番外編15:晴明少年の夜会(1)
昔一人の男がいた。その男はある日、山で妖に出会った。その妖はまだ子供のようであり、猟師の仕掛けた罠にかかっていた。男はその妖は人に害をなすようなものに見えなかったし、あんまり可哀想だったので助けてやった。
するとその夜、昼間助けた妖と、その親が家を尋ねてきた。彼等は両手に大量の酒とご馳走を持っていた。それは妖の世界のものであるらしい。
二人はお礼を言うと、もしよければ月を見ながら一杯やりませんかと男を誘った。それが彼等なりの恩返しのようだった。男は少し迷ったが、きっと悪いことにはならないだろうと思ったし、何より彼等の持っているご馳走が美味しそうだったのでその誘いを受けた。
外に出、桜山の近くで三人は早速宴を始めた。ご馳走もお酒も、どれも美味しく男は大満足。時間が経つ内、妖の親子ともすっかり打ち解けた。
しばらくして三人の前に、一人の妖が現れた。どうやら三人の話す声、そして料理の匂いにつられてやって来たらしい。その妖は自分も混ぜてもらいたいと願い出た。酒の力で気が大きくなっていた男は快く受け入れた。混ざった妖は酒とご馳走を少し貰い、男や妖親子と話をすると帰っていった。そして帰る間際、これは例だと珍しい酒の入った徳利を置いていった。
またしばらくすると別の妖がやって来た。その妖は、前の妖が残した酒などを飲み、食べ物一つ残して去っていった。
そんなことを何度も、何度も繰り返した。そして最後、とても長い間生きた格の高い精霊が現れ、三人と酒を酌み交わすとある宝を残して帰っていった。
その宝というのは、一本の酒であった。その酒は極上の味で、しかも幾ら飲んでも無くならないという代物。しかもこの酒を飲んだものは病気に強くなった。
妖の親子は、それは是非貴方が貰ってくださいと言い、男と別れた。
男はその酒を貰い、楽しく暮らしたそうだ。
残念なことに、この酒は男の死と共に消えてしまったとか。
『晴明少年の夜会』
磨いた氷の様な月が、空を冬の色に染めている。光を受けて輝く、細かく砕いた氷を思わせる星は当たり一杯に散らばっていた。雪を千切って浮かべた様な雲は風に吹かれて旅をする。
そんなものに包まれた世界は、当然のことながら冷たい。木々は寒さに凍えて震え、地面はかちこち。建物は震えたくなるのを懸命に堪えながら、中にいる者達を守っていた。
桜町の外れにある桜山もまた、嗚呼寒い寒いとぼやきながら木々をぶるぶる震わせている。これから先もっと寒くなるかと思うと憂鬱だ――そんなことも考えていたかもしれないし、いないかもしれない。
その山の麓――桜山神社の近くに、ビニールシートを敷いてちょこんと座っている少年が一人。お隣の三つ葉市に住む高校生、瀬尾晴明である。時々(しょっちゅう、というべきか)こうしてここへ来ては、創作活動に勤しんだり、ひたすら読書したりしている彼は今夜も、慣れた手つきで準備を進めシートの上に腰を下ろしている。
「今宵も無事ここまで来ることが出来た、これもひとえにミツツキミツキカケ様のご加護ゆえ!」
天へ右手を伸ばし、遥か頭上にある月に向かってよく響く声でそう言った。
三つ葉市に来てからというもの、しょっちゅう家を抜け出してはこうして桜山へと来ていた。その回数は相当なものとなったが、誰かに見つかって注意されたことも、危ない目に遭ったことも一度もなかった。それは前の街にいた時も同じであった。これもまたミツツキミツキカケ様のお陰だと晴明は信じて疑っておらず。
しかし。危険な目に遭ったことが無い、と思っているのは実の所彼だけで、これまでに幾度か一歩間違えれば大惨事――な出来事に遭遇していたことがあった。例えば、人を喰らったり迷わせたりする妖と出会ったり、そういったものに狙われたり。妖だけではない、ちょっと危ない人間とばったり……ということも。
今夜も、建ち並ぶ家々の視線をその身に浴びながら三つ葉市内を歩いていた時、夜の住宅街を大声で喋りながら歩いていた、ちょっとばかりやんちゃなお兄様方と遭遇した。彼等はどうみても自分達と同類には見えない少年がこんな夜に一人、リュックを背負って歩いている姿を見て仰天。何か変な奴がいる、よしここはちょっとからかって遊んでやるかね……にやり笑ったやんちゃ兄様達は、晴明をぐるり取り囲んで絡みだした。
普通の人はそんなことをされたらたちまち震えあがり、何も出来なくなってしまう。彼等は当然晴明もそんな風に怯えるのだろうと思っていた。しかし晴明はそうはならなかった。彼は普通ではなかったのである。
色々ずれた感覚をお持ちの晴明少年は、持ち前のマイペースっぷりと変人っぷりを発揮した。約千六百年も生きている、他者を自身のもつ気や声などで呑み込むことを何より得意とする化け狐さえ呑み込んでしまう晴明に、ちょっとやんちゃなだけの彼等が勝てるはずもなく。こいつに絡んだらヤバイと震え上がった。彼等のリーダーである男は、晴明の独特すぎる雰囲気に何故か感銘を受け、憑き物が落ちたようになり、この日を境にやんちゃ人生から足を洗うことに。
晴明は、その時のことを『危ない目』にカウントしていない。夜でも元気なお兄さん達に話しかけられた……としか思っていないのだ。似たようなことは以前もあったが、今回と同じように無自覚なまま相手を撃退していた。妖が相手でも同様に(相手が妖であることに気がつかないまま。多少容姿が人間から離れていても、彼は人間とみなす)。
「今宵も! ミツツキミツキカケ様のお力をこの身に浴びながら! 素晴らしい時間を過ごすことにしよう」
いつも通りノートと筆箱を取り出し、それからホットココアの入った水筒を出して脇に置く。
それから今度はお菓子をひょいひょいと取り出して、次々と並べていった。
クッキー、チョコ、ミックスナッツ、柿の種、バウムクーヘン等など。袋や箱を彩る色、絵が月の光を浴びて鮮やか。シートを埋め尽くさんとするそれらを前に、晴明は満足気な顔して頷いた。
「ふふん、今日は大盤振る舞いだ。これ程の数のお菓子が並んでいる光景というのは圧巻だな、あっぱれ、あっぱれ、見事であるぞ! 創作活動にエネルギー摂取はつきもの、ミツツキミツキカケ様から頂戴仕る力も大事だが、人間それだけでは生きていけないというのが悲しき真実である。考え、書けば消費する! その分をミツツキミツキカケ様の力とお菓子やココアのもつ無限のエネルギーで補充するのだ! はは、それにしても多いなこの数は。あれもこれもと詰めていったらこんなことになってしまった。年末年始、一日中こたつにもぐって特番を見ながら食べようと買い貯めたものだったが……こんなに買っていたのか。通りでお財布の中身がやや寂しいわけだ。まあ、一晩で食べきるわけでもないし、良いか」
自分で言い、自分で納得。晴明は下敷きを敷いたノートを広げ、早速シャープペンを走らせていく。執筆中の小説を完成へと近づける為に。
作業に集中すると、時折吹く風の冷たさも気にならなくなる。体もえらく丈夫であるから、寒空の下一日中居ても風邪一つひかない。それもまた、彼の脳内にのみ存在する女神の力ゆえか。
主にやっているのはある小説を書き進める作業であるが、ふと今書いているものには使えそうに無いが、他の物語を書く上で使えそうなアイディアが浮かぶと別のノート(湧き水の書。早い話が思いついたアイディア等を書きとめる為のノート)を開き、そこにつらつらと思いついたことを書いていく。
今もまんまるお月様の様な、砂糖で味付けされたさつまいもチップ片手に色々書いている。それはさつまいもチップを見ている時にひらめいたアイディアである。
「満月のようなさつまいもチップを、噛まずに飲み込んだ横着者の頭からぽんと小さな月が飛び出してきて、男の頭上に浮かぶ。その月は昼間は見えず、夜になると見える。こりゃ珍しいと、小人達が食べ物を持ち寄りその者の頭の上に乗って月見を始めた。……どこかの昔話にあった話のパロディっぽくて良いな! ここから更に色々話を広げられるかもしれん! 頭に浮かんだ月に吸い込まれて、異界へと行ってしまい不思議な冒険を繰り広げるという話も良いかもしれないなあ! うんうん、どんどん書くとしよう」
思いついた言葉は余さず書く、それが晴明の主義である。これは面白くないかもしれないからとか、どこかで見たことがあるようなものだからとか、そういった理由でメモすることをやめることはない。脳の嵐が巻き上げたものは宝だろうとゴミだろうと回収する。
新しいページはあっという間にさつまいもだらけに。満足いくまで思い浮かんだアイディアを書き連ねた後、手にしていたさつまいもチップを天に掲げてにんまり。銀の月に重なって、白く輝く芋、黄金にきらきら。
「こんな時間だというのに、随分元気な坊主だなあ」
近くから聞きなれぬ声が聞こえた。いつの間にか晴明のすぐ近くに一人の男が立っていた。芋の魔力、もとい月の魔力に導かれてここまでやって来たのだろうか。
年は五十前後といったところか。やや浅黒い、人参に似た形をした顔を覆うひげはぼさぼさ、髪は逆立っており触れれば怪我をしそうだ。包丁の刃を思わせる形の瞳、鋭く尖った歯の並ぶ口、ボロボロの着物。紐でくくったえらく大きな徳利を提げている。
男は晴明に顔を近づけ、じっと見つめる。随分恐ろしい顔を男はしていたが、晴明は少しも怯まなかった。男からはここに来た時に出会った出雲や桜海が持つ、常人とは違う何かを感じたが、それさえも彼の身を竦ませる材料にはならない。
「坊主、人間だよな?」
「そうとも! このような時間、このような所に一人でいる子供などまずいないから、狐か狸が化けたものかとお思いになったのかもしれないが、私は人間である! 失礼なことを言ったと申し訳なく思う必要は全く無い、何故なら私はそう思われたことをとても誇らしく思うからだ! 私は人ならざる者に憧れている、だが私はどう抗っても人間以外の者にはなれないのだ、嗚呼、悲しいかな! いや、でも誤解しないで欲しい。私は別に人間として生きることを苦痛に思ってはいない、人として生きることもなかなか楽しいからな! 人であるからこそ、人では無いものに憧れるという気持ちもあるのだろう。人というのは、自分が持っていないものに憧れるものだからな!」
彼はそうとも、と大声で突然叫んだ挙句いきなり立ち上がった。びっくりして思わず尻餅をつき、ぽかんと口を開けている男を無視して晴明はぺちゃくちゃと語りまくる。足や両手を無駄に交差させたり、バレエでも踊っているのかと突っ込みを入れたくなるようなポーズをとったりしながら。そして最後、さつまいもチップを、ぱくり、ぽりっ、かりっ。
「え、ええと……」
「はっ! これは失礼した、自己紹介もまともにしないままこんなことを話すなんて! 私の名前は瀬尾晴明、十六歳、おとめ座B型、恋人いない歴十五年、好きな食べ物はおはぎと炊き込みご飯、嫌いな食べ物はなまこ! 猫派、得意科目は国語、苦手科目は数学、成績は上、視力は両目共に1.1、音楽はクラシックや和風音楽を好んでいる。好きな色は銀、青。好きな方角は東、信仰しているのはミツツキミツキカケ様である!」
冬の夜、朗々と響き渡る声。男はその声に聞き惚れるやら、彼のテンションに押されまくってぽかんとするやら。
「は、はあ……そうかい……丁寧な自己紹介、どうも」
としか言えない。晴明はふふん、と得意げに胸を張る。
「自己紹介はとても大切であるからな! いつもきちんとするようにしているのだ。貴方はこの町の人なのか?」
「ん? まあ、そうとも言えるかなあ……」
「そうか、そうか! ちなみに私はこの町の隣にある三つ葉市に住んでいるのだ。といっても昔はここから大分離れた街で暮らしていたのだが、父の仕事の都合で数ヶ月前に引っ越してきたのだ! 長年過ごした土地を離れ、そこで出会った数多くの友人達、幾度となく勝負を繰り返す後固い友情で結ばれた犬のケンタロウと離れ離れになることは大変残念であったが、だがしかし! 離れ離れになったからといって繋がりが断ち切れるわけではない。そうだろう?」
「え、あ、ああ」
「それに! 新たな土地を訪れれば、新たな出会いもある! 私はここで数多くの素晴らしい出会いをした。その出会いはここに来ない限り、決して出来なかったものだ! それにこのような素晴らしい場所とも出会えたし。ここは良い、大変良い! ミツツキミツキカケ様の力を前以上に強く感じるからな! あ、ちなみにミツツキミツキカケ様というのは私が信仰している女神で」
「ああ、分かった、分かった! 分かったから少し静かにしてくれ。全く酔った俺だってもっと静かだっての……全く元気な奴だ」
と吐き捨てるように言えば、晴明の瞳が夜空に散らばる星々の如く輝いた。
あ、やばいと男は思ったようだがすでに時遅く。晴明は自身の元気の源はミツツキミツキカケ様という女神から受け取る力であること、彼の女神がどのような人であるのか延々と語りだす。女神の誕生、その女神が今までどのようなことをしたのか、その女神から生まれた神々の話……その壮大な(妄想)物語は男の頭を膨張させ、やがてパンクし、爆発する。目が回る、頭が痛いと唸る男に、なおも晴明は話を続け。彼の話はなかなか途切れない。すらすらと、詰まることも噛むこともなく、遮るものなく流れる清らかな水で出来た川の如く。
話に区切りがつき、ようやく晴明が少しだけ大人しくなり、男はほっと息をついた。
「人の匂いがすると思ってふらふらと山を下りてみれば……近頃の人間のガキは恐ろしいものだ……。くわばら、くわばら」
その言葉も、晴明の耳にはろくに届いちゃいない。出雲のことさえ「ちょっと不思議な人間」としか思っていない彼に、目の前にいる男が人間では無いことを見破ることなど出来やしない。
蝿のように手をさすりながら「くわばら、くわばら」と連呼していた男は、晴明が手に持っている、半分位食べられたさつまいもチップに目を向けた。そこから漂う甘い香りに、思わず目がとろんとなった。
「ところで、お前さんが手に持っているものはなんだい」
「ああ、これはさつまいもチップだ」
「さつまいもチッ……?」
「さつまいもの優しい香りと、砂糖の甘み、パリパリッという音が最高の菓子だ。芋けんぴも好きなのだが、私はこちらの方がどちらかといえば好きだな。かじった時の音がたまらなく好きなのだ」
「さつまいもかあ……この時期は、焼いて食うと美味いなあ」
「焼き芋! 確かにあれは大変美味であるな! 家の外から『いしやぁ~きいもぉ~おいもっ』という声が聞こえると、財布片手に飛び出して買いたくなる衝動に駆られる! 甘く味付けした芋も良いが、芋本来の味を楽しむあれも最高だな。嗚呼、何だか無性に食べたくなってしまった……だが残念なことに、手持ちに芋がない。遠ざかる焼き芋、ああ、悲しいかな悲しいかな! あ、そうだ。もしよければ少しこれを食べていって欲しい。ここで出会ったのも何かの縁なので」
晴明はさつまいもチップがまだ山ほど入っている袋を手に持つと、開いた口を男の方へと向ける。男は目をぱちくり、まさかくれるとは思っていなかったらしい。
「いいのか?」
「勿論。少し位なら全く問題ない。是非、どうぞ」
男は晴明に笑顔で言われ、ためらいがちに一枚手に取り、一口。ぱりっというとても良い音がし、それからぽりぽりという心地よい音が響き渡る。
男は怖い形の目を可愛く丸くして、ごくり飲み込むと「美味い!」と言った。
「こりゃあいいなあ。甘いけれど芋の香りもするし、何よりこの音が小気味良いぜ。何というかこう、踊りたくなるような音だ。ああ本当に甘いなあ、良いなあ、向こうにいる連中とは違って俺はこういうものは滅多に口に出来ないからなあ」
うんうん、と頷き。それから今度は、晴明の足元に阿呆みたいにある菓子の箱や袋に目を向ける。
「そこに散らばっているのも、全部食い物かい?」
「うむ。クッキーからあたりめまで、幅広く取り揃えているぞ。これらを食べ、ミツツキミツキカケ様から力を貰い、私は創作活動に勤しむのだ! この時間こそ、まさに至高なのだ! あ、もしよければ他のものも是非どうぞ」
「良いのか?」
「勿論。ここに座ってくれても全く構わない。月輝く空の下、誰かと語りあうことで得るものも多くあるだろう」
そう言うと晴明は上に置いてあるものを動かし、男一人が座れるスペースを作る。そして、そこを指差し、座るよう促した。男は最初こそ戸惑う様子を見せたものの、戸惑いよりも食欲の方が上回ったのか、やがてにっこり笑うとシートの上にどかっと座った。
晴明は、彼に色々なお菓子を勧める。男は遠慮せずに、それぞれを少しずつ口の中へ入れていった。彼はクッキーやピーナッツチョコをやたら物珍しそうに眺め、良い匂いはするけれど本当にこれは食べ物なのか、どういう食べ物なのかと晴明に度々質問しながら(質問すると、必要のないことまで色々喋るので少々困ったが)口へと入れる。
「くはあ、これは美味い! 甘い! 甘いっていうのは良いことだなあ、おい! 花の蜜と同じ位、いやそれ以上に甘い! ああ、口の中で溶けていく。いつまでも溶けずに残っていりゃあいいのによお、せつねえなあ」
ミルクチョコレートをかじり、徳利に入っていた酒を飲み、口の周りについたそれを手で拭う。甘いものを食った後の酒は本当に美味い、生きているって感じがするのだと熱弁する。
「私は、物語を考えたり、書いたりしている時が一番幸せだ。シャープペンを走らせ、思いを巡らせ、その思いを文章という形にする時生を実感する。そういうものがあるというのは、とても幸せなことだと私は思う! ああ、生きていることは素晴らしきかな、創ることは素晴らしきかな!」
「甘いものを食って酒を飲むことは素晴らしきことかな!」
大分強いらしい酒を飲んだ男は赤ら顔、上機嫌。食っては飲み、食っては飲みを繰り返す内大分晴明とも打ち解けていった。
「貴方はチョコレートなどを今まで食べたことはなかったのか?」
「ああ、食ったことねえなあ。こんな土とも糞ともつかねえ色しているくせして、これ程甘くて美味いものなんて初めて食ったよ。カカオとかいう奴には感謝しねえとなあ、うんうん。素晴らしい食べ物をありがとう、ってな!」
がっはっは、と男は声高らかに笑う。晴明も何だか楽しくなり、酔ってもいないのに同じ位高いテンションで笑った。彼は酒の力など借りなくても、こんなである。
二人して笑っている内どんどん楽しくなり、終いに「カカオ様ありがとう音頭」なるものを勝手に作って踊りだした。阿呆と阿呆、月に酔ってますます阿呆に。踊っている最中、菓子の箱や袋を何度か踏みつけてしまったが気にしなかった。
最後、バランスを崩して二人仲良く尻餅をつくまで踊り、それからまた笑った。
「何か愉快だなあ! いやあ、それにしても久々に人間と話したなあ! こうして人間と仲良しこよしするのも悪くは無い!」
げっぷを交えつつ男が言う。
「貴方はこの山に住む仙人か何かか? 俗世から離れ、普段はひっそりと暮らしているとか。だからチョコレートのことなども知らなかったのか?」
「山に住んでいる者全てことを仙人っていうのなら、そうなのかもなあ。ま、とりあえずそういうことにしておけ、その方があんたの為にもなるさ。しかしよくもまあ、飽きもせず文字を書き続けられるものだ、俺には絶対真似できねえなあ」
晴明は男と話している最中も、何か思いつく度ノートに向かって色々と書いていた。それを男は感心半分、呆れ半分に見ていた。
「好きなことであるからな。文字の読み書きを覚えた頃から、こういうことに興味を持ち始めてはいた。それなりに長い物語を最後まで初めて書ききったのは、小学校四年生の時だったな! あれを書き終えた時の達成感! このチョコレートよりなお甘い快楽! あの快楽こそが私に『創作』という道を与えてくれたのだ。そしてその道を進み始めた頃、ミツツキミツキカケ様と出会ったのである! あの時のことは今でも忘れられない、そう、あれはある日の夜のこと……さあ眠ろうとベッドに潜った時! 私の頭にずびび、という電流が流れた!」
「電流が頭に流れたら死んじまうじゃないか」
「ものの喩えだ、喩え! 死んでしまう! と思う位の衝撃であった。それと共に私の頭の中に降臨なさったのだ! ミツツキミツキカケ様は! そして私の体内を、あの方についてのありとあらゆる物語が怒涛の勢いで巡ったのである!」
「その女神ってのは美人なのかい」
「ああ、美しいとも! 多分! いや、絶対!」
「何か曖昧だな……」
「私も直接そのお姿を拝見したことはないから。いつかお会いしたいと思うのだが。けれど今は良いのだ。こうしてミツツキミツキカケ様の力をこの身に浴び、物語を創ることが出来る……それだけで私は幸せなのだ!」
「ふうん、そんなもんかい」
それからまたチョコと酒を一口。そうしてああだこうだ色々喋りながら、短い時間を共に過ごした。
男は晴明の持参した菓子の食べ比べや、彼との話を楽しんだ後「それじゃあ」と腰を上げる。
「そろそろ俺は行くとするかあ。へへ、坊主ありがとうよ。色々楽しかった」
「そうか、もう行ってしまうのか。少し残念ではあるが、いたしかたあるまい。嗚呼、そうだこのピーナッツチョコを幾らかお土産として差し上げよう。是非山にある貴方の家で、酒と一緒に食べてくれ」
晴明は大袋に入っていた、フィルムに包まれた一口サイズのピーナッツチョコを一掴みすると、立ち上がった男へと渡した。男は喜んでそれを受け取った。
「遠慮なくいただくぜ。……折角だ、俺もお前に何か礼をやろう。そうだ、この酒をやる。俺が結構飲んだが、それでもまだ大分残っているし」
男は徳利とどん、とシートの上に置く。これには流石の晴明も戸惑った。
「いや、だがしかし私は」
「いいってことよ。山へ帰れば酒はまだあるしな。こいつを俺の飲み友達にも食わせてやるとしよう。へへ、人間とくっちゃべりながら飲み食いするのも悪くなかったぜ、それじゃあな!」
男は晴明の返事も聞かず、徳利を残して去っていってしまった。その細身ながら凄みのある体が、山に飲まれていく。
晴明は徳利をぺちぺち叩き、それから肩をすくめる。
「弱ったなあ。……私は酒が飲めないのだが」
何せ彼はまだ高校生、未成年である。今の今まで一口も飲んだことがないと言えば嘘になるが、男の残した徳利に入っている位の量を一度に飲んだことは流石にない。家をこっそり抜け出すような困った君ではあるが、これだけの量を誰にも内緒でこっそり飲むというような真似は出来なかった。真面目な部分もあるのだ、一応。翌日両親にばれる恐れもあったし。
はてどうしたものかとしばしの間悩んでいた晴明だったが。
「まあ、いいか。この件については後で考えることにしよう。今は創作活動に集中するべきだ! 夜は長いようで短いからな!」
そう言うと、本当に晴明はお酒のことも忘れて、月下での創作活動に励むのだった。独り言を大声で言い、ミツツキミツキカケ様と交信したり、彼女の加護を受けたりする為に彼が独自に編み出した、独特にも程がある変てこポーズを月の光を浴びながらやったり、お菓子を食べたりしながら。
息を吐く度、自身の身に溜め込んだ月の光が漏れて、チョコレートの甘い香りを漂わせながら、するすると夜空へ向かって上っていく。月光と、懐中電灯の灯りに照らされたノートは白く、そしてきらきらと輝いている。そこに書かれた文字もまた、晴明にはどんな宝石よりも輝いているように見えた。
物語を考え、書くことの楽しみに火照る体を、冬の風が冷ましていく。けれど、冬の風だけでは冷ましきれぬ程今の彼の体はすごい熱を帯びている。お酒を飲んでいるわけでもないのに。その熱が、晴明をわくわくさせた。
新たな訪問者が晴明の前に現れたのは、男が去ってから二十分程経った時のことであった。