ひいさまは社へ帰る(5)
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全く同じだ。紗久羅はそう思った。梓は紗久羅の様子がおかしいことに気がついたようだが、そのまま話を続ける。
「初詣の最中、彼女が姿を消してしまった。そのことを彼が思い出したのは四月も後少しで終りといった頃だったそうだ。つまり約三ヶ月の間すっかり忘れてしまっていたわけだね。些細なことがきっかけで彼女――とりあえずA子さんとしておこうか――の存在を思い出した……じゃあ彼氏はB男にしておこう……ええとB男さんは、どうして今までそのことを忘れていたのか疑問に思いつつA子さんの家を訪ねた。そこには彼女と一緒に暮らしている両親がいるからね」
「やっぱりその両親も」
梓は苦笑いしながら頷いた。
「A子さんのことは忘れていたらしい。でも彼女の彼氏であったB男さんのことは覚えていた。ただ、彼とどういう縁で知り合ったのかまでは覚えていなかったようだがね。B男さんは、A子さんのことを話した。二人は自分達に娘などいない、覚えていないとは言ったがどこか自信なさげだったそうだ」
「どうして?」
「B男さんも理由を聞いた。そしたら二人は、彼を家に招きいれた。そして家の中に不可解な物、覚えのないものが幾つもあることを話してくれたそうだ。まずは家に届いた見知らぬ人宛の年賀状やダイレクトメール。つまりA子さん宛にきた郵便物だね。それが一枚どころではなく、何枚も来ていたんだ。中には夫妻+A子さん三人に宛てて送られてきたものもあったそうだ。夫妻は気味悪く思って、三人宛に寄越した人に連絡を取って聞いてみたんだけれど、A子さんの名前を書いたことなんて覚えていない。そもそもA子さんのことなんて知らないと答えたそうだよ。また、家宛に来た大切な手紙や葉書を保管する箱にも、A子さん宛のものが幾つも入っていたそうだよ」
間違えて送られてきたものだとしたら、そんな風に大切に保管するわけがない。送り返すなり、処分するなりしたはずだ。でもそうはしなかった。何故か?
まず二人はそこで頭を抱えたらしい。
さて、両親の家にある『不可解な物』は郵便物だけではなかった。梓は話を続ける。
「次に写真やビデオテープだ。一人の少女の成長記録とも呼べる写真やテープがごっそり出てきたんだ。アルバムの下や、テープのラベルには送られてきた年賀状等に書かれていたのと同じ名前が書かれていた。二人は写真やビデオを見たけれど、こみ上げてくるものは何もなかったらしい。懐かしさも、親しみも覚えなかったそうだ。まるで縁もゆかりもない、自分達とは全く無関係の人間のそれを見ているような心地だったって。昔の自分達が一緒に写っているのを見ても、ピンと来なかったらしい。そして更に家の掃除をした時に見つかったものがある。……それは、部屋だよ」
「部屋?」
聞いてから、はっとした。梓がこくりと頷いた。
「使っていないはずの部屋のドアを開けたら、そこにはベッドや机、洋服が沢山入ったクローゼットがあった。壁には一月のままのカレンダーがあり、二日には『初詣』と書かれていたそうだ。それはA子さんとB男さんが初詣に行った日と合致していたそうだ。何も覚えていない夫婦はきっと恐怖したろうね。誰も使っていないはずの部屋に、明らかに誰かが日々を過ごしていたような痕跡があったのだから。一度見たら忘れられない光景だろうさ……ところがこの夫婦、B男さんが訪ねて来るまで、その部屋を見たことも、ビデオテープや写真を見つけたことも忘れていたそうだ」
B男がA子のことを話し始めた時、ようやく二人はそのことを思い出した。
思い出したから、B男の話を彼の妄想話と片付けられず、彼を家に招きいれてそのことを話したのである。
A子の両親から聞いたことをB男は記録した。もし二人がそのことをまた忘れたとしてもどうにかなるように。また、A子についてB男が思い出したこと、失踪した時のことも同じように書いたそうだ。
嗚呼、それじゃああたしとまるっきり同じじゃないかと紗久羅は思った。皆考えることは同じらしい。
「書く間頭が覚醒したりぼうっとしたりを繰り返して大変だったそうだけれど、まあとりあえず書いたようだ。ちなみにB男さんは、自分が知る限りのA子さんの友人の所も訪ねたらしいね。殆どの人はA子さんのことを忘れていた。ただ一部完全に忘れてはいなかった人もいるようだけれど。彼等もまた、A子さんから来た年賀状に戸惑っていた。更にB男さんが訪ねてきた後、フォトアルバムとかを確認してA子さんの写っている写真を見つけた人もいた。スケージュル帳にA子さんの名前があったのを見て驚いた人もいるようだね」
「携帯とかにもA子とのやり取りが残っていたの?」
梓は首を横に振った。友達ならば携帯メールでのやり取りなども残っているはずなのだが。どうして、と聞く前に彼女は自分から理由を教えてくれた。
「実はこの話、結構前のことでね。まだ携帯とかパソコンが普及していなかった時のことなんだ。ものすごく大きい上に高い、携帯電話のご先祖様みたいなものはあったようだけれど。でもそれだってごく一部の人しか持っていないようなものだった」
本当に大分前の出来事であるらしい。
さてA子の両親も、友人達も戸惑いつつB男の話を信じることにしたようだ。
しかし何故A子のことを皆して忘れてしまったのかは、幾ら考えても分からなかった。そりゃそうだろうと紗久羅は思う。
そんな時ふと紗久羅はあることに気がついた。
「なあ、梓姉ちゃん。何か姉ちゃんこの件に関してやたら詳しくないか?」
そう。梓の話はあまりに詳しすぎる。噂を耳にした、というレベルではないような気がして紗久羅はそのことを直接彼女に尋ねた。
「ああ。まあ、その辺りの理由は後少しすれば分かるよ。……ええとそれから、B男さんはある人物にこのことを調べてもらうことにしたんだ。その相手というのはある男性――C太郎だった。C太郎は妖や幽霊など、常識では考えられない存在が引き起こしたトラブルを調査・解決することを仕事にしている人だった。B男はこの不可思議な出来事には、自分達の常識では計り知ることの出来ない何かが関わっているのではと思ったんだ。A子さんの消え方もかなり妙であったらしいし」
「消え方?」
「二人して境内を歩いていた時、目の前に一人の老人が現れたんだって。これがまた随分妙な格好をしていたそうなんだ。何百年も前の人がしていそうな格好だったんだって。その老人はA子さんを見るなり『ひいさま、ここにいらっしゃったのですか……随分と探しましたぞ』とか何とか言ってきたらしい」
「ひいさま?」
その言葉に引っかかりを感じた。つい最近その言葉を耳にしたような気がしたのだ。
それがあの初詣の日であったことを少ししてから紗久羅は思い出した。
おみくじを結んでいる時に聞いた老人の声が頭の中を静かに巡り、心をかき乱す。邪悪さはなく、しかし本来生き物が持っているはずの心や生気も感じられなかった、あのぞっとする声。
――ああ、一体どこへ行ってしまわれたのだひいさまは――
――前も、この辺りにいらっしゃった時があった。今度もそうかもしれない……ひいさま、ひいさま――
ひいさま、ひいさまとその人を呼ぶ声が頭の中で反響する。
「その老人はB男さんには目もくれず、A子さんの手首をつかむと走り出した。そして二人はB男さんの目の前から消えてしまった。人混みに紛れて消えたっていうんじゃない。たった一歩老人が歩を進めた瞬間にぱっと……姿を消してしまったらしいんだ。まるでどこかにテレポートでもしてしまったかのように」
B男は目の前で起きた光景を信じられないと思いつつも、彼女と、彼女を連れて行った老人の姿を探したそうだ。しかしA子は見つからず……そうこうしている内に彼は何もかも忘れてしまったのだ。
(初詣の日、あたしはひいさまって奴を探しているらしいじいさんの声を聞いた。その後、彼女はあたし達の前から消えた。彼女を連れて行った奴は、A子と同一人物?)
紗久羅は色々考えようとしたが、梓が再び話を始めた為それ以上考えることが出来なかった。
「自分達の手に負える話ではないような気がしたらしいB男さんは、C太郎の存在を知り、彼に依頼の手紙を送ったんだ。詳細な内容も一緒に書いてね。まあ自分の名前以外はA子とかB子とかにしたみたいだけれど。よく分からない相手に最初から全部を明かすのは不味いと思ったんだろう」
「そのB男って奴もよく依頼する気になったな。言っちゃ悪いけれどかなり胡散臭いぜ、妖怪関係のトラブルとかをどうにかするなんて仕事は」
紗久羅の知り合いである英彦も、時々そういった仕事の手伝いをしていると聞く。そういう仕事をまだやっている人間がいるということを知った時は、大分驚いた。知った後でも、矢張り胡散臭く思うことを禁じえない紗久羅だった。
「藁にもすがる思いだったのだろう。でもまあ、普通は紗久羅ちゃんが言った通り、胡散臭いと思うだろうね。彼等だって依頼をする一方そんなことも思っていただろう。実際インチキも多いようだし。まあC太郎は『本物』だったけれど。ちなみにC太郎は私の知り合いなんだ。というか私の家と親交があるというか。私の家ってそういう知り合いが多いんだ」
そういう知り合いが多い彼女は一体何者なのだろうかと紗久羅は思う。妖がこの世に存在していることを知っている――ということはさくらから聞いたものの、具体的なことは何一つ知らないのだ。
「今はもう引退して、のんびり暮らしているけれどね。そんなC太郎は依頼の手紙を読み、B男さんから詳しい話を聞くことを決意した。C太郎はB男さんが真実を話していると判断したのさ。長年仕事を続けていると、文面だけでそれが真実か、虚偽のものであるか何となく分かるようになるらしい」
多分それが分かるまで、幾度となく失敗したのだろうと紗久羅は何となく思った。デタラメを書いた手紙を信用してしまったとか。
「C太郎がB男さんの話を詳しく聞こうと思った理由はもう一つあった。実はね……B男さんの住んでいたあの街では、というかあの大社周辺ではね……度々起きていたらしいんだ。同じような出来事がね」
「え!?」
自分やB男以外にもまだ、同じような目にあった人がいたという事実に紗久羅は大きく見開いた瞳を閉じることが出来なかった。梓はそんな紗久羅の反応に満足したのか、けらけらと笑った。こういうところで笑う部分もまた出雲に似ていて、腹が立つ。
「噂レベルの話ばかりだけれどね。例えばある年、成人式の日。大社の近くにあった交番に新成人のグループがやって来た。彼等は酷く慌てている様子だった。彼等は友人である女性が見知らぬ爺さんに連れて行かれてしまったと言った。爺さんと女性は、一瞬にして皆の前から姿を消したという。それから必死になって探しても見つからないらしい。警官は彼等を落ち着かせ、より詳しく話を聞いていたんだが……聞いている内、彼等の話がどんどんあやふやになっていってね。しまいには皆して『何で交番に来ているんだ自分達は』と首を傾げる始末。他にも大社近くで行なわれた卒業式の日、卒業式会場から謝恩会が行なわれる会場へ向かう途中、友人が姿を消してしまった、変な人に連れて行かれてしまったと泣き喚いていた女性が、しばらくしてけろっとした顔で歩いていたのを見た人がいた。その人は、いなくなったという子は見つかったのかと聞いたら『何のことだ』と言われてしまったって話とか。使っていないはずの部屋に明らかに人がつい最近まで住んでいた痕跡があったとか、見知らぬ人間を映したビデオテープが大量に出てきたとか……約二百年前にもこういう妙なことが起きていたらしい」
紗久羅が呆然としていると、梓が「別にね」と言った。
「こういう誰かが消えたんだけれど、誰が消えたのか分からないって話とか……誰かが消えたことを忘れてしまったって話、何故か忘れていた人のことを思い出したとか、そういった話はあの街に限ったものじゃないんだ。ただまあ、残っている話の数が圧倒的に他より多いだけで……きっと何らかの理由で引きずり込み続けているんだろうな、人間を」
「引きずり込むって」
「異界に、だよ」
梓はきっぱりと言った。紗久羅はごくりと喉を鳴らす。異界、向こう側の世界。妖等が住む、世。
「異界に引きずり込まれ、異界に組み込まれ、異界の者そのものになってしまった人のことを、こちら側の世界にいる人間達は忘れてしまうと云われているのさ。どうしてそうなるのか分からないし、全部が全部そうなるわけでもないようだが。ここと向こうの境界が、連れて行かれた者とこちらの世界との繋がりを切ってしまうのかもねえ……」
それを聞き、紗久羅は憤慨した。その怒りは梓に向けたものではない。出雲に彼女は向けたのである。
当然出雲だってその話は知っていたはずだ。異界の者になってしまった人のことを、こちらの世界の人間は忘れてしまう……という言い伝えがあることを。
知っていたくせに彼は、紗久羅にそのことを教えてくれなかったのだ。
怒ってから、彼女の心は不安に揺らされた。
(それじゃあ……異界の者に、彼女は……もう手遅れ? 何が手遅れ? 彼女、彼女……ええと……)
不安に襲われる。だが、どうしてその話を聞いて不安になったのかが曖昧だ。
時々浮上する、咲月の名前と顔。だがすぐそれは沈んでいって、闇の底へと消えていく。
「まあ兎にも角にもC太郎はB男さんと会った。そして彼から改めて話を聞いた……のだけれど、悲劇はその最中に起きてしまった」
「まさか」
嫌な予感がした。どうやらそれは当たっていたらしい。そのまさかさ、と梓が言った。
「彼はC太郎に色々話す前にこう言ったらしい。『日に日に彼女のことを考える時間が減っていっている。彼女の顔や声、彼女との思い出が再び遠ざかり始めている。また忘れてしまうかもしれない、次に忘れたらもう二度と思い出せないような気がしてならない』ってね。そして実際彼の言った通りになってしまった。最初の内は時々詰まりながらもきちんとC太郎の質問に答えていたB男さんだったが、段々と答えられなくなっていった。頼れそうな人の登場に、緊張の糸がぷっつんと切れてしまったのかもね。結局彼は……再びA子さんのことを忘れてしまった。彼女が消えたことも、どうして自分がC太郎に依頼をしたのかということ、何を依頼したのかということも、全部。C太郎が、彼から聞いたことを色々説明したが無駄だった」
B男は結局C太郎への依頼を取り下げたようだ。そしてC太郎はこのことについて調べるのを断念した。独自に調べれば良かったのにと紗久羅は言ったが、梓は困ったように笑うだけだった。
「仕事だからね、あくまで。興味はあったようだが……金にならないことに時間や労力を割いてもねえ? まあ、私だったら個人的に調べただろうが。しかし調べたところで、C太郎にも私にもどうにも出来なかったかも。異界へと行く術なんて持っていないしさ」
あたしは持っているんだけれど、などとは口が裂けても言えない紗久羅だった。
「私がこの事件について詳しかったのは、C太郎から直接この話を聞いたからさ。私があの大社まで電車を使えば、そう時間をかけずに着く所に住んでいることを知った彼が教えてくれたんだ。……ところで紗久羅ちゃんはどうしてこの失踪事件について私から話を聞きたいと思ったんだい? ちょっと気になったから……ってだけの理由じゃないよね?」
紗久羅はぎくりとした。梓の眼差しは真剣で、力強い。その強さは相手に嘘を言わせることを許さないものだった。少なくとも紗久羅には彼女のそれから逃れる術はなかった。
あたしの話を聞いたらこの人滅茶苦茶興奮しそうだな、と紗久羅は思った。
彼女を興奮させたらとても恐ろしいことになるような気がしたので、出来れば話したくないとも思ったのだが、きっとどれだけ抗っても無駄であることを何となく悟り、はあ、とため息。話そう、と決めたのだ。
それから紗久羅は口を開けた。だが、そこから出るはずのものは出なかった。
話したいことを色々頭の中でまとめていたつもりだった。だがいざ口を開いて喋ろうとしたら、何も言うことが出来ず紗久羅は困惑する。自分が何を言おうとしていたのか、分からなくなる。
無造作に手をやったのはバッグだった。そこに手が触れた途端、紗久羅はその中に入れたルーズリーフのことを思い出した。紗久羅はそれを取り出すと、梓に手渡した。それを受け取った梓はきらきらと瞳を輝かせながらそれを読み始める。
「成程、紗久羅ちゃんのお友達もA子さん同様あの大社で姿を消してしまったのか!」
その声はどことなく嬉しそうだ。予想外の展開にわくわくしているしているのだろう。消えた人物の友人が目の前にいるにも関わらず、彼女はにこにこしており、目をきらきらとさせている。この人はどうも常人とは違う感覚の持ち主のようだ、と紗久羅は怒りを通り越して呆れ返ってしまった。とりあえず無駄だと分かってはいたが、紗久羅は興奮気味の梓に尋ねる。
「梓姉ちゃんは彼女のこと、覚えている? やっぱり忘れちゃった? 多分初詣の日、彼女とも会っているはずなんだけれど」
咲月、という名前がすっと出てこなかったから『彼女』と言った。梓は唸りながら当日のことを思い返している様子。
「どうだったかなあ? 思い出せないや。手水舎の辺りで紗久羅ちゃん達と会ったんだよね? 紗久羅ちゃん以外には確か着物の子――柚季ちゃん? と童顔のお嬢さん……ええとあざみちゃんかな? が居て……後一人、いたっけかなあ? あの後屋台が並んでいる通りで再会したのは童顔のお嬢さんで……」
あざみと梓があの後また顔を合わせていたことは知らなかった。どうやらばったり会ってちょこっと話をし、すぐ別れたらしい。
「ああ駄目だ、やっぱりこのいなくなったっていう咲月ちゃんって子のことは思い出せないや」
やっぱり、と紗久羅は肩を落とす。案外この人なら覚えているかもしれないと淡い期待を抱いたが、世の中そんなに上手く出来ていない。
とりあえず紗久羅は、梓の話を聞いている最中に思い出した初詣に行った日聞いた声のことについて話そうとした。そのことを話してから、梓の考えを聞いてみようと思ったのだ。
ところが少し、遅かった。梓の興味が、咲月が失踪したという話から別のものへと移行してしまったのだ。
「と・こ・ろ・で」
鋭い眼光、にたりと笑って紗久羅に詰め寄る梓。その眼光に、笑みに、紗久羅は不吉なものを覚え、冷や汗流しながら一歩後退する。
「ここに書いてある出雲って誰だい?」
紗久羅はしまった、と思った。まとめの最後に『出雲の所へ相談に行く』と書いたことをすっかり忘れていた。桜村奇譚集に興味を持っているらしい彼女のことだ、化け狐の出雲の話も知っているに違いなかった。実際そうだった。
「そういえばさ、桜村奇譚集に度々出雲って化け狐が出てくるよね? 巫女に体内を焼かれて死んだっていう……もしかして、その出雲とここに書かれている出雲って何か関係があるの?」
違います、全然関係ありません……と言ってごまかすことは出来なかった。
梓に気圧された紗久羅は思わず首を縦に振ってしまった。振ったらきっと恐ろしいことになると頭が警告を発していたが、それも無駄に終わる。
「どんな風に関係あるのかな? もしかして、同一人物? 死んだとされていた化け狐は! 実は! 生きていた! とかだったりするわけ?」
それから紗久羅は地獄の様な時間を過ごした。梓は興奮し、ルーズリーフを握っている手に力をぎゅっと入れ、目を太陽みたいにしながら延々と紗久羅を質問攻め。一つ答えれば十は質問が返ってきた。答えれば答えるほど泥沼にはまってまあ大変。頭の中はぐちゃぐちゃ、自分でも何を言っているのか分からない。もう梓の質問さえまともに脳へ届かなくなっていく。
最後の方は梓による妖怪講座が開かれ、紗久羅に「あ」の字も言わせる余裕も与えず、延々と一方的に喋り続けていた。
後少しで頭から煙を出してしまう……といったところまで来た時ようやっと梓が正気に返った。
「ああ、ごめんごめん。私ってこういうことになるとついつい我を忘れて暴走しちゃうんだよね」
梓は右手を背にやり、左手で帽子に覆われた頭をぽかんと叩く。それからてへへ、と笑った。その点はさくらそっくりだ。しかし内包しているエネルギー量が多い分、放出するエネルギーも多いらしい梓を相手にする方が、暴走状態のさくらを相手にするよりも十倍は疲れる。熱くて眩しい、強いパワーがそれを向けた相手の体に突き刺さり、その内にある精神等を燃やして灰にするのだった。
「ああでも、もっと色々聞きたいなあ」
「あ、あたしそろそろ帰らなくちゃ!」
これ以上いたら、梓は紗久羅を死人にするまで尋問を続け、ぺらぺらと喋り続けるに違いなかった。
「それじゃあね、梓姉ちゃん!」
紗久羅は手を二三度振ると、全速力で桜町商店街に続く道を走り、梓から逃げるのだった。
二階にある家に着き、自分の部屋に腰を下ろした時には、かろうじて残っていた力さえひゅるひゅると抜けていき、まるで死に掛けのくらげのようになってしまった。紗久羅はバッグから通しの鬼灯と携帯電話をのろのろと取り出すとはあああ~……と長く弱弱しい息を吐く。
(あの姉ちゃんと話をすると疲れる。パワーというか、エネルギーありすぎだろう、あの人。出雲のことやら向こう側の世界のことやら延々と聞かれるし……ていうかあたし何であの姉ちゃんと話していたんだっけ? なんかあたしから声をかけたような気がするんだけれど)
しかし紗久羅には彼女に話しかける理由がなかった。ならば、話しかけてきたのは梓の方なのだろう。
彼女は何か大切なことを忘れているような気がしたが、思い出せない。思い出せるのは、梓のきらきらとした瞳と、際限なく言葉を吐き続ける口だけであった。
忘れる位なのだから、案外大して重要なことではないのかもしれない。紗久羅はそう思った。一方、やっぱりなんか変だという気持ちもある。
そんな気持ちさえ、うだうだしている内に忘れてしまった。体力も気力も回復した紗久羅は、短い冬休みを大いに楽しむのだった。
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聞いて、私の声を。ここにいる私の声を。
お願いだから、聞いて。