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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
行く年 来る年
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行く年 来る年(3)

「ああ、全く年に一度の大事な日だっていうのに……何が楽しくてあんたみたいな顔なし胸なし色気なしのないだらけ女と二人だけで過ごさなくちゃいけないんだい」

 腕を組み、その豊満で艶やかな体を揺らしながら歳寿京を歩く白粉。顔はここ数時間ずっとむすっとしたままで、何を見てもちっとも笑いやしない。

 その隣で延々とため息をついているのは狢。彼女に顔があったなら、きっとうんざりしたような表情を今浮かべているだろう。


 狢がそんな風になってしまっているのは、百パーセント白粉のせいである。

 白粉は鬼灯の主人とではなく、狢とこの京を回っている現状を快くは思っておらず、文句を言う。しかも一度や二度ばかりではない。数分に一度、或いは数秒に一度は「どうしてあんたなんかと」とか「鬼灯の旦那がいいのに」とかなんとか言い出すのだ。京で行なわれている様々な催しに参加したり、出し物を見たりしてもちっとも笑わず、それどころか「鬼灯の旦那と一緒に見ていれば楽しかったのに」だの「一緒にいるのがあんたじゃねえ」だのいちいち文句を言うのだった。

 そんな風に延々と理不尽な文句を延々と言い続けられたら、誰だってうんざりする。これが出雲や弥助なら無理矢理にでも白粉を黙らせただろうが、元来あまり気が強くなく、完全に下に見られている狢にはどうすることも出来ない。


「もう白粉さん、その話はよしましょうよ。そんな文句ばっかり言っていたら楽しめないですよ。歳寿京で飲み食いしたり、遊んだり出来る期間は短いんですから……めいっぱい楽しまなくちゃもったいないですよ」


「お黙りよ。そりゃああたしだって楽しみたいさ。けれど鬼灯の旦那が隣にいなくちゃ、楽しいものも楽しめないよ。ああ嫌になるよう、こんな良き日をよりにもよってあんたなんかと過ごさなくちゃいけないなんて!」

 白粉が狢に顔を近づけ、大きな声で怒鳴りつける。狢は両耳を塞ぎ、体を少し傾け、自分の方に迫ってきた白粉の顔から離れた。白粉は狢からすぐ顔を離すと今度はぷいっとそっぽを向き、ぶつぶつ小声で文句を言うのだった。その様子を見てまた狢は小さく嘆息。


「無理矢理人のこと引き連れまわしておいて、酷いです……」

 そう、狢もまた白粉と行動を共にすることなど望んではいない。むしろ誘ってきたのは白粉の方で。誘ったといっても「あんたどうせ一人だろう? しょうがないからあたしが一緒に回ってやる」とかなんとか言い、いやむしろ一人でのんびり回りたいですという狢の返事も聞かず彼女の腕を無理矢理掴み「人の親切を無下に断るもんじゃない」と言った――というかなり強引な誘い方というかなんというか。京に着いた後も狢の意向は完全無視、自分が進みたいように進み、やりたいようにやり。狢が一人で歩きたいと言えば「この人でなし」だの「鬼灯の旦那に振られて傷ついている哀れな女を一人にする気かい」だの言って狢を責める。そんな風に無理矢理行動を共にさせておいて「なんであんたなんかと」等と文句を言う。狢からしてみればもうふんだりけったりである。


「嗚呼、鬼灯の旦那と一緒に年を越したかったよう。今年こそはと思っていたのに。柳の姐さんの『お願い』さえなければ……まだあたしだって死にたくないよう……ああ、毎年鬼灯の旦那に断られる上に柳の姐さんから……ああ思い出しただけでも恐ろしい」

 柳に『お願い』された時のことを思い出したらしい白粉は急に立ち止まり、青い顔をしながら身を震わせる。


(どうして断られる上に怖い目に合うことが分かっていながら懲りずに毎年鬼灯の主人を誘おうとするのかしら……)

 柳が白粉にする『お願い』の内容よりもむしろ狢はそちらの方が気になる。

 白粉さんって学習能力ってものがないのかしら、とちらと頭の端によぎった考えがつい声に出てしまったが、幸い白粉は気がついていない。もし聞こえていたら今頃狢は白粉が伸ばした首で自身の首を絞められていたに違いなかった。

 

 さて、こうしてしばらくの間は非常に機嫌が悪く、狢を困らせてばかりいた白粉だったが時間の経過と共に落ち着いていった。元来飲み食い騒ぎが大好きな性質(たち)の女だ、妖達が楽しそうに笑う声やご馳走の数々、体蕩かす酒の匂いに囲まれながらいつまでも不機嫌なままでい続けることなど出来やしない。


 京の中心部は屋台が密集しているが、そこから離れると屋台の数はぐっと減り、イベント会場等が多くなる。整えられた道を取り囲む、芝生に覆われた広々とした空間には様々な建物や舞台がある。中心部に比べるとまだ密度が低い分開放的。更に外れの方にはごろごろ寝転がる為だけのスペースもあり、人混みに酔った者やパワーを使いすぎた者が草の上に横たわりぼけっとしている。基本的に京の中心から離れれば離れる程建物の数は少なくなり、静かになっていく。騒がしいことが嫌いなものや、清浄な気を好む精霊達等が好むようなイベントは殆ど京の外れで行なわれる。京の最北端には森があり、その森の奥に移された神々が宴を行なう社があるが、ここには妖も精霊も立ち寄ることは出来ないので、京を訪れる殆どのものがそこの存在を忘れている。


「おう、よい尻じゃあよい尻じゃあ」


「きゃあ、御戯れを」


「お前の尻はわしの尻!」


「いや、俺の尻だ!」


「きゃはは、うふふ」

 そんな桃色で馬鹿っぽい男女の声が今白粉と狢が歩いている道の両脇から否応無しに聞こえてくる。


 杭と紐で覆われた正方形の広々としたフィールドでいやらしくもばかばかしい阿呆としかいいようのない追いかけっこが繰り広げられていた。


 鼻の下を伸ばし、下卑た笑い声をあげながら男共が追いかけるのは、きゃあきゃあ言いながら逃げ回る女の尻である。逃げる女達はへそから太ももにかけての部分しかない妖達。つまりほぼ尻しかない。一体口も喉(というか声帯)も無いのにどうやって彼女達は喋っているのか、どこから声は出ているのか――喉はあるが口はない狢が喋ったり飲み食いしたり出来ていることも不思議だが、ある意味では彼女以上に不思議である。とはいえそんなことを気にしたり、本気でどういう仕組みなのか考えようとしたりする妖など殆どいない。


 ちなみに道を挟んだ反対側にあるフィールドでは、男と首から胸にかけての部分しかない女の妖の追いかけっこが繰り広げられている。薄布一枚で覆われただけの大小様々な乳(尻だけ妖怪も隠すところは隠している)、その中で自分が一番好ましく思っているものを持つ女を男共は追いかけているのだ。尻も同様に大きいもの小さいもの、張りのあるものや少しだけだれているもの等様々で、肌の色等もそれぞれ違う。看板に書かれた『貴方好みの尻が必ずあるはずです』という文章が実に阿呆らしい。胸だけの妖がいる方のフィールド前にも『その人に、その乳を』とかいう訳の分からないことが書かれた看板が立てられていた。

 そんな阿呆らしくもいやらしいことが白昼堂々と行なわれている。


「全く、胸だけ尻だけの女追いかけて何が楽しいってんだい。あああんなに鼻の下伸ばしちゃっていやらしいったらありゃあしない……鬼灯の旦那だったら絶対にあんないやらしい顔して女を追いかけはしない。しかもこの辺りだけ妙に酒臭いねえ……皆酒を飲んで酔っ払っているようだ」


「殿方って結局の所、女の人の胸とかお尻とかしか見ていないのでしょうか。そ、それならば顔がない私にも希望が……」

 一体何の希望があるというのか。きゃあきゃあと楽しそうな悲鳴をあげながら走り回る乳だけ或いは尻だけ妖と、それを追いかける男達の姿を見て顔がないことにコンプレックスを抱いている狢は妙に前向きな考えを持ってしまったらしい。

 それを綺麗にぶち壊してくれたのが、白粉である。


「乳と尻さえあればって……あんたそのどちらもろくすっぽないじゃあないか」

 白粉が指差す狢の体。確かに彼女の乳も尻も悲しいほど貧しく、乏しい。

 指摘されたくなかった部分を指摘されてしまった狢は涙声である場所を指した。


「だ、大丈夫です! 小さくたって……よ、世の中には小さい方が好きな殿方もいますから!」

 彼女が指差した先には、男のものとさして変わらない位小さな乳を文章にするのも憚られるような顔をし、気色の悪い声をあげながら追いかける男の姿が。

 確かにそれはそうだが、と見た者が吐き気をもよおす位楽しそうに乳を追いかける男の姿を見ながら嘆息。


「まああたしには関係のないことだがね。それよりさっさと先に進もうよう。こんなもの女のあたし達が見ていても、ちっとも楽しくないだろう?」

 そうですねえ、と狢も頷く。少し冷静になったらしい。

 

「鬼灯の旦那とは本当に大違いだよ、あそこにいる馬鹿共は……」

 とその場を離れさっさと進もうとした白粉の足が急に止まる。きゃあきゃあ言っている尻と、待て待てえとそれを追いかける男の姿に何気なく目をやった時、ふと脳裏にある風景が浮かんだのだった。妄想、という名の風景が。


 赤青黄色の花が咲き乱れる花畑、青い空。そこを走る白粉、彼女を追いかける――鬼灯の主人。白粉はぶりっこポーズをし、そりゃあもう幸せそうな表情を浮かべ、きゃっきゃうふふと言いながら鬼灯の主人から逃げる。鬼灯の主人は「待て待てこいつう」とかなんとか言い、絶対に本物の彼がしそうにもない下品な走り方で白粉を追いかける。

 妄想世界に入り込んだ白粉は、頬を染めながら体をくねらせる。彼女自身は気がついていないが、首もびよんと伸びていた。


「ああもう旦那、そんな駄目だよう……きゃっ、旦那ったら助平なんだから……ほうらほら、あたしを捕まえてごらん、ふふふ、うふふ、あはは、いやもうそんな旦那駄目そんなところ触っちゃ……んふふ」

 鬼灯の旦那ならあんなことしない、とか鬼灯の旦那とは大違いだとかそんなことを言った舌の根も乾かぬ内にこのざまである。

 狢は「何やっているんですか」と彼女をたしなめながら、その腕を引っ張って先へと進むのだった。


 しばらくしてようやく正気に戻った白粉と狢。二人はまた様々な場所を廻る。

 まずは『(あざみ)屋』という餅屋がやっている餅つきのパフォーマンス。砂糖や蜜とは違う甘い米の香りに誘われ、やって来てみればそこにあるのは人だかり。

 芝生の上にででんと置かれた巨大な臼の両脇には男が二人。鉢巻をしめた頭はつるつるで寒々しく、格好も寒空の下ふんどし一丁というものだったが、もりもりの筋肉や顔つきが非常に暑苦しい為意外と見ていてもそこまで寒く感じない。彼等の背には四つの柱に屋根をつけただけの簡素な建物があり、その下には恰幅の良い女達の姿。彼女達は彼等がついた餅を調理する役だった。


「今年も『手数え』をやるのかねえ。あれをちゃんと数えるなんてことあたしには出来ないよう」


「わしは去年、見事一番近い数字を言って豪華な物を貰ったぞい」

 白粉の隣にいた猫の妖が自慢げに言った。白粉は感心した風に頷く。


「へえ。それはちゃんと数えて当てたのかい?」


「いや、勘だ」


「そうだと思ったよう。あんな早いもの、並大抵の者では数えられないからね。まあ一応挑戦するけれど。他の餅つき芸もここはすごいし、何より彼等のついた餅は美味い」

 間もなく、二人の男による餅つき芸が始まった。彼等は目隠しをしたり、招いた楽士の奏でる音色に合わせたり、時々くるりと回ったり宙返りをしたりしながら餅をつく。その鮮やかさに観客達はいいぞう、いいぞうと声をあげる。

 次から次へと新しい臼が出てくるが、男達の餅をつくスピードやパワーはいつになっても衰えることがない。ただ適当についているということもなく、ちゃんと美味しくなるようについているのだった。彼等が餅をつく小気味良いリズムに少し離れた場所で踊りだす客もいる。

 彼等がついた餅を、女達がちぎり、あんこを入れたり黄粉をまぶしたり、ずんだやあんこをべったりつけたりする。醤油をつけて焼かれるものもあり、もち米の甘い匂いに混じって香ばしい匂いがした。何もつけずただ粉をつけて丸めただけの餅もあったし、男達はよもぎ入りの餅をつくこともあった。


 そして、最後。


「さあさ、皆様方。これで最後となります。……皆様おまちかねの『手数え』をいたします」

 杵を手に持っている男が声を張り上げて言うと、観客達から歓声があがる。


「よ、待っていました!」


「お手柔らかに!」


「今年こそは数えてみせるぞう!」

 白粉も「絶対当ててやるからねえ!」と叫ぶ。狢はただ楽しそうに笑いながら拍手するだけだ。


「では」

 男二人が深呼吸する。途端観客達が静かになった。皆集中しているのだ。集中しなければ『手数え』は出来ない。いや、集中していても殆ど出来ないのだが。

 餅を調理していた女の内の一人が手に小さな太鼓を持っている。その隣にはいつの間にやら百目鬼の姿。


「それでは『手数え』始め!」

 どうん、と太鼓の音が鳴り響く。すると男達は餅をつき始めた。だがそのスピードは今までと比べ物にならない位早い。あんまり早すぎて手の動きなど殆ど見えぬ。人間には到底目で追うことなど出来ない。その場で見ている妖達も人間よりはまし、という程度だった。ただ一人正確に数を数えることが出来ているのは太鼓を持った女の隣にいる百目鬼位。

 時々餅をつく役と餅を返す役が入れ替わり、臼も次から次へと新しいものが出てくる。

 白粉は目を凝らしてその様子を見ている。といってももう数などとっくに数えられなくなっていた。今年も勘で答えるしかないねえと内心思っているが、諦めてしまったことを周囲の者に気取られたくないからちゃんと数えているふりをしている。……そんな彼女の方を見ている者など誰もいないが。


 どん、どどどおん、どん、どおおん。


 最後に出てきた臼にのっていた餅をつき終えたのと同時に、太鼓の音が鳴り響いた。ふうとかいた汗を拭う男達に観客達は賛辞の拍手を贈る。同時に「今年も全然分からなかった」「あんなもの分かるわけがない」「あんまり力を入れすぎて目が死ぬかと思った」と今年も上手く数えられなかったことを嘆く声があがるのだった。

 手数えに参加を希望した者達に紙と、柄の部分を押すと墨が滲み出てくる筆が配られ、それぞれ男二人が餅をついた数を書く。つくのと返すのが一セット、それを何セット行なったかを書くのだ。皆ほぼ勘で書くから、数字は腹抱えて笑ってしまう位ばらばら。正確な数を数えている百目鬼もまた紙に数字を書いている。


 筆が回収された後、結果発表に移る。百目鬼が自分の書いた紙を観客達に掲げてみせ、そして答えとなる数字を読み上げた。


「ああ駄目だ……全然違う数を書いてしまったよう」

 あまりに正解からかけ離れた数字の書かれた紙を見て、白粉はがっくりと肩を落とす。一方正解に近い数字を書いた妖達は狂喜乱舞しながら百目鬼の前へと集まる。ぴったりの数を当てたものはいなかったが、かなり近い数字を書いた者は何人かいた(皆勘で当てたようだが)。彼等にはかなり豪華な賞品が渡された。この手数えというゲーム、どれだけ早い動きも正確に当てられる妖がやれば実に簡単なものだが、そういうことが出来る者は大抵このゲームに参加をしない。当たり前のように出来ることで賞品を貰っても仕方無いと考える者や、空気を読んでやろうと考える者が多いのだ。


 賞品は貰えなかった白粉だが、その後狢と一緒に美味しい餅をたんまり食べたら悔しい気持ちもあっという間に吹き飛んだ。



「ああ、醤油つけて焼いた餅ってどうしてあんなに美味しいんだろうねえ」


「私、あんころ餅が大好きです。あの店のあんこは甘すぎないので好きです。それにつきたてのお餅ってとても滑らかで、柔らかくて……最高ですよね。わさび醤油をつけて焼いた餅も美味しかったですよねえ」


「ただあんまり食べ過ぎるとおでぶちゃんになってしまうからねえ。ああ、あんたはもう少し食べても問題ないだろうね。というかもっと食べないと、出る所もでやしないよ」

 と彼女の尻と胸を同時に叩いてやる。狢はきゃあっと声をあげてから白粉に抗議する。


「もう、いきなり何するんですか!」


「あっはっは。いいじゃないか別に叩かれたからって減るもんじゃなし。というかそれ以上減りようがないだろうしねえ。さあさあ、さっさと次に行くよう」

 と次に二人が行った先には大きなステージがあり、そこでは人間の世界仕込のマジックやジャグリング、落語や漫才等をやっていた。中には幽霊もおり、生前は人の世界でそういったことをやっていた者もいた。


 様々なパフォーマンスを見て大いに笑い楽しんだ二人の目にお次にとまったのは布製のテント。だがこのテント、かなり小さい。大人一人が四つんばいになってようやく入れるかといった位なのだ。入り口部分もかなり小さく親指サイズしかない。そんな所に入れる者など親指姫位のものだ。しかしそんな小さなテントの前には大勢の人が並んでいる。彼等の体は皆標準サイズで、とてもそのテントの入り口をくぐることなど出来やしない。だがそんなこと皆お構い無しである。


「おや、今年も出ているねえ。ふうん今度は銀河を舞台に大冒険を繰り広げるんだ。面白そうだねえ」


「去年はやっていませんが、一昨年は確かきのこ森が舞台でしたね。銀河が舞台……一体どんな感じなのでしょう」


「折角だ、一緒にやろうじゃあないか」

 白粉はまるで小さな子供のような無邪気な笑みを浮かべて狢の手を引く。狢も今回はそれを嫌がらず、こくこく頷いて足を前へ進めるのだった。

 テントの入り口近くにいるのは様々な色と模様の布で作られた非常に派手な着物を着た男。順番が巡ってきた白粉と狢に緑色の、枝豆に似た豆を手渡す。

 二人がその飴みたいに甘い豆を飲み込むと、すぐに変化が起きた。元々大きな空がますます大きくなり、遠ざかっていく。傍らに立ち、にこにこ笑っていた男の体がぐんぐんと大きくなっていく。否、二人の体がどんどん縮んでいっているのだ。テントの張られている地面を覆う芝がぐんぐん近づき、やがて二人の背を越していく。短い草はあっという間に巨大樹となり、彼女達の姿を隠してしまう。誰かが歩く度体がぐらぐら揺れ、大地震でも起きたような心地になった。


 二人は余裕でくぐれるようになった入り口をくぐっていく。


「まあ、素敵!」

 テントの中に入った途端感嘆の声をあげたのは狢である。白粉も感心した風な声をあげ、口笛ぴゅるり。

 テントの中を満たすのは闇。だが完全な黒ではなく、青みがかった藍色。その藍色の空に金銀の星が散りばめられている。彼等はしゃらしゃらと歌いながら輝き、消え、輝き、消えを繰り返す。時折青白い流星が地上に向かって落ちていく。

 二人を導く道は天の川で出来ている。青や金銀の光の洪水に浸された足は冷たいが、その冷たさは心地良い。しゃがみこんでその光をすくってみる。冷たいそれは閉じた指の間からさらさら零れて川へと還っていく。果たしてその光に実体はあるのかないのか。これは幻なのか……分からない。その現とも虚ろともつかぬ雰囲気がたまらない。

 川を挟むのは星のなる木々。生い茂る葉の深い緑が目に優しい。


「なかなか綺麗な所じゃあないか。ここを冒険して、色々な課題を解いて、それでもって出口を目指せばいいんだねえ」

 テントの中に広がる道は入り組んでおり、注意深く進んでも迷ってしまう。

 ただ道を進めばいいわけではなく、数々の罠から逃げたり、なぞなぞ等を解いたり、道中で手に入る道具を駆使して道を開いたりからくりの怪物を倒したりする。道は前後左右に限らず、上にも伸びている。どれだけスムーズにことを進めても二時間近くはクリアまでにかかってしまう……大したボリュームだ。


 死ぬ気で運転してトロッコを動かし、虹のレール上を走りつつ怪物の魔の手から逃れたり、銀河鉄道で小休止したり、先へ進む為に泉から湧き出る金平糖の数を必死になって数えたり、月の光をよって作った(という設定の)ロープを上り下りしたり……やったことを数えだしたらキリがない。

 体を張ってやる系統の課題は白粉が率先してやったが、頭を使わなければいけないものは狢が頑張った。別に狢も頭が切れる方ではなかったが、彼女が頑張らないとどうしようもなかったのだ。


「ちょっと白粉さん、お願いですから力尽くで突破しようとするのやめてください! ああほら、仕掛けを壊しちゃいますよ!」

 謎を解かねば前に進めないような所を強行突破しようとする白粉を、狢がその豊満な肉体にしがみついて必死に止める。白粉は白粉で必死である


「うるさい、こんなもの解けるわけないじゃあないか! あたしは無理矢理でも突破するよ! 少し位仕掛けを壊したって問題ないよ! こんな所さっさと抜けるんだ」


「もうちょっと、お願いですからもうちょっとだけ待ってくださいよ……後少しで解けそうなんです。この問題難しく考えなければ案外簡単に解けるような気がするんです」


「それじゃあ五秒以内に答えを弾きだしなあ!」


「無理に決まっているじゃあないですかあ!」

 無茶苦茶な要求をする白粉に狢は涙目。それでもどうにか謎を解き、前へと進む。とりあえず仕掛けを壊さずには済んだ。


 最後、ぐらぐら揺れる水晶の吊り橋を渡っていく。気弱で怖がりな狢はずっと白粉の腰に抱きついており、彼女が自分のペースで歩くことを許さない。案の定短気な白粉はすぐ怒る。


「ええいうっとうしい! あんたのせいでちっとも前に進めやしない。鬼灯の旦那に抱きつかれるのならともかく、いや鬼灯の旦那相手じゃあ抱きつかれるより抱きしめる方が……ってそんなことは関係ない。ああもう本当に邪魔だねえ! ここから突き落とされたくなけりゃあその手を離せ!」


「いやです、怖いですもの」

 同じく橋を渡っていた妖達に笑われたが、そんなこと今の狢にはどうでも良いことだった。

 白粉はあんたが怖いかどうかなんて知ったことじゃないと喚く。そう文句を絶えず言いながらも最後まで彼女を橋から光と闇溢れる世界に突き落とすことは決してしなかった。


 散々苦労した挙句二人は出口に出る。出口から伸びる階段を下りた先で体のサイズを戻してもらい、参加賞である今回の舞台をイメージした美しい絵の描かれたプレートを貰った。光にかざすときらきらと色々な色に輝く。夜、月光にかざすとまた違う色合いを見せるらしい。


「全く、あんたみたいな乳が少しもない、柔らかさのかけらもない体した女に抱きつかれてもちっとも嬉しくない」


「ですから何度も謝っているじゃあないですか。それに私だって好き好んで胸やけする程甘くて濃い匂い漂わせている女の人に抱きついたわけじゃありません」


「ふうん……人の体に勝手に、しかも強い力で抱きついておいてそんなこと言うのかい」

 睨まれ、蛇に睨まれた蛙、狢。まあ幸い心から憤慨しているわけではなかったようで、すぐ機嫌は元通りになったが。

 

そしてお次に二人はある小屋の中へと入った。そこでは押し花、扇子や提灯の絵つけ、陶芸等様々なことを体験する教室が開かれている。やることは時間帯によって変わるらしい。

 今やっているのは『かぼちゃランプ教室』というもの。


「なんだい、ランプって」


「小屋の前にあった看板の説明を読む限りですと提灯のようなものみたいですね。海の外の土地で使われているもののようです」


「かぼちゃで提灯を作るのかい? へえ、海の外に住んでいる連中の考えることはよく分からないよう」

 白粉は自分の知っている南瓜を思い浮かべる。煮物や天ぷらにすると大変美味しいそれを食べずに提灯に使うなんて勿体ないねえと白粉が嘆く。


「きっとお二方が想像している南瓜と、このランプ作りに使う南瓜は種類が違いますわ」

 いつの間にやら小屋の入り口入ってすぐの所で喋っていた二人の前に、一人の女が立っていた。白粉はぎょっとした。普段あまり目にしない風貌の女が急に現れたから驚いたのだ。

 

(包丁で剥いた人参の皮が左右に二つ……)

 白粉が心の中で称したのは、彼女の髪の毛。赤茶色の髪を彼女は縦ロールにしていた。髪を結ぶのは黒いリボン。服装も黒が基調で、所々やや灰色っぽいフリルやレースがついている。ワンピースドレス、スカートの部分はふわりとしていてまるできのこのかさのよう。所謂ゴスロリ衣装だったが、当然のことながら二人はそんな言葉知りやしない。黒と白の縞模様のニーソに黒いエナメルシューズ。爛々と輝く瞳は海の色。足が特別悪いわけでもないだろうに、黒いステッキを握りしめているという点が白粉にはより一層奇妙に見えた。


「何度見ても遠く離れた土地に住む奴等が着ている衣装っていうのは変てこに映るねえ……」


「確かに変わっていますが、とても可愛らしいです。私や白粉さんには絶対合わないだろう服……このお嬢さんには似合っていて羨ましいです」


「羨ましい? あんたの考えていることってよく分からないねえ」


「ふふ、ありがとうございますお嬢さん」

 ゴスロリ女が足を交差させ、裾をちょんと両手でつまんでご挨拶。

 歳寿京には世界中の妖やモンスター等が集まる。住む土地が変われば衣装や文化が変わるのはこの世界でも同じこと。大体彼等の文化は重なり合う土地と同じようなものになる。ドイツと重なる場所ならドイツ、日本と重なる場所なら日本に似るのだった。

 言語も同じこと。一応この世界共通の言語というものもあるが、こういう風に全世界の住人が一同に会するような場所位でしか使う機会はない。だが今目の前にいる女は自分の住んでいる土地に根付いているものでも、妖共通のものでもない言語で喋っていた。すなわち、日本語――白粉や狢にとって最も馴染みのある言語。


「あんた、こっちの言葉が喋れるのかい」


「私は世界中を旅するのが趣味ですから。大抵の土地の言葉は喋れます。ああそうそう。私達がランプにする南瓜はあれです」

 女が指し示したのは教室の一番前にある机。その机の上には橙色の大きな南瓜が飾られていた。成程確かに見慣れたものとは違うものがそこにはあった。


「あれでランプを作るんですか」


「ええ。目や口の形にあの南瓜をくり抜いてやるのです。その他の形にくり抜く場合もありますが。なかなか面白いですから、是非参加して下さい」


「それって結構時間がかかるのかい?」


「一時間位あれば作れるのです」

 その答えに心揺れ動かされたのは狢。一方の白粉は微妙な顔。一時間も南瓜と格闘したくないといった様子。その気持ちは変わらなかったらしく、白粉は首を横に振った。


「あたしはいいや。他の場所を巡るとするよ」


「私はやります! 白粉さんがなんと言おうと私はここに残って南瓜ランプとやらを作ります」


「作るのかい? そういえばあんた裁縫とか工作とか好きだったねえ……まあいいや、勝手におしよ」

 白粉は手を振るとさっさと小屋を出て行く。それからしばらくの間は折角今日はずっと行動を共にしてやろうとしたのにとか何とか文句を言っていたが、気心の知れた人物の姿を人混みの中に見つけた途端狢のことなどすっかり忘れ、その人物に向かって「おおい」と手を振る。そしてその人と(半ば無理矢理)行動を共にすることにしたのである。

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