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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
鬼灯夜行
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鬼灯夜行(10)

 出雲がそう言うと、皆一斉に杯に酒を入ればらばらに乾杯しだす。あたしは未成年だから、ということで桃ジュースを飲むことにした。聞けば、緑茶もあるらしい。まあ、この世界に未成年もくそもないだろうけれど、酒を飲んだなんてことが知れた日には、婆ちゃんに半殺しにされるだろうから、ジュースで我慢することにする(まあ、一口二口飲んだことなら今までに何度かあったけれど)。


 皆、競うようにして、葉っぱの皿に食べ物をとっていった。余程腹が空いていると見える。

 あたしも、何か食べよう。お祭の屋台で散々食ったくせにしっかり腹は減っていた。

 とはいえ。こんな得体の知れない奴らに囲まれて食事する、というのは予想以上に緊張するものだった。見知らぬ土地で、誰も知り合いのいない大きな食堂で、一人ぽつんと食事をしているような。

 夢中になって食べれば、そういう気持ちも消え失せるかもしれない。

出汁の香りが仄かにするだし巻き卵を、一つとってゆっくりと口に入れてみた。変な味でありませんように。

 心の底から、祈った。けれど、祈る必要は全く無かった。

 美味かった。ぱさぱさしてなく、ふんわりしていて、噛むたびに出汁のいい香りが口の中に広がる。しょっぱくなく、ちょうどいい味付けだった。


「美味しい。これ、鬼灯の……ええと、おじさんでいいかな」


「構わないよ。鬼灯爺さんでも構わないさ」

 そういって、鬼灯爺さん……じゃなくって鬼灯のおじさんは、小さく声をあげて笑った。狐のお面に隠れていて、表情は読めないけれど多分笑っていると思う。何でこの人は仮面を被っているんだ?仮面の下には、とんでもない素顔でも隠されているのだろうか。……あまり、考えないようにしよう。


「これ、鬼灯のおじさんが作ったの? ものすごく美味しいよ」

 正直な感想だった。


「そりゃあ、そうさ、鬼灯の旦那の作る料理は、どれも最高だよう」


「紗久羅っ子は、あんたに言っている訳じゃないっすよ。何で自慢げにあんたが答えているんだ」

 味がしっかり染みていそうな色をした里芋を頬張りながら、弥助が白粉を睨んだ。白粉は、あかんべえでそれに答える。


「有難う。作った甲斐があるよ」


「いやん、そんな有難うだなんて、照れちまうよう」


「だから、あんたには言ってないでしょうが」

 弥助が、ため息をついた。隣にいた鬼灯姫が、くすくすと笑う。


「白粉様と弥助様は、本当に仲がよろしいのですね」

 どこが!?白粉と弥助はほぼ同時に叫んだ。それがおかしいのか、また鬼灯姫は笑った。

 声がぴったり揃う位には仲がいいんだな……とか何とか思いつつ、今度は鶏の唐揚げを取った。もし鶏じゃなかったら泣いてやる、と思ったが、泣く必要はなかった。正真正銘鶏の唐揚げだった。醤油や生姜や酒で作ったタレに長時間しっかりと漬けていたようで、噛んだ瞬間醤油の香ばしい匂いと、生姜の強烈な香りがした。何回も噛むと、生姜や鶏肉の甘味が出てきた。あまり美味しいから、しばらく噛んでいた。


「うん、美味い。ねえ、これどういう風に作ったんだ? あたしさ、これでも料理するのって好きなんだ。味付けとか、ものすごく気になるんだけど」


「秘密、だよ」

 そういって、鬼灯の主人は笑った。あたしは、ちぇっと軽く舌打ちした。


 次は何を食べよう、どれを食べても美味しいし、一通り食べてみようかな。

 気づけばあたしは、周りに妖怪がいることを忘れていた。隣に、憎き馬鹿狐がいることも、すっかり忘れていた。頭にあるのは食べ物のことばかり。花より団子、恐怖より食い気、出雲よりご馳走、だ。

 対する妖怪達の方も、あまりこちらに話しかけることもなく好き勝手にやっていた。あまり話しかけても、こちらを怖がらせるだけだと思ったのかもしれないし、別にあたしなんて小娘のことなんてどうでもいい、と思っていたのかもしれない。


「鞍馬さん、もし宜しければ、お酒をお注ぎいたしますわ」

 そういって、柳が酒の入った竹筒を手に持つ。すると、元々赤い鞍馬の顔が更に赤くなる。うおお、とかぐおお、とか謎の呻き声をあげつつ、コップ代わりの竹筒を柳の方へ差し出す。柳が、静かに酒を注ぐ。鞍馬の竹筒を持つ手はぶるぶる震えている。それを隣で見ていた胡蝶が、肉にシソを巻いて焼いたものを掴んでいる箸を震わせながら、くすくす笑っていた。それを箸ごと皿の上に置くと、右手で口を押さえてさっきより大きな声をあげて笑い出す。


「嫌だわ、鞍馬の旦那ったら分かりやすいわねえ、本当」


「え、ええい、黙れ胡蝶!」

 鞍馬は大声を張り上げた。その声はどこか上擦っていた。鼻息も荒い。だって、だってぇと答える胡蝶の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「ああ、やだもう鞍馬の旦那って可愛いわね。ねえ、狢」


「え、あ、はい。か、可愛いですね」

 香ばしい味噌と醤油の香り漂う焼きおにぎりを、(どういう風に食べているのか一切不明だが)頬張っていた狢は、突然自分に話を振られて驚き、大して話を聞いていないのにそんな風に答えてしまった。

 鞍馬の口元がぴくぴくとひきつっていた。


「ほほう、狢。お前も言うようになったではないか」


「え? え? な、何のことですか?」


「狢ちゃん。貴方のことは忘れないわ」


「何だかよく分かりませんけれど、私、もしかして、殺されます?」


「このお祭が終ったら……」


「嫌です、そんなの嫌です! まだ恋人も作っていないのに、死ぬなんて嫌ですよ!」


「あんたみたいな、顔なし胸なしの娘に恋人が出来るとは思えないけどねえ」

 白粉がけらけらと笑って、狢をからかう。狢が頬を膨らませた。


「酷いです、あんまりです。そ、そういう白粉さんは顔も胸もあるのに、いつになっても恋人出来ないじゃないですか!」

 白粉の顔が一気に歪んだ。顔は笑っているが、目が全く笑っていない。


「ほう、小娘。あんた、鬼灯夜行が終るまでの命だねぇ。鞍馬の旦那だけでなく、あたしも敵に回しちゃってさぁ」

 箸を持つ手に、力が入っている。そのまま握りつぶしてしまいそうな勢いだった。狢がひいっと悲鳴をあげる。

 鬼灯姫が、おろおろしながら白粉と狢を交互に見た。


「まあ、白粉様、狢様。落ち着いて下さいませ。今日は折角のお祭なのですから、楽しくやりましょう。そうしなければ、私泣いてしまいます。こうして、皆様と騒げる日なんて、滅多に無いのですから」

 本当に鬼灯姫が泣きそうな顔になっていたので、白粉は肩をすくめ、それ以上つっかかろうとはせず、果実酒をぐいっと飲んだ。口論の原因を作った鞍馬や胡蝶は、さっきのことも忘れて、ただひたすら酒を飲み、ご馳走を食らっていた。


 まあ随分と楽しそうですこと、なんて思いながらあたしはかき揚げや手毬寿司や、里芋の煮っころがしを、ひょいひょいと口の中へ入れていた。不味いものは何一つ無かった。どれも素朴で、何だか懐かしい気持ちになる味だった。

 そんな風に、他のことに夢中になっていると、恐怖や緊張も薄れていった。長い時間居たお陰で慣れてきた、というのもあるのだろう。


「紗久羅っ子、随分食っているなあ。何も食ってなかったんですか?」

 かき揚げを大きな口開けて、たった一口で飲み込んだ弥助が聞いてきた。


「いや、今日桜町でやってる祭の屋台で、色々買ったけど」


「ああ、そっか。今日はお祭だったなあ、そういえば。朝比奈さんも友達と行くって言っていたっすねぇ。紗久羅っ子も友達と?」


「うん、まあな。金魚すくいとか射的とか色々やって……ってああ! そういえば馬鹿狐! お前、あたしが射的やっている時、肩叩いて来ただろう!? お前のせいで、失敗しちゃったんだぞ、どうしてくれる!」

 今の今まで、すっかり忘れていた。出雲が隣に座っていたことも忘れていた。出雲は、稲荷寿司を食べていた。本当、よくもまあ飽きないものだ。


「ああ、そういえばそんなことしたっけね。別に、邪魔する訳では無かったのだけれど。しかし、ものすごい驚きっぷりだったね。あれは傑作だった。『かめら』とやらで撮ってやりたかったくらいだよ」

 そういって、くすくすと笑った。あたしは、むかっとなって、手をぶんぶん振った。


「笑うな! それ以上笑うと、その髪の毛にぶりの照り焼きをくっつけてやる!」


「それは困る。私の美しい髪の毛がべたべたになってしまう。つけるなら、弥助の髪にでもつけておやり」


「って、何でそこであっしの名前がでるっすか!? あっし関係ないっすよ!?」

 弥助が口に含んでいた酒を危うく噴出しそうになり、ごほごほむせながら反論した。


「そうだよ、出雲。……弥助なんかの髪の毛につけるなんて、ぶりの照り焼きが可哀想」

 鈴が、宴会を始めてから初めて口を開いた。相変わらず聞き取りづらい声で、毒を吐く。


「それもそうだねえ、鈴。ごめんよ、お前のお陰で大切なことに気づいたよ」

 そういって、出雲は鈴の頭を優しく撫でた。鈴は、嬉しそうに微笑んでいた。


「弥助なんかとは何っすか、この生意気猫!」


「うるさい、馬鹿狸」

 出雲に対する態度と、弥助に対する態度が違いすぎる。鈴は冷たく言い放つと、焼き鮭の身をほぐし、一口食べた。弥助はその後も、ぶつぶつ何か言っていたが、鈴も出雲も完全にそれを無視していた。


「弥助様は本当に面白い方ですわね。……ねえ、紗久羅様。私、今あちらの世界がどの様になっているのか、お話を聞きたいですわ。弥助様や出雲様からもよくうかがってはいるのですけれど」


「紗久羅でいいよ。様つけなんて、恥ずかしい」


「いえいえ、呼び捨てなんて、とんでもありません」

 顔を真っ赤にして、首を横にぶんぶん振る鬼灯姫は、可愛いとしかいいようがなかった。


「そうなのか。いや、まあ、無理にとは言わないけどさ。で、何が聞きたいの」


「そうですね……沢山ありすぎて、困ってしまいますわ。そうだ、服装。今の服は大分軽くて、とても動きやすいと聞きますわ。後……ええと『すかあと』でしたかしら。そういうものも履いているとか。その、太ももを出しているとかで……」

 鬼灯姫は、恥ずかしそうに急に小さな声になりながら言った。やっぱり、昔の人からすりゃ、あんだけ露骨に足を見せるっていうのははしたないって思えるのかな。


「そうだよ。着物はまず着ないかな。面白いよ、色々種類があってさ。なあ、今度こっちに遊びに来いよ、あたしが持ってる服着せてあげる」

 きっと鬼灯姫なら何を着ても可愛いに違いない。名案だとばかりに声を大きくして言ってみた。けれど、鬼灯姫の表情は急に悲しげなものになってしまった。あれ、あたし何か不味いこと言っちまったかな。


「その、お気持ちは有難いのですが。私、あちらの世界へはもう行けないのです。……その、精霊になってからというもの、清浄な場所でないと生きてゆけなくなったのです」


「鬼灯姫、というか精霊っていうのは、人間界のごみごみとした空気の中に長い間居続けると、倒れてしまうっす。昔ならともかく、今は自然も少ないっすからねえ……。桜町はド田舎っすけど、それでも精霊にとってはきついみたいっす。割と丈夫なのもいるし、あの世界に己が宿るべき存在が居ればまた別っすけど」

 弥助が、いか焼きにかぶりつきながら、補足してくれた。なんだ、残念だなあ。


「かといって、こちらの世界にそういった服を持っていって着せてやるわけにもいかないんだよね。鬼灯姫と共に住んでいるのは、頭の固い連中ばかりだからね。そんな丈の短いものなんか着ようものなら……ただではすまされないだろうねえ」

 出雲が、ため息をついた。


「そっか。残念だな」

 

「申し訳ないですわ。でも、機会があれば、是非着てみたいものですわね」

 そう言って笑う鬼灯姫。あたしは、しばらくの間鬼灯姫と色々な話をした。

 鬼灯姫は、自分が生きていた頃の暮らしがどんなものだったか色々教えてくれた。あたしは、ハンバーガーとか、今の家の造りがどういうものなのかということ、学校の存在等を話した。下手くそな説明で申し訳なかったが、鬼灯姫は文句一つ言わず、にこにこ笑いながら聞いてくれた。


「有難う、紗久羅様。ねえ、紗久羅様。私とお友達になってくださいますか?」


「勿論、いいぜ」

 この祭以降、会うことは多分ないだろうと思いつつも、あたしはその申し出を受け入れた。まあ、もう会うことはないだろうって予想は外れることになるんだけれど。


 それから、更に時は過ぎる。カガキミの樹は、月の光を浴びて、その輝きを増していた。酒の回った妖怪達が、暴れ始める。


 牛の頭をした妖怪が、奇声をあげながらカガキミの樹を上り、さっと服を脱いではだか踊りを始めた(大事なところは葉っぱで隠していたけれど)それを見物する妖怪達が、口笛を吹いたり、手を叩いたり、「引っ込め」「カガキミ様がお怒りだぞ」「いいぞもっとやれ」等と笑いながら声をかけていた。

 河童が、自分の頭にある皿に酒をかけながら、妖怪達の間をぬって全速力で駆けている。「俺様は河童界の頂点に立つ男だ!」とかぬかしながら。

 在る所では、愛の告白大会が開かれていた。想いが通じ結ばれた者、失恋した者、多くの者から一度に告白をされて困っている者達の喜び、或いは悲しみや戸惑いの声が聞こえてきた。

 早食い競争を始めているところもあったし、喉自慢大会をやっている所もあった。

 姿形は違うけれど、やっていることは人間とまるで同じだった。


「ねえ、鬼灯の旦那、あたしはさあ、本気で鬼灯の旦那のことが好きなんだよう」

 白粉が、顔を真っ赤に(多分酔ったせいだと思う)しながら、鬼灯の主人の体に首を巻きつけていた。出雲曰く、いつものことであるらしい。


「気持ちは嬉しいのだが。私は、生憎柳一筋でね」

 うわ、惚気やがった。鬼灯のおっさん、意外とやるなあ。


「分かってる、分かっているよう。でもさあ、それでもこの想いは止められないんだよう。ねえ、鬼灯の旦那ぁ、あたしのこともさ、見ておくれよぅ」


「よくもまあ、奥さんがいる前でそんなこと言えるなあ」

 ぼそりとつぶやいた。あたしを、白粉はぎろっと睨みつけた。


「お黙り、小娘。それ以上口出すと、この首でお前を絞め殺すよ」

 おお、怖い怖い。恋する女は怖いねえ。あたしは恋なんてしたことないから、どうしてこんなにムキになるのか分からないけれど。

 白粉は、また鬼灯の主人の方を向き、彼の耳元で何か囁いていた。何を言っているのかは分からなかったけれど、隣にいる鬼灯姫が顔を真っ赤にしているところを見ると、随分といやらしいことを言っているようだった。

 柳は、困ったように笑いながらお酒を飲んでいた。けれど、気のせいだろうか。その笑みはどこか冷たいというか、怖かった。

 

 狢は、その場でくらげのようにくねくね揺れていた。


「にゃははははははは。世界が回るにゃあ、皆回ってる、にゃはははは」

 酔っていた。完全に酔って、猫になっていた。手には子持ちししゃもを握っていて、それをぶんぶん振り回していた。しまいにそれがすぽーんと手から抜け、真正面に座っていた弥助を直撃する。


「狢、またそうやって物を振って! どうもあんたは酔うと何か手に持って振りたがると見える」


「にゃは? 酔ってないにゃ。あれ、ししゃもが消えてる。ししゃも、ししゃも、ししゃも持って来いにゃ」

 そんなにししゃもが欲しいのか。ていうか、何でししゃも。

 あたしは南瓜の煮物をもぐもぐ食いながら、ししゃもコールを続けている狢を観察していた。宴会を始めた頃は、正直顔の無いこの娘のことを恐ろしいと思っていたのだけれど、にゃはは笑っている姿をずっと見ているうち、その気持ちは大分薄れていった。

 弥助はため息をつくと、立ち上がって、白粉に囚われている哀れな鬼灯の主人に「少し他の仲間の所へ行ってくるっす」と言って、そのままどこかへいるらしい他の仲間の所へと行った。


 鬼灯姫は、酒を一口飲むなり顔を真っ赤にし、あっという間に眠りについてしまった。彼女はお酒に弱いらしく、さっきまで緑茶を飲んでいたのだが、どうも間違えて果実酒を飲んでしまったらしい。眠りながら、その小さく愛らしい唇を動かし、幾つもの短歌っぽいものを呪文のように呟いていた。

 胡蝶は、黒色の、金色の蝶が描かれた扇子をぱたぱた振りながら、顔の火照りを冷ましていた。目は死んでいる。上機嫌になった鞍馬は、そんな彼女の肩に手を回して鼻歌を歌っていた。おいおい、あんたが手を回すべき相手はそっちじゃないんじゃないか?まあ、どうでもいいけど。


 出雲は、大して酒には口をつけておらず、ひたすら稲荷寿司を頬張っていた。他のおかずも食べていたけれど、8割方稲荷寿司に手を伸ばしていた。


「なんだ、お前は酒あまり飲んでいないんだな」


「あまり得意ではないからねぇ。紗久羅の前で情けない姿を見せるわけにはいかないから。弱みを握るのは趣味だけど、握られるのは好きでないからね」

 はいはい、流石邪悪な狐様。考えることが違いますね。ったく、本当にどうしようもない奴だな。しかし、もしこいつが酔ったらどうなるんだろう。ちょっと、気になる。

 鈴は、お酒の匂いにあてられたのか、目をとろんとさせ、顔を赤く染めながら、出雲に寄りかかっている。出雲はそんな鈴を見て微笑み、優しく頭を撫でた。

 

「さあさあ、紗久羅ちゃんも一緒にお酒飲むにゃ、お酒はいいにゃ、夢の世界へ連れてってくれるのにゃ」

 新たに得たししゃもを振りながら、狢がこちらへ顔を向けた。あたしが、いいよと首を振ると、遠慮しないでがばっといくにゃ、とかなんとか言いながら、あたしに勢いよく抱きついた。ものすごく酒臭い。あたしは顔をしかめた。


「いいよ、ほら、あたしまだ大人じゃないからさ」


「女子供、関係ないにゃ、飲め、飲みやがれにゃ、死ぬ気で飲むにゃ」


「飲まないよ、ていうかあんたどこで酒飲んでいるんだよ!?」

 どう見ても、狢の顔に口なんてものは無い。


「お、人間の娘。酒飲むのか。俺らも混ぜろ混ぜろ」

 どこからやって来たのか、から傘お化けと全身に目がついている肉の塊と、人と同じ位の背丈の、着物を着た猫が、身動きの取れないあたしの前に現れた。その手には酒が入っているらしい竹筒やら、得体の知れないものの串焼きやらが握られていた。

 鬼灯の主人を始めとしたメンバーには大分慣れてきた。けれど、未だ他の奴らには慣れないあたしは、ひいっと悲鳴をあげた。


「こっち来るな、酒も飲まないから!」

 頭上から見下ろされる、というのは結構恐ろしいもので、あたしは助けを求めて、思わず隣でのん気に稲荷寿司を食べていた出雲の着物の袖をぎゅっと握った。

 出雲はびっくりしたような表情を浮かべ、あたしを見た。


「おやまあ、紗久羅が私に助けを求めるなんて。明日は嵐になりそうだ」


「嵐でも何でもいいから、何とかしてくれよ」


「何とかって……別にいいじゃないか。彼らは悪さはしないよ。少なくとも、この日に限っては。まあ、お酒を飲ませたなんて事が知れたら、私が菊野に殺されてしまうけれど。お酌ぐらい、してあげたらどうだい」


「嫌だ!」


「だそうだよ、君達。すまないねえ、私のおもちゃは、どうにも我侭だから」

 出雲は、桜の描かれた扇子を開き、それを口元にやった。目は「だからさっさと私の視界から消え失せろ」と言っているように見えた。から傘達は、悔しそうな表情を浮かべながら、帰っていった。

 助かった。はいいけれど。


「おい、馬鹿狐。あたしはいつからお前のおもちゃになったんだ」


「何を今更。ふふ、生まれる前から君は私のおもちゃになる、と運命づけられていたのだよ」


「ふざけるな! 全く、一体どういう人生を辿ればそういう気持ちの悪いことを平気で言えるようになるんだ!」


「まあまあ、そう怒らずに。今日くらい、楽しく仲良くやろうじゃないか。ねえ、紗久羅。月が今日は綺麗だね」

 出雲は、あたしの抗議を軽く流し、扇子であたしの頭をぽんぽんと叩いた。

 そして、頭上高くにそびえる、銀色の月をその扇子で指した。

 カガキミの樹の木の葉の間から覗くその月は、いつにも増して涼しげで、透き通った輝きを放っていた。それを見るだけで、怒りがすうっと鎮まっていくような気がした。

 隣にいる出雲も、その月を愛おしそうに眺めていた。この化け狐も、一応他の何かを美しいと思う気持ち、慈しむ気持ちというものは持っているらしい。まあ、とはいえ結局は「月より自分の方がもっと美しい」と思っているのだろうが。

 銀色の光が、出雲の藤色の髪の毛を照らす。風に緩やかに揺られ、眩く輝くそれはまるで春の小川のように見えた。


「なかなか、面白い奴らだろう。私の友人達は」

 お互い好き勝手やっている奴らを静かに見つめながら、出雲が呟いた。その表情は、いつになく優しげだった。本当に、皆の事を信頼しているのだろう、と思った。

 面白くない、ということはない。やっとあたしから離れて爆睡し始めた狢も、愛らしい笑みを浮かべる鬼灯姫も、好きな奴相手に顔を赤らめる鞍馬も、美味しい料理を作る鬼灯の主人も、皆面白い奴らだった。


「ああ、なかなか面白い奴らだな。なんか、楽しいことを全力で楽しんでいるって感じ。他の奴らも、似たような感じでさ」

 花見を口実に酒やご馳走を食べ、馬鹿騒ぎするあたし達人間と、そう変わらない。酒に酔ったり、誰かに恋したり、喧嘩したりすることも、同じだった。

 

「だけど。それでも。私達『向こう側の世界』の者と、紗久羅達は、違う。住む世界も、何もかもが。同じような所は多いけれど、でも結局は違うものなんだ……本来私達は関わりあってはいけないんだよ」

 出雲が、あたしをじっと見つめた。いつもの、静かで、一切血が通ってないような冷たい表情だった。

 あたしは、数日前「自分が人間か妖怪であるということは、そんなに大事なのことなのか」と出雲が問うた時のことを、ふと思い出した。


 こいつの言っていることは、矛盾している。自分が人間であるか妖怪であることはそんなに大事なことか、とこいつはあたしに聞いていた。多分、そんなの別に関係ないじゃないかと、暗に言っていたのだろう。そのくせ、今度は自分達妖怪と、あたし達人間は違う者、別の存在。人間だから妖怪だからというのは、大きな違いで、とても重要だ、というようなことをあたしに言っている。

 あたしが、出雲の事を化け狐と呼んでおきながら、実際は妖怪なんて存在は全く信じていなかったというのと、同じようなものだった。


「だから」

 出雲が続けた。


「だから、私は君や菊野達とは、人間として接していたかったんだよ。君達と対等に付き合うには、深く関わる為には、そうするしか無かった。人間として会っていれば、例え本当は妖怪だとしても、楽しく平和にやれると思っていたんだ。……人間になりたい、という訳ではない。あの馬鹿狸とは違ってね。……ただ、愚かだけど愛しい、ほんの一部の人間と接する時だけは、人間でありたかった」

 それなのに。出雲の表情が、拗ねた子供のようなものに変わった。それは、今まで見たことがないものだった。


「君は、私のことを化け狐って呼び続けてさ。放っておいてくれていれば良かったのに。結局、こうして君をこの世界へ連れて行くことになってしまった。わざわざ、自分の住む世界とと君達の世界が違うことを、教えることになってしまった。嗚呼、もう本当、子供だね、君って。空気の読めない駄目な子だ」

 いやいや、今のお前の方が余程子供のようだって。頬まで膨らませちゃってさ。自分の思い通りにいかなかったから、まるで仕返しのようにこっちの世界にあたしを連れて行って、しかもグチグチ文句を言って。まるで、買ってもらいたいおもちゃを買ってもらえなかったからって、親が困るようなことをわざとやるガキみたいじゃないか。

 

 人間か妖怪かはそんなに大事なのかと聞いておきながら、双方の存在は全く違うもので本来交わりあってはいけない、と言った出雲。

 

 お前は化け狐だと言っておきながら、そんなものはいない、存在しない、存在なんてして欲しくないと心の底では妖怪の存在を否定していたあたし。

 多分、こいつも同じなのだ。

 自分達と人間は違うもので、その違いは重要なものだと言っておきながら、そうではない、そんなものは本当は関係ない、自分が人間か妖怪かというのは大事なことなんかじゃない、自分がどっちであろうと、関わりあうことは出来るのだと、心の底では思っているのだろう。


 菊野婆ちゃんと話したり、あたしを使って遊ぼうとしたりする為に、人間として桜町を、商店街を、そして『やました』を訪れた出雲。そうすれば、双方の違い等気にすることなく接することが出来ると思ったのだろう。

 けれど、あたしは、決して出雲のことを人間とは認めようとしなかった。あいつの醸し出す異形の雰囲気を無視することなく、人間との違いを指摘するように「化け狐」と言い続けた。その言葉を吐いているあたしは、まあ本当のところは、妖怪なんて存在は信じてはいなかったのだけれど。

 折角人間として接しようとしたのに、その全てを否定されて、自分と人間の違いを思い知らされてしまった出雲。

 その違いを思い知らされる度に、出雲が心の底にしまっていた思いは強くなっていったのかもしれない。


 自分が妖怪か、人間かなんて、関係ないじゃないか、と。自分の考えと矛盾する、もう一つの思い。

 その思いが爆発して、あの日あたしに、あんな事を聞いてきたんじゃなかろうか。そして、あたしをこの世界に連れてきた。人間も妖怪も、本質は変わらないのだと、言うために。

 だけど、一方で。自分とあたしの住んでいる世界は全く違うものだということを完全に証明してしまった。

 双方に大差は無い、という事とそれでも双方は大きく違うという事、その矛盾した二つの事を同時に証明してしまった。

 それが、たまらなく悔しいのだろう。


 ああ、もう何言っているか自分でも分からない。

 分からないけれど、思う。


 こいつは、本当に面倒くさい奴だ。

 面倒くさいし、勝手だし、意味分からないし……。


 けれど。


「あんたが、人間か妖怪かなんて、あんまり関係ないよ」

 出雲が、驚いたようにあたしを見つめた。いきなりあたしが、ちょっと前にした質問に答えたことにびっくりしたのかもしれない。

 あたしは、それはそれはいい笑顔を浮かべて、言ってやった。


「どちらにせよ、あたしがあんたのこと大嫌いだってことに変わりはないもの」

 それを聞いた出雲の頬が、ほんの少しだけ色味を帯び、奴は満足そうに微笑んだ。


「有難う。私は君の事が大好きだよ」

 好きになってもらわなくて結構、とあたしはあいつを軽く小突いてやった。


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