行く年 来る年(5)
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再び舞台は歳寿京へと戻る。少しずつ地へと向かっていく陽。それが地平線に近づけば近づくほど世界は静寂に包まれていく……とも限らない。京の騒々しさは時が経っても衰えることを知らない。
地上が騒がしければ、空もまた騒がしい。
硝子玉にでも閉じ込めたいと思える位澄んだ色をした青空にも沢山の妖がいた。
「それい、今じゃあ、今じゃあ」
「ええいこの、大人しくその鉢巻を寄越せ!」
「隙あり! よし、奪ってやったぞ。ほほほ全く他愛もな……ああ、しまった!」
「痛い痛い! 降参、降参! だからそんなに引っ張らないでくれえ!」
「ひひひ、去年の雪辱晴らしてやったぞい」
「きゃあ、そんなに追ってこないで私困っちゃう!」
そんな声と共に限られた領域内をせわしなく動き回っている。彼等は赤、もしくは白の鉢巻を頭につけていた。毎年歳寿京上空で行なわれているイベント『魂盗り合戦』は今最高に盛り上がっている。それは運動会で言えば騎馬戦のようなもの。敵チームの鉢巻を奪い、鉢巻を奪われた者は『死人』となりその場から一切動けなくなる。先に敵チームの鉢巻を全て奪った方のチームが勝利となり、次の対戦へと駒を進めることが出来るのだ。
今はその決勝戦で、すでに敗退したチームの妖や運営が用意した席(巨大な鳥)に座る観客、自分の力で飛んでいる観客達が周囲を取り囲み声援をおくっている。
巨大な鳥、虹色に輝く羽を持つトンボの妖、夜の森を思わせる色の鱗を持つ龍、上半身は人間で下半身が蛇の女、烏の羽とくちばしを持つ小僧、体内で魚を飼っている超巨大錦鯉、一反木綿などなどが熾烈な戦いを繰り広げていた。
万が一彼等が落下しても、見えない網があるから地上まで来ることは無いから安心である。
奪い奪われ、逃げて、回って、飛んで、飛んで。フォーメーションを組んで相手を確実に追い詰めていったり、奇襲をかけたり、誰か一人を囮にしたり、力尽くで奪おうとしたり。
空で行なわれるイベントはこれだけにとどまらない。蔓と色とりどりの花で作った花ブランコに乗って空中散歩を楽しむというもの、一月一日から三日までの間決められたコースを休むことなく飛び続けるというただただ疲れるだけの恐ろしい競技、空に浮かべた鬼灯型風船を割り中に入っていた玉の色に応じた点数を得、最終的に一番多くの得点をゲットした者が勝利というゲーム、巨大カルタ大会IN上空、空中闘技大会、空中にセットされた障害物を避けながら進むレース等、それはもう色々なものが一月七日までの間に行なわれる予定だ。
多くの妖達が滑って遊んでいる、空高くから地上へと伸びる巨大スライダーを遠くに見ながら、水車に似た物を回している女がいた。それは狢と別れた白粉だった。目の前にある棒につかまりながら、受け板にあたる部分を踏んで水車(水は無いがとりあえずそう呼ぼう)を回している。その水車と彼女の背後にあるのは巨大な六角形の――福引で使われるガラガラがあった。白粉が水車を回せばガラガラも回る。彼女は今、指定の店で指定の物を食べたり、決められたゲームやイベントに参加したりすることでもらえるスタンプをためたカード一枚と引き換えに『足こぎ福引』に挑戦している。カードは今行動を共にしている猫太という妖から譲り受けたものだ。猫太は「それそれ頑張れ」と白粉を応援している。
胃を満たす食べ物を口から吐き出してしまいたくなるのをこらえながら(実際酒や食べ物で腹がいっぱいになっていた者が、この福引に挑戦している最中とても残念なことをしてしまった例は数多くあった)根気強く水車を回し続けている内、彼女の耳に待ち望んだからころとん、という音が届く。ガラガラから数字の書かれたこれまた巨大な玉が出てきたのだった。
傍らでじいっとしていた毛むくじゃらの巨人が玉を出てきた玉をつかむ。彼が手にすると大玉転がしに使う玉程の大きさがあるそれもドッチボールレベルのものに早変わりしてしまう。
「二十七番……」
巨人が数字を読み上げると「はあい」という女の声が聞こえる。白粉のいる所からは巨人が邪魔で見えないがテントがあり、そこから梅の花咲く鹿角を生やした女が読み上げられた数字に対応した景品を持ってきた。
どんな景品がくるだろうとどきどきわくわくしていた白粉が手渡されたもの……それは。
「おかめ……」
ぷっくりとした頬と思わず噴出してしまうような間抜けな顔。紛うことなきおかめさんであった。呆然としながら手に持った面を見ていると、けははははという変な笑い声をおかめがあげた。面についている口が動く。まさか喋るとは思っていなかったから流石の白粉も驚いてひいっと短い悲鳴をあげた。おかめは目玉をくりくり動かして白粉の姿をじろじろ見る。品定めしているらしい。
「なんだ、女かい。折角なら見目麗しい男につけてもらいたかった。全く無駄にでかい乳しちまって……あたしをつけることも出来るんじゃあないかい? まあ、そんなのお断りだがねえ」
耳が痛くなる位甲高い声で延々と喋るおかめを前に白粉はがっくりと肩を落とす。必死になって板を踏んで水車を猛スピードで回したことで生まれた疲労感が、一気に襲ってきた。
あのガラガラ、回すのは相当大変である。だが景品にはピンキリがある。……労苦が必ず報われるとは限らないということを身をもって教えてくれる素晴らしい福引である。
当たった景品を、抽選券となるカードを譲ってくれた友人に見せたら思い切り爆笑されますますテンションが下がる白粉だった。といってもすぐ元のテンションに戻ったが。
そんな福引会場の近くではわんこ蕎麦……ならぬわんこ汁粉大会なるものが開かれている。あんこで出来た汁入りのお椀に入れられる白玉団子を食べると、傍らに立っている女が新たに団子を椀の中へと入れる。これを延々と繰り返し制限時間内に一番多くの団子を食べたものが勝者となる……という大会だ。汁は望めば熱々のものに常時変えてくれる。さてこのわんこ汁粉、最初の内は美味しく食べられるが、しばらくすると味に飽きてくる。一応味を変える為の調味料も幾らか用意されているがそれでも限界というものはある。しかも汁が一瞬にしてよく絡まる団子は甘いから、徐々に胃がもたれてくるし、口の中もおかしくなってくる。また団子であるから腹も膨れてくる。この大会に参加しているのは三十人。皆甘党だが大分きついのか死にそうな顔をしながら半ば無理矢理あんこの絡まった団子を口の中へと押し込むのだった。
食べ物が関係したイベントはこれだけにとどまらず。
灯りの無い真っ暗な会場内で闇鍋を食らい(特別目の良い妖は目隠しをする)、中に入っている食材を当てる『冬の闇鍋大会』なんかは意外と人気で、野菜や単体で食べれば美味いが鍋の食材には決して向かないもの、単体で食おうが鍋に入れて食おうが不味いもの等の入った鍋を食らい悲鳴をあげ、悶絶しつつも皆楽しんでいる。白粉は猫太に(半ば嫌がらせで)連れていかれ、あまりの味に泣き、怒り、ぎゃあぎゃあ喚いたものの終わってみるとなんだかまたやりたくなり、その後も二回参加した。スリルと形容しがたい味の鍋は人によってはやみつきになるものだった。
他にもくじ引きで決めた三つの食材を使った料理を作る大会、大食い大会(ただし出てきた料理は一口で食べなければいけない)、巨大うどんと熱い出汁で出来た滝に打たれながらクイズに答えるという全くもって意味の分からないもの(落ちてきたうどんと出汁は巨人達が全て美味しく頂く)、数ある激マズ大福を交互に食べ、一つだけある普通の大福をあててしまうと罰ゲームという妙なロシアンルーレット等。
食べ物関係以外のゲームや大会、イベントは数え切れぬ程ある。歳寿京が開かれている間ずっとやっているものもあれば、特定の日や時間帯でしか行われないものもある。
白粉と猫太は道中巨大な金魚鉢を見かけた。それは自分達が普段住んでいる翡翠京にもあるもので、赤魚という女が『金魚捕り』なる遊びを提供している場だった。
「へえ、今年は赤魚の店も出ているんだねえ。今まではなかったよね」
「確か。まあ屋台もこういう店や催しも毎年少しずつ変わるからなあ。多分今の季節だと中に入っている虚水も温かいだろう」
「寒い時なんかはよく行くねえ、温泉みたいに体がぽかぽか温まるから。けれど一度入るとなかなか出られなくなる。こたつとかと同じさね」
その温もりを想像した途端冷たい風が吹き、白粉は身を震わせる。今すぐにでもその金魚鉢の中へ入りたかったが、入ったら言った通りいつになっても出られそうに無かったからやめておいた。
それから二人は、建物の中を縦横無尽に駆け回る、自分が嫌いな物に姿を変える的を撃ちまくるという色々意味でストレス発散が出来るゲームをやったり、自分オリジナルの『式神』を作り、競争や力比べなど様々な競技で競わせるゲームに参加したり、金棒を振って飛んでくる鬼の顔をしたボールを打ち返しまくる『鬼に金棒』というゲーム(早い話がバッティング)、上から降り注ぐ玉を避けつつ、突起物(ぽろっと外れるダミー有り)に手や足をかけて色や形がたけのこそっくりのタワーを登り、誰よりも早く頂上にある旗を取った者が勝ちというゲームで対戦相手達を蹴落としまくったり。
散々遊んだ二人だが、まだ遊び足りない。次は何をやろうかときょろきょろと辺りを見回した白粉は去年まで見た覚えがなかった巨大な建物を見つけた。
入り口前にあった看板を読んだところ、どうもそこには人の世――彼女達にとっては『向こう側』の世界にある様々な物が展示されているらしい。
昔こそよく向こう側の世界へ行き、人間を驚かせたり、彼等に悪戯したりしていた二人だったが、双方の世界を行き来することが容易に出来なくなった今は全く足を踏み入れていない。
「へえ、面白そうじゃあないか。人の世は随分変わったと聞くからね、きっと見たこともないようなものが沢山あるに違いない」
「橘香京で今人の世でよく食べられている、というものを口にしたことはあるが。少し覗いてみようか」
と二人はその建物の中に入る。彼女達同様人の世に今はどんな物があるのか見てみたいと思った妖は多いらしく、建物の中には結構な数の妖がいた。彼等は一様に目を輝かせ、興奮気味に展示されている物を眺めている。あちこちから驚きや感嘆の声や笑い声が聞こえてきた。
そこに飾られているのは洗濯機、携帯電話、サイリウム、携帯ゲーム機、ノート、スティック掃除機、冷蔵庫、クラッカー等人間からしてみれば全く珍しくない、見ても面白いとは微塵も思わないような物ばかり。レジスターや自動販売機等といった一体どうやって入手したのか分からないものもわんさかある。
だが、今向こう側の世界がどんな風になっているか知らない妖達にとっては最高に面白い展示会で。また展示物の多くは実際に手で触れることが出来た。
「何だこれは……おう、ここを押すと細い針の様な物が出てくる」
「携帯式の針かねえ。いつでもどこでも気軽に針治療が出来るとか」
猫太が触っているのはシャープペンシル。先端から出てくる細い芯を二人して物珍しそうに眺める。ちなみに変え芯もちゃんと用意されていた。
ああ成程、と何故か白粉の言葉に納得してしまった猫太は自分の手に芯を刺す。だが脆い芯は少し力を加えただけで折れてしまった。
「折れてしまったぞ。針治療には使えそうにないな」
「あ、ここに解説が書いてある。ふむふむ……どうやらこれは筆らしいねえ」
「筆? まさか、こんな細くてちっこいものが」
「でもここにはそう書いてある。ああ、この台の上にある紙で試し書きが出来るようだよ。何かすでに他の奴等が色々書いているようだけれど。なんだいこれ、随分薄い墨だねえ。しかも線も馬鹿みたいに細い」
他の妖が試しに書いた線を見て、白粉は顔をしかめる。猫太は芯を手で触りそれから首傾げ「にゃあ」と疑問の声をあげた。
「おかしいな、全然手に墨がつかない。墨が乾いてしまったのだろうか。けれど墨が見当たらない……これでは書けぬではないか」
「あ、解説にこんなことも書いてあるよう。この筆は上にある突起物を押し、芯というものを出せばすぐにでも物を書くことが出来るってさあ。ちょいとやってごらんよ。しかしこの紙も変だねえ。妙につるつるしている」
試し書きが出来る紙として用意されていたのはコピー用紙である。和紙とは全く違う手触りと見た目に白粉は驚きを隠せない。
猫太はそんな紙に芯の先をあて、恐る恐る線を引いてみる。すると細い線が紙の上に現れたので、彼は「ぎにゃあ!」と奇声をあげてシャープペンを思わず離してしまった。墨もつけていないのに線が書けたことに驚いたのである。
シャープペンの隣にはボールペンが展示されており、こちらもまた試し書きが出来た。青や緑、ピンク等の色をしたインク(彼等は墨と呼んだが)も彼等には珍しいものに見えた。
二人は数々の展示物を前に、まるで小さな子供のようにはしゃぎまくった。
「これは複製が容易に出来るからくりか。これがあれば書物の量産も簡単そうだな」
とコピー機の解説を見て猫太が感心する。白粉は泡立て器をしげしげと見つめている。とりあえず解説を読む前に自分で「これはこう使うのだろうか」と用途を推理するのが白粉は楽しくて仕方無い様子。
ちなみに電気を使う機械(一部)の近くには電気を生成できる妖がおり、実際に動かして使うことも出来た。白粉は泡立て器を肩にやる。
「これはあれかねえ、肩こりでもほぐす為の物かねえ。でもこのまま使っても大した効果はなさそうだ……おや、なんだいこれは……ってひいい!?」
スイッチを押し、電源をオンにしてしまった白粉の絶叫が室内に響いた。
遠くにはCDをフリスビーか何かだと思っているらしいミイラ男とフランケンシュタイン、美少女フィギュアの大きくて異様にきらきらした瞳に「何か怖い」と身震いしている鬼、子供向けの魔法少女アニメで出てくる変身コンパクトのおもちゃが発した声を周囲にいる妖の誰かが言った者だと思い込み、いきなり呪文を唱えだした変な奴は誰だときょろきょろ辺りを見回す妖、エアコンを冷風や温風を足にかけてくれる椅子だと思っている者などの姿。
「これを使うと遠くにいる相手とも会話出来ます? これに向かって喋ると声がとてつもなく大きくなって、相手にも届くってことかねえ。確かにそうすりゃあ遠くにいる人にも自分の声が聞こえるだろうけれど、これを使っている人の近くにいる奴等はものすごく大きな声を聞くことになって、あっという間に耳が壊れちまうよねえ。それとも最近の人間共の耳は進化していて、ちっとやそっとのことじゃあ壊れやしないのか」
携帯電話を開けては閉め、開けては閉めを繰り返す白粉にはいまいち『遠くの人と会話できる』仕組みが理解出来ない。
「こちらには火を使わずに米を炊ける釜がある。人の世とは随分便利になったものだ。勝手に着物等を洗ってくれるからくり等もあるようだし」
「成程、そりゃあ便利だねえ。人間達ってあたし達よりもずっと楽な暮らしが出来ているんだねえ。昔は大差なかったのにさあ」
「何でもかんでもからくりがやってくれる。羨ましい限りだ」
二人はそれから随分長い時間展示会を楽しんだ。見慣れぬ道具に何度も驚かされ、こんな物を作り出せる人間は頭がおかしいと褒めているんだかけなしているんだか分からぬ言葉を吐きながら。
さて。やや時間は戻り、白粉と猫太が色々と遊んでいる時のこと。
屋台が集まる通りも、空も、様々なゲームやイベントが開催されているエリアも非常に賑やかで、騒がしい。だがどこもかしこも騒がしいということはない。京の外れの方は喧騒を嫌う者達や、澱んだ空気を嫌う精霊達が好むような静かで落ち着いた時間を提供してくれる。
そんな静寂を求め京の外れへと向かって歩いている者が一人。さらさらとした長い髪に、陽の光を浴びた雪で作った糸で織ったような着物、冬の空のような色の帯。雪女の小雪である。
あつあつの料理を作っている屋台や、その周りを歩き回る妖達の熱気に当てられ、熱いものがあまり得意ではない彼女は顔をしかめる。他の妖達に比べて歩くスピードは速く、逆に屋台へ目を向ける時間は短く。それでも全く見ていないわけではなく、時々興味が沸いたものや特別目をひく物を見つけると少しだけ立ち止まった。眩い程輝く黄金の髪、白い肌、下半身は魚という見目麗しい人魚が、水を張ったたらいの中に座り、その青緑色の鱗のついた魚の部分を浸しつつ真っ赤な団扇をぱたぱた動かして魚を焼いている姿にはぎょっとして、思わずじろじろ眺めてしまう。
現時点では何かを食べる予定はあまりなかったが、匂いと音と見た目の魔力というのは恐ろしいもので。結局ほくほくふかふかながら粘り気もあり、優しい甘さと香り広がる南瓜の煮物、玉ねぎと人参がたっぷり入ったその強烈な酸っぱさと甘さがたまらない小魚の南蛮漬け、冷たいイチゴタルトを食べた。本当歯もう少し気になるものがあったが、それは『後』で食べようと決める。
途中でやた吉とやた郎に出会った。彼等はゲームやイベントには殆ど参加せず、ひたすら屋台を巡って色々食べていたと言う。その手には小さな玉ねぎを刺した串、カプレーゼの乗った使い捨ての皿、五平餅等がある。随分色々食べていますねと小雪が言えば、二人は苦笑い。
「年越し蕎麦食べるまではもう少し我慢しようと思っていたんだけれど、結局このざまでさあ……」
「俺達食べるか喋るか屋台を探しているか、そのどれかしかやっていないような気がする。沢山ある屋台通りをひたすら巡っているよね」
「後でちょっと遊んで、腹をすかせようかなって思っているんだ。射的とか輪投げとか」
「それ殆ど体動かさないじゃないですか……」
「ものの喩えだよ。あ、やた郎あっちにライスバカがあるよライスバカ!」
小雪が背を向けている方にあったライスバーガーを扱う店を発見し、やた吉が目をきらきらさせながらそちらを指差す。まだ手には殆ど食べていないいか焼き等もあるというのに、彼等それも食べる気満々らしい。
それじゃあまたねと二人は言うと、あっという間に小雪の横をすり抜けて行ってしまった。
(まあよく食べること。私はさっさとこの辺りを抜け出したいわ……本当熱くて仕方が無い)
火照る顔を手で扇ぎつつ、小雪は先へと進む。
道中着物姿のドラキュラ、簪つけた見事な髷にチャイナドレスといういでたちの明らかに和な顔をした女、袴姿の金髪の魔女といった外見と格好がちぐはぐな者を何人か見かけた。その姿を見る度小雪は心の中で「うひゃー」とか「うわあ」とかいう悲鳴をあげたが「どうしてあんな格好をしているのだろう」とは思わない。というのもこの京には『貸衣装屋』があるということを知っていたからだ。そこには様々な衣装があり、大抵の者は自分達が住んでいる土地に根づいているものではなく、普段は絶対身につけないような衣装を借りる。結果自身の顔立ちにはあまり似合わないものを身につけ、行き交う人々の目を奪うのである。
去年も小雪はある者に誘われてこの京を訪れたが、その時は酔っ払った白粉がリボンやレースがたっぷりついた、ふわふわしたミニスカートが特徴的なピンク色のドレスを着た姿を見た。それはいわゆる『魔法少女』のコスプレ衣装だったのだが、小雪も着ている本人もそんなことは知るよしもなく。彼女は絶句し、小雪を誘ってくれた者は腹を抱え、声も出ない位大いに笑った。
そのことを思い出した小雪は寒気に襲われた。雪女である彼女が寒気に襲われる程、強烈な姿だったのだ。そうしている彼女の隣を、うさぎの着ぐるみを着た者が通り過ぎる。それを見た彼女は再び寒気に襲われる。
(あんないかにも暑そうなものを着るなんて、ぞっとしますわ!)
屋台の集まる通りを抜けると、道は広々とする。やや開放的な空間に出たが、騒がしさは相変わらず。そこでやっている様々なステージ、ゲーム、イベントには矢張り彼女は殆ど目もくれなかった。柵の中を走り回るひよこを捕まえまくるという遊びにも、トマトに似た野菜を投げまくって真っ白な建物内や一緒に入った妖達の体を赤く染めまくるという遊びにも、マジックショーや漫才にも興味は殆ど無かった。
(もっと先へ行けば、大分静かになるはず。確か宮に住む姫様方が歌を詠む会や、野点等が開かれているんですよね……)
小雪はまだ行くまでにはもう少しかかりそうな、京のはずれの方へ目を向ける。北から東にかけて広がる森に見える、生い茂る木々よりなお高いやぐらの姿が目に入った。そこには里芋、人参、ごぼう、大根等が山ほどのった巨大ざるがあることを彼女は知っている。そのざるは、それに結んだロープを力自慢んの鳥の妖達がくわえて運ぶらしいと人から聞いた。
小雪は、そのやぐらの下で舞う女達の姿を思い浮かべる。それは去年見た光景。扇を手にひたすら彼女達は舞い、それからざるはやぐらから下ろされる。やぐらのすぐ近くには鍋があり、それを使って芋煮が作られるのだ。芋煮は和な味付けだが、海の外にある土地から来た者達にも毎年好評であるようだ。
(あれを食べると、年が明けたなって気持ちになります。とても熱いけれど、とても美味しいですわよねえ)
京のはずれまで行くと、矢張り大分静かになった。森の近くで行なわれている野点に小雪は参加することにした。赤い毛氈、傘と色とりどりの美しくも愛らしい和菓子、花をそのまま人型にしたような精霊達の姿に小雪はようやくほっと息をつく。普段精霊達は妖達と関わりをもとうとしないが、こういう場では別。精霊も妖も関係なく、皆で仲良くお茶を飲みながら話をしていた。話をしているといってもぎゃあぎゃあ喚いているわけではない。ここへ来る者の殆どは喧騒や暑苦しい空気を嫌う者。そういう者同士だからこそ割合仲良くこの場ではやっていけているのかもしれない。ちなみにもう少し離れた所では、西洋風の茶会、つまりティーパーティーも開かれているらしい。
苦いながらも上品な味わいの抹茶にほっと一息していた小雪は、やや離れた所でお茶を飲んでいる狢の姿を見かけた。彼女はわいわい騒ぐことも好きだが、こういう落ち着いた雰囲気も好む女性だった。小雪は立ち上がり、狢に話しかける。
「こんにちは、狢さん」
「あら小雪さんじゃないですか。今こちらへ?」
「ええ。あまり騒がしい所は好きではないので、こちらまで殆ど寄り道しないで来ました。まあ結局またあちらの方へ戻らなければいけないのですが。……後であいつとこの京を一緒に巡るのです」
元々あまり大きくない声がますます小さくなる。真っ赤になった顔を俯かせる彼女を見て、狢はふふっと笑った。
「成程。弥助さんと一緒に楽しむわけですね」
小雪が勇気を振り絞ってした誘いを快く受けてくれた相手の名。それをいとも簡単に言い当てられた小雪は顔から湯気をだしながらも頷いた。去年自分とこの京を歩き回ったのも、弥助である。
「良かったですねえ、小雪さん。白粉さんが聞いたら拗ねちゃいそうですね。あの人は意中の人と今年も一緒に行けなくてがっくりしていますから。弥助さんはまだここへはいらしてないんですか?」
「え、ええ。あいつは向こうの世界で仕事をしていますから。いつもより店は早く閉まるそうですから、もうしばらくすれば来ると思いますが。それまでの間はここでのんびりしていることに決めたのです」
成程、と狢が頷く。お菓子と一緒にお茶を飲む小雪に彼女は今日どこでどんな風に遊んだのか色々話してくれた。
「……それで、南瓜ランプというものを作ったんです。なかなか大変でしたが、面白かったです。今そのランプは預けているのですが。あれを持って歩くのはちょっと大変ですから。とても大きくて、柿のような色をしているんですよ」
「まあ、南瓜で? 海の外の人達の考えていることってよく分かりませんわねえ。そういえば私今日ここで南瓜の煮物を食べました。とても甘くて美味しかったですわ」
「南瓜の煮物ですか? いいですねえ、私好きです。後で食べようかしら」
白粉のように馬鹿みたいにうるさくない狢は、小雪にとってはとても放しやすい相手だった。小雪が少し静かにしたいと思った時は話すのをやめてくれるし、声もあまり大きくない。
(あいつも……弥助も、声は大きいし普段はうるさいけれど、必要以上に私に話しかけることはしない。私がぺちゃくちゃ喋ることを苦手に思っていることを知っているから……)
些細なことで、彼女は彼の姿を頭に浮かべてしまう。その度顔が赤くなるから、狢にも彼女が今何を考えているのかばればれである。
二人は時々他の妖や精霊とも喋りながら、静かな時間を楽しむのだった。