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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
終と始のあわいにて
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終と始のあわいにて(3)

 からかわれた奈都貴の反応を見てくっくと笑っていた大元が、そういえばと扇で奈都貴を指す。自分に向けて伸びる手と眼差しは真っ直ぐで、思わず奈都貴は背筋をぴんと伸ばした。


「お前、こういう事態には慣れていると最初の頃言ったね。あれはどういう意味? 我々異界の世界の者が実在することも以前から知っているという様子だけれど」

 好奇に満ちた瞳が美しく。そういえばそのことについては全く話していなかった。何となく話したつもりになっていたのだが。


「……俺、今までに何回か異界へ足を踏み入れているんです。それから、俺達の住んでいる世界に迷い込んだ、もしくはそこで暮らしている妖達にも沢山会っているんです。何度も、何度も」

 それを聞いた大元は、まるで珍獣でも見るかの如き目で奈都貴を見た。


「ほほう。今時お前達の世界では、そういう者は珍しいのではないか?」


「まあ、珍しいですね。まだそういう者達と関わっている人は、多少いるそうですが。俺の知り合いにも術者がいます」


「そういう者達とも話をしてみたいものだ。こういう者を退治したとか、こういう事件があったとか。我等異界の者と人が織り成す物語を聞いてみたい」


「妖絡みの、こういう事件があったよって話なら俺にも出来ますが」


「ほう。後でじっくり聞くとしよう。……それより先に、異界の者と関わるようになったきっかけを聞きたい。聞かせてくれる?」

 微笑みながら、彼女は驚く位甘い声で所望する。そんな声でお願いされたら、話すしかないじゃないかと少しどきどきしつつ、奈都貴はどこから、どんな風に話を進めていこうか簡単に頭の中でまとめる。


「小学五年生の時、俺は町にある小さな塾から帰る時、一匹の妖と遭遇しました。黒色の、一反木綿の様な奴でした。俺はそいつに会うなり、追いかけ回されたんです。早すぎず、遅すぎず……そんな速さで、しつこく、延々と」

 その時のことを、奈都貴は今でも良く覚えている。そいつは雑魚と呼ばれる部類の者であったが、それでも人間からしてみれば充分脅威であった。彼の力によって、他の人間と関われないようにされ、誰に助けを求めることも出来ず、長い時間追いかけられた。あの時はよくあれだけ長い時間、あれだけ遠くまで走れたと常々思う。

 幻覚だと信じようとした。でも、出来なかった。彼から発せられていたおぞましい気が、彼が決して幻想の存在ではないことを奈都貴に認めさせたのだ。


 走って、走って、走って。息が苦しくなっても、心臓が痛くなっても、手足が動かなくなってきても、それでもあの時の奈都貴は走った。立ち止まれば喰われると分かっていたから。当時のことを思い出しただけで、胸が痛くなり、息苦しくなる。


「立ち止まれば、喰われる。だから俺は走らなければいけなかった。止まれば喰われるから。でも、俺はいつまでも走れるわけではない……あの妖は俺がすっかり弱って足を止めるのを待っていました。俺は必死になって走る内、町の外れにある『お化け通り』という所まで行きました。もう家とも呼べない建物が並んでいる場所で……そこの建物を壊そうとすると、良くないことが起きるらしいんです。だから、いつになってもそこの建物は壊されず、残っている」


「よくある話だな。壊そうとすると、祟られるというものは。そこに住まう人ならざる者の仕業か、或いはその場所に宿る人々の思いや記憶が引き起こすのか、ただの偶然か」


「お化け通りの場合は、そこに住み着いた妖達がやらかしているみたいです。あの場所には昔の空気や匂いが満ちているそうで、居心地が良いとか。……そんな所まで俺は行ってしまったんです。目の前にはお化けが出るというお化け通り、背後には俺を追いかけているお化け。ああどうしよう、このままじゃあ俺は喰われる……そう思った瞬間『何しているんだい』って言う声が背後から聞こえてきました。振り返るとそこには、ある人物が立っていました。お化けと俺の間に」


「その人物は、こちら側の事情に詳しい人間? それとも」


「妖です。一目見ただけで、ああこの人は人間では無いと俺は理解しました。それ位、あの人の姿は異質なものだったんです。……貴方は、巫女の桜のことを知っているんですよね? それでは、化け狐の出雲のこともご存知ですか?」

 ああ、と彼女は座ったままえへんと胸を反らす。何かを自慢する子供のようであった。そんな誇らしげに答えるようなことでは全くないのだが。そういう部分があるせいか、異質な存在ではあったが畏怖の感情は出雲相手程抱かない。


「出雲――桜村を中心に活動していた化け狐で、散々悪さをしたそうだな。子供を拐かして遠くの地へ放ったり、恋人同士をあれやこれや色々な手を使って憎み合わせ、終いに殺し合わせたり、嫁入り前夜の娘の顔に火傷を負わせたり、殺した人間の手を畑に植えたり、人を驚かせて笑ったり……他には何をしたんだったかな」

 大元が次々と挙げる、出雲の悪行。くだらないものから、吐き気を催す程おぞましいことまで、様々だ。とんでもない男であることは常々聞いてはいたが、改めて聞くと頭ががんがん痛む。


(あいつ本当ろくでもない奴だな……)

 きっと今だって、昔ほど派手で無いにしても色々な悪さを人間に対してやっているに違いない。人の生死に関わるようなことも。その目を背けたい、だが背けることの出来ない現実にただ奈都貴は頭を抱えることしか出来ず。


「時々、都の方までわざわざ足を運んで悪さをすることもあったそうだな。昔はきっと愛らしくてふわふわもこもこした狐だっただろうに、何をどうすればそんなことを面白がってするような妖になるんだか。しかしその出雲が今の話とどう関係が? まさかお前を助けたのは出雲なのか? だが、彼は確か巫女と相討ちになったはず」


「そのまさかなんです。……言い伝えでは、彼は桜の魂に体内を焼かれて死にました。でも、実は死んでいなかったんです」

 奈都貴が告げた真実は、彼女の気を相当ひいたらしい。夏に咲く夜の花の如き輝きをもつ瞳が奈都貴を見、赤い唇があわいの世界で開く。身を乗り出し、それは本当かと彼女は叫んだ。


「それは初耳だ! そうか、奴は生きていたのか!」


「桜と三日三晩戦ったこと、彼女の魂を喰らったことなんかは真実みたいですけれど。体内を焼かれて死んだという部分は、村人達の願望だったんだと思います。出雲自身もそんなことを言っていました。彼等を嘲るかのように笑いながら。彼は巫女との戦いを機に、村人達の前に姿を現す頻度が極端に減ったそうですから……尚更信じ込みやすかったかもしれないです」


「そんな出雲が、お前の前に現れたと。彼は本来の姿も、人に化けた姿も相当美しかったと聞くが、実際のところはどうなの?」


「……美しいです。でも、あんまり整いすぎているものだから逆に怖いです。寸分の狂いもない、完璧な顔なんです。あんまり完璧なものだから……生き物のそれに見えない。生を感じない、無機質で異質で、異常な。少しのズレもないものというのは、綺麗を通り越して恐ろしい」

 奈都貴は出雲の容姿を詳しく説明してやった。脳裏に浮かぶ彼の姿はまるで人形のようだった。陶器の体、澱みの無い澄んだ赤色の硝子球、赤く塗った微かに膨らむ唇、藤色に染めた細く滑らかな糸。そのどれも完璧な形をしており、歪みという言葉を全く知らない。それぞれのパーツの形も、バランスも何もかも。

 不完全、歪み、ズレ。そんな言葉が、彼にはおよそ存在していなかった。恐ろしく精巧な機械に、設定通りに作らせたモノ。どこもかしこもぴっちりと、そしてきっちりとしている。

 だからとても美しく、とても恐ろしかった。そこらの山にいた狐の体から産みだされたものであるとは到底信じられない。自然、生命――そのようなものに、アレを作ることなど出来ない。

 本来の――狐の姿を見たことはないが、言い伝えにある通りきっと美しいのだと思う。狐には到底見えない位に。


「普通からかけ離れているもの、普通では考えられないもの。それを人々は異常、或いは異質と呼ぶ。幻想もまた、異常なものと呼ぶべきものであるのかもしれない。『異常』は人を惹きつけ、また恐れを抱かせもする。普通からかけ離れれば離れるほど、人々が抱く感情の度合いも強くなる」

 大元が、微笑む。その笑みもまた人には決して真似出来ないもので。それから、そうかそうか、と感慨深げに彼女は頷くのだった。


「そうか、出雲はまだ生きているのか。今もぴんぴんしているのか」

 

「今もぴんぴんしていて、今も大変冷たくて、気まぐれで、そして毎日のように桜町にある弁当屋に通っていなり寿司を買っています」

 それを聞いた大元は目をぱちくり。それから腹を抱えて笑い出す。奈都貴が自分のあだ名を暴露した時と同じように、それはそれは愉快そうに。何がそんなに面白いのか、奈都貴には到底理解出来なかったが……。


「あっはっは! い、いなり寿司! 散々悪さをしてきた化け狐が、弁当屋に通っていなり寿司を! そりゃ傑作! 私の中の出雲像が一瞬で間抜けなものになったぞ!」

 部屋中に突然数匹のえらく目つきの悪い狐が現れ、いなり寿司をくわえながら縦横無尽にそこら中を駆け回り始めた。ホップステップジャンプ、まるでピエロの様な滑稽な動き。たちまちいなり寿司の甘酸っぱい香りで部屋がいっぱいになる。ぐっきゅう、と間抜けな音を奈都貴の腹があげる。それを聞いて大元はますます大笑い。


 こおん、と一匹の狐が大元の頭上を飛びながら鳴いた。途端おいなりぽろり、こてんすてんいなりんごん、大元の頭に落ちていった。すると何故だかそれは一枚の油揚げに形を変えて、ああ、ぶらぶらと揚げが彼女の側頭部で揺れ、それからずるっと落っこちた。畳の上に落ちた油揚げは大きな狐の姿になり、こおん、ぴょんと跳んで、駆け回りだす。

 そんな変てこな光景の中、彼女は笑いながら口を開いた。


「恐ろしい程美しい男が、いなり寿司を食べる姿というのはなんというか、シュールだな。おっとすまない、話が大分脱線してしまったな。ええと、お前が出雲に会ったところまで確か話してくれたのだったな」


「そうだったと思います。その夜偶然俺の姿を見かけた出雲に、俺はお化けに追いかけられていることを話しました。すると彼は、助けてやると言ったんです。俺は『通しの鬼灯』という、世界と世界を繋ぐ『道』を目に見えるようにしてくれる道具を貸してもらって、彼の言う通りお化け通りを突っ走っていきました。お化け通りと丁度重なる処にある『鬼灯』という居酒屋を目指して」

 出雲が起こした気まぐれにより、奈都貴は命拾いした。後々聞いたところによると、その時貸してくれた通しの鬼灯は、いずれ気が向いたら紗久羅に渡そうと用意していたものだったらしい。それがあの時、彼の巾着袋の中に入っていたのだ。

 彼が自分のことを無視していたら、奈都貴はあの時生を終えていただろうと思う。だが、あの時のことがきっかけで『向こう側の世界』との間に深い縁が結ばれ、それが様々な厄介ごとを引き寄せることとなったというのもまた事実。


「出雲は気まぐれに良いことをする時もあると、確かに聞いたことがある。その気まぐれに助けられ、お前は境を越え、人ならざる者の住む世界へと行ったのか」


「俺はその居酒屋『鬼灯』に飛び込みました。そこには狐面を被っているその店の主と柳女、化け狸、天狗、のっぺらぼう、ろくろ首、三つ目小僧がいました。彼等の姿を見た時、俺は心臓が止まりそうになりましたよ」


「怖かったか、矢張り」


「怖かったです。……けれど色々話をしたり、料理を食べたりする内その恐怖心は和らいでいきました」

 冬の寒さと、恐怖で凍てついた奈都貴の体を溶かし、温めたのは彼等の笑い声と、鬼灯の主人ご自慢の料理の数々だった。奈都貴は彼等とどんな話をしたのか、彼等はどんな人物だったのかということなど彼女に話してやった。

 あの日の夜のことは、彼にとって思い出したくも無いような恐ろしいものであり、そしてまた、温かく思い出せば自然と笑みがこぼれるようなものであった。

 今も頬の筋肉が緩んでいる。それを見て微笑ましいと思ったのか、大元もまるで母の様な慈愛溢れる暖かな瞳で奈都貴を見る。


「そうか。ねえ、どんなものを食べたの? 私は食べ物の話を聞くのも好きだ」


「どんなって……」

 奈都貴は大元の要望に応え、自分が食べたものをなるべく詳しく話してやった。

 味のよく染みた大根や卵といったおでん、しょうがの香りが優しい程よく噛みごたえのあるタコの入ったご飯、しょうゆだれの匂い香ばしい焼き鳥、色とりどりのお宝が沢山詰まった俵のような五目いなり寿司、ほお葉味噌を塗って焼いた鶏肉、だしの香りがふわっとする卵焼き、ほうれん草のおひたし……様々な料理を、少しずつ食べた。

 素朴な、それでいてしっかりした味。母の手料理も好きだったが、それ以上にあの店で食べたものは美味しく感じたものだった。お土産に持たしてくれた料理も矢張り絶品で、食べ終わるのが勿体無いと感じた位だ。

 話している内にお腹が空いてくる。そんな彼の話を聞いている大元も興奮気味に「食べたい、食べたい!」とか「美味しそう!」とか「ああ、その店へ行ってみたい!」と幾度と無く叫び、子供のようにじたばたする。


「貴方普段はどんなものを食べているんですか……?」

 あんまりきゃっきゃとはしゃいでいるものだから、奈都貴は何となく気になって聞いてみた。まるで普段はろくなものを食べていないような様子だったから。

 大元がはしゃぐのをやめ、黙る。そして急に冷めた表情をしたものだから、奈都貴はぎくりとした。何か不味いことでも聞いてしまったのだろうかと。


「……人間のミイラ、脳みそのスープ、炙り爪」


「えっ」


「冗談だよ」

 ぎょっとした奈都貴に、彼女はさらりと言った。


「私は食事を必要としない。そもそもここには食糧になるようなものは無いから、何かを採って調理するなりなんなりすることも出来ない。私が食べるのは、幻の、そこにあってそこには無いもの」


 大元がつまらなそうに言うと、畳を右手の親指と人差し指でぱちんと叩く。

 するとそこに、灰色の、味のある丼が現れた。次に両手を水をすくうような形にし、そこへ息を吹きかける。それから丼へ向かって手を傾ける。すくった水を、丼へ移すかのような仕草。とぽとぽとぽ、という音と共に丼へ茶色の液体が注がれた。ほんのりと良い香りがした。まるでめんつゆのような……。

 丼につゆを注ぐと、今度は人差し指をたてた右手を宙でかろやかに動かす。

 その動きに規則性はないらしく、ただ適当に動かしているだけらしい。指の描く軌跡が、光の線として奈都貴の目に映っている。その色は茶色がかった灰色の……蕎麦に似た、色。彼女が動きをとめるとその線は音もなく落ちていって、丼にとぷんとダイブする。

 左手の人差し指と中指をぴったりくっつけ、それを掴んだ右手を下から上へと滑らせる。ぐーの状態を保ったままの右手を開くと、エビフライが出て来て、それが丼へ。次にまぶたをさっとなぞった左手を丼にかざしてかまぼこを出した。

 最後に彼女が右手を丼の上でぐーにし、再び開けた。開いた手からひらひら落ちるのは緑色の――細かく切った葱であった。

 気がつくと、彼女の目の前にはほかほかと湯気をあげている蕎麦が。その丼の上には漆塗りの箸があった。


「こうして、幻の料理を作る。味も温もりも一応あるが、腹は膨れないし、何だか物寂しい。腹が膨れなくても私は生きていけるから問題ないが、お腹いっぱいになるまで食べるということが出来ないというのは、せつないことだ」

 出来たてほやほやの蕎麦を、彼女は奈都貴に勧めてきた。奈都貴はそれを恐る恐る手に取り、一口。確かに味はした……が、ガツン! とくるものはなく、蕎麦の味がした『ような気がした』と表現した方が正しいような気がする。

 ごくり、飲み込んでみる。しかし飲み込んだものが体内へ落ちていくという感覚が全くしない。それが妙にせつなく、彼は一瞬だけ無性に泣きたくなった。


「大人数でわいわい集まって、笑ったり、お喋りしたりしながら食べたこともない。居酒屋で飲み会とか、皆で大宴会とか、そういうこともやったことがないし、これからも出来ないだろう。小学生の時のお前のように、妖達とお喋りしながら、心のこもった温かくて美味しい手料理をめいっぱい食べるなんてことは、私には出来ない」

 本当に彼女は羨ましそうに、そして悲しそうに言うのだ。この世界では決して出来ないこと。出来ないと分かっていても憧れる。だから話を聞くのだ。

 彼女は本当に美味しい料理を、たらふく食べることが出来ない。味がする『ような気がする』幻の料理を一人寂しく食べてこれからも生きていく。


「ああ、何だか嫌になるなあ! 世の中理不尽なことだらけだ! 私の様な美人が、何ゆえこんな所で一人、寂しく暮らさねばならんのだ。寂しい、寂しい! 私はとても寂しい!」

 切なさと寂しさが爆発したのか、駄々をこねる子供の様にじたばたする。


「ああはいはい、よしよし」

 その姿が哀れで、そして愛しく。奈都貴は立ち上がり、気がつくと彼女の頭を撫でて慰めていた。その手の温もりにやられたのか、とうとう彼女はぐすんぐすんと泣きだしてしまう。こんな世界で僅かな楽しみだけを糧にして一人暮らすというのは、流石の人ならざる者にとっても辛いことのようだ。


「私にあまり優しくすると、ここから帰してもらえなくなるぞ」


「貴方はそういうことをしないでしょう。何となくですが、分かります」


「……そんな優しいことばかり言うな、惚れてしまうだろう」


「構いませんよ。貴方みたいな美人に惚れられたら本望だ」

 奈都貴はそう言って笑ってみせた。それにつられたのか、大元も笑った。


「お前は見かけによらずすごいことを言うな。だがそれ以上色々言われたり、頭を撫でられたりしたら本当に惚れてしまいそうだから、とりあえず、離れてくれ。そしてその居酒屋でひと時を過ごした後のことを話してくれ」

 奈都貴は大人しく言うことを聞き、元の場所まで戻って座る。そして彼女の要望通りその後のことを話した。


 夢の様なひと時を過ごした後、出雲と弥助と共に奈都貴は家へと帰った。彼は家に着く前に眠っていたので、後日弥助から話を聞かされるまで知らなかったのだが、彼が戻った頃、町はちょっとした騒ぎになっていたそうだ。塾を後にした奈都貴がいつになっても家へ帰って来なかったからだ。両親や、近所の人が彼のことを必死になって探していたらしい。


 出雲はまずそんな両親に暗示のようなものをかけた。奈都貴がいなくなった、という事実を『なかったことにする』為のものを。その暗示をかけられた両親が、奈都貴のことを探していた他の人に話しかけることで出雲のかけた暗示は伝染していき、やがて奈都貴が行方不明になったという事実はなかったことにされたようだ。


「その日を境に、俺の世界はがらりと様相を変えた。それでもつい最近までは割と平和に暮らせていましたけれど。普通の人には見えない位存在が希薄になっている妖が見えるようになってきたり、妖に絡まれたりすることも稀にありましたが。出雲や弥助と話すこともありましたが、あまり突っ込んだ話はしないように自分なりに心がけていました。越えてはいけない一線を越えないようにする為に。そこを越えたら、もう完全に後戻り出来なくなることは子供ながらに理解していましたし」

 弥助も、奈都貴が一線を越えてしまわないように気を遣ってくれていた。出雲はあまり遠慮しなかったが。


「それは良い判断だな。……だがお前、今『つい最近までは』と言ったな。最近、その平和な生活を乱すようなことが起きたのか?」


 一線を越えるきっかけと呼ぶべきような出来事を、奈都貴は思い出す。

 九月に転校してきた、カチューシャの似合う可愛らしい少女、鏡、そしてポニーテールと眩しい笑顔が似合う少女の顔を。

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