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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
桜の夢と神隠し
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桜の夢と神隠し(4)

 紗久羅ちゃんも、私も、あんまり驚いたものだから、しばらく何も言えず、ただお互いの顔を見つめることしか出来なかった。出雲さんだけが、一人意地の悪そうな笑みを浮かべている。

 紗久羅ちゃんは、やがて出雲さんを睨みつけると、私を指差しながら大声で叫んだ。


「おい、馬鹿狐! どういうことだよ、これは!」


「どういうことって、こういうことだよ。さくらもまた、私によって『あの』世界に導かれた、という訳さ。君と、同じようにね」

 紗久羅ちゃんは、口を開けっ放しにしながら呆然と立ち尽くす。

 私「も」ということは、紗久羅ちゃんも……あの異界のことを、出雲さんの正体が化け狐であることを知っている……ということかしら。まあまあ、驚いたわ。今まで、そんな様子少しも見せなかったのに。もう、ずるいわ紗久羅ちゃんったら。知っていたのだったら、私に教えてくれれば良かったのに。私がそういうことが好きだってことも、そういうところがあったら行きたいって言っていたことも知っていたはずなのに。って、そんな風に人を責めちゃいけないわよね。反省、反省。


「ちょっと……それじゃあさくら姉もお前の正体を知っているってことか!?」


「そうだよ。やっと分かったかい、全く物分りが悪いねえ。まあ、そういうところもまた、可愛いのだけれど」

 そう言って笑う出雲さん。「毒」というものを擬人化したとしたら、こんな風な顔をしているのだろうな、と思ってしまう位毒々しく、黒い笑みだった。


 紗久羅ちゃんは、そんな出雲さんの足を、強かに蹴飛ばした。まあまあ、あの天下の化け狐に蹴りをいれるなんて。すごいわ、紗久羅ちゃん。流石菊野お婆様のお孫さん。私には絶対出来ないわ。というか私は、普通の人間を蹴飛ばすこともできないのだけれど。


「痛いなあ、もう何だって君はそう凶暴なんだい。まあ、そんなことはどうでもいいや。仕返しは後でじっくりねっとりしてあげるから。とりあえず、ここを上ろう。さ、二人に通しの鬼灯をあげる。ここに来るときは、それを持ってくればいい。まあ、あまり頻繁に来られても困るのだけれどね」


 色々叫んでいる紗久羅ちゃんを無視して、出雲さんはさっさと階段を上り始めた。紗久羅ちゃんは「こら待ちやがれ」とか色々言いながら、後を追いかける。


 ああ、私も行かなくちゃ。


 柔らかな温もりが、幻想の世界への扉を開ける。三日前に見たのと全く同じ光景が目の前に広がった。背筋が凍る程美しい。

 先へ進む出雲さんは、ただ前だけを見つめている。私達なんて、居ないかのように振舞っている。紗久羅ちゃんは、時々振り返って、ちらちらと私の顔を、何だか少し気まずそうな表情を浮かべながら見た。


 鳥居と階段を囲む、桜の木々。ほの甘い香りは、麻薬の様に人の頭をぼうっとさせる。この香りと、優しげで美しくてどこか妖しい花びら、それを統べる人「人ならざる者」が、一夜達を次々とさらっていったのだろう。

 ああ、桜の花びらの匂いを嗅いでいると、何だか体がふわふわする。階段を上る苦しみすら、忘れてしまいそうになる。この香りに体を預ければ、恐ろしい数の階段も難なく上れる気がした。


 気づけば、最後の階段に足をかけていた。威厳とか貫禄、ずっしりした重みのある『異界』への入り口の鳥居を、超える。


 出雲さんと紗久羅ちゃんが、足の鈍い私を待っていた。はあはあと、荒く息を吐きながら、二人の下へ駆けていく。まもなく、館の扉が開いた。


「おかえり、出雲」


「ただいま、鈴。悪いけれど、三人分のお茶を持ってきておくれ」


「分かった」

 鈴ちゃんは、出雲さんの背後に立つ私達をちらっとだけ見て、くるっと後ろを向いて向こうへと駆けていった。私達は、そのまま例の部屋へ向う。

 紗久羅ちゃんは、この館に入るのは初めてなのか、やたらきょろきょろ辺りを見回している。


「出雲の癖に、随分と立派なところに住んでいるんだな」


「私にぴったりの、とても素晴らしい所だろう。庶民の紗久羅達にはお城の様に見えているだろう」


「庶民っていうな!」


「でも、確かに私も紗久羅ちゃんもごくごく普通の一般人よね。特別お金持ちでもないし、庶民であっていると思うわ」


「そういう問題じゃないと思うんだけど……はあ、流石さくら姉」

 あら、そんな頭を抱えちゃって。暑さで眩暈でもしたのかしら。

 出雲さんは、そんなやり取りも気にせず扉を開けてさっさと部屋の中に入っていく。私達も、続けて入っていった。


 部屋から見て左にあるテーブル。ドア側の椅子に私と紗久羅ちゃん。反対側に出雲さんが座る形になった。間もなく、鈴ちゃんがやってきて、私達に緑茶と水羊羹を出してくれた。気のせいか、出雲さんの前に置かれた羊羹は私達の前に置かれたそれより大きい気がする。……まあ、隣の芝生は青いってやつでしょうけれど。


「で、出雲。どういう経緯でさくら姉を、この変てこ世界へ引っ張り込んだんだ」

 

「変てこ世界なんて。ここはとっても素晴らしい世界よ」


「さくら姉、ちょっと黙ってもらえるかなあ?」

 暑さのせいか、やたら紗久羅ちゃんはピリピリしている様子。あまり話の腰を折ってもしょうがないので、とりあえず黙っておくことにしましょう。

 出雲さんはその間、水羊羹を美味しそうに頬張っていた。お茶をすすり、ほっと一息。紗久羅ちゃんがテーブルを軽く叩く。はあ、とため息が聞こえる。


「さくら……ああもう二人とも同じ名前で面倒だなあ、いっそどっちか改名してくれないかい? そうしないと面倒だ」


「あんたの都合でそうほいほい改名してたまるか! どっちかあだ名の様なもので呼べばいいだろう!?」


「あだ名、ねえ。ああ、例えばサクラの方を『凶暴貧乳娘』って呼ぶとか?」


「サクラってどっちのサクラだよ!」

 紗久羅ちゃんが、黄色のキャミソールに覆われている胸を抑えながら、大声で叫ぶ。うーん、どっちなのかしら。私自分の胸が小さいのか大きいのかよく分からないし……。でも、私は自分が凶暴だと思っていないし。となるとやっぱり……でも、紗久羅ちゃんの胸が小さいのかどうかなんて分からないし。それに凶暴っていうほど紗久羅ちゃんって凶暴なのかしら。ただ元気があるだけだと思うのだけれど。


「君の方に決まっているじゃないか。自覚しているから食ってかかってくるんだろう?」


「ああどうせ貧しい乳だよ! そんなの自分で分かっている! 分かっているけれど、お前に言われると何だって腹が立つんだよ! もっと、ましなので呼びやがれ!」


「ましねえ……特に思い浮かばないのだけれど。そっちのさくらには何かいい案はあるかい?」

 話を急に振られて、私はびっくりする。


「え、私、ですか。えっと……あ、私友達に『サク』って呼ばれているんです。もし宜しければ、私と紗久羅ちゃんが同じ場所にいる時はそう呼んでください」

 出雲さんは、ああそれ良いかもね、とだけいって話を元に戻す。


「何で彼女がこの世界へ導かれたか。それはね、彼女が私に助けを求めてきたからだよ。私の後をつけ回してきた挙句『一夜達を助けて』ってね。貴方は人間ではないでしょう、ってさ。ふふ、とても正直なお嬢さんだよ。ある意味、紗久羅より大胆だ。……まあ、それで話を聞いてやる為に、ここへ呼んだ次第さ。簡潔に説明すると、こんな感じだよ」


「さくら姉……よくもまあ、確信もないのにそんなこと言ったな」


「君だって似たようなものじゃないか。私のことを何年間も化け狐って言い続けて。こっちが正体ばらしたら今度は『そんなもの信じない』とか言ってさ。全く、人間って滅茶苦茶な生き物だよねえ。まあ、だからこそ苛めがいがあるのだけれど」


「この極悪性悪凶悪最悪狐め」

 紗久羅ちゃんは、じとっとした目で出雲さんを見る。


「ふふ、そんなことばっかり言っていると、君の大好きなお兄ちゃん達を助けてあげないよ」

 言うと、紗久羅ちゃんは歯をぎりぎりさせながらも、大人しくなった。何だかんだいっても、紗久羅ちゃん、一夜のことが大好きなのね。ごめんね、紗久羅ちゃん、私のせいで、こんなのことになってしまって。私は、心の中で彼女に謝った。

 出雲さんは、必死で怒りのエネルギーを抑え込んでいる紗久羅ちゃんを、愛玩動物でも見るかのような目で見ながら、にやにや笑っている。

 ああ、でもそんな邪悪な笑みすら、神々しく見えるわ。素敵。


「……まあ、君達がここへ来た経緯については、後で二人でじっくり語り合えばいいだけのこと。それより、さっさと話を先へ進めよう。あまり無駄なお話ばかりしていると、助けられるものも助けられなくなってしまうよ。まあ、私はどちらでも良いんだけれどね。最低一夜位は助けておきたいけれど。……菊野に無言で責められそうだし」

 出雲さん、本当に菊野お婆様には弱いのね……。菊野お婆様ってある意味、伝説の巫女・桜よりもすごいのかも。


「桜に関係して、且つ人をさらう者。まあそういう存在は幾らかいるけれど、今回の様に人間が眠りから覚めなくなって、挙句姿を消してしまうという事例を考えると、犯人はある程度絞り込める」


「ある程度って、はっきり一人に絞り込めないのかよ」


「そういうことが出来るのはたった一人ですっていうのなら絞り込めるけれど。一人って訳じゃないからね……。恐らく、かず坊達を連れて行ったのは『骨桜(ほねざくら)』だろう」

 骨桜?聞きなれない名前だわ。紗久羅ちゃんも、目をぱちくりさせる。


「骨桜、ですか? 一体、どういう……」


「見た目は、普通の桜よりも大きくて立派で美しい……まあ私には劣るけど……な桜だ」


「何でそんな綺麗なのが『骨桜』なんて呼ばれるんだ?」

 紗久羅ちゃんが首を傾げる。出雲さんが、妖しくにこりと微笑んだ。


「食べちゃうからだよ」


「え?」

 私と紗久羅ちゃんが、同時に声をあげる。出雲さんの口が歪んだ形になる。赤い瞳が、ぎらぎら光る。とても楽しそうな、無邪気で、それでいて妖艶な笑みを浮かべて、続きを語る。


「対象者の肉体や魂、全てを逃げられないように縛って、自分の手元に置いてね。少しずつそれらから、生命力……現代の言葉で言えば『えねるぎー』っていうのかな。それらを吸収して、自分の養分にしてしまう。そして最後には……美しいその桜の木の下に、生命の絞りかす……残骸……骨だけが、残る。だから、骨桜」


 言葉を、失った。

 

 エネルギーを吸い取って……相手が死ぬまで全てを搾り取ってしまう……殺してしまう、ということ?

 終いに骨だけになって、しまう?


「骨桜の木の中には、特殊な空間が広がっている。その木の格によって、広さとかは変わってくるらしいけれど、大抵その木の大きさ以上の広さがある。その骨桜の精神空間みたいなものだ」


「見たことがあるのか、その骨桜とかいう木の中を」

 言う紗久羅ちゃんの声には、さっきまでの覇気が無い。無理もないわ、だって、もしかしたら一夜は……駄目、そんなこと考えちゃ駄目だわ。

 出雲さんは、構わず話を続ける。私達が明らかに動揺しているのを見て、楽しんでいるみたい。


「一度だけね。だから、まああまり覚えてはいないのだけれど。……そこには、その骨桜の核と呼べる存在が居る。大抵は女性の姿をとっているようだね。骨桜は、自分が持つ空間と、人間や妖怪の見る夢を繋げる力を持つ。骨桜の空間と夢を繋げられた相手の意識はふらふらさ迷う内に、気づかぬ間に、骨桜の空間へ続く道を進む。そしてうっかり骨桜の空間までやってきてしまったら最後、余程のことがない限りは逃げられない。骨桜の核は、魅惑の術を使って獲物の意識を完全に自分の空間へ引っ張り込んで、縛りつけてしまう。そうされた相手は、目を覚まさなくなる。意識なんかが肉体から離れて、全然違うところに行ってしまっているのだからね」


「その後……残っていた肉体も消えてしまうのは、何故、なんですか」


「意識だけ自分の手元に置いても、仕方ない。その意識の持つエネルギーを吸い取るだけじゃ、大した養分にならないしね。骨桜の核は、獲物の意識がどこからかやってきたのか、意識の通った道を辿って、その意識の持ち主である肉体の位置を調べる。位置が分かったら、特殊な術を使って、その肉体を自分の本体である骨桜の木の下にまで、強制的に転移させるんだ。そして、肉体を自分の木にしっかり密着するように置く。後は、そこから少しずつ……ね。意識が縛りつけられているから、目を覚ますことはできない。逃げることも、出来ない。結局無抵抗のまま、死ぬのさ」


「それじゃあ、それじゃあ一夜達は……っ」


「いや、未だ死んではいないと思うよ。骨桜は、一気に全てを吸収する訳じゃない。本当にちまちまと吸い取っていくからね。最初の被害者だという娘さんも、生きているだろう。まあ、衰弱はしているかもしれないけれどね」


 それを聞いて、私も紗久羅ちゃんも少しだけほっとして、肩を撫で下ろして息を静かに吐いた。それにしても、言い伝えに出てきた桜の木が、そんなに恐ろしいものだったなんて。


「骨桜。……まあ、桜夢とも呼ばれるのだけれど。厄介な相手だよ、力自体は大したことないのだけれどね」


「えっ」


「ん、どうしたんだい?」


「いえ、なんでもないです」

 桜夢。確か、美吉先輩がそんな言葉を呟いていたわ。何で、美吉先輩はその言葉を知っていたのかしら。そういうものに詳しい知り合いが、美吉先輩にもいるのかしら。まあ、噂によれば歴史のある名家のお嬢様であるというし。そういう伝承などを聞く機会も多いのかもしれないわね。


「で、出雲。兄貴達を助ける方法はあるのかよ」

 少しだけ元気を取り戻したらしい紗久羅ちゃんが、出雲さんに問う。出雲さんは、艶のある唇を静かに撫でながら、何か考えているようだった。


「無いことは無いと思うけれど、ちょっと面倒かもしれないね。まずは、かず坊達をさらった骨桜を特定する。皆同じ骨桜にさらわれているなら楽だけれどねえ。まあ、同一犯の気はするけれど」

 更に、と続ける。


「骨桜の周りには、強力な結界が張ってあるんだよ。折角の獲物を、そこら辺に住み着いている下等な妖怪に喰われたらたまったものじゃないからね。吸収したい養分の殆どは、肉体とその肉体に宿っているものにあるから。……まあ、これは私の力を持ってすればそう難しいことではない。とりあえず結界内にある、かず坊達の肉体を木から引き剥がせば、彼らはとりあえず死にはしないね」

 でも、と出雲さんは続ける。


「問題はその後かな。かず坊達を真に解放する為には、骨桜の空間に囚われてしまった、彼らの意識も引っ張り出して元に戻さなくてはならない。その為には、骨桜の空間に入らなくてはいけないのだけれど、はいそれじゃあ入りましょうっていって、入れるものではないんだよね」


「でも出雲、あんた一回その骨桜の空間とやらに入ったんだろう」


「その時は私も、かず坊達同様寝ている時に、誘い込まれたんだよ。まあ、この通り無事だったけれどね。私を食べようとした悪い桜さんには、軽くお仕置きして差し上げたよ」

 そう言って、楽しそうににやりと笑う。軽くって……出雲さんの軽くって、少しも軽くなさそうだわ。骨桜も、可哀想というか何というか。とんでもない人を獲物にしようとしたのね。


 紗久羅ちゃんはそっぽを向きながら「いっそそのまま引きずり込まれて骸骨になればよかったのに」と悪態をついていた。あらあらまあまあ。


「まあ、美しい桜の木の下で散るのも悪くは無いけれど。私は、未だ死ぬつもりはないよ。楽しいおもちゃが増えたしね。生と死の花、桜。そこで死ぬのは、まあ当分先ということで」


「おもちゃ言うな、おもちゃって! さくら姉も何か言ってやれ、この馬鹿狐に!」


「桜の花が生と死の花って、どういうことでしょう」


「そっちじゃねえ!」

 頭を抱える紗久羅ちゃん。私、変なこと言ったかしら?


「だって、桜の花は桃色だから」


「こっちはこっちで意味の分からないこと言いやがって! ああ、誰か、誰かあたし以外のツッコミ役はいないのか!?」

 叫ぶ紗久羅ちゃんを、きょとんとしながら見る。


 そうしていると、思う。


 やっぱり紗久羅ちゃんと一夜って兄妹ね。色々なところが、そっくりだわ。

 

「ははは。やっぱり面白いなあ、お転婆紗久羅姫は」


「こっちは少しも面白くない! 兎に角、出雲! 何が何でも馬鹿兄貴や他の人達を助けてもらうからな! 助けなかったら、一生お前に稲荷寿司売ってやらないし、食わせてもやらないから!」


 びしっと出雲さんを指差す紗久羅ちゃん。けれど、どれだけ紗久羅ちゃんがばっちりしっかり決めても、出雲さんの表情は変わらず、にににこしている。

 菊野お婆様に同じ事を言われたら、多分顔色を変えるのだろうけれど。

 頑張って、紗久羅ちゃん。本当に。


「まあ、紗久羅が面白い面白くないは、置いておこう。何だかさっきから話が脇道にそれてばかりだねえ。……まあ、とりあえず骨桜の空間に、眠らずとも入れる方法を探さないとね。意識だけあちらへやっても、意味は無い。力を発揮することができないから、相手を懲らしめることもできないしね」


「え、でも出雲さん……以前骨桜に危うく獲物にされかけた時、お仕置きしたんですよね」


「ん? ああ、あれは骨桜の空間でやった訳ではないから。後日、その骨桜のある場所を調べて、骨桜の木自体にさせてもらったんだ。結界の中に入り込んでね」

 ……何というか、本当、執念深い方だわ。そこまでして……。出雲さんに恨まれたら最後、末代まで祟られそうね。

 同じようなことを紗久羅ちゃんも考えているようで、ぶつぶつと何か呟いている。


「今回は、骨桜の木自体に何かしたところで、解決する訳ではないからねえ。火で燃やして、灰にしてしまえば、骨桜自体は死ぬけれど。骨桜が死ねば、その木が持つ空間も消え、同時にそこにいる、かず坊達の意識も消滅しちゃって、二度と彼らは目を覚まさなくなる。ああ、面倒くさいねえ……もうさ、これ以上犠牲者を増やさない為に、骨桜を燃やして終わりにしようよ」


「駄目に決まっているだろう、駄目に!」

 

 本当に出雲さん、一夜達を助けてくださるのかしら。何だか、急に「やっぱりやめた」と言い出して、私達の目の前でその骨桜の木を燃やしかねないわ。


 まあ、そうよね。出雲さんは人間の味方という訳ではないし。言い伝えに「気まぐれ」「自由人」と書かれる位、自由奔放な人なのだから、きっと。


 それにしても、さっきから本当に話が全く進んでいないような気がするわ。

 

 私は、羊羹を一口食べる。ひんやりとしたそれは、体の熱を優しく奪う。ああ、これ美味しいわ。どこかのお店で買ったものなのかしら。こちらの世界にあるお店で買っているのか、私達の世界で買っているのか。それとも、手作りかしら。

 ああ、やっぱり和菓子っていいわよね。素朴な味で、とても優しくて。四季の移り変わりも感じられて。


 帰りに、鈴ちゃんから聞いてみようかしら。ああ、でも鈴ちゃん答えてくれるかしら。出雲さんのことは好きみたいだけれど、私達のことはあまり好きではないみたいだし。


「さくら姉? さくら姉、ちょっとさくら姉? 何か別の世界にスリップしてないか?」


「え?」

 美味しい羊羹に舌鼓を打っていたら、遠くから紗久羅ちゃんの声が聞こえた。はっと気づけば、隣にいる紗久羅ちゃんが、顔を近づけて私の名前を呼んでいる。

 あら、いやだわ。私ったらまた自分の世界に入り込んでしまっていたみたい。


「もう、しっかりしろよな、さくら姉。はあ……さくら姉ってぼうっとしながら歩いていて、電柱柱に思いっきり頭ぶつけちゃいそうだよなあ」


「えへへ。実は、一週間に一度の割合でぶつかっているの。あれって、結構痛いわよね。後、側溝に足突っ込むこともたまに……この前、足をつっこんでしまった時、危うく本を落としそうになって、どきっとしたわ」


「本当にぶつかっているのか! しかもそんな頻繁に!? ていうか側溝に足突っ込むなんて……いや、しかも自分より本が大切って……」


「だって、自分の足は洗えば綺麗になるけれど、本は洗って綺麗にすることはできないもの」

 大切に持ち続けていた本には、失ったら二度と元には戻せない、大切な思いが宿っているのよ。汚れたら買いなおせばいいなんて、ことはないのよ。

 紗久羅ちゃん、私があまりドジ゛だから、呆れてしまっているようね。さっきからずっと頭を抱えてしまっていて。頭を抱える姿も、一夜に似ているわ。


 出雲さんが、ぺちぺちとテーブルを叩く。


「サクのドジ談義は置いといて。話を先に……ああ、もうさっきから何回同じ事を言っているのだろう。今もう激しい既視感というものがね……いや、既言感というか、まあそんな言葉ないけれど。兎に角。無理矢理話を戻すよ。骨桜は、どんな相手でも獲物にできる、という訳ではない。かず坊は、まあサクが桜の話をしたのが原因として……他の被害者さん達にも、あるはずなんだよねえ」


「何がだよ」


 ふっと、出雲さんが笑う。


「桜に関する思い出。或いは、桜が印象強く頭に残るような何か。頭の中で桜の花がぐるぐる回るような、何かがね」


 私は、一度も顔を見たことの無い、夕菜さんのことを思った。


 数年前に見た桜の木をキャンバスに描き、そして姿を消した彼女のことを。

 夕菜さんの、桜に関する話を思い出した途端、心臓がシェイカーの中に入れられてぶんぶん振られたかのように、激しく揺れた。

 暑いからなのか、それとも寒気のせいか。額から頬へと汗がつたう。


「昔あった思い出を、今になって思い出したか。それとも、桜に関する何か、桜が意識を、頭を支配する何かが、最近になっておきたか。……まあ、最近でも昔でも構わないのだけれど。骨桜は、そういう人とじゃないと、上手く繋げることができないらしいよ、自分の空間とね。だから、大抵は花見を楽しんで、酔っ払って眠りこけている奴とかが、獲物になるんだ」


 成る程。展覧会に向けて、思い出の桜の木を描いている夕菜さんの頭の中は、きっと薄桃色の花びらをつけた、桜の木でいっぱいだったでしょうね。


 孝一さんの言う通り。確かに、夕菜さんが数年前に見た白昼夢とも思えるような光景は、結果的に彼女を異界へと連れ去ってしまったわ。


 一夜も、同じように。私が桜の木の夢のお話をしたから。多分、何となく「桜」というものが印象強く、頭にぷかぷか浮かんでいて。それが原因で、繋げられてしまった。

 骨桜の持つ、空間へと。


「けれど、こんな季節に桜? 花見の時とか、桜山が一面ピンク色のなる時期ならともかく」

 紗久羅ちゃんが、頭をぽりぽりとかく。確かに、こんな時期に桜の木が頭の中をぐるぐる巡っちゃうような出来事は、そう起きないと思うわ。


 でも、夕菜さんと一夜は、違う。


 出雲さんは、何故か私の方をじっと見ながら笑っている。

 私があからさまに動揺しているからかしら。その様子を楽しむように、笑っていて。その様子すら、とても美しいのだけれど。同時に、恐ろしくもある。


「サク。何か心当たり、ある? ああ、勿論かず坊のことは除いてね」


「わ、私……」

 出雲さんに会ったら、夕菜さんのことだけでも話そうと思ったのだけれど。出雲さんに、氷で冷やしたナイフの様な瞳で見つめられると、声が上手く出せない。

 元々、声なんて出すことができない生き物に、自分が変わってしまったような錯覚に陥る。視線を逸らしても、なおその呪縛から解放されることはない。


 けれど、出雲さんがふっと一息つくと、途端に気分が楽になった。きっとさっきまでは、意識的に出雲さんが、私を萎縮させるために冷たく鋭いオーラを放っていたのでしょうね。私がびくびくして、震えているのをみて楽しんでいたのだ。


 私は、口をやっとのことで開いた。

 

 そして、話す。

 孝一さんから聞いた、夕菜さんの話を。

 出雲さんも、紗久羅ちゃんも、静かに私の話を聞いていた。


「……それで、多分、夕菜さんは。骨桜に連れて行かれてしまったのではないか……と。その、現実とも夢ともつかぬ光景を絵にしたばっかりに……」

 話し終えると、更に気分が楽になった。出雲さんは、唇を静かに撫でながら、何か考えているようだ。


「ふうん。夢とも現実とも……へえ、面白いねえ。今までは心の底にしまっていた思い出。けれど『忘れられない風景』をお題として出されたとき、その美しい風景を思い出す。そして、それを描き続けて。頭の中は桜でいっぱいで……成る程ね。それで、後の子達のことは?」


「いえ、後の人達は、よく分からないんです。偶然、私の所属している部活……部活っていっても分からないですよね。えっと、知り合いの人達が被害者の方達と知り合いだったらしいんですけれど。特にこれといった情報は」


「ふうん。まあ、サクにしては頑張ったねぇ。一番最初の被害者のことだけとはいえ、其れ位調べることができたのだから」


「サクにしては……ってそんなさくら姉のことなんて、殆ど知らないくせに」


「妬いているのかい?」


「意味が分からん!」


「もう分かりやすいなあ、紗久羅は」


「だから、違うっての!」

 立ち上がって、出雲さんの頭をぽかっと叩く紗久羅ちゃん。やっぱりすごい、すごいわ、紗久羅ちゃん……。


「本当、乱暴だねえ、紗久羅は。かず坊の方が、まだしも大人しいかもしれないねえ。ま、あっちはあっちで元気いっぱいのお馬鹿さんって感じだけれどね」

 出雲さんが肩をすくめた。


 結局、話はそこまで。それ以上話したところで埒があかない、という訳で私と紗久羅ちゃんは、まるで追い出されるように館を出た。ああ、この世界についての詳しいお話を聞きたかったのだけれど。うう、それはまた次の機会になりそうね。


 出雲さんは、骨桜の持つ空間へ、直接行く方法が分かったら、また私達を呼ぶという。被害者達のことについても、気が向いたら調べる、と。気が向いたら……あまり期待しない方がよさそうね。

 前よりも詳しいことが色々分かったけれど。少しも、気が休まることはない。

 幾ら、すぐには死なないだろうといわれていても、やっぱりあせってしまう。万が一ってこともあるじゃない。


 助けに行ったときには……やだ、そんなこと考えちゃいけないわね。でも、最悪の事態になったとしても、出雲さんは顔色一つ変えず、肩をすくめて「ああ、死んじゃったね」とか「ちょっと遅かったね」って言うだけなんでしょうね。

 出雲さんに任せるのは不安で心配で仕方ないのだけれど、それしか方法がないから。


 帰り際、鈴ちゃんと玄関近くでまた会った。鈴ちゃんに、あの羊羹はどこかで買ったのか、それとも手作りなのか聞いてみた。けれど鈴ちゃんは「店」とだけ言って、姿を消してしまった。やっぱり、あまり好かれていないみたいね。


 出雲さんから貰った、鬼灯を手に、私と紗久羅ちゃんは元の世界へ戻っていく。

 最後の鳥居をくぐり抜け、元の世界へ足を踏み入れた瞬間、何だかどうしようもなくほっとした。


 結局のところ、私の世界はこちらなのだ。


 それが、やっぱり残念で仕方ないのだけれど、仕方ない、わよね。


 さくら、そして紗久羅のいなくなった部屋。心地よい静寂が、戻ってくる。

 鈴が、ちょこちょこと歩いてきて、静かに二人分のカップと羊羹ののった皿を回収する。さくらは、羊羹を全部食べきっていた。


 本当に賑やかで、飽きない娘達だ。ティーカップの淵をゆっくりなぞりながら、出雲は思う。


(それにしても、妙だな。今は殆ど手を出さなくなった人間に手を出すなんて。近頃は、あまりにあちらの世界としっかり区切られているから、人間の意識と己の空間を繋げにくくなったと聞いていたけれど。それに……複数の骨桜がこんな時期に活動して、人間を獲物にしているというのも考えられないし。単独犯だったとしても……妙なんだよね。こんな短期間に、5人も獲物として捕らえるなんて。1度に捕まえる獲物なんてせいぜい2人位で、その少ない人数から、少しずつ養分を吸収するのが普通なのに)


 何が起きているのだろう。


 現実か夢かよく分からない、桜の木を見たという娘の話も興味深い。

 娘が数年前に見たという桜の木。それはもしかすれば……。しかし、詳しいことが分からないから、なんともいえない。


(調べた方がいいかねえ。被害者達のことも。けれど、面倒だねえ……それに、あちらのことはよく分からないし。ここは、あちらの世界とこちらの世界、両方に繋がりのある者に、押しつけた方が無難かな)


 出雲は、ある一人の人物の顔を思い浮かべ、そして出雲にしては醜い顔になる。余程、嫌な奴の顔を思い浮かべたのだろう。


(あいつしかいないよね。……はあ、まあ、いいか。只の筋肉馬鹿でも、少し、山椒の粒程は役に立つと信じて)


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