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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
聖なる日に舞い降りる白羽
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聖なる日に舞い降りる白羽(4)

「ものの見事にやられたって感じだよ」

 二十八日、秋太郎宅。お行儀よく正座しながらそう話すやた吉の顔はまるで苦虫を噛み潰したかのよう。隣にいるやた郎も同じだ。

 ちゃぶ台の向こう側に座っているさくらは残念だとため息、その隣にあぐらをかいて座っている紗久羅は頭をかきながら悔しいなと呻く。


「一つ残らず俺達の仕掛けた『網』は消されていた。無理矢理破ったって感じじゃなかった……何の苦もなく取っ払ったって感じだった。いっそ笑いたくなる位綺麗に消し去っていたよ。『網』を消した際に使っただろう力の痕跡だって少しも残っていなかった」


「おいら達、攻撃に使う術は得意じゃないけれど結界を張るのとかちょっとした罠を仕掛ける術とか……そういうものは得意なのに。今回かけた術もそれなりの力をもっていないとあそこまで綺麗に消し去ることなんて出来ないはずだったのに。上手くいくかどうかは微妙だと思っていたけれど、あそこまで見事にやられるとは思っていなかったよ」

 やた吉はがっくりとうなだれる。術をいとも簡単に破られてしまったことがショックであるらしい。

 しかしそんな彼等の気持ちよりも『網』を取り去ったものは一体誰なのか――そちらの方が気になる紗久羅とさくらは二人を慰める言葉をちょっとだけかけてから『網を外した犯人は誰か』という話をする流れへともっていく。


「白い烏が自分で外したっていう可能性は無い?」


「山の烏達の話を聞く限りでは、あそこまで綺麗に網を取っ払えるだけの力は無いように思える。山の烏達に襲撃された時も結局姿の見えない誰かに助けてもらっていたようだし」


「ただ力自体は弱くても、あることにだけは特化しているってこともあるからねえ。おいら達は出雲の旦那よりもずっと弱いけれど、結界能力だけは旦那に勝っている。まあやた郎と一緒にやること前提だけれどね」

 白い烏も術を破るとか、そういった能力だけは秀でているのかもしれないとやた吉は最後に一言付け加えた。弱いからこそ自分が生き残る為に必要な能力だけは優れているという場合もあるのだ。それは妖に限らず、この世界に住んでいる動物にも言えることである。

 

「現時点で断言は出来ないけれど、網を外したのは烏じゃなくて何らかの理由でそいつを助けている奴なんじゃないかな。関係の無い人が外した可能性もゼロではないけれど、まずないような気がする。やた吉もそう思うだろう」

 頷くやた吉。さくらと紗久羅も何となくそうなんだろうと思った。


「それじゃあ網を外したのは誰だ? あの烏の手助けをしているらしい奴は一体何者で、何が目的なんだ?」


 白い烏の目的も気になるが、彼のことを何かと助けている(らしい)人物のことも気になる。それらを知る為には白い烏に直接聞くのが最も手っ取り早い方法だったのだが、残念ながら彼を捕まえることは出来なかった。捕まえられなかった以上、とりあえず自分達で色々考えるしかない。

 皆して白い烏と、その烏の協力者のことについて考える。腕を組み、家の中に満ちる冷たい空気に肌を撫でられていることにも気がつかない位集中して。


 その内、紗久羅の頭の中にある人物の姿が浮かぶ。美しい弓を手に持つ、藤色の髪をさらさらと揺らす美しくも性格の悪い化け狐の姿が――。


「……出雲」

 その名前に、ずっと考え込んでいたさくらややた吉やた郎が反応し、はっと顔を上げる。その名を挙げた紗久羅は怒りや呆れの混ざった息を吐きながら、右手を額にあて、それから舌打ち。


「考えれば考えるほど、あいつなんじゃないかって思えてきた。あの馬鹿狐ってこういうの滅茶苦茶好きそうじゃん。皆が慌てふためくさまを見てげらげら笑うことを至上の喜びとするような奴だし。あいつなら気配も消せるし、力もあるからやた吉達の術も簡単に破れるだろうしさ」

 紗久羅の言葉を聞き、目が覚めるような思いをしたさくらだった。確かに可能性は大いにあるとぽんと手を叩く。

 烏の協力者が出雲であると仮定すると色々と納得がいく。


「あの日白い烏についての調査が行なわれるってことは出雲さんも知っていたはず。満月館へ行った時そのことを話したから。出雲さんはそれを私達から聞いて、遊んでやろうと思ったんじゃないかしら。それで何かきっかけがあって知り合った白い烏にそのことを話して……挙句商店街で暴れさせた」


「あたし達の店はあの時何の被害にもあわなかった。あいつが『やました』は襲わないようにと烏に言ったのかも。そういえばあの日は珍しくあいつは来なくて、代わりに鈴が来たんだった。出雲はどうしたって聞いたら鈴は『遊んでいる』って答えた。あれは白い烏と一緒になって調査メンバーからかって遊んでいるって意味だったのかもしれない」

 二人の中で考えが固まっていく。あっという間にもうそれ以外の可能性を考えられなくなる位までがっちがちになってしまった。

 出雲ならやりかねない。この町でそういうことをしそうな者といえば出雲位のものだ。出雲以外誰がいるというのだ。犯人は出雲だ、出雲なのだ……。


「くそう、あの狐野郎!」

 確証をもった紗久羅は怒りに任せて立ち上がる。きっと今から満月館へ乗り込む――もしくは殴りこみに行くのだろうとさくらは思った。多分出雲と会うなり言葉より先に手を出すのだろうなあと冷や汗たらり。これは私もついていかないと出雲さん……ではなく、彼に殴りかかろうとした紗久羅ちゃんの方が危ないと彼女も続けて立ち上がった。まあ紗久羅が心配だから行く、というのは建前で結局の所は出雲から今すぐにでも話を聞きたいから行くのだが。

 ところが今すぐにでも行動を起こそうとした二人を、やた吉とやた郎が声を揃えて止める。二人はどうも紗久羅達の考えに同意していない様子。絶対そうだよ、と言われると思っていた紗久羅達にとってこの反応は予想外のものであった。


「どうしたんだよ。二人共あいつが協力者だとは思っていないのか?」

 紗久羅の問いかけに、口をもごもごさせ申し訳なさそうにしながら小さく二人は頷いた。


「おいら達も思ったよ、出雲の旦那なら充分有り得るって。そもそも白い烏が人を襲うようになったのも出雲の旦那が唆したからかもしれないとも思った」


「けれど、多分違う。白い烏に協力しているのは出雲の旦那じゃない」

 協力者が出雲であるとほぼ確信していた紗久羅達。一方やた吉達は協力者は出雲ではないと強く思っている。自分達よりもずっと長い間彼と付き合っている二人が『違うと思う』と言った事で、固まっていた考えがぐにゃり揺れて、ゼリーになってぶるんぶるん。違うのか、何でなんだ、と俄かに混乱しだす紗久羅。

 そんな彼女よりほんの少しだけ落ち着いているさくらはやた吉達に尋ねる。


「どうしてそう思うの?」


「……白い烏だからだよ」

 やや時間を置いてやた郎の口から出てきた答えは意味の分からないものだった。紗久羅が眉をひそめ「はあ?」と思わず聞き返す。

 出雲が協力者でないことと、桜町で暴れているのが白い烏であることに一体どんな関係があるというのか。

 やた吉も自分があまりに説明不足だったことに気がつき、一呼吸して再び口を開く。


「その烏の体の色が黒であったなら、俺達も二人の意見に同意したよ。俺達を紗久羅達の所へ助っ人として送りこんでおいて、俺達のやることの邪魔をする……いかにも旦那がやりそうなことだ。けれど今回この町で人を襲っているのは白い烏だ。出雲の旦那は白い烏……より正確に言うと『白い体』の生き物を助けたり、そいつと一緒になって遊んだりはしないと思う」

 だからそれはどういうことなんだと紗久羅は言おうとしたが、その前にやた吉が口を開いた。


「出雲の旦那はさ……嫌いなんだよ。白って色が一番」


「嫌い?」

 予想外の答えに二人は目をぱちくり。やた吉はこくりと頷き話を続ける。


「あんな色を綺麗だと言う人の気がしれないってよくぼやいているよ。嫌いっていうのを通り越して憎んでいるって感じ。特にあの烏の体のように何の色も混ざっていない純粋な白っていうのは最悪みたいだ。何十年だか前、真っ白な体をした妖に出雲の旦那が絡まれた時は」


「虫の息になるまで表情一つ変えないままその妖をぼこぼこにし続けた。俺達が死ぬ気で止めていなかったら、相手が息絶えるまでやっていたに違いないよ。普段は機嫌が悪くない限り、あの程度なら適当にあしらう位で済むんだけれど。絡まれたことに腹を立てたというより、白い妖が視界に入ってきた上にぴいぴい言い出したことに腹を立てたようだったよあの時は」

 出雲が妖をぼこぼこにするさまは悲しい位容易に想像できた。絡んできた相手が白かったってだけで、殺す勢いで危害を加えるとは、つくづく恐ろしい男だと紗久羅はぶるっと身を震わせる。


「旦那は基本的には白という色を嫌っている。その理由はよく分からないけれど。反対に赤色は好きみたいだよ」


「ああ……」

 これには二人共納得。いかにも血の色とか好きそうな顔していると彼の顔を思い浮かべながらちらりと思う。


「兎に角、そんな旦那が好んで……自らの意思で白い烏と行動を共にするとは思えないんだ。むしろ積極的にそいつを殺そうとするに違いない。お前の様な白い体をした烏が視界に入るなんて耐えられないとかなんとか言ってさ」

 さくらは以前に起きた奇妙な雨がこの町を中心に延々と降り続けた事件のことを思い返す。出雲は『こちらに来る度傘を差さなくちゃいけないのは面倒』という理由だけで、悲しい過去をもつ正信と雨音(あまね)をさっさと殺してしまった。

 そんな出雲だから、確かに『白い烏なんかの姿が視界に入るなんて嫌だ』という自己中心的な考えで白い烏をさっさと殺してしまいそうだとさくらは考える。


「確かにあいつは我慢って言葉とか知らないだろうからなあ。胸に抱いている嫌悪の感情を押し殺しながら白い烏と付き合うなんて芸当は出来そうにない。ああ、絶対あいつだと思ったのになあ! 殴り込みにいく口実が消えちまった」

 矢張り殴り込みにいくつもりだったようだ。ちょっと悔しそうにしながら紗久羅は低い声で唸る。


「けれどあの馬鹿狐じゃないとしたら、協力者は誰だ? 妖怪?」


「妖、とは限らないよ」


「……人間ってこともある」

 やた吉の言葉にやた郎が続く。


「紗久羅ちゃんの友達の柚季ちゃんみたいに、霊力を持っている人間ってこと? 人間にも姿を隠す術とかって使えるの?」


「使えると思う。気配を隠すことで存在を消す位なら」


「どちらも有り得るってことか。人間だとすると協力者は桜町の人間かな。白い烏が目撃されているのは主にこの町みたいだし。調査云々の話もこの町の人間だったら耳にすることが出来ただろうし」

 ただ紗久羅はこの町に霊的な力を持った人間がいるのか、いるとしてそれは誰で何人位いるのかということを知らない。それはさくらも同じだった。


「あの白い烏は桜山の生まれではないのよね、山の烏達の話によれば。彼は旅か何かが目的で全国を飛び回っている可能性がある。仮に協力者が人間だとして……その人は昔からこの町に住んでいた人なのか、それとも白い烏と一緒に行動を共にしていて、つい最近この町に引っ越してきたのか」


「白い烏は他の場所でも同じようなことをしてきたのか、それとも今までは何もしていなかったけれど、この町に来た途端人を襲うようになったのか。弥助曰く白い烏に襲われたっていう情報をネットでは目にしなかったんだよな」


「後者だとするとどうして白い烏は急に人を襲うようになったのか。この町で出会った誰かに唆された? それとも共に行動をしていた者が何らかの理由で人を襲うことを指示するようになった? やた郎はどう思う」

 やた吉に意見を求められたやた郎が考え込む。しかし良い考えは思い浮かばなかったらしく、申し訳無さそうに首を振った。


「分からない。協力者が烏に人を襲うよう言ったとしたらそれは何の為か。鬱憤晴らしでもしているのか、それとも出雲の旦那みたいに人が慌てふためくさまを見るのが好きだからなのか、ただの気まぐれか。協力者ではなく白い烏が自分の意思でやっている可能性もある。悪戯、遊び……多分そういったような理由で。けれどどちらにしたって分からないことがある。何故白い烏はその場に複数の人間がいても胸を突いて攻撃するのは一人だけに決めているのか、そして何故一回だけ突いたらさっさとその場を離れてしまうのか。悪戯とか遊び目的ならその場にいる全員に何かしそうなものなのに」


 そもそも何故胸を突くのか。胸を突くことに何か意味があるのか。どうして一回だけ胸を突くということ以外はしてこないのか(商店街での出来事など一部例外はあるが)。単純に悪戯がしたい、人間と(人間で)遊びたい――というわけではなく、人間を痛めつけてやりたいと思っているわけでもなく、何か別の目的・意図が『胸を一回だけ突く』という行動には隠されているのか。


「烏と協力者の関係も気になるわよね。協力者が人間の場合、一緒に暮らしてはいないってことよね。普段白い烏は山とかで生活しているようだし。放し飼い? そもそも飼っているのかしら。協力者が妖の場合……」


「……も多分別々に普段は行動しているんじゃないかな。山の烏達は、白い烏以外の来訪者のことを話していなかったし。四六時中気配を消しているってことは出来ないし……桜山――少なくとも烏達が暮らしている辺り――にはいないと思う」

 とやた吉。


「以前からずっとそういうスタイルをとっていたのか? それともやっぱりそいつと協力者が出会ったのはこの町?」


「協力者っていうのが人間で、かつ白い烏とずっと一緒に行動していたとなると……その人は引越しを繰り返していて、それでもってつい最近――二十四日頃この町に引っ越してきた可能性が高いわよね。少なくとも私達が住んでいる辺りに引っ越してきた人はいないけれど……弥助さんはそういうこと詳しそう。駄目元で聞いてみるのもありかも」


 それからも四人で色々話すものの情報が少ないゆえ、話題はぐるぐるぐるぐる回る。違う話題違う話題へいき、しかしろくな考えが出ないまま最終的に元の話題に戻り、またぐるぐる回る。回る内頭も目もぐるぐる回ってきた。

 別にさくら達が何かしなくてはいけないわけではないし、烏が全国を飛び回っているのだとすればまたいずれこの町から姿を消すはずだから放っておいてもいいといえばいいのだが、このまま白い烏に好き勝手なことをされ続けるのは紗久羅としては腹が立つ。また、烏に襲われるかもしれないと外に出るのを怖がっている町民も少なくない。


 自ら首をつっこんだ以上、矢張り何とかしたい、事態が良い方向にいくまで動き続けたいと思ってしまう。それはさくらも同じだった。相手が(多分だが)妖ならなおさらだ。彼は『向こう側の世界』の存在、そこに住む者達のことを知らない人には止められない。紗久羅、さくらも知っているだけで彼等に対抗出来るような力はないので結局の所やた吉ややた郎頼みになるのだが。


 二人は今日も弥助から話を少しでも聞こう、ついでに最近この町へ引っ越してきた人がいないかどうか聞いてみようと、やた吉やた郎を秋太郎の家へ置いて喫茶店『桜~SAKURA~』を目指すのだった。


 「おいこら待てこの烏野郎!」

 桜山、人がまず踏み入れることの無い奥の奥。山が持つ本来の空気がそこにはまだ色濃く残っている。優しく、厳しく、恐ろしく、美しく、神秘的でかつ気味が悪い。両極端のものを併せ持った形容しがたい空気だ。人に侵されていなければいないほど、その空気はより濃く残っているのだ。


 昼なお暗い山の奥には普段心地良い静寂が広がっている。そしてその静寂に包まれながら、今もそれなりの数の妖が暮らしていた。彼等はもう殆ど人間と関わりをもとうとしないし、自ら山を下りて人の世へ足を運ぶこともない。この世界は随分彼等にとって住みにくい世になってしまった。かといって長年居続けた世界から離れたくない、心地良い空気の包む山から離れたくない――と思った者や、この世界を離れる時期を逃してしまった者達が主にこの山に住んでいるのだ。


 静寂を突き破る怒号。それは、この山に住む妖のものだった。山を包んでいたものをびりびりと突き破る怒りの声やら何やらは一つだけではない。多くの妖達が、ある者に向けて一斉に叫び声をあげているのだった。

 暗い、暗い、山。黒とも緑とも青ともつかぬ山。そんな世界を、走りながら叫ぶ妖達の前を飛んでいるのは誰もが見惚れる位美しい……白い烏。


 烏はけたけた笑いながら、飛び続ける。しかもわざと空を飛べぬ妖でも捕まえられる位の高度で。


「ふざけた真似しやがって!」

 おかめのような顔をした妖が、近くにあった石をつかむ。普段は白い顔だが、今は怒りで真っ赤であった。彼は感情と共に石を烏にぶつけてやろうと、手に持った石を投げる。その石はまるで弾丸のように勢いよく飛んだが、白い烏にぶつかる前に何故か粉々に砕けてしまった。おかめの妖は舌打ちする。


「またか!」


「誰かがあいつの味方をしているんだ! 畜生め、一体誰だ!?」

 おかめの妖と一緒に走っていた、金魚の頭と人の体を持つ妖が叫ぶ。


 何故彼等は束になって白い烏を追っているのか。それはその白い烏が多くの妖を襲ったり、馬鹿にしたように彼等に対し悪さをしたりしたからである。

 白い烏はあらゆる妖達の前へ現れ、彼等の頭にぴょんぴょん乗ったり、髪の毛を引っ張ったり、糞を落としたりと悪戯をした。中には思いっきり胸をごん、と突かれた者もいた。そして白い烏はそうして誰かの胸を突くと一旦逃げ、しばらくして別の場所へ行くか、先程と同じ場所へ戻ってくる。それから同じことをまたするのだ。

 最初は小さなものだったが、時間が経つにつれどんどん騒ぎは大きくなっていった。烏が沢山の妖を襲ったからである。


 突然現れた明らかな余所者に、まるで馬鹿にされているかのように振舞われたことに妖達はど立腹。捕まえて八つ裂きにしてくれると皆して彼を追いかけたり、彼に襲いかかったりした。

 多勢に無勢。たった一羽の烏位あっという間に捕まえられる。そもそも相手は大した力をもっていないし、あいつ以上に早く飛べる妖も沢山いる――と最初彼等は高をくくっていた……のだが。


鷹彦(たかひこ)がやられた!」

 一人の妖が叫ぶ。指差した先には鷹の妖。上空から白い烏を捕まえようとしていたその妖は何者かが放った光の矢で翼を射られ、バランスを失ってひゅるひゅると地面へ向かって落ちていく。

 ある妖は白い烏に飛びかかっていったが、何かに体を吹き飛ばされて木に激突。憎き烏に向けられた怒りは跳ね返されなかったが、攻撃はことごとく跳ね返されたり、打ち砕かれたり。怒りなどという感情をぶつけられても、烏はへのかっぱ。心身共にダメージゼロ。


 どうやらあの烏には味方がいるらしい、ということはどの妖もすぐさま理解したが、その味方というのが誰で、どこにいるのかは全く見当がつかない。ただ分かるのは優れた力を持っているということ――恐らく、自分達等簡単に殺せる程度――だけ。


「鞍馬を呼ぶか? あいつならどうにか出来るかもしれない」


「それはそうかもしれないが、あいつはきっと『そんな下らぬことで我を頼るな』とかなんとか言うかもしれない」


「それでも、行ってみるしか」

 とある妖は決意し、方向転換をして桜山に住む妖の中でもトップクラスの力を持つ天狗、鞍馬の下へ走りだし――直後、倒れた。死にはしなかったようだが、相当な衝撃を受けたらしくぴくりとも動かない。それを目の当たりにした者の中に、代わりに俺が(私が)呼びにいこうと言い出すものはいなかった。


 白い烏は自分が何者かに守られていることがよく分かっているらしい。余裕の笑みを浮かべ、かあかあ鳴き、時々追っ手の妖達にちょっかいを出してはまた逃げる。

 彼に胸を突かれた妖が、手に持っていた金棒を振り回す。白い烏はそれを器用に避けた。妖は単調な攻撃をわざと繰り返した後、違うパターンの振り方をする。これは白い烏も予想外――だが、結局は失敗に終わった。金棒もまた粉々に砕かれてしまったから。愛用の金棒を砕かれた妖はその場に突っ伏して泣き始める。烏は馬鹿にしたように鳴きやがる。


「返せ! 俺の金棒を返せ……いや、金棒だけじゃない。俺の――もだ!」

 彼の二つの願いは当然のことながら白い烏には届かない。


 彼等の追いかけっこは長い間続いたが、最終的には山の妖達の敗北という形で幕を下ろした。ぐったり、こりごり、もう追いかけない。

 白い烏に、そして姿を隠している謎の存在にいいようにされた彼等。投げたものは壊され、直接攻撃しようとしたものは怪我を負わされ、甘い花の香りと共に様々な幻を見せられ……。


 ぐったりぐてんとした山に、烏と、誰かの笑い声が響いたような気がしたが、(どちらかというと精神的に)疲れてしまっていた妖達の耳には届かなかった。


「最近引っ越してきた奴? ああ、いるっすよ」

 弥助の言葉に二人は口をぽかんと開け、それから声を揃えて言う。


「いるの!?」

 店に入ってくるなり「最近この町に引っ越してきた人っている?」という質問をしてきた紗久羅に対し、弥助はなんのこっちゃと変な顔をしながらもあっさりと答えた。


「それって何日のことですか?」

 あごを弄くりながら記憶を辿る弥助。つい最近のことだからすぐ引き出しから必要な情報は引っ張り出せたらしく、程なくして口を開く。


「確か……二十三日、祝日だったな。この近くに引っ越してきて、この店にも来て珈琲を飲んでいったっけ。まだ若いのに、仕事の関係で引越しを繰り返しているらしいっすよ」

 顔を見合わせ、二人、絶句。


「二十三日って白い烏が現われる前日のことじゃん。しかも引越しを繰り返しているって……もしその人が引っ越している場所と、白い烏が目撃された場所が一致していたら」

 それから少しして、紗久羅は小声で隣にいるさくらに話しかける。さくらはただこくりと頷いた。

 お前等どうしたんだよ、と言った弥助は何か思い出した様子。


「ああそうだ。さくら……ってどっちもさくらか――サク、お前は案外その人と仲良くやれるかもしれん。性格はどっちかというとそっちのお転婆娘の方に近いが、好みはお前寄りっすよ。妖とか好きで、桜村奇譚集にも興味を示しているらしい」

 彼が何気なく言った言葉。それもまた二人の疑惑をますます強める要因になった。一度怪しいと思ってしまうと、もうどうしようもなくなってしまう。

 普段なら「まあ、それは素敵! 是非お話してみたいわ!」と言うだろうさくらが何も言わないので、弥助はますますおかしいと思ったらしい。改めて二人にどうかしたのかと問う。


 紗久羅とさくらは入り口近くで弥助に小声で事情を話す。やた吉やた郎の仕掛けた罠が取っ払われてしまったことから、出雲が白い烏と一緒になって遊んでいるのではないかという説がやた吉達に否定されたことまで、色々。

 一通り聞き終えた弥助は呆れた風にため息をつきながら、頭をわしゃわしゃとかく。


「白い烏が姿を現す直前引っ越してきた、しかも妖とかに興味がある上に引越しを繰り返している。だから夏目さん――ああ、引っ越してきた人のことっすよ――彼女が怪しいと思ったってか。白い烏と共に全国各地を転々とし、そしてこの町に来た。そしたら何故か白い烏は人を襲うようになり、彼女はそんな烏を皆から守る為暗躍するようになったと。阿呆かお前等は」

 一瞬にして全てを否定。二人はそれに反論出来ない。自分達だってそれが馬鹿みたいな考えだってことは重々承知しているのだ。


「確かにちょっと不思議な雰囲気が漂っている感じの人ではあるが。けれどだからといって……それにしてもまあよく考えるっすねえ。白い烏とほぼ同時期にこの町へやってきた、そして妖とかにも興味を持っている、だから怪しい! 白い烏の協力者かもしれない、なんて。滅茶苦茶な上に単純というかなんていうか。お前等あれだろう、推理小説とかに出てくるあからさまに怪しい人間を真っ先に犯人だと疑うタイプだろう。へっぽこ刑事と同レベルの思考」


「知るかよ。そもそもあたし本全然読まないし」


「いばるな。お前は少し位本を読め」


「私推理小説はまず読まないわ。櫛田さんや御笠君は割と読むようだけれど」


「今推理小説を読む読まないは関係ないっすよ!」

 何で話の本筋とは関係ない部分に二人して食いついているんだと弥助はただ頭を抱えるしかない。そうしつつも二人に何か言おうとする。恐らく馬鹿なことは考えず、さっさと家へ帰って冬休みの宿題でもしていろ――そんなことを言おうとしていたのだろう。


 その時、三人のすぐ後ろにあったドアが開いた。弥助は話を切り上げすぐさま営業モードになり、笑みを浮かべてお客さんを迎る体勢に入る。だが入ってきた人物を見て弥助のその笑みが少し強張った。

 ドアを開けて入ってきたのは一人の女性。見たところ満月と同じ、もしくは少し下位――二十五~二十七といった感じ。背も高く百七十は少なくともありそうだ。


 ショートボブの髪、紗久羅同様真っ直ぐで快活なイメージを与える眉、爛々と輝く瞳。白いブラウスに黒のネクタイ、ノースリーブの丈の短いジャケットにショートパンツ。ボーイッシュな雰囲気が漂っているが、程よく肉のついている太ももとなかなかいい具合に膨らんでいる胸、香水のものらしきほんのり甘い香りなどに女性らしさを感じる。

 女は店に入るなり、頭に被っていた黒い帽子を取った。紗久羅とさくらは彼女の顔に見覚えが無い。この町の人ではないように思われた。


「ふう、良い汗かいた。やあ弥助さんこんにちは。また来たよ」


「いらっしゃい。ってあれ、仕事はどうしたっすか? 休み?」

 強張った笑みは元通り自然な笑みになっている。

 確かに今、多くの人は仕事をしている時間である。それを聞いた女はにかっと笑う。


「いいや、そういうわけではないよ。私の仕事は時間とか休日とかそういうのあまり関係が無いから。自分がやりたい時、やりたいようにやるんだ」


「そうなのか。なんか羨ましいっすねえ」


「そう? 別に羨ましがるようなものじゃないけれど。ところでそこにいるお嬢さん方は?」

 女の目が初めて二人へ向けられた。きらきらと輝く瞳に思わずどきりとし、同時にぎくりとした。出雲に見つめられた時と同じような感覚が二人を襲う。

 決して彼のように冷たい目ではない。だが、似たような妖しさが彼女の瞳の輝きにはあったのだ。人であることは確かだろうが、普通の人ではないことは一目瞭然。


「ああ、こっちは臼井さくら。この店のマスターの孫だ。それでもってこっちは井上紗久羅。商店街にある弁当屋の娘っすよ」

 弥助によって紹介された二人は軽く頭を下げる。そうなんだ、と女は笑んだ。


「私は夏目梓(なつめあずさ)。つい最近この町に引っ越してきたんだ。宜しく」

 ああやっぱりと二人は思った。彼女こそが弥助の言っていた夏目さんだったのだ。彼女の眩い笑顔と、弥助の視線が、痛い。

 今初めて顔を合わせた人間に勝手な想像をされていたことなど微塵も知らないだろう彼女は未だにこにこと笑い続けていた。しかし初め無邪気だった笑みがやがて妖しさと冷たさを孕んでいく。


「商店街かあ……そういえば一昨日は大変だったそうだね。白い烏に滅茶苦茶にされちゃったんでしょう?」

 妖しく、冷たいその笑みはまるで商店街が大騒ぎになったという事実を楽しんでいる風に見えた。紗久羅が何も言わないでいると、梓は微笑みながら話し続ける。


「白い烏かあ。……私白って大好き。昔飼っていたペット達も皆白色だったっけ。兎に猫にハムスターに。白っていいよねえ……」

 その喋り方はどことなく白々しい。くすくす、という笑い声が二人の胸に突き刺さる。梓は体を強張らせている二人を見ると(随分わざとらしく)はっとしたような表情を浮かべ、それから彼女の顔に先程までの眩しい位明るい笑顔が戻る。


「ああ、ごめんごめん。酷い目に合った人の前で言うことじゃあなかったね。そんな怖い顔しないでおくれよ、ごめん、本当ごめん」

 手を合わせて、謝罪。一応心からの言葉であるらしい。二人の強張っていた体がぐにゃりと柔らかくなった。


「そういやさっき良い汗かいたとか言っていたが、散歩でもしていたっすか?」

 まるで紗久羅とさくらをかばうように少し前へ進んだ弥助が梓に話しかけた。

 梓はにこりと微笑む。妖しさ、という成分が少し含まれている笑みを。


「うん。ちょっと桜山にね」

 

 あの人が俺にくれた宝箱。俺だけがその箱の鍵を開けられる。中にはとても美しいものが沢山入っている。きらきらと輝いて、眩しいもの。


 南の海の色。若葉生い茂る山と、春の空を切り取って砕いて溶かして、水にしたような、色。白銀の網が上にかかって、きらきらと眩しい。

 夏の夜を飛び交う蛍の光と同じ色。淡くて優しい黄色に、緑色が少しだけ混じっている。蛍の命は儚いから、彼等の灯にも儚さがあるのだろう。でも俺がその儚さを大変美しいものだと思う。

 四季の花の色。赤、黄、青、紫……数えだしたらきりがない。彼等の姿にはいつだって目を奪われる。鮮やかでとても美しい。燃えるように輝いて、やがて力尽きて枯れていく。彼等の最期の姿を人間は汚いもののように見るけれど、俺はあの色さえ愛しい。

 夕焼けの色。赤く、赤く燃える空。地平の下へ隠れていく陽が力を振り絞り、空を燃やし尽くす。燃えて、燃えて、燃えて――燃え尽きた空は暗くなっていく。俺は燃え始めた頃と、燃え終わる頃の色が特に好きだ。沢山の色が混ざるから。


 俺はそれらを身にまとって、空を飛ぶ。その姿を俺は想像する。

 あの人から聞いたふくろうの染物屋の話を思い出す。俺にはやっぱり分からない。どうしてあの話に出てきた烏はふくろうに対して怒ったのだろう?

 

 想像の中でなら、俺は何にだってなれる。

 けれどもし本当に、この世のどこかにふくろうの染物屋があるのなら俺はきっとあの色に体を染めてくれと言うだろう。

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