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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
終と始のあわいにて
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終と始のあわいにて(2)

 お喋り会の始まりは無言、無音、久遠。大元はさあ何か話しておくれ、と言ったきり、期待に満ちた瞳で奈都貴を見つめたまま、お人形さん状態に。対して奈都貴もそんな彼女に見つめられて汗を流し、口をぎゅっと固く結んだまま、じいっと座っているだけ。


 何を話せば良いのか、さっぱり分からない。テーマは特に問わない、何でも良いから喋れと言われれば尚更だ。何でもという言葉は人に自由の翼を与えるものと見せかけて、思考を縛める無限の鎖である。お前の住んでいる所はどんな所だとか、お前の趣味は何だとかそんな風に問われれば、それなりに答えられる。しかし何でも、と言われるとあんまり選択肢が多すぎてどうしてよいやら分からなくなる。

 更に、大元はあんまりつまらない話をしたら外へ放ってやると宣言している。

 実際にそうやって放られた人の末路を見た以上、下手なことは話せない。それがまた奈都貴の思考を阻害するのだった。またまた更にいえば、端正な顔立ちの彼女にじっと見つめられていることも、奈都貴が彼女へとしてやる為の話を考える力を奪っているのだ。


 輝く彼女の瞳に陰りが見える。陰りは苛立ちに変わり、整った眉が不機嫌そうに歪む。


「どうした、黙りこくって」

 その問いにも返事をしなかったら、きっと事態はかなり不味いことになる。

 仕方なく奈都貴は正直に言った。


「何を話せば良いのか、分からないんです。何でも良いからって言われるとかえって悩むというか……」

 自由は鎖、鎖は縛り、自由を奪う。大元はそれを聞き、微笑んだ。奈都貴が無言になった理由を聞いてとりあえずは機嫌を直したらしい。


「ああ、そういうこと。そうだな、確かにお前の言う通りだ。そのことに関してはよく指摘されるのだが、何というか……誰かと喋れると思うと気分が高揚してな、つい失念してしまうのだ。滅多に訪れない機会なのでな。可愛いだろう、そういうところ」


「自分で言います?」


「ああ、自分で言う」

 大元はまた子供っぽい笑みを浮かべる。そんな幼い笑みが妙に彼女には似合っている。それから彼女は「それでは」と言った。


「まず始めに、お前のことを色々聞くとしよう。お前の名前は何というの?」

 そう尋ねられるまで、自分がまだ彼女に名前さえ教えていないことを忘れていた。というよりすっかり名乗っていた気になっていたのだ。


「俺の名前は深沢奈都貴といいます。ナは奈良の奈、ツは京都の都、キは貴族の貴です。……あ、これで分かります?」

 横文字も平気で使う彼女のことだから多分分かるだろう、とそんな説明をしたのだが、いまいち自信がないので恐る恐る尋ねてみた。大元は「大丈夫だ」と明るく言った。


「大抵の話は通じるよ、だから安心するが良い。そうか奈都貴……随分雅な字をあてているのだな。うん、悪くはない」


「古の都に住んでいた貴族のように、教養があって、かつ雅な人になってもらいたいっていう願いをこめたみたいです。粗野な人、暑苦しい男、やんちゃが過ぎる男、筋肉馬鹿の男とかはあんまり好きじゃなかったみたいですね、母が。まあかといってあんまりなよなよしすぎている男も好かなかったみたいですが」

 成程、と大元はいつの間にか取り出した扇で顔を扇ぐ。そこに描かれているのは草花溢れる野の中を駆ける兎。扇が揺れる度、兎は奈都貴の目の前でぴょんぴょん跳ねる。


「割と母の願い通りに育ったように見えるな。いかにも男、というような人間には見えないし、かといってなよなよした、か弱い男といった感じでも無い。頭もそこそこ良さそうだし。そういえばナツキ、というのは女性にもつけられる名前だな。むしろ女につけることの方が多いか。ふむ、そういう名前はお前によく合っていると思うよ。どことなく女っぽい、可愛らしさもある顔だし。男にも女にもつけられる名前や、母の願いがその顔や中身を作ったのかもな。名や願いには力があるから」

 確かに自分でも、男らしい男に育ったとは到底思えない。だからといって女の子っぽい性格であるとも思えなかった。……顔に関してはしょっちゅう「中性的」「ちょっと女の子っぽい」と言われるが。自分ではそうは思わないのだが、周りからしてみればそうであるらしい。奈都貴としてはそんなこと言われても全く嬉しくはない。今も大元にそのことを指摘されて正直、むっとしている。


「お前には愛称とかはある? 私はそれを聞くのも好きだ。人によっては不思議な名前をつけられているものもいるからな」

 ぎくり、どきり、胃がぎりぎり。奈都貴は何でよりによって愛称の話を、と心の中で頭を抱え、じたばたする。彼にとっては、ある意味一番口にしたくない話題である。

 そんなものはない、と奈都貴は言った。話したら絶対彼女は笑うだろう。腹を抱えて笑う姿が目に浮かぶ。彼女と会ってまだ間もないが、それ位は彼にも分かった。


「いや、それは嘘だな。ありますという顔をしているよ。そんな人に言いたくないようなものをつけられたの? ますます興味が沸いてきた」

 きらきらした瞳が、奈都貴の意思をくじく。それでも口を固く結んでいると、彼女はにやりと笑いながら、障子を指差す。そのまま黙っていたら、外へ追い出してやると脅しているのだ。全くとんでもないお姫様である。

 もうこれは仕方無い、諦めて奈都貴は口を開いた。始めはとても小さな声で。

 何、聞こえないというお姫様がおっしゃったので、彼はヤケクソ気味に叫んだ。


「なっちゃん、なっちゃんですよ!」

 不名誉なあだ名が、部屋中に響き渡る。大元はしばし瞳ぱちくり、後……爆笑。左手を腹に、右手を口元にやって、大きな声で笑う。目元にはきらり、輝くものが。彼女の声はよく響く。部屋中に、体に、心に。本当にもう腹が立つ位素晴らしい爆笑っぷりである。その姿と、彼女を笑わせている『なっちゃん』というあだ名をつけた張本人の姿が重なる。『品のある紗久羅』という言葉が、思い浮かんだ。いや、品があったらもうそれは紗久羅ではないか……と失礼なことも考え。そうやって全く関係のないことを色々考えることで、怒りや恥を吹き飛ばそうとしたが、結果は失敗に終わる。


「そこまで笑います……?」

 なっちゃん、という名前が何故か笑いのツボにはまったらしい彼女は奈都貴に睨まれてなお笑っていた。時々咳き込みすらした。しまいに息絶えてしまうのではないのだろうか、と若干心配になる位の勢いで彼女は笑い続ける。

 一度「すまない」と謝り、そこから話を続けようとしたようだが、また笑いだし、しばらく何も言いやしない。

 彼女は頬を花の色に染めるだけ染めてから、深呼吸し、ようやく落ち着きを取り戻した。


「だから俺は言いたくなかったんですよ、絶対笑うと思ったから!」


「いや、本当にすまない。しかしなっちゃんとは、傑作だな。何とまあ可愛らしい……しかもそれが似合っているからおかしい……くく……っ。なっちゃん、あ、駄目、本当おかしい」

 また、笑う。紗久羅よりは気が短くない奈都貴だったが、ここまで笑い通し笑われるとやっぱり腹はたつし、もういっそ水染みこませた綿でも口の中に突っ込んでやりたいという衝動にも駆られる。

 綿、ここに綿はないかと本気で探しかけたところで彼女は笑うのをやめる。


「いつ頃からそう呼ばれるようになったの?」


「小学校低学年位だったと……小学校とかも、分かります?」


「分かるよ。言っただろう、大抵のことは知っていると」

 

「皆から色々な話を聞く内覚えていったんですか」


「それもあるが、大抵はお前達をここへ引っ張り込む時、私はその世界に蓄積されている情報も同じように引っ張り込むのだ。その情報が私に様々な知識を与える。あくまで基本的な情報だけだけれど。そんなことはどうでも良いではないか。ふむ、そうか大分幼い時につけられたのだな。きっと昔は今以上に可愛らしい顔立ちをしていただろう。それゆえにつけられたのか、まるで女の子のようなあだ名を」

 奈都貴は首を横に振った。いや、それもあるかもしれなかったが主な理由はそれではない。やんちゃ坊主のような笑顔を浮かべる、幼い紗久羅の顔が浮かぶ。そして、彼女が自分にその名をつけた時のことも思い出す。思い出せば思い出す程むかついてくる。


「当時、大人気だったアイドルタレントがいたんです。CD出したり、ドラマやCMに出たり、バラエティー番組に出たり、写真集出したり……彼女の顔を見ない日はなかったです。今も昔ほどではないにしても人気があって、ちょくちょくTVで見ます。そのアイドルタレントの名前が『なつき』だったんです。彼女の場合はひらがなでしたが」

 

「ああ、成程。何となく分かったぞ。……そのなつき、という名のアイドルタレントの愛称が『なっちゃん』だったのだな?」

 ずばり、その通りであった。そう言った彼女はすっかり落ち着きを取り戻しており、さっきまでの様子が嘘のようであった。それどころか『一度も大きな声で馬鹿みたいに笑ったことなどありません。そんなはしたないこと出来ません』オーラさえ放っている。麗しの、姫。嘘つきの、姫。

 ご名答、と奈都貴は答えるしかない。


「なつきの愛称が『なっちゃん』なら、奈都貴の愛称も『なっちゃん』だ……そんな訳の分からない理屈で、当時同じクラスだった子になっちゃんって呼ばれるようになったんです。初め、そう呼んでいたのはそいつだけだったんですが、時が経つにつれ周りの人間にも浸透しちゃって……気がつけば多くの人間にそう呼ばれるようになってしまったんです。俺を最初にそう呼んだ奴は、どういう経緯でそう呼ぶようになったのか覚えていないようですが。全く、忌々しい」


「そんなものだろう、そういったものは。ゆえに性質(たち)が悪い。それで、お前に秀逸な名をつけた者の名前は何というのだ?」


「……井上紗久羅っていいます。糸へんに少ないって奴の『紗』と久しいの『久』と羅針盤の『羅』です」


「ほう、紗久羅! よいな、桜の花は好きだぞ。美しく可憐な花。名前もまた同じように。その名を持つ娘も?」

 雪洞の中の灯りが、くるくる回る。すると天井から無数の桜の花びらが舞い落ちてくる。薄桃色の、小さな舞姫達がしなやかな動きで舞う。彼女達のまとう香りは甘く、心蕩かす。

 その舞姫達を見つめる大元もまた美しい。

 花と花、花満ちる世界。しばし声も出せずその光景に見惚れていた奈都貴だったが、舞う姫達と同じ名を持つ娘の姿がぱっと浮かんだ途端幻想は儚く散って、消え行く。


「いや、彼女は桜の花とはかけ離れた存在です。美しいとか、可憐とか、そういったものとは無縁の女です」


醜女(しこめ)ということ?」

 奈都貴はそれを即座に否定する。彼女のことを可愛いとか、綺麗だとか思ったことは記憶にある限り一度もなかったが、だからといって醜女などと称するような娘でもなかった。


「別に不細工とかってわけじゃないんです。多分いたって普通だと思います。人の容姿についてとやかくいえるような立場ではないんですが……。可憐とか美しいとかそういう言葉と無縁なのは中身の方で……男勝りで、乱暴で、言葉遣いも悪くて、短気で、昔なんかは男子とばっかり遊んでいました」

 それから奈都貴は紗久羅に関するエピソードをつらつらとあげていく。

 男の子と壮絶な取っ組み合いの喧嘩をした末に見事勝利し、相手を泣かしたこと。遠足の時大きな蛙を見つけ、そいつをつかんで女の子を追い掛け回したこと、調子に乗って高い木に登ってそこから落ち、先生からものすごく怒られたことなど。昔のことから割と最近のことまで、まあ一度あげたらあれもこれもとなって、止まらない。


 大元は一通り聞き終えると、目を細める。


「色々と覚えているものだな。普通はそこまで覚えていないと思うのだが。もしかして、その娘に気でもあるのではないか?」


「違います!」

 間髪いれずに奈都貴は叫んだ。嫌いではないが、異性として見たことは今まで(多分)無い。必死になって否定したのが不味かったのか、大元はにやにやしている。


「仕方がないからそういうことにしておいてあげる。それにしても、お前の話を聞く限り、その紗久羅というのは本当、男の子みたいな娘なのだな。名前がもつイメージとは正反対に育ったようだ」


「彼女のおばあさんも、これまたなかなかすごい人ですからね……少なからずその影響を受けているんだと思います。名前の力もあるのかもしれませんが。俺の住んでいる町とかでは、産まれた女の子に、心も体も強くてかつ綺麗な人に育ってもらいたい場合は『サクラ』と名づけると良いって云われているんです。……ただ、あんまり強く成長しすぎてしまうせいか、勝気で乱暴な娘になってしまうってこともあるらしいですが」

 

「ふうん。それはまた、どうして?」

 何故そんな風に云われているのか、大元は気になって仕方ないらしい。巫女の桜の話を知らない人からしてみれば、確かに「何故?」となってしまうだろう。


「俺が住んでいる町は昔桜村って呼ばれていたんですが」


「桜村? もしかして」

 奈都貴の話を遮った大元は整った眉をひそめている。


「桜村奇譚集とかいうものがある、あの?」


「知っているんですか?」

 ぽかんとする奈都貴に対し、彼女は脇息にもたれてため息一つ。頭に手をやり、またかと呟く。またかとは何だと聞けば、言った通りの意味だと言う。


「その村……今は桜町か。そこの者や、周辺の街の住人とはもうかなりの数会った。多分こういった場所と繋がりやすいのだろうな、お前の住んでいる辺りの土地は。まあ面白い話を色々聞かせてくれるから良いといえば良いのだが」

 桜町及びその周辺の土地、その異質っぷりはこんな、ある意味辺境と呼べるような地にも知られているらしい。本当になんちゅう場所だあそこは、と思うと頭が痛い。


「桜という名前がどうこうというのはあれか、巫女の桜とやらが関係しているのか。ものすごい力を持った、勝気で乱暴な娘だったらしいな? それでいて、とても美しかったとか。私と彼女、どちらが美人かな」


「さあ。俺は巫女の桜の姿を見たことがないですから、何とも」


「馬鹿め。こういう時は例え分からずとも、とりあえず『それは勿論貴方の方が美しい』と言っておくものだ」

 仕方なく彼女の言った通りに言ってみれば、もう遅いと意地悪い笑みを浮かべられた。


「その、私には劣るがきっと美しかった巫女にあやかって『サクラ』と名づける者が昔多かったのだな。ところが、綺麗な子に育つ一方中身にやや難のある子になってしまった例がちょくちょくあったと。それでもって、その紗久羅という娘も勝気な子に育ったと」


「まあ、美しく育つっていう部分は彼女の場合当てはまっていないですけれど」

 彼女と自分共通の友人である柚季の方がよっぽど綺麗である。転入してきた彼女を見た時彼は「あ、可愛いな」と素直にそう思った。

 さて『サクラ』といえば同じ桜町に住む臼井さくらもまた、お世辞にも綺麗だとはいえない。しかも彼女の場合は強気、勝気という言葉とも無縁である。紗久羅以上に巫女の桜とは遠いように思えた。


(それを考えると、どこまで名前に力があるのか分からなくなるよなあ……)


「男の子っぽい女の子と、女の子みたいなあだ名を持つ男の子。案外お似合いかもしれないな」

 うっかり紗久羅と手を繋いでにこにこしている自分の姿を想像してしまい、奈都貴はかあっと顔が熱くなるのを感じた。そんなことはない、と必死に否定しようと叫んだ結果、舌を噛み悶絶。大元は笑みを浮かべ満足。からかいを真に受ければ負け、そんなことは分かっているのに。


「男らしい女、女らしい男といえば。こんな話を以前聞いたことがある。お前の住んでいる世界とほぼ同じ文化や言語をもつところの者から。昔あるところに、躑躅(つつじ)という名の姫と破竹(はちく)という皇子がいた。二人は双子だった」

 女と男の双子。ぱっと思い浮かぶ自分と陽菜の姿。あんまり奈都貴がぼうっとしているから一度大元は話すのをやめ、どうしたと目で問いかける。


「別に大したことはないんですが……俺も双子なんです。しかも男女の」

 ほう、と大元が驚きの声をあげる。


「それはまた珍しい。顔は似ているの?」


「いや、あまり似ていないです。二卵性ですし」


「どんな子?」


「のほほんぼけっとした奴です。天然で、ドジで。下着を何故かカバンに入れて学校に登校したり、何もないところでこけまくったり、料理をする時塩と砂糖を入れ間違えたり……後独特のセンスの持ち主で、下手とかなんとかそういうものを超越している絵を描きますし、趣味で小説を書いているんですが……時々見せてもらうと、理解不能な内容の話を書いていることがあります」


「それではこの物語に出てくる躑躅とは全く違う娘だな。躑躅は非常にやんちゃで勝気で、男の子っぽく、泥まみれになることも、傷だらけになることも厭わない、男のような女の子だったそうだ。一方の破竹は大人しくて心優しい……どちらかというと女の子らしい男の子だった。運動もからっきし駄目だったらしい。親や周囲の者は、二人の中身が逆だったら良かったのにとよく嘆いていたようだ。二人の子供のことで色々言われてもいたようだし」

 そういった話は、奈都貴の住んでいる世界でも漫画や小説などでよく見かける。勿論実際にそういう人間もいる。

 男の子っぽい女の子、女の子っぽい男の子という設定はある意味王道であった。

 

「ある時、二人の中身が逆だったら良いのにという両親の願いを一人の神が聞き入れた。神は二人の魂を入れ替えた。躑躅の中に破竹の、破竹の中に躑躅の魂が入った。両親は大喜び、魂を交換された当人達も始めは『これで女の子なのにとうるさく言われないで済む』『男の子だろうと色々親から言われないで済む』とそれなりに喜んでいたらしい。魂の入れ替えを知らぬ周囲の者は驚いたが、大人に近づいたことで本来の性別に近くなっていったのだろうと納得したようだ」

 だが、そう話す大元の表情は固い。その表情が、二人の未来を暗示しているような気がした。奈都貴は黙って話を聞く。


「しかし……二人は確かに男っぽい女、女っぽい男であった。だが根っこの部分は矢張り躑躅は女で、破竹は男であった。年頃になった二人は、恋をした。破竹の中にいた躑躅は男を、躑躅の中にいた破竹は女を好きになった。二人にとっては異性の者であった。だが魂を入れ替えられた二人は、周囲にとっては躑躅は『男』の『破竹』であり、破竹は『女』の『躑躅』だった。二人は想いを口にすることも、意中の相手と添い遂げることも出来ずに苦しんだ。そしてこの時になって初めて、魂を入れ替えられたことを心から後悔した。二人は元の体に魂を戻してもらおうと、かつて両親の願いを叶えた神に願った。だがその願いは聞き入れられなかった」

 

「結局二人はどうなったんですか?」

 聞きたい、という気持ちと何となく聞きたくないという気持ちが奈都貴の中で混ざり合う。大元は奈都貴からふいと視線を逸らす。


「……死んだらしい。手紙を残して、ある池に二人で飛び込んで」

 最後は二人元の体に魂が戻ってめでたしめでたし、とはならなかったようだ。


「その池は『男女(おな)ヶ池』と呼ばれるようになり、今も残っているそうだ。池からは身を投げた二人が変じたものとされている岩が二つ突き出ているとか。その岩は人の形に見えるそうだ。だからこの物語は池から出ているその岩を見て誰かが考えたものかもしれない。本当に魂の入れ替わった双子が身を投げたかもしれないし、魂云々は作り話でも誰かがそこに身を投げたと言う事実はあったのかもしれない。本当のことは最早誰にも分からぬが、分からぬ方がこういう場合は良いのだろう。余計な詮索はするだけ野暮だ」

 大元が雪洞の力で、今度は小さな池を映し出す。人の手が殆ど加えられていないことが分かるその小さな池の中央には、白っぽく細長い岩が二つ、突き出ていた。その岩は見ようによっては人の姿に見える。


「これは、話を元に創りだしたものだ。実際こういうものなのかは分からない。それにしても多いよな、こういう言い伝えとかって。誰かが身投げした池とか、蛇神の住む湖とか、鬼とかの怪物が倒された場所とか、何かが封印された場所とか。池や川、山などにはそういった物語がつきものだな。事実を基にした物語や作り物だろうなってものまで、色々」

 確かに、そういった物語をかき集めたらすごい数になるだろう。忘れられ、語られなくなった物語も合わせたらもっと多くなるに違いなかった。

 自然の、人が持ち得ない、どうあっても手に入れることは出来ない不可思議な力をもっているという点が、そういった物語を人々の中に生み出すのかもしれない。


「俺達の町にもそういった話が色々あるみたいです。例えば……桜山の近くに『悪鬼岩』という岩があります。俺とそんなに変わらない位の大きさで、さっき貴方が見せてくれた想像の男女ヶ池から突き出していたものと、形は割と似ています。……その岩なんですが、元々は鬼だったそうなんです」


「ほう?」


「その鬼は各地を転々としながら、降り立った土地で人を喰ったり、殺したりと散々悪さをしていたそうなんです。強い上に逃げ足も速く、長い間やりたい放題だったようです。その鬼はある時ここ桜村へやって来ました。彼は山の動物や村人を襲ったそうです。当時村にいた巫女では、彼に太刀打ち出来ず困り果てていたところ、その鬼を追って遠路はるばるやってきた術者が、三日三晩の戦いの末、とうとう鬼を倒すことに成功したそうです。抜け殻状態となった鬼の体は、岩に姿を変えた。その岩は固くてどんなことをしても壊れなかったので、仕方なく術者はそのままにしておくことにしたそうです。鬼の魂自体はもうその岩に残っていませんから、悪さをすることもないだろうしということで……念の為、悪いものが外へ出るのを防ぐ為に縄をつけたようですが」

 

「誰かの帰りをずっと崖の近くなどで待ち続けた娘が、その場で岩になったとか、そういう話もよく聞くね。それで、お前はその岩を見た事があるの?」


「ええ。実はその岩にはある怪談話もついていまして。……時々、岩がぼうっと光るというんです」

 光る? 大元が尋ねた。


「鬼に喰われた者達の魂は、彼が退治された後も成仏出来ず、岩になった彼の中で今も輝き続けているのだそうです。光、というよりは炎といった方が近いらしいですね。夜、岩の……心臓の部分辺りが赤や青、黄色等に輝くとか。ただ、それを見た者には災いが降りかかると云われています。救われない魂が、見た者を祟るとかなんとか」


「見たら祟られる、死ぬという話もよく聞くな。だがお前達は、死ぬとかなんとかいわれているにも関わらず面白がって見に行くという。根っこではそんなことあるはずがない、大丈夫だと思っているから平気でそんなことをするのかな。それとも死とか災いとかそういう単語を軽く見ているからなのか。そういう奴等に限って、本当に悪いことが降りかかると泣きだすのだ。……まさかお前も面白がって夜、実際に見に行った口か?」

 咎めるような、責めるような口調で彼女が尋ねる。奈都貴は否定も出来ず、かといって全て肯定することも出来ず、むにゃむにゃ言ってからちゃんとした答えを返す。


「中学生の時、友人達に無理矢理連れて行かれたことはあります。俺はやめた方が良いと言ったんですが。まあ結局岩が光ることはなかったですけれど」

 奈都貴は小学生の時、出雲達と出会った。成り行きで向こう側の世界にも足を踏み入れた。物語の中にのみ存在していると思っていたものが、実在していたことを知った以上、岩が光るとか、災いが降りかかるといったような物事が絶対に起きることはないとは思うことは出来なくなった。だからこそ彼は友人達を止めたのだが、彼等は聞く耳持たず。結局無理矢理引っ張られて、その悪鬼岩を見たのだ。

 仕様のない奴等だな、と大元。


「まあ、仕方が無いか。お前達の世界では最早『妖等は実在しない』という考えの方が一般的になっているから。そういうものが本当に存在することを知っている者は、そんな馬鹿な真似はまずしないものだ」

 部屋中に、溢れる火の玉。紫、青、赤、黄……ゆらゆらゆれる、命の火。

 それは幻のはずだったが、現れた瞬間確実に空気が変わった。重く、苦しく、冷たい。胸を掻き毟りたくなるような――静かで、それでいて激しい何かに襲われる体は震え、冷や汗がたらり、たらりと流れては落ち、流れては落ち。落ち着かぬ心、抗えぬ暴れ、叫びたくなる衝動。

 それが消えるまで、奈都貴はまともに呼吸することさえ出来なかった。

 悲しみや怒り、憎しみなどをまとった魂の恐ろしさを思い知らされた奈都貴だった。


「何度見ても、気持ちの良いものではないな。……魂といえば、お前達世界では『火』や『灯』で表されるのが相場だな。国によって違うのかもしれんが。命の火を燃やして体を動かし、火が消えれば死ぬ。命は火のついた蝋燭で、その蝋燭の火が消えたり、蝋が全て溶けて消えたりすると死んでしまうという話もあるな。そんな昔話を聞いたことがある」

 蝋燭が云々という昔話は確かに奈都貴にも覚えがあった。多分、昔話集か何かに載っていたものを読んだのだろう。


「……そういえば陽菜も、命の火が出てくる話を書いたことがありました。昔作ったのを読ませてくれたことがあって。時々理解不能な、滅茶苦茶な話を書くこともありますが、基本的にはほのぼのほわんとした話を書くあいつが、珍しく切ない終わり方の話を作ったものですから、印象に残っていました。昔ある男が今にも死にそうだった一匹の犬を助けたんです。そして、男の飼い犬になった。それからしばらく経ったある日、男は森だか山だか、兎に角人気のない場所で迷ってしまったんです」

 どうして迷ったのか、どういう理由でそんなところを歩いていたかまでは覚えていない。もしかしたらそこまで詳しいことは書いていなかったかもしれない。


「しかも男は道を照らす灯りを無くしてしまった。暗くて先は何も見えない。そんな時、家に置いてきていたはずの犬が何故か自分の目の前に現れて……『どうかこれを使ってください』と言って、灯りを渡してくれたんです。赤い炎が中で激しく燃えている、灯りを。男がそれを受け取ると、犬は姿を消しました。男は不思議なこともあるものだと思いながらも、その灯りを持って進みました。その灯りは男に正しい道を教え、そしてそこに住む凶暴な獣から身を守ってくれました。男は無事に家に辿り着きました。家へ着く寸前、炎は燃え尽きて灯りも消えました。……そして男が家の中に入ってみると、あの犬が死んでいたそうです。……男が使った灯りは、その犬の命の火だったんです。彼は自分を助けてくれた男に恩返しをしようと、自分の命を男に与えて、彼を助けたんです」

 それは絵本で、絵もついていた。だが陽菜の絵は独特で、最後のページに描かれた、死んだ犬らしき絵も文章と合わせて見なければ到底犬には見えず。その絵のせいで、泣けばいいのか笑えば良いのか分からなくなったことを今でも覚えていた。

 成程、それは確かに物悲しい話だなと大元は言った。


「恩返し、人の言葉を話す動物……よくある童話といった感じの物語だな。童話や昔話では、当たり前のように動物が話す。そして人間達は当たり前のように、人語を話す動物と接する。本来なら有り得ない事柄は人々を幻想の世界、物語の世界へと誘う。登場する人間達が当たり前のようにそれらと接することで、自然と物語の世界へと引き込んでいく。現実と物語の境界を、楽に飛び越えさせてくれる。しかしそれにしても、魂というものに対する考え方、魂の表現の仕方などは世界や国によってそれぞれで、面白い」


「火とか灯以外にも色々ありますか?」


「魂という概念がそもそもない世界もあったし、魂を『水』で表現する世界もあった」


「水、ですか」

 うん、と可愛らしく頷く。子供っぽさも、大人っぽさももっている不思議な人だと奈都貴はつくづく思った。


「体の中には水の入った球体があって、その球体に入っている水は時間経過と共に少しずつ減っていく。そしてその水が全てなくなると死んでしまう、という考えらしい。酷い怪我をしたり、病気になったりすると水の減るスピードは速くなる。また、水が穢れると死期はかなり早まるらしい。嘘をついたり、悪いことをしたり、人の悪口を言ってばかりいたりすると水は穢れる。まあ、火が水に変わっただけで基本的な考えはそこまで変わらないようだね。この魂を水と表現していた世界では、かつて清めた水を沢山飲むことで寿命を延ばす……という考えもあったらしい。その世界の者にとっても水の飲みすぎは毒であった為、中毒になって死んだ者が当時は後を絶たなかったとか」

 どうにか命を延ばそうと、躍起になるのは何も奈都貴の住む世界の者に限らなかったようだ。


「火も、水も……人が生きていく上で大切なものって点とかも共通していますね」


「私は火も水もなくても生きていけるがな」


「貴方は人ではないでしょう?」


「誰がそんなことを言った?」


「え、人だったんですか?」


「まさか。そんな訳ないだろう」

 何を言っているんだお前は、というような目で見られる。くそう、からかいやがってと心の中で悪態をつくことしか出来ない奈都貴だった。

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