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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
聖なる日に舞い降りる白羽
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聖なる日に舞い降りる白羽(7)

「魂を? あの烏野郎が?」

 予想だにしなかった言葉に紗久羅はただぽかんとするしかない。しかし二人が冗談でそんなことを言っているようには見えなかった。ぴんと真っ直ぐ張りつめた眉と、瞳は本気だった。そのことに驚いている紗久羅に代わり、さくらが尋ねる。


「魂を抜き取るって、簡単に出来ることなの?」


「いや、簡単には出来ないよ。出雲の旦那みたいに相手を殺して肝ごと魂を奪うってことは出来るけれど。相手の体を傷つけることなく、魂だけを上手いこと引き抜くっていうのは、限られた奴にしか出来ない。強い力を持っていれば出来るってものじゃない……更に言うと、弱い奴には出来ないものというわけでもない。だから大した力を持っていない烏白がその能力を持っていたとしてもおかしくはない。彼のくちばしは、魂を抜き取ることが出来るのかもしれない」


「烏白君は魂を抜き取る能力を持っていた。そして彼は人や妖達の胸を突き、体内にある魂を引き抜いた?」

 やた郎の答えを聞き、さくらは両腕を組んだ。そして烏白に襲われたという陽菜が話してくれたことを脳内で再生する。


――本当、体に食い込むというか胸を貫くというか……それ位の勢いがありました。私を襲ったものが離れた瞬間、体から何かが引き抜かれたような感覚がした位です――


 彼女はくちばしが自分の体を貫き、そしてそれが引っこ抜かれるような感覚に襲われた、それ位自分を襲ったものは勢いよく胸の中に飛び込んできたのだと述べた。

 実際、烏白のくちばしは陽菜の胸を貫いて体内まで侵入したのかもしれない……そしてくちばしを引き抜くのと同時に、彼女の魂まで抜いたのかもしれない。彼女の話に隠れていた真実。それはさくらの背筋を凍らせる。魂を抜かれた、その単語に彼女はただ恐怖した。

 隣にいた紗久羅も怒りと恐ろしさに身を震わせつつ、手を挙げる。


「けれどさあ、くちばしに体貫かれたら普通ただでは済まないんじゃないか? 痛いどころか、下手すりゃあ死んじまう」


「多分見えないくちばしを持っているんだ。本物のくちばしをまとうようにして、霊的な――実体を持たない『力』が集まって出来たものが。それを烏白は胸を突く時相手の体内にさしこんで、魂をくわえ、体から引っこ抜く」

 彼女の質問に答えたのは、やた郎だ。

 ただ魂を丸ごと引っこ抜いているわけではないようだ。そっくりまとめて引っこ抜かれていたら、被害者全員その場で死んでいる。だが死んだのは分かっている範囲では男性一人と老犬一匹のみ。今度はやた吉が話しだす。


「どの位引っこ抜いているのかは分からない。少量だと思いたいけれど。多分死んだという老犬は、元々残る魂の量が極端に少なかったんだろうね。その残り僅かな魂を烏白に引き抜かれてしまったから、死んでしまった。男性の方も歳こそ若かったけれど、元々寿命はあまり長くなかったのかもしれない。彼等の死が、烏白と必ずしも関係があるとは限らないからなんとも言えないけれど」


 やた吉は魂のことについて色々二人に話してくれた。

 魂は肉体を動かすエネルギー。基本的にその量は増えることなく、減るばかり。年々その量は減っていき、完全に無くなるとその人は死んでしまう。怪我や病気をすると、程度によっては大幅に消費するエネルギーの量が増える。ただ、肉体の方が先に限界を迎えると魂がまだ残っていても矢張り死んでしまうという。首を絞められ、息が出来なくなれば魂が残っている、いないに関わらず死んでしまうし、病気等で臓器等が正常な働きをしなくなれば、矢張り。体に残った魂、もしくはその核は死後黄泉の世界へと旅立っていく。

 そんな訳だから、情報が殆ど無い今男や老犬の死と烏白がどれだけ関わっているのかはっきりと分からない状態なのだと彼は最後にため息をついた。


「けれど仮にあの野郎がお前達の言う通り、魂を抜いているのだとして……一体それは何の為だ? 食べる為? 悪戯目的?」

 どちらにせよ、こちらからしてみればいい迷惑である。しかし二人の考えはそのどちらでもないようだった。


「違うと思う。多分、だけれど」


「じゃあ、何の為?」

 その問いに対して浮かべるのは複雑な表情。自分達の意見に確信をもっているわけではないのだろう。しかし言わないことには前にも後にも進めないと、やた郎が口を開いた。


「恐らく……」


「また来たんだ、あんた達。懲りないねえ……昨日散々こてんぱんにやられたっていうのにさ」

 再び桜山を訪れた紗久羅達を見て、昨日と全く同じ場所へ降り立った烏白は驚きを隠せない様子。首を傾げ、呆れたように言った。

 錫杖を構え、いつでも戦えるようにしているやた吉とやた郎。彼等に挟まれるようにして紗久羅が立っており、両手を腰にやりながら烏白を真っ直ぐ見つめ、もとい睨みつけている。

 あれだけこてんぱんにやられても、まだ毅然とした態度で自分と対峙している彼女の姿に烏白は感心するやら、呆れるやらといった様子。長く長くへろへろとした息を吐いた彼はふと何かに気がついたらしく「あれ?」と不思議そうな声をあげた。


「何か一人減っていない? 昨日もう一人いたよね。ものすごく鈍くさそうな子が」


「さくら姉は今、とある実験をしている」

 眉一つ動かさず紗久羅は言った。烏白は実験、という言葉があまりぴんとこなかったのか「ふうん」と気の抜けた返事をするのみだった。

 そんなことより、と紗久羅は烏白を指差す。今から本題へ移ろうとしているのだ。


「お前が胸を突く目的、分かったぞ。お前そうやって襲った奴等の魂引っこ抜いていたんだろう!」


「分かったって、まだ確証もてていないんだけれど……」

 自信満々な紗久羅に対し、やた吉がぼそりと小声で。正解と決まったわけではないのだが、彼女はもう正解のつもりでいるようだ。

 ここで烏白に思いっきり笑われて「何見当違いなこと言っているんだ」と言われたら恥ずかしいどころでは済まされない。しかし彼は笑わなかった。かといって真面目な顔つきになったわけでもないが。


「へえ。分かっちゃったんだ。そうだよ、大正解。俺は胸を突いた時そいつの魂をちょっとばかり抜き取っている」


「お前に襲われた人間の男性と、一匹の老犬が死んだ! お前のせいだろう!」

 紗久羅は再び怒鳴る。

 これには烏白はうんと頷かなかった。興味なさげに軽く羽つくろいしてからあくびを一つ。


「知らないよ、そんなこと。俺はほんのちょっとしか魂を奪っていない。元々そいつらの寿命は残り僅かだったんじゃないの? その元々短い寿命が三分だか三時間だか三日だか三年だかだけ短くなった……それだけの話だろう。いいじゃないか、どうせ皆遅かれ早かれ死ぬんだ。その時期がほんのちょっと短くなっただけの話だ」

 それをあんまり軽い調子で話すものだから、憎くて仕方無い烏白に対しますます怒りを募らせるのであった。確かに長い間生きている烏白からしてみれば三分も三年も同じようなもので、ほんの短い時間に感じるだろうが紗久羅達人間からしてみれば大違いであり、そして少しも逃したくない大切な時間である。

 そもそも相手の魂をほんのちょっととはいえ奪うことは決して許されることではない、ちょっとならいいというものではないと紗久羅は考える。しかし烏白はそう考えていない。


「ちょっとだろうが、なんだろうが駄目なものは駄目だ! 奪った魂さっさと持ち主に返しやがれ!」


「嫌だよ。折角集めた物をどうして返さなくちゃいけないんだ。そもそもどれを誰から抜いたかなんて覚えていないし、というか知らないし、戻し方なんて。抜くことは出来るけれど、戻すことは出来ない」


「はあ!?」


「自分にそういう力があることを知ったのは最近のことだし。未だ上手い抜き方だって分かっていないのに、それを戻す方法なんて分かるわけがない。大体戻したところで何になるっていうんだ? 減っていることにも気がついていないような瑣末(さまつ)なものをわざわざ返したってしょうがないと思うよ」

 何を、と紗久羅は怒り爆発、桜の花どころか柊の実のような色に染まった顔を烏白へ向け、自分の知る限りの罵詈雑言を浴びせまくる。烏白はその様子がおかしくて仕方ないようで、けらけら笑った。


「何であんたが怒るの? 俺はあんたから何も奪っていない」


「あたしの友達がお前に魂を奪われた。ちなみにそいつが時々遊んであげている子供の父親っていうのがお前に殺された人!」


「だから別に俺が殺したわけじゃないってば。全く変なお嬢さんだなあ、友達の魂が奪われたからってなんであんたが怒るのさ。ま、いいや。変な人間に聞いたって変な答えが返ってくるだけだから。ところであんた達は俺が魂を抜く目的については見当がついているの?」

 紗久羅はその本当にそんなことどうでもいいと思っているらしい烏白に腹をたてた。しかしそれ以上そのことについて色々言っても彼は絶対に聞く耳をもたないだろうし、心を入れ替えることもないだろうと思ったから癪ではあったが、彼の質問に答えることにした。

 まず紗久羅は一回頷く。


「何となくな。といってもその考えに最初に辿り着いたのはこいつらだけれど。あんたは食べる為でもなく、単なる悪戯の為でもなく――集めて鑑賞する為に抜いていたんだ、魂を」


――多分烏白は、自分の手元に置いて鑑賞する為に抜いているんだ、魂を――

 頭の中でこだまするやた郎の声。烏白はそれを肯定も否定もせず、ふうんと言って笑うだけ。


「魂を鑑賞して、面白いの? 誰かを襲って引き抜くだけの価値が、魂にはあるのかい? 俺にとって魂というのは魅力的なものなの?」


「あんたには生き物が宿している魂を、わざわざ抜きださなくても見ることが出来る能力があるんだろう。そしてその能力で魂を見て、気に入ったものをもっている奴を襲い、魂を抜き取る。けれど一人抜き取るとくちばしがふさがってしまう。そうなるとそれ以上抜けなくなるから、一度桜山に戻ってどこかに魂を一旦置く。その置き場所には特殊な術がかかっていて、魂をその場にそのままの形で残すことが出来る。多分他の人には見えないようにもなっている。それからあんたはまた町中とかに行って、好きな魂探しを再開するんだ」

 烏白が胸を突くのは一つのポイントにつき一人だけ。複数人その場にいても、襲うのはその人だけ。そして一人誰かの胸を突いたらその場を去る。その行動には意味があったのだ。弥助が考えたように。

 しかしこれは烏白の質問の答えにはなっていない。案の定その点を彼に指摘された。


「あんたの言っていることは間違っていない。間違っていないけれど、俺の質問の答えとしては不適切だ。ねえ、どうして俺は魂を抜いているの? 抜いて自分のものにして、食べるわけでもなくただじっと魂を眺めていることにどれだけの価値があるんだい」

 頭の中で今度はやた吉の声がこだまする。その声に合わせるようにして紗久羅は口を開いた。


「……色だ。あんたはそれぞれの魂がもつ色に価値を見出していたんだ!」


――魂の色っていうのは人それぞれだ。あいつは多分、気に入った色の魂を抜いているんだ。そしてそれを持ち帰り、鑑賞するんだ。烏白が花壇の花とか、空とか海とかを眺めている姿が色々な所で目撃されていたんだよね。多分彼はそれらが持つ色を見ていたんじゃないかな。昨日幻術で沢山の烏白を見せられた。そしてそいつらはそれぞれ自分達が言いたいことを喋っていた。全部は聞き取れなかったけれど、幾つかの単語は聞き取れた。色に関するものが多かったように感じられる。多分烏白は色ってものに執着しているんじゃないかな。自分が持っていないものに……――

 頭の中で響く言葉をほぼそのまま紗久羅は口にする。彼からその話を聞かされた時、紗久羅は嗚呼確かにそうかもしれないと思った。烏白は自分の体の色が好きではないと、こんな色なんて綺麗だとは思わないと言っていた。皆が当たり前のように持っているものを自分は持っていないとも言っていた。


――桜色! 二人共、春に咲く花の色をしている! 短い時を精一杯生きる為、少ない命を燃やして激しく咲き誇る花の色! 春の柔らかな日差しを浴びて、微笑む優しい花の色だ!――

 烏白と追いかけっこを始めてすぐの時彼が口走った言葉。昨日はその意味が全く分からなかったが、あれは恐らく自分とさくらの魂の色のことを言っていたのだろうと今なら理解できた。


 それを聞いて、烏白は笑った。今までで一番大きな声で笑った。腹の立つ、それでいてどこか悲しげな笑い声が紗久羅の胸を突き刺す。


「ああ、そうだ。そうだよ。大正解。俺は色というものに執着している。こんな色の体に産まれてこなければ、ここまでこだわることもなかっただろうに。……俺はさ、産まれた時から嫌われ者だった。兄弟も親も、他の烏も皆俺に冷たかった。この色が、烏としては『異質』な色が俺を孤独にしたんだ。まあけれど、母親には感謝しているよ一応。あの人は俺に愛情を一切注がなかったし、他の奴等と同じような目で俺を見たけれど、それでも俺が巣立つ時まで面倒を見てくれた。全くよく見捨てずに最後まで育ててくれたかと思うよ。巣立った後も俺は孤独だった。皆俺を奇異なものを見る目で見た。おぞましい化け物でも見るかのような目で見た。俺は自分の体を、白い体を呪うようになっていった」

 最初は小さな思いだった、しかし時を経てその思いはどんどん大きなものになっていったと烏白は語る。そう語る彼は笑っているし、声も明るい。しかしかなり無理をしているように三人には思えた。時々声が上擦っている。


「自分の色を嫌えば嫌うほど、他の色に焦がれていった。何気なく見ていた景色、それらが持っている色に目を向けるようになっていった。世界は沢山の色に満ち溢れている。空は毎日違う色を見せるし、同じ種類の果物でもそれぞれ微妙に色合いは変わる。天気とか環境によって変わるものだってある。俺は色というものに魅了されていった。沢山の色が作り上げる世界に感動し、何度涙を流したことか。けれどどれだけ焦がれても、俺の体は白いままだ。それを思うと悔しくて、悲しくて。そしてますます俺は色というものに執着するようになっていって……その執着心ゆえかな、俺の瞳は力を得た。色々な生き物の見る世界や、生き物の持つ魂の色を見る力だ」

 

「色々な生き物の世界を見ることが出来るようになったって一体どういうことなんだよ」


「あんたは知っているかい? 生き物の種類によって見える色の数が違うってことを。数が変われば、目に映し出される色も変わる――色が変わる、それだけで世界は様相を変える。鳥と人間じゃ見ている世界の色合いは違う。俺だって昔は他の烏達と同じ世界しか見ることが出来なかった。けれど今はどんな奴の世界だって見られる。あんた達人間が見ている世界、その他の動物が見ている世界、なんだって見られるようになった。生き物の持つ魂の色も」

 そう言って烏白は空を見上げる。今の彼が見ているのは、どの動物が見ている空だろうか。


「俺はさ、白以外の色は全部好きだ。皆が汚いとか地味だとかそんな風に言う色も、好きだ。白以外の色はなんだって綺麗に見える。俺は自分の体の色が嫌いだ。こんな色に産まれた自分のことが嫌いだ。俺のことを綺麗だと言う人のことも嫌いだ。……けれどあの人だけは別だ。あの人に言われた時は嬉しかった」

 あの人。それは彼を何かと助けている協力者のことに違いなかった。目を瞑り、彼のことを語る彼の声は温もりと愛で満ちていた。自分のせいで死んだのかもしれない男や老犬について話した時とは大違いである。

 彼にとってあの人という存在がどれだけ愛しいものであるか、声と表情を通じて三人によく伝わった。


「あの人が俺にはもう一つの力……魂を抜き取る力があることに気がつかせてくれた。俺があの人が気がつかせてくれた力を使って、自分のものにしたいと思った色の魂を抜き取っていった。沢山の色が集まった。俺はその魂の色や、この世界に溢れる色を見ながらいつも想像する。見ている色を、己の身にまとって大空を飛ぶ姿を。遥かな蒼、慈愛に満ちた優しい緑、燃え盛る赤……創造するだけなら、自由だ。想像の中でなら俺の体はどんな色にもなれる。どんな色にでも……自分の好きな、自分が綺麗だと思う色に。俺は白以外の色はなんだって好きだ。けれど、その中でも特別好きな色というのがある。もし願いが叶うなら、その色にこの体を染めて欲しい」


「お前の好きな色って何だよ。お前が本来持つべきだった黒色か?」

 肯定も否定もせず、烏白は意地の悪い笑みを浮かべた。


「教えてやらないよ。あんた達なんかには絶対に教えない」


「お前はこれから先もこんなことを続ける気か? あんたが自分の体のことをどう思っているかなんてどうだっていい。こんな真似はもうよせ! 迷惑だ!」


「やめろと言われて、ああはいそうですかと答えると思った? あはは、馬鹿じゃないの? 俺は絶対に嫌だよ。あんた達が迷惑していようが、俺にはどうだっていい。俺はここで遊ぶことに飽きない限りは、ここに残り続ける。そして良いと思った色をした魂を奪い続けてやるよ!」

 烏白の体がふわりと舞い上がった。また逃げる気のようだ。やた吉とやた郎が前へ出る。紗久羅もまた追いかけっこの体勢に入る。入りながら、思う。


(さくら姉は上手くやっているかな……あたし達の考えが正しければ、あの烏野郎をとっ捕まえることが出来る。もし違うなら……その時はその時だ!)


「ほうほう……いやあ面白い! 本当にこの辺りには沢山の物語が残されているんだね」

 地に咲く向日葵のような、空に咲く太陽のような眩しい笑顔と明るい声が、喫茶店『桜~SAKURA~』に響き渡る。

 チョコレートケーキをせっせとつまみながらノートに聞いた話を書きとめているのは、梓だ。その梓に話――桜村奇譚集に載っている物語を色々聞かせているのは、さくらである。

 さくらは桜山を訪れていた梓を見つけ、彼女をお茶に誘ったのだった。

 この町等に伝わっている妖等が関わっている物語を色々教えたいと言ったら、喜んで彼女はさくらと一緒にこの喫茶店へと来てくれた。初めて会った時に感じた妙な気配は今のところ感じない。普段は普通の女性なのだとさくらは思いながらカフェオレを一口。彼女が式神とかそういった『偽物』ではないことは、やた吉が『向こう側の世界』から持ってきてくれたアイテムで分かっている。


「梓さん、こういう話本当にお好きなんですね。私もこういうの好きですからとても嬉しいです」

 チョコレートパフェの頂上部分を飾る、チョコレートソースのかかった生クリームを口の中へと入れる。冬でもアイスが乗った冷たいデザートがむしょうに食べたくなる時がある。

 口の中は幸せ、しかしクリームをすくうスプーンを持つ手は微かに震えていた。寒さによるものではない。それは緊張によるものだった。


(梓さんがもし『協力者』だったら……烏白君は今誰の力も借りられない状態になっている。烏白君自体はそこまで強くない。だから、やた吉君ややた郎君にも捕まえられるはず。けれどもし梓さんじゃなかったら、きっと今日も昨日と同じことに……)

 そう、紗久羅が言っていた実験というのはこのことだったのだ。さくらが梓を桜山から引き離し、烏白の手伝いを出来ないようにする。これによって彼女が協力者なのか、そうでないのか判断しようとしている。

 梓は色々怪しい。烏白と関わりがあっても少しもおかしくない。どうか三人が烏白君を捕まえられますように――とさくらはそれだけを願う。


「さくらちゃん? さくらちゃんってば」


「あ、え、はい! すみませんぼうっとしていて」

 

「白い烏のこと、考えていた?」


「え」

 さくらはどきりとする。目の前にいる彼女は頬杖をつきながらにこにこ笑っている。満面の、それでいてどこか得体の知れぬ……気味悪ささえ感じる笑顔だ。

 慌てて紗久羅は頭を振った。だが彼女は表情を変えない。


「図星だね。……この町へ引っ越してきた直後、私は桜山へ行った。その時私はあの白い烏を見かけた。あの烏は普通の烏じゃないよね。……妖だ」

 その言葉に、さくらは声を失う。彼女はこの世に妖というものが実在していることを知っていたのだ。ただ妖や、彼等が登場する物語が好きなだけの女性ではなかった。それを悟ったさくらは俯いてしまった。


「その烏が何やらこの町で色々悪さをしていることは、それから少ししてから知った。そして昨日さくらちゃんと紗久羅ちゃん、二人のサクラちゃんと出会った。君達が私と同じ……妖というものがこの世に存在していることを知っていて、かつ彼等と深い縁を結んでいる者であることは一目見てぴんときた。もしかしたらと思って白い烏のことを口に出したら、笑っちゃうくらい君達は良い反応をみせてくれた。ああこの子達はあの白い烏をどうにかしようとしているんだなって思った。ああ、後ねえ。私実は昨日君達と烏の羽生やした少年二人が白い烏と話しているのをこっそり見ていたんだ。君達は白い烏と話すのに夢中で、気がついていなかったみたいだけれど」

 少し離れたテーブルに座っているお客さん達に聞こえないよう、耳元でささやくかのように彼女は話す。笑みを浮かべたまま。いっそはきはきと、大きな声で言ってくれた方が良かったとさえさくらは思う。ささやき声というものは、どうも人を不安にさせる効果があるらしい。冷たい針でちくちくと体中を刺されているような思いをし、さくらは泣きそうになった。

 

「君達は私が白い烏が『あの人』と呼んでいる存在であると思ったんだね。だからさくらちゃんは今日、桜山にいた私をあの場所から引き離した」

 さくらは困ってしまう。否定しなければ、どうにかしてごまかさなくてはと思う。しかし彼女は嘘を吐くのが苦手であった。おまけに梓から「嘘は吐かないでね」と無言の圧力をかけられているような気がして、ますます何も言えなくなった。


「……ごめんなさい」

 結局出た言葉は、梓の言葉を肯定するものであった。梓は当然怒るだろうと思ったが、その表情を見る限り少なくとも怒ってはいない様子。


「謝ることは無い。君達が怪しむのも無理は無い。私って普通の人間じゃないからね。あ、妖でもないよ? そこらにうじゃうじゃいる一般人とはちょっと違うけれど、一応人間だよ。普通の人はもっていない空気っていうかオーラっていうか、まあ何かそういう感じのものをもっている。それを君達は感じ取って、何か怪しいって思ったんだろう。後は偶然の重なりとか。そしてもう一つ。残念だけれど、私はあの白い烏とは何の関わりもない。嘘じゃないよ」

 嘘には聞こえなかった。


「それじゃあ一体……」


「うん、そこまでは分からないなあ私も。ま、こんな話は終わりにして楽しいお話の続きをしようよ。私はもっと聞きたい、この土地に残っている物語を」

 さくらはその申し出を断れず、結局紗久羅がこの店に入ってくるまでずっと桜村奇譚集の話をした。全く恥ずかしいことに段々話すことに夢中になってしまい、烏白のことも梓を怪しいと思っていたことも忘れてしまった。


 店に入ってきた紗久羅も、やた吉とやた郎も皆ぐったりしていた。やた吉とやた郎は昨日同様怪我をしていた。昨日よりも少し酷いかもしれなかった。

 矢張り協力者は梓ではなかったらしい。協力者は二人の使った術をそっくり跳ね返したり、彼等を吹き飛ばしたり、紗久羅を転ばせたり尻餅をつかせたりしたそうだ。幻術には対策をしていたから一応かからなかったが、それでも三人は烏白を捕まえることが出来なかった。


「あの姉ちゃんも妖怪と深い関わりを持つ人だったんだな。けれどあの姉ちゃんじゃないとすれば、協力者っていうのは一体誰だ? 妖怪? 人間?」

 その疑問を一瞬にて解消出来るような答えは、誰ももっていなかった。

 

 一体どうすれば烏白を止めることが出来るのか。姿の見えぬ協力者をどうにかするしかないのか、それとも彼がこの町からさっさといなくなることを願いながら、数々の所業に耐えねばならないのか、はたまた烏白を必死になって説得するしかないのか。

 烏白の目的は分かったが、彼の言う『あの人』の正体は未だ掴めぬまま。出雲ではないようだし、梓も違うらしい。あの『人』と言っているところを見る限り協力者は人間、或いは人型かそれに近い姿の者である可能性が高い。だがその人物に関する有力な情報は、無い。

 白い烏に胸を突かれる、悪戯される、大切なペットを襲われる――彼に対し、怒りと恐怖、不安を抱きながら新年を迎えなければいけないのかと思うと気が重い……という町民も少なからずいる。


 さくらもまた、一刻も早くこの物語を良い結末へ運びたいと思っていた。だが彼女に出来ることは全くといっていいほどなく、結局の所やた吉ややた郎に任せるより他ない。出雲ならばどうにか出来るかもしれないが、今回彼の助けは期待できそうもない。仮に助けてくれたとしても、物語の結末は『烏白は出雲に殺されてしまいました』などという気持ち良くないものになってしまうだろう。さくらも、烏白に対して怒り心頭な紗久羅も流石に人に迷惑をかける烏なんて死んでしまえばいい……とまでは思わない。


「一体どうすればいいのかしら……」

 部屋の中、今回の事件のまとめが書かれているノートを前に思案するも全く良い考えは出てこない。


 しかしそうやって色々考える必要がなくなった出来事が、間もなく起きることとなった。

 ノートと睨めっこしていたさくらを呼ぶ、母の声。


「弥助さんから電話。何かお話したいことがあるようよ」

 彼がわざわざ電話をかけてきてまで話したいことがあるとすれば、烏白のことしかない。さくらはそう思い、はやる気持ちを抑えながら受話器を手に取る。


「もしもし、弥助さん?」


「おお、さくらか。すまないっすねえ電話なんてかけちまって。ただ少しでも早くお前の耳に入れてやりたかったから。あのな、さくら――……白い烏、烏白が……死んだ」

 彼が告げた、衝撃の一言。それはさくらの頭を真っ白にした。どうにかしなければいけないと思っていた、そして今しがた弥助によって死を告げられた一羽の烏の体の色のように、真っ白に。

 死んだ。烏白が、死んだ。

 ただ呆然とするさくら、遠くから聞こえる弥助のいつもとは違う覇気の無い声。彼もまたその事実が未だに信じられないという風だった。


「桜山の……丁度桜山神社の鳥居の前で死んでいるのを朝あの辺りを散歩している爺さんが見つけたようだ。獣か何かに喉食いちぎられて殺されたようだ。あっしらだってそんなところ食いちぎられたらたまったもんじゃねえ。真っ白な体が真っ赤に染まっていたってよ」

 彼の話していることを理解するには時間がかかった。それ位突然で、衝撃的なものだったのだ。受話器を持つ手が震える。今頃になって、震えてきた。


「そんな、でも、なんで。彼には傷一つつけることなんて出来ないはずなのに。傷つけることを許さない人が、いるはずなのに」


「そいつだって常に一緒に行動しているわけじゃないんだろう。それでも今日(こんにち)までは平穏無事に暮らせていたようだが。まあ、あの烏に報復しようとした奴等はことごとく酷い目にあわされたから……誰も手を出さなかったんだろうが」

 しかし嫌なもんだなあ、物事を終わりへ導くものが誰かの死っていうのはと弥助の嘆く声。そう言いながら悔しそうに頭をかく姿が目に浮かぶ。


「何ともやるせねえ終わりではあるが、終わりは終わりだ。もうこの先白い烏に襲われる者は出てこないだろう。お前ややた吉達があれこれする必要も、もう無い。結局協力者がどういう奴だったのかとか、そこら辺のことは分からずじまいだが、仕方が無い。気になるとは思うが、もう今回の件で色々考えるのはよせ。いつまでもずるずる引きずったってしょうがないから。過去の出来事として『今』から切り離してしまうんだ。烏白の協力者云々について考えるよりも、年末年始の予定とか進路のこととか考えた方が余程有意義っすよ」


 優しい声で自分なりの言葉をかけてから、弥助は電話を切った。電話が切れてもさくらはしばらく受話器を元の位置へ戻すことが出来なかった。冷たい風が頬を撫でる。今日は朝からやたらと寒い。頭に降り積もった白い雪が、さくらの体をますます凍えさせるのだった。


「あら、雪」

 母の声にさくらははっとする。慌てて駆けて彼女のいるベランダへと行ってみれば成程確かに空から白くて冷たいものが降り注いでいた。

 しん、しん、しん。

 それの数は段々と多くなり、しばらくの間止むことなく桜町へと舞い降りる。

 さくらは紗久羅から貰い、そしてやた吉とやた郎へあげた烏白の羽のことを思い出した。彼の羽は矢張り空から降る雪と全く同じ色をしていた。


 桜町を冷たく包み込む白い雪。木々も、屋根も、空も、道路も、花も皆皆白く染められていく。皆、白くなる。もしかしたら全てのものは最初、白色だったのかもしれない。その後昔話に出てきたふくろうのような染物屋が世界にあるもの一つ一つを、美しい色で染めていったのかもしれないとさくらは思った。

 ただ彼は、烏白は染められなかった。ふくろうの元を尋ねる前の烏と同じ色のまま。


 彼の体が染められたのは、彼が死ぬ時だった。真っ赤な、真っ赤な赤色。


――あいつはさ、自分の体の色が嫌いなんだってさ。白以外の色はなんだって好きだって。皆が汚いという色も、あいつにとっては綺麗な色なんだそうだ。白以外の色はどれも好きだけれど、その中でも抜きん出て好きだと思える色があって、願いが叶うならその色に体を染めたいとかそんなことを言っていた――


 紗久羅が聞かせてくれた、烏白の言葉を思い出す。今となってはその色が何色であったのかも分からない。せめてその色が赤色であれば良いのにとさくらは思った。彼が色々な人にしたことはどんな理由があれ許されることではないけれど、それでもそんなことを彼女は思うのだった。


 一方で、弥助からもう考えるなと言われたことを考えてしまう。

 烏白を守っていたのは誰か。その人物とはいつどこで出会ったのか。色々なことを。彼が死んだことで全ての真相は彼の体の色とは程遠い色をした――闇の中へと消えていった。

 もやもやした思いは消えない。白い雪に覆われることなくさくらの胸の内に残り続ける。


 かくして、桜町で起きた白い烏の騒動は幕を閉じた。

 誰一人真相を知ることのないまま。

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