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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
聖なる日に舞い降りる白羽
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聖なる日に舞い降りる白羽(6)

 こうなったら力尽くで答えさせてやる! というかこんなふざけた真似やめさせてやる!

 そう啖呵を切ったことを、紗久羅は後悔し始めていた。

 追いかけっこを始めて幾星霜――とまではいかないが、それなりの時間が経っている。しかし事態は進展も後退もしていない。


 烏白は四人の目の前を飛んでいる。飛ぶ速度も遅いから、簡単に捕まえられそうなものなのだが、これが何をどうやっても捕まえられない。

 やた吉が錫杖で地面を叩く。叩いた場所からやや黒っぽい――寿命終わりかけの蛍光灯――光で出来た触手のようなものがわさわさ出てくる。その姿はまるでイソギンチャクのよう。薄気味悪いそれはどんどん伸びていって、烏白を絡めとろうとする。光のイソギンチャクに捕食されそうになった烏白だったが、案の定どこからか(恐らく後方から)飛んできた光の矢によってイソギンチャクは雲散霧消。不気味な姿だったが、散り際だけは妙に美しかった。

 その攻撃が消されるのは想定内、とばかりに間髪いれずに今度はやた郎が息をふう、と吹いた。その息は強風となり、烏白の体を煽る。ほんの少しだけ、バランスを崩す。これはチャンスとばかりにやた吉が烏白へ飛びかかった……が次の瞬間彼の体は見えない何かによって地面に叩きつけられた。


「ぎゃん!」

 襲われた犬のような声をやた吉があげたら、烏白がけらけらと笑った。ぎゃんだってさ、愉快愉快! と起き上がろうとしているやた吉を馬鹿にするような(ような、は恐らく余計だろう)ことを言い、わざわざ彼の所まで行ってその頭を思いっきり踏みつける。この野郎、と紗久羅は烏白に飛びかかるもひらりと彼は舞い上がって、紗久羅はぐらりと勢いあまって前のめり、そのまま体を起こしかけたやた吉へダイブ。ぎゃん、という悲鳴が再び響き渡る。


 紗久羅とやた吉が起き上がるまでの間、やた郎は道端にあったやや大きめの石を片手に何やら呪文らしきものを唱える。唱え終わると、その石は宙に浮かび、変則的な軌道を描きながら勢いよく烏白の方へと向かった。まるで生き物のように、予測不可能な動きをする石であったが、それをも烏白は器用に避けた。まるで踊っているかのような華麗さだ。やた郎は烏白が隙を見せたらそれを思いっきりぶつけてやろうと思っていたようだが、結局彼が一瞬の隙を見せるに砕かれてしまう。砕かれ、小さな破片となった石達。しかしやた郎が地にばらばらと落ちゆくそれめがけて息を吹きかけると、石は小さな烏へ早変わり。


「行けえ!」

 小さな烏達はばらばらに動き、烏白に襲い掛かる。


「なんだ、このちみっこいの。こんな奴俺のくちばしでひと突きだ!」

 かあかあ笑いながら烏白が自分の顔の前に来た小さな烏をごつんとひと突き。


「よし!」

 それを見たやた郎が小さくガッツポーズ。烏白に突かれた途端小さな烏は正方形の薄い布のようなものになった。それは烏白のくちばしをがっちり包み込む。くちばしを包んだ布はばちばちと黒い閃光を放ち、烏白の体を取り囲むようにした。烏白の動きが急速に鈍くなる。ダメージも少なからず受けているようだ。飛び方も滅茶苦茶になり、へろへろと波を打ったかのように上へ行ったり、地面に近づいたり。


「今だ!」

 やた郎と、体勢を立て直したやた吉が同時に烏白へと飛びかかる。二人が伸ばす手は確実に死にかけの蚊のようになっている烏白を捕らえるだろうと思われたが。

 彼の体に触れる寸前、空から光の矢の雨が降り、烏白の間近にいる二人を襲った。そのことを素早く察知した二人は慌てて結界を張り、己の身を守る。自分達を襲った矢は上手いこと防御することが出来たが、烏白の体――正確にいうと烏白の体を包んでいたやた郎の捕縛術――をそれが貫くことは止められず。

 光の矢の雨が収まった後、やた吉とやた郎はその場に崩れ落ちる。


「あ、危なかった……」


「当たっていたらやばかった」

 あの矢は浄化の力を持っていたらしい。結界で守っていても、少なからずその力によるダメージを受けたらしい二人はぶるぶる震えている。一方上手いことやた郎のかけた術だけを浄化してもらった烏白は再び勢いを取り戻す。

 さくらは座り込んでしまった二人の下へ駆け寄った。


「やた吉君、やた郎君、大丈夫?」


「とりあえずは。ああそれにしても本当に危なかった。協力者とやらは烏白を守る為なら、仇なそうとする者を殺しても構わないと思っているよきっと」


「どうしたの? もうへばっちゃったの? あはは、あんた達弱いなあ! あんまり弱いとつまらないや。もう遊ぶのやめようかなあ」

 わざわざこちらを振り向き、嫌みったらしく言って彼は笑う。烏白は本当に四人と遊ぶことをやめようとしているのか、飛ぶスピードを早くする。ほんの一時でも死んだ蚊のようになっていたことが嘘のようだ。

 この態度にかちんと来たのは紗久羅だ。挑発には全部乗る、それが彼女である。


「うるせえ! そんな弱い奴等に捕まえられそうになったくせに、おいこら待ちやがれ、まだ終わっちゃいないぞ!」

 紗久羅はまだへたりこんでいる二人と、彼等に声をかけているさくらを置いて、単身烏白を追いかけにいってしまった。


「ちょっと紗久羅ちゃん!」

 さくらはそれを止めようとしたが紗久羅は聞く耳持たず。相手は何をするか分からない。下手すればやた吉とやた郎のような目にあってしまうかもしれない。しかしまだ二人は立ち上がれそうに無かった。かといってさくら一人で彼女を追いかけても何の助けにもなってやれない。


「一人勝手に突っ走られたら困るのに……ああでも駄目だ、思った以上にきつい。多分結界を張るのが少し遅れたからだ。けれど、急がないと。彼女に何かあったら出雲の旦那に必ず殺される。お前達がついていながらとか何とか言って」

 かなりだるそうにしながら、やた吉は手に持っていた錫杖を振り上げ、それで地面をとん、と叩く。やた郎も同じように。すると錫杖につかれている辺りの地面が光りだす。その光は先程やた吉が地面から出したイソギンチャクのようなものと同じ色をしていた。その光は錫杖へ吸い上げられ、更に二人の体へと流れ込んでいく。二人はその格好のまましばらく動かなかったが、やがて錫杖を地面から離す。すると明らかに悪かった顔色が、すっかり良くなっていた。


「今のは一体」


「山に流れている力を少しだけ貰ったんだ。それで体力を回復した。まあ応急処置の様なものだけれど。さっきおいらが出したあの光の触手みたいなものも、同じものだ。それより早く行こう。紗久羅が心配だよ」

 二人は立ち上がり、先へ行ってしまった紗久羅と烏白を追う。さくらも二人と一緒に走り出した。


 一方、紗久羅と烏白は追いかけっこを続けていた。とんでもない速さで山道を登りながら紗久羅は烏白を口汚く罵る。疲れにくくなる術をかけてもらったお陰か、まだまだ結構元気である。

 そんな紗久羅以上に烏白は元気で、余裕で。歌ったり、くるりと大きく一回点してみせたり、紗久羅の手がぎりぎり届くか届かないかという位の高さにある木の枝に止まって挑発してみせたり。彼のその態度に紗久羅はいちいち腹をたてた。


「ほらほら、こんなに近くにいるんだよ? 捕まえてみせなよ、威勢だけはいいお嬢さん!」

 今度はわざと捕まえようと思えば捕まえられる位近づいてみせる。紗久羅は勿論手を伸ばすが、そうすると彼はひょいっとそれをかわす。実に見事な、無駄の無い動きで紗久羅の伸ばす手から逃れ、時々紗久羅の頭を踏みつけたり、彼女が伸ばした両腕をラインに見立てて高速反復横とびをしてみせたり。紗久羅は反応が良く、烏白の動きをちゃんと追えている。追えてはいるが、彼を捕まえるには少し遅い。まだ追っている相手が紗久羅だから良いものの、これがさくらであったらお話にならなかっただろう。

 烏白は必死に自分を捕まえようとする紗久羅の姿が面白くて仕方無いのか、しばらくこの『遊び』を楽しんでいた。


「いい加減おとなしく捕まりやがれ……ええい、この!」

 目の前に現れた彼の足を掴もうとするが、失敗。右へ左へ、花の周りをひらり飛び回る蝶の様に動き回る烏白の、彼女を馬鹿にした腹立つ笑い声が響き渡る。


「生憎おとなしくなるって言葉を知らないものでね。あはは何やっているのお嬢さん、俺は今あんたの右にいるんだよ? 左に飛んでどうするのさ。おっと今度は上だよ。右、後ろ、左、あっはっは、遅い遅い!」

 烏白はいきなり紗久羅から離れ、彼女に背を向け、青い空めがけて急上昇。

 青い空に重なる白、まるで、雲。山を構成する木々よりもずっと高い所まで飛んだかと思ったらくるり、百八十度体の向きを変え。

 今度は、目にもとまらぬ速さで急降下。雪、などという可愛らしいものではない。空から紗久羅めがけてやって来たのは白い弾丸だ。


(まさか、あたしの胸を突くつもりか!?)

 少しの迷いもなく自分に向かってくる烏白を見て紗久羅は肝を冷やした。あんなスピードで突っ込まれたらたまったもんじゃない、紗久羅は頭を抱え、思わずその場にしゃがみ込む。頭上を鋭く冷たい風がびゅんと走るのを確かに紗久羅は感じた。紗久羅はしゃがみながら体の向きを変え、烏白の姿を追おうとする。だが、彼の姿がどこにも見えない。


「あの烏! どこへ行ったんだ」

 紗久羅はすっくと立ち上がり、目をこらす。彼の姿はこの山の中では目立つ。

 しかし上手いこと隠れたのか、紗久羅の目に憎きその姿が映らない。見失ってしまったのか、いや、それはまずい、大変よろしくないとあせる紗久羅を嘲笑う声。


「そこか!」

 声のした方を振り向いた。彼は近くにいた。思いの外近くにいた。近くにいた、というか急接近してきている。また胸を突こうとしているのだ。今度はしゃがむ余裕さえなかった。


「きゃあ!」

 思わず紗久羅らしからぬ悲鳴をあげ、目を瞑り両手で身を守ろうとした。

 だが待てど暮らせど来るはずの衝撃がこない。恐る恐る目を開ければ、眼前に烏白の姿。


「あっはっは! ちょっとからかっただけなのに、あは、あはは! きゃあだってきゃあ、だって! 女の子かっての! ああ一応あんた女の子だっけ? あんまり口が悪いからそのことすっかり忘れていたよ! うん、あれ、女の子だよね? 胸小さいけれど、女の子だよね?」

 紗久羅が顔を真っ赤にしながら拳を突き出す。今回は彼を捕まえようとしたのではなく、殴ろうとしていた。マジで殺しにかかった。当然のように避けられてしまったが。


「本当嫌な奴だな! お前滅茶苦茶嫌われているだろう?」


「まあ好かれてはいかないかなあ。産まれた時から嫌われ者だったっけ。俺のことを好きだと言ってくれたのは『あの人』だけだ」


「そりゃそれだけ性格悪けりゃ嫌われもするだろうさ。体はものすごく綺麗な色をしているのに、中身は真っ黒だもんな!」

 紗久羅のその言葉に、意外なことに烏白はむっとしたらしい。今まで見せなかったような顔つきに紗久羅は驚いた。


「別に産まれた時からこうだったわけじゃないよ。こんな色の体に産まれてさえこなければ、俺だって。俺は嫌いだ、こんな体の色。綺麗だとか、そんなこと少しも思わない。白なんて嫌いだ。嫌になっちゃうよ、皆が当たり前のように持っているものを、俺は持っていない」

 その声からは、自分の体の色――白、という色を憎む気持ちが滲み出ていた。

 聞いた者に痛みを与える位強く激しい思い。紗久羅は思わず後ずさる。


「紗久羅、伏せて!」

 追いついたらしいやた郎の叫ぶ声が背中を叩いた。紗久羅は烏白の言葉によって受けた痛みに戸惑いながらも、その声の指示通りさっとしゃがんだ。

 直後、紗久羅の頭上を通る何か。見ると八方から中心……烏白の所に向かって、何十本もの白い糸が走っていた。烏白はそれが自分を捕らえる前に、青空へ向かって急上昇する。白い雪が舞い上がる。烏白が先程までいた場所に集まった糸は、彼を追うようにして上へと上っていく。それは烏白に負けず劣らず早かった。ぐんぐん、ぐんぐんと昇っていく。白糸の滝、白い光の柱、ぐんぐん、ぐんぐん、昇って、伸びて。


 もしその糸よりも白く、その糸よりも輝いている光の矢に断ち切られ、消え去っていなければ確実に烏白を捕らえることが出来ただろう。

 悔しそうな表情を浮かべながらやた吉とやた郎、そしてさくらが山を駆けて登ってくるのが見えた。


「紗久羅、烏白に何かされなかった? 大丈夫?」

 

「え、ああ大丈夫。特別攻撃はされなかった」

 紗久羅の返答に一同ほっと胸を撫で下ろす。やた吉とやた郎はさくら以上にその事実に安堵している様子だった。彼女の安否に自分達の命がかかっているのだから、当然といえば当然である。

 

「あまり無茶しちゃ駄目よ、紗久羅ちゃん」


「ごめん、ごめん。ついかっとなっちゃってさあ。そういえばあの烏野郎、どこ行った? 二人の術から逃げたところまでは見たんだけれど」

 確かにあの烏白のうるさい声が聞こえなくなり、山が少し静かになった。その静寂が逆に気持ち悪い。これが嵐の前の静寂でなければ良いのだがと皆思うのだった。


 突然した濃く甘い、花の様な香り。それを嗅いだ途端四人は頭がぼうっとするのを感じた。やた吉とやた郎は慌てて鼻をつまみその匂いをシャットアウトしようとしたが、時すでに遅し。


「俺はここにいるよ」

 静寂を突き破ったその声は、嵐を呼ぶ声でもあった。紗久羅が声のした方を見上げると、木々に切り取られた空に烏白が浮かんでいる。

ところが。さくらが紗久羅とは正反対の方を向いて、あっという声をあげた。


「紗久羅ちゃん! こっちにも烏白君がいる!」


「ええ!?」

 さくらの指差した方を慌ててみてみれば、確かにそこにも烏白の姿があった。

 何が何だか分からず混乱する二人。そんな二人を更に混乱させる、いやもう混乱通り越して訳が分からなくさせる事態が直後、起きた。


 それを見た時、二人は声を失った。あんまり驚くと声なんていうものは出なくなるものだ。

 世界が急に白くなった。まるで雪が降り積もったかのように。世界から色という色がなくなってしまったかのように。そうさせたのは烏白だった。

 烏白の数が、増えた。一羽二羽ばかりではない。いちいち数えたら心がくじけてしまう位の数になってしまった。木々を、登山道を、空を、草むらを覆いつくさんとする無数の烏白。


「ど、どうなっているんだよ……!」


「これは幻覚だ。くそ……気がつくのが遅かった!」

 やた吉とやた郎の目にも無数の烏白が見えるらしい。

 無数の烏白が、一斉に笑い声をあげた。かあかあ、かあかあ、あっはっは。

 たった一羽の烏が笑っただけでも耳障りだというのに、それが何十、何百羽ともなるともううるさいどこの話ではなかった。耳は痛くなり、脳みそはぐわんぐわん激しく揺らされ、体は痺れ。


「どれが本物の烏白、君?」

 ただそれだけ言うのも一苦労。他の人の声はおろか、自分の声も殆ど聞こえない状態だから、そもそも自分が言いたいことをちゃんと言えているのかも分からないという有様。

 烏白は顔をしかめ、頭を抱える四人の姿を見てまた笑った。


「笑うな!」

 そう紗久羅が言ったら、笑い声が余計大きくなった。その笑い声がしばらくして止んだと思ったら、今度はそれぞれ別のことを喋りだす。関係のあること、ないこと、ぺらぺらと、ぺちゃくちゃと。


「さあどれが本物でしょう?」


「俺かなあ?」


「俺だったりして」


「俺のような気がする」


「あの時見た花は綺麗だったなあ。夕焼けと同じ色をしていた」


「今日は何食べようかなあ」


「最近は寒くてかなわないよ」


「あそこにまた行きたいなあ。あそこの海はどの海よりも綺麗な色をしていた」


「死にそうになったよ、あの時は。でもあの時死んでいれば良かったのかなあ。ああ、けれど死んでいたら見られないものもあったか。じゃあ生きていて良かった」


「折り紙欲しいなあ、折り紙」

 もう何を言っているのか、さくら達にはただ一つとして分からない。声の波紋が四人を酔わせる。頭ががんがんして、方向感覚も分からなくなって、自分がどこにいるのかさえ分からなくなって。

 叫んでも、喚いても、どうにもならない。その声さえかき消されてしまう。

 自分達は今本当にこの場にいるのか。ああもう何もかも分からない。


「林檎って宝石みたいだ」


「あの人は今頃何をしているかなあ」


「かっかっか、あっはっは」


「今度はどこに行こうかなあ。ここにずっといるわけにもいかないし。あ、でも離れたらあの人と別れることになる。それは嫌だなあ」


「問題は一つじゃない。あれをどうやって運ぶか。うん、運べないなあ……やっぱり当分ここにいようかな」


「白黒の世界も嫌いじゃない」

 まあ、本当にうるさい。うるさい上に痛くて気持ち悪い。やた吉とやた郎は集中し、どうにかこの状況を打破しようとしているようだったが。


「駄目だ、頭が痛くてなかなか集中出来ない」


「俺達にこの幻覚を見せている奴の力が強すぎる。相当頑張らないと、打ち破れない」

 頭を抱え、幾度となく苛立ちながらもどうにか錫杖に力を込め、呪文を唱える。

 喚くだけで動かなかった無数の烏白が、一斉に飛び立ち、一箇所に固まっている紗久羅達に襲いかかった。彼等の翼が体を打ち、くちばしが柔らかな肌を突き、笑い声が耳を突き破る。

 さくらはその場にしゃがみこみ、紗久羅は罵声を浴びせながら自分に襲いかかる烏白の幻を手当たり次第に殴りつける。勿論幻であるので、一切効果はなかったが。だが幻だと分かっていても、痛みは感じるし彼等の体に拳がめり込む感触もあった。


「二人共、ごめん! 結界を張って守ってあげたいのは山々なんだけれど」


「今はこいつらを消すので精一杯だ」

 やた吉とやた郎は二人に詫びながら(最もその声は殆ど二人の耳に届いていなかったが)錫杖で襲いかかる烏白の体を打つ。紗久羅が殴っても無反応だった幻達は、彼等の錫杖に当たると細かい光の粒子となって散って、消えていく。

 無駄の無い動き、彼等を打ち消すのに必要最低限の力で二人はばったばったと烏白の幻をなぎ倒していく。幻の痛み、及び幻の中にいる本物の烏白による攻撃に顔をしかめながらも彼等は頑張った。しかし幻の烏の数はなかなか減らない。


「ある村にいた老婆の作っていた蜜柑の色はいっとう美しく鮮やかだった」


「大分飽きてきたなあ」


「白が好きな人の気が知れない」


「お酒って美味しいのかねえ」


「夕陽を閉じ込めた石というものが実在していたら、俺はどんな手を使ってでもそれを手に入れるだろう」


「冷たい水が飲みたいなあ」


「蛙の歌と烏の歌って、どっちが綺麗かな」


「ああ、もううるさいうるさいうるさい!」

 紗久羅は自分の顔面をぺしんと翼で叩いた烏白にアッパーを決める。勿論効果は無し。その烏白は直後、やた郎の錫杖に頭を叩かれて消えた。


 無数の烏白の声に混じって、誰かの笑う声が聞こえたような気がしたがそれが気のせいだったのか、気のせいじゃないとして一体誰の声であるのか四人には分からなかった。

 白い世界に色が戻っていく。そうなるまでにどれだけの時間がかかったのか、誰にも分からない。


 最後の一羽が空高くへ逃げていこうとする。やた郎は彼に向かって、手に持っていた錫杖を思いっきり投げた。彼の手を離れた錫杖は金色の矢となり、烏白の体を貫く。しかしその最後の一羽もまた幻であった。

 白い世界はすっかり元通りになり、そして静寂が再びこの山に帰ってきた。

 相当力を使ったらしいやた吉はその場に膝をつき、やた郎もまた投げた錫杖を拾った後座り込む。紗久羅とさくらは背中合わせになってその場にぺたり。

 結局本物の烏白は幻の消滅と共に姿を消し、この日はもう四人の前に現れなかった。


「たとえ現れたとしても、今日はもうこれ以上何も出来なかったよ。幻術を破るのに力を使い果たしちゃったから。……これ程までの力を使わなければ破れないなんて、滅茶苦茶だよ。ああもう駄目、おいら疲れちゃった」


「もっと修行しないと、まずいなあ、これは。」

 ちなみに二人の体は傷だらけになっている。どうやら本物の烏白が頻繁に彼等を襲っていたらしい。一方紗久羅とさくらは無傷。しかし傷はなくとも精神的に疲れてしまった。二人の脳はまだ揺れ続けているし、耳は麻痺してろくに音を拾わない。幻でもそれだけの力があるのだ。

 紗久羅は悔しそうに地面を叩く。


「くそ、折角あいつと会えたってのに」


「ごめんよ、二人共」


「お前達が謝ることはないよ。あたし達の方こそ、ごめん。巻き込んだ上にそんな怪我までさせちゃって」

 四人、他にも色々話したいことはあったがすっかり疲れてしまい、それ以上何も話すことは出来なかった。

 とりあえず今日のことについては明日、改めて話し合うこととなり、桜山を下りた所で解散した。


 俺はどんな世界だって見られる。鳥の世界も、虫の世界も、猫の世界も、犬の世界も、人間の世界も、何だって見られる。

 生き物によってそれぞれ見ている世界は違う。同じ物なのに、目が違うだけで、変わる。けれどきっと俺の体は誰が見ても同じように見えるのだろう。


 俺は弱い。弱いけれど、沢山の世界を見ることが出来る。

 それはきっと俺が焦がれているからだ。強い思いを抱いているからだ。だから、見えるようになったんだ。俺のくちばしが力を得たように、この目にも力が宿ったのだ。


 俺は焦がれた。そして沢山の世界を見られるようになった。

 そして沢山の世界を見て、ますます、焦がれるようになった。


 俺は俺が嫌いだ。こんな体に産まれたことをずっと後悔している。

 けれど、あの人に「綺麗だね」と言われて初めて俺はほんの少しだけ俺のことを好きになった。

 あの人が綺麗だと言ってくれた俺を、俺は少しだけ、好きになった。


 二十九日。紗久羅は友人のあざみと携帯で話をしていた。話の内容は主に初詣のことだ。一日、あざみと咲月、そして今年は柚季も入れて四人で行こうという話になっていた。もうここ数年恒例の行事、集合時間や場所等もすでに決まっている。今回の電話は決まった事項を改めて確認する為――というのは表向きの話。結局の所は、それを口実に友人と喋りたかっただけである。昨日は烏白(というよりは彼の協力者)によってこてんぱんにされてしまった。だが家に帰ってからぐっすり寝たらすっかり元気になった。


「咲月は今年も振袖を着てくるって。あの子本当に似合うもんね、着物姿」

 あたしが着たら七五三とかなんとか言われてお終いだろうなあとぼやくあざみ。


「あはは、確かにお前の着物姿は七五三って感じだろうな。ま、かくいうあたしも同じようなこと言われるだろうけれど」


「紗久羅の場合『振袖なんか着てる! 嵐が来るぞ!』とか『鬼の攪拌(かくはん)だ!』って言われるんじゃない?」


「それを言うなら鬼のかく乱だろう? 本当お前は馬鹿だなあ。柚季ももしかしたら振袖着てくるかもしれないって。きっと着物姿の柚季、可愛いだろうなあ」

 その姿を一人妄想し、思わずでれでれしてしまう。変な笑い声を電話越しで聞いたあざみは小声で「エロ親父?」と呟いた。その上で、紗久羅まで振袖着てくるなんてことないよね、この前の夏祭りのようなことになったら罰として何かおごってもらうからねなどと言ってみせる。紗久羅はそれを聞いて苦笑いする。流石の出雲も振袖を自分にプレゼントするなんてことはないだろうと思ったからだ。出雲の姿を思い浮かべたら、続けて烏白の姿がぽわぽわ現れた。

 紗久羅は一人、ため息。


「もう後少しで今年も終りか。すっきりした気持ちで終わりと始まりを迎えたいものだけれど、うは……白い烏の野郎がこの町にいる限りはそれも叶わないような気がする。本当あいつはとんだ迷惑烏だ」

 何気なく言った言葉だった。ところがそれを聞いたあざみが憂いを帯びた息を吐いたので紗久羅はどきりとした。


(自分が襲われたことを思い出して憂鬱にでもなったのか? いや、でも食べ物食っただけで忘れられたような出来事だし)

 どうしたのだろう、と思った時再びあざみの声が聞こえた。


「白い烏かあ……はあ」


「どうしたんだよ、あざみ」


「いや、ね。こんな話あまり関係のない人にぺらぺら話すのもどうかと思うのだけれど……実は、先日日白い烏に襲われた男の人が……亡くなっちゃったの」


「え?」

 先程までの楽しい話から一転、穏やかではない話に変わっていく。そのことを話すあざみの声のトーンも低く重いものへ変わっていた。


「すぐ近くの家に住んでいた人でね、まだ若かったのに会社で突然倒れてそのまま……。何度かその人と言葉を交わしたこともあったし、その人の子供とも時々遊んであげていたから少なからず交流はあったわけで……だからそれを聞いてあたしショックで」

 実はそのショックを紛らわす為にあざみは紗久羅に電話をかけてきたらしい。


「その人の奥さんね、もう滅茶苦茶に取り乱しちゃって。今日も朝、突然外から叫び声と泣き声みたいなものが聞こえて、びっくりして外を見てみたら奥さんが道端にしゃがんで泣いていたの。『あの白い烏があの人の魂を抜いたんだ、だからあの人は死んじゃったんだ』って言いだして。よく見たら電信柱にあの白い烏がとまっていた。結局奥さんは一緒に歩いていたらしい人になだめられながら立ち上がってまた歩き出した」


「魂を、抜いた……」


「そんなこと有り得ないとは思うけれど。白い烏に襲われたことと、その人が死んでしまったことは関係ないとは思うけれど。でもそれを聞いた時はそうなのかもしれないなあって思っちゃった」

 それ以上男性の死に関する話が続くことはなく、また別のことを話した後電話での会話は終了した。電話を切った紗久羅は立ち上がり、さくらと共に秋太郎の家へと向かう。再びそこで烏白のことについて話し合うことになっていたからだ。


 やた吉とやた郎は昨日散々烏白(と協力者)にこけにされまくったからか、ややぐったりとした様子だった。彼等は口を揃えて「自分達の力ではどうにも出来ないかもしれない」と言ったが、それでも一度差し伸べられた救いを求める手を簡単に振り払うことが出来ないのか、こうして今日も紗久羅達に付き合っている。

 烏白とようやく接触出来たものの、その邂逅によって得ることの出来た情報はあまりに少ない。


「名前が烏白であること、全国を飛び回っていること、確かに協力者は存在していること、自分の体の色は好きではないこと……位しか分からなかったもんな、昨日は」


「色々聞いたけれど、殆ど答えてくれなかったものねこちらの質問には。目的とかも分からずじまいで」

 前へ進んだようで、全く進んでいない。その事実がただもう歯がゆい。四人で話す内容も昨日までと何にも変わらない。

 しかし紗久羅が先刻あざみから聞いた話を思い出したことで、四人の足が前へ進むこととなった。

 紗久羅は何気なく話した。亡くなった男性のこと、その人の奥さんが言った言葉など。


「――で、あの白い烏があの人の魂を抜いちゃったんだって叫んだそうだ。烏白に襲われた者の中で亡くなったのはあたし達の知る限り、その人と老犬だけ。若くても突然死んでしまうことはあるし、犬の方は大分寿命が近かったようだし……唯の偶然だとは思うけれど、ちょっと気味が悪いよな」

 本当に何気なく言った。しかしその何気なく言った言葉にやた吉とやた郎ははっとしたような表情を浮かべ、お互い顔を見合わせこそこそと二人だけで話し始めた。紗久羅は思わぬ反応に驚き、思わず目をぱちくり。


 しかも二人してその後「どうして今までその可能性を考えてこなかったのだろう」と悔しそうに言うものだから、ますます紗久羅は驚いてしまう。隣に座っているさくらも冷や汗たらり、喉をごくり。

 自分達の意見がまとまったらしいやた吉が、口を開いた。


「もしかしたら本当に烏白は抜いているのかもしれない――魂を」

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