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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
鬼灯夜行
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鬼灯夜行(11)

 どれ程の時間が経っただろうか。きっともう、いつもはとっくに眠っている時間だろうと思う。腕時計をつけてくれば良かったと、ちょっとだけ後悔した。お腹はもうすっかり膨れていて、これ以上は何も入らないと思う。ただ口が寂しくなるから、甘酸っぱい桃ジュースをちびちびと飲んでいた。大分温くなって、甘ったるさも最初の頃より強くなっている気がした。


 ああ、やばい。瞼が重くなってきた。少しでも気を抜いたら、眠ってしまいそうだった。けれど、こんな所で寝るのも気が引ける。というか、出雲の横で寝たくない。あいつに寝顔を見られるなんて、屈辱的なことだ。それに、出雲のことだ、寝顔について色々言うに違いない。そういう奴なんだよ

 出雲は、あたしの隣で、飲みもしない酒の入った竹筒を片手に、ぼうっと月を眺めているだけだった。鬼灯の主人は、自分の首に巻きついている白粉は無視して、柳と何か語り合っていた。

 他の妖怪達も、先程に比べると若干大人しくなっていた。大きないびきをかいて寝ている奴も多い。妖怪も、眠るのだろうか。けれど、ちっとも眠く無さそうな奴らもいる。人、というか妖怪によって違うのだろうか。


 騒いでいる声よりも、穏やかに談笑している声の方が目立ってきている。歌う奴も踊る奴もいるにはいるが、それも先程に比べれば随分静かで大人しいものだった。流石の妖怪も、ずっと騒ぎ続けていると疲れてくるのだろうか。しかし、中には疲れ等知らない、という風に暴れているのもいる。


 なんだか、頭がぼうっとしてきた。さっきから、目を開けたり閉じたりを繰り返し続けている。ふと空を見上げると。優しい色の月が見える。その光が、少しずつ意識を奪っていく。

 しゃらしゃらと、カガキミの樹の木の葉は揺れ続け、美しい音色を奏でていた。それは、子守唄のようだった。

 ああ、もう寝てしまおうか。いや、でも……。

 

 あたしの意識は少しずつ遠ざかっていった。


 気づくと、あたしは真っ白な空間の中、一人ぽつんと突っ立っていた。辺りを見回しても、何も無い。出雲も、鬼灯の主人も、鈴も、皆いなかった。木々も、地面も、食べ物も、何も見えなかった。


 ここはどこだろう。きょろきょろしながら、とりあえず先へ進んでみた。

 しばらくすると、あの巨大なカガキミの樹が目に飛び込んできた。全てを包み込むような、大きくて威厳のある姿。あたしは、樹に吸い込まれるように前へ前へと進んでいく。


 太くて頑丈な幹の前に、誰かが居た。

 一人は燃え盛る炎の色をした、ウェーブを描いた長髪の男だった。その眼差しは、全ての生き物を一瞬で黙らせてしまいそうな、ものすごく力強いものだった。ほんのり黄色っぽい白の、弥生時代とか、そういう大昔の人が着ていそうな服を着ていて、胸には真っ赤な勾玉を沢山連ねた首飾り、腰には赤黒い剣を差していた。

 その隣にいるのは女で、水色の髪の毛を頭のてっぺんでお団子にしている。耳には翡翠のピアスのようなものをつけている。瞳は今日見た夜空のような色をしていた。男の威圧的なまなざしとは違って、それは暖かく、慈愛に満ち溢れたようなものだった。衣装は男と同じものだったが、ズボンではなくて、裾が地に着くほど長いスカートだった。首からは翡翠を沢山連ねた首飾りをかけていて、両手でドッジボール位の大きさの鏡を持っていた。


――人の子よ、ようこそ。我らの世界へ――

 男が、口を開いた。低くて、お腹に響く声だった。


――人間の娘よ。よく、顔を見せて。まあ、とても愛らしい。貴方、きっと将来美人になるわ――


 女の声は柔らかい。微笑むその顔は、自分の子供を慈しむ母親のようなものだった。


――人の子よ。そなたに、我らの母からの言葉を伝えよう―― 

 二人のお母さん?誰だ、それ。というか、この人達誰なんだ。人間でないことは確かだけれど。


――娘よ、娘。そなたは、これから先幾つもの不可思議な出来事に巻き込まれていくことでしょう。それは、避けられぬ運命です――


「え、何それ。どういうこと?」


――いずれ、分かることだ。いずれ、いや、すぐにでも分かるだろう。人の子よ、そなたは面倒な男に好かれたな――

 面倒な男……出雲のことだろうか。男は表情を変えぬままため息をついた。

 

――それらの出来事が、貴方に何をもたらすかは分かりません。苦しみ、喜び……或いは、最終的には何も得ないかもしれません。けれど、何があっても、例え苦しみしか待っていないとしても、進みなさい。そうすることで、救われる者がきっと出てくるでしょうから――


「どういうことなんだ。あたし、これからどうなるんだ」


――詳しいことは、知らぬ。只我らは母から託されし言葉をそのまま伝えただけの話だ。人の子よ、母はそなたのことを気に入ったようだ。この世界へ来て、しかも妖怪達と飲み食いする人の子など、滅多に現れないから―― 

 別に好きでこっちの世界に来たわけじゃないんだけどな。と心の中で呟いた。

 結局、目の前にいる二人は何者なのだろう。


「意味がよく分からないけれど、あんた達だれなの。母親って」

 女の方が、にこりと微笑んだ。


――我が名はアマルテ。隣にいるのは、我が愛しき夫・カラドウです――

 アマルテ。カラドウ。はて、どこかで聞いたことが……。

 あたしは、小さな脳みそをフル回転した。アマルテ、カラドウ、母、世界……。

 

 あ、そうだ。


「もしかして、お前ら、この世界を作ったっていう……!」

 それじゃあ、母っていうのはカガキミの樹のことか。

 あたしがそれに気づいたのとほぼ同時、目を焼いてしまいそうなくらい眩しい光があたしを包み込んだ。光にさえぎられて、カラドウとアマルテの姿も見えなくなっていった。

 あっという間に、世界は光で溢れ、やがてもう何もかも見えなくなってしまった。


「紗久羅、紗久羅。起きて」

 誰かが、あたしを優しく揺さぶっている。ちょっと待って、あと3分……。起きるのが億劫で、あたしはしばらく目を瞑り続けていた。

 誰だろうあたしを揺さぶっているのは。この冷たくて、透き通った声、これは……。

 少しずつ、あたしのぼうっとしていた頭ははっきりとしていった。

 うっすら目を開ける。ギラギラ輝く銀混じりの藤色の、長い髪の毛、真っ赤な瞳、ああ出雲だ。

 ん?そういえば、頭がぷにぷにしている。なんだろう、あたし、何の上に頭を乗っけているのだろう。ほんのり花の匂いがする。


「紗久羅。いつまで寝ているんだい。そんなに私の膝の上が気持ちいいのかい」

 膝の上?ああ、通りで地面に比べて柔らかいわけだ。でも、誰の膝の上だろう。私の膝の上?出雲がそう言っている。あれ、ということは。

 あたしの頭は完全に覚醒した。

 あたしは、出雲の細い両膝に頭を乗っけて眠っていたのだ。

 勢いよく、起き上がる。危うくあたしの顔を覗き込んでいた出雲のおでこと、自分のおでこをごっつんこさせるところだった。


 あたし、いつの間に眠っていたんだ!?ていうか、なんで、なんで


「何であたし、出雲に膝枕されているんだ!?」

 顔が急激に熱くなる。今は鞍馬に負けず劣らず真っ赤な顔をしているに違いない。膝枕って!何だよそれ、普通恋人同士とかがするもんだろう、それ。ていうか、通常女が男に膝枕してやるんじゃないか、いやそんなの関係ない。何をやっているんだ。あたしは。


「何でって。気づいたら君が寝ていたから。君ったら、私に寄りかかって、頭を私の肩の上にのせて眠りだすから。鈴と君、両側から寄りかかられ続けるとちょっと疲れるから、しょうがない、ここは私が膝枕をしてやろうと思ってね。どうだい、私の膝枕は貴重だよ。君はとっても幸福だ」

 首を傾け、さらさら流れる髪の毛に軽く触れながら、出雲は意地の悪い笑みを浮かべた。裏でこの世を支配する恐るべき悪女の如き笑みだ。


「どこが幸福だ! 不幸の間違いだ、不幸の!」


「照れなくてもいいのにねえ」


「どこが照れているんだ!?」


「全体的に」


「んな訳ないだろう、幻覚見ているんだろう、お前!」


「幻覚を見せるのは得意だけど、見るのは苦手だなあ。まあ、それは置いといて。紗久羅、祭もいよいよ終るよ。後は、鬼灯提灯をカガキミの樹に吊るすだけだ」

 そういって、出雲は、あの暖かな光を放つ鬼灯提灯を手に持った。そういえば、すっかりこれのことを忘れていた。

 ふと、空を見上げる。さっき見た時に比べて少しだけ明るくなってきていた。これからもうしばらくすると、もっと明るくなって、やがて世界は朝を迎えるだろう。

 

「痴話喧嘩は其れ位にして、さっさと行くぞ」

 酒を飲みすぎたせいか、ややだるそうに鞍馬が言う。痴話喧嘩っていうな。彼が人間であまり怖そうな奴じゃなければ、今頃殴っていた。

 鞍馬が懐から、真っ黒な羽根を一つ取り出した。


「上空から行った方が早かろう。先ずはこの鬼灯を吊るす紐を貰わねばな。貴様ら、皆我から少し離れていろ」

 一体何をするつもりなのだろうか。よく分からないが、ここは鞍馬の言うことを聞いておいた方がよさそうだ。あたしは、他の奴らと一緒に少しだけ移動して、鞍馬から離れた。


 鞍馬は、意味の分からない、呪文のような言葉をぶつぶつとつぶやいていた。

 そして、突然天地と心臓がひっくり返りそうになる位響く、大きな声で「喝ッ」と一言。同時に羽根をぶんと振り下ろす。

 すると、黒い羽根は鞍馬の手からするりと抜け、ぶん、という音と共に上昇し、どんっと一気に巨大化した。羽根が巨大化した瞬間、風が舞い、周りにあるありとあらゆるものを激しく揺らした。浴衣の裾がはらりとめくれたもんだから、あたしは慌てて手でそれを押さえる。隣にいた出雲の髪がふわりと広がり、あたしの顔に少しかかった。


 黒い羽根は、横幅が2メートル近くになり、長さは学校のプールの横幅程にもなった。まあ、兎に角一言で言えば……マジ超半端なくでかい。

 近くにいた妖怪達は巻き添えをくらい、風で吹き飛ばされたり、慌ててしゃがんだり。ちょっとした大騒ぎだ。

 鞍馬は、全く気にする様子も無く、ひょいっと羽根に乗った。


「乗れ。そこの人間の小娘もな。まあ、せいぜい落ちぬ様気をつけるんだな」

 何だよ、あの羽根に乗れってか。命綱も安全装置もついていない、絶叫マシンよりも絶叫もののあれにか?

 皆は、いつものことらしく、慣れた様子で羽根の上にぴょんと乗っていく。鬼灯の主人は、重箱を風呂敷で包みなおしたものを抱えながら器用に乗った。出雲も、優しく抱えた鈴を乗せた後、ひょいっと乗った。

 あたしも、乗らなければいけないらしい。乗らなければ間違いなく迷子だ。一人で「芋洗い」という言葉も驚きそうな位酷い、妖怪の群れの中に突っ込んでいかなくてはいけなくなる。それだけは、勘弁してくれ。

 仕方ない、と観念して羽根の上に乗る。なんだかふわふわしていて、尻がくすぐったい。

 さあ、行こう、という所で、さっきまで席を外していた弥助が帰ってきた。まあ、なんてタイミングの良い奴。わざとじゃないのか。

 

「お、やっぱり今年もそれで行くっすね。あっしも乗りますから、もう少し待っていてくださいよ」


「あらいやだ。お前みたいな臭い狸公が乗ったら、この羽根があまりに酷い匂いで、腐っちまうよう」

 未だ鬼灯の主人から離れようとしない白粉が、わざと鼻をつまんでみせる。弥助はむっとしたが、気にしない、とさっさと乗り込み、あたしの後ろにあぐらをかいて座った。まあ、おっさん臭い匂いがしないわけではないけれど。これ位ならまだいいだろう。


「さあさあ、出発進行っすよ」


「貴様に指図されずとも、出る。さあ、飛ばすぞ。おい、小娘振り落とされるなよ。貴様が死ぬと、出雲に何されるか分かったものではないからな」


「嫌だねぇ、鞍馬の旦那。私は何もしやしないよ。これを操縦していたのが馬鹿狸だったら、狸汁にしてカガキミの樹にお供えするけれど」

 出雲が、見返り美人図の様に絶妙な角度で振り返り、にやりと笑った。


「何で狸汁にされないといけないっすか!?」


「出雲。……弥助の狸汁を供えるなんて、カガキミの樹に失礼だよ」

 ぼそっと呟く鈴を、出雲が後ろから抱きしめ、本当に鈴は聡い子だねぇ、ああ可愛い可愛いと言う。


「だあ、本当にいつもいつも! 忌々しい!」

 本当に、心の底から忌々しいと思っているらしい。後ろから歯軋りの音が聞こえ、荒い鼻息が背中にかかる。

 しまいに、あたしの両肩をものすごく強い力で掴みだした。

 痛い。婆ちゃんの拳骨以上に痛い。やめてくれ、骨が折れる!

 鞍馬は肩をすくめたきり、何も言わずに羽根を操縦することに専念し始めた。

 

 エレベーターに乗った時の様な浮遊感と共に、羽根が急上昇する。どこかに掴まらなければ、いや、ちょっと待て、これ何にも掴むところがないじゃないか!

 羽根は変に傾くことはなく、常に地面と平行に飛んでいた。けれど、その速度は異様に速く、少しでも気を抜いたらバランスを崩して転げて、転落しそうだった。


 ああ、風を感じる。夏真っ盛りとは思えない位、涼しい。髪の毛は乱れ、ついでに浴衣も乱れそうになった。一度、バランスを崩し、大きく身体が右へ傾き、こてんと倒れてしまった。その時、頭が羽根から飛び出る。


 見なければいいのに、下を見てしまった。刹那、あたしの頭は真っ白になった。

 そこから数分間の記憶が、あたしには殆ど無かった。気がついたら、白羽が先頭にいる鞍馬の前で、ぷかぷか浮いていて、赤い紐を鞍馬に渡している。


 鞍馬は人数分紐を貰うと、それを後ろにいた胡蝶に渡す。胡蝶は鬼灯姫へ、そしてその後は狢、柳、鬼灯の主人、白粉、鈴、出雲、あたし、弥助の順に渡っていった。


 紐は、真っ赤で月の光に照らされてぎらぎら輝いている。太さはうどんの麺位。

 あたしは、その紐をまず巨大鬼灯提灯の茎の部分に結びつけた。後は、カガキミの樹へ括るだけだ。


 どっしりとそびえ立つ樹の幹の麓の方に、わらわらと妖怪達が集まっていた。少し上から見てみると、まるで甘い菓子にたかる蟻の様に見える。空を飛べない奴らは、空を飛べる奴に頼んで提灯を括ってもらうか、必死に木登りして適当な枝まで行くらしい。

 樹の枝にはもうすでに沢山の鬼灯提灯が吊るされていて、それが淡い橙色の光を発していた。でも、まだまだ少ない。これからもっともっと多くの提灯が吊るされるのだ。


 あたし達は、またほんの少し上へ行って、一本の太い枝に仲良く提灯を吊るした。

 枝にそっと触れる。ひんやりしている。出雲の手のような、凍りつきそうな、人を不安にさせるようなものではなくて、とても心地のよいものだった。


「提灯を吊るす時は、心の中で、カガキミの樹に感謝の言葉を贈るっすよ」

 

「ふうん」

 感謝、と言われても……まあ、とりあえず。

 あたしは、心の中で有難う御座いましたを連呼しながら鬼灯提灯を枝にくくりつけた。皆、吊るす時は無言になっていた。

 鬼灯提灯を吊るす作業自体は、あっという間に終った。


「折角だ、もっと上まで行こう」

 再び、浮遊感があたしの身体を襲う。ひゅおおお、という風の音と共にぐんぐんと上へあがっていく。

 枝と枝の間を縫うように、ぐんぐんと。枝にはぶつからなかったけれど、枝に繁る木の葉には思いっきり突っ込んでいった。冷たくて柔らかな葉が体中にあたる。目を開けたら、不味い。絶対目がやられる。時々、誰かが吊るした鬼灯提灯が顔に当たった。とても、暖かい。近くに居たと思しき妖怪達の、ぎゃあという叫び声も沢山聞いた気がする。

 本当に、乱暴だ。このあたしに乱暴だと言わせる位、乱暴すぎる操縦だった。神聖なはずの樹にこんなことしていいのか、と思う。本当にこいつら、樹のことを大切だと思っているのか?


 しばらくすると、木の葉ゾーンを抜けたのか、葉が当たらなくなった。あたしはゆっくりと目を開けた。最初に見えたのは、紺に白を混ぜたような色の空だった。はっとして視線を下に移す。

 出雲は、自分の頭についていた青く輝く葉を手で振り払っていた。


「全く、相変わらず鞍馬の旦那は乱暴だねえ。何で、わざわざ突っ込んでいくんだい。少し迂回すればいいのに。ねえ、鈴。大丈夫かい」

 出雲に抱きしめられていた鈴は、他の奴ら程の被害を受けてはないらしく、小さく頷いていた。葉の中をとんでもない勢いで進んだのにもかかわらず、少しも怪我はしていなかった。


「おい、馬鹿狐。あたしの心配はしないのかよ」


「ん? 心配して欲しかったのかい。心配したらしたで、出雲の癖に気持ち悪いとか言いそうだったから、何も言わなかったけれど」

 あ、紗久羅、いたの?というような顔でそう言って、首をかしげた。にゃろう、誰のせいでこんな目にあったと思っている。お前がここに引っ張ってこなければ、今頃あたしはベッドの中で気持ちよく眠っていたんだぞ。


「紗久羅はヤキモチ焼きだね」


「誰が、誰にだ!」


「それは勿論、紗久羅が、私にね。其れ位分かるだろう? 言わずともさ。ま、それはどうでもいいとして。ほら、紗久羅、下を見てごらん」

 出雲が、そう言いながら下を指差した。

 下。あまり、見たくはなかった。さっき以上に高いところにいるのだ。命綱なりなんなりついているのなら、すぐにでも見ただろうが。この何にも支えの無いものに乗っている時に、下なんて見ていられるか。高所恐怖症ではないけれど、嫌だ。

 あたしが、いつまで経っても下をみようとしないからか、出雲ははあとため息をついた。


「怖がりの紗久羅には、無理な話か」


 あたしは、即座に下を見た。身を乗り出して、下に広がる世界を見た。怖がりなんて、冗談じゃない。

 落ちないように、羽根の端をしっかりと握り締めた。


 そして、見た。

 目に飛び込んできたのは、カガキミの樹。広場を、いや、森全体を抱きしめるように伸びる枝、その枝に繁る木の葉。

 さっきまで、青白く光っていたその樹。

 今は、淡い橙色に輝いていた。それは、鬼灯提灯の灯り。樹に吊るされた無数の鬼灯提灯の光が、カガキミの樹を橙色に染めているのだった。

 一つ一つは強い輝きではないけれど。沢山集まることで、眩い輝きとなって、森中を明るく、優しく照らす。

 緑色の木々に囲まれた、橙色の光の樹。カガキミの樹が生んだという命が、一斉に寄り集まって生まれた、奇跡の、命の樹だった。


 なんて、綺麗なんだろう。クリスマスのイルミネーションや、東京タワーの展望台から見る夜景なんかとは、わけが違う。

 目の前にあるそれには、温もりがある。人工的なものではない、自然で、風景によく馴染んでいた。

 輝きは、ますます増していく。まだ樹についていないらしい、灯りも沢山見える。

 風が吹くと、しゃらしゃらという音が、聞こえる。遠くからでもそれは、しっかりと聞こえた。樹も、多くの魂に触れることが出来て、心の底から喜んでいるようだった。きっと、子供が久しぶりに実家に帰ってきたことに喜びを隠せず、ついはしゃぐ母親のように。


 おかえり。そんな声が、聞こえたような気がした。


「美しいだろう。私は、好きだ。この光景がね。まあ、ほんの一時の間しか見られないのだけれど。鬼灯提灯の灯りは、やがて消える。数時間後には光を失って、跡形も無くこの世界から姿を消すんだ、鬼灯提灯は」


「でも、だからこそ、美しいのですわ。桜はいずれ散るからこそ美しい。永遠でないから、愛される」

 出雲の言葉に、鬼灯姫が続く。

 そうだなあ。短い間しか咲かないからこそ、感動するのだろう。


「そうだね。……永遠なんて、醜いだけだね」

 そう言う出雲の表情は、酷く冷たかった。ったく、こんな綺麗な景色を前になんでこんなにも冷たい表情になれるんだ、この化け狐は。

 あたしは、姿勢を変え、羽根から思い切って両足を投げ出してみた。


 それから、皆、鬼灯提灯の灯りが消えるまで静かに樹を眺め続けていた。


 鬼灯夜行、という祭自体は、自分の持つ鬼灯提灯を、樹に吊るした時点で終了らしい。その後どうするかは、自由で、さっさと帰るも良し、もうしばらく飲むのもよし、鬼灯提灯の灯りに彩られた樹を眺めるもよし。

 カガキミの樹はすっかり元通りで、あの青い輝きを取り戻していた。灯りが少しずつ消えていく様子も、なかなか良かった。桜と同じく、最後まで楽しませてくれた。

 鬼灯の主人は、地上へ戻る途中、樹の枝から一枚葉を摘んだ。葉は摘まれてなお輝いていた。


「カガキミの樹の葉は、枯れることが無い。出雲の大嫌いな『永遠』の葉なんだよ。私はね、毎年一枚こうして葉をとってね、集めているんだよ」

 何か意味があるの、と聞いてみた。鬼灯の主人は、別に何も無いよと言って笑った。青地に花の模様が描かれた縮緬で作られた袋に、毎年とっている葉がびっしり詰まっているのを、地上に降り立った後で見せてもらった。

 気づけば、もう空は薄紫色から明るい水色に変わりつつあった。白い日の光が、世界を眩しく包み込み始め、月は恥らうように透明になっていった。


「さて。そろそろ解散しよう。今年も、楽しかったよ」


「そうだねえ、今年も鬼灯の主人といられて、幸せだったよう」


「美味しいご飯も沢山食べられたしね」

 胡蝶が笑う。


「いい思い出になりましたわ。ねえ、鬼灯姫様」


「ええ、柳様。紗久羅様ともお会いできましたし、私とても楽しかったですわ」


「私もです。うう、それにしても何で私の手、魚臭いんでしょう?」


「我も、まあ今年もそこそこ楽しませてもらったわ。酒もたらふく飲んだしな」


「あっしも、とっても楽しかったっすよ。さて、また午後からバイトだ。さっさと帰って休むとするか」


「……」

 鈴は、ただ黙っていた。


「ふふ。紗久羅と沢山遊べて楽しかったよ、私も。さあ、紗久羅。帰るとしようか」


「だな。ああ、眠い……結局あざみと咲月と……巫女の舞、見られなかったなあ……ていうか、昨日歩いた道を、また歩かないと行かないのか?」

 それだけは、嫌だった。もう、疲れた。歩きたくない。


「いいや。心配ご無用、だよ」

 そう言うと、出雲が鈴を見た。鈴が頷いて、真っ赤な巾着袋から、何か取り出した。平安時代とかによく見る牛車のフィギュアのようだった。

 出雲がそれを手のひらに乗せ、ふっと息を吹きかけた。

 牛車のフィギュアはふっと天空に舞う。すると、ぼんっと小さな破裂音がし、同時にもくもくと煙が出てきた。

 煙はしばらくすると消えてなくなった。同時に、大きくなった牛車が姿を現す。

 しばらく宙に浮いていた牛車は、急に浮力をなくし、地面にずがんと大きな音を立てて着地した。


「さあ、乗って。これなら直に満月館のある所まで行けるから」


「乗るのはいいけど、これ誰が引っ張るんだ、牛いないの、牛」


「牛? 別に牛なんかいなくても動くけれど」


「左様ですか……」

 この世界に、あたし達の世界の常識は通用しない。当たり前の事だけど。何を今更、って感じだけれど。

 あたしは、牛なし牛車に乗り込んだ。隣に出雲が座る。さらにその隣に鈴が。


「それじゃあ、皆。また『鬼灯』等で会おうね」


「お元気で、出雲様。紗久羅様も、鈴様も」

 鬼灯姫が小さく手を振っていた。あたしも手を振り返す。

 ちょっと寂しい気はするけれど、まあ人間と妖怪。しょせん住む世界が違うのだ。うんうん。

 まあ、もう二度と会うこともあるまい。


 やっぱりその予想も、大きく外れることになるのだが。


 牛車は、がこん、と一度揺れると、どんどん上昇していった。飛行機に乗った時と同じような感覚。鞍馬の羽根に比べて、安全で丁寧で、それでいて早かった。


「どうだい、紗久羅。楽しかったかい」


「散々だったよ。疲れた、もう二度と来たくないね。……まあ、料理は美味かったし、カガキミの樹と、最後に見たあの景色はとても綺麗だったから、いいけどな。やっぱり違う世界で過ごすのって、ものすごく疲れるな。……あんまり疲れすぎて、色々ごちゃごちゃと考えるのも面倒になった」

 本当に、何も考える気がしなかった。疲れが癒えたら、また悩むのかもしれないが。何か、出雲に振り回されている自分が阿呆らしくなってきた。

 出雲が、あははと声をあげて笑った。目を細め、口を大きく開いて笑うなんて。こいつも、眠気が来ているんじゃなかろうか。


「あ、そういえば。あたしさっき夢の中でさ、アマルテとカラドウに会った」

 出雲が、それを聞いて驚いたように眼を見開く。あたしは、二人に会ったこと、二人があたしに言った言葉等を話してみせた。

 出雲は、さきより大きな声で、あははと笑った。


「成る程、偉大なる樹は全てお見通し、とね。カガキミの樹は気に入った者に予言を託すと言われている……ねえ、紗久羅。私が何故君をここへ連れてきたか、分かるかい」


「そりゃ、あたしが化け狐って連呼するから……そこまで言うのだったら君の常識をぶち壊してやるって思ったからだろう。ああ、後妖怪と人間は似ていること、それでいて、全く違うってことを教えたかったんだろう。残念だったなあ、自分とあたしの違いを証明することになっちゃってさ」

 出雲は、くすくすと笑った。その笑みは、魔性の笑みというよりは、無邪気な悪戯小僧のそれに似ていた。

 

「いや、まあ確かにそういう理由もあるけれど。でもまあ、一番大きな目的は。嫌がらせだね、嫌がらせ。私は自分が好きな人間に嫌がらせをするのが大好きだ。大嫌いな奴に嫌がらせをするのも、まあ好きだけれど。紗久羅、君はこの異形の世界に足を踏み入れてしまった。そして、その身体にはこの世界の匂いが染みついた。人間には分からない、強い匂いがね。かわいそう、ああかわいそうに、紗久羅」

 全く哀れんでいる風ではない。むしろ、楽しそうだ。

 匂い?なんのことだ、それがつくとなんだっていうんだ。


「その匂いは。異形を引き寄せる。紗久羅、君、これから自分の住む世界に、どんどん異形を呼び寄せるようになるよ。意味の分からない事件にも、沢山巻き込まれるだろうね」


「は」


「平和に過ごしてきた女の子は、ある日突然珍妙な事件を引き寄せる体質になる。うん、なかなか劇的で、悲劇的で、喜劇的だね。はは、でも恨むなら自分を恨むんだね、紗久羅。自業自得。この私にたてつくから、こうなったんだよ」

 そういって、出雲は笑った。

 あたしが今まで見てきた中で、一番良い笑みだった、幸せそうで楽しそうで。

 自分の思い通りにいかなかった子供は、腹いせに親が困ることをやることで、一矢報いる。

 自分の思い通りにいかずに、ふてくさった化け狐は、腹いせにあたしが困ることをやることで、一矢報いやがった。いや、一矢どころの騒ぎではない。

 ああ、身体の震えが止まらない。それにとても熱い。きっと頭に四つ角マークができてるなあ。ああ、なんだろう。我慢できない。

 息を、思いっきり吸い込む。そして、吐いた。


「ふざけるな、この化け狐!!」


「怒らない、怒らない。折角の浴衣姿が台無しになってしまうよ」

 これで、怒るなって方がおかしい。

 ふーふーと、全身の毛を逆立てて威嚇する。

 すると、出雲がにこり(いや、にやりといった方が正しいか)と笑いながら、その真っ赤な唇を、狭い牛車の中立ち上がって、出雲に食って掛かるあたしの耳に近づけた。


「私が贈った浴衣を着て、そんなに怒るのはよしておくれ。可愛いよ、紗久羅。とっても、可愛い」

 

 止めを、さされた。

 ダメージは、意図せず顔を羽根から出して下を見てしまった時以上の、もの、だった。

 自分が着ている浴衣が、出雲の贈り物。確かに、婆ちゃん、知り合いから貰ったものだっていって、いた、けれ、ど。

 魂が口から抜けていって、あたしは真っ白になってその場に崩れ落ちた。


 情けないことに、それから先のことは、全く覚えていないのだ。鞍馬の、乱暴で恐ろしい羽根の操縦の時もそうだったけれど。

 気づけば、自分の部屋のベッドの上に居た。時刻は14時30分。随分ぐっすり眠っていたらしい。浴衣は、もう着ていない。婆ちゃんが着替えさせてくれたのだろうか。

 リビングにあるTVの前には、馬鹿兄貴が座っていた。ランニングにパンツ姿。この馬鹿には、恥じらいというものが無い。ソーダ水を飲みながらうちわをぱたぱた扇いでいる。

 蝉が、不快な合唱をし続けている。太陽は世界を支配する王様の様に堂々と君臨している。商店街を歩く、餓鬼やおばさん、爺さん達の声が聞こえる。

 不快で、それでいていつも聞いている音や声。けれど、今日に限っては不思議なことに酷く懐かしく感じた。

 母さんと婆ちゃんは、下できっといつも通り、店を開いているのだろう。

 冷凍庫から、ソーダ味のアイスキャンデーを取り出し、一口かじった。甘くて冷たいものが口の中に広がった。


 あたしは、元の世界へ戻ってきた。

 いや、むしろあれは夢だったのかもしれない。……現実であっては欲しくないと思う。けれど、あの美味しいご馳走や、楽しい妖怪達、そして美しい景色は、夢であって欲しくないと思う。夢であって欲しいのか、現実であって欲しいのか、正直なところ、よく分からなかった。

 ああ、でも牛車で起きたこと、言われたことは、夢でいい。ていうか、そこはもう、夢であって欲しいというか、夢じゃなかったら泣くというか。

 あたしは、階段を下りていった。


 調理場では、婆ちゃんがせっせと弁当を作っていた。売り子をしているのは、母さんだった。


「あら、紗久羅。起きたの。おそよう」


「おそよう」

 おはようというには遅すぎるから、おそよう、だ。

 そして、ショーケースを挟んだ向こう側にいたのは……。


「やあ、お転婆紗久羅姫。昨日は楽しかったねえ、ああ、でもこれからが楽しみだね。どんなことが起きるか、想像するだけでも胸が躍るよ」

 風に揺れるのは、藤色ではなくて、真っ黒な髪の毛。


 どうやら、夢で終らせてはくれないらしい。

 昨日の出来事も、そして、カガキミの樹と出雲がした予言も。


 上等じゃないか。売られた喧嘩は買うのが礼儀だ。

 どんなことがあっても、先へ進んでやる。


「いらっしゃい。出雲」

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