第三十六夜:行く年 来る年(1)
『行く年来る年』
寒さで凍りつきそうになりながらも、時間は動き続けている。早く、或いは遅く、もしくはいつもと同じように。今年終了へのカウントダウンは人知れず、だが着実に行なわれていた。
迫り来る終わりと始まりまでの時間を有効に活用し、やるべきことをてきぱきとやる者もいれば、そうでない者もいる。忙しなく動く者あれば、だらだらのんびりまったり過ごす者あり。今日という日の過ごし方は十人十色。
紗久羅の場合は菊野からうるさく言われて嫌々ながら(かなり適当に)部屋の掃除をし、その後買い物を頼まれ近所のスーパーへ。ある程度のものは商店街にある店でも買えるが、売っていないものも多いからこうしてわざわざスーパーまで足を運ぶこともあるのだ。
少しも難しくない買い物を終え、買い物袋でふさがった両手を小さく振りながら家路を歩いていた彼女は、見覚えのある人物が正面を歩いていることに気がついた。相手も紗久羅に気がついたらしく、その足を止めた。
「よう、井上」
「やっほう、なっちゃん。明けましておめでとう」
「まだ明けてないだろうが」
呆れた風についた息は真っ白で。冷静なツッコミを受けてけらけら笑う紗久羅の吐く息もまた白い。その色は『冬』を感じさせるもので、見ているだけで体温が三度は下がるような気がした。
「なっちゃんもお使いかなんか?」
「いや。暇だから適当にぶらぶらしていただけ。お前は……随分と買い込んだな」
ぱんぱんになっている買い物袋を持っている紗久羅の姿を見て奈都貴が顔をしかめる。
「随分買い込んじゃったのだよ。婆ちゃんにあれもこれもと頼まれて結局こんなになっちゃった。重くて仕方無いよ、全くか弱い乙女にこんな重労働を押し付けるなんてけしからん」
「友達泣かせた男子三人をぼっこぼこにしたような女がか弱い乙女とか」
などと言いながら奈都貴が空いている右手を前へ突き出す。何事かと首を傾げる紗久羅に対し、奈都貴は息をふうと吐いて。
「一個寄越せ。……持ってやるから」
思わぬ提案に紗久羅は顔を輝かせ、遠慮なく買い物袋を一つ彼に押しつけた。
「ありがとうなっちゃん、優しい! 愛しているよなっちゃん!」
「はいはい、勝手に言ってろ馬鹿」
とか何とか言いながらもちゃんと荷物は持ってくれていた。
重装備をしていても、冷気は容赦なく襲ってくる。己の吐く白い息の冷たい色が二人を余計に凍えさせるのだった。
「今年も終わりかあ、なんだかあっという間だな。初詣に行ったのがほんの半年前位だったように思えるよ。嗚呼半年といえば……今年の後半約半年は色々濃かった」
紗久羅はここ半年――初めて『向こう側の世界』へ連れて行かれた日から現在に至るまでに起きた様々な出来事を思い返し、遠い目をする。そのとても実際に経験したものとは思えない位はちゃめちゃな『物語』の数々を思い出しただけで疲労感に襲われた。
「確かに色々なあ。俺は『向こう側の世界』の存在自体は小五の時から知っていたし、あの居酒屋に入った日以降妖が関わる出来事に何度か関わったことはあったが、ここ数ヶ月程頻繁には」
鏡女の事件をきっかけに出雲や紗久羅とより深く関わるようになったことで、奈都貴のまだ平穏だった日々は終わってしまったのである。紗久羅が色々な目にあうようになったのも大体出雲のせいである。
「今年はそういう無駄に濃い時間を過ごしたのは半年間だけだったけれど、来年は一年中あんな日々を送ることになるんだろうな。いや、来年だけじゃなくこの先一生妖怪共と関わり続けて、色々な事件に巻き込まれて」
「やめろ馬鹿、そのことはずっと考えないようにしていたのに」
容易に予想出来る未来を紗久羅の言葉により具体的に思い描いてしまったらしい奈都貴は、青ざめながらえらく低いテンションでつっこむのだった。彼をそうさせてしまった紗久羅も同じ顔。
「妖怪に絡まれるのはもうこりごり……と思っても、あの馬鹿狐と関わり続けている以上どうしようもないんだよな。向こう側の世界にも何だかんだいって結構遊びに行っちゃうし。あっちの世界の飯は美味いし、割と面白いし……駄目だ完全に釣られている。飯と娯楽であいつに釣られてしまっている」
「まあ仮に出雲とか、向こう側の世界と関わらなくなってもこの町にいる限りは現状あまり変わらないんだろうな。別の土地に行っても多かれ少なかれ妖絡みの何かに巻き込まれそうだし」
二人、ため息。来年のことを思い描き、それを口にしたなら鬼に笑われる――そんな言葉があるが、仮に「頼むから来年のことを考えてくれ」と泣きつかれたとしても、二人は来年のことを考えるべきではなかったのだ。
「とりあえず来年のことは来年考えるとしよう」
「つまり明日からってことだな」
「だからそれを言うなって!」
再び奈都貴がつっこむ。現実逃避、失敗。紗久羅はいししと笑うだけ。
それからしばらく妖とは全く関係のない話をしていたが、結局彼等に関する話に戻ってしまう。
「そういえば大晦日とか元旦にさ、お化け通り辺りで変なものを見るって話よく聞くよな。井上も知っているだろう?」
「ああ、聞くなあ。確か人位の大きさの何かがぽおんぽおんと空高く舞い上がっては落ちていくのが見えるんだっけ? それが丁度お化け通りのある辺りなんだよな」
そう、と奈都貴が頷く。その妙な光景は大晦日や元旦位にしか見ることが出来ないという。紗久羅と奈都貴は見たことがなかったが、見たという人はそこそこいるようだ。
「昔はどうせ見間違いだろうって思っていたけれど、今考えるとそれも妖が関係しているのかもな。弥助曰く、あのお化け通りには妖達が住んでいるらしいし。昔の空気が未だ残っているあの場所は心地良いとかで。あそこがいつになっても取り壊されないのは、住んでいる妖達が妨害をするせいらしい。確かにあそこを壊そうとした人や、あそこをたまり場にしようとした人達がえらい目にあったって話はよく聞いたけれど」
まさか本当に妖達が住んでいたとは、小学五年生の時、出雲や弥助と出会うまでは思わなかったと奈都貴。普通は本気で思わないわな、と紗久羅。さくらという例外もいるにはいるが。
「しかし一体何が目的なんだろうなあ? 舞い上がる何かが妖怪、もしくはそいつらに関わるものだとして。妖怪共の考えていることは本当毎度思うけれどよく分からん。分からんから面倒なんだよなあ」
その言葉に奈都貴は全くだと頷いてから、心からの願いを口にする。
「せめて今日とか明日とか位は平和に過ごしたいな。年末年始位はゆっくり休ませてもらいたい」
それを聞いた紗久羅の口から出たのは渇いた笑い。彼女は今、ある人物のことを思い浮かべていた。
「柚季は今日も通常営業だったようだ」
「通常営業?……ああ」
何となく言わんとしていることが分かったのか奈都貴は苦笑い。二人の頭に浮かぶ、柚季が目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にしながら「もういやだ!」「いい加減にして!」と叫ぶ姿。
「柚季さあ、今日両親と一緒に大掃除をやったらしいんだけれど。その最中色々な妖怪共が現れて、掃除の邪魔をしまくってきたらしい。バケツの水ひっくり返されたり、汚い体で折角綺麗にした床を這われたり、集めたごみをばらまかれたり、掃除道具を隠されたり。両親の前には姿を現さず、柚季の前にだけ現れて、彼女だけを狙って悪戯を仕掛けてきたらしい。他にも舌で廊下やら壁やらを舐めまわす妖怪とか、咳こんで色んな菌ばらまく妖怪とかも出てきて……便器から爺さんが顔を出した時には気絶しかけたって言っていたっけ」
昼頃、紗久羅は柚季から電話で色々聞かされた。誰かに愚痴でも言わなければやっていられなかったのだろう。その話を聞いた奈都貴はそんな柚季に同情しつつ、冷や汗たらり。
「及川は本当大変だな。力のコントロールの仕方を覚えていけば今よりは楽になるらしいけれど。しかし大掃除一つまともにやらせてくれないとは、向こう側の世界の住人って本当空気読めないな……」
「あの家に住み着いているすごい力を持っているらしい男は、基本見ているだけらしいし。あたふたしている柚季を見ているのが楽しくて仕方無いらしい。性格悪いよなあ。まあとりあえず大掃除、頑張るってよ……殺る気だして」
「やる気、じゃなくて殺る気か」
紗久羅がうんと頷いた。そう言った時の柚季からは絶対真っ黒なオーラが出ていたに違いないと、電話越しに彼女の声を聞いた紗久羅は太鼓判を押す。奈都貴にも、その時の彼女の様子を容易に思い浮かべることが出来た。普段は紗久羅に比べるとずっと大人しい彼女だが、妖が絡むとキャラが変わってしまう柚季だから。
紗久羅は空いている方の手を天へ突き上げ、軽く伸びをした。
「今日の夜柚季と会うことになっているし、その時にも愚痴を聞いてやるつもりだよ。それ位しかあたしには出来ないし。除夜の鐘に嫌なことは全部のせて飛ばして、晴れやかな気持ちで新年迎えるつもりだ」
「あれ、今日も及川とどこか行くのか? 確か初詣にも行くって言っていたよな。お花トリオの二人も一緒に」
「うん、そうだよ。けれど『除夜の鐘も一緒に聞きたいね』って話になってさあ。なっちゃんも一緒にどう?」
いや俺はいいと奈都貴。紗久羅はそれは残念と言ったが、心からそう思っているわけではないことは彼女の顔を見れば分かること。
喋りながら歩く内、家がある桜町商店街の近くまで来た。
「そういえば妖怪達も大晦日とか正月って何かやるのかな。あいつら今日が何月何日か、とかそういうことってあんまり気にしない性質らしいけれど、お祭り騒ぎは大好きなんだよな」
「年末年始はやっぱり俺達同様、というか俺達以上に盛りあがるらしいぞ。いつも以上に飲み食いするらしいし。弥助もバイトが終った後『向こう側の世界』へ行くらしい。なんでもこの時期にしか開かれていない空間に大勢の妖や精霊が集まって大騒ぎするようだ。多分俺達が以前行った麗月京って所と同じような場所なんだろうな」
紗久羅は麗月京という普段は閉じられている場所にある京で、月の民達の用意したご飯を食べたり、音紡というものを鑑賞したりした時のことを思い出した。そのことはなかなか良い思い出になったが、何故だか紗久羅はそのことを思い出した時、胸がちくちく痛むのを感じた。麗月京、もしくは月の民に関係したとても嫌な出来事があったような気がしたのだ。だが結局彼女はどうしてそんなことを思ったのか思い出すことが出来ず、しばらくしてまああったとしても忘れてしまえる位どうでも良いことだったのだろうと思い直す。
「出雲も多分行くだろうなとも言っていた。顔合わせないようにしなくちゃと怖い顔しながらぶつぶつ呟いていたっけ。そこではものすごく美味しい料理、滅多に口に出来ないご馳走をたんまり食べられるし、美味しい酒が沢山飲めるし、楽しいイベントもいっぱいやるんだとさ」
そう言いながら奈都貴は紗久羅に、持ってあげていた荷物を返す。紗久羅は礼を言いながらも、羨ましそうな顔してため息。
「いいなあ、美味しい料理に楽しいイベントなんて。ちょっと行ってみたい気もするなあ」
あんまり羨ましげに言うので、奈都貴は思わず呆れた風に息をつき、それから苦笑いするのだった。
「出雲も大分楽だと思っているだろうよ、お前を自分の傍に置き続けることは。……美味しい料理と、楽しい遊びで釣り続けてさえいればいいんだから」