを危害といわず、なんという。
白星がきゃははと笑う。
「それは君達が、僕達の『遊び』に気がついちゃったからだよ。だからちょっと遊んであげようと思って」
「僕達のこと放っておいてくれるっていうなら、何もしないけれど」
「何もされなければ良いってわけじゃねえ!」
「こんな場所にずっといたら、頭がどうにかなってしまう!」
こんな変てこなものが溢れているところで暮らしていられるかと、桜町在住の紗久羅と奈都貴は抗議する。柚季や美沙も、このままでは困ると言ったが小人達はどこ吹く風。
「気がつかなければ幸せだったのにねえ。僕達も昔はもうちょっと上手くやれたのにねえ」
「術の効力がちょっと弱くなっちゃっているみたいなんだよねえ」
また二人、きゃははと笑った。それを聞いて美沙が困ったようにため息をつく。榊が、紗久羅達にも殆ど聞き取れない位小さな声で何か呟いていた。
「このままじゃ埒が明かない。とりあえずどうにかしてあの子達を捕まえなくちゃ」
美沙の言葉に小さく頷きつつ、榊は唇にぴたりとくっつけた右手の人差し指と中指をやり、直後その指で横一文字に空を切る。指が通った場所に金色の光が現れ、ものすごい速さで白星と黒星の方へと飛んでいった。だが、白星と黒星の方がもっと速かった。彼等はその光の線を見事に避ける。そのあまりの反応速度に一同目が点になる。
小人達はそれによって気分を害した様子はなく、むしろ面白いとばかりに大笑い。
「きゃはは、鬼ごっこ鬼ごっこ!」
「捕まえてごらん、ま、頑張っても捕まらないと思うけれどねえ! だって僕達とても速いもの!」
「もう僕達は籠の中には戻らない!」
二人はとてつもない速さで、辺りを飛び始める。あんまり速すぎて目で少しも追えない。美沙と榊、それから柚季の三人が彼等を追い、手を動かし小人を捕まえる為の術を発動させていった。光の線やら何やらが辺りに飛び交い、術と術がぶつかり合いド派手なことになっている。何だかまるで遊園地のナイトショーのようだ。
紗久羅と奈都貴は何も出来ず、ただつったっていたり、美沙達の邪魔にならないように移動したり、ぽかんと口を開けたり。
ある方向から、白い光で作られた網の様なものが飛んできた。その方向には柚季も美沙も榊もいないはずだった。じゃあこれを放ったのは誰だと見てみれば、そこにいたのは英彦と彼の使鬼である蕾と阿古だった。術を使ったのは英彦であるようだ。
「おっさん!?」
英彦は先程放った術が容易に避けられたのを見ると、間髪いれず真剣な表情で呪文を唱え、狭い道だろうが気にせず駆け、手を素早く動かし相手を縛る為の術を発動させた。普段ののんびりとした空気はどこにもなく、なかなか格好いい。しかし、白星と黒星が少し早く術の範囲外に出てしまった為またしても不発。
「蕾!」
お色気お姉さん、という言葉がぴったりの使鬼・蕾が艶やかな髪と赤いスカートをたなびかせ、牡丹の描かれた扇をぶんと振る。扇が生みだした風は甘い香りを放つ。どうやら相手の動きを鈍らせる為のものらしい。小人達はその匂いをもろに嗅ぎ、少しだけ動きが鈍る。
その間、英彦は呪文を唱えている。準備を終え彼はそれを二人に向かって放とうとした。だが、その瞬間英彦にハンバーガー弾が当たった。敵は白星と黒星だけではないのだ。結果英彦は体のバランスを崩し、集中力も切れた為術は不発に終わった。
「これはなかなか……私達の手に負えるかどうか」
と若干弱音を吐きつつ、なおも英彦は立ち向かっていく。柚季も恐らく英彦から教わっただろう術を駆使し、自分なりに懸命に戦っていた。蕾が朝顔を出現させ、伸ばした蔓で小人を捕らえようとしたり、殺虫スプレーがなんだと榊が虫を出現させたりし、美沙は英彦達の後方で支援に回る。
そうして協力しても白星と黒星は捕まらない。彼等の動きは容易に止められないし、力もそれなりにあるのか多少の術は破ってしまうし、分身達が自分達の作った変てこを用いて邪魔してしまうし。
出雲がやる気になればもしかしたら彼等をどうにかしてくれるかもしれなかったが、彼がその気になるかどうかは微妙だし、喩えやる気になったとしてもあの小人達のスピードに対応できるかどうか。
皿と、そこから蜘蛛の巣状に伸びる道を行ったり来たり。小人と人間と妖と、ハンバーガーとピザと達磨、その他諸々が乱舞する。
それをただ見守っているしか出来なかった紗久羅の腕を誰かがつかむ。つかんできたのは奈都貴だった。
「井上、俺達はここから離れよう。ここにいても何も出来ないし、皆の邪魔になるだけだ」
「でも、あたし達だけ……いいのかな」
「大丈夫です、ですから早く! しっしっ」
「邪魔だから! どっか行って!」
「いるより、いない方が助かる……」
英彦、柚季、榊の言葉がぐさぐさっと刺さる。紗久羅はそこまで言わなくても……とがっくりしつつも、奈都貴に手を引かれる形でその場を去った。小人の分身達は二人には何もしなかった。今は自分達の本体達の様子の方が気になっているのだろう。
色々な道を渡り、『やました』の上にあるのとはまた違う塔まで辿り着いた。
「全く、こんなによくもまあ作ったな」
「しかも遊び感覚で! 迷惑千万ってまさにこのことだよ、くそ!」
「……ゲームで、フィールドを歩き回って集めた材料で武器や防具を作ったり、自分だけの家を建てたりするものがあったなあ。武器と武器を合成したり、それを使って敵と戦ったり……ああいうのってものすごく面白いけれど、実際の世界でそれやられるとなあ……」
頭の痛くなるような世界が目の前に広がっている。ここは一体どこなのか、桜町だ、いや本当桜町なのか、そんな問答を繰り返してしまう。
「しかし英彦のおっさんがこっちに来られるだけの時間になっていたなんて……くそ、まじで寒い」
「外ももうすっかり暗いしな。何時間こんなことやっているんだよ、俺達」
「おっさん達、あの白星と黒星って奴等をどうにか出来るかな」
あたし達には何も出来ないと歯軋り、けれどそうしたところで何も変わりはしない。隠せないあせり、苛立ち。奈都貴は紗久羅に比べれば冷静だが、内心気が気ではないのだろう。
微かに柚季や英彦が小人達に立ち向かっている様子が上空に見える。瞬く星、大きな光。
「あの白星と黒星って小人達、相当速かったな。動きを全く目で追えなかった。それだけ速いから、向こうも自信があるんだろう」
「あたし達にも何か出来ればなあ……今から神様か仏様あたりにお祈りすりゃあ、すごい力をくれるかなあ!」
「馬鹿なことを。大体そんな力もらったって、良いことなんて少しもないだろうが。及川がいい例だ」
それを言われると、紗久羅ももう何も言えない。
ああただもう二人、こうして静かに見守っていることしか出来ないのかと思っていた紗久羅の肩を、誰かが叩く。出雲か、と振り返ってみると。
「ひい、妖怪ばばあ!」
そこには小柄の、化け物のような老婆がいた。しかも彼女は宙にぷかぷかと浮かんでいる。正確にいうと、浮かんでいるのは老婆ではなく、老婆が座っている広げた風呂敷であるらしい。漆黒のローブに身を包んだ、刻み込まれた皺や細く小さな瞳、妙に大きな口、その一つ一つから化け物だけが持つ化け物オーラをむんむんと放っている。これが化け物でなければ、一体何であろう。
間もなく奈都貴も老婆の存在に気がつき、声をあげる。老婆は肩を震わせ、ひっひと笑う。その笑い方が外見にマッチしていて、とても不気味である。
「妖怪ばばあとは失礼な。妖怪商人ばばあと言っておくれよ」
「商人が入っただけじゃんか!」
「それが入ると入らないのでは、大違い。いやあ、それにしても派手にやっているのう、上は」
老婆は目を細めながら上を見やる。明らかにこの状況を愉快に思っている様子だ。そんな老婆に、奈都貴が優しく声をかける。
「おばあさんは、一体何者です? もしかして今起きている事態について、何か知っていらっしゃるのでは?」
老婆は再び、より大きな声で笑った。その笑い声の不気味なこと、不気味なこと。あんまり不気味すぎて、こちらまで笑いたくなる位だ。
上空から紗久羅達の方へと視線を戻し、老婆は口を開いた。
「ある人間に、あそこにいる小人二人を売った旅商人さ」