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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
灯換え 灯換え
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第三十五夜:灯換え 灯換え(1)

 とうかえひいかえ よみちをあるく

 おまえのひいは わたしのものじゃ

 わたしのひいは おまえのものじゃ


 とうかえひいかえ よみちをあるく

 あさがくるまで よみちをあるく

 

(とう)換え ()換え』

 気がつくとさくらは森の中にいた。自身を取り囲む木々には黒々とした葉が生い茂り、空を覆いつくしている。道らしい道はどこにもなく、まるで檻の中に閉じ込められてしまったかのようだとさくらは思った。


 彼女の目の前には大きな池がある。辺りは暗いのに、そこだけ妙に明るいのはどうやら水が青白く光っているかららしい。青く透き通ったその水の上には大きな睡蓮が浮かんでいる。花は薄桃色で大変可憐な色をしていたが、だからといってこの森を満たしているおどろおどろしい、どこか不吉な空気を払拭する癒しの花では決してなかった。水の色を映し、やや青みがかっているそれを見てもほっと息をつくことは出来ない。むしろ風に吹かれる葉と同じように、ざわつくばかりの心。あの花に撫でられたら、きっと私は死んでしまう――そんなことも思った。


 どっどっどっと早く激しく動く心の臓。その動きを一瞬止めたのは、ぼうっという何かが燃えるような音。見れば池が燃えていた。正確にいうと、池全体が燃えているわけではなく、数箇所から青緑色の炎が立ち上っているのだ。それらはゆらゆらと揺らめき、やがてぐっと収束したかと思ったら次々と睡蓮へと姿を変えた。と、同時に池から炎があがる前からあった睡蓮に異変が起きる。

 花が、沸騰でもしたかのようにぶくぶくと無数のあぶくを出す。あぶくでいっぱいになった睡蓮はその形を保てなくなっていき、やがてじゅっという嫌な音と共に溶けて、消えて、池の中へ消えていった。そして再び池が燃え、先程の炎から生まれた睡蓮達は溶けて消えていく。それを延々と繰り返しているのだった。


 その美しく、だがどこか恐ろしく不気味な現象を眺めている内、さくらは思い出す。自分は暖かな布団にもぐり、眠りについていたことを。

 ああそれではこれは夢なのか、とようやく理解する。それにしても不思議な夢だとその場にしゃがみ込み、睡蓮をより間近に見る。人を不安にさせるようなものなのに、目を背けられない。美しすぎるものは恐ろしい。恐ろしいが、ずっと見ていたい。たとえそれによって体が冷たくなっても、心がざわつき胃を痛めることになっても。

 木々の揺れる音、池から炎があがる音、睡蓮が溶ける音。それだけがこの世界を構成する音の全てだとさくらは思っていた。だから、閉ざされているはずの背後から女の歌う声が聞こえた時は大層驚き、肝が更に冷えて、ぎゅっと縮こまる。


 慌てて振り返る。その時恥ずかしいことにバランスを崩し、その場で尻餅をついてしまった。

 最初見た時は確実に閉ざされていた場所がいつの間にか開けており、狭い道が伸びていた。闇に塗られた道の先から誰かがやってくる。体を染める闇色は、少しずつ洗われていって、その人物の姿は段々はっきりとしていく。


 とうかえひいかえ よみちをあるく

 とうかえひいかえ よみちをあるく


 若い女の声が大きくなっていった。わらべ歌を思わせる調べがさくらの耳を冷たくくすぐる。


(この歌、聞いたことがある……ううん、違う。聞いたことはない。けれど知っている気がする)

 何故そんなことを思ったのか、この時のさくらは分かっていなかった。とりあえず立ち上がり、ズボンについた土を手で軽く払う。

 

 とうかえひいかえ よみちをあるく

 おまえのひいはわたしのものじゃ

 わたしのひいはおまえのものじゃ


 とうかえひいかえ よみちをあるく

 あさがくるまで よみちをあるく


 やがて闇に染められていたその人の体が露になる。青白い肌に、それよりも青みの強い着物を身につけ、浅黄色の帯を締めている。そこまで長くない髪は着物よりも更に青っぽい色をしていたが、それでも昼の空の色よりずっと白く、むしろそこに浮かぶ雲に近い色をしている。

 そんな彼女は大きな赤い番傘を手にしていた。頭上に広げられた傘は華奢な彼女の体を覆いつくしていた。まだ後二人は余裕でその下に入ることが出来そうだ。彼女は歩に合わせてそれをくるくると回している。頭上で回り続ける巨大な風車(かざぐるま)、暗く黒い世界を鮮やかに照らす。

 番傘の上に、模様も大きさも様々な硝子球のようなものがぷかぷかと浮かんでいる。縞模様、花柄、目玉模様、風や葉を思わせる模様――。蒼い輝きを放ちながら浮かんでいるそれは傘にぽおんと当たると分裂し、それぞれ違う大きさと模様の球となり、その数を増やし続けた。


 とうかえひいかえ よみちをあるく

 あさがくるまで よみちをあるく

 おまえのひいはわたしのものじゃ

 わたしのひいはおまえのものじゃ


 とうかえひいかえ よみちをあるく

 あさがくるまで よみちをあるく


 女が踏みしめた土から、虹を映した硝子で作られたかのような小さな花、細い蔓等が生えては消え、生えては消えていく。

 森を作る木々の様に少しも動かず、棒立ちになっていたさくらの前までやってくると彼女はそれ以上歩くのをやめた。そしてにこりと微笑むと傘を閉じる。

 それから右手一本で持った傘を振り上げ、かと思ったら勢いよくそれを振り下ろした。

 振り下ろされた傘は一瞬にして提灯らしきものに姿を変えた。黒く細長い棒の先に吊るされている、巨大な睡蓮型の灯り。中に灯っているのは池の水と同じ色の灯りだ。ざわめく木々、ゆうらゆうらと不気味に揺れる提灯。

 それを愛おしそうに見つめる女の美しく恐ろしいことよ。見た目だけでいえば自分と大して変わらないだろうその若い娘の表情にさくらの歯が、がちがちと鳴る。嗚呼それでも彼女は美しい。逃げだしたい位恐ろしく、離れがたい程魅力的な、人。


(これは夢。だって私は家で寝ているはずだもの。それならば、目の前にいるこの人も私が創りだしたのかしら。こんなに美しい人を創ることなんて、出来るのかしら……)

 夢のような人だったが、自分の夢が創りだしたような者には到底見えなかった。

 ただ呆然としているさくらを見て、女は笑った。それから何故か彼女の右手の方を指差す。水の中を泳ぐ白い鱗を持つ魚のような指にさくらはどきりと、或いはぎくりとした。


「貴方の灯、とても綺麗ねえ」

 さくらは視線を右手にやる。見ればいつの間にやら彼女は右手で提灯を持っていた。丸くふっくらした金魚型の灯りで、中から桜色の灯りがもれている。

 金魚の丸い瞳と、さくらの目が合う。どうしてだか女の持っている提灯は美しくも恐ろしく、また温もりを全く感じないものだったが自分の持っている提灯は少しも怖くなく、温かみもある。

 金魚の間抜けながらも可愛らしい顔と、そこからもれる灯りに体も心も蕩かし、初めてほっと安堵の息をついた。しかしそれもほんの一瞬のこと。


「ねえ、私の灯と貴方の灯、交換しない?」


「え?」

 女は自身の提灯を前に突き出し、さくらへ渡そうとする。


「とうかえひいかえ よみちをあるく」

 歌う、声。

 それを聞いた時さくらははっとした。どうして自分がその歌を知っていたのか思い出したのだった。思い出した途端冷や汗が流れる。女ととうかえ――灯換えをするとどうなるか知っているから。いや、取り換えても直に何かが起きるわけではない。


(けれど、朝が来たら……)

 さくらは女の提案を断ろうとする。しかし言葉が出てこない。頭の中で女の言葉が幾度となく響く、何度も、何度も響いて頭も体も痺れていく。目の前にいる女の持つ、青白い輝き放つ睡蓮型の提灯だけが彼女の瞳に映っている。いけない、と思っても手が勝手に伸びる。欲しい、欲しい、欲しいと求めてしまう……。


(駄目、交換したら私は……)

 そんな考えさえも霧散して森の中へ消えていく。気がつくとさくらは女の提灯を手にしていて、自分の持っていた提灯を彼女へと渡していた。さくらから提灯を受け取った女は満足そうに笑んでいる。

 くるり。女は体の向きを変え、もと来た道をすたすたと歩き始める。十歩程歩いたところで振り返り、さくらを見た。


「貴方も一緒に歩く? どうせ暇でしょう」

 さくらはその提案にすぐ答えることが出来なかった。女は別にどちらでも良いと思っているらしい。実際さくらが返答をしないので、また道の方へ顔を向け歩きだしてしまった。

 待って、とさくらは彼女を追いかけた。追いかけなければいけなかった。彼女が自分の提灯を持っているから。あれから目を離すわけにはいかない……そのことがさくらには分かっていた。

 女から受け取った提灯は、冷たい。棒を握っている手はすでにかじかんでいて、感覚はとうに麻痺している。油断しているとぽろりと手から落ちそうになった。その棒は黒曜石を混ぜた水を凍らせたものなのよ――そう言われたら納得してしまう位の冷たさに、さくらの体はがちがちと震えている。出来れば手放したいが、そうすることは出来なかった。


 さくらは女の横につく。それに気がついた女はにこりとまた笑った。

 黒々とした木々に囲まれた道は一層暗く、手に持つ灯りだけが頼り。睡蓮型の提灯は何もかも冷たかったが、それでも周りの木々やさくらの体を沈めるこの世界の空気に比べればまだ温かい。それ以上に今女が持っている本来さくらのものであった提灯からもれる灯りは温かく、そのお陰でどうにか彼女はこの世界でも生きていることが出来るのだった。もし離れていたら、凍え死んでいたかもしれない。


「あの、ここはどこなんですか。夢の世界ですか」


「夢の世界、幻想の世界、壊れた世界、狂った世界、予定調和の世界、閉じられた世界、永遠の()の世界、進み続ける世界、進まない世界……」

 歌うように女は言った。彼女の言っている意味が今のさくらには分からない。

 どういうことだろうかと考えているさくらに、女は言った。


「今に分かると思うわ。何となくは」


 ただ暗い世界を二人無言で歩き続けていた時のことだ。さくらの耳に何かが届いた。葉のざわめきとは違う、寺の鐘の音を思わせる重低音。それは段々と大きくなっていく。音、ではなく声であった。だが隣を歩いている女のものでは決してない。縮こまった身と心を小刻みに震わせる重く低い、男の声。抑揚はあまりなく、どうもお経を読んでいるらしい。全く聞き覚えのないものであったが……。

 声がしているのは、右の方。ただひたすら木々が立ち並んでいるだけの世界。

 だが、そんな世界をさくら達と同じように歩いている者達がいた。先程まではいなかったはずなのに、いつの間にとさくらはごくりと唾を飲み込む。


 暗く冷たい闇の中、無数の木々の間から見えるその姿。二人が持つ提灯の灯りさえ最早届かないその場所にいる者達の姿がぼんやりとはいえ見えているのは、彼等が熟れた柿の色をした拳程の大きさの灯りを首や手につけているからだ。

 漆黒の着物に身を包んだ老若男女の列。先頭に立っているのはお坊さんらしき人で、どうやら声の主も彼であるらしかった。時々手に持っている鈴らしきものをりいん、と鳴らす。その音の哀しいことよ。

 彼の後ろについて歩く人々は一様に俯いている。その手に彼岸花や菊の花らしきものを握っていた。更に後ろの方には棺らしきものを運んでいる男達の姿があった。彼等は体格が良く実に健康的な体であったが、他の者同様陰鬱な空気を身にまとっている。

 彼等はただ進み続ける。二人と平行に。恐らく、棺の中で永遠の眠りについている者を黄泉へと送り出す為に。いや或いはここ自体、黄泉の国であるのかもしれない。そうだとしてもおかしくない雰囲気がここにはある。


「あの人達は、火葬場を目指して歩いているの。棺の中にいる人を葬ってやる為に」

 嗚呼やっぱり、とさくらは思った。しかし女の話には続きがあった。


「けれどね、彼等は永遠に火葬場には辿り着かないの」


「え?」


「彼等は延々とぐるぐる歩き続ける。同じ場所を何度も、何度も廻り続けるの。けれど、彼等が歩く場所に火葬場はない。いいえ、そもそもここにはそんな所はない。でも彼等はそのことを知らない」


「知らない? あの、貴方はそのことを教えてあげないの?」

 そう言ったさくらを見て女は笑った。馬鹿にしているような、呆れているような――貴方は何にも知らないからそんなことが言えるのよ、と言いたげな瞳がさくらの胸を抉る。


「ここでは『教える』などという行為は無意味なの。教えたところで何も変わらないもの。きっとはあ、とだけ言ってお終い。彼等は永遠に同じ場所を廻り続ける。誰もね、気がついていないの。自分達が同じ場所をぐるぐると歩き続けていることにも、どれだけ長い時間歩き続けているかということにも……気がついていない、知らない。だからいつまでも歩き続けているのよ。可哀想に、あの棺の中で眠っている人は永遠にもう何にもなれないの。救われもせず、どこにも行けず、ただずっと、ずっと廻り続ける。同じ場所をぐるぐると、ぐるぐると。廻るけれど、輪廻の世界からは弾かれたまま」

 その淡々とした口調からはあまり憐れみというものを感じない。ただ事実をありのままに話しているだけ。


「きっとしばらくしたらまた彼等はあの道を歩くことになるでしょうね。絶対に辿り着かない、あるはずもない場所を目指して」

 黒い行列は段々と遠くにいって、やがて小さくなっていく。男の声も、鈴の音も闇に溶けていった。


「言ったでしょう、ここは狂った世界だと。けれど誰も自分が狂っていることに気がついていないの」

 ほら、あそこにいる女もそうと彼女は前を指差す。

 左前方、道と木々の境界線辺りに女が座っている。さっきまではいなかったような気がしたが、もしかしたらずっとあの場に座っていたのかもしれない。

 桜色の灯りに照らされてなお彼女の体は青白い。痩せこけた体にはぼろの、彼女には大きすぎる位の着物をまとっていた。色褪せた赤色は女に悲しい程似合っていない。白髪のまじった髪を適当にまとめ、落ち窪んだ眼窩(がんか)は自分の手元に向かっている。


 女は何かを抱いている。歩いて近づいてみれば、それは赤子の骨だった。

 彼女はその骨に土をつけている。恐らく粘土だろう。彼女は土で骨に肉をつけ、人の形を作り、そして死んだような表情を浮かべたまま土の赤子に口づけた。するとその人形は本物の赤子へと姿を変えた。赤く染まった頬、猿のような顔。小さな体を震わせて、赤子は大声で泣いて、泣いて、自分の命を主張して、燃やして、燃やして、燃やして。

 死人同然だった女の頬に赤味が帯び、微かな笑みを浮かべる。女は赤子を優しく抱き寄せ、頬ずりし、我が子我が子と呟くのだった。


 しかしそんな幸福な時も長くは続かない。突然赤子は泣くのをやめ、かと思ったらその体は再び元の人形へと戻る。ばりばり、と体中にひびが入りやがて土はぼろぼろと音をたてて地面へと落ちていった。露になる白い骨。土が全部剥がれ落ちた後、骨も音をたててばらばらになっていく。

 女の前に土と骨の山が出来る。彼女の表情は元に戻った。それから女はばらばらになった骨を組み立てなおし始める。土は骨につける前の状態にいつの間にか戻っていた。きっとまた土をつけ体を作り、赤子を生みだし……それを繰り返すのだろうとさくらは思った。


 女は自分がほんの一時(いっとき)の間でも生きた赤子を抱いたことをもう忘れているようだった。そこにさくらは恐ろしさを感じ、身を震わせる。

 

「本当に狂っている人間は、自分が狂っていることに気がつかない。あの女は永遠に赤子を作り続けるの。赤子はこの世に何度も生まれては、死んでいく。泣いて、死んで、泣いて、死んで。その繰り返し。女は自分がそれを繰り返していることを知らない。どうやっても骨になった赤子を生き返らせることは出来ないのだということも。さっきまでの出来事はあの女の中ではなかったことになっているのよ」


 そう言う女とさくらは女の前を横切り、彼女からどんどん離れていく。

 遠くから再び先程と同じ赤子の泣き声が聞こえたが、それもほんのわずかな間のことであった。

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