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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
桜の夢と神隠し
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桜の夢と神隠し(3)

 その日の夜も、結局よく眠ることができなかった。今日起きたことを考えると、全身がかっと熱くなる。でもその熱さは嫌なものではなくて、むしろとても幸せな熱さだった。

 出雲さんから貸してもらった鬼灯を、私はベッドに入り込んだ今も握り締めている。ただ触れているだけで、温かいミルクココアを飲んだ時のように、ほっとする。私がずっと望んでいた世界は、この小さな鬼灯を握り締めるだけで手に入るものだった。

 なんて、素晴らしいことなのでしょう。


 あの世界を、もっと見てみたい。他にはどんな方達が住んでいるのかしら。ろくろ首やのっぺら坊、天狗……桜村奇譚に出てきた人ならざる者達もいるのかしら。ああ、あそこには私の知らないものが沢山あるのかしら、もっと奥へ、奥へ行きたい。あの世界を、知りたい。異界と呼ばれる世界を……。


 色々ずっと考えていたら、朝になっていた。


 眠くて仕方が無いのだけれど、今日は学校がある。

 学校というか、部活。今は夏休みだけれど、そのうち必ず十日間は部活をしなければいけない、という決まりが私達学校にはある。運動部や、吹奏楽部は十日間以上……正確に言えば夏休みほぼ毎日部活があるけれど。


 一夜が居なくなっても、部活はある。桜町連続神隠し事件のことは、あまり大きな騒ぎにしたくない為か、地方のニュースや新聞でも殆ど取り上げられない。けれど、小さな町で起きた大事件。あっという間に噂になって、町中を駆け巡ってしまう。


 だから、きっと一夜が行方不明になったことも、もう噂になっている。そして、一夜が部活を欠席することで、その噂は噂でなく、事実として決定付けられるに違いない。


 私のせいだ。

 出雲さんが助けてくれる、くれないは関係ない。一夜がいなくなってしまった原因が私にあるという事実が変わることはない。

 勿論、誰もそんなことは知らない。けれど。


 また、胃がきりきりとする。兎に角、学校へ行かなければ。

 そして、私はやれることをしよう。役に立たなくてもいい、事件のことについてより詳しく調べよう。そうすることで、少しでもこのもやもやした気持ちをごまかさなければいけない。

 私は、昨日の甘美な経験を思い出しながら、学校へ行った。そうすると、不思議と気持ちが落ち着く。苦しみや痛みを忘れることができるくらい、とっても素敵な出来事だったのですもの。


 私が通う学校。名前は「東雲高校」という。桜町の南側と隣接している「(まい)(はな)市」にその高校はある。

 舞花市は、桜町とはまた違った雰囲気の街で、古い木造の家が立ち並び、石畳の道が多くある。昔からある和菓子屋や工芸品を売る店が沢山あって、桜町の北側に隣接している三つ葉市とは違って、静かで落ち着いた雰囲気の街。

 何となく雰囲気が京都っぽい、ということで一部の人には「なんちゃって京都」と呼ばれている。

 私は桜町も好きだけれど、この舞花市のこともとても好きだった。狭い道、路地裏はどこか不思議な別世界へ通じているような感じがする。赤い蛇の目傘、着物に草履がとっても似合いそうな場所。それらを身にまとって、綺麗な女の人が道を歩いているのを想像するだけで、胸の中が幸せでいっぱいになる。


 東雲高校は、自宅から歩くと大分遠い所にある。運動が苦手な私だけれど、ゆったりとした風情ある街並みを見ながら歩くことは少しも苦ではない。むしろ、好きだった。ビルが立ち並ぶ、ごみごみとしたところは歩いてもあまり面白いと感じないのだけれど、幻想的で素敵な物語が隠されていそうな所を歩くのは、好き。何時間でも、歩くことが出来る。バスを使うことも無いわけではないけれど、やっぱりゆっくり歩きながらこの素晴らしい景色を楽しむ方が好きだわ。その分朝早く起きなくちゃいけないのはちょっと大変だけれど。

 夏休みが始まっているけれど、部活がある為か、学校はいつも通りとはいかないまでも、賑やかな声で満ち溢れていた。生命力溢れる、男女の声が音の矢となって次々と私の耳めがけて飛んでくる。

 校門をくぐると、前方には二つの大きな校舎が見える。右側にあるのは北校舎。こちらは、クラス教室が集まっている。左側にあるのは南校舎で、こちらは美術室や科学室、視聴覚室等の特別教室がある、比較的新しい校舎。


 私は、南校舎に入っていく。この高校は校舎の中も土足で行動する。だから、そのまま入っていって、部室のある二階へ向かう。

 私が入ってきたところの正反対にあるもう一つの昇降口は、グラウンドに繋がっている。そこから、野球やサッカー等運動部の人達が部活をしている様子がちらりと見えた。


 東雲高校は、文化部が多い。そして、その文化部の部室の大半は、こちらの南校舎にある。囲碁部、料理部、吹奏楽部、放送部、美術部……。

 私が所属しているのも、文化部に分類される。


 私は、文芸部に所属している。皆、そう言うと「臼井さんらしい」「だと思った」と返す。私が文芸部であることを意外に思う人なんて、今まで一度も見たことが無い。

 文芸部は、とっても小さくて、部員も私を含めて5人しかいない。廃部すれすれの文芸部は、この高校の部活の中で最も地味で目立たない部類だと言われている。文化部の活動が活発で、有名なこの高校で。

 たしかに、あまり目立った活動はしていないけれど。せいぜい、文化祭の時に部員の作品等を集めた冊子を売るくらいだけれど。でも、とても素敵な部活なのよ。誰にも邪魔されずに本が読めるし、好きなだけ本について語れるし。皆でリレー小説を書いたり、三題噺や小説を書いて見せあったり。これ程素晴らしい部活は、他にないと思うわ。


 二階の階段を上って、一番右端にある部室へ向かう。元々教材を置くためのものだったらしい部屋。ドアの上に、もうすっかり黄色くなってしまった紙が貼ってあって、そこにはマジックペンで「文芸部」と可愛らしい文字で書かれている。

 がらがらがら。電車が揺れる時の様な音を出して、戸が開く。


 部室は、とても小さい。ドアと垂直に設置してある長方形の木の机と、ドアのすぐ左側の壁にある本棚、古い木の椅子、そしてホワイトボード。あるのは、それだけ。他には、何も無い。


「おはよう御座います」


「おはよう、臼井さん」

 窓の前に一人、座っている人。この文芸部の長、美吉(みよし)佳花(よしか)先輩だ。

 静かに垂れる二つのおさげ、優しげな瞳。春のお日様の様な、とても暖かくて優しい先輩だ。美吉先輩は読んでいた本を閉じて、机の上に置いた。

 私は、入り口から見て右奥の席に座る。美吉先輩は、そんな私に優しい笑みを向けた。彼女は、絶対に着物や袴が似合うと思う。顔やさりげない仕草の数々を見るといつも、そう思うし、他の部員の人も、部員以外の人もみんなそう言っている。

 彼女のような人を「大和撫子」と呼ぶのだ、と。


「他の人はまだ来ていないんですね」


「いえ、ちょっと前に櫛田さんが来たのだけれど。暑いから、何か飲み物を買ってくるといって、出て行ったの」

 確かに、よく見れば机の下にバッグが一つ置いてある。

 噂をすれば何とやら。ドアが勢いよく開いて、小さなペットボトルを何本か抱いた、櫛田さんが入ってきた。

 櫛田……櫛田ほのりさんは、私の同級生。茶色がかった、少しごわごわした髪の毛と頬にあるそばかすが可愛らしい、とても明るい人だ。私が、気兼ねなく話すことのできる数少ない人の内の一人。

 櫛田さんは、私を見るとにっこり微笑んだ。


「なんだ、サク来ていたんだ。おはよ」


「おはよう、櫛田さん」

 櫛田さんは私の隣にどかっと座った。


「あ、皆の分のジュースも買ってきたよ。緑茶だけど、いいでしょう」


「あら、有難う。とても嬉しいわ」


「お金出さなくちゃ。ええと、サイフは……」


「いいわよ、サク、お金は。あたしのお・ご・り。ふふん、ありがたく飲みなさいよ」

 ウインクしながら、櫛田さんはその冷たいペットボトルを私の頬にぺたっとくっつけた。出雲さんと会った時とは違う、ほっとする冷たさだった。


「そういえばさ、サク。井上一夜、例の事件に巻き込まれたんだって?」

 唐突に、その話が出て、私の心臓は口から飛び出そうになった。矢張り、もう話は広がっているのだ。


「え、ええ……そうみたいなの」


「まあ、そうだったの。私は知らなかったわ。とても心配ね」

 美吉先輩が心配そうな表情を浮かべる。私は、寒くないのに足が少し震えた。

 自分のせいだなんて、口が裂けてもいえない。けれど、言うに言えないから余計苦しい。


「本当、不思議な事件よね。サクからすればとても興味深い事件だと思うけれど。でも、流石に幼馴染が行方不明ともなると、そうも言っていられないか?」


「ええ。うん、流石に」

 そんな中、出雲さんと会って。一夜のことも忘れて興奮していたなんて、言えない。

 櫛田さんは、ペットボトルの蓋を開けて、ごくりとお茶を一口飲む。


「そう。そうよね。そういえばさ、私の知り合いの一人があの事件の被害者なのよね」


「え?」

 事件について調べようと思っていた矢先に出たその言葉に、私は反応して、櫛田さんの顔を真っ直ぐ見つめた。

 櫛田さんが、話を続ける。


「ほら、高校生の女の子が一人行方不明になったじゃん? あれ、あたしの妹の――妹は中学生なんだけれど――の友人でさ……やっぱり、他の人達みたいに眠り続けちゃって、挙句の果てに一瞬にして皆の前から姿を消しちゃったの」

 そうだったの。全然、知らなかった。でもこれはチャンスだわ。ここで少しでも情報を手に入れておきたい。私は、櫛田さんの手をぎゅっと握り締めた。


「ねえ、詳しい話をもっと聞かせて。彼女が眠りから覚めなくなる前、何か変わったこととかはあった?」

 急に手を握られて驚いたのか、櫛田さんが呆気にとられた表情を浮かべる。


「あたしも詳しいことは知らないよ。その数日前、彼氏と別れたこと位しか。もう、振られたのが相当ショックだったらしくてさ。彼氏とのツーショットの写真を握り締めて、それ見ながら大号泣しちゃって。しばらくふさぎこんじゃって大変だったみたい……知っているのはそれくらい」


「そう……」

 矢張り、聞いたところで詳しいことは分からないわよね。櫛田さんだって、あくまで妹さんから聞いた程度でしょうし。第一、こんなこと聞かれても、困るわよね。

 

 分からないことは沢山ある。

 何故最近になってこの神隠し事件が連続で起きているのか。

 一夜以外の人は、何故桜の夢を見たのか。ただの偶然か、それとも桜と関連した何かがあったのだろうか。


 私が低い声で唸りながら考えている間に、また戸が開いて部員の一人が入ってきたらしい。私は、そのことにしばらく全く気がつかなかった。


「ぱい? 臼井先輩?」

 後輩が私の名前を呼んでいることに気がついたのは、大分後のことだった。はっとして顔をあげると、手をぶんぶん振っている後輩の姿が目に入った。

 御笠(みかさ)(たまき)君。艶々している黒髪は刃物のように鋭い。髪型といえば、ぱつぱつの……一言で言えば、おかっぱ頭。やや太めの眉に大きくて鋭い瞳。


「あ、ああごめんなさい。私ったら、ぼうっとしていたわ」


「まあ、先輩がぼうっとしているのは、いつものことですからね」

 肩をすくめ、ふっと息を吐く御笠君。そんな彼のおでこに、さっきまで櫛田さんが手にもっていたはずの消しゴムがものすごい勢いで、ぽんと当たった。


「うわ、何するんですか、櫛田先輩」


「うるさい。全く、後輩の分際でその馬鹿にしたような態度は何ですか」


「別に、馬鹿になんてしてませんよ。もう、櫛田先輩乱暴すぎます」


「愛のムチとお言い。あまりぐちぐち言っていると、お茶やらないわよ」


「ええ、それは嫌だなあ」

 御笠君は、困ったように笑いながら椅子に座って、カバンからノートと筆箱を取り出した。櫛田さんはペットボトルを、御笠君の手が届くくらいのところまで滑らせた。


「暑いですね。でも、最近桜がどうこう言っている事件が多いせいかな。何だか今いち『ああ、夏だ』って気分にならないんですよね」

 またまた、唐突にその事件の話が出てきて、私はまたどきっとした。


「あ、その事件で思い出したんですけど。実は、被害者のうちの一人って僕の近所に住んでいる人なんですよね。昔、よく遊んでもらったんですよ」


「え、あんたもあの事件の被害者に知り合いがいたの?」

 櫛田さんが目を丸くした。御笠君は、首をかしげながら、はあそうですが、と答える。まさか、御笠君も被害者の方と知り合いだったなんて。世界は狭いわ。まあ、事件が起きているのが桜町限定だから、知り合いが被害者になっていてもおかしくはないかもしれないけれど。でも、やっぱりこんな偶然ってあるかしら。


「ほら、二十四歳の男の人がいましたよね? あの人が僕の知り合いなんです。大学卒業したはいいけれど、就職先が決まらなくて。しばらくは別の町でアルバイトをしていたらしいんですけど、最近桜町に帰ってきたんです。それで、その数ヶ月後に、知り合いに仕事を紹介されて、面接にも受かって。ところが、仕事初日になっても彼が姿を現さなかったのだそうです。真面目な人でしたから、さぼるはずがない、何があったのだろうと思って、その仕事を紹介したという知り合いと家族が心配になって彼の住んでいるアパートまで行った。そして、家族が彼から貰っていた合鍵を使ってドアを開けたら……彼が、眠っていたらしいです。それで、家族と知り合いが一生懸命起こそうとしたんですけれど、どうしても起きなくて。これはいよいよおかしいぞってことで、救急車を呼ぼうとした矢先に、彼が忽然と姿を消してしまったんだそうです」


「それで、彼のいた場所には……」


「桜の花びらがあったそうです」

 私の問いかけに答えた御笠君は、深いため息をついた。ずっと話を聞いていただけだった、美吉先輩がまた心配そうな表情を浮かべた。


桜夢(さくらゆめ)、ね」


「え?」

 聞きなれない言葉を呟く美吉先輩の表情は、とても悲しげで、深刻そうで。いつも優しく笑っている先輩のものとは全く違うものだった。


「ううん、なんでもないの。ちょっと、独り言。さあ、そういうことは警察の方達に任せておいて、私達は部活をしましょう。まだ、深沢さんが来ていないけれど」


「ひいちゃんは、多分また遅刻でしょう。数分後には、きっとどたどた駆けてきて、ドア勢いよく開けて、それでもって派手にこけちゃうんでしょうよ」


 櫛田さんの言葉は、ものの見事に的中することになる。

 ひとまず桜町連続神隠し事件のことは置いといて、各々秋の文化祭の時に出す部誌に載せる小説のアイディアを練っているときのこと。

 

 ガラガラガラっとまるで夏に落ちる稲妻のような音を立てて、開けられたドアと共に、ひいちゃん……こと深沢(ふかさわ)()()さんが、部屋の中に雪崩込むように入ってきた。その時、バランスを崩したのか、前のめりになって。そのまま、ものすごく大きな音を立てて、彼女は倒れた。

 あらあら、痛そう。というか、大丈夫かしら?私は立ち上がって、慌てて駆け寄った。深沢さんは体を起こし、鼻の辺りをさすっている。綿菓子のようにふわふわした長い髪の毛が揺れる。中学生……いえ、小学生にも間違えられそうな位幼く愛らしい顔を思いっきり歪めている。

 彼女もまた、御笠君と同じ高校一年生。


「いたたたた、です。今日こそは転ばないように頑張ったんですけれど、駄目でした」

 にこり、と笑う深沢さん。ふんわりした笑顔は、とても可愛い。彼女が皆から「ひよこちゃん」と呼ばれている理由がよく分かるわ。


「やっぱり、ドジなひよこちゃんがダッシュするのは、自殺行為ね。全く、そこまで派手にすっころべる子もなかなかいないわよ」


「はい、です。ああ、でも今日はいつも以上に派手に転んじゃいました」

 深沢さんは、えへへと笑いながら御笠君の隣に座る。本当にお前は危なっかしい奴だなあ、と御笠君が呟いた。

 深沢さんは、カバンを開いた。そして筆箱とノートを取り出す。けれど、その後「あ」と小さな声をあげた。


「どうしたの、深沢さん」

 私が問うと、彼女は困ったように笑いながら、頬をかく。


「カバンに間違えて、パンツを入れてしまったのです」


「はあ?」

 御笠君が、手に持っていたシャープペンシルをぽろりと落とし、口をぽかんと開けた。想像もしなかったような発言に、驚いたらしい。

 私もカバンに、変なものを入れてしまったことはよくあるのだけれど。流石に、パンツはないわ。水泳帽を入れたことはあったけれど(しかもプールの授業とは無縁の、冬に)


「パンツって、何をどうすればそんなものが入るわけ?」


「さあ、何ででしょう? でも、この無数の赤いイチゴ柄は間違いなく私の持つパンツの模様です」


「詳しく言わなくてもいいよ!」

 隣に座っていた御笠君の顔は、ものすごく気まずそう。必死になってカバンから目を逸らそうとしている。ふふ、なんだかとっても可愛いわね。


「流石ね、ひいちゃん。あんたの大ボケ伝説がまた一つ出来たわ」


「増えちゃいましたね。あ、そういえば。部室に向っている時、すれちがった方達が話していたんですけれど、井上先輩が、例の事件の被害者になっちゃったっらしいですね」


 一旦閉じた話の蓋が、彼女の一言でまた開いてしまった。

 何でしょう、今日の部活はドキドキしてばかりだわ。


「その位あたしも知っているわよ。サクの幼馴染だしね、井上って」


「よく臼井先輩と一緒にいますよね。付き合ってはいないんですか?」

 あらあら、まあまあ。

 私と一夜が恋人同士なんて。そんなこと言われたら、きっと一夜、顔を真っ赤にして怒りだすでしょうね。そして何故かその怒りは、言った本人ではなく、私に向けられるのでしょうね。


 確かに一緒にお茶を飲んだり、桜山で家族ぐるみでお花見をしたりするけれど。小さい頃は一緒にお風呂に入ったり、眠ったりしたらしいけれど。でも、恋人ではない、わね。特にそういう感情を抱いたこともないし。


「私と一夜はただの幼馴染よ。それに私の好みは、着物の似合う、物静かで温和で、少し儚げな雰囲気の漂う、中性的な感じの方ですもの」


 ただその姿を思い描くだけで、幸せになれる。

 一夜と出雲さん、どちらが好みと聞かれたら、間違いなく出雲さんと答えるわ。まあ、あの方は色々別格な雰囲気で、近寄りがたいところもあるけれど……。赤い和傘と着物が似合う方って本当素敵だわ。桜の花や菖蒲、桔梗や藤の花と組み合わせれば、まさにそれは最強、うん。


 けれど、やっぱり一夜がいないと寂しいわ。急に彼のことを思い出して、私の胸がきりりと痛んだ。無事かしら、一夜。一夜だけじゃないわ。他の人達だって。家族の方や友達、皆心配で、不安で、胸がいっぱいでしょうね。


「ああ、そういう方も魅力的ですね。あ、そういえば私の知り合いの男の子も、あの事件の被害者なんです」


「え」


「あんたも!?」

 櫛田さんが驚きの声をあげる。美吉先輩以外の四人が、あの事件の被害者と知り合いだったなんて。


「はい、九歳の男の子と。彼のお母さんと私のお母さんが友達同士で。友達と遊ぶ約束をしていたはずなのに、全く起きる様子がなくて。どうしたのだろう、と心配している間に、消えてしまったそうです。一瞬の間に。とっても可愛い男の子だったんですよ。……最近は、元気が無かったですけれど。飼っていた犬が死んじゃって、泣きながら家の庭に植えてある木にその亡骸を埋めて。あの時の彼の顔は今でも忘れられません。ああ、一体どこにいってしまったのでしょう」

 心の底からその男の子のことを心配しているらしい。彼女の浮かべる表情がそう言っている。


 結局「不思議なこともあるもんだね」という結論に至り、その話はまた終わりを告げた。それ以上の情報は、得る事は出来なかった。


 次の日。今日は部活は無い。家の中で読書でもしようかと思って、本を開ける。けれど、一夜や事件のこと、出雲さんのことなどが頭から離れなくて少しも集中できない。こんなこと、今まで無かった。私が、本の世界に入り込めないなんて。

 少し気分転換でもしようかしら。

 私は、おじいちゃんがやっている喫茶店に遊びに行くことにした。


 『桜~SAKURA~』は桜町の外れ、桜山にやや近い場所にある。古くからある民家がぽつんぽつんとある、静かで小さな通りに。

 レトロな雰囲気漂う喫茶店で、ドアを開けると、とても香ばしいコーヒーの匂い。

 そして、流れるのは静かで心が落ち着く音楽。微かに厨房から聞こえるかちゃ、かちゃ、というカップ等を置く音もまた心地良い。

 特別繁盛はしていないけれど、町に住む多くの人達に愛されているお店なの。お隣の三つ葉市などからわざわざ足を運んでくる人もいるそう。


 茶色のドアを開けると、ちりんちりん、という心地良い音が聞こえる。

 今日は、何を食べようかしら。そうそう、おじいちゃんとも色々お話がしたいわ、そんなことを考えていた。


 そしたら。

 お店の、テーブルの並ぶ方から誰かの泣く声が聞こえてきて、私は仰天した。相当辛いことでもあったのか、その声は「悲痛」としかいいようのないものだった。


 どうしたのかしら。

 私は、気になって声のする方へ近づく。見れば、入り口から入って一番手前側、正面から見て左にあるテーブルに、一人の若い男の人が座っていて、顔を手で覆いながら、わんわん泣いていた。

 その男性の座っている反対側に、見慣れた人が座っていて、そんな彼をなだめている様子。なだめていた方の人が、こちらに気がついて顔を向けた。


 茶色のぼさぼさした髪の毛を束ねた、タレ目のおじさ……お兄さん。

 この喫茶店で働いている、弥助さんだ。


「おや、さくらじゃないっすか、こんにちは」


「こんにちは、弥助さん。……あの、どうかなさったんですか?」

 泣いていた男性は、私が現れたことで少しだけ泣くのをやめた。顔を覆っていた手を少しだけ下げる。真っ赤な瞳と、くま、そして涙がうっすらと見える。

 弥助さんが、小さくため息をついた。


「いやあ、ちょっと、ね。……ああ、話しても大丈夫っすか?」

 私と男性を交互に見る。男性は胸が痛くなる位苦しげな声で「構いません」と一言。

 弥助さんは、少し気まずそうにしながら、席を詰めて、私に隣に座るように言った。

 素直にそれに従って、座る。男性のいる辺りのテーブルの上は、涙で濡れていた。


「いや、ほら、さくらも知っているだろう。桜町連続神隠し事件のことは」

 また、その話が。ずきり、と胸が痛む。


「え、あ、はい……知って、ます」


「まあ、こういう事件をさくらが知らないわけはないっすよね、うん。それで、目の前にいる彼……孝一さんって言うんですけど。彼の恋人が、あの事件の最初の被害者なんですよ」


 ああ、と思わず声が出る。

 美大生の女性の。……成る程、彼女が不可解な事件に巻き込まれてしまって、落ち込んでしまっているのね。涙が出て、感情が溢れて、どうしようもなくなる位、彼女のことを思ってるのね。

 私も、一夜が消えてしまって、とても苦しいわ。自分のせい、なのだけれど。

 

「あいつ……夕菜(ゆうな)、夏休み明けにある展覧会に向けて、一生懸命、絵を、描いていたのに。完成したら、俺に真っ先に見せてくれるって、言ったんだ。俺、すごく楽しみに、たの、楽しみにしていたのに、それなのに、い、いなくなっちゃうなんて」

 孝一さんは、泣きじゃくりながら、思いを吐き出すように話す。途中で言葉を詰まらせる。鼻水をすする音さえ、酷く悲しげに聞こえる。


「絵、ですか。そ、その、どんな、絵を……描いて?」

 どう声をかけていいのか分からず、唾を飲み込んだ後紡いだのは、本題とは全く関係の無い問いかけだった。


 関係ない問いかけ、のはずだった。

 孝一さんがゆっくり顔をあげ、静かに、小さく、それでいてはっきりと、答えた。


「桜の絵、です」


 声を、失った。

 桜の……桜の絵、ですって?それを聞いた瞬間、世界から音も時間も色も消えてしまった。頭の中が、真っ白になって。心臓すら、一瞬だけその鼓動を止めた。

 孝一さんは、俯きながら、かぼそい声で話を続ける。


「何でも、展覧会のテーマが『忘れられない風景』だったとか、で。数年前に見た、ものすごく美しい桜の木のことが、忘れ、わす、忘れられないって」


「桜……」

 

「はい。ただ、白昼夢だったかもしれないっていうんです。ぼうっとしながら桜山の中を歩いている時に見た、とかで。はっと気がついた時には、もう目の前にその桜の木はなかったって。何回も足を運んだけれど、確かにその辺りにあったはずのそれを見ることは、二度となかったって。まるで、御伽噺のようでしょ、とか笑って、言っていました」

 

 忘れることが出来ない位、綺麗な桜の木。

 本当にあったかどうかも分からない、木。

 そんな夢の様な風景を、数年後夕菜さんは思い出しながら、描いた。


 そして、桜の花びらと共に、消えた。


 偶然なの?その絵を描いたことと、消えてしまったということは、無関係?

 そんなことはない、と思う。


 一夜が私の話を聞いて、その夢を見たように。

 彼女もまた、不思議な桜の木のことを思い出し、毎日のようにその風景を頭の中で強くはっきりと思い描き、キャンパスに描き続けた結果……桜の木に呼ばれ、そのまま引き込まれていってしまったのだ。


 弥助さんが、さっきから何も喋っていない。

 ちらりと、見てみると、弥助さんは普段あまり見せることのない、酷く深刻そうな表情を浮かべ、口元に手をやりながら、何か考えているようだった。


「あいつ、とんでもないものを、数年前に見ていたんじゃないでしょうか。あいつが見た桜の木は、化け物だったんじゃないかって。何かにとり憑かれた様に、毎日夢中になって、あの絵を描いていて。そんな強い思いがその化け物を引き寄せて、しまいにその化け物に連れて行かれたんじゃないかって、思うんです。馬鹿馬鹿しいってことは、分かっています。でも、そうとしか考えられない。そうじゃなくちゃ、説明できないじゃないですか。人間が、眠ったまま起きない上に、一瞬でその姿を消してしまうなんて」

 徐々に孝一さんの声は大きくなり、荒々しくなっていく。涙をその目に浮かべながら、だん、と強くテーブルを叩いた。

 その後、顔を突っ伏しながら、何度も何度も小さくテーブルを、叩き続ける。


 本当に、夕菜さんのことを大切に思っているのだ。けれど、どれだけ強く思っても、彼にはこの事態をどうすることも出来ない。人為的なものだとしても、十分それは脅威だし、人間一人の力で解決するのは難しい。ましてやそれが、この世界の常識では説明できないようなものなら、なおさらだ。原因も理由も、手がかりも、何もない上に解決策も無い。人間が何人集まっても、どうすることもできない。

 それは、きっととてももどかしいことだ。涙を流すことしか、待つことしか、出来ないなんて。情けなくて、腹立たしくて。


 きっと、戻ってきますよ。夕菜さんは、無事ですよ。


 そう言えたら、どれだけ良いことか。けれど、今この場でそんなことを言っても、気休めにもならない。そんな保証もないのに、よくそんなことを言えるな、と返されるか、なんて能天気な人間なんだと呆れられるだろう。


 出雲さんが助けてくれる。

 出雲さんっていうのは、化け狐なんです。人間ではない、すごい力を持った人なんです。


 そう言えたら、いいけれど。けれど、信じてくれないだろう。例え「化け物に連れて行かれたんだ」と言っている人でも。だって、そんなことは言っていても結局心の中ではそんな存在いないんだって思っているでしょうから。常識では説明できないことは納得している。けれど、決して「人間ではない異形の者」を信じている訳ではない。イコールで結べるようで、結べない。


 ああ、情けない。私に力があれば、すぐにでも解決するのに。そして、彼の不安も苦しみもぬぐってあげられるのに。

 

 何で人間に生まれたのかしら。


「安心しろ、夕菜さんはきっと無事に戻ってくる。そう言えたら良いんですけれどね。あっしもそこまで無責任なことは言えない。心苦しいが、本当、今はいるんだかいないんだかよく分からない神様に祈るしかないっすよね。なんだかなあ、無力っすよね。あっしも、あんたも。……科学や技術、文化がどれだけ進んでも、結局人間は人間、だよなあ」


 空を仰ぎながら、ぽつりと弥助さんが呟いた。


 どれほど、色々なことが進もうと、人間は人間。

 変わっているようで、結局変わっていないで。強くなっているようで、何にも強くなっていない。


 むなしい。なんだか、とっても。


 結局その後は誰も喋らず、おじいちゃんが出してくれたコーヒー(私はカフェオレ)を飲んで、話は終った。

 弥助さんは仕事に戻り、孝一さんは弥助さん(と、あとは一応私)に思いをぶちまけてほんの少しだけ気分が楽になったのか、涙をぬぐい、ふらふらしながらも帰っていった。私も、結局おじいちゃんと殆ど話すことはなく、家へと帰った。


 気分転換のつもりで出かけたのに、気分は軽くなるどころか、ますます重くなってしまった。

 あと少しで、約束の日になる。昨日と今日知った事実の数々を出雲さんに話せば、少しは楽になるかしら。

 

(そもそも、出雲さんは本当に素直に、皆を助けてくれるのかしら……)


 最強最悪、超がつくほどの気まぐれ化け狐さんが、果たして本当にすんなりと、皆を助けてくれるのか、少し、心配。

 急に「やっぱりやめた」とか、言い出さないかしら。


 言いそうだわ。

 そう思ったら、急に頭が痛くなった。ため息と共に吐き出される負の思いは、ますます重みを増していった。


そして、うだうだやっているうちに、あっという間に約束の日はやってきた。その日も部活があったけれど、その間何を話したのか、何を昼食として食べたのか、何回櫛田さんに頭を叩かれたのか、何を書いていたのか、少しも思い出せない。ただ、ものすごく美吉先輩が心配してくれたことだけ、何となく覚えていた。


 部活から帰り、制服を脱いで、橙色のシャツと、ジーンズを履いて丁度よい時間になるまで、宿題のテキストを開く。けれど、やっぱり少しも進まない。簡単な漢字すら思い浮かばないほど、私の頭はいっぱいいっぱいになっていた。

 

 早く解決して欲しい、早く出雲さんに会いたい、あの世界にもう一度行きたい、一夜の顔が見たい、夕菜さんと孝一さんの笑顔を見たい。

 色々な思いが頭のなかを、ぐるぐる。


 ぐるぐるぐるぐるしながら、私は程よい時間に家を出て、桜山を目指す。あまりぐるぐるしていたものだから、危うく鬼灯を持っていくのを忘れそうになっていた。

 

 住宅街を抜け、辺りは少しずつ静かに寂しくなっていく。かあ、かあと鳴く烏と一緒に、山へ向う。山としては小さいけれど、人間と比べれば大きなものよね、どんな山も。静かに、動じることなくそびえる山。油断していると、飲み込まれてしまいそうだ。

 田んぼに囲まれた、でこぼこの道を、歩く。少し急いでいたから、何度もつまずきそうになってしまった。


 気がついたら、もう私は桜山神社の鳥居の前にいた。出雲さんは、鳥居の下で、静かに立っていた。髪の毛は、黒ではない。山の緑に、藤色の髪はよく似合う。

 けれど、そこに居たのは、出雲さんだけではなかった。その隣に、一人ぽつんと誰かが立っている。


 人間だ。しかも、私がよく知っている子。出雲さんが見えていないという訳ではなさそうだ。出雲さんと何かお話しているもの。でも、何で、藤色の髪の出雲さんと、普通にお話を……。

 彼女が、私に気づいたようだ。


 黒いポニーテールがぴょん、と揺れた。同時に聞こえる「あっ」という声。

 

 どうして?

 どうして、ここに、ここに……。


「さくら姉!? 何で、何でさくら姉が!?」


「さ、紗久羅……ちゃん?」


 紗久羅ちゃんがいるの……?

 


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