行く年 来る年(7)
*
(嗚呼、これは最悪の展開……)
先程までにこにこ笑っていた小雪は今、頭をじんじんとした痛みが襲った為に、こめかみの辺りを押さえていた。
小雪の頭痛の原因たる二人からは、嫌悪、憎しみ、殺意のオーラが出ており、明るくて幸福に満ち足りている空気を著しく澱ませている。二人が顔を合わせるとこうしていがみ合わずにはいられない。それを見て小雪はただただため息をつくばかり。
時間はほんの少し戻る。
あれもこれもと美味しそうだと思ったものは全て口の中へ放り込んだ二人だったが、あることを思い出し、ある通りを目指す。
その通りにあるのは屋台ではなく、殆どがちゃんとした店である。戸や壁等で隔てられてはいるが、中から出汁や油のからっとした香り等がぷんぷん漂っており、散々物を食べてきた二人の腹をいとも簡単に鳴らすのだった。
居酒屋や洋食屋(但し家屋は和風)等色々あるが、特に多いのは蕎麦屋であった。こういった店の集まった通りは他にも幾つかあるが、そのどこもが大混雑。特に蕎麦屋の人気具合はずば抜けており、他の店よりも階数が多かったり、部屋の規模が多かったりするにも関わらず店内はぱんぱん。ちなみに蕎麦を食べる文化が無い所に住んでいる者達も、ここ歳寿京では好んで蕎麦を食べる。
屋台のある通りと比べ、この通りの道は広めに出来ている。だが少しも広く見えない。
「流石大晦日。すごいですわね」
「ここは今夜が一番騒がしいっすからねえ。他の日も充分喧しいがな。……しかし夜になってますます混雑しているなあ!」
料理の良い香りと、人々の喋る声と、幸福に満ち足りた気持ち、彼等から放たれているすさまじいエネルギー等がぐちゃぐちゃに混ざり合ったもの、それこそが歳寿京を歳寿京たらしめている。
「けれどやっぱり年越し蕎麦は食いたいからなあ。たとえ長い時間待つことになってもさ。蕎麦、蕎麦、愛しの蕎麦! おお蕎麦よ、どうしてお前は蕎麦なんだ!」
「何を訳の分からないことを。そんなに蕎麦が好きならば、いっそ蕎麦になって誰かに食べられてしまったら? そうすればうるさい狸がいなくなってせいせいします」
「お前は毎回毎回、あっしと会う度憎まれ口を叩くな……」
「あ、けれど弥助蕎麦なんて食べたらきっとお腹を壊してしまいますね。ものすごく不味そうですし」
「お前今度寝ている間につゆの入ったあつあつの鍋の中にぶちこんでやるからな!」
むきいと怒った弥助はそう言って彼女の頬をつねろうとするが、残念ながらほっそりとした小雪の頬にはむにゅうっとつねれる程の肉が無い。
手で頬を触られた小雪はみるみる内に真っ赤になり、直後ぱちん! という良い音。近くにある店に掲げられている提灯の様な色になる弥助の頬。
「くそう、何であっしばかりこんな痛い思いしなくちゃいけないんだ」
とぶつぶつ文句を言いながら、彼はここにしようと決めた店に手をかける。
そしたら、弥助が開く前に戸ががらがらと開いた。どうやら丁度店を出る者がいたらしい。
おっとごめんよと戸の前から退いた弥助だったが、そこから出てきた人物の姿を見た途端「げえ」という声をあげる。
愛らしい瞳を隠す前髪、赤い着物の小さな娘。化け猫の鈴である。彼女も弥助の姿を認めると、明らかにむすっとする。いつも不機嫌そうな顔をしているが、彼と会った今殊更機嫌が悪くなったようだ。
それは弥助も同じだった。鈴は小雪以上に人付き合いや人混み、騒がしい場所が苦手で、まず一人でこのような場所に来ることは無い。
彼女には確実に連れがいるだろう。そして、その連れというのはいつも同じ人なのだった。弥助の顔が歪んだのは鈴と会ったからではなく、彼女と一緒に行動しているだろう男のことを考えてしまったからである。
鈴は自分に続いて店を出ようとしている者の方をじいと見つめる。
「出雲……小雪がいる。後狸の大木も」
「狸の大木って何だよ!? 狸なのに大木ってどういう意味だ!」
「どぶみたいに汚い声がすると思ったら、やっぱりお前か」
のれんをくぐって出てきたのは二人が想像した通りの人物。凍てつく空気を受けてますます冷たく輝く藤色の髪と、赤い瞳――出雲だった。
鈴が店から出てきた出雲に飛びつく。
「折角美味しい蕎麦食べて幸せだったのに……弥助の顔見たら胃がむかむかしてきた」
「可哀想に。確かに私も美味しいもので満ちた胃がむかついてきた。気分が段々悪くなってきたよ、全く本当なんだってこんな良き日にお前なんぞと顔を合わせなくちゃいけないんだ」
鈴の頭を撫でながら、出雲は蔑むような目で弥助を見て嘆息。
それはこっちの台詞だぼけ、と弥助も負けじと言い返し彼を睨みつけ。
それから二人、近くにいるだけで頭や胃が痛くなるようなオーラを放ちながら、悪口合戦を始め――小雪は頭を抱え、鈴は出雲に加勢して時折ぼそぼそと弥助に対して毒を吐く。出雲一人にさえ勝てないのに鈴まで加わっては。全く出雲と言葉で喧嘩したって絶対勝てないことは分かっているはずなのに、毎度毎度同じことを繰り返す。
(全くこの仲の悪さ、どうにかならないのかしら。目が合えばすぐ言い合いを始めて……しかも行動範囲や知人や友人が二人共結構被っているから、しょっちゅう会ってしまう)
そんなことを考えていた小雪に出雲が顔を向ける。突然視線を向けられた小雪はぎくり。
「やあ、小雪。君も来ていたんだねえ……しかし何だって君はこんな馬鹿狸なんぞと一緒にいるんだい? 君のように可愛らしい人ならば、こんな奴なんかよりずっとましな男を誘うことも出来るだろうに」
出雲は小雪が弥助に想いを寄せていることを知っている。だからこれは、小雪への問いを介して弥助の悪口を言っているだけのこと。重要なのは質問の方ではないのだ。
そのことは分かっていたが、一応質問には答えなくてはいけない。さてどうしようと小雪が返事に困っていると、弥助が腰に手をあてふんと鼻で笑い。
「こいつが本当に一緒にいたい奴はここには来られない。なんたってそいつは人間の男なんだからな。ま、あっしもそいつの顔は知らんがね」
相変わらずの見当違いな答えに小雪の頭はますます痛むばかり。いっそ泣いてしまった方が楽になれるのではとさえ思う。出雲もそのとんちんかんな答えにため息をつくしかない。そして流石の彼も小雪を哀れむのだった。
「お前はいっぺん死んだ方が良いかもしれないな。まあ死んだ所で馬鹿が治るとは思えないが」
「お前の性格の悪さも、いっぺん死んだ位じゃ治らないだろうなあ! いっそのこと頭の中綺麗さっぱり掃除してもらえば、優しい優しい出雲さんになれるんじゃないっすかねえ?」
「お前こそ。嗚呼、失礼。馬鹿なお前の頭は元々空っぽで掃いて捨てるようなものが無かったねえ」
「何だとこの野郎!」
「それじゃあねえ、小雪。いいお年を。まあそこの馬鹿と一緒にいる限り、良い年を過ごすことも、迎えることも出来ないだろうけれど」
顔を真っ赤にして怒り、怒鳴りつけてくる弥助を完全に無視して出雲は鈴と共にさっさとその場を去ってしまった。小雪はようやくほっと胸を撫で下ろす。
(それにしても私が弥助のことどう思っているか知っているくせに、あんなことを言うなんて……ただ弥助を馬鹿にしたいが為に言っているだけなのでしょうけれど)
もしかしたら、自分が嫌う男のことを好いている小雪のことも、彼は快く思ってはおらず、弥助を馬鹿にして怒らせるついでに小雪のことも馬鹿にしているのかもしれなかった。だが彼の本心など小雪には分からない。きっと出雲にしか分からない。
しばらくの間は機嫌が悪く、あの野郎今度会ったら絶対首を折ってやるとか、あいつと会ったせいでこっちの胃もむかむかして気持ち悪いとかぶつくさ言っていたが、出雲と会ったことで沸いてきたあらゆる負の感情は昆布や鰹節でとった出汁の香りや、客達が蕎麦をすする音などでやがてすっかり流されたようだ。元よりどれだけ怒っていてもすぐけろりとするような男なのだ。
「はい、にしん蕎麦ととろろ蕎麦お待ち!」
「おばちゃ……いえお姉様、山菜蕎麦おかわり!」
「くそう、どれを食べるか全然決まらねえ! 一度に一気に注文するわけにはいかないし、かといって逐一注文していたら食いたいもの全部食い終わるまでにどれだけの時間がかかるか分からんし」
「喋っている間に麺がつゆ吸ってしまった……嗚呼見るも無残な姿に」
「ちょっと、薬味が終わっているんだけれど! 俺はあれをかけたいんだ! 寄越せ、俺の七味ちゃんを寄越せ!」
「鴨蕎麦お待ち……え、頼んでいない? 失礼いたしました、あれ、これどこに持っていけば良いんでしたっけ」
店の中は大勢の客と彼等に料理を運ぶ店員達の声、蕎麦をすする音でかなり騒がしい。隣に座っている人の声すら聞き取り辛く、大きな声で喋らなければいけなかった。そして皆して大声になるから余計うるささは増してしまう。
弥助と小雪は数あるメニューの中からそれぞれ巨大かき揚げ蕎麦(特盛)とざる蕎麦を選ぶ。客の数が数だけに注文したものはなかなか来なかったから、二人はそれまでの間色々話をしていた。弥助は元々声の大きい男だから良かったが、小雪の方はかなり声を張り上げなければ会話が出来なかった。
「蕎麦を食べたら『祝いの灯』を扱っている店を見に行くか。大分時間も迫ってきているだろうし、お前もあれ貰って参加するだろう?」
「はい。あれを空へ上げて、新しい年を迎えて……それから芋煮を食べて」
「お決まりの新年の迎え方っすね。祝いの灯は本当に色々な形があるよなあ……最終的には空に飛ばしてしまうから、形なんてどうでも良いといえば良いんだが、何かこだわっちまうんだよな。無数のあれが飛ぶ空の下、あつあつの芋煮をたらふく食って、皆と新しい年の始まりを祝って、お祝いを口実に酒をいつも以上に飲んで……あ、そうだ小雪。芋煮食って少ししたらやりたいことがあるんだが、良いっすか? ちょっと体を動かしたいんだ」
「え? ええ……ま、まあお前がどうしてもというのなら付き合ってやっても良いですよ」
「素直じゃねえなあ。と言ってもお前はただ見ているだけになると思うぜ。もし嫌なら途中で帰ってもいい」
「帰りません! 地の果てまでお前についていってやるってんですよ!」
と勢いで言ってしまってから、自分は何てことを口にしてしまったんだと赤面。対する弥助は小雪の真意など知る由もなく、そりゃあありがとうよと笑うのみだった。
そんな風に話している内に、注文した蕎麦が来た。弥助が注文した巨大かき揚げ蕎麦、巨大と謳っているだけあって上に乗っているかき揚げはかなり大きい。どうやら人参や玉ねぎ、桜海老等を混ぜて作られているようだ。かき揚げの大きさもさることながら、それを乗せている丼の大きさも半端無い。流石特盛、と小雪は横目でそれを見て冷や汗たらり。小雪の注文したざる蕎麦が並盛であるのに子供用に見えてしまうくらい。
宝石のように輝く麺、透き通ったつゆ。
弥助は早速箸をとり、まずはかき揚げの下にそれを上手く差し込むと中に入っている麺を引きずり出す。
「まずは麺だけで……っと。いただきます」
言うが早いか、じゅるじゅるずるりという音をたてて麺をすすった。あんまり豪快すぎるゆえ、つゆがあちこちに飛び散り小雪は顔をしかめる。
「もう少し綺麗に食べるってことを知らないんですかこの野蛮狸!」
文句言いつつ、自分もざるに盛られている麺をとり、つゆの入った木製の容器にそれを浸し、弥助よりもずっと上品にすすった。
美味しい。二人の口から同時にその言葉が出る。
口の中にまず飛び込んだのは出汁の香りと甘み。それからふわりと優しくやってくる蕎麦の香り。つゆだけでは、麺だけでは味わえない香りと味。
「ああやっぱり美味いっすねえ。特に大晦日に食べる蕎麦は格別美味い! ような気がする!」
「そこは言いきってくださいよ、全く。ああでも確かに美味しいですわね。ちょっと葱とか山葵も加えてみましょう」
「あっしはかき揚げと一緒に食べるか。かき揚げはさくさくの状態のものもいいし、つゆに浸して食うのも美味い。油と一緒に吸い込んだつゆがぐあってきてさあ。野菜の甘みも加わって、またこれ無しで食った時とは違う味が楽しめて。かき揚げはいいよなあ」
弥助はかき揚げの魅力について延々語ってから再び蕎麦を食べ始める。小雪も薬味を加えて色々味を変えながら食べた。
「美味いっすねえ、蕎麦。朝比奈さんも食べたのかなあ……確かご両親と一緒に暮らしているんだよなあ。三人で仲良くTV見ながら食べたのかな」
優しげな笑みを浮かべながら弥助は呟く。小雪はその名前が彼の口から出る度胸が痛むのを感じる。
(いっそあの娘のことを嫌うことが出来たら少しは楽になるのかしら。けれど嫌いようがないのよね、あの人……)
皆それぞれ色々な思いを抱きながら、蕎麦を食べる。体内に、思いに、つゆと蕎麦の優しい味わいが染み渡る。
弥助は相変わらず豪快に食べた。そのつゆが自分の方へ飛んでくる度小雪は彼のことを蹴飛ばしたくなったがぐっと我慢するのだった。
新たな年の訪れまで、後少し。
*
もう夜も遅い。この辺りでは有名で規模も大きな寺。普段はこの時間にもなるとここも静かで聞こえるのは鳥等の声……位のものなのだが。今日はいつもとは違い、随分と騒々しい。日中でもここまで賑やかなことはまずない。
そう、今日は大晦日。沢山の人達が除夜の鐘を聞いて年を越そうとこの寺を訪れていた。境内にはずらりと屋台が並んでおり、人々が夜遅くにも関わらず焼きそばや綿菓子、りんご飴を買い求めている。広い道は人でいっぱいで少し先も見られない。
「やっぱり沢山いるなあ! 夜遅くとはとても思えないや」
寒さ対策ばっちりの紗久羅は敷地をびっちり埋め尽くしている人々の姿を眺め、感嘆の声をあげる。その隣にいる柚季もそれに同意した。二人の後ろには紗久羅の父が立っている。流石に子供二人だけでは心配だとついてきてくれたのだった。
「けれど私達も馬鹿ねえ。明日もどうせ一緒に初詣に行くのに」
「まあねえ。でもいいじゃん。こういう時位馬鹿にならなくちゃやっていけないよ」
「あら、紗久羅は常に馬鹿だと思っていたわ」
「あ、言ったなこいつ!」
げんこつを振りあげてみせると柚季が「きゃあやめてえ、暴力反対」と笑う。
まだ出会って三ヶ月とはとても思えない位仲が良いなあ、と紗久羅の父が感心した風に言った。
三人は早速歩き始め、屋台の物色を開始する。
「柚季、今日は散々だったらしいなあ」
甘酒飲んでほっとしながら聞くと、柚季が顔をしかめた。
「それは……というかおじさんいる前でその話して、いいの?」
「ああ大丈夫。ま、聞かないフリをしてくれるよ」
それならいいんだけれど……と言ってから柚季は大掃除の時に起きた色々な出来事を次々と話していく。妖絡みの話だったが、この騒ぎの中では誰も二人の話など聞いていないし、妙に思うこともない。だからあまり気兼ねすることなく話すことが出来たのだった。
「もう大晦日の時位大人しくしてろって感じ! 勿論本当は大晦日だけに限らず、常日頃から大人しくしていてもらいたいけれどね! どうにか大掃除は終えることが出来たけれど、予定よりも時間がかかっちゃった。それでああやっと終わったこれでのんびり出来る……と思ったら今度は深沢君からメールが来て。頼まれごとされちゃった」
「なっちゃんから? 頼まれごとってもしかして『及川、どうか俺と付き合ってください!』って」
「違うわよ。どうしてすぐそういう方と結びつけようとするの」
「そりゃあ乙女だからなあ、あたしも」
「乙女って言葉がこれほどうさんくさく聞こえる日がこようとは。……兎に角そういうものではなかったわ。何か深沢君も妖絡みのことに巻き込まれたらしくてね。帰省していて今三つ葉市にいない九段坂さんの代わりにやってもらいたいことがあるって頼まれたの。まあとりあえずさっきメールが来て……とりあえずどうにかなったようだけれど」
へえそうなんだ、と紗久羅。
「そういえば九段坂のおっさんって三つ葉市出身じゃなかったんだっけ。すっかり忘れていたけれど。結構遠い所に元々は住んでいたんだよなあ。ところで柚季は冬休み中に行かないの、婆ちゃんのいる所には」
祖母との間に良い思い出が殆どないらしい柚季の顔が明らかに曇る。
「一応私一人で帰って、一泊だけする予定になっているわ。とりあえず今の所あの鏡女が封印されていた鏡が割れていることは知らないようだけれど……何か今から気分が重い。どうせ会っても妖絡みの話しかしてこないだろうし」
「さくら姉も相当だけれど、柚季の婆ちゃんもあれだなあ」
「臼井先輩といると何となくお婆ちゃんのことを思い出すわ……」
紗久羅はただ苦笑いするしかない。二人は明日の初詣でもお金を使うだろうから今日はあまり沢山使わないようにしようと最初の内こそ言っていたが、その決意も賑やかで楽しげな場と、無数の屋台の前に脆くも崩れ去り。紗久羅の父は二人の会話には殆ど参加せず、口を開くことは殆どなかった。その存在感の無さは二人が彼の存在をすっかり忘れてしまう位で。
だから彼が「もう少しで除夜の鐘が鳴り始めるだろう」と言った時紗久羅は身を震わせ、ぱっと振り返って「うわ、びっくりした! 何で親父がこんな所に!? ってああ、そっか今日ついてきてくれていたんだっけ」などと叫んでしまった。もう彼が保護者としてついてきてくれていたことさえ忘れていたのだ。
父の言う通り、やがて寺にある大きな鐘がぼうん、ぼうんと鳴る音が聞こえだす。大きな音は体中に響き渡った。
「いやあ響くなあ、こういう鐘の音って。何か体内にある悪いものを洗い流してくれているような気がするよ」
「悪いものと一緒に、私の中にある力も綺麗さっぱり消し去ってくれないものかしら。こんな力いらないもの」
切実な願いである。内にある煩悩を、悪いものを消し去ってくれるような音は、今年の終わりと新たな年の始まりがいよいよそこまで来ているということを教えてくれる。
迫りくる時に胸が高鳴る。
「なっちゃん今も起きているかな。零時になったらあけおめメールでも送ってやろうか」
「そう考えている人が多すぎて、上手いこと送れないわよきっと」
「それじゃあ今の内に送っておくか」
「年明ける前に送ってどうするのよ。明日の朝になってからでいいんじゃない?」
「そうだな。ま、年賀状も出しているしね。なっちゃんに送るのは今回が初めてだ」
とか何とか話している内に、とうとう一月一日三十秒前。カウントダウンを始める声がぽつぽつと聞こえだした。紗久羅と柚季もそれにならって二十、十九、十八……と二人仲良くカウントダウン。
その数字がゼロに近づくにつれ、人々の胸はどんどんと高鳴っていく。自然十秒前になると声が大きくなっていった。
五……四……三……二……一……。
「明けましておめでとう!」
零時ぴったりに二人はそう叫んだ。あちこちから聞こえる明けましておめでとう、とかあけおめ、とかハッピーニューイヤーとか、そういった声。同時に響き渡る最後の鐘。
「いやあ年が明けたなあ」
「けれど何かまだ実感がわかないね」
「実感はわかないけれど、なんかわくわくするなあ。そういえば柚季、今年の抱負は何にするんだ? 今年遭遇する妖怪を千匹以内に抑える、とか?」
「せ、千!? 馬鹿言わないでよ、もっと少ない数に設定してよ!」
「あはは。まあでも柚季が望む望まないに関わらず妖怪達は目の前にどんどん現れて、色々やってくるだろうなあ!」
「それは紗久羅も一緒でしょう! ああもう新年早々嫌な気持ち! 除夜の鐘にこの思い消してもらいたいわ!」
「残念、もう全部鳴り終わっちゃったよ。まあ兎に角今年もよろしくな」
「うん、今年もよろしく」
二人は握手し、今年も変わらず仲良くそしてお互い元気に過ごすことを誓い合うのだった。