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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
クリスマス・パニック!
152/360

クリスマス・パニック!(8)

 ぐらり。光の粒が世界を満たすさまをただ見ていることしか出来なかった英彦と美沙の体が揺れる。足元から突然生えてきた大きくて丸っこい何かに体を突き上げられてバランスを崩してしまったのだ。

 何事かと視線を下に向けると、二人はそれぞれ赤い球体の上に乗っかっていた。大きさこそそれぞれ違うものの、同じ色のものが道路中に生えている。


 それが大きな達磨であることに気がついたのは少し経ってから。こちらに顔を向けているものもあれば、背を向けているものもある。丸い瞳、豪快なひげ――厳つくもどこか愛嬌のある顔があちこちに見えた。

 そんな達磨達は皆、青く輝く美しい水の中に殆ど浸っている。サイズによっては完全に水底に沈んでしまっているものも。突如生まれた達磨の沈む川。

 川、といっても普通の川ではない(もっとも達磨が沈んでいたり、そもそも道路に突然現れたりしている時点で普通の川ではないのだが……)。


 その川は、沸騰していた。ぐつぐつぶくぶくという不吉で厭な音をたて、無数のあぶくを絶えず産んでいる。大きなあぶく、小さなあぶく。その川から出てくるそれには、それぞれ色と模様がついていた。青や黄、緑、赤などの色に花、波模様、水玉、縦縞横縞――色鮮やかで可愛らしく、美しい……ビー玉や屋台で売っているヨーヨー、万華鏡を思わせる。

 綺麗な一方、それは恐ろしいまでの熱を帯びている。あぶくだけではない、それを孕み、そして産み続けている川もまた、熱い。今が氷の世界である十二月、どれだけ着こんでもなお冷気が肌に染みこんでくるような季節であることを忘れてしまう位だった。熱した針でちくちく刺されるような痛みや熱が二人を襲い、額から玉のような汗が落ちる。時々二人の足に熱い湯がかかる。


 紗久羅と柚季だったらパニックを起こし、怒りや恐怖、困惑などの入り混じった声で叫びまくったに違いないが、二人よりずっとこういったことを経験している英彦や、元々妖である美沙は割と冷静だった。達磨の上でそれぞれ上手いことバランスをとりながらこの先のことを話し合う余裕もちゃんとあった。


 音頭をとり続けていた女や、道を歩いていた他の小さき人達はすっかり熱湯と達磨に隠れてしまった。二人は一瞬彼等の身を案じたが、それは杞憂に終わる。水面から突き出る扇を持った手や歌を歌う声。その声を聞けば彼等が無事であることは明確だった。元々熱に強く、水中でも普通に呼吸が出来る種族なのか、それとも自分達の体から出ていった光の粒が生み出す変化は彼等自身には何の影響も及ぼさないのか……理由は分からないが、ともかく彼等は川の湯に沈んでも一切問題はないようだ。

 しかし小さき人々には何の影響がなくても、英彦達にはある。


「どうします、英彦様。このままここでじっとしています? それとも目の前にあるあの達磨達を使って先に進みます?」

 英彦の右隣にある達磨の上に立っている美沙が英彦に尋ねた。英彦は口元に手をやりながら唸る。彼もこの先どうするか迷っているらしい。


「この達磨を使って先へ進んでも、いずれはここに戻ってしまう。かといってこんな所でぼうっと突っ立っていても……いや、そもそも」


 ぼうっと突っ立っている暇をこの空間は与えないだろう、と言ったその小さな声には大きなため息が混ざっていた。

 彼は覚悟していた。そして実際その通りになった。


 ぐおう、あおう、ぐう。


 腹の底まで響く、聞く者をぞっとさせる獣の雄たけびが二人の耳に届く。その声に達磨がぐらりと揺れ、二人は危うく幻想を抱いた熱湯へと放り出されそうに。

 あまり見たくはなかったが、仕方なく声のした方――背後に目を向ける。見ればそこには……坊主が、いや、坊主の生首が。


 横は道路を塞ぐ位、縦も二メートルはゆうにあるそれは無数の千代紙で出来たもので、巨大な目鼻口がなければ人の生首になど絶対に見えなかっただろう。

 色とりどりで、描かれている模様も様々な千代紙の美しさがそれの異様さを引き立て、より不気味な存在に仕立て上げている。


 恐ろしい声をあげながら開閉するその口には分厚い和紙で出来ているらしい鋭く尖った歯がびっちりと。あれが真実ただの和紙ならば噛まれてもそう痛くはないだろうが、彼が口を閉じる度聞こえるがちんがちんという音を聞く限りその考えは捨てた方が良さそうだった。

 

 ひえい、ひえい、ひえい。


 川の中でじいっとしていた達磨達が一斉にそんな声をあげた。あちこちからばらばらに聞こえてくる低く、抑揚の無い声、まるでお経のよう。一切表情を変えぬままあげるそれはどうやら悲鳴であるらしい。その声を聞いていると、落ち着いている心がざわめきだし、ぐらぐら揺れ、不安と恐怖に包まれそうになり、英彦はごくりと唾を飲み込み、駄目だ落ち着かなければと心を鎮める為の呪文を心の中で唱える。


「英彦様」


「ここでぼうっとしている、という選択肢はどうやらないようだ」


 そう言った直後だ。その場を動かなかった生首が前進、行進、進撃を始めたのは。英彦と美沙は迷わず近くにある達磨に飛び移り、そしてまた次の達磨に飛び移り、逃げ出した。生首は鈍かったが、不安定な足場を飛び移っていかなければいけない英彦と美沙のスピードも似たようなものだったから、距離は広がりそうで広がらず。

 生首は自分の眼前にある達磨を次々と粉々に砕いていく。赤色のガラスの様な、りんご飴の飴部分のようなものが川を流れ、英彦達の横を通り過ぎ、前へ前へといく。仲間の無残な最期を目の当たりにした達磨達の「ひえい、ひえい」という声に混ざる恐怖の割合がどんどん多くなっていった。


 ひえい、ひえい、ひえい。


 そう呟き続ける達磨の頭を踏みつけ逃げる英彦と美沙も出来ることならそうやって叫び声をあげたかった。しかしそんな暇はなく、また叫び声をあげていたずらに心をざわつかせても良いことなんて何一つ無いことをよく知っていたから、ぐっとこらえる。

 

 右へ行ってはよいやっさ 左へ行ってはえいやっさ

 うおう さおう うおう さおう

 右へ行ってはそいやっさ 左へ行ってはほいやっさ

 うおう さおう うおう さおう

 動けば進む 動かねば進まぬ


 それ行けそれ行け てんてこ舞い てんてこ舞い!


 幾度と無く達磨の上でバランスを崩しながらも上手いこと持ち直し、果てない逃避行を繰り広げる。

 美沙がふと頭上を見上げて叫び声をあげた。


「英彦様、上、上!」


「上?」

 見上げればそこには青い空、白い雲……それから、鮮やかな色のついた米粒が沢山。その米粒は天から地へと勢いよく降り注ぐ。

 逃げる二人に容赦なく襲い掛かる米粒はものすごい速さで降り注いでいる為か当たると地味に痛い。おまけに視界も遮られるから走りにくいことこのうえない。生首がどの辺りにいるのかさえ判別がつきにくい程の数の米粒に二人は辟易。息さえ出来ない。ちゃんと自分達が達磨の上を渡れているのかさえ怪しかった。実は沸騰している川に足を何度か突っ込んでいるが、走るのに夢中で気がついていないだけかもしれない。

 それでも二人がまだ動けているのは、自身にかけている結界がそこそこ効いているお陰だった。あくまでそこそこ、であり完全に己の身を守ることは出来なかったが。


「こ、これがライスシャワーというものですか!? 結婚式とかで浴びるなら大歓迎ですけれど、こんな所では勘弁です!」


「ライスシャワーというよりはライスレインだな。……いやむしろストーム、嵐だ」

 そう話している間に米粒が次々と口の中に入っていく。米粒は厨房等がある屋根、そこで働いている小さき人々などにも平等に降り注いだが、彼等はそれを全く気にせず仕事を続けている。金目鯛の煮付けや刺身、庭に出来た森で狩られた獣の肉を焼いたものなどが盛りつけられた皿に米粒が入ってしまったら折角の料理が台無しになるのでは、と頭の端で英彦は思った。


(いや、もしかしたら料理や小さき人々にはこの米粒は当たっていないのかもしれない。この沸騰した川の中にいても彼等は平気のようだし……光の粒の力は彼等には矢張り作用しないのかも)


 米粒の嵐が止んだと思ったら、今度は口からしゃぼん玉を吐き続ける錦鯉が空から降ってきた。


 びたばたびたばっしゃんぼちゃん!


 とてつもない音と共に川に錦鯉がダイブする度水面が大きく波打ち、英彦達の生命線たる達磨をぐうらぐら揺らす。二人はやじろべえのようになりながら必死にバランスを崩さぬよう踏ん張る。はねた熱湯が足や手にかかっても我慢、我慢。


「錦鯉は本当にかんべ……」

 まだ降り続けるのだろうかと空を見上げた英彦の顔に巨大な錦鯉がヒット。

 その勢いで後ろに傾く体、あわや背中から川へどぼんといくところであったが、すんでのところで美沙に体を支えてくれた為どうにか英彦は体勢を直すことが出来た。


「ありがとう、美沙」

 短い礼をした後、また走り出す。生首は頭に何匹、何十匹の錦鯉が降ってきてもそれをもろともせず、達磨と共に自分の目の前にいる錦鯉を噛み砕く。噛み砕かれた錦鯉、その一つ一つの破片は金魚に変わり、川を悠々と泳ぎ始める。

 その金魚達が英彦達の乗っている達磨をちょんちょんと突く。一、二匹位がそんなことをしても問題ないが、大勢の金魚に一斉につつかれると流石の達磨もたまらずぐらぐら揺れる。また、彼等が時々ぴょこんと跳ねる度、熱い湯がかかるので非常に迷惑であった。


「英彦様、これは一体何なんですか? あの光の粒は彼等の持っている力の結晶ですよね? どうしていきなりあんなものが」


「ああ。どうも彼等は忙しくなり、てんてこ舞いになると無意識の内にあの光の粒を発するようだ。その粒が場を満たすと、そこに様々な変化が訪れる。そしてその場に迷い込んでしまった人間は彼等の力が生み出した変化によって……忙しなく手足を動かす羽目になってしまう。てんてこ舞いになってしまうんだ。宴の準備に追われる彼等と同じように」

 英彦が目を向けた屋根からは甘い匂いが漂ってきた。横一列ずらりと並ぶのは臼と杵。それを使い、男女一組になって餅をついている。よもぎの匂いもしたから、恐らく餅の種類は一つではないのだろうと思われた。彼等は餅をつきながら歌を歌っている。


 ずっとんぺったんぺったんこ ずっとんぺったんぺったんこ

 くるりと回せつっとんと ぺたんとつけよぺったんこ

 月のように丸い餅 つき、つき、つき

 月を見る暇ありゃ手を動かせ餅をつけ ついて、ついて、ついて

 ずっとんぺったんぺったんこ ずっとんぺったんぺったんこ


 餅をつく者達の軽快な声と、餅をくるりと返しぺたんとつくリズミカルな音。

 こんな状況でなければ二人も気持ち良くその歌と音を聞けただろうが。


 その背後で、ついた餅にあんこを入れたり、葉で包んだり、黄粉やゴマをまぶしたりしている女達がいる。一個一個丁寧につくっては目前にある重箱にいれ、時々手を傍らに或る器に入った水で濡らし、箱がいっぱいになるとそれを屋根に端に持って行く。集まった箱を重ねて風呂敷で包み、それを両手に持って屋根を下りていく者の姿もあった。恐らく宴の場まで持って行くのだろう。

 餅だけでなく団子も作っているようで、三色団子やみたらし団子らしきものがあった。少し焦げた醤油の匂いが逃げる二人の口の中を唾でいっぱいにする。

 反対側の屋根では、団子作りに使うあんこ等を作っているらしい。甘い匂いに小豆の匂いが混ざっている。


「巻き込まれるというのはそういう意味だったんですね。てんてこ舞いの彼等の巻き添えを食らってこっちもてんてこ舞いになってしまう……ああ、それにしてもいつまで逃げていればいいんでしょう? そもそもあの生首やこの沸騰した川は本物なんですか?」

 妖である美沙でさえ、この場にあるものが本物なのかそれとも幻なのか判別出来ないらしい。


「分からない。限りなく本物に近い幻かもしれない。少なくともこの状況を生み出した彼等には何の影響も及ぼさないようだ。まあ本物か幻か確実に判別するには後ろを追いかけている生首に喰われてみるしかないかもしれないな。……美沙、あれに喰われてみるかい?」


「いやです、絶対に嫌です!」

 青ざめながら全力で拒否。喰われたら本当に死んでしまうかもしれないのだから当然の反応であった。


「私だってごめん被るよ」

 

 二人共あの恐ろしい生首に喰われることも、熱い湯の川に足を突っ込むのも嫌だった。

 しかし間もなく二人にそのどちらかを選ばねばならなくなる事態が襲う。


 先程まで延々と並んでいた達磨がある地点を最後に全く見えなくなったのだ。

 そしてその地点より先の水は真っ赤に染まっていた。


「英彦様、もしかして」


「ああ……スタート地点へ戻ってきてしまったんだ」

 この世界は今、閉じられている。前へどんどん進んでいっても必ず元の場所に戻ってきてしまうのだ。美しい泡を出し続ける川の水を赤くしているのは、哀れな達磨達の成れの果て。

 最後の達磨に乗った二人は途方に暮れる。達磨は消えたが、生首は消えない。

 何とか彼を消せないものかと英彦は狭い足場の上で器用に体を回転させ、生首と正面から向き合う。それから呼吸を整え、魔を打ち消す力を放つが生首はびくともしない。落胆するあまりつい舌打ち。


「向こうの力が強すぎる。私では太刀打ち出来ないようだ」


「向こうの力は邪悪なものではなく、とても清らかなもの。だから余計対抗するのが難しい」

 邪悪なものよりも清らかなものの方がかえって厄介な時がある。

 それにしても一体どうしましょうと頭を抱える美沙。


「喰われるか、熱い湯に足を突っ込んで逃げるか。自分の身を守っているにも関わらずあんなにも熱く感じる湯で満ちた川の中を走れるかといったら……」


「無理です、嫌です、でも食べられるのも嫌です」


 とかなんとか言っている間にも生首はどんどん迫ってくる。彼等のピンチにも小さき人々は見向きもしない。

 

 右へ行ってはよいやっさ 左へ行ってはえいやっさ

 うおう さおう うおう さおう

 右へ行ってはそいやっさ 左へ行ってはほいやっさ

 うおう さおう うおう さおう

 動けば進む 動かねば進まぬ


 それ行けそれ行け てんてこ舞い てんてこ舞い!


 女の声が二人を急かす、揺らす、押し潰す。

 目前に迫る生首。


(喰われる、か)

 どうしても湯の中に足を突っ込む気になれなかった二人は、生首の開いた大きな口をただじいっと見つめていた。


 その時。


「あれ?」


「止まった?」

 二人は驚いた。迫る口の動きが急に止まったのだ。

 しばし流れた沈黙の後、ごえふっという大きな音が聞こえた。あんまり大きくて、腹の底まで響くような音だったからそれが生首のげっぷであることに気がつくまでにはしばしの時間が必要だった。


「満ちた、満ちた、腹が満ちた。終いじゃ、終いじゃ」

 初めて彼が言葉らしい言葉を吐いた。低く、そして妙にこもった声であった。

 達磨や錦鯉を噛み砕き、その中にあったらしい彼等の魂か何かをほふっていた生首は、二人の前にあった達磨を噛み砕いた所で満腹になったらしい。

 生首は手を離したジェット風船の様にぷしゅうという音と共に天まで昇り、それからぷうっと膨らみ、あっという間にぼうんと破裂。


 破裂生首、生首破裂、破裂すりゃ破片、飛び散って。それが口のえらく大きなたこに変わり、一斉に息を吸い込んだ。

 宙に浮かんでいるたこ達が息を吸えば、川を満たす湯や達磨や錦鯉の成れの果てやらがそこへ吸い込まれていく。ぽかんとしている英彦と美沙を包む川の湯はもう水に変わっていた。変わっていなければ二人はゆでだこ、焼きだこ……それを通り越して炭になっていたかもしれない。たこは小さき人々や、彼等の作っている食べ物などは吸い込まなかった。全く器用なたこである。


 瞬く間に消えてなくなった川。さあこれで一安心……ではなかった。

 川の水をすっかり飲み干したたこが、破裂した。破片は全てビー玉になり、更にそのビー玉がぱりんと破裂。きらきら輝く七色の破片には小さな羽がついて虫となり。


「きゃあ!」


「うわ!」

 無数のガラス虫が二人の顔の周りに集まりだす。その数百、二百、或いはそれ以上。夕方外に出現する蚊の集団に顔を突っ込んでしまったかのようになった二人はたまらず走り出すが、二人が走ると虫集団も走り、二人を追いかけるのだった。どうにか集中し、力を放っても虫達は怯みもしない。

 とりあえず前へ前へと逃げていた英彦の目の前に人一人ぎりぎりは入れる位の穴が見えた。穴は一つだけではなく、所々に空いていた。

 丸い達磨を踏みつけて逃げるのではなく、今度は丸い穴を避けながら逃げなくてはならないのかと心の中で嘆く。虫に視界を遮られている為、穴を上手いこと避けるのは至難の業だった。実際英彦は幾度となく穴に足を踏み入れそうになり、美沙に至っては何度も穴に落ちていた。その度英彦は彼女に手を差し伸べ、穴から彼女が出るのを優しく手伝ってやる。穴に入っている間は虫は襲ってこないようだが、穴から出た途端襲ってくる。


「もういっそのこと、わざと穴の中に入っていた方が」


「いいかもしれない……が、人が忙しなく動かざるをえないような事象を生みだす力が作り出した穴だから」

 穴にずっと入っていたらいたで何かてんてこ舞いになるような出来事が起こる可能性が高い、と美沙の提案を却下。

 この穴、中に何かが入っているものもあれば、何もないものもあった。何か入っている場合は無数のなまこ、蜘蛛、糞らしきもの、謎の肉塊といった気色の悪いものや巨大たこ焼きが一個すっぽり入っているだけのもの、ゴミ等バリエーションは様々。中には鋭い刃や火柱がお出迎え――な穴もあるから危険だった。


(普通に走るよりも辛いかもしれないな)

 見た目によらず運動神経は悪くない彼だったが、不安定な足場を移動したり、視界を遮る虫によってイラつきながら穴の無い所を選んで右へ左へちょこまか移動したりするのは想像以上に体力を消耗する。それゆえ時々足がもつれ穴に落ちそうになる。


「あれえ」

 そんな時に上から聞こえてくる声。小さき人――女があげた声らしい。

 女がいたのはある家の屋根。彼女はそこの上で転んだようだ。その拍子に自分が手に持っていたかごか何かを放り投げてしまった様子。かごの中に入っていたものは屋根の上をころころ転がり、そして思いっきり青空向かってジャンプ。それから放物線を描いてひゅるひゅるり。

 何であるのか確認する間もなく、それは二人の目の前にある穴の中へ落ちていった。


 途端、きいいいいとガラスの虫達が甲高い声で悲鳴をあげた。俊敏な動きが急に鈍くなる。

 何事かと思っていたら、屋根から落ちてきたものが入った穴から何かが生えてきた。茶色い皮で覆われた円錐状のそれは――たけのこであった。穴をぎっちり埋める大きなたけのこ。するとそれを皮切りに穴という穴からたけのこが次々と生えていった。三つ葉市の中に突如生まれたたけのこの里。

 あっという間にたけのこの生えていない穴は一つも無くなってしまった。

 するとまたガラスの虫達が悲鳴をあげ、暴れだし、それから線香花火の玉のように、ひょろひょろ地面へ落ちて、すっかり動かなくなり。どうやら死んでしまったらしい。


「た、たけのこが弱点だったのでしょう、か」

 息を切らす美沙は思わず英彦の肩にもたれかかる。そんな美沙を暖かな目で見守りながらも英彦は荒い息を吐いた。


「多分ね。あそこにいた小さき人の落としたたけのこが上手いこと力の影響を受けて、たけのこになって……ああ疲れた」

 ほっと一息。しかしまだまだ終わらぬてんてこ舞い、てんてこ舞い。


「きひひひひひ」

 厭な笑い声が二人の背を撫でる。もう少し休ませてくれとがっくり肩を落としつつ、仕方なく後ろを振り返る。


 そこには一人の老婆が立っていた。骨と皮だけの体を包んでいるのはぼろぼろな上につんつるてんな着物。灰色の肌、吊りあがった黄色の瞳、青い唇からはみ出ている白く鋭い歯。がに股で立っている老婆が右手に抱えているのは小さな茶色い壷。


「や、山姥?」


「髪の毛だけは豊かな山姥が……」


 老婆の顔、髪、体、その後彼女が持っている壷に注目。壷めがけて何かが次々と落ちてきている。その何かを辿っていくと、老婆の右肩へ至る。その右肩にちょこんと乗っているのは可愛らしいうぐいすらしき鳥。そのうぐいすはこちらに愛らしい尻を向けており……そして。


「あの、英彦様。あの壷に落ちているものって」


「あのうぐいすの糞……だろうね」

 うぐいすは休むことなく次から次へと糞を体から出し、老婆の持つ壷に入れている。

 老婆はその壷に左手を突っ込んで。それから、笑顔。それはもう素晴らしい笑顔であった。英彦と美沙は彼女が次に何をしてくるのか想像し、慌てて走りだす。と同時に老婆は二人の予想通り、高笑いしながら二人を追いかけてきた。


 追いつかれれば、塗られる。べったりと、塗られる。

 穴から生えてきたたけのこを避けながら二人は再び走る羽目に。老婆の足は思った以上に速く、また彼女は生えているたけのこをぼきぼき折りながら直進、猪突猛進。避けるくらいなら折ってしまえ精神で追いかけてくるのだ。細い足で一体どうやって折っているのか甚だ疑問であったが、そんなことは今の二人にとってはどうでもいいことで。


「うぐいすの糞は美容に良いと聞きますけれど、でも、それでもべったりとぬられるのは嫌!」


「美沙はあんなものつけなくてもすでに綺麗だからね、うん」


「英彦様……ってうっとりしている場合じゃないですよね!」


 老婆の左手からぽとぽと、いや、べちょべちょと落ちるうぐいすの糞。


「ああ、どろどろでべちゃべちゃの……というかあれ本当にうぐいすの糞なんですか? うぐいすの糞ってああいう泥みたいな感じなんですか?」


「どうだろうなあ。実物見たことないから。まあほら、この世界のうぐいすだからね、何でもありだからね」

 正しいも間違いも無い世界である。それにあの糞が真実ウグイスの糞だろうがそうでなかろうが、塗りたくられたら嫌ということに変わりは無い。

 たけのこ避け避け、走る、走る。


 手足止めても時は止まらぬ 手足止めても仕事は進まぬ

 止まるな動け 力の限り

 止まるな働け 命の限り


 よいやさえいさ よいやさえいさ

 てんてこ舞い てんてこ舞い!


 扇を手に彼女は今どこで踊っているやら。案外どこかのたけのこの上で踊っているかもしれない、と英彦は思った。

 小さき人々の動きはますます忙しなくなっている。宴開始の時間が差し迫っているのだろう。彼等が忙しくなればなる程出てくる光の粒。それがかかったたけのこはどんどん成長していく。しかし成長しても竹にならない。たけのこのまま、どんどん伸びていくのだ。大きくなったたけのこは二人の視界を遮り、また逃走の邪魔をする。

 背後に迫る老婆の不気味な笑い声。その声を聞くと、目の前に生えているたけのこまで気味悪く見えた。


 閉じられた世界を一周し、さてこれから二周目かと思った矢先再び場に変化が起きる。

 穴から生えてきたたけのこがロケットの如く轟音と共に真上へ飛んだのだ。

 たけのこロケット宙を飛び、空に出来たたけのこ林。やがて一つにまとまって。


 たけのこ達が一箇所にあつまった途端、眩い閃光。それと同時にめりめりめしょ、という変な音が聞こえた。

 目を開けると何だか世界が先程より暗くなっている。二人の前に何かとてつもなく大きなものが立っているらしい。顔をあげればそこには、巨大なたけのこ。両側にある塀の海を突き破り、天に向かってぐいっと伸びている。この場所に生えていたたけのこが合体して、超巨大たけのこになってしまったのだ。


 たけのこは二人の進路を完全に塞いでいる。ああまたこのパターンか、今度こそ万事休すか、と思っていたら。

 たけのこから、何かが生えてきた。それは切った竹を何本か集めて作った階段らしきもの。それを使えば上へ上れるようだ。

 

(相当な高さ……これを上らなくてはいけないのか。いや、しかし上らなければ老婆のしわくちゃの手でどろべちゃの糞を塗りたくられることに)

 気は進まないが、上るしかない。観念して英彦と美沙が階段に足をかけたところで、何かが二人の頭上を通り過ぎていった。それから少しして老婆の悲鳴が聞こえた。


「ハナちゃん、ハナちゃん!」

 悲痛な叫び声に振り返ってみれば、老婆の肩に止まっていたウグイス(どううやらハナちゃんというらしい)が巨大な鳥に捕らわれていた。足でがっちり囚われてしまったハナちゃんは、哀れ、鳥と共に空の彼方へと消えていった。

 ハナちゃんを失った老婆はその場で崩れ落ち、おいおい泣き出す。両手――勿論ハナちゃんの糞で汚れている手も――で顔を覆って。延々とハナちゃん、ハナちゃん、ハナちゃんと連呼。


 そんな老婆が立ち上がったのはそれから大分経ってから。よろよろと立ち止まった老婆は肩を落とし、嘆きの息を吐く。


「この糞は、ハナちゃんの形見。もうこれ以上減らすわけにはいかない。誰にもやらない。ああ、ハナちゃん、ハナちゃん」

 英彦と美沙に背を向けると、老婆はとぼとぼとその場を去るのだった。


「な、なんだかよく分かりませんが……助かりましたね」


「ああ、とりあえずは」

 老婆から逃げる必要がなくなった為、一度階段から足を離す。

 もっともそれからすぐ再びその階段に足をかけることになるのだが。


 息を整える二人の真下から聞こえる声。思わず下に目を向ければ、そこには緑の肌、黒くぼさぼさした髪、二本の角、大きな口――恐ろしい顔した化け物の顔の絵があった。今にも飛び出してきそうな位リアルで迫力のある絵だ。

 その絵を見て、ため息。


「……この絵が今から飛び出してきて私達を襲うと思う人、手を挙げて」


「はあい……」

 力なくあがる美沙の手。

 全くもって、その通り。ぶくぶくという音と共に盛りあがってくる地上の絵。

 このまま飛び出してくるのを待っていれば、二人は間違いなく喰われる。


 結局、たけのこから生えてきている竹の階段を上り、逃げるしかなくなってしまった。飛び出して、というよりにょきにょき生えてきた怪物から逃げる為、二人はまたもや走る、走る、走る。


「英彦様、これいつまで続くんですか!?」


「恐らく彼等の宴の準備が終わるまで。それが終わればきっとここから解放されるだろう……奇譚集にこの話が載っているということは、この世界に迷いこみ色々な目にあいながらも無事元の世界に戻ってきた人がいるということだ。それまで必死に動き続けるしかない。全く及川さん達がこの場にいなくてよかった。彼女がいたら発狂していただろうよ」


「ゆずちゃん達、そもそも無事にクリスマスパーティー出来ているでしょうか?」


「う、ううん」

 大丈夫だと思うよ、とは口が裂けてもいえない英彦だった。


 結局この後も様々な事象が続き、二人はそれに振り回され通し振り回されることになる。

 英彦の想像通り小さき人々の宴の準備が終わった途端世界は元通りになり、二人は予定の時間を大幅に遅れて柚季宅に到着。


 そんな二人を迎えたのは、まさかの大掃除にへとへとになっていた少年少女達であった……。

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