クリスマス・パニック!(5)
*
一方その頃。
「本当、どこもかしこもクリスマス一色ですね!」
クリスマスツリー、夜だけ命を吹き込まれるイルミネーション、クリスマスソング、クリスマスセールやらコンサートやらの宣伝ポスター……街中に溢れるそれらを眺めながら美沙が感嘆の声をあげる。黒いボタンのついた白いコートに身を包み、白いぼんぼんのついたゴムで縛っているツインテールをぴょこぴょこ揺らしている彼女の隣にいるのは彼女の主人である英彦だ。おめかししてますます可愛らしくなっている美沙とは違い、普段となんら変わらないラフな格好でしゃれっ気も何もない。しかしさくらの私服姿とは違い、ださいとか地味でやぼったいという印象はあまりなかった。
「まだクリスマス当日ってわけでも無いのにすごいよね、本当。皆かなりテンションが上がっているし……明日、そのテンションが最高潮に達するのだろうね。そして二十五日は少し静かになり、二十六日には全てが終って……こんなに盛り上がっていたのが嘘みたいに静かになって。まあすぐ大晦日と正月で騒がしくなるけれどね」
「楽しいことは大好きです。向こう側の世界も新年はいつも異常に賑やかになります。日にちとか月とか年とか、そういうものって普段はあまり気にしないですけれど、そういう特別な日だけはちゃんと把握しているのですよ我々は、えっへん」
英彦の使鬼になる前――まだ『向こう側の世界』で暮らしていた時の思い出を懐かしむように言いながら胸を張る。
威張ることじゃないだろうと英彦は笑いながら美沙の頭をぽんぽんと軽く叩き。そうされるのがたまらなく嬉しいのか美沙はこれ以上無いという位幸せそうな笑みを浮かべた。
「君達は何かにつけ馬鹿騒ぎするのが好きだものね。まあ、それは我々も同じか」
街、街を行き交う人々を眺めていると「何かにつけて大騒ぎするのは妖位のものだ」とはどうしても言えない英彦だった。今月に入ってもう何度聴いたかしれないクリスマスソング、町中を埋め尽くす緑と赤、メリークリスマスという文字。本当大盛り上がりだとやや呆れつつも、その盛り上がりっぷりを決して嫌だと思わず、むしろ好ましいとさえ思っている自分に苦笑い。
そんな自分以上に今この時期を楽しんでいる美沙は鼻歌を歌いながら軽やかな足取りで英彦の隣を歩いている。歌っているのはクリスマスシーズンにぴったりのラブソング。昔の曲だが若者でも知っているような有名なものである。
とても数百年の時を生きている妖には見えず、そこらにいる少女にしか見えない彼女の姿を見、それから空を見上げる。翳りの無い、澄んだ色をした青空。
「そろそろ及川さんの家に行こうか。ちゃんと全員分のプレゼントも買ったし」
「万能贈り物兵器、図書カードちゃんを買ったんでしたっけ」
「ああ。何を貰うと嬉しいのかよく分からない相手にはあれを贈るのが一番だ。変なものを買うよりずっと無難で確実だ。漫画を買うのにも使えるから、漫画位しか読まないっていう井上さんもそこそこ喜ぶだろう、そこそこは。本当は小説とかそういったものを買うのに使ってもらいたいのだけれど……まあ、何を買うのに使うのかは貰った人自身が決めることだ」
英彦は自分が持っているバッグを軽く叩く。その中にクリスマスカラーの包装紙でラッピングされた図書カード入りケースが入っている。勿論今日が初対面となるさくらや一夜の分もばっちり用意してあった。一方美沙が持っている紙袋には皆へお土産として渡す用のクッキーがある。お菓子を作ったり、人に食べさせたりするのが大好きな彼女だった。
「でも英彦様。明日は図書カードじゃ済ますことが出来ませんよ?」
分かっているよ、とため息。しかし顔は妙ににやついている。
「小説も漫画も何も読まないって子ばかりだもんね、君達は」
今日は柚季の家で行なわれるクリスマスパーティーに参加し、明日は自分の家で使鬼達とクリスマスパーティーをする予定だった。そして毎年その日英彦は使鬼全員にプレゼントをやるのだが、このプレゼント選びが大変だった。
英彦には美沙、秋野、榊、真砂、阿古、蕾、夢結という七人の使鬼がいる。
全員女性だが性格や好みはてんでばらばらだから毎年贈るものを決めるのには苦労する。毎年同じようなものを贈るといつもこれだと文句を言われるし、かといって下手なものを渡してしまうとまたぶうぶう言われる。値段も皆同じ位にしないとどうして私のだけ安いものなの、どうしてあの子のだけ高いの――となってしまう。
「全員分、もう買ったんですか?」
「いや。実はというとまだどれを渡すか決まっていない子もいるんだ。勿論明日になったらちゃんと買うよ。うん、間に合わせてみせるさ。全く毎年大変だよ君達へのプレゼント選びは」
「とか言いつつ、顔は笑っていますね」
美沙の指摘にばれたかと舌を出す。それを見て笑いながら美沙は自分の腕を英彦の腕に絡める。傍から見ると少し年の離れた恋人同士。実際の所は主従関係。結局英彦が何だか恥ずかしいというので仕方なくすぐに彼の腕から離れる。
家や人目のつかない場所などでは馬鹿みたいに皆といちゃついている彼にも一応羞恥心というものがあるらしい。
「プレゼント楽しみにしていますよ、英彦様。ふふ、明日が楽しみ。でも今日のクリスマスパーティーも楽しみ。今頃皆盛り上がっているかな」
「盛り上がっている……じゃなくて大騒ぎになっているかもしれないけれど」
その違いはなんだと美沙が首を傾げる。
「大騒ぎ、またの名を阿鼻叫喚の図。及川さんをはじめ今回パーティーに参加する人は皆『向こう側の世界』と深い関わりをもっている。及川さんと私以外の人は『向こう側の世界』に足を踏み入れてさえいる。そんな人間が一堂に会したら。ただでさえ世間は今お祭り騒ぎで日常と非日常の境界が曖昧になっているから、向こう側の世界の住人がより迷い込みやすくなっていて……」
「ああ」
合点がいったらしい美沙は苦笑い。この流れを柚季が聞いていたら「九段坂さんまで、酷い!」と怒り狂ったに違いなかった。
「何事もなく今日という日を過ごせている、とは到底思えないな。我々も無事及川さんの家まで辿り着けるかどうか」
街から離れ、住宅街へと進める歩。地図を頼りに彼女の家を目指す。家までの道はさほど難しくない。何も起きなければ苦労することなく柚季宅に着けるはずだった。しかしそれは何事も起きなければ、の話である。
向こう側の世界と深い関わりをもつ英彦と、元々向こう側の世界の住人であった美沙。二人が祭りやイベントやらで盛り上がっているこの土地を歩くだけで二つの世界の境界は簡単に曖昧になる。三つ葉市、桜町、舞花市――この辺りの土地はそれほどまでに不安定で歪つなのだ。
「まあ強い負の感情で溢れるようなイベントじゃないから、底抜けに邪悪な輩が迷い込むってことは殆どないだろうけれど。というか今はあんまり強烈なのに遭遇するわけにはいかない」
「私は戦闘とか苦手ですからねえ」
戦いなんて怖い怖い、と美沙は身を震わせる。実際彼女は見るからに戦闘など出来そうにない娘だった。英彦も困ったように笑いながら頷く。
「それは私も同じだ。美沙に限らず、私の使鬼はその殆どが非戦闘向けの子だ」
英彦以外にも化け物使いは存在する。そしてその人が使鬼の力を借りて何を重点的にしたいかによって、従える使鬼のタイプもそれぞれ変わる。
強力な妖との戦いを重視し攻撃力の高い妖を従える者、結界など守りの力に長けている妖を主に従える者――。
英彦の場合、妖絡みの事件を解決する為の情報集めを重視している。必要な情報を集めたら後は他の人に任せるというのが彼のスタンス。その為か彼が使鬼にする妖の殆どは情報収集や探索に秀でた力は持っていても、強い相手を倒せる力は持っていなかった。英彦自身も相手を倒す為の強力な術などはあまり身につけていない。集める、探す、守る、逃げる――それ以外は専門外。
何も起きないことを(表向きだけだが)祈りつつ先へ進む。ちらほらあるクリスマスノイルミネーションで飾られた家を見ながら、ああ夜になったらさぞかし綺麗だなあと思う。家を飾るまだ灯りのついていないトナカイやサンタクロース、クリスマスツリーが歩いている二人を笑いながら見守っていた。
途中白い息を吐きながら駆けてくる子供達とすれ違った。マフラーの上にちょこんとある小さな口を大きく開けて、クリスマスソングを歌っている。歌詞を若干間違えていたが、それがまた可愛らしい。
通り過ぎていく彼らを見やり、英彦は笑う。
「あの子達は明日の夜サンタクロースが来るのを待っているのかな」
「きっとそうでしょう。ああ、可愛いですねえ子供。むにむにしたあのほっぺをいつまでもつっついていたいです。英彦様にもあんな可愛らしい時期があったんですよね、英彦様にも」
「妙にその部分を強調してくるね、嫌な子だな全くお前は。そんな風なこと言っていると、明日プレゼントをやらないよ」
「それは嫌でございますだ。私良い子にしますからどうかプレゼントを恵んでくだせえ」
可愛らしい外見にそぐわぬ語尾に思わず吹きだす。
「冗談だよ、冗談。さてもう少しで着きそうだ」
「そういえば英彦様は何歳位の時までサンタクロースを信じていたんですか?」
素朴な疑問だった。それに対し英彦は苦い顔。
「幼稚園児の時までだよ。いやあ懐かしいなあ……サンタの出てくる絵本を読んで、うきうきしながらサンタについて色々聞いた私に母や祖母が皆して夢をぶち壊すようなことを矢継ぎ早に言ってきたことを」
あの時は本当参ったよあっはっはと笑う英彦。そのどことなく渇いた笑いを聞いた美沙は在りし日の英彦に同情し、涙を流さずにはいられなかった。
「怪異と強く関わり、怪異によって命を落としかけたり、そういった存在に命を奪われた存在を目の当たりにしたりする内、非現実的なもの、幻想の住人、そういうもの全てに拒絶反応でも示すようになったのかなあ、私の両親やら祖父母やらは」
「英彦様は私達のこと、嫌いになりませんよね?」
「なるわけないじゃないか。私は死ぬまでお前達のことを愛し続けるよ」
にっこり満面の笑顔に美沙の不安げな表情が明るくなる。臭さと痛さをどことなく感じる言葉でも英彦から貰うのなら嬉しいものであるらしい。
色々話しつつも地図で道を確認することは怠らない。次の曲がり角を、右へ。
「てんてこ舞、てんてこ舞!」
曲がった途端二人の耳に聞こえた、朗々と響き渡る声。歌うように紡がれたその言葉、中年位の女の声。突然の声に驚き二人は身じろいだ。
しかしその声の主らしき人の姿は見当たらない。聞こえる声の大きさ、響き具合から察するに近くにいること、家の中ではなく外にいることは確かだと思われたのだが。
気のせいであるはずがなく、だがそれらしい姿がない。
「てんてこ舞い、てんてこ舞い!」
もう一度聞こえる声。直後美沙が何かに気がついたような声をあげ、自分の足元を指差す。
「英彦様、下、下にいます」
「え?」
見れば美沙が指差した先、二人の足元に小さな――二、三十センチ位の――女が立っていた。白粉を塗りたくった肌、緩く束ねた黒髪、丸眉に大きくくりりとした瞳、点のような口。鮮やかな赤い袴。巫女か、或いは女官か。手に持っている扇に描かれた日の丸の眩さは目が眩むよう。
女の存在に気がついた途端、視界に入る人の数が明らかに多くなった。見ればいつの間にやら、女の後ろにずらりと同じ位の背丈の男女が縦四列に並んでいた。
その列は果てしなく長い。そして彼らはそれぞれ手に何かを持っている。何分小さな体の者が持っている物であるから更に小さく見えにくい。かろうじて確認できた範囲でははたきや箒、桶や雑巾といった掃除道具、包丁、杵、臼、米俵、酒樽、重箱、徳利、鍋……。袖をまくり、タスキを締めている者、額に白い鉢巻を締めている者、他の者よりも粗末でだが動きやすそうな服を着ている者――細かな格好は人それぞれで、また外見年齢も違うようだった。
「やっぱり遭ってしまいましたね、妖と。でも随分可愛らしい人達ですねえ」
美沙はあまり妖との遭遇を残念に思っていないらしい。少々面倒なことも楽しんでしまうのが彼女である。相手が小さく可愛らしいから油断している、というのもあるのだろう。
しかし主たる英彦は違う。彼は何か思い出したらしく、隣にいる美沙の手をぐいっと引っ張った。いきなり引っ張られた美沙は少しバランスを崩し、目を白黒させる。英彦の表情はいたって真剣、というより何かかなりあせっているようであった。
「美沙、すぐにここから離れよう。少し遠回りになるが別の道を使おう」
「え、何でです?」
「巻き込まれるとまずい」
巻き込まれるとは? と妖であるからといって別に自分と同じ世界の住人に精通しているわけではない美沙が首を傾げ、英彦にその言葉の意味を問いかける時間さえ、なかった。逃げる時間さえ二人にはなかった。
先頭にいる女が扇を頭上高くへ上げ、大きく息を吸い込む。そしてそれを吐き出すのと共によく響く声で「てんてこ舞い」と一言。それから扇をゆっくり振り下ろす。
「てんてこ舞い、てんてこ舞い。てんで無い、てんで無い。遊ぶ時間はてんで無い、休める腕など一つも無い。右へ、左へ、上へ、下へ、動け、働け、てんてこ舞い!」
節をつけ、歌うように述べる。
それと同時にその場に走る緊張。それに囚われた英彦と美沙はもう逃れることが出来ない。
ああやってしまった、気がつくのが少し遅かったと後悔してももう遅かった。
そして女が再び扇を頭上へとゆっくり上げ、頭上高くまでやった後はぴくりとも動かなくなり。一呼吸おいて、深呼吸。
それから。
「嗚呼、てんてこ舞い、てんてこ舞い。散れ、行け、舞え、全ては姫様の為!」
さっきよりもずっとずっと大きな声で、背後に並ぶ者達に号令をかけるのだった。