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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
行く年 来る年
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行く年 来る年(9)

(体を動かすって……こういうことだったの)

 てっきりそこらでやっているちょっとしたゲームに参加するのだとばかり思っていた小雪は、天井の無い石造りの建物の中、同じく石を組んで作られた観客席に座ったまま呆然としていた。

 ついさっきまで彼女と一緒だった弥助は今隣にいない。すり鉢状の建物、底にあたる部分にある巨大なフィールドに彼はいる。


 そこにいるのは弥助だけではなく、数多くの妖がいた。

 フィールドをぐるりと囲むようにして存在している観客席に座っているのも勿論小雪だけではなく、沢山の妖が。その殆どは男で、小雪以外の女の姿は少ない。その数少ない女も、中身が限りなく男に近いだろう者が大半を占めているように思えた。

 小雪のように膝の上に手を置き、気持ち体を小さくさせながら大人しく眼下に広がるフィールドを見つめている者などおらず、皆立ち上がったり、天へ向けて突き上げた腕を振り回したり、両手を口の脇に沿えて叫んだりしていた。その叫ぶ声のうるささ、汚さ、乱暴さといったらなく小雪はそれを聞く度萎縮し、憂鬱な気持ちになるのだった。


「いいぞ、やれ、やっちまえ!」


「そこ、そこだ、おお、素晴らしい!」


「ああ後ろ、後ろ!」


「何しているんだいこのとろま! そんなんじゃあとてもじゃないけれど勝ち残れやしないよ!」


 興奮気味に放たれる言葉の数々は底へ、底へと沈んでいった。沈んでいった声を一身に浴びる妖達はますます活気づき、手を、足を、全身を激しく動かしてどったんばったん。

 砂埃舞うフィールド。そこで行なわれているのは手に汗握る白熱のバトル、拳と拳ぶつかる戦い。


 小雪のいる建物は闘技場。ここでも様々なイベントが連日行なわれる。

 術や飛び道具使用OKな戦い、運動会のようなもの、トーナメント戦等。


 今行なわれているのは『新年だよ! 闘技大会』の予選。参加者全員で殴り合い、蹴り合い、自分以外は皆敵のドタバタバトルを繰り広げる。

 もう戦えない! という者は一つずつ配られた白旗を上げ、退場する。一定の人数が残るまで戦い、残った者達でトーナメント戦を行なうというものだった。

 本日一日の午後からは更に大規模な闘技大会が行なわれる予定で、そこには今参加している者達とは比べ物にならない位の力を持つ妖達が集合する。今行なわれているのは直前祭、と呼ぶべきもの。


 この大会の場合霊力、妖力と呼ばれるようなものや道具を使うのは禁止で、頼れるのは己の拳や足のみ。

 小雪は手に持っている筒を目に当て、筒の先についているレンズ越しにフィールドの様子を時々眺めた。自然とどこかにいるはずの弥助の姿を追いかけ、その姿を認めると心臓が高鳴る。


(本当、楽しそう)

 フィールド上で戦う弥助の表情は、それはそれは生き生きとしていた。飛びかかってきた妖をぶん投げたり、相手のパンチを手で受け止め、直後強力なパンチをお返ししたり、がっちりした足で蹴りをお見舞いしたり。彼の一撃は相当重いらしく、あまり強くない妖等は一発で沈んでいく。だが彼は全力を出していない。そのことは格闘云々に疎い小雪にも容易に察することが出来た。彼が本気で蹴ったり殴ったりしたら、相手はどうなってしまうのだろうと考えたら冷や汗たらり。

 フィールドには弥助以外に見知った妖がおり、そちらも彼以上の巨体を動かし妖達をばったばったとノックダウンさせるのだった。弥助もその妖も思わず惚れ惚れとしてしまう位見事な動きをしている。華麗、と呼ぶにはあまりに乱暴で荒々しい動きだが、汚く醜いわけでもない。猛々しい神に捧げる、豪快で野生的なものを感じさせる舞でも舞っているかのようで。

 それでも、と小雪はため息をつく。


(私には全く理解出来ない。誰かを殴ったり蹴ったり、誰かに殴られたり蹴られたりして痛い思いをすることのどこが面白いのだろう)

 弥助は強かったが、それでも少しも攻撃をその身に受けないということはなかった。小雪が覗いているレンズに、思いっきり顔面を殴られた弥助の姿が映り、彼女は思わず短い悲鳴をあげる。唇が切れて血が出ていたが、彼は意に介さずにたりと楽しそうに笑った。相手が強ければ強いほど燃えるとばかりに、嬉々とした表情で殴った相手と取っ組み合いを始めた。


(全く、楽しそうに笑っちゃって。見ているこっちの身にもなれってんですよ)

 小雪ははらはらドキドキ、彼が殴られたり蹴られたりするのを見る度心臓が止まりそうになる。他の妖達が盛大にやられる姿を見てもドキッとした。

 もう見ていられないと一度小雪は筒から目を離す。だがどうしても弥助のことが気になり、またしばらくすると再び筒を持ち上げ、目に当てる。

 周りにいる観客達はますます盛り上がっており、フィールドに投げかける言葉も段々乱暴なものへと変わっていっている。彼等は拳と拳のぶつかり合いを見ることを、心の底から楽しんでいるようだった。小雪にはその気持ちが理解出来ない。


(弥助と出会って、私は色々なことを学んだ。色々な世界を知って、少しも面白いと思わなかったものを面白いと思えるようになった……けれどこれは、嗚呼、駄目。どうしても面白いとか楽しいとか思えない)

 好き、嫌いがある。それが生き物である。そういったものが全く無かったといっても過言ではなかった昔の自分は生き物ですらなかったのかもしれない。


 やがて、試合終了を告げる鐘が鳴った。弥助は危なげなく残り、本戦へと駒を進めた。喜ばしいことか、残念なことなのかいまいち分からない小雪。だがまたはらはらしながら弥助が戦う様を見なければいけないかと思うと胃がきりきりと痛む。

 弥助は嫌なら途中で帰っても良いと言っていたが、小雪は帰りたいとは思わなかった。ここで別れたくはなかった。せめて初日の出を一緒に見るまでは、彼の傍にいたいと思う。


(だから、お願いだからさっさと負けて戻ってきて)

 と思わず願ってしまったが、負けるということは弥助がぼこぼこにやられるということで。そんな姿を見続けることなどとても耐えられない。

 あまり勝ち続けるのも困りものだが、負けて欲しいと強く思うことも出来ず、困り果て、ほとほと。


 そんな彼女の心など露程も知らない弥助は、本戦も予選と変わらず、むしろそれ以上に楽しんでいる。一回戦は危なげなく勝ち、複雑な気持ちを吐き出すように呼吸した小雪の姿を見つけ、まるで子供の様に無邪気に笑いながら手を振った。そんな笑顔を向けられた上に、注目も集めてしまうこととなった小雪は顔を真っ赤にしながら俯く。危うくあの馬鹿! と叫ぶところだった。


 それからしばらくして二回戦が始まる。一回戦と違い楽勝、というわけにはいかず、基本的に弥助が優勢なのだがなかなか勝利をつかめない。

 相手の攻撃を受け流しつつ攻めることも忘れない弥助の姿を見ながら、小雪はここに来てから何度ついたか分からないため息を、再びついた。


(本当殴り殴られ……そんなもののどこが楽しいのだろう。観客達もますます盛り上がっていて……どうにも理解出来ない)

 そんな小雪の隣で二人の妖が熱心に語り合っていた。どうやら今行なわれている試合について話しているらしい。


「あっちの緑の甚平着た……弥助だっけ? あいつなかなかいい動きしているな」

 小雪の耳と心臓がびくっと反応。


「ああ。相手も相手だが、あっちの男の方が一枚上手だな。最低限の力だけ出して戦っている」


「無駄のない動きをしているって感じだな。ああいう図体でかい奴って何も考えず、ただ闇雲に動き回ったり、出す必要の無い力出してすぐへばったりする奴多いんだがなあ」


「見た目頭悪そうだが、馬鹿じゃあないのかもなあ」


(いや、あれは馬鹿です。大馬鹿野郎です)

 小雪は二人にそう言ってやりたかったが、ぐっと堪え、我慢。一方弥助が褒められていることをまるで自分のことのように誇らしく思う自分もいた。

 二人は終始語り合っており、小雪はレンズで時々対戦の様子を見ながら二人の会話に聞き耳をたてる。

 腰の入った見事な蹴りだとか、距離のとり方が上手いとか、今は攻めていけただろうとか……そんなことを延々と話している。小雪にはその話の意味が殆ど分からなかったし、聞いたからってこの闘技大会を面白いと感じるようになることはなかったが、それでも聞いてしまう。


 最後、弥助の回し蹴りが決まり相手は遠くまで吹っ飛ばされ。当たり所が悪かったのかぴくりとも動かなくなってしまった。一瞬小雪は死んでしまったのだろうかと思ったが、ただ気を失っているだけだと分かりほっとする。


(こんな催しで死んでしまったらしゃれにならないわ)

 続いて三回戦目もそれなりに苦戦しつつも勝ち、次の戦いへ。

 次の対戦相手というのが……弥助及び小雪の知人であった。


 林檎の様に真っ赤な肌、百八十五センチはある弥助よりも更に高い背、真っ直ぐ伸びる鼻。足を広げ腕を組み、目の前にいる弥助を睨むその姿は幼い子供なら、いや、人間の大人が見ても泣いてしまうのではないかという位怖い。


「ほう、次は貴様か。楽しい試合になりそうだな」


「全くっすよ。こりゃ今まで以上に気を引き締めていかないと死んじまうっすねえ」

 弥助は目の前にいる男――鞍馬を前に頬をぺちぺち叩いて気合注入。

 体格だけ見ると、鞍馬の方が優勢。だが体が大きいから勝てるというものではない……それは小雪にも何となくは分かっていた。


 間もなく始まった試合は、観客達を大いに沸かせた。


 ぶつかり合う拳、弥助が吹き飛び、かと思えば今度は鞍馬が遠くまで吹っ飛ぶ。天高く突き上げるように繰り出された弥助の蹴りを受けるは鞍馬の腕。

 鞍馬の掌底(しょうてい)は小雪の目には決まったように見えたが、隣にいる妖曰く浅かったらしい。もう何がどうなると決まっているのかとか、浅いとか深いとか小雪には分からない。ただ、二人の試合が少しも目を逸らすことの出来ないようなものであることは分かった。強く握りしめた手のひら、滲む汗。

 素早く弥助がしゃがみ込み、鞍馬の足を払ってバランスを崩そうとする。だが鞍馬はひょいっと飛び上がってかわす。全くその動きが実に華麗で、体の重さを感じさせない実に軽々としたものだった。見た目は弁慶だが、その時の動きは牛若丸の方に近いかもしれなかった。


 彼等は互いの攻撃をかわしたり、受け流したりしながらフィールドを縦横無尽に動き回る。

 途中までは全く互角の戦いだったが、時間の流れと共に徐々に戦いの流れも変わっていった。

 弥助が鞍馬を圧し始めたのだ。鞍馬が段々彼の攻撃を受けきれなくなってきている。小雪が見ても分かったのだから、明らかに状況は変わっている。


 一度崩れた均衡は簡単には元に戻らない。そのままあれよあれよという間に追い詰められた鞍馬は最後、弥助の蹴りをまともに受けてダウンした。彼は悔しそうな表情を浮かべながら降参の意を示す。

 試合終了と共に、先程まで以上に大きな歓声があがった。

 立ち上がった鞍馬はにかっと笑う。


「矢張り単純な喧嘩では貴様には勝てぬな」


「まあ、術とか使っていいよってなったら鞍馬の旦那には勝てないっすねえ。あっしはそういうのからきしだし、防ぐのも下手だし」


「次こそは勝ってみせる。貴様に負けっぱなしというのは許しがたい屈辱だからな。いずれまた機会があれば手合わせ願おう」


「勿論っすよ」

 弥助と鞍馬は互いの健闘を讃えあい、がっちり握手する。


「拳と拳で語り合う友情。いいなあ、こういうのも」


「俺達には真似出来ないけれどなあ」


「私も絶対真似なんかしたくない……」

 ぼそりと小声で、小雪。


 結局弥助は決勝まで行くことなく完膚なきまでに叩きのめされてしまった。鞍馬との戦いで体力を消耗していたのもあるが、それ以上に相手の実力が違いすぎたことが敗因の多くを占めるものだったようだ。ただ周囲の客曰く、彼は力を出し切っていなかったようだが。しかしそれはきっと相手も同じだろう。

 小雪の所へ戻ってきた弥助はあちこちぼろぼろだし、汗臭い。


「随分ぼこぼこにやられましたわねえ。残念でしたわねえ、優勝できなくて」


「別に優勝することが目的だったわけじゃあないからな。本気の本気になりゃもう少し頑張れたかもしれん。しかしお前、随分嬉しそうな顔をしているなあ。あっしがぼこぼこにされたことがそんなに嬉しいか」


「嬉しいですわ。お前なんかまだまだひよっこの狸ちゃんですと馬鹿にすることが出来るんですから」


「お前本当性格悪いなあ!」


「悪くて結構! それよりさっさと出ましょう。ここにずっといたって仕方無いでしょう? 楽しめる場所は何もここだけではありませんわ」


「出来れば決勝戦までここに居て観戦していたかったんだが……仕方ねえなあ。今日はとことん付き合ってやるよ、お姫様」

 ぽりぽり頬をかきながらも弥助は微笑み、小雪に手を差し伸べる。その手に自分の手を重ねたいのは山々だったが、やっぱり恥ずかしかったので小雪はぶるぶる首を横に振り、真っ赤になった顔を彼に見せないようにしながら走り出す。


「汗臭いお前の手なんて触りたくないってんですよ!」


「あ、てめえそういうこと言うか! いいか、この汗はなあ男の勲章で」


「うるさい、うるさい、うるさい! 男の勲章なんてどうでもいいってんですよ! ほら、さっさと行きますよ!」


 闘技場を出て、再び様々な催しで賑わっている通りへと向かう二人だった。


 出雲と鈴は歳寿京のはずれの方にある川を眺めていた。ござを敷き、そこの上で飲めや歌えやの大騒ぎをしている者もいたし、酔った勢いで川に飛び込んで「ひええ、寒い」と悲鳴をあげている者もいた。出雲達同様特に何をするでもなくのんびりまったりとしている者もいる。時々出雲は酔っている妖達に絡まれそうになったが、その度氷のように研ぎ澄まされた殺気を出すことで、口に酒を流し込まれたり、無理矢理川に引きずり込まれたりすることを避けた。


 いつもと変わらず月は優しく微笑みかけている。その輝きは気のせいか、いつもより増しているような気がした。初日の出、必ず見ようという声があちこちから聞こえる。どうして元旦に見る日の出は特別に見えるのだろうという声も彼の耳に届いた。出雲は幾度となく初日の出を見てきたが、他の人ほど感動を覚えはしない。ああ昇ってきた、まあいつもと同じだよねえ……そんなあまりにつまらない感想しか抱かないから、初日の出を見ることにこだわっている者の気持ちは良く分からず。


 年が明けてから鬼灯の主人や柳、白粉等に挨拶をした。やた吉やた郎も出雲の姿を認めるなり挨拶をしてきたが、そのまま普通に返したらつまらないので二人が半ば泣き顔になるまで無視し続けてやった。小雪にも挨拶をしようと思ったが、すぐ近くに弥助がいたので結局せず。あの馬鹿がいない時にでもしようかと鈴と二人で話した。


「それにしても。何だって彼女はあんな馬鹿狸なんぞに惚れてしまったのだろうね」


「外の世界に目を向けるようになった後……弥助と出会っていたら、きっと、好きになんて、なっていなかったと思う。自分に世界を、心を教えたのがあれだったから、ただ、好きになっただけだと思う」


「あれへの感謝の気持ちとかを恋愛感情と履き違えているのかねえ」

 それはどうかなあ、と鈴は小首を傾げる。


「喜びや悲しみを教えたのがあんなものじゃなくて、もっとましな奴だったならもっと幸せになっただろうに。よりにもよってあんな狸なんぞに……可哀想な小雪」

 小雪が聞いたらきっと怒ったに違いない言葉を、抑揚のない声で呟く出雲だった。それからすぐ「まあ、どうでもいいや」と言いそれ以上小雪と弥助のことについて何か言うことはなかった。

 鈴は出雲の言葉を肯定も否定もしなかった。


「私を助けてくれたのが出雲で良かった」

 ありがとうと出雲は微笑み、そう言った鈴の頭を撫でてやる。鈴は照れくさそうに笑いながらごろごろと喉を鳴らす。


「しかし一年というものはあっという間だね。人間も一年をあっという間に感じるというが、我々ほど早く感じはしないだろうねえ。それとも、実の所彼らの方が早く感じるのかな。人間の時間感覚が分からないからなんとも言えないね。ま、年が変わったところで何が変わるわけでも無いけれど。去年と同じことをただ繰り返す。……紗久羅達と遊べるようになったこと位かな、変わったことといえば。去年は一年の半分も遊べなかったけれど、今年は丸々彼女達と遊べる。そう考えると、わくわくするよ」

 目の前を絶えず流れる川の様に、きらきらと輝き、さらさらと流れる藤色の髪は、遥かな時を感じさせる。目の前にある川もまた同じように悠久の時を感じさせてくれるものだった。大きく変わることのない時間、日々。いつも、いつも、同じ。ずっと、ずっと、同じ。

 鈴は抱えていた鈴カステラを一個口に放り込む。それから出雲をじっと見つめる。


「飽きるまで、遊ぶの」


「うん、飽きるまでね。飽きた後も変わらず遊んでやれる程私は強くないんだ、私は。私の心は硝子のように脆い」

 嘘ばかり、と鈴が冗談めかして言うと出雲は酷いなあと笑いながら彼女をくすぐってやる。くすぐられた鈴は普段はあまり出さないような声を出しながら無邪気に笑った。彼女がそんな笑みを見せるのは出雲の前だけだ。

 くすぐり地獄(或いは天国だろうか?)から開放された鈴は急に真面目な顔つきになり、前髪に隠された二つのくりっとした瞳を出雲に向けた。


「ねえ、出雲。出雲はいつか私にも飽きてしまう? 私のことを置いて、どこかに行っちゃう? いつかそういう日が……来る?」


「まさか。私が鈴に飽きてしまうことなんて、あるはずがない。私は鈴の傍にいるよ、ずっと、ずっとね。……鈴の傍から離れる日が来るのだとすれば……それはきっと、私が死んでしまう時だよ」

 鈴はほっとしたのか、微かに笑んだ。


「それじゃあ、まだまだ一緒にいられるね。出雲はきっと長生きする。ずっとずっと生きて、私と一緒にいてくれる」


「憎まれっ子世にはばかるというからね」

 冗談を言って出雲が笑う。相手が紗久羅だったらきっと「ああその通りだな」と頷くに違いなかったが、鈴はそんなことなどしない。そんなこと言っていないよ、出雲は憎まれっ子なんかじゃないよと一生懸命首を振る。またその仕草が愛しくてたまらなくなり、出雲はまた彼女の頭を撫でてやった。彼にとって彼女は娘の様な存在だった。紗久羅のことを変わらず大切に思い続けることが出来るかどうかは分からなかったが、鈴と一緒にいることに飽きてしまって、彼女の前から姿を消してしまうことなどはない――と彼は確信していた。


(そうきっと、鈴と別れる日は……私が死ぬ時だ)

 鈴に言った言葉は冗談などではなかった。心からの言葉だった。


「今年もきっと愉快な年になるだろうねえ。二人の『サクラ』やかず坊達で……いや、達と沢山遊ぶんだ。飽きる程、そして飽きるまで遊ぶんだ。勿論鈴ともいつもと変わらぬ日々を一緒に過ごすんだ」

 鈴はこくりと頷いた。


 それから数時間後、夜の世界を照らす朝日がその姿を現した。多くの妖が初日の出に見入り、感嘆の声をあげる。妖達が見ている日と、人間達が見ている日が同じものであるかは分からない。だが、妖も人間も、初日の出を見て感動し、そしてそれを見ながら今年のことについて思いを馳せることに変わりはない。

 出雲は鈴と一緒に初日の出を見た。けれどやっぱり感動を覚えることはなかったし、特別何か思うこともなかった。ただああ朝が来たなあと思うだけだった。


 弥助と小雪も二人並んで、甘酒を飲みながら初日の出を見た。改めて「今年も宜しく」と弥助に言われた小雪は「まあお前がそこまでいうなら宜しくしてやってもいいですよ」とかなんとか言いながら、嬉しくてにやついてしまうのを一生懸命堪えた。

 鬼灯の主人と柳は仲良く寄り添いながら、べろんべろんに酔っ払っている白粉は猫太に首を巻きつけながら、鞍馬はおちょこ片手に一人微かに笑いながら、やた吉とやた郎は初日の出が昇る前後にだけ店に出る『日の出饅頭』と『日の出汁』を手に持ちながら、その時を迎え。


 人間達はというと――紗久羅を始めとした殆どの者はその時間もぐうすか眠っていた。菊野や秋太郎は朝日を目を細めながら見つめ、さくらは今年も素晴らしい年になりますようにと日に向かって手を合わせ、そう心の中で願った。


 年というものはたった一つ。だがその年をどう過ごすか、どんな思いを抱きながら過ごすか――それは人それぞれ。何一つ同じものなどない。それぞれが、それぞれの年を過ごす。


 今年はどうなっていくのか。どんなことが起きるのか。思い通りの道を進むことが出来るのか。それを知る者は誰も居ない。神でさえ、きっとそれを知ることはないだろう。


 新しい年は、まだ始まったばかりである。

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