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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
クリスマス・パニック!
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クリスマス・パニック!(13)

 騒がしくも楽しい時間に皆の表情はどんどん明るくなって、けれど日はどんどん暮れていって、空は暗くなっていって、暗くて黒くて紺色で。がたがたと窓を震わす風の音の冷たいこと、冷たいこと。たった一人だけで家の中ぽつんといたら、その音を聞いただけで凍えて死んじまいそうな。

 一方、ことことくつくつと温かみのある音をたてているのは鍋の中に入っているシチュー。人参やじゃがいもがその中で踊っている。


「結局負けちゃったよ、ああくそう、悔しいなあ」


「もう紗久羅ったらさっきからそればっかり」

 鍋をかき回している柚季は苦笑い。隣でサラダを作っている紗久羅の顔は本当に悔しそうだった。原因は勿論先程やっていた人生ゲームである。


「最後の一発逆転ゾーンでかなり追い上げて、もしかしたらこれは勝ったかもしれないと思ったのに。本当悔しいなあ。くそう……千円、たった千円の差だぜ!?」

 ぐいっと近づいてそう主張する紗久羅を押しやる柚季はすまし顔。喜怒哀楽が激しく、時にオーバーなアクションをとってしまう紗久羅のあしらい方がどんどん上手くなってきている柚季だった。


「千円、じゃなくて千ドル。千ドルって約十万円よ? 十万円ってかなりの差だわ。全くそれにしてもよくもまあそこまでずっと盛り上がっていられるわね。ゲームが終わった直後に言っているのならともかく」

 人生ゲームが終わり、夕飯の仕度をはじめてからもう大分時間が経っている。

 にも関わらず彼女は未だその時のことを話題にだし、悔しい悔しいと言っているのだ。本当紗久羅は負けず嫌いというか子供っぽいというか、とちょっと呆れて再び苦笑。


「あたしは負けるのが嫌いだからな。ほんの少しの差で負けたとなると悔しさも倍増さ。勝ったからって何が貰えるわけでもないけれど、悔しいものは悔しいんだ」


「はいはい。それはもうよく分かったから、今は料理に集中して頂戴。あまり余所見ばかりしていると怪我しちゃうからね」


「へいへい、分かりましたよお母さん」

 わざとらしく言ってみせつつ慣れた手つきで野菜を切り、ボウルに盛りつけ仕上げに柚季特製ドレッシングをかけて完成。

 二人の背にあるオーブンからは焦げた醤油やにんにくの良い香り。中に入っている賭け婆の魔の手から逃れたチキンは良い具合に焼けており、こんこん狐色。


 二人が調理をしている間、さくらや奈都貴はテーブルをくっつけたり、椅子を並べたりと食事の準備をしている。テーブルの上にはクロスが敷かれ、柚季が引っ張り出してきたクリスマスキャンドル(炎の形をしたライトがついているもの)が置かれている。


「テーブルとかの準備もすっかり終わったみたいだな。向こうに並んでいるのが、親の同僚とか友達とかが遊びに来た時に用意するものなんだよな。結構頻繁に使うの?」


「頻繁ってほどじゃないけれど、まあそこそこね。皆の予定が上手いことあった時とかに、ね」


「こっちに引っ越してきた後も遊びに来ているのか?」


「ええ。まあ前居たところから極端に離れた所に引っ越したわけじゃないしね」

 皆が遊びに来た時は柚季も大忙しで、母と一緒にてんてこまいになりながら料理を作ったり、お酒の用意をしたりするらしい。

 何かお金持ちだからこそ出来るって感じだなあ、と紗久羅が感心したように言うので柚季は困ったように笑った。


「別にそんなお金持ちってわけじゃないよ」


「いいや、嘘だね。少なくともあたし達家に比べりゃずっと金持ちだ」

 と柚季の頬をつついて紗久羅が笑う。そんな風にふざけながらもサラダはきちんと作り終え、次の作業に取りかかっていた。


 一方テーブルの仕度を終えたさくら達は椅子に座り、談笑。一緒にゲームで沢山遊んだお陰か、さくらも一夜も今日が初対面である英彦と美沙とはすっかり打ち解けている。

 英彦はさくらにねだられ、化け物使いのこと、自分が今までやってきた『化け物使い』としての仕事の話、今まで出会った妖の話などをした。さくらは常時興奮気味に、一夜もそれなりに興味ありげに耳を傾ける。奈都貴は以前同じ話を聞いたことがあったらしいが、それでも余計なことを言ったり話の邪魔をしたりすることなくおとなしくしていた。


「妖怪ってここら辺以外にも結構いたんだな。あいつらを退治したり、あいつらが関わっている事件を解決したりする仕事がまだ残っている位には」

 椅子に背を預け、組んだ両手を頭の後ろにやりながら一夜が驚きの混じった声で呟く。一方のさくらの方は英彦の話に興奮するあまり声も出せない状態となっていた。奈都貴がその様子を呆れた風に横目で見ていることにも当然気がついていない。


「最初から二つの世界に少しの繋がりも関わりもなければ良かったのでしょうが、今ほど境界がはっきりしていなかった昔は『向こう側の世界』やそこに住む住人達と良くも悪くも深い関係がありました」


「その関係が段々希薄になっていったんですよね」

 さくらの言葉に頷く英彦。


「こちら側の世界の科学等がどんどん発達していき、世界の様相が目まぐるしい速さで、大きく変わっていったことが双方の世界の関係が変わるきっかけになったようですね。昔は建物や言語諸々の文化や様々なことに関する知識――あらゆるものの程度にそこまで違いはなかったようですが、こちら側の世界の姿が変わっていくにつれ差が開き、大きく違うものになっていった。そういった差や違いというものが境界を明確に分けていったのでしょう。そして科学が発達し、様々な事象の仕組みが解明されていくにつれ、人々は『これこれこういうことをした妖怪というのは本当にいたのか?』『妖しい力と、奇怪な容姿を持つ彼等は本当に存在していたのか?』と思いはじめるようになったようです」


「私達『向こう側の世界』の住人は、こっちの世界がどんどん変わっていったことで居心地が悪くなって、こっちの世界にあんまり足を運ばなくなっていったの。自分達の存在が否定されるようになっていったことも要因の一つだね。それでもって多くの妖は二つの世界がほぼ完全に隔てられて、あらゆる『道』が完全に見えなくなってしまう前に世界を渡って、それから二度とこっちの世界へ足を運ばなくなったの」


 そうして人間の前に現われる妖達の数が激減したことで、ますます人間達は彼等の存在を疑うようになっていった。ああやっぱりあんなものはいなかった、幻だった、思い込みだった、気のせいだったんだ――と思う者が増えていった。

 やがてかつて妖をその目で見たことのある人達も亡くなり、彼等の姿を全く見たことの無い人達が世界を占めるようになっていく。彼等にとって妖というものは実在するものではなく、夢物語にだけ登場する想像上の生き物。


 一度こうなってしまったらもうお終い。かつてこの世界に存在していた『妖達は実在していて、人間達と深く関わりあっていた』という常識は砂塵と化してどこかへ吹き飛び代わりに『妖というものは実在しないもの。人間が勝手に作り上げた想像の産物にすぎない』というものがこの世界の常識となった。

 そして二つの世界を繋ぐ『道』は肉眼ではまず見ることが出来なくなり、昔は比較的簡単に出来ていた行き来も出来なくなった。中には完全に『閉じられ』消えてなくなった『道』もあると英彦は語り、それから更に話を続ける。

 

「向こう側の世界の存在は多くの人間達から忘れられてしまいました。勿論妖達の存在も。結果、こちら側の世界では存在が薄くなってそこらを歩いても誰にも気がつかれない妖というものも増えたそうです。幽霊なんかも元々儚い存在なのが更に儚くなって、一部の人間以外には見えなくなったようですね。勿論全くそういう風になっていない者も多いですがね。存在をそのまま保てるか、それとも存在が希薄になってしまうかは個人差があるようです。……とまあそんな風に二つの世界には大きな隔たりが出来、関係はかなり希薄になってしまったのですが。そうなったからといって、一度結ばれた『縁』は消えません。私は今日臼井さんと井上君と出会い、そして君達と私の間に『縁』が生まれました。仮に今後私と君達が会うことがなくても、私が君達のことを忘れてしまったとしても、かつて私と君達が出会いそして話をしたという事実は消えません。一度生じた縁も消えません。それと同じように」

 例え人間達が『向こう側の世界』の存在を、そしてそこの住人、人ならざる者達の存在を忘れるようになってもかつて彼等との間に交流があったという事実は決して消えないのです――そう言って一度英彦は話すのをやめる。


 消えない縁。その縁が時に異界から妖を呼び寄せ、また人を異界へ迷い込ませる。未だこちら側の世界に住んでいる妖、こちらへ足を運ぶ妖もいるし、向こう側の世界の住人と関わりをもつ人間もいる。

 加えて桜町等は土地の性質の影響で、境界がかなり曖昧になりやすい……というか他の所に比べると境界がかなり曖昧である。ゆえに他の所とは比べ物にならない位妖関連のトラブルが起きており、また住み着いている妖の数も多い。

 更に加えると、双方の世界を行き来している紗久羅達がいるせいでますます異界の住人を呼び寄せやすくなっている。もう、滅茶苦茶なのだ。

 そんな土地でも人々が割と平和に暮らしていけているのはひとえに『人間が自分自身の世界を必死に守ろうとする気持ち、力』のお陰――らしい。


「分かったような、分からんような」

 小難しい話は妹同様大嫌いな一夜の顔は今、かなり面白いことになっていた。


「色々喋りましたが、実の所私もよく分かっていないのです。境界のこと、向こう側の世界の住人のことなどについての解釈は人によって違います。明確な答えが未だ無いですから」

 水で喉を潤しつつ、苦笑い。続いて美沙も「私にも全然分からないや、てへ」と舌をぺろり、頭をこつん、ウインク、ぽんと飛ぶ星は(くう)に消えて。


「ああ、それにしても良い匂いだね。後少しで食べられるかな? 紗久羅ちゃん達の作る料理、楽しみだなあ」

 台所から漂ってくる香りが、テーブルについて大人しく待っている一同の腹を刺激する。遊びと妖との遭遇によってかなりのエネルギーを消費したせいか、皆お腹ぺこぺこである。勿論柚季と紗久羅も同じで、つまみ食いするのを必死に我慢し、お腹を舞台に大合唱をしながら調理していた。


「ようし、出来た!」

 大合唱をぴたりと止めたのは、柚季と紗久羅が声を揃えていったその言葉。

 二人は作った料理をどんどんテーブルの上へ並べていった。その動きの俊敏さといったらなかった。さくらが運ぶのを手伝うと言い出すよりも先に、食後出す予定のケーキ以外の料理全てが並び。

 皆がパーティーでよく使う紙製の三角帽を被ったのを確認した柚季はその場でこほん、と咳払い。一応パーティーの主催である彼女だけが今立っている状態だった。


「本日はお日柄もよく……ええとまあその辺はいいや。今日は私主催のクリスマスパーティーにお越しくださり、誠にありがとうございます。なんやかんやと色々なことがありましたが、無事この時を迎えることが出来ました。えっと……紗久羅と一緒に作った料理、めいっぱいご堪能ください。はい、それでは皆さんご一緒に……メリー・クリスマス!」

 柚季が高らかにそう述べると皆がそれに続けて「メリー・クリスマス!」と明るい声で言った。

 そして言い終えるやいなや、目の前にあるご馳走に手を伸ばしていく。


 絶妙な焼き加減の鳥の丸焼き、さっぱりした味のドレッシングがたまらないサラダ、ほくほくとしたじゃがいもがごろごろ入っているシチュー、くるみとレーズン入りのパン、フランスパン、ミートローフ他多数。二人共張り切りすぎて相当なメニュー数、量を作ってしまったが皆そんなことは一切気にしていなかった。気にしない位盛り上がっていたのだ。

 柚季に取り分けてもらった鶏肉を頬張り、美沙が幸せそうな声をあげる。


「うん、美味しい。他の料理も皆美味しい。ゆずちゃんも紗久羅ちゃんも、料理上手だね」

 その意見には誰もが同意した。二人が作った料理はどれも大変美味だったのだ。


「本当。紗久羅ちゃんが料理得意なことは昔から知っていたけれど、柚季ちゃんもとっても上手なのね」


「ありがとうございます」

賛辞の言葉を聞いて、柚季は嬉しそうにはにかむ。紗久羅は照れを隠すように椅子に座ったままふんぞり返り、どや顔。


「へへん。料理はあたしの特技だからな。これ位楽勝さ」


「そうだな、お前は料理『だけ』は上手いよな。料理という唯一の取り柄さえもなかったら、お前なんてただの凶暴猿だよな」

 紗久羅の右隣に座っている一夜が野菜を突き刺したフォークを弄くりながら言ったその言葉は褒め言葉か、それとも。

 少なくとも紗久羅はそれを褒め言葉と受け取らず、じろりと兄を睨んだ。


「うるさいやい。兄貴だって運動神経とったらただの無能マントヒヒだ」


「猿じゃなくてマントヒヒかよ! ていうか何でマントヒヒ!?」


「深い意味はないよ。別に阿呆面オランウータンでもでくのぼうチンパンジーでも何でも良いよ」

 顔を近づけ睨みあう二人を見て吹きだしたのは美沙と英彦。


「紗久羅ちゃんとかず君って仲が良いんだね」


「大変仲のよろしい兄妹ですね」


「そうなんです、二人共小さい頃からとっても仲が良いんです」


「良くない、全然良くない!」

 ぴったり揃う声。向かい側に座っている三人を睨む顔もそっくりで、それがまた笑いを誘う。

 全然仲良くなんてないのに、とぶつぶつ呟きながら紗久羅は自分の左隣に座っている奈都貴を見やる。彼もまたパンを口に放りながらにやにやしていた。


「あたしと兄貴は別に仲良くないけれど、なっちゃんはどうなんだ? 双子の妹ちゃんとの仲って良いの?」

 急に話を振られた奈都貴は「え?」と驚きの声をあげる。


「深沢君って、深沢さん――陽菜ちゃんと双子なのよね。普段結構お話とかする?」

 二人の質問に困惑しつつ奈都貴はしばらくして口を開いた。


「特別良いってわけでも、悪いってわけでもないかな。昔はどこに行くのも一緒って感じだったけれど、今はそうでも」

 それだけ答え、今度はシチューを口の中へ入れる。一方紗久羅はいつも通り奈都貴を弄ろうとにやにや顔。


「風呂とかも一緒に入っていたわけ? 可愛い可愛い陽菜ちゃんとさ」

 直後聞こえるぶふっという声とも音ともつかないものと咳き込む声。


「何でいきなりそんなこと……そ、そりゃあ小さい頃……幼稚園とかの時は一緒に入っていた……と思ったけれど」


「今は? ねえ、今は?」


「入っているわけ無いだろうが、全くにやにやしながらそんなこと聞きやがって……お前はエロ親父か!」

 今はどう、と聞かれ奈都貴は顔を真っ赤にする。うっかり双子の妹である陽菜と一緒に風呂に入る図を想像してしまったのかもしれない。紗久羅が本気で聞いてきたわけでないことが分かっていてもつい動揺してしまうのが奈都貴である。軽くあしらう時より、こうして紗久羅が喜ぶような反応を見せてしまう時の方が圧倒的に多いのだった。


「私と英彦様は一緒にお風呂入っているよ」

 今度は英彦が口に入れていたものを吹きだしそうになる番だった。にこにこ笑顔の美沙に視線が集まる。その視線を受けて、美沙が声を出して笑った。


「冗談だよ。皆騙されちゃって、可愛いなあ」


「いや、何か『人間の女性には興味ありません。妖の女の子大好き!』とか『使鬼達は皆私の愛人なのです』とか素で言っているどエロ変態おっさんならやりかねないかなと思って。くそう、あたしとしたことが見事騙されてしまった」

 いけないいけないと自分の頭を叩く紗久羅。そんな彼女を見やりつつ、誰がどエロ変態おっさんですか誰が……と呟いているのは英彦だ。


「紗久羅も深沢君も羨ましいなあ、兄妹とかいて」


「こんな兄貴でもよければあげるけれど、おすすめはしない」

 視線を柚季に向けたまま、紗久羅はフォークの柄で一夜の頭をつつく。負けじと一夜は紗久羅に同じことをしてやるが……足を強かに踏まれ、悶絶。

 もう紗久羅ってば乱暴なことしちゃ駄目でしょう、とそれをたしなめる柚季の口調がまるでお母さんみたいだったので、皆たまらず笑い出す。


 そんな風にふざけあい、色々語りながら食事をする。さくらは鶏肉をタレと一緒にフランスパンに乗せてぱくりと食べ、幸せそうな表情を浮かべた。タレにじっくり漬けこんだお陰か、皮のみだけでなく身の方にも味がよく染みこんでいる。嫌にならない程度に香るにんにくの匂い。皮にサラダを包んで食べてもまた美味しかった。さっぱりする分そのまま食べるよりも好ましいとさえ思った。美沙や一夜はフランスパンをシチューにくぐらせて食べている。パンの優しい香り、甘みと一緒にシチューのこくやほんわりした温かさも楽しんでいるのだ。


「ローストビーフ、残り一枚。食べたい人!」

 紗久羅の言葉に全員が耳をぴくりと動かし、誰もかれも遠慮は一切せず即座に挙手。それから二人のお手製ではなく、店で買ったちょっと高級な品――の残り一枚をかけ、じゃんけんをすることになった。ある意味人生ゲームよりも盛り上がった熾烈なバトル。これを制したのは美沙。敗者が指をくわえながら見守る中、彼女はその一枚をそれはそれは美味しそうに食べたのだった。

 ローストビーフは終わってしまったが、他の料理はまだまだ残っている。皆朝から何も食べていないかのような勢いでそれらを平らげていく。


 そのまま皆ご馳走を食べ続ける――と思いきや、そうはならなかった。

 デザート……チョコレートケーキがまだ残っていることを思い出したからである。甘いものは別腹というが限度はある。ぎっちり腹を詰めてしまって折角のケーキを美味しくいただけなくなってしまったら悲しい。というわけで一同一旦手にしていたフォークやスプーンを置き。


 それを確認した柚季が冷蔵庫からケーキを取り出し、テーブルの上に置いた。

 可愛らしくデコレーションされたケーキのてっぺんに真っ赤なお鼻……ではなく、イチゴがちょこんとお座り。中央部分には市販のキットで作ったお菓子の家と、メリークリスマスの文字。ちなみにその文字は紗久羅が書いたのだが、微妙に綴りが間違っている。それを奈都貴が指摘したら、紗久羅は頬をかきつつごまかし笑いをした。


「折角だからろうそくつけちゃいましょう、ろうそく」

 と台所の奥から引っ張り出してきた小さなろうそくを柚季がぷすぷす刺していった。火はチャッカマンで英彦がつける。明かりを消すと、橙色の火がまるでトパーズのような輝きをみせ、皆を魅了する。


「それで、誰がこの火を消すんだ?」

 紗久羅が首を傾げる。


「主催の及川でいいんじゃないか? 火を消す前に何か言う? メリークリスマスとか。それとも何か歌う?」


「歌……ハッピバース……」


「バースデーソング歌ってどうするんだよ、馬鹿」

 素でぼけたさくらに一夜が瞬時にツッコミを入れる。つっこまれたさくらは仄かに桃色になった頬をかいた。


「え、ええとほら、あのキリストの誕生日というか……あ、今日は二十三日だから天皇誕生日でも」

 もう最後の方はかなりの小声で隣に座っている美沙でさえ殆ど聞き取ることが出来なかった位だ。

 そんなさくらを無視して話し合った結果、有名なクリスマスソングを歌ってから火を消すということになった。薄暗い部屋の中、馬鹿みたいに高いテンションで仲良く歌を歌う。

 歌い終わった後、メリークリスマス! と夕飯を食べる時にも言った言葉を改めて言い、それを合図に柚季が一気に火を吹き消した。それから再び電気をつけ、紗久羅が可愛いケーキに包丁をいれる。何故だかその時結婚式定番の曲をハミング。


「ケーキ入刀ってね。しかし七等分って難しいなあ」


「八等分にしちゃえば? 余った一ピースは欲しい人がじゃんけんをしてゲットするってことで」


「ああ、それいいな。それじゃあそうしよう」

 柚季の提案を嬉々として受け入れた紗久羅が綺麗にケーキを八等分した。

 後はそれぞれのお皿に乗せれば完了……だったのだが。上機嫌だった紗久羅の表情が一転、やや曇ったものになった。


「どうしました、井上さん」


「ああ、いや……手に何か触れて……見たら蜘蛛の糸だった。ケーキには触れていないから大丈夫だと思う。しかし蜘蛛の糸にしてはちょっと太いような気が」

 紗久羅は手でつまんだ糸を垂らしている天井へ目を向けた。何とはなしにやった行動だったが。


「ぎゃあ!?」

 目を大きく見開き、突然悲鳴を紗久羅があげる。予想外のことに皆ぎょっとしながら彼女にならって天井を見上げ……そして、皆仲良く固まった。


 天井には、その糸の主であろう蜘蛛がいた。いや、蜘蛛だけれど蜘蛛じゃないものが、いた。

 体長は産まれてすぐの赤子より一回り小さい位。黄色い縞模様入りの胴体や脚は大きさこそ規格外であるものの蜘蛛そのもの、だが頭は違う。その蜘蛛の頭は人間の女のそれだった。二十代後半~三十代半ば位の、白粉と紅で化粧された艶やかな顔。大きさは赤子のそれよりは小さいが、蜘蛛の頭としては矢張り破格の大きさである。

 蜘蛛だけれど、蜘蛛じゃない。蜘蛛であるはずがない。蜘蛛でないなら何か……妖である。


 そんなものが、天井にべったりとくっついているのを見たらそりゃあ悲鳴をあげるか、固まるしかない。蜘蛛は紗久羅達の視線が自分に集まっていることに気がつき、にたっと笑った。


「おや、気がつかれてしまった」


 蜘蛛がそう言った直後、かちこちに固まっていた柚季が悲鳴をあげた。もうそりゃあすごい悲鳴だった。悲鳴をあげるだけにとどまらず、反射的に柚季は両手を蜘蛛の方へ向け、妖には毒である清浄な気をぶちかます。まさかそんなものを飛ばされるとは思わなかった雲はそれをまともに受けた。今度は蜘蛛が悲鳴をあげる番だった。

 蜘蛛は天井から落ちて、まっさかさま――落ちた先はテーブル――ではなく、テーブルの上にあったケーキ。ずぶべちゃりという厭な音をたて、水しぶきならぬクリームしぶきをあげて蜘蛛の頭は柔らかなスポンジに見事めり込む。

 それを見て全員が揃って悲鳴をあげた。恐怖の叫びではない。ケーキを一瞬にして駄目にされたことに対する悲しみと絶望の悲鳴である。一方、そこから抜け出そうとじたばたしている蜘蛛もうーうーむーむーぐーぐー言っている。


 柚季はもう悲鳴なのか、超音波なのかよく分からないものを口から出し続けていた。ケーキから一刻も早く蜘蛛を引き離したい、だが不気味にも程がある姿の妖に触る勇気はない。どうすればいいのか分からず彼女はただただてんぱるばかり。英彦が蜘蛛の胴体を持って引っ張り上げてやらなければ、いつまでもそうしていたか、もしくはテーブルの上だろうと皿の上だろうとおかまいなしに気をぶちかましまくっていたかもしれなかった。

 ようやく解放された蜘蛛の呼吸は荒く、ぜえぜえはあはあいっている。そうなった原因が、ケーキに見事頭をつっこみ窒息したことにあるのか、それとも柚季の攻撃をまともに食らったからなのか判別は出来ない。


 全員が呆然としながらその様子を見守る中、ようやく落ち着いたらしい蜘蛛は顔にべったりついているチョコレートクリームをぺろりと舐めた。


「ああ、甘い。なんて美味しいんだ。こんなの初めて食べたよ。けれど、べたべたして気持ち悪いねえ」


「な、な、何なのよ貴方! 一生懸命作ったケーキに頭突っ込んで、どういうつもりよ!」

 悲鳴に限りなく近い怒声を浴びせると、蜘蛛は実に不機嫌になった。


「あたしをこれの上に落としたのはお嬢ちゃんじゃないか。あたしはただ天井からあんた達の様子を眺めていただけなのにさ」

 言葉を詰まらせる柚季。確かにこのケーキに蜘蛛をダイブさせたのは他ならぬ柚季である。顔を真っ赤にしながらも何も言えない柚季を見てから頭をぶるぶると振った。そこら中に振りまかれる甘い匂いとクリーム。


「あたしは美味しいものが大好きでね、美味しそうな匂いを漂わせている家に入り込んでは食事の様子を眺めたり、余りものとかをちょいっと失敬したりするのさ。今日も美味しいものを求めてそこらをふらついていたら、ここから良い匂いがしたものだから来てみたんだ。……そしたら全くびっくりしたよ、急に攻撃してくるんだもの。酷い娘だねえ」


「びっくりしたのはこっちの方よ! この化け物! 化け蜘蛛! 妖怪ケーキ荒らし!」


「誰が妖怪景気荒らしだい。あたしに経済を動かす力は無いよ。大体今景気なんていうのは関係ないじゃないか」


「誰が景気って言ったのよ、誰が!」


「あんたじゃないか。おかしなことを言う娘だねえ」

 眉をひそめる蜘蛛はそんなことを言いながらちゃっかりケーキのすぐ隣にある鳥の丸焼きにかぶりついていた。それを見た柚季が再び悲鳴をあげたのは言うまでもない。


「ああ! ちょっと何てことしてくれているのよ! そ、それ、明日辺り野菜と一緒に混ぜてサラダにして食べようと思っていたのに!」


「うるさい娘だねえ、もう少し小さな声で喋れないのかい? うん、これも美味しいねえ。最近の人間達が食べるものはどれもこれも美味しい。こちらの世界にずっと残っていて良かったよ」

 柚季が悲鳴をあげようが、怒りに震えようが蜘蛛はお構い無しだった。


「九段坂さん、この蜘蛛なんとかしてください。今すぐ灰にしちゃってください……」


「まあ出来ることならそうしたいのですが。この妖の食事を邪魔すると、食べ物に関する災いがこの家に降り注ぐことになるので」

 どうしようもないのです、とため息。賭けを断るとろくでもないことをしでかす賭け婆同様、この蜘蛛も食事を邪魔するとろくでもないことをするらしい。

 この妖のことも桜村奇譚集に載っており、当然さくらも彼女が何者であるのか知っていた。普段なら興奮してわあわあきゃあきゃあ言うところだが、流石に今回ばかりは大人しかった。それほどまでにケーキがめちゃめちゃになった瞬間を目の当たりにしたことはショッキングだったのだ。

 誰も自分の食事を邪魔出来ない。それが分かっている蜘蛛はゆっくり時間をかけて自分が食べたいだけの量を食べた。でかい蜘蛛がもぞもぞ動きながら食事するさまは見ていて大変気色悪く、全員思わず目を逸らす。


「ああ、美味しかった。酷い目にあったことを忘れてしまう位美味しかった。ここにある料理達は誰が作ったんだい?」

 蜘蛛の質問に仕方なく柚季と紗久羅が手をあげる。それを見た蜘蛛は感心した様子。


「へえ、あんた達が。やるじゃあないか。……いやあ良いものを食べさせてもらった。これはお礼をしないとねえ」

 そう言うと、蜘蛛は口から何かを二つ吐いた。白い粒で大きさや形はアーモンドに似ている。


「これを飲みな。大丈夫、毒じゃあないからさあ。それじゃああたしは退散するとしよう」

 突然現れ、故意でないとはいえケーキを駄目にし、挙句他の食べ物にまで口をつけた蜘蛛は腹がぱんぱんに膨れていることなどものともせず、いっそ清清しくなる程俊敏な動きでその場から立ち去ったのだった。


 後に残ったのは呆然と立ち尽くす紗久羅達、ぐちゃぐちゃのケーキ、蜘蛛に口をつけられた料理、そして謎の物体二つ、何ともいえない空気。


「え、えと……桜村奇譚集によればあの蜘蛛の吐いたものを飲み込むとお腹の中がとても綺麗になる……とか……」


「食えと? あの気色悪い蜘蛛が吐いたものをあたしに。あたしは無理、絶対無理。さくら姉、食べたければどうぞ」


「わ、私も……」

 妖大好きなさくらだったが、流石に妖が口から吐き出したものを飲み込みたいとまでは思わないらしい。その後紗久羅に視線を向けられた奈都貴と一夜も全力で首を横に振った。結局それは美沙が引き取ることに。


「もういや、本当、妖なんて大嫌い……」

 何十、何百回呟いたか分からない言葉と共に柚季は涙を流した。


 そんなこんなで、楽しい楽しいお食事タイムも最後の最後に起きた事件のせいで全部台無し。さよなら喜び、こんにちは……悲しみ。

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