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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
晴明少年の夜会
204/360

        晴明少年の夜会(3)

 ぽんぽこ狸はミケを見てにっこりと笑う。


「ようミケ、集合場所にいないと思ったら……こんな所で何しているんだ? あ、美味そうな匂いがする! ところでそっちの人は誰? 人間みたいだが」

 狸は紛うことなき人語を喋りつつ首を傾げる。その仕草は大変可愛らしく、世の狸ファン、もしくはもふもふファンのハートをずきゅんと射抜くものであった。

 それを見て流石の晴明も一瞬言葉を失う。ミケは狸に「よう」と手を上げて軽く挨拶し、それから晴明の方を見てにやり。流石に人語を喋る狸の姿を見たらこいつも驚くだろうと思ったのだろう。びびれ、怖がれ、そしてあたしが人間で無いことを認めるが良い! と言いたげである。

 しかし晴明はびびり、怖がるどころか顔を真夏の太陽の如く輝かせ、感嘆の声をあげた。拍子抜け、ミケはその場に倒れそうに。


「おお、貴方は狸のコスプレか! しかもキャラクター化させた狸ではなく、かなりリアルな狸の! まるで本物のようだ!」


「え、いや、俺本物の狸なんだけれど……」

 狸は困惑気味に知り合いであるらしいミケの方を見る。ミケはただ呆れた風に頭を抱えるばかり。


「コスプレ……幼い頃を思い出すなあ! 母さんが、当時私が夢中になって見ていた戦隊ヒーローの衣装っぽい服を作ってくれたっけ。確かそういった服や七五三の時等に着るようなしゃれた衣装の作り方などが沢山載っている雑誌だか書籍だかを参考して作ったのだ! そういう衣装を作ってもらった友人も結構居たなあ。好きなものになりきって遊ぶことも多かった! 幼稚園の頃はしょっちゅう戦隊ヒーローごっこ遊びをしたなあ! あれは本当に楽しかった! 貴方方は大人になっても童心を忘れず、好きなものになりきって色々しているのだな! もしかして今日はコスプレ同好会か何かの集まりでこんな夜遅くから飲みに? いや、しかしそれにしても貴方の狸っぷりは素晴らしい! 四足歩行までしてなりきるとは! 貴方のお住まいがどこかは存じ上げないが、その状態で歩いてここまで来るのは大変だっただろう? どれだけ大変でも、狸になりきる為の努力は惜しまないのか、素晴らしい、素晴らしいぞ! 見れば見るほど本物そっくりだなあ、もしかして本物の狸の毛皮を被っているのか? ううむ、だがこれ程までに大きな狸はいないはずだし……矢張り作り物か? ファスナーはどこだ? おっと教えてくれなくても大丈夫だ、確かに気にはなるが狸になりきっている人に今そんなことを聞くのは無粋であるからな! ああ、もふもふだなあ、是非抱き枕にしたいなあ!」


「コス……ファ……え、こいつ何言っているの」

 狸は訳の分からない事を怒涛の勢いでまくしたてている晴明を見て、目をぱちくり。一方のミケはと言えば呆れを通り越して笑えて来たらしく、口元をおさえ、体を小刻みに震わせる始末。

 手をにぎにぎさせ、今にも飛び掛ってきそうな晴明を見て、びくつく狸。妖が完全に人間に圧倒されている図はなかなか珍妙である。


「貴方も是非こちらへ来て、お菓子を食べていってくれ。大丈夫、抱きついたり飛びついたりしないから!」


「手をにぎにぎさせながら言われても説得力がないんだけれど……」

 と言いつつも食べ物の匂いにつられたのか、それともミケがいる為か、晴明が新たに開けたスペースにぺたっと伏せる。といっても体の半分以上ははみ出していたが。

 ミケが狸の方を指差す。


「こいつの名前は釜太郎。今日一緒に飲みに行く仲間の一人さ」


「釜太郎さんか! 釜と狸といえばぶんぶく茶釜だな! もしかして幼い頃ぶんぶく茶釜を読んで自分の名前と同じ字が入っている、何か親近感がわくなあと思いそれがきっかけで狸に興味を持つようになったのか?」


「きっかけも何も元から俺は狸なんだってば」


「駄目駄目、こいつに何を言っても無駄だよ。そこらの妖より怖いよこいつ。人間の皮を被った化け物としか思えん」


「化け物なんてそんな恐れ多い! 私はただの人間だ!」


「言っていろよ。ま、どうでもいいけれど。あたしは美味いものを食えればそれでいいのさ! どうせまだ他の奴等は来ていないんだろう?」

 釜太郎は近くにあったバタークッキー入りの箱を興味深げにつんつん突きながら、うんと頷いた。晴明がその箱からクッキーを取り出し、釜太郎にやると彼は恐る恐るそれに口をつけ、そしてくりんとした瞳をくるりん丸くする。

 晴明はにこにこしながら何枚もクッキーをあげた。


「いやあ素晴らしい! 可愛い! ベリーベリーキュートだ! まるで本物の狸に餌をやっているような気分だ!」


「だから本物だってば。普通見れば分かるだろうよ。ああでもこれ甘くて美味しいなあ。これ食っていたら何かもうどうでも良くなってきた」


「おい人間、スズメの串焼きはないかあ」


「ううむ、生憎スズメの串焼きは持ってきていないなあ! 第一食したこともない。スズメは食べるより愛でる方が好きだ。ちゅんちゅんぴいちくぴいぱっぱ! あのふっくらとした体が何とも言えない!」


「あたしは愛でるより食べる方が好きだな。あのふっくらした体を見ると、よだれが自然と出る。ふっくらしていればいるほどいいなあ! しかし残念だ、スズメの串焼きがないなんて!」


「スズメの串焼きはないが、焼き鳥缶ならあるぞ」

 いつの間にか焼き鳥缶を手にしている晴明。ミケは半目、呆れ気味。


「どれだけ持ってきているんだよ、お前」

 

「ええとチョコチップクッキー、バタークッキー、クラッカー、ミックスナッツ、さつまいもチップ、ピーナッツチョコ、ミルクチョコ、するめ、ポテトチップ、キャンディー、ビーンズ……」


「何それ、呪文か何か?」

 ポテチをもぐもぐしながら釜太郎。聞きなれない言葉の羅列は呪文にしか聞こえない。ミケに至っては自分から話を振ったにも関わらず、あくびをしてからマヨネーズをつけたするめを噛み噛み、晴明の話は完全右から左へ聞き流している。


「くはあ、美味い! この独特な香りがたまらんなあ。酒がこの場にあればなお良かったんだが。酒、酒、酒、しゃけえ! おっと舌を噛んじまった。あ、しゃけえといえば鮭も食いたいなあ。焼き鮭ほぐしてご飯と混ぜて、握り飯にして食いたい! お茶ぶっかけて茶漬けにしてもいいなあ! おい人間、今から鮭獲ってこい、鮭!」

 こんなでっかい鮭をさあ、とミケは両手をいっぱい広げる。


「ふうむ、鮭か。ここらの川では流石に泳いでいないだろうなあ! 私は鮭の身も好きだが、いくらも好きだ! ぷちぷちしているし、醤油に漬けたものをご飯にかけて食すと大変美味い! しょっちゅう口に出来るものではないが、稀に食卓に出るとテンションがあがるなあ。ああ、ご飯が見えなくなる位いくらがかかっているいくら丼を食べてみたいものだ! 私の通っている学校、修学旅行はどこへ行くのだろうか。北海道へ行くというのなら、いくらを、というか美味しい海の幸を堪能したいなあ! 勿論金銭的な面もあるがな! ミツツキミツキカケ様に金運を授ける力はあるのだろうか? ううむ、そういえば考えたことが無かった。あ、卵といえば。実は最近『月の卵』なるタイトルの小説を執筆しているのだ! 水を貯めた綺麗な硝子の容器を月が映りこむ場所に置いた女性。水に映りこんだ月はぱかりと割れた。勿論本物の月は割れてはいないぞ。そしてその月の卵からは見た事の無い生き物が」


「いい、いい、分かったから! 鮭獲ってこいと言ったあたしが間違っていたよ! 酒も鮭もあっちで頂くとするさ! あ、いくらと言えばさ」

 ミケは晴明の口を塞ぎ、無理矢理会話を終了させる。晴明は口を塞がれても、怒りも抵抗もせずのほほんと笑っているのみ。ミケはそうしながら、尻尾をふりながら口の中をもぐもぐさせている釜太郎に話しかけた。


「この前偶々狢……ほら、白粉の友人だか何だかののっぺらぼうの娘っ子……あいつと会ったんだ。相変わらず乳が小さいから『いくらのように小粒の乳は一向に大きくならないねえ』って言ってやったら思いっきり泣かれちゃった」


「ああ、狢ね。一度か二度一緒にお酒を飲んだことがあったっけ。確かに控えめな乳だった気がする。でもお前、いくらは可哀想だろう幾らなんでも。せめてうずらの卵にしておいてやれよ」


「うずらの卵! にわとりの卵でさえない! あっはっは!」


「卵、卵……そういえば月の卵の話の続きが」


「それは話さなくていいって!」

 げらげら笑っていたミケと釜太郎がすかさず反応して叫ぶ。その声は面白い位シンクロしていた。それが愉快で晴明は「お見事!」と拍手しながら笑った。


「それよりさあ、何か芸見せろよ、芸を。こういう場には余興がつきもんだろう」

 ミケがするめをぶんぶん振りながら晴明に無茶振り。芸か、と晴明は腕組み。


「ううむ、確かにそういうものがあると盛り上がりそうだな。しかし、二人を満足させられるだけのことなど私には出来ないぞ」


「歌でも歌えよ、何でもいいからさ!」


「歌か! 上手いかどうかは分からないが、私が歌を歌うことで貴方方が満足するというのなら、幾らでも歌おう!」

 よっと晴明は立ち上がり、二人はぱちぱち拍手。晴明はちょこんとお辞儀し、手にしているシャープペンをマイクに見立て、歌いだした。

 その歌は彼が産まれるよりずっと前のもので、彼の世代がまずカラオケなどで歌うことはないようなものであった。しかし彼には今時の曲よりもそういった一昔前のものの方が合っており、妙にさまになっている。

 声は良く、声量もあり、音も殆ど外さない。早い話が、とてもお上手である。

 ミツツキミツキカケ様と交信したり、彼女からパワーを受け取ったりする為にやっている謎のポーズを交えつつ、実に堂々と歌っている。ミケと釜太郎は大喜びしている様子で、知らない曲ながら手拍子や合いの手を入れて場を盛り上げた。


「あんたすごいじゃないか! 底抜けに変な人間だけれど、歌は上手い! ていうかお前声がいいなあ!」


「お褒めに預かり光栄だ! きっとこの声もミツツキミツキカケ様が授けてくださったものに違いない! 彼の女神は文学だけではなく、音楽も司っていらっしゃるから! ああ、ありがとうございますミツツキミツキカケ様!」

 右手を胸に、左手を天にやり、両足を交差させて空を仰ぐ。それを見て馬鹿じゃねえの、と呟きつつミケはよいしょと立ち上がった。


「それじゃあ、今度はあたし達の番だな。あたしが舞を披露してやる。釜太郎、歌は任せた」


「ほう、舞か!」


「ミケは意外にも舞がものすごく得意なんだ。意外にもね」

 意外、という部分をわざとらしく強調する釜太郎を軽く足で小突きながらミケは準備体操とばかりに体を動かし、最後に猫の鳴き声に近い声をあげつつ伸びをする。


「扇が無いけれど、ま、充分だろう」

 その発言を聞いて、晴明は先程老人から貰った扇のことを思い出す。そしてそれなら良い物があると言い、リュックからそれを取り出してミケに渡した。

 ミケはそれを見た途端、ぱあっと顔を輝かせた。その輝きはお菓子やおつまみを食べている時以上のものである。太陽の瞳の下、頬の桜が花開く。


「おう、これは上等な品だな! すごい、すごい、うわお! おい人間、こんなすごいものどこで手に入れたんだ!?」


「扇を集めているミケがそう言うんだから、すごいものなんだろうなあ」

 ミケが手にしている扇を、上目遣いでちらちら見ながら釜太郎。


「それは貴方が来るほんの少し前まで居たご老人がくれたものなのだ。好意を抱いている可愛らしいお嬢さんに渡そうと買ったものの、渡す勇気がどうしてももてず、結局渡せなかったそうだ」


「へえ、そりゃその娘も気の毒に! こんな素晴らしい扇を手に入れ損ねたんだからさ! もう少しそのじいさんに甲斐性があればなあ!」

 と言う彼女の顔はかなりご機嫌である。……実は、その老人が扇を渡したいと思っていた相手というのは彼女、ミケであった。ミケと老人は知り合いだったのだ。


「ま、そのじいさんに甲斐性がなかったお陰で、あたしがこの扇を持って踊れるわけだけれど。それじゃあ、いっちょ舞うか!」

 と言った途端、彼女の顔つきが急に真剣なものになり、場の空気が一気に引き締まる。といっても息苦しくなる位ぎゅっと引き締まったわけではない。


 釜太郎がアイコンタクトを受け、歌い始める。晴明が歌ったものよりもずっとずっと古い歌。現代の『歌』の原型とも呼べるようなもの。

 さっきまでの随分間延びして、ぼけぼけしているような声とは大違い。晴明以上によく響く声で、心まで届き、響き、全てを震わせる。ミケが心置きなく舞う為の場を整え、舞の世界へミケと晴明を誘っていく。この歌声を聞く者に、この場を壊すことなど決して出来ない。晴明は歌というものがもつ力というのをこれ程までに感じたのは初めてだった。場をごく自然に作り変え、人をごく自然にそこへと引き込む。美しく、力強く、心震わせる声が非常に心地良い。


 その歌から力を受け取ったミケの舞もまた、素晴らしいものであった。動きは滑らかで、不自然さや硬さを感じない。流れるような身のこなしというのは、まさにこのことだと晴明は思った。

 体に変な力を入れていないことは見ればすぐ分かる。一方で指の先まで神経を尖らせていることも容易に察せられた。

 地から自然のエネルギーを受け取った両足が円を描き、釜太郎の歌が整えた場に世界を作り上げていく。ひらり動き、返し、風を撫で、凪ぐ手は蝶、鳥、羽衣。月の瞳は美しさと妖しさをもつ。鳥肌が立つ位異質で、そしてどうしようもなく引き込まれる。その瞳と、晴明の瞳が交わる。それを見た時彼は桜海のことを、彼女と空の海をたゆたったことを思い出し少しだけ胸が苦しくなった。

 艶やかさはあるが、いやらしさは感じない動き。手が、足が現実と非現実、日常と非日常の境目を溶かし、ますます曖昧にさせる。ミケと釜太郎、晴明の三人の境も、三人と世界の境も溶かし、何もかもが一つになっていった。


 ミケが舞をやめ、釜太郎が歌うのをやめても、しばらくの間晴明は我を忘れていた。ミケが元の顔に戻り、にかっと子供っぽい笑みを浮かべるまで。


「どうだったか、人間。あたしの舞は」


「俺の歌もなかなかだっただろう」

 そんなことを聞かれても、しばらくは何も言えなかった。彼等の舞と歌に対してかける言葉が見つからなかった。この世の言葉では語れない何かを、晴明は感じていた。

 ただそれでも、何も言わないわけにはいかない。晴明はまず体の力全てを集中させた手をぱちぱちぱちと叩く。


「いや、大変素晴らしかった! ああ、私はとても感動した! お世辞などではない、本当に感動したのだ! あまりに素晴らしいものであったから、何と感想を言えばよいのか分からないのだが……本当にこれ程までに素晴らしい舞を私は今まで見たことがなかった!」

 すごい、素晴らしい、感動した――それだけしか言えない。人間ものすごく感動するとそんな陳腐な単語しか使えなくなるらしい。

 ミケと釜太郎は、晴明が心から感動していることをきちんと理解しているらしく、その言葉を素直に受け取ると誇らしげに笑った。


「喜んでもらえたようで何よりだ。それとこの扇、ありがとう」

 彼女は晴明へ閉じた扇を差し出す。だがその表情を見れば、彼女が本当はこの扇を返したくないということは明白で。晴明はそれを見て静かに首を横に振った。


「いや、その扇は貴方へ差し上げよう! 扇だって貴方に使われるなら本望だろう」


「本当か!? うわあい、やった、やった!」

 おもちゃを買ってもらった子供の様に、ミケはその場で飛び跳ねた。良かったなあミケ、と釜太郎はまるで子を見る父の様な眼差しで彼女を見つめる。

 それから三人で適当で変てこな歌を作って、馬鹿みたいに笑いながら歌ったり、晴明がミツツキミツキカケと交わる為に開発した変てこポーズの数々を三人仲良くやったり、晴明が最近見たドラマのワンシーンを再現してみせたりした。


 その内ミケと釜太郎と酒を飲む約束をしていた妖三人が続けてやって来た。

 おかめの顔した男と、木の皮で出来た肌をもつ男と(晴明は木の皮を貼りつけ、木になりきるのが趣味の男だと勝手に解釈した)、アフロヘアーの男である。

 三人はミケに「遅すぎる!」と言われたが、へらへら笑うだけ。


 さて、これでミケと釜太郎ともお別れか……と晴明は思っていたが、二人は晴明と馬鹿やりながらお菓子を食べることがすっかり楽しくなったのか、その場を離れようとしなかった。結果彼等と待ち合わせしていた他三人の妖も加わって馬鹿騒ぎを続行することに。彼等も最初の内は晴明の強烈すぎるキャラに圧倒され、戸惑っていたがそれも僅かな間のことで。

 晴明は、このままじゃ夜が明ける、皆で飲みに行かなくて良いのかと尋ねたが、ミケは笑いながら「酒は朝や昼でも飲めるさ」と言うだけだった。

 氷に覆われた世界が、彼等の笑い声で溶かされていく。


 そして次から次へと、殆ど間を開けずにこの場を妖達が訪れ、お菓子を少し食べたり、喋ったりしては何かを残して帰っていった。怒涛の勢いでやって来ては去る妖達。


 鼻の穴がものすごく大きな男は肉味噌入りのおにぎりを幾らか残していき、そのおにぎりラスト一個を巡って六人が争っている時、お地蔵様のような人が(というかお地蔵様であった)やって来て、その最後の一つをぱくりと食べてしまった。お地蔵様は撫でると腰痛が治るという石を残していった。


次にやって来た腰のひん曲がった老婆は長年腰痛に悩まされており、久しぶりに人間を食って腰痛のせいでたまった鬱憤を晴らそうと晴明に襲いかかろうとしたものの、ミケ達に全力で阻止された。命を救われた晴明だけは暢気なもので、そんな老婆の面白いジョークを真に受けてどうするんだと言った上で、老婆に腰痛が治るという石を授けた。老婆は泣いて喜び、腰から提げていた花の蜜を固めて作ったというお菓子の入った袋を残して帰っていった。


 お次にやって来たのは無類の甘党である男。彼は老婆の残したお菓子を食べて、美味い美味いと感動のあまり泣きだし、それから甘い酒の入った、花と蜜をあわせて作ったという瓶をお礼に残して去った。晴明以外のメンバーがそれを回し飲みし、すっかり空になった所で化けこうもりがやって来た(空からやって来たが、矢張り晴明はそこの場面だけ見ていなかった)。化けこうもりは酒が入っていたその瓶を一目見て気に入り、謎の干物と引き換えにそれを手に入れ、満足そうにその場を去った。

 謎の干物の、晴明の如く強烈な味に全員が悶絶。そこに全身からするめのような匂いを発している男が現れ、その干物を美味しそうにむしゃむしゃ。

 その後もどんどん続き、物もどんどん変わっていく。良い香りのする木製の像、花冠、唐辛子、えらく伸びる餅、立派な鹿の角、万能薬……。


 ミケ達がこの場を離れることを決めた頃――夜明け間近には、最初に晴明と会った男が残した酒は、林檎に似た謎の果実に変わっていた。

 

「あたし達はそろそろ行くとするか。あたし達は生憎何も残すもんがないが、勘弁してくれ。ああそれにしても色々なものを食ったなあ! それに沢山騒げて楽しかった! 人間、お前もそろそろ帰るんだろう?」


「私も大変楽しかったぞ! いやあ、こういうのも悪くないな! ああ、私もそろそろ帰るつもりだ。帰る頃にはすっかり日は昇っているだろうが、特に問題は無い。今日は土曜だし! 両親には朝ふらっと散歩に行っていたと言えば信じてもらえるだろう。実際朝早くに起きて、その辺りを散歩していることもあるしな!」


「そうかい。それじゃあな、人間。綺麗な扇ありがとうよ!」


「こちらこそ、素敵な舞と時間をどうもありがとう!」


「それじゃあ行こうか」

 釜太郎が尻尾をふりふりしながら言うと皆頷き、そして晴明の前から姿を消した。


 再び晴明の世界に静寂が訪れる。シートにはすっかり空になった箱や袋が散らばっている。晴明はそれをかき集めながら、まさか持参した食べ物の内殆どが一夜にして無くなるとはと苦笑い。わずかばかり残ったものも封をしてリュックへ詰める。ノートも、筆記用具も片付けた。

 最後に残ったのは、宝石のように輝く果実。ふわっと漂う甘酸っぱい香り。

 林檎に似ているが、林檎かと聞かれると「多分違う」と答える――そんな代物であった。


「この世にはまだ私の知らない果実が沢山あるなあ! 海外でしか作られていないものだろうか! いやあそれにしても綺麗な果実だ、惚れ惚れする! マリアンヌとかシャルロッテとか、そういった名前をつけたいなあ! 優雅で美麗でとってもチャーミング!」


「その果実、私にくださいませんか?」

 いつの間にか、晴明の隣に何者かが座っていた。

 そこに座っていた人は、緑色の光を発している。淡く優しい光だ。晴明はその人の顔を見るより、真っ先に光源を探した。が、それらしいものは見つからない。全く飾り気の無い衣の下に何かつけているのかもしれなかったが、光が漏れるほど薄い生地にはどうしても見えない。


 海の波を思わせる位うねっている、長く豊かな髪に優しく穏やかな笑み。

 一瞬女かと思ったが、よく見ると男であった。晴明に話しかけた声も男の声であった。

 彼の体は清浄な気を放っている。出雲や桜海、ミケ達が放っていたものとは全く違うものだ。共通しているのは異質であるという点のみ。森や山に住む精霊――そんな言葉がぱっと浮かんだ。


 晴明は気づけば果実を持っていた手を彼の方へ差し出していた。男は「ありがとう」と笑い、それを受け取った。


「貴方は最近よくここへ来ていますね。そしていつも楽しそうに物語を紡いでいる」


「私がここでやっていることを見たことが?」


「ええ、よく遠くから見守っていましたよ」


「それは全く気がつかなかった!」


「気がつかれないようにしていましたから。私はそうして誰かが何かを楽しそうにやっているのを見るのが大変好きなのです」

 男はにこりとした顔を晴明に向け、それから果実を一口。これ、私好きなんですよと彼は言った。本当に心から好きであることが分かる声色だった。


「……ずっと昔、ここで今夜と同じようなことがあったのを今でも覚えています。私もそこに加わり、お土産を残して帰りました。あの夜も、ここは笑い声と幸せで満ちていましたっけ」


「村人達がここで夜、宴会をした日があったのか? その人数は時間が経つにつれどんどん増えていったとか」


「貴方にも、お土産を一つ差し上げましょう」

 男は晴明の問いには答えなかった。代わりに懐から自身の発している光と同じ色をした手のひらサイズの石を取り出し、晴明の手に握らせる。ひんやりしたその石に晴明はしばし見惚れた。


「これからも頑張って下さいね。貴方の紡いだ物語がこの夜の世界の殻を突き破り、世に出る日を私は心待ちにしています。それでは」


 途端、急に強い風が吹いた。晴明の視界を緑色の光が覆いつくす。筆記用具等を片付けていなければ、今頃皆どこか遠くへと飛んでいってしまっていただろう。風に叩かれ、縛られ、晴明は身動き一つとれなかった。

 息苦しい位激しい風が収まり晴明は目を開ける。

 それから、隣に居たはずの男に「すごい風でしたね、大丈夫でしたか?」と声をかけた。だが、いつの間にか彼は姿を消していた。晴明は目をぱちくりさせたが、それから「すごいなあ!」と感嘆の声をあげた。


「あの風をもろともせず歩けるとは、何とすごい人なのだろう! あの人はきっと、この山に住む伝説の仙人であるに違いない!」

 勝手に一人納得し、彼から貰った石を懐にしまうとその場を離れた。


「今宵過ごした時間を、作品に出来ないだろうか! 次から次へと現われる人ならざる者と歌ったり騒いだりする少年を主人公にした物語……うむ、良いぞ良いぞ、かなり良いぞ! よし、帰って少し眠ったら早速色々書くとしよう!」

 

 そして彼は家へ帰り、溢れる言葉の泉から物語を汲み取っていく。

 ところで、晴明の貰った石というのは、実はかなり稀少なものでものすごく高価なものであったが、そんなことなど彼は知る由もなく。

 幸運を呼びそうなお守り、ということにして後生大事にしたそうな。

 

 じううう、じゅう、じゅう、じじじじい。網の上でたれを身にまとった鳥が踊りながら焼かれている。肉と葱から金色の汁が溢れ、ぽたぽた落ちている。

 泡で頭を飾ったグラスは黄金色で、かんこんこつんと音を立ててごっつんこ。

 鳥が焼ける音に負けず劣らず大きな笑い声、話す声。あまり大きいとはいえない店はいつも沢山の幸せで満ちていた。もつ煮の味は継ぎ足しを繰り返し、また客の賑やかな声を吸い込んで、日に日に深みを増していく。まだまだひよっこではあるが、時を重ねてこの先少しずつではあるが立派になっていくだろう。


 カウンター席に腰掛け、串に刺さった鶏肉と葱を口に入れる男が一人。こういった居酒屋にいるよりは、洋食屋やバーにいる方が似合っていそうな見た目の男。鳥と葱の味を楽しんでから、レモンサワーをごくり。

 ここは三つ葉市にある居酒屋。そして男はかつてこの街に住んでいた瀬尾晴明である。どちらかというと白い顔、その頬は今仄かに赤い。ほろ酔い良い宵。


「本当、お久しぶりですね先生」

 ぱたぱたと団扇を扇ぐこの店の主がにかっと笑う。小太りの、ちょっと強面の三十路のお兄ちゃん。頭に巻いたタオルはすでに汗でぐっしょりしていた。

 晴明はまた酒を一口飲んで、それから苦笑い。


「先生なんてやめてくださいよ、気恥ずかしいですから」


「こんなこと位で恥ずかしがるような人じゃないでしょう、先生は」

 店主はがっはっはと豪快に笑った。まあ、それもそうですがと晴明が返したら、また楽しそうに笑う。


「先生新作読みましたよ。最後に載っていた話が気に入りました。しんみりした話より、俺はああいう愉快なやつの方が好きですから。でもただ愉快で馬鹿馬鹿しいだけじゃなくて、なんていうか……幻想的? そういう感じもして」

 それから店主はつたないながらも、晴明の本を読んだ感想を時々他の客とも話しながら語ってくれた。彼は晴明の本を全部(まだそんなに多い数は出していないが)買っては読み、そしてこうして会う度感想を述べるのだった。

 晴明が礼を言うと、彼は照れくさそうに笑う。むすっとしていると怖い顔だが、そうして笑うと随分と印象が変わり、可愛らしくなる。名字が森であり、体型が熊っぽいことから『森のくまさん』と呼ばれ、常連客達に愛されている。


「本当、毎回言いますけれど……やんちゃしていた頃の俺が、今の俺を見たらびっくらこくでしょうね。とても同一人物には思えないって。知り合いにもしょっちゅう言われますし。お前が漫画以外の本を買って読む日が来るなんて信じられないとか、別人の魂が乗り移っているんじゃないかとか。俺が真面目に働いている姿見て、口をぽかんと開けて固まった奴もいましたっけ。しつこい位何度もいいますけれど、あの日あの時先生と会わなかったら、今の俺はいませんでした。きっと今も馬鹿やり続けていたと思いますよ」

 そう。彼こそが、ある夜出会った晴明の強烈過ぎるオーラに何故か感銘を受け、やんちゃ人生から足を洗ったという男である。


「私は別に何もしていませんよ」

 彼の人生を変えるようなことは本当に何一つとしてした覚えが無かった。実際、何もしていない。絡んできた彼と、彼の子分達に対してぺらぺらと色々なことを喋りまくっただけである。その内容に彼等の心を動かすようなものは何一つなかった。


「数年前、偶々この店に入った時貴方に声をかけられて……あの時はびっくりしました。私は全く覚えていませんでしたから」


「そりゃそうでしょうよ。先生が忘れているのも無理は無い。でも本当びっくりしましたよ、先生がこの店に入ってきた時は。一目見てすぐ分かりましたよ、先生全然変わってないんですもん」


「中身はあの黒歴史の塊の時に比べれば、少しはましになったと自負していますがね。少なくとも今の私には、やんちゃなお兄様方に囲まれても怖がりもせず、平気な顔で訳の分からないことをぺちゃくちゃ喋りまくるなんて芸当出来ませんよ。きっと恐怖で震え上がって、まともに声も出せないでしょう。昔は色々鈍すぎたんですよ」

 ある夜、いつものように桜山で創作活動に没頭していた晴明の前に現れた人々。今は彼等が人間ではなかったことも理解している。彼等を普通の人間だと思っていた当時の自分をぶん殴ってやりたいと時折晴明は割と本気で考える。


「いや、先生はそんなこと言いつつ、実際は昔と同じようなことをけろっとした顔でやってのけると思いますよ」

 店主はげらげら笑う。そうやって晴明や、他の人と話しながらも手は止めない。晴明の背後を、店主の奥さん(彼女もまたかつてはやんちゃしていたらしい)がジョッキやら皿やらを手に行ったり来たりしている。

 晴明はぼんじりをもぐもぐしながら、どう答えたもんかと困ってしまってただただ笑うばかり。


「本当、先生のおかげで今の俺がいるんです。先生が変人で良かった! 創作活動の為夜毎家を抜け出して、歩いて隣町まで行くような人で良かった! 変人万歳!」


「そんなこと、大声で言わないでくださいよ」

 と赤く染まった頬をますます赤くさせて叫ぶ晴明の声も、店主と他の客達の笑い声でかき消されて。そんな声を聞いていたら晴明もどうでも良くなって、最後は「変人万歳!」と笑い出した。


「俺は今とても幸せです。大変なこともあるし、まだまだだなって部分も多いけれど、でも、毎日が楽しくて仕方無いです。沢山の人、沢山の笑顔に囲まれて生きる日々が。この日々をくれたのは先生ですよ」


「きっかけは私だったかもしれませんが、その日々を作り上げたのは間違いなく貴方自身ですよ。笑い声の絶えない店になったのも、連日多くの人がやって来るのも、みんな、みんな」

 繁盛している、というわけではないようだがそれでもここには幸せがあった。

 その幸せを作り上げたのは紛れもなく彼自身である。彼が挑戦と失敗を繰り返して作り上げた、ずば抜けて美味しい、というわけではないが、ほっと出来る優しくて親しみやすい味で評判の料理、誰とでもすぐ打ち解け、客の話を親身になって聞いてくれる彼の人柄等(勿論彼の奥さんや、数名の従業員の力もある)がこの店を幸せで満たしているのだ。


 今度は店主が照れる番だった。大きな手で頭をかき、はにかむ。

 カウンター席にいる他のお客さん達が、店主に声をかける。


「おおいくまさん、そっちの兄ちゃんだけじゃなくて俺にも構ってくれよう」


「もりくま、口ばかりじゃなくて手ももっと動かせい!」


「くまちゃん万歳! あっはっは!」


「くまちゃん相変わらずもてもてだなあ、おい奥さん目を離していると、くまちゃんとられちゃうぞう!」


「ご心配なく。私のくまは私以外には絶対なびきませんから」


「お、惚気ちゃって。羨ましいぞう、ひゅうひゅう!」

 どっと溢れる笑い声。

 店主は晴明と話すのをやめ、他の客達と話したり、鳥を焼くことに集中したり。その様子を晴明は目を細めて眺め、そしてレモンサワーをおかわり。飲みながら、あの日色々な妖達と話をしながらお菓子を食べたことを思い返す。


(あの時はまだ未成年でお酒が飲めなかったけれど、今なら飲める。出来ることなら、またあの人達と会いたいな。お酒を持参して、そして皆で飲むんだ。私も一緒に)

 叶わぬ夢だろうと思うし、『向こう側の世界』の住人達と関わり過ぎない方が良いことも知っている。それでも願わずにはいられない。

 彼に、ある一つの物語を授けてくれた彼等との再会を。


 そんな願いを内に秘めながらも、晴明は温かい人々との温かな時間をこの店で過ごすのだった。

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