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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
クリスマス・パニック!
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クリスマス・パニック!(7)

 さてさてこちらは及川家。十二月、体に痺れと痛みを与える位凍てついている空気に満ちた、氷の空に覆われた世界。はあ、と息を吐けばたちまちそれは白くなって凍っちまって。身は縮み、固まり。外の世界は今本当に、寒い。

 しかし一方で、暖房の効いている家の中はぬくぬく。氷を溶かす温もりが満ち溢れている。暖房、カーペット、そして仲間と過ごす賑やかで楽しい時間が柚季達に温もりを与え、彼女達の体はぽかぽか温まっている。


 いや。

 今の彼女達の体はぽかぽか、などという可愛らしい言葉で片付けられない位温かくなっていた。ぽかぽか温かいを通り越して、熱くなっていた、完全に火照っていた。

 誰も彼も皆呼吸が荒くなっており、両手を膝にやったり、四つんばいになったりしながら息を整えている。元々運動神経がお馬鹿さんなさくらはともかく、体力にはかなりの自信がある一夜や紗久羅でさえそうなる位彼等は家中を走り回ったのだ。


「全く何なんだよあいつは!」


「料理さえまともにさせてくれないなんて、本当もう嫌! 妖なんて大嫌い!」

 ぺたんとカーペットの上に座り込んでいる柚季が大声で叫び、それから弱弱しい声をあげ、がっくりとうなだれた。

 台所の床にはボウルが転がっており、その中に入っていたチョコレートクリームがあちこちに散乱している。流しについている蛇口からはだらだらと水が出続けていて、パックから零れて散乱したイチゴを絶えず洗い続けている。


「まさかあそこまですばしっこい妖だとは思わなかった……」

 ただそれだけ言うのも今のさくらにとっては大業だった。ひっくり返ったゲーム機やコントローラーを元に戻しながらぜえぜえはあはあと荒い呼吸をする。

 戻さなくてはいけないものはボウルやゲーム機だけに留まらない。部屋中のありとあらゆるものがひっくり返ったり、床に落ちていたり、ぐちゃぐちゃになったりしている。無事な部分の方が少ない位だった。二階にある柚季の部屋も、今はしっちゃかめっちゃかである。そして風呂場の浴槽を彩るのは真っ赤な七味唐辛子と白い粉の小さな山……。廊下を濡らす赤い液体はタバスコ。他にも綺麗だったはずの家をインスタントコーヒーや胃腸薬が汚していた。

騒動の中壊れてしまった物が何一つなかったことは全く奇跡であるとしかいいようがなかった。


「家の中をこんなに走り回ったのなんて、チビガキ時代以来かもしれない……」


「チビガキの時だってこんなにも部屋中の物滅茶苦茶にする位暴れなかったかもしれん。他人様の家なら尚更だ」


「ごめんな及川。家の中ぐちゃぐちゃにしちゃって」

 見るも無残な光景に頭を抱える井上兄妹の隣にいた奈都貴は、この家の住人たる柚季に心からの謝罪をする。柚季はううん、と力なく首を横に振った。この惨事の原因たる妖には怒りの感情を抱いていたが、人間かつ客人である奈都貴達には少しもそういった感情を抱いていない様子。


「しょうがないよ。皆は何も悪くない。悪いのは全部あいつ、あいつなのよ! 水道からにゅいっっと……斬新すぎる方法で現れやがったあの妖が!」

 固く握った手で殴られた床が鈍い音をたてる。その後吐いた息が異様に荒かったのは疲れのせいか、それとも激しい怒りの感情が原因か。


 どうして皆して息を切らしているのか、何故家中ぐちゃぐちゃになってしまったのか。


 話は三十分以上前に遡る。紗久羅と柚季は順調に料理の準備を進めていた。

 料理を得意としている二人は手際が良かった。また早く皆と遊びたいという気持ちがより二人の作業を捗らせ、予定よりも少し早く終りそうだった。台所も片付けられるものは逐次片付けていたので非常に綺麗である。

 後はケーキのデコレーションをし、それを冷蔵庫にしまえばお終いという段階までいき、柚季と紗久羅はようやく後少しで皆と遊べるとうきうき気分。自然と零れる笑み。


「そろそろイチゴの用意を……ああ、この匂いやっぱり良いわよね……幸せ」

 隣でチョコクリーム入りのボウルを持っていた紗久羅の方へ開封したイチゴのパックを向ける。紗久羅は目を瞑り、そこから溢れる甘酸っぱい香りに幸せそうな唸り声をあげた。パックという宝箱にたっぷり詰まった宝石、ルビー。


「とりあえず軽く洗っておこうか」

 柚季はイチゴを小さなざるにあけ、きゅっと蛇口の栓をひねる。そこから出るのは水……のはずだった。


 しかしその時細い管から出てきたのは水ではなく、生き物だった。ぷくうと大きくて丸くて白いもの。まるで蛇口が口の中に入れていたフーセンガムを膨らませたような、そんな光景が柚季の目に映りこんだ。

 呆然、沈黙、止まる時。そして。


 柚季のあげた悲鳴に隣にいた紗久羅はびくっと体を震わせ、それから柚季の視線の先に目を向けた。


「何だ、まさか黒い生命体Gが」


「ち、違う!」

 視線の先にあるものを見た紗久羅は驚きの声をあげる。そうなるのも無理ははなかった。彼女の目に映ったのは正体不明のヘンテコな生物だったのだ。


 それは流し台、丁度排水溝の上辺りにいた。生まれたての赤子の頭位はあろうかという球体。白く短い毛に覆われており、水に濡れていなければさぞかしふわふわしていただろうと思われた。黒くつぶらな瞳、大きくて長い舌。

 見た目は可愛らしい。だがその有り得ない登場方法、この世界のどの動物にも該当しない容姿などから彼が妖であることは明確。


 そしてこの生き物こそが柚季宅を滅茶苦茶にした張本人であった。


 彼は悲鳴をあげている柚季や自分を凝視している紗久羅を見、それから辺りをきょろきょろ見回す。しばらくしてその動きが止まった。何かに気がついたらしい彼は毛に隠れて殆ど見えない小さな鼻をひくつかせ。どうやら匂いを嗅いでいるらしかった。

 そんな毛玉の視線が、紗久羅に……いや、紗久羅の持っているボウルにいく。

 そのボウルを見る彼の目は何倍にも大きくなっており、また、その輝きを増していた。


 毛玉が突然紗久羅に飛びかかってきた。この毛玉、手はなかったが足はあったらしい。うさぎのそれに似ていた。あまりにいきなりのことで、おまけにものすごい速さだったものだから紗久羅はびっくりし、思わず手に持っていたボウルを落としてしまった。落ちたボウルが音をたてて床に落ち、同時に茶色いクリームが床に散らばる。そのことを柚季に謝る間もなかった。

 一度紗久羅の肩に着地した毛玉はすぐにそこから降り、ボウルにまっしぐら。

 止める呆然としている二人を尻目に長い舌でクリームをぺろぺろと舐め始めた。その時の彼の幸せそうな顔といったらなかった。


「ど、どうしたの紗久羅ちゃん!」

 台所から流れてきたただならぬ空気、大きな悲鳴に気づいた三人が台所の方へやってくる。そして三人は床に散らばったクリームを、ぴいぴいと小鳥のさえずりの様な声をあげながら美味しそうに舐めている毛玉と邂逅したのだった。


 そのままクリームを全て舐めとってしまうだろうと思われていた毛玉だったが、そうはならなかった。そうなる前に彼の動きがピタリと止まってしまった。

 再び訪れた沈黙。


 しばらくして再び毛玉が動き出す。動きだした、というか揺れだした。ふらふら、ふらふら。千鳥足、とろりと溶けた瞳。気のせいか毛の色がピンクがかっている。


「もしかしてこいつ、酔った?」


「嘘でしょう!? あのクリーム、お酒入っていないのに!」


「でも明らかに様子が……ていうかそもそもこいつ何者? 妖怪ってことは間違いないだろうけれど」


 五人に囲まれた毛玉は時々しゃっくりしながらなおあっちへふらふら、こっちへふらふらしていた。

 その様子をまじまじと見つめていたさくらが突然何かに気がついた、或いは何かを思い出したような声をあげる。


「もしかしたら……ああ、そうだとしたら不味いわ」

 そう小声で一人呟く彼女の顔は真っ青。


「え、何、どういうことだよ。こいつなんかやばい奴なのか?」

 一夜に問われたさくらが口を開く。そして説明を……しようとした。


 しかし彼女は説明をすることが出来なかった。そもそも彼女の話を聞く必要はなかった。彼女が話をする前に、彼女が話そうとしたことを毛玉がやらかしてくれたからだ。

 毛玉が、その場で突然飛び上がった。飛び上がった体は天井にぶつかり、今度はさくら達の方へ向かってきた。間一髪三人はそれを避ける。毛玉は彼等の背後にあった壁にぶつかり、今度は別の場所へ向かっていく。その動きはまるで台の上を駆け回るビリヤードの玉。といっても彼の体はビリヤードの玉のように固くはなく、ゴム毬のように弾力があるようだった。


 毛玉はあらゆる所にぶつかりながらどんどん移動していく。どん、がん、がらがら、ごき……そんな音をたてて。

 壁や天井などに当たっても何も起きないが、固定されていないものなどに当たれば当然それらは落下したり傾いたり崩れたりする。柚季の悲鳴と、物音のアンサンブルがこの場にいる全員に絶望と焦燥を与えた。


 その後はもう、大変だった。紗久羅達は彼を捕まえようとあちこち駆け回り、毛玉は毛玉で家中を跳ね回った。天井や壁にぶつかりながら移動していた時も相当早かったが、そういう所にぶつからず、自分の意思で動く時も非常に早かった。おまけに人間達よりずっと小さいゆえに小回りがきくものだから余計たちが悪かった。


 自分めがけて飛びかかってきた一夜を華麗に避け、床と口づけする羽目になった彼の体の上に乗っかったり、自分を追いかけてきた紗久羅と柚季の間を通り抜けたり、とろとろと動きながら向かってきたさくらの顔面に激突したり。


 毛玉の正体に心当たりがあるらしいさくら曰く、こうなってしまった彼を大人しくさせるには辛いものや苦いものを食べさせるしかないということだった。間違ってもこれ以上甘いものを食べさせてはいけないとも言った。それを思い出すまでに若干の時間がかかったが。

 そういうわけで皆はそれぞれ七味唐辛子、タバスコ、胃腸薬、インスタントコーヒー、コチュジャンを手に持った。それを上手く毛玉に食べさせる(飲ませる)ことが出来れば彼を大人しくさせることが出来る。しかしそれは彼を捕らえることと同じ位、いや或いはそれ以上に大変なことで。嫌な匂いを嗅ぎ取ったらしい毛玉は、それまでだらしなく外へ出した舌を引っ込め口を閉ざしてしまったから、あらかじめ廊下などにそれらを振りまいたり、塗ったりして後は彼の舌がそれに触れればOKという作戦を使うことも出来なかった。


 毛玉の俊敏さは先程までより増した。余程辛いものや苦いものが嫌いであるらしい。

 

 毛玉は途中二階へと上がった。それを追いかけた柚季と紗久羅、奈都貴だったが階段を上った先に伸びている廊下に彼の姿はなく。廊下の両脇にある両親や柚季の部屋のドアは閉まったまま。鍵はかかっていないから入ろうと思えば入れるし、入った後ドアを閉めた可能性もあるが……。


「ドアを開け閉めした音なんて聞こえなかったけれど」


「ていうかそもそもあいつドア開けられる!?」


「舌……」

 紗久羅がぼそりと呟いた単語。ただそれだけ言うだけで十分だった。自分の部屋のドアが妖の下に蹂躙されるさまをうっかり想像してしまったらしい柚季の絶叫が二階にこだました。

 柚季、と書かれたプレートの掲げられているドアのノブを奈都貴は確認する。

 見たところ濡れてはいない。


「多分大丈夫だろうけれど」


「嫌! 念の為中を確認しないと安心出来ない!」

 ドアの前にいた奈都貴をやや乱暴に押しやった柚季はドアノブをつかみ、一気に開けた。


 開けなければ良かったのに。


 どんな手を使ったのかは分からないが、天井にくっついていた毛玉が落ちてきた。彼はそのまま柚季の部屋の中へダイブ。

 またそこで追いかけっこ。机の上に置いてあったノートが床に散らばり、ふかふかのベッドはトランポリンになり、目覚まし時計やラジオは転げ落ち、無我夢中で振った瓶から飛び出したタバスコが部屋の壁にかけていた柚季の制服にかかり、窓辺に置いてあったぬいぐるみと小さな鉢が倒れ、鉢から零れた土がベッドにかかり……。


 毛玉はなかなか柚季の部屋から出なかった。ゆえに部屋の崩壊度合いも他の場所以上になってしまった。彼を追いかけている間柚季が叫んだ言葉はおよそ彼女の口から出ているとは思えない位汚いもの、乱暴なもの、恐ろしいもの……彼女のことを「大人しい子」「深窓の令嬢っぽい」と称している一部のクラスメイトが見たら驚くこと間違いなし。


 再び一階へ下りていった毛玉は、階下で待ち構えていた一夜と、その後ろにいたさくらの頭を踏みつけ、飛び跳ね、奥へと逃走。

 その後も散々部屋中を飛び跳ね回り、襲いかかる七味やコーヒーをいっそ清清しくなる位見事な動きで避け、自分を追いかけてきた人にぶつかっていき……彼が短いようで長い、長いようで短い時間の間にやらかしたことの数を数えだしたらキリがなかった。


 そんな彼を浴室でどのようにして追い詰め、そしてどんな風に彼の口に七味唐辛子を突っ込んだのか――覚えている者は誰一人いなかった。それ位皆必死で、余裕がなかったのだ。

 七味を口の中にぶちこまれた毛玉は耳を突き刺すような悲鳴をあげ、ぴくりとも動かなくなった。それから彼の体は粉々に砕け、白い粉になってしまった。

 真っ赤な七味に飾られた白い粉の山。毛玉の哀れな末路。


 毛玉の消滅を見届けた五人はリビングに戻り、そして今に至る。


「あの妖は、甘いものが大好きなの。一説によれば甘いものをたらふく食べたいという夢を抱いたまま死んだ子供の魂が妖に変じた姿らしいわ。元は一匹だったのが、時を経て増えていったとかなんとか」

 ようやく落ち着いてきたさくらがぽつりと話しはじめる。


「けれど彼は甘いものを食べると酔ってしまうの。甘いものを食べたい、食べたいという気持ちが強いゆえに……甘いものが体に大きな影響を与えてしまうのかも。この妖は桜村には出なかったらしいわ。村の外部からやって来た人から彼の話を聞いただけみたい」


「ふうん。それにしても……」

 さくらの話を聞いた後紗久羅は辺りを見渡し、がっくり肩を落とす。

 散らかったものやタバスコ等による汚れ……それらをこのままにするわけにはいかない。


「これから大掃除だな」


「ですね……」


「ああ、もう本当最悪よ!」


 本日幾度となく叫んだ柚季の声は枯れ気味。しかし怒りの感情は枯れることを知らず。

 しかしどれだけ叫んでも、現状が良くなるなんてことはない。家が汚れたら綺麗にする、どんな理由があっても自分達のしたことには責任を持たねばならぬ。


 五人は少しでも早く皆で遊ぶ為、必死になって掃除をした。

 あんまり必死だったから、英彦と美沙が予定時刻を大幅に過ぎても来ていないことに全く気がついていなかった。

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