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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
つくりかえて あそぼう!
210/360

つくりかえて あそぼう!(6)

「のわあ!?」


「お前何変な声出して……うわっ」

 紗久羅と奈都貴が立て続けに短い悲鳴をあげる。紗久羅は自分の鼻の上に落ちてきたものをうんざりした顔で拭った。それと同じ物が奈都貴の頭にもある。

 更に、一体何が落ちてきているのとふと顔をあげた柚季の目にぽとり。反射的に目を瞑ったおかげで中にそれが入ることはなかったが。彼女は何かがついた目を手で覆い、叫ぶ。


「いやあ! 目が、目があ……じゃなくて、目に、目にい!」

 

「これ……あんこ?」

 紗久羅は鼻に落ちてきたのは始め、鳥の糞だと思っていた。丁度自分達の真上を白い体といちごの色したくちばしをもっている鳥が飛んでいたからだ。しかし拭ったものを見てみると、色といい匂いといい――完璧にあんこ、つぶつぶつぶあんちゃんであった。奈都貴や柚季めがけて落ちてきたものもどうやらそうであるらしい。


「目に糞なんて、糞なんて!」


「落ち着け柚季、これ多分うんこじゃなくてあんこだから! 口に入っても大丈夫なやつだから!」

 素早く取り出したハンカチで目の辺りを拭いていた柚季がきっと紗久羅を睨みつけた。その瞳にはうっすらと透明な雫。恨みや憎しみ、怒りが混ざった恐るべきもの。


「そういう問題じゃないわ! そもそも、これが本当にあんこだと言い切れる? 見た目と匂いはあんこでも実際はあんこじゃないかもしれないじゃないの。大丈夫だと言うのなら、その手で拭ったものを舐めてごらんなさい。ああ、でも実際あんこの味がしたからって本当にあんこであるとも限らないのよね」


「あんこ味のうんこかよ……確かに鳥から出たものなんだから、そうだとしてもおかしくはないわな。ああ、あんこなうんこなんて嫌だ嫌だ」


「せめて(ふん)っていえよ、お前は」

 奈都貴は美沙からティッシュを借りて頭を綺麗にしながら呆れ顔。彼にも自分の頭についたそれを口に入れてあんこか糞か、あんこ味の糞なのか、ただのあんこなのか確かめる勇気は無い。ただのあんこだったとしても、鳥の大変ぷりぷりしたお尻から出たというだけで大層汚いものに思えてしまう。

 鳥達が馬鹿みたいにだした糞は地面にぽたぽたと落ち、一面灰色な道にまだら模様を生み出していく。

 

 白い体が汚れてもそれを拭うこともなく、榊は再び口の中から虫達を出した。

 黒々とした小さな虫達は出てくるなり、弓から放たれた矢の如く飛び上がり、上空を飛んでいた鳥の中でも最もとろそうな子に狙いを定めて向かう。飛ぶ、飛ぶ、虫の矢。虫矢。飛べ、飛べ、虫や、愛しい虫や!

 紗久羅や柚季の悲鳴など耳にも入れず、彼等は鳥を捕らえんとする。勿論鳥だって、捕まりたくはない。ばさばさと白い翼をはばたかせ、綿菓子のような羽根を撒き散らしながら必死に逃げるが、虫の方が早かった。哀れ、本来なら食べるものであろう虫達にとらわれて。弱肉強食、弱けりゃ鳥だって虫に食われる。


 虫に捕らわれた鳥は気絶しており、榊の腕に抱かれても抵抗の一つもしなかった。体が微かに動いているのが見えなければ、死んでいると思ったところだ。

 自らの体内で飼っている虫に捕らえてもらった鳥を、榊は観察する。


「……自分の意思で動いていて、呼吸らしきものもしている。けれど本物の『生き物』だとは思わない」

 美沙も、その鳥の体に触れる。そして何かを感じ取ったのか、確かに榊の言う通りだと頷いた。


「一見ちゃんとした生き物なんだけれど、やっぱり何か空っぽなんだよね。作られたって感じが半端無い。ロボットとかとも、また違うんだけれど……。けれど曲がりなりにもこんな生き物を作っちゃうなんて、すごいねえ。感心しちゃうよ」


「感心しないでよ、美沙さん!」


「ああ、ごめんごめん。でも本当すごいよ。多分この騒動を起こしている子達って結構な力を持っていると思う」

 その発言は紗久羅達にとって大変面白くないものであった。面白くないから、面白くない顔に。この事態を調べ上げ、出来ることなら解決に導きたいと思っている美沙や榊にとっても大変よろしくない事実である。美沙はこの鳥からかなり強い力の気配を感じると付け加えた。それが「今回の件の犯人達は、強い力を持っている」という仮説が正しいことを後押しする。


「ここら辺で色々作業をしている子達は、分身体である可能性が高い。そんな子達が作ったものでさえこれだけの力を感じるんだから……本体はもっとすごい力を持っているのかも」

 その言葉に三人はげんなり。本体(仮)は今目の当たりにしているものの数々以上に変てこで強烈なものを作れるというのか。いっそその事実は美沙の胸の中に秘めたままでいて欲しかったとさえ思う。そんな三人に追い討ちをかけたのが榊である。


「……もしそうだった場合、私達の力だけで解決出来るかどうか」


「あーあー、聞こえない、聞こえない!」


「あたしは何も聞いていない、何も聞いちゃいない! って、あれ?」

 柚季と仲良く現実逃避していた紗久羅があることに気がつく。地面に落ちているあんこの糞が突然震えだしたのを見たからだ。あちらも、こちらも。むずむず、うごうご。まるでその糞の中に入っている何かが、外へ飛びだそうとしているかのようだ。


「な、何かものすごく嫌な予感……力の波動が強くなっている気がする」

 紗久羅の袖を握りしめる柚季の顔は険しい。と、その直後ポップコーンが弾けたような音と共に糞から何かが生えてきた。ぽぽぽぽん、と生えてきたのは何かの芽であるようだった。

 三人してその音にびびり、体を震わせてからあちこちから生えてきた芽を見つめる。出た芽は少しの間ぴくりとも動かない。警戒する紗久羅達に対し、芽は芽のままそこにただあるだけ。


 しかし、それは本当に僅かな時間のことであった。怪しい芽は、まだ芽である内に摘みとってしまわねばと榊が虫をけしかけようとしたのとほぼ同時。

 芽は一気に成長し、あっという間もなく不可思議植物に大変身。見たこともない植物にただ三人は悲鳴をあげるのみ。美沙と榊も見覚えが無いという風な顔だから、向こう側の世界にも存在していない植物なのかもしれない。


 ひょろっとした茎、地面から出てきた足の様に二股になっている根、足のみではなく手を思わせるようなものもついている。ひょろりとした腕、手は真っ赤な鬼灯の様。頭でっかち、まんまる紙風船そっくりの蕾。

 彼等は皆、まるで生きているかのようにくねくねうねうね謎のダンスをその場で踊っている。鬼灯の手と紙風船の蕾は淡い光を放っており、その光だけ見るなら幻想的であったが、その光を放っているものに目が行くと幻想は感じられず、あまりの不気味さにげっそりしてしまう。こんなものが夜現れたら、可愛らしいお子様方など、可愛らしい口をめいいっぱい開けて大泣きすること間違い無し。


 一瞬怯んだ榊が改めて虫へ命令を下そうと右手を前へ突きだす。だが、矢張り相手方の方が一枚上手、行動を起こすのが少し早かった。

 彼等の紙風船の蕾が一斉に開いたのだ。女の甲高い悲鳴に似た音と共に。一気に開いた赤や青、黄、白、緑の、かさかさした花びらの中から両手にすっぽりはまる位の大きさをした、こけしの頭がこんにちは。


「ひいい!?」

 花が開いたことで、余計気色の悪いことになってしまった。しかも彼等はくねくね動き、ぎはははと笑いながらえらくねっとりぐちゃぐちゃした怪しいオーラを放っている。最早ここまでいくと、可愛らしいお子様でなくても泣きたくなる。

 花が開いてから、またそう大して時が経たぬ間に空から大量の何かが降ってきた。何かと思えば、それは色鮮やかな紙吹雪。しかし放つ匂いはどう考えても紙のそれではなく、栄養たっぷりの肥料に似ていた。あまり魅力的とはいえない匂いに全員顔をしかめる。

 その謎の紙吹雪の登場を喜んだのはあの花々だけで、蕾の内に隠されていたこけしの頭はきいきいきゃあきゃあ言いながら、口を開け閉めし、紙吹雪をぱくぱく食べていった。


 ようやく榊の指示を受けた虫達が、花を殲滅せんと動きだす。わさわさという彼等の歩く音が、気味の悪い光景をますます気味悪くする。

 先程の野菜ロボットよりもずっと小さな花だ、きっと大丈夫だろうと内心紗久羅達は高をくくっていた。しかし、大きさと強さは比例しないことを直後知らされることに。

 彼等の口から、たらこのようにふっくらとした舌がべろんと伸びてきた。どこからどう見ても、こけし頭の中に納まらない大きさと長さの舌である。その舌は黒々とした虫達を一気に巻き取るとそのままその舌を戻して一気にごくん! 榊の口から小さな悲鳴が零れる。


 虫は次々と喰われていく。喰われなかった虫も、花にその身を弾かれ吹っ飛ぶ。柚季がこの事態をどうにかしようと手に込めた気を放つ。それは花に当たり、その身を焼き尽くす……はずだったのだが、何と彼等は柚季の放った気を跳ね返してしまった! これには柚季も絶叫。美沙と榊も自身の持つ力を放ったようだが、これも効果無し。


「何、この気持ち悪い花もしかして滅茶苦茶強い!? つよきもちわるい!」


「何だよつよきもちわるいって!」

 これ以上虫を喰われたら不味いと、榊は虫を体内へ戻す。虫喰いから紙吹雪食べ放題に戻っていった花は気のせいか、段々と大きくなってきているようだった。柚季は諦めず幾度か攻撃をするものの、目立った効果は見られない。

 きゃははは、という笑い声が五人の耳に入る。それは花の笑い声ではないようだった。紫陽花で埋め尽くされた塀に腰掛けている黒い影が見えた。矢張りはっきりとした姿は見えない。


「大変強いのが出来た。強いのと強いのをくっつけ続けたら、とっても強いのが出来た。霊力妖力何でもござれ。植物作り、とっても楽しい」

 その声の主である黒い影を紗久羅は睨んだ。


「おい、お前かこんな変てこなもの作りやがったのは! さっさと、消せ、消しやがれ! 消さないとお前を消してやるぞ! もっとも、あたしには出来ないけれどな!」

 びしっと指差し、迫るのはいいが最後の言葉で台無しである。影は返事をせず、ただ笑うだけ。言葉を返すつもりは毛頭ないらしい。


「ちょっと運動させてあげよう。そうれお前達、その人達と鬼ごっこで遊んでいいよ」


「運動っておい、ちょっと待てお前……げえ!?」

 影の命令に異を唱えようとした紗久羅は、途中で言葉を止める。紙吹雪を食べていた花達が突然巨大化したのだ。小さいものでも膝丈位あり、大きなものは二メートル以上あった。どうやら食べた紙吹雪の量が多ければ多い程大きくなったようだ。そんなものが紗久羅達を挟むようにして二十体近く。小さい状態でも充分脅威であったというのに、それが巨大化したものだから紗久羅も奈都貴も柚季も頭の中が真っ白、ただぎゃあぎゃあと叫ぶことしか出来なかった。

 じりじりと迫りくる花。前門の花、後門も花。逃げるには彼等の間を上手いこと縫うようにして走るか、塀の上に飛び移るか、もしくは空を飛ぶしかない。


「こ、こんな花に捕まったら私それだけでショック死よ! 嫌、近寄らないで、気持ち悪い、ええいもうこれが効かなかったら気合で空でも何でも飛んでやる! 皆、目を瞑って!」

 うっすらと目に涙を浮かべながら叫ぶ柚季。紗久羅は咄嗟に目を瞑る。同時に眩い光が目蓋を焼き、花が悲鳴をあげた。一瞬にして止んだ光、それから目を開くと、花が鬼灯の手で顔を覆って悶絶しているのが見える。


「目くらまし、成功! やった! 実践では初めてだったけれど上手くいった……というか何でこの攻撃は効いたのかいまいち分からないけれど……そんなこと言っている場合じゃなかった! 皆、今の内に逃げましょう!」

 その声に皆の足が動き、悶絶している花を避けながら全力で走る。後方から声が聞こえる。恐らく花に鬼ごっこを支持した者の声だろう。


「状態異常への耐性が無いみたいだ。もっと強くしないと……どれと合わせればいいかな。ちょっと弱くなるけれど、仕方無い」


 花の動きを止められたのは、ほんの短い間のこと。彼等はすぐに紗久羅達を追いかけてきた。足があまり速くないのが救いだったが、彼等が走る姿は鬼気迫るものがあり、もし捕まったら命は無いと思えるようなものであった。だから皆、全力で逃げる。逃げるったら逃げる。


「ごめんね、ごめんね紗久羅ちゃん達、私達戦闘とかにはあまり特化していないんだよう、本当にごめんね!」

 美沙などは、ひたすら謝りながら走っている。紗久羅達には美沙や榊を責めるつもりは毛頭なかったが、大丈夫ですとか気にしていませんとか、そういった言葉をかけてやる余裕も無い。


(こけしやばい、こけし怖い、こけし気持ち悪い! ああ、しばらくこけしの顔見られない!)

 紗久羅の脳裏に、花びらに包まれていたこけしの顔が強烈に焼きついて離れない。こけしの顔など見たくないと思える位の映像である。もっとも、こけしを目にする機会などそうそうないのだが。


 このままでは埒が明かない……と思っていた紗久羅達だったが、終わりは唐突に訪れた。誰も何もしていないのに花の動きが突然鈍り、かと思ったら枯れていったのだ。小さい花から、順番に。

 あっという間に紗久羅達を追いかけていた花は全滅し、アスファルトに無残な屍の絨毯を作りだす。誰かが何とかしない限り、延々とこちらを追いかけ回すだろうと思っていたから、紗久羅達は正直拍子抜け。


「ううむ、力の耐性は強いけれど生命力やら体力やらの値が低すぎた。これじゃあ、駄目だ。もっとそういうのが強いものと合わせていかないと。品種改良、品種改良。あれとくっつけて、あれを更にくっつけて……どうしようかな」

 そんな声が微かに聞こえた。とりあえず一難去ったが、彼がもし『品種改良』を繰り返し、とてつもなく強い花を作ってしまったらと思うとぞっとする。今は、彼の品種改良が失敗することを祈るばかりである。


 さて、一難去ったからといって全てが解決するわけではない。乱れた呼吸を整えながら引き続き調査をしていると、一難どころか十難二十難やってくる。

 奈都貴が何気なく後ろを見る。それからあっという声をあげると隣を歩いていた柚季の左手を引っ張り、その細い体を自分の方へと引き寄せた。そして紗久羅が「何突然なっちゃんったら、柚季を狙う獣になっちゃって」と茶化す間もなく、柚季がほんの数秒前までいた場所を何かがものすごい勢いで通っていった。紗久羅のポニーテールが、その何かの生みだした風でふわりと揺れた。何かは数メートル先まで走ったところで立ち止まる。

 柚季は何がなんだか分からず、何、何? と奈都貴に体を寄せたまま呆然。


 止まった何か……というのは、赤いべべ着た熊のぬいぐるみで。その大きさは、二メートル近くある。そのぬいぐるみは手を輪っか状にし、前に突きだしている。腕にくっつけるビニール製のぬいぐるみを馬鹿みたいに大きくしたもの、という見た目だ。


「だっこしたい、だっこしたい。だっこしてぎゅっとしてああ愛だ」


「何それ意味分からない……」


「抱きつき魔か。つうかあんな勢いで突っ込んできたらだっこするどころか、激突して相手を吹っ飛ばすよな……」

 何気なく振り返っていて良かったと奈都貴は冷や汗。だっこに失敗した熊はその場でしばらくめそめそと泣いていたが、立ち直ると先程以上に早く走ってきて、奈都貴と柚季の前に止まると……。


「きゃあ!?」


「もご!」

 二人をまとめてがばちょとだっこ。ビニールで作られたらしい熊に抱きしめられ、顔をその体に密着させられ、離せ苦しい痛いともがもが言いながら必死に抵抗。紗久羅は二人を助けようと熊にしがみつくものの、彼の体はびくともしない。


「離せ、二人を離せ、このままじゃ窒息して死んじまうだろうが! あ、この野郎ますます力強く抱きしめやがって……離せ、変態ビニール野郎!」

 ビニール製なら、もしやと思い紗久羅は思いっきり熊の体に噛みついた。ぐっと歯をたて、ぎりぎりとやるとやがてその体のほんの一部が破れた。そこから空気が一気にで、彼は泣きながらしぼんでいく。やがて干物のようになって、消えて、ばいばいグッバイ。後に残ったのは熊のぬいぐるみよりもある種凶暴な娘一人と、目を回している奈都貴と柚季。美沙はごめんねと大丈夫という言葉を繰り返し。


 まだまだ変てことの遭遇は終わらない。一体こんな小さな町にどれだけの数の変てこが生みだされているのだろうと思う位の数である。


 冷やしたわらびもちのようなものがびっちり敷き詰められた道。その両側にずらりと並ぶのは、納涼床。といっても一つ辺りのサイズはかなり小さく、親指サイズのマスコットを十体程乗せたらいっぱいになりそうなものだ。実際、それ位のサイズの、着物を着た小さなマスコット達がそれぞれ数体ずつ乗っており、後にはご馳走の並べられた机と座布団。その頭上に吊るされているのは、豆電球程の大きさの提灯だ。

 紗久羅がじっとそれを眺めていると、急に周囲の世界が様相を変えた。気づけば彼女はその納涼床の上におり、いつもよりずっと大きな空を見上げていた。

 ふわりと漂う食べ物と酒の匂い。雪の様に白い大根の上に盛りつけられた刺身、醤油と生姜の匂い香る煮魚、肉と野菜の踊る鍋……。


 空は何故か夜空に変わっており、提灯の暖かな光の奥に銀色に輝く月が見える。ただの人形だったはずの者達は喋り、笑い、飲み食いしている。

 心地良い川の水が流れる音。夜空に染められた川は、きらきらと輝いていた。

 人形の一人が紗久羅を手招きする。


「一緒に食べよう、飲もう。ここにいたらずっと美味しいご馳走が食べられるよ」

 ああ、そうだな。そうしよう――そう言おうとしたところで紗久羅は我に返った。見ると、柚季が青い顔をしながら右腕を掴んでいる。


「危なかった。紗久羅、この納涼床あまりじっと見つめていない方がいいわよ。あっちに引きずり込まれてしまうから」


 他にもまだあった。塀の上に無数に取りつけられた鳥居の中を歩く花嫁行列を見かけた。屋根の上に寝そべり、その身を焼こうとしている巨大煎餅も目にした。傍らにはビーチパラソル。その煎餅をじっと見ていたら「エッチ!」などと言われ、五人はあられの雨を浴びせられた。何種類かの青系統の縮緬の皮をまとった、杵を持った兎に追いかけられ、臼を投げつけられ(臼のくせしてやたらとそれは飛んだ)、道路標識がモデルを務めるファッションショーと遭遇し、煙管(きせる)とランプの駆け落ち騒動に巻き込まれ、しゃもじを自在に動かし、中に入っているビー玉爆弾(当たるとスライムが体につく)やら授業参観や入学式、卒業式を連想させるような、気持ち悪い位強烈な匂いを発する七福神の人形、びっくりする程冷たいおはじきなどをすくっては投げ、すくっては投げを繰り返す炊飯器に泣かされ、時々真っ白になり、げろげろとあんこを吐きだす鯛焼きに遭遇し……。


「いやはや……本当なかなか、すごいねえ」

 ようやく落ち着いたところで、美沙が汗を拭きながら言った。楽しいことが大好きな彼女も、流石にこの怒涛の変てこラッシュは堪えると見える。榊も気のせいか疲れきっている。妖である二人でさえそれなのだから、人間である三人などもっと酷い。三人して復活を拒むゾンビのようだ。

 美沙の持っている携帯が、軽快なメロディーを鳴らす。どうやら使鬼の一人である蕾かららしい。しばらく色々と話していたが、紗久羅はもうその話に耳を傾ける余裕もなく、虚空を見つめながら渇いた笑いを漏らすのみ。


「蕾曰く、舞花市からも沢山の物が無くなっているみたい。ただ更にその先の街には目立った被害はないようだよ。何かが盗まれている様子も、逆に変なものが置かれている様子もないみたい。だから『材料』の調達先は主に三つ葉市と舞花市。それでもって調達した材料を使って、桜町をこんなことにしちゃっているってことだねえ。きっと境界を飛び越えて、こちらの世界――多分桜町に迷い込んできたんだね。その後、分身を作ってこういうことをし始めたと……」


「蕾達は、他に何か言っていた?」


「何か気になることを言っていたよ。そこに確かにあったはずの建物が消えているのを見たけれど、でも目に映らないだけ、触れられないだけで、本当は消えてなんかいなくて、その場に残っているんじゃないか……って気がするって。壁とかも、一部分消えているように見えるんだけれど、本当の本当に消えたわけではないような……って」

 死にそうな顔をしていた柚季は、美沙の言葉に首を傾げる。


「一体それはどういう……」

 直後ひゃあああ、という絶叫と柚季のきゃあ、という悲鳴が重なる。どうやら柚季の頭に声の主が落ちてきたらしい。柚季の目が足元へ向かう。紗久羅と奈都貴もそちらへ目を向けると、そこにはついさっきまでは確かにいなかった者がうつ伏せになって倒れていた。生まれたての赤ん坊と同じか、或いは少し小さい位の――えらく派手な着物を着た人間……らしきもの。


 それはしばらく地面に貼りついていたが、やがて身を起こすと丸い顔をぷるぷる振った。それから自分をおぞましい虫でも見るかのような目で見つめている柚季の顔をまじまじと見た。次に紗久羅、奈都貴、美沙、榊と順に見ていく。

 純和風の、素朴な顔立ち。大きさは違うものの、見た目は小学校低学年といったところ。ほっぺは思わず突きたくなる位ふっくらしており、仄かに赤い。

 彼は五人の視線を浴びてもけろりとした様子。


「落ちてしまった、うっかりうっかり」


 どういうわけか、目の前にいる彼の姿だけははっきりと見える。辺りを見回すが、矢張りちゃんとした姿が見えるのは彼だけである。落ちた衝撃で自分達の姿を見にくくする為の術か何かが解けてしまったのかもしれない。そのことに彼も気がついているはずなのだが、矢張り全く動じる様子を見せない。逃げだす様子も無かった。

 これはチャンスかもしれない。その場にいた全員がそう思った。


「おい、この町をこんな変てこにしたり、あたし達をえらい目に遭わせたりしているのは、お前達か」


「えらい目どんな目こんな目、(うお)の目猫の目まるで駄目!」


「訳の分からん言葉でごまかそうとしても無駄! お前等が犯人なんだろう? そうなんだろう? 答えろ、答えないとその小さな頭をこの拳でぶちのめしてやる!」


「そんなの全然怖くない。空っぽだから、怖くない。僕等はいるけれど、いない。いないけれど、いる。そんな程度のものだから」


「空っぽって、やっぱりお前は誰かの分身なのか。だから実体らしい実体が無いのか」

 拳を握りしめたまま問う紗久羅に対し、彼はのほほんとした笑みを向けている。全く緊張感のきの字も無いような顔で、見ているだけで気がへなへなと抜けてしまう。また、問いに対して答える声も随分間延びしていて、実に暢気なものであった。


「分身ねえ、そうかもねえ。あの人達の『情報』を元に作られたんだから、分身って言ってもいいかもねえ。僕も他の皆も、あの二人のぶんしんだー」

 その言葉に紗久羅は目を丸くする。彼女の気持ちを代弁するように奈都貴が目の前にいる小さい彼に尋ねた。


「あの人『達』? 二人? おいちょっと待て、お前らの本体って二人いるの?」


「二人は二人。一人じゃないし、三人でもない。二人、二人」

 一人、歌っている。一人どうにかするだけでも大変そうなのに、それが二人もいるとは。奈都貴はちらっと美沙と榊を見やる。しかし彼女達はその事実にあまり驚いていないようだ。むしろ、やっぱりといった様子である。


「美沙さん達、分かっていたんですか? 彼等の本体が一人じゃなくて二人であることに」


「うん。今まで見た変てこな物の数々なんだけれど……そこから感じられる力の気配の系統がね、二種類あったの。ものすごく微妙な違いなのだけれど。だからきっとこの大量の分身を生み出しているのは二人かなと思っていたの」

 榊も何となくそんな気がしていたらしいが、美沙ほどはっきりとは分かっていなかったらしい。それを聴いていた小人(という言葉がふさわしいだろう)は小さな手をぺちぺち叩いて、彼女を賞賛。実は馬鹿にしているのかもしれないが。

 ところで、と紗久羅が小人に詰め寄る。


「情報を元に作られたってどういう意味だよ。遺伝子がどうとかって話? お前らクローンみたいなものなの?」


「くろうん? はて。クラウンメロンなら知っているけれど」


「何でそっちは知っているんだよ!?」


「材料で手に入れたから。手に入れればなんだって、分かる」

 全く意味が分からない。分からないから、どういう意味だと聞くが答えようとしない。


「目視権を行使するです」


「目視じゃなくて黙秘だっての! 何を目で視るってんだ!」

 紗久羅がすかさずつっこむと、彼はこちんと自分の頭を叩いて舌ちょろり。

 またその態度にいらっとし、この野郎と彼に掴みかかろうとする紗久羅を奈都貴と柚季が止める。二人に体を押さえつけられ、じたばたもがきながらも紗久羅は叫んだ。


「大体お前達、一体何が目的でこんなことしていやがるんだ! お前達のせいでこっちは酷い目に遭っているんだぞ!」

 

「ちゃんとした目的や理由がなければ、こんなことしてはいけないの?」


「ちゃんとした目的や理由があっても駄目に決まっているだろうが!」

 紗久羅は思いっきり怒鳴ってやる。だが相手は動じない。怯えもしないし、びびりもしない。相当強いメンタルをお持ちのようだ。いや、もしかしたらメンタルという概念自体彼には存在していないのかもしれない。

 きいきい猿のように喚き散らす紗久羅と対照的に、彼はにこにこしながらくるくる回る。


「目的や理由なんてどうでもよい、楽しければそれでいい! 誰に迷惑をかけようとも気にしない、楽しければそれでいい!」


「お前等がよくても、こっちはよくない!」


「こっちがよければ、どうでもいいよ。そんなものでしょ?」


「……くそ、お前達の本体を絶対に見つけだして、ぶん殴ってやる。おい、お前を作った馬鹿妖怪はどこにいる!?」

 どストレートにそれを聞く馬鹿がどこにいるんだ、と奈都貴が呆れる。柚季もそんなこと答えてくれるわけないじゃないとため息。実際、小人は口に人差し指をやり「ないしょ」と言った。


「言ったら、ぶん殴るんでしょ?」


「え、殴らない殴らない。むしろ撫でてあげる!」

 

「紗久羅、表情で考えていることがばればれよ……」

 味方であるはずの柚季につっこまれる。奈都貴も、寸前にぶん殴ってやると言ったくせにと分かりやすいとか分かりにくいとかいう次元を超えた嘘に呆れ気味だ。


「くっ……ふ、ふん! いいよ、教えてくれなくても。どうせ居る場所は分かっているんだ。桜町商店街だろう? 人が入れないようにしたってことは、入られると不味いってことだろう」


「むむう、ばれたか」


「やっぱりそうなのか! へへん、いい情報を聞いたぜ! 今から商店街へ殴りこみにいってやる!」


「こわや、こわや」

 勝ち誇ったように胸を張る紗久羅に対し、身をぶるっと震わせる小人であるが、本当に怖がっているようには見えない。行っても無駄だと内心思っているのかもしれない。

 そうして紗久羅達と馬鹿みたいなやり取りをしている隙に榊が虫をけしかけ、その小人を捕らえようとした。だがすんでのところで逃げられて。


「やっと抜けだせたんだ、いっぱい楽しまなくちゃ損だ! あの籠の中には絶対戻らない、大丈夫、戻るなんてことはないさ! 僕達はとっても早いもの、捕まえられっこない!」

 小人はきゃはは、と無邪気に笑いながら消えてしまった。先程まで確かに見えていた彼の姿は、一瞬で見えなくなる。皆してがっくりと肩を落とす。捕まえたところで、彼が有力な情報をあれ以上喋ったかどうか分からないが。


「とりあえず、桜町商店街に行くしかないみたいだね」


「美沙さんには、本物と分身の区別ってつきます?」


「つくと思うよ。柚ちゃんも落ち着いて、ちゃんと集中すればきっとその違いを見抜けるよ」


「この状況下で落ち着けるほど、私のメンタル強くないです……。うう、またあっちに行かなくちゃいけないなんて。あそこったら今、変てこの塊になっているんですもの。戻らなくちゃいけないと思っただけでああ、寒気がする。これは冬の寒さとは違うものだわ」


「まあどこもかしこも変てこだし、もうどうにでもなれって感じ……」


「商店街に行って、本物見つけて、ぼっこぼこにしてやる!」


 こうして五人は、桜町商店街を目指して歩きだすのだった。

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