つくりかえて あそぼう!(4)
*
「あ、深沢君? 今どこにいる?」
いつもより気持ち低めの声が聞こえる。いつも元気な彼女も桜町の惨状を前に若干テンションが低めであるらしい。
奈都貴は今桜町商店街の近くにいること、紗久羅と柚季も一緒にいること、商店街が封鎖されていることなど簡潔に話した。美沙はそれをうんうんと適度に相槌を打ちながら聞いている。
「美沙さんは今どうしています?」
「始めに三つ葉市の状況を確認して、今は桜町をうろうろしているよ。何だかとんでもないことになっちゃっているね。町がワンダーランドというか、ヘンナーワールドになっちゃっているっていうか……とりあえず三人共合流しようか。一緒に行動しようよ」
「ありがとうございます。その方が俺達も助かります。……美沙さんがいる方へ、俺達が今から向かいます。出来ればこの商店街から今は離れたいんで」
「桜町って殆ど来たことがないから、ここがどこなんだかいまいち分からないのだけれど……あ、そういえば近くにスーパーがあった! スーパー『さくら』って所なのだけれど」
「あ、そこなら分かります。そこで待っていてくださいますか?」
うん分かった、と美沙。集合場所をスーパー『さくら』に決め、一度電話を切った。紗久羅達三人もそちらへ向かうことにした。
去り際、もう一度商店街の方を見やる。いつの間にかえらく大きいさくらんぼが商店街上空に浮かんでおり、アメリカンクラッカーのごとく二つの赤い実をかちこちぶつけていた。その隣ではバナナがゆりかごのように揺れ、イチゴが独楽のようにぐるぐるまわり、スイカに描かれた縞模様が自由奔放に動いたり、別の模様に変化したりしている。先程までは無かったはずのそれらを見て紗久羅達はますますげんなりするのだった。
商店街を離れたからといって、ネジが十本位外れた世界から逃れられるわけではない。歩いても、歩いても、阿呆な世界。
「文化祭の準備の時もそうだったけれど……こうなると、いっそ壊れちゃった方が楽だろうなって思うわ」
柚季は空き地にあるものを見て顔をしかめる。所々芝の生えたその空き地には郵便ポストを重ねて作ったピラミッドがそびえていた。しかもどこからかくすねてきたらしい造花やリボンでデコレーションされている。おめかしした郵便ポストなど、少なくとも三人は今まで見たことがなかった。
その頂にはふっくらとした三毛猫がおり、ぐうすか暢気に眠っている。その幸せそうな顔だけが唯一の癒しであった。柚季はその郵便ポストのピラミッドを苦い顔で見た後、何かに気がついたのかぽんと手を叩く。
「そうだ今日の朝、いつもの道を歩いている時変な感じがしたのだけれど……その違和感の正体が今分かった気がする。その道にあるはずの郵便ポストが無かったのよ。時々使っていたっけ」
「そのポストの一つが今ここにあるかもしれないってことか。ん? 何だ、このがたがたがたがたって音」
その音にはどこか聞き覚えがあった。奈都貴が音の正体にすぐ気がつき、郵便ポストを慌てて指差した。
「ポストだ! ポストの口が開閉しているんだよ、勝手に!」
幾つかのポストの銀色の口が音をたてて開閉を繰り返している。最初はあまり大きな音でなかったが、徐々に口を開閉させるポストが増えてきた為段々とセミの合唱にも匹敵する騒がしさに。あんまりうるさいから、三人は「うるさい!」と叫び耳を塞ぐ。
やがてその音のレベルが頂点に達した時、別の音が塞いだ耳に入り込んだ。
ばさばさばさ、という鳥が一斉に飛び立つ音。それと共にポストから飛び出してきたのは葉書や封筒……ではなく、ころころした小さな鳥。
いや、鳥――というのも間違っているかもしれない。より正確にいうなら、それは鳥のようなものであった。折り紙か何かで作ったらしい、ちまっところっとしたキューブ状のもの。それには小さな羽根が生えているらしく、絶えずばたばた上下に動いていた。目やくちばしがあるのかどうかはぱっと見ただけではよく分からない。
その鳥が、紗久羅達の世界を色鮮やかに染めていた。まるで動く宝石、動く花畑……。
「何でポストからあんなものが出てくるんだよ!? 葉書や封筒はどこに行ったんだ、ポストにちゃんと入っているのか、それともヤギに食われたのか!?」
「落ち着いてよ紗久羅! ヤギがあの小さな口に頭を突っ込んで葉書を食べることなんて出来っこないわ! 葉書とか回収する為の所だって開けられやしないわ!」
「そういう問題じゃないだろう! 及川も落ち着け!」
無数の紙製ちんまりころころ鳥は、三人の様子が余程おかしかったのかぴいぴいと鳴き声をあげて一斉に笑いだした。ひよこのような、大変可愛らしい声であったが、可愛らしいという思いよりうるさいという思いの方が先にきた三人だった。まあ、本当にうるさくて適わない。耳の奥を爪楊枝でぐさぐさ突かれているような気になる。
そんな彼等が一斉に三人に襲いかかってきたものだから、全くたまらない。
三人して彼等の鳴き声に匹敵する位の大きさの、全くもって可愛らしくない叫び声をあげ、その場から逃げだした。人形との追いかけっこの次は、鳥もどきとの追いかけっこである。
「いてててて! 何だよこいつら、くちばしがついてやがる!」
「いや! 髪の毛ぼさぼさになっちゃう!」
「数が多すぎるだろう、これ、ええい、しっし!」
キューブ状の体にちょこんとついたオレンジ色のくちばしは紙製などではないらしく、えらく堅くてつつかれると痛い。しかもかなりの数に囲まれている為視界が大変よろしくない。
自分達を絶えずつつき続ける鳥を手で追い払う。紙風船をつく時のような手触り、矢張り彼等は紙であった。
「この、このう!」
手先に神経を集中させ、柚季は鳥達に向けて気を放つ。その攻撃はかなり有効であるようで、その気にあてられた鳥はぴいいと悲鳴をあげて地へ墜ちて、それから二度と動かなくなった。だが、いかんせん数が多すぎる。落としても、落としても、彼等は次から次へとやってくる。柚季もパニック気味であるから、上手く力を発揮出来ないことがあった。
三人が来た道を挟むようにしてあるブロック塀には黒い筒がついており、そこからビー玉についているような模様のあるしゃぼん玉が次から次へと吹きだしてきた。
屋根の上で茶会をしているマネキン達。松、赤い毛氈、野点傘、茶碗に茶筅。
優雅な声、結構なお手前で。
「くそう、暢気に茶なんぞ飲みおってからに! あたしも混ぜろってんだ、こんな追いかけっこよりも茶会の方がずっと良い!」
「お前、どうせ抹茶なんて飲めないだろう! 苦い不味い死ぬとか何とか言って茶碗放るのが関の山だ!」
「今はそんなこと、言っている、場合じゃ……きゃあ!」
柚季が悲鳴をあげる。大きな声を出す為に最大限まで開けた口に、危うく鳥が入り込んできそうになったのだ。
しゃぼん玉を延々と紗久羅達に向かって吐き続けている筒のついたブロック塀。その上を割ったらイチゴやあんこが出てきそうな、まるで大福の様な猫が悠然と歩いている。時々暢気にあくびをしさえした。動物は人間に比べると勘が鋭いというが、そんな彼等でも今起きている異変には気がついていないのだろうか。それとも気がついていながら、まあどうでもいいかと思っているのだろうか。その殆どを鳥に支配された視界の中にいるその猫を、三人は大変羨ましく思った。
曲がり角を勢いよく曲がった紗久羅は、次の瞬間「ぎゃあ!」という女の子らしいとはお世辞にも言えないような悲鳴をあげる。それはほぼ同時に角を曲がった奈都貴や柚季も同様に悲鳴をあげる。全く『向こう側の世界』及びその住人と関わるようになってからというもの、悲鳴をあげるのが日常茶飯事になってきている。
ところで三人は何故悲鳴をあげたのか。答えは簡単。……足を滑らせたのだ。
どういうわけか、地面がつるつるだったのだ。つるつるの地面の上に、何にも知らないまま勢いよく足を乗せてしまった結果、体のバランスを崩して全員地面へダイブ。しかも倒れたまま体はカーリングのごとくざあーっと前へ向かって滑って、進んで。ありえない距離まで前進してしまい。
「いっ……つめ!」
体を思いっきり打ったことで生じた痛み。おまけに地面は尋常では無い位に冷たく、痛みよりもむしろ紗久羅にとってはそちらの方が衝撃的であった。
身を起こしてみれば、今紗久羅がいる道は一面分厚い氷に覆われており、冬の銀色の太陽の光に照らされ、ぎらぎらと輝いていた。汚いアスファルトの道は氷に隠され殆ど見えない。その氷の中にはビー玉やおはじき、ビーズ、紙吹雪、綺麗な色をした石等が埋め込まれている。彼等は太陽の光を浴び、誇らしげに輝いている。
「何なんだよ、何で氷なんだよ!」
文句を言いつつも紗久羅は立ち上がろうとする。しかしこれがなかなか上手くいかない。ビックリするほどつるつる。塀も氷で覆われている為、つるつるひやひや、まともにつかめやしない。
幸いなことに、あの紙の鳥達は氷というか冷たいものが嫌いであるらしく、皆して去っていった。だからとりあえず急いで立ち上がる必要は無かった。とはいえ、氷の上でいつまでもぺたんと座っているのはかなりきついから、なるべく早く立ち上がりたい。
「えらく滑るな、この氷! 本当に氷なのか、これ!? ローションでも塗ってあるんじゃないか!?」
「こりゃいっそ四つんばいになって進んだ方がいいかもしれない。……かなり冷たいけれど」
などと言っている時。三人の前に、突如大きな笹舟が現れた。それは丁度人が三人位乗れそうな代物で、小さな花等で可愛らしくデコレーションされている。乗れ、と言わんばかりに現れた舟。しかし三人共、乗る気には全くなれなかった。乗ったら絶対ろくな目に合わないと思ったからだ。そう思わない方がおかしい。
兎に角この氷の道から脱出しなければ、と笹舟を無視して這っていこうとしたのだが。
「おもてなし」
「乗って、乗って」
「楽しいか、実験」
遠くから、或いは近くから聞こえた声に三人はものすごく嫌な予感がする。
その予感は誠に残念ながら的中。ふわっと体が浮いたと思ったら、そのまま舟に乗せられてしまった。そして三人がそのことに抗議する暇も与えず、誰かによって押された舟は動きだした。出発進行、という声が聞こえたような気がした。
「いやあ! 止めて、降ろして!」
「なっちゃんどうにかして、男だろう!?」
「こんな時に男もくそもあるかよ!?」
舟は進めば進むほどそのスピードを増してきて、降りることなど到底出来そうにない。パニックになりながらも、この舟が右に体を傾けると右に、左に傾けると左に動くこと、前傾姿勢になるとスピードが増し、仰け反ると減速すること(但し飛び降りられるだけのスピードにはならない)等把握したが、なかなか思い通りに操縦出来ない。
おまけに所々形容しがたい形をしたオブジェが障害物の如く置かれていたり(元々障害物にする為に置かれたものかは分からないが)、笑いながらこちらに向かって突進してくる愉快なヒゲと頭のネジが一本外れていそうな顔した男が現れたり、上空からぶよぶよした謎の球体が落ちてきたりしてきた。時に障害物に当たり、時に壁に激突し、三人は大変痛い思いをする羽目になる。しかも舟は障害物に当たって一瞬止まっても、三人がその衝撃に身悶えている内に再び動きだしてしまう。
舟は、氷の道から道も家も塀も何もかもがガラスや鏡で覆われたエリアへ移っても、何の変哲もないアスファルトの道路へ移っても止まらない。
「なっちゃん、ここどこだっけ!? スーパーからどれ位離れたんだあたし達!」
「分かるかよ! もうどこもかしこも滅茶苦茶すぎて、どの辺りなのかちょっと見ただけじゃ判別出来ない!」
「きゃー! きゃー! きゃー!」
「何かここ、さっきも通らなかったか!?」
「だから、もう何が何だか分からないんだってば!」
「きゃー! きゃー! きゃー!」
紗久羅はTVゲームにあった、あるミニゲームのことを頭に浮かべる。乗り物に乗り、それを上手いこと操縦して様々な障害物を避けながらゴールを目指すというものだ。まるでゲームの世界に入り込んでしまったような心地であるが、全く嬉しくはなかった。乗り物を操縦士、障害物を避けながら進むというのがどれ程恐ろしいことであったか、今ようやく理解したような気がした。
ボウリングのピンをがらがらがらとすっ転ばせ、ぐるぐる動く殻を持ったかたつむりの真横を通り過ぎ、スポンジみたいにふわふわした神殿の柱の様なものにぶつかり、蝶のような格好をした「変態!」と思わず叫びたくなるような男と衝突し(彼は陶器製の人形だったのか、ぶつかるなり粉々に砕けてしまった)、塀と塀の間に張られたロープに吊るされた、世にも美しい反物に向かって幾度となく飛び込み、顔に似た模様の描かれた大福の腹踊り(というのも変だが)を見せつけられ、洗濯ばさみ製のバッタの群れの中に突っ込み……。
終いには、悲鳴や絶叫さえあげることが出来なくなっていた。声が、というか気力が枯れたのだ。
「うわあ!?」
散々人を振り回した末、舟は急停止。舟が止まっても、人は止まれない。そのまま舟からぽおんと投げ出され、アスファルトの地面に激突。当然のことながら、かなり痛い。
「もう何なのよ! 何がおもてなしよ、何が実験よ! ああ、むかつく、むかつく、むかつく! 何だってこんな目に遭わなくちゃいけないの!?」
柚季は怒りのあまり、今にも泣きそうだ。奈都貴は弱ったように頭をかく。
「……ええと、ここはどこだっけ? ああそうか、あの辺りか。くそ、大分離れちゃったな」
「くそう、忌々しい!」
紗久羅はただ悪態をつくばかりだ。しかし文句を言っていても仕方無い、予定していたよりは時間がかかってしまうが、兎に角スーパー『さくら』を目指して歩くより他無い。
元来た道を戻る勇気はとてもじゃないが無かったので、別の道を行くことにする。更に遠回りになってしまうが、致し方なく。
鬱蒼とした道路標識の林と化した道路を、鬱屈した気持ちで歩いているとやがて道が二つに分かれている所まで来た。その分岐点の所に一軒の家が建っていた。その家のせいで、真っ直ぐ進むことも右に曲がることも出来なくなっていた。その家はお菓子の家で、西洋菓子で造られていたが、軒先には干し柿が吊るされているし、扉の前にはりんご飴のような達磨が置かれており、和風な空気も若干漂っていた。
「この家の中へ入れば、向こうへ出られるかもしれないけれど……どうするよ、なっちゃん」
「引き返した方が無難、と言いたいところだが」
奈都貴は手を肩ほどまで上げ、親指で後方を指差す。三人が進んできた道に、ガラスで出来た熊が数体いつの間にか現れていた。二足立ちしている熊達は腕を大きくぶんぶん振り回している。
「殺る気満々!」
「殺られる前に逃げるしかない!」
三人がお菓子の家の中に飛びこんだのと、熊達が走りだしたのはほぼ同時。
最後に家の中へ入った奈都貴は急いでドアを閉める。幸いにも熊達はドアを突き破ってきてまで三人を襲う気はなかったようで、ドア越しに彼等が去っていく足音が聞こえた。
「いらっしゃい!」
そう叫んだのは、この家の主。それは恐ろしい魔女……ではなく、かかしであった。恐らくどこかの田んぼから盗みだされたものだろう。
「お菓子の家にかかし! おかし、かかし、ああおかしい! もう!」
壊れた柚季はかかしを前に、ヤケクソ気味に叫ぶ。あはは、おかしいなあもうとその発言に対して笑ってしまう紗久羅の頭も、割とおかしくなっている。
かかしの前には魔女が薬を作る時などに使いそうな釜がぽんと置かれていた。
釜の中には緑色をした液体が入っており、ぐつぐつ音をたてて、とても不気味。しかも妙に大きい。
三人はそんなかかしの背後に裏口があるのを見つけた。スーパーへ行くにはその裏口を通り、真っ直ぐ進んだ方がより早く着く。さて、あのかかしの横をそのまま通り過ぎても大丈夫だろうかと思案していると。
突然鼻歌を歌い始めたかかしが動き、まず紗久羅を軍手のはめられた手でつかみ、釜の中へと放りこんでしまった! いきなりの出来事に呆然としていた奈都貴と柚季も続けざまに放られてしまう。
釜の中は大変熱い……かと思いきや、全く熱くない。緑色の液体も熱くないし、そもそもそこに放られたにも関わらず体が少しも濡れていない。どうもこの液体は幻であるらしい。
かかしがこの釜に放り込んで何をしようとしているのか分からないが、ろくなことをしないことはほぼ確実。早く逃げねばと三人必死、されどどういうわけか身動きが殆どとれず逃げられやしない。
わあぎゃあ言っている間に、釜がういいんという音と共にやや前に傾いた。傾いたが倒れはせず、その角度を保っている。
その時、三人の頭にぱっと浮かんだ単語というのは。
「そうれ、発射!」
大砲。そう、この釜は釜であって釜にあらず。釜型大砲であった。
打ち上げられ、絶叫した三人の体はクッキーで作られた壁を勢いよく突き破り、空を目指してひとっ飛び。
ああ、青い空が近い、近い、とても近い!
ほんの少しの間だけ、三人は鳥になった。ほんの少しの間だけだが。翼を持たない彼等の体は絶叫と共にひゅるひゅると地へと墜ちていく、ああ墜ちていく。
「いやあ、落ちる、落ちる、もう嫌!」
「そうだ、受身! 授業でほんのちょっとだけ習った受身をとれば死なずに」
「済むなんて思ったら大間違いだからな!」
三人の体が向かった先は道路……なのだが、ここも普通の道路では無くなっていた。パステルブルーの何かが一面に敷かれている。
「柚季! 綺麗に着地する為の術とか知らないの!?」
「そんなもの知っているわけないでしょう!」
「そんなこと言っている場合じゃ……ぼふっ!」
かくして三人は、その何かが敷かれた道路に勢いよく激突した。普通なら無事で済まされない事態であるが、そこに敷かれていたもののお陰で死ぬことも、怪我をすることもなかった。道路に敷かれていたものは非常に分厚い上、適度に柔らかかったのだ。それでもそれなりの衝撃に襲われ、三人は暫く身動き一つとれなかった。
ようやくむくりと起きあがった三人の命を助けたのは、パルテルブルーのウレタン(らしき素材)で出来た海であった。それの表面は波打っていて、しかも本物の海の波のように絶えずその形を変え続けている。
波と波の間から、同じくウレタンっぽい素材で出来た魚がぴょんぴょん飛びだしては水中(というべきだろうか)へ潜り、飛びだしては潜っていった。
その海からふわふわと浮かんでいるのは、青色の球体。ウレタン製泡沫である。それはどんどん上へと上っていった。中には途中で割れるものもあった。
そんなウレタンの海に落とされたのは故意であったのか、それとも偶然であったのか。
「た、助かった……」
塀についたウレタン製の貝を眺めながら紗久羅は安堵の息を漏らす。柚季は呆けており、奈都貴は頭が痛いと唸り。
さて、問題は今自分達がどこにいるのか、ということだ。スーパーから更に離れてしまったことは確かだろうが、風景が普段とは全然違うものになっているからすぐには分からなかった。ただ、丁度奈都貴の友人の家が目にとまった為、現在地を把握することが出来た。矢張り、相当スーパーから離れてしまっており、むしろ弥助のいる喫茶店『桜~SAKURA~』の方が近い。
「ここからまた歩いてあっちまで戻らなくちゃいけないのか……きついなあ」
「いつもだったらあまり気にならないんだけれどな……状況が状況だからな。ああ、流石のあたしも色々な意味で疲れた」
「死にたい……」
「死ぬな、生きろ!」
本気で死にかねない様子の柚季に慌てて生きる活力を与えんと叫ぶ紗久羅と奈都貴だった。
何がなんでもスーパー『さくら』を目指し、美沙と合流しなくてはいけない。
妖である彼女がいれば、かなり心強い。
しかし、矢張りそう簡単にはスーパーまで辿り着けなかった。どこもかしこも変てこで、しかも時にその変てこが三人に襲いかかってくるのだ。
本の鳥に活字という名の糞を落とされ、看板を繋ぎ合わせて作られたシーソーに追いかけられ、あひるのおもちゃに耳をつんざくような声で泣き叫ばれ、空飛ぶ巨大モニターに三人の今日一日のダイジェスト(無論、その殆どは桜町に起きた異変によって酷い目に遭わされている様子)を映されて恥ずかしい思いをし、先程遭遇したガラスの熊さんと曲がり角でごっつんこし……あげだしたらきりが無い。きりが無いから、全ては書かない。
遠回りし、あらゆる変てこと対峙した末、ようやく辿り着いたスーパー『さくら』の上には、カラフルなアイスクリームを幾つも重ねたような謎のオブジェが何個かあった。他にも巨大羊羹と四つのドラ焼き(らしきもの)で作られた、車に見えないでもないものや色とりどりのマシュマロ(かどうかは分からないが)で作られた怪獣などもあり、かなり賑やかなことになっていた。
スーパーの上に作られた謎の世界に目をやり、それからそこにいるはずの美沙の姿を目で追う。しかし何故か彼女の姿は見当たらず。三人はそれだけで猛烈な不安に襲われた。
「もしかしたら、店の中にいるのかも!」
いるのかも、いや、いてくれないと困るとばかりに奈都貴は叫ぶ。とりあえず三人はへろへろになりながらも、スーパーの出入り口へ駆けこもうとした。
そんな三人の目の前に、空から大きな何かが降ってきた。後もう少し先へ進んでいたなら、その何かは三人にクリーンヒットしていたことだろう。突然の落下物に三人は肝を冷やし、こき使っていた心臓の動きを一瞬止まらせた。
その何か、というのはどうやら箱であるらしかった。パステルピンクのその箱は、桜町商店街の上空にふわふわ浮かんでいたものと同じ物であるようだ。
「危なかった……なんだよ、あれ」
「箱の蓋が開いて、何か出てきた……」
その場に立ち止まったままの奈都貴と柚季。一方紗久羅は勇敢というか考え無しのお馬鹿さんというか――歩を前に進め、箱の前にしゃがみこんだ。
落ちた衝撃で蓋が開いたことで、中に入っていたものが一部こぼれ出てきている。紗久羅はその内の一つを手に取ってみる。それは手のひらサイズの茶色のブロックで、土の匂いが仄かにした。中から飛びだしてきているものは全てそういったブロックで、色や質感には色々な種類があった。
「何だこれ……」
紗久羅は他のブロックにも手を伸ばしかけたが、突然聞こえた「駄目です、駄目です、触っちゃ嫌です!」という声に驚き思わずその手をひっこめてしまう。
箱の周りを、あの黒い影のようなものが取り囲む。その数はぞっとする位多い。そしてその黒い何かは箱から出てしまったブロックを再び中へと入れてしまうと、箱を起こし、蓋を閉めた。
「大事な材料、落としてしまった」
「材料、大事。とっても大切」
「もう落とさないようにしなくちゃ」
それらの、小さな子供のような高く可愛らしい声はぼやけて見える黒い影が発しているようだ。しばし呆気にとられていた紗久羅は正気に返ると、自分達をえらい目に遭わせた犯人であろうその黒い影を捕らえようと慌てて手を伸ばす。しかし、遅かった。あまりに遅かった。紗久羅の手は彼等に触れもしなかった。
彼女の目の前で箱は、影は宙に浮かんで、しゃぼん玉のように上空へと上っていって、やがてその場から去っていった。
紗久羅は犯人を逃してしまったことを悔やみつつ、奈都貴と柚季に土で出来ているらしいブロックを見せた。
「何かしら、これ。……もしかして、三つ葉市から盗んだ土をブロック状にしたもの?」
「材料がどうのこうのって言っていたんだよな? こいつを重ねていって、壁やら変てこな建物やら造ったってことか? しかし随分小さなブロックだな。こんなに小さいと、物一つ作るにも相当な時間がかかる……よな」
「ブロックを重ねただけじゃ作れないような物も多いし、ブロックを重ねて作ったものには到底見えないものばっかりだったし……一体何なんだ? 美沙さんに見せれば何か分かるかな」
「そうだ、美沙さん! とりあえずスーパーの中に入って探してみなくちゃ。俺達の到着があんまり遅くて心配になって探しに行ったってことはないはずだ。もしそうだったなら、何かしら連絡を寄越すだろうし。少し前に色々あって遅れますってメールもちゃんと送ったし」
奈都貴の意見に二人共同意し、スーパーの中へと入る。
暖房のかかった店内はほんわか温かく、陽気な音楽が鳴り響いている。そしてそんな店内へ入った紗久羅達を出迎えてくれたのは新鮮な果物や野菜……ではなかった。
「ちょっと、何よこれ!?」
「ひええ……こりゃあまた……」
三人を出迎えたもの。それは数々の野菜や果物を組み合わせて作った巨大な人――というかロボットであった。
かぼちゃの頭、ほうれん草の髪の毛、トマトの目、レモンの口。胴体や手足はナス、とうもろこし、人参、ジャガイモ、パプリカ、キャベツ諸々で出来ていた。そのロボットの背後に、ドラム缶が見える。ドラム缶にはチューブがつけられており、そのチューブはどうやらロボットの背中まで続いているようだった。チューブを緑色のどろどろした液体が通っている。それは青汁のように見えた。
「ねえ、あの緑色の液体って……これの燃料だったりする?」
柚季は、二人も考えていたことを口にした。その通りだとしたら燃料補給を済ませた目の前のロボットがいずれ動きだし、良からぬことをしでかす可能性が。野菜や果物で出来たロボットが、野菜や果物を、そして肉や魚やお客さん達を蹂躙する様がありありと思い浮かび三人して真っ青。
これはいかん、絶対にいかん、このままにしておいては不味い!
紗久羅は垂れ下がっているチューブを手に取ると、力任せに引っ張った。
すっぽん!
チューブは割とあっさり抜けた。抜けたチューブから勢いよく噴出した緑色の液体が、床を、商品を、ロボットを濡らし、汚す。紗久羅も、そしてあんまり下手なことはしない方が……と彼女を止めようとした奈都貴も当然のように被害にあった。濃厚な野菜の香りのする液体が、制服に染みを作る。
ロボットの背中からチューブを抜いたが、ドラム缶にチューブをさしたままだったせいで、後から後からだばだばと液体が出て来て、べちゃべちゃと店内を汚していく。それはゲームに出てくるモンスターの血、或いは体液にも見え、やや気持ち悪い。紗久羅はひいい、と声をあげながらドラム缶からチューブを引っこ抜いた。するとドラム缶はぴいぴいという機械音をあげ、少しして液体を出すのをやめた。
「うわあ、やべえ……これどうしよう、なっちゃん」
「……三十六計逃げるに如かず。知らぬ存ぜぬふりして立ち去るしかないな、こりゃ。どうせ他の人達は異変に気がついていないし、多分この光景にも何ら違和感を覚えないだろう。まあ勿論、美沙さんと合流してからだけれど」
「おお、そのまま何もせず逃げるなんてなっちゃんって良い性格しているなあ、ひゅうひゅう!」
「お前に良い性格しているなんて言われる程腹が立つものはない!」
「二人共いちゃいちゃしていないで! ロボットが動き出している!」
「え?」
二人は燃料供給がストップされたロボットを見やる。そして、柚季の言う通り彼が動き始めていることを確認した。
ロボットはゆっくりと体の向きを変えると、店の奥へと向かってゆっくりと歩きだした。歩く度、ずしり、ずしりという音と共に店内が小さく震える。もうすでに彼は動きだすのに充分な燃料を得ていたのだ。
早く止めないとやばい、と紗久羅は思った。しかしそのロボットを止める術など知らなかったし、下手な真似をすれば余計事態は悪化しそうであった。
どうしよう、どうしようとあせる三人だったがロボットは思ったよりもずっと大人しく、ただ店内を歩くのみ。特別な悪さをする様子が全く無い。ただ歩き回るだけの彼よりも、緑色の液体をぶちまけてしまった紗久羅の方が余程迷惑な存在であったかもしれない。
それでも何となく心配だったので、ロボットの後を三人してついていく。
ミニトマトが生っているブロッコリーの木や、しらすと桜海老とカットされた干ししいたけで作られたアートのある床、空中でいちゃついているアジの干物等を見て頭を抱えながら歩いている時、美沙の姿を見つけた。彼女はロボットが自分の横を通り過ぎていくのを呆気にとられながら見た後、三人の存在に気がつきぱっと顔を輝かせた。そんな彼女の隣には、同じく英彦の使鬼である榊の姿もあった。
「三人共無事で何より……うん、とりあえず無事そうだね」
明らかに疲れきった表情をしている三人の顔、野菜の香り漂う緑色の液体に制服を染めている紗久羅と奈都貴の姿を見ながら言う。
「とりあえずは無事です。とりあえずは」
「何かこのお店の中も、店の外もものすごいことになっているね。あのロボット、お店に入ってすぐの所にあったものでしょう? あれ見た時はびっくりしちゃったよ」
「妖怪の美沙さんでも、この光景はやっぱり異様に映る?」
美沙はこくこくと頷いた。妖さえ異様だというのだから、相当である。
「まあ、普通だとは思わないねえ。皆よりはまだ耐性があるけれどね。それで、三人共。このスーパーに来るまでにどんなことがあったか話してくれるかな? 一般のお客さんも結構いるけれど、多分色々話していても問題ないと思うから」
美沙の要請を受けて奈都貴が話し始める。これこれこんなことがあった――そういう話をするのが一番得意なのは彼だった。紗久羅だと話さなくても良いことばかり話す上に、説明がヘタクソなのでいまいち訳の分からないものになってしまう。
奈都貴が今までに起きたことを話し、そしてそれを美沙と榊が時々質問をしつつ聞くのだった。