クリスマス・パニック!(3)
*
くたくたへとへと満身創痍の紗久羅と柚季が、一夜達のいたゲームセンターまでやって来たのは、約束の時間から相当な時間が経った時のことであった。
紗久羅と柚季の無事な姿(といっても心身ともにかなり疲れている様子であったが)を見てさくらと奈都貴は安堵し、一夜も「長い間待たせやがって」と悪態をつきながらも一応二人が無事であったことを喜んでいるようであった。
「ごめん、さくら姉になっちゃん。ものすごく遅れちゃって」
来るなり二人の前で両手を合わせ紗久羅が素直に謝る。謝る相手に含まれなかった一夜が顔をしかめたが、隣にいた柚季に頭を下げられ「ご迷惑をおかけして大変申し訳御座いませんでした」と心からの謝罪されたため怒るに怒れず、しょうがないなと肩をすくめた。
「それにしてもコンビニから随分離れた所に来たんだな。もう少し近い所で待ってくれていても良かったのに」
紗久羅が辺りをきょろきょろ見ながらため息をつく。謝ってすぐそんな文句を言い出す辺り、流石である。その言葉に悪い悪いと奈都貴が軽く謝った。
「最初は極端にコンビニから離れないようにしようって相談していたんだ。でもあの辺りには時間を潰せそうな場所がなくてさ。結局移動している内ここまで来ちゃったってわけだ。三つ葉市は色々な店があって賑わっている所とそうでない所の差が激しいよな。いや、本当悪かったって……二人してそんなゾンビみたいな目で見るなよ。ほら及川、これさっきクレーンゲームで獲ったやつ。これをやるから機嫌直せ、な?」
奈都貴は手にしていた大きなくまのぬいぐるみを柚季に渡す。そのぬいぐるみの愛らしい瞳に心癒されたのか、柚季の目に生気が戻る。笑みを零し素直にありがとうと礼を言った。
さて、これを見てへそを曲げたのは紗久羅である。柚季の笑顔を見て微笑んでいた奈都貴に食ってかかる。
「柚季だけずるい。ちょっとなっちゃん、何であたしには何もくれないんだよ!」
食ってかかられた奈都貴はぎょっとし、それから彼女から視線をそらす。
「しょうがないだろう。あれしか獲れなかったんだから。別にあれだって暇つぶしする為に適当にやっていたら獲れたってだけの話で……」
「で、その貴重な一個を何の迷いも無く柚季に渡したと」
「井上、可愛いもの好きじゃないだろう?」
「いつあたしが可愛いものを嫌いだと言ったんだ」
「え、嫌いじゃないの?」
心底驚いた様子である。それを聞いた紗久羅は両手で顔を覆い、よよと泣く真似、傷ついたフリ。そういう風にふざけて誰かとじゃれたり、誰かをからかったりするのが好きなのだ。奈都貴もそれが分かっているから、本気であせって謝罪をするということは無い。柚季は呆れた風に笑い、さくらは「紗久羅ちゃん可哀想に」と胸を痛め。
「あたしだって、あたしだって可愛い乙女なのに。可愛いものとか嫌いじゃないのに。酷いわ、なっちゃん」
「誰が乙女だ。お前は『おとめ』じゃなくて『おとこ』だろうが」
紗久羅がわざとらしい口調で述べた言葉に本気で返すのが一夜だった。直後彼は凶暴な妹から割と本気の蹴りをすねに入れられることに。悶える兄を無視し、なおも紗久羅は演技臭い演技を続ける。
「長い間付き合っているのに、あたしのこと全然分かってくれていないのね! あたしはなっちゃんのことを全部知っているのに! 今日なっちゃんがはいているパンツの色だって知っているのに!」
「知っているのか!?」
「知っているわけないじゃん」
つい本気で聞き返してしまった奈都貴、対して急に演技をやめた紗久羅は冷めた顔で奈都貴を見、それから腹を抱えて思いっきり笑い出した。
「あはは、なっちゃんたら今本気であせったでしょう? 流石だなあなっちゃん、可愛いなあ、なっちゃん。なっちゃんあたしの嫁になってよ嫁に」
「誰がなるか!」
「じゃあ婿に」
「断る!」
紗久羅に顔を近づけ、一字一字を強調しての拒否。紗久羅はその反応が面白くてたまらなかったのか、また大声で笑うのだった。
「全くあれだけ動き回ったっていうのに、よくそこまでいちゃつく力が残っているわね。お姉さん感心しちゃうわ。さて、そろそろ行きましょうか。皆早く腰を下ろしたいでしょう」
ぬいぐるみを抱え、ため息をつきながら言った柚季の言葉に全員が頷き、ゲームセンターを出る。先頭を紗久羅と柚季が歩き、その後ろに三人がつく。
道中の話題は矢張り、紗久羅と柚季が集合時間に遅れたことに関してだった。
「やっぱり『向こう側の世界の住人』に絡まれていたんだな、二人共。どうせそんなところだろうと三人で話していたから、井上から来たメールを見ても全然驚かなかったよ」
「妖とかに絡まれるって一般常識ではありえないことなのに。そういうのに絡まれて集合時間に間に合わなかったと言っても『やっぱりね』で済まされる私達って一体何なのよ。ああもう、嫌になっちゃう」
そう言う声に少しだけ混じる涙。胸の内に抱えるやるせなさをどうにかしようと、胸にあるぬいぐるみをぎゅうと強く抱きしめる。その気持ち、後方を歩いているさくらには決して分かるまい。
「まあ、今回は妖怪じゃなかったんだけれどね……あたし達に絡んできたのは。妖怪と同じ、或いはそれ以上に面倒な奴だったよあいつは」
「メールには地蔵がどうとか書かれていたけれど。お地蔵様がどういう経緯で、どういったことをお前達にしたんだ?」
奈都貴が取り出した携帯。閉じられた世界から見事脱出を果たした紗久羅が初めに送ったメールを読み返す。
そこには『お地蔵様なんて大嫌いだ』とだけ書かれている。どういう意味だろうと三人が首を傾げていた時次のメールが来、その後幾度かメールのやり取りをした末に紗久羅と柚季がゲームセンターまで来たのだ。
一体何があったのか。それを思い出しただけで体から力が抜ける紗久羅と柚季だった。
「私話したくない……紗久羅に全部任せるわ」
ぬいぐるみの手を動かし、苦い顔をしている紗久羅の肩をタッチ。仕方無いなあと紗久羅はお地蔵様によって体内にたまってしまった怒りや疲れを声と共に吐き出し、ひとまず『閉じられた世界』に引っ張り込まれお地蔵様を探す為に奔走したところ辺りまで話す。限りなく愚痴に近い説明をした後、重苦しい息を一度吐いた。
奈都貴とさくらは腕を組みながら真剣に彼女の話を聞き、時に相槌をいれたり質問をしたりする。適当に聞いているのは一夜だけだ。
「お地蔵様がなあ。随分無茶苦茶なことをしたものだ。でもよく二人共戻ってこられたな……戻ってきたってことはお地蔵様を見つけることが出来たってことだろう? しかもまあ、極端に時間はかからずに。適当に探したら見つかったのか? それともここにいるのではってあたりをつけて探したのか?」
「最初は適当に。片っ端から目に入った家の中に入り込んで、でも一向に見つかる様子がなかったから今度は外を探し回ることにしたんだ。けれどなかなか見つからなくて……どうしようかと考えていた時、柚季が」
そして紗久羅は自分達がいかにしてお地蔵様を探し当て、こちらの世界へと戻ってきたのか――ということについてため息を交えつつも話すのだった。
*
「この『閉じられた世界』って人や動物がいないって点を除けば、現実世界と同じなのよね。現実世界とこの世界、同じ場所というか座標というか――には全く同じものがある。多分この世界にも私の家が現実世界と同じ場所にあるはず」
「確かに。この世界に閉じ込められた時に変わったのは色合いとか生き物の気配の有無とか位のもので、後は変わらなかったと思ったな」
「それでなんだけれど……もしかしたらあのお地蔵様は、現実世界と同じ場所にいるんじゃないかしら」
「現実世界と同じ場所?」
聞き返す紗久羅を見て、柚季が頷く。あまり自信は無さそうだったがそれでも彼女は話を続けた。
「あのお地蔵様は、人間達が自分の前を通り過ぎても誰も手を合わせてくれない、自分に気がついてくれない、昔は自分のことを何かと頼ってくれたのに、頼る必要が無くなった途端皆見向きもしなくなったことが腹立たしくて、寂しくて仕方が無いって感じだった。誰かに自分のことを見てもらいたい、自分に手を合わせてもらいたい、気がついてもらいたい……そう思った結果ああして私達の前に現れ、こういうろくでもないことをした。どうせ紗久羅がお地蔵様に失礼なことを言っていなかったとしても……こういうことをするつもりだったのでしょうね。本当、こんなろくでもないことをよくも思いつくものだわ」
ろくでもない、という部分を強調する柚季の顔つきは大分険しい。妖をはじめとした異形の存在が関わると怖い顔になってしまうのはいつものこと。普段はそれはそれは可愛らしい顔なのにと時々紗久羅は思う。
顔つきはそのままに、柚季は右手の人差し指を立てながら自分の考えを述べ続ける。
「それでなんだけれど……。お地蔵様としては自分というものすごい力を持った存在がいるってことだけではなく、そんな力を持っている自分はここにいるんだって……具体的な場所も私達に示したいと思っているんじゃないかと思うの。けれど自分が普段いない場所に隠れていたら、折角自分の姿を見つけてもらっても、本来の居場所を私達に知らしめてやることは出来ないわ。だから」
「自分が普段いる所と同じ場所にいるかもしれないってわけか。あたし達にその場所まで足を運ばせた上で『自分は普段ここにいる。私のことを忘れるな』とかなんとか言えば……。適当な場所に隠れて、見つかった後『本来自分はこれこれこういう場所にいるんだ』ってあたし達に教えるよりも、実際に足を運ばせた方がより確実に、強く自分のいる場所を印象づけてやることが出来るもんな。更にあたし達が今日体験したことを他の人達にも話して聞かせれば……自分という存在がより多くの人間に再認識されることになる。これだけ強烈な体験、他人に話さない訳が無いとか思っているのかもな。くそ、面倒くさい奴」
「お地蔵様は私達に『私のいる場所を探せ』と言ったわ。私を探せ、ではなく私のいる場所を探せって。場所っていう部分を随分強調していたような気がするの。ただ隠れている自分のことを見つけて欲しいだけならわざわざ『場所』って言葉をつけないような……気がする」
「自分の『隠れて』いる場所も大事だってことか。でもあの地蔵野郎、簡単にあたし達に自分の居場所を簡単に探り当てられたくはないようだな。すぐ見つけて欲しいならわざわざ『全ての建物には自由に出入りが出来る』なんて言わないはずだ。あの言葉のせいであたし達はどこかの建物内に地蔵がいる可能性もあると考えてしまったんだから」
多分家や建物の中にはいないよな、と腕を組みながら歯軋り。その音が紗久羅の苛立ち具合を如実に表している。ぎりぎり、ぎりぎり。
いつまでも建物の中にいるかもという可能性を捨てずに探し回っていたらと思うとぞっとするわと柚季が体を震わせる。
「建物の中も探す、建物の中は探さない……どちらを選ぶかで探索範囲が大幅に変わる。まあ、自分のことを忘れてしまった人間達を苦しめたかったのでしょうね。人々を苦しみから救い出すはずの存在が、人々を苦しめてどうするのよ全く。まあ、この仮説が正しいかどうかはまだ分からないけれど……この考えを元に探してみるのもありかも」
ただ問題は、と険しい顔がますます険しくなる。
「あのお地蔵様は元々どこにいるお地蔵様なのか、私は知らない。そもそもこの街のどこに……何箇所に何体のお地蔵様がいるのか、見当もつかない」
紗久羅にもその辺りのことは全く分からず、息を吐きながら首を横に振る。
そういうことにある程度詳しそうなのはさくらなのだが、残念ながら彼女はこの場にいない。
「お寺とか、有名な建物とか……そういうものが色々載っている探索マップ――みたいなものはこの街にはあるのかしら。結構街中にあるわよね、大きな地図が描かれた看板とか。けれど、それがどこにあるのか探すのにまた時間がかかりそう」
しばし二人で考え。やがて紗久羅が何かひらめいたような声をあげる。突然静寂の時間に終わりが訪れたものだから柚季はびっくりし、目を丸くした。そんな彼女の顔を見ながら興奮気味に話し出す紗久羅。
「図書館! 図書館はどうだ? 確か郷土資料が沢山集まっている郷土資料コーナーってのがあったはず。こっちはこっちで色々時間はかかるけれど、上手くいけば何か分かるはずだ!」
それを聞き、柚季が「ああ!」と感嘆の声をあげ頷いた。
「確かにそれいいかもしれないわ。……まあ図書館に行って色々調べるのが一番効率の良い方法かどうかは分からないけれど……とりあえず行ってみましょう」
もう更に効率の良い方法を考えるだけの余裕は二人には無かった。
早速二人は図書館目指して自転車を走らせる。勿論その途中も、周りにはきちんと目を配っておく。残念ながらお地蔵様の姿も、有益な情報が載っているマップも見つからなかったが。
自転車で走る内、大きな通りへと出る。店や高い建物が並ぶ歩道に挟まれている道路、普段はひっきりなしに車やバイクが走っているが今は何もなく。
これ程までに静かで寂しいこの街の姿を、紗久羅達は初めて見た。目に映るものの殆どは自然に生まれることは有り得ない、人工的に作り出されたものであるのに、それらを作り出した生き物――人間の姿がどこにも見当たらない。
人間が作り出したもので溢れているのに彼等の気配が少しも感じられない、静かで、奇妙で、歪んだ世界。
ふと紗久羅はペダルを漕ぐのをやめ、ある場所の前で止まる。柚季がそれに気がつき、慌てて止まる。
「どうしたの、いきなり止まったりして」
「いや……バスが出ていれば、図書館まであっという間に行けるのになと思って」
紗久羅は自分の目の前にあるバス停を見、ため息をついた。この世界に閉じ込められてはや数時間。体力はまだ大分残っていたが、気力が底をつきかけている。
「本当ね。バスに乗って図書館まで行ければなあ……」
希望、願望。しかしそんな都合よくバスがぽんと出てくるわけがないか、と絶望。
しかし、絶望くるりと回ってひっくり返ってくるりんぱ。
「え?」
紗久羅と柚季が同時に驚きの声をあげた。驚くのも無理は無い。
いつの間にか二人の目の前に――バスが現れたのだから。ただ現れただけではない。ぷしゅう、という音と共に昇降口のドアが開かれた。そして開かれた口は語る……乗れ、と。
これは一体どういうことだと二人は随分困惑した。何かの罠なのか、本当に図書館まで乗せてくれるのか、そもそも一体このバスはどこから来たのだと小声で話し合ったが結局結論は出ず。
結論が出ないまま、二人はバスへと乗り込んだ。席に座ってゆっくり休みたいという思いに勝てなかったのだ。
矢張りこのバスも例外なく、人の姿はどこにも見当たらない。座席にはそれぞれ鮭をくわえた木彫りのクマ、仏像、だるま、市松人形、シーサー等が鎮座している。運転席に座っているのも矢張り人ではなく招き猫で、その手(前足)はハンドルに触れることなく右手は顔の横、左手は座席の上にあった。瞬き一つせず、ただ目の前をじっと見つめているだけ。紗久羅達が乗り込んだことにも気がついているかどうか。
通路を渡りながら空いている席が無いか調べる。座席にちょこんと座っている置物達は紗久羅達が横切っても何の反応も見せない。本当にただの置物であるらしかった。
席は殆ど埋まっていたが、一番後ろの中央に丁度二人が座れる分のスペースが空いていた。二人はそこに腰かけ、一息。
二人を挟んでいるのは信楽焼きの狸と狛犬、後はこけし、石造りの恵比寿様。
ぷっぷう、という間の抜けた音と共にバスが出発する。
紗久羅と柚季はこれでゆっくりと体を休めることが出来ると思ったが、すぐにそれが間違いであったことを思い知ることになる。
「何か……落ち着かないな」
「うん、身も心もちっとも休まらない」
二人は両目を右へ左へと動かし、情けない声をあげた。瞬き一つしない瞳、永遠に欠片も変わることの無い表情、無言、聞こえぬ鼓動。そんな彼等に囲まれた二人は何だか落ち着かない。怖い位静かで、生という字が少しも無い空気がそうさせたのかもしれない。自然と体に力が入り、強張り、あちこち、かちこち。結局図書館に着くまでの間ずっとそうしていたものだから、心身共に休まるどころかますます疲労を溜め込むことになってしまった。かえって自転車で行った方が良かったかもしれない、逃げるようにバスから降りた二人は心からそう思った。
柚季は自分の背にあるバスへちらっと目を向けた。バスの側面にはそのバスが停まる場所が色々書かれている。そこの中に『地蔵』という文字が見えたような気がしたが、ちゃんと確認する前にバスは走り去ってしまった。
かっちこちに固まってしまった体をぎこちなく動かして数分、辿り着いた三つ葉市立図書館。比較的大きな図書館で、連日多くの人が利用している。シックな色合いの、シンプルながらしゃれたデザインの建物で温かみがあり、そこらに建っているビルと違い、親しみがもてる。紗久羅は殆ど利用したことが無いが、柚季は時々利用しているらしい。
入り口脇には『開館中』という文字の書かれたボードが掲げられていたが、中には誰もいなかった。司書もおらず、また検索用のパソコンやエレベーターも起動していない。照明はついていたが、人の気配も無くしんとしている為か随分と暗く見える。
階段を上り、二階へ行くと右手に郷土資料コーナーがある。古い資料が多くあるコーナーの為か、そこは時代を感じる独特な香りで溢れていた。
コーナーは左手に本棚、右手にパソコン及びテーブルが幾つか。
「ここのコーナーに丁度良い資料があればいいんだけれど。ああ色々探すの面倒だなあ」
紗久羅は本当に面倒臭そうな顔をしながら本棚へふらふら歩く。柚季もそれに続こうとしたが、何かを見つけたのかわずか数歩で足を止め、それから今は関係ないはずのテーブルの方へ。
どうしたのだろうと彼女の方を見てみれば、柚季は床下に落ちていたらしい何かを拾っていた。
「ねえ、紗久羅」
「どうしたの柚季。何か落ちていたのか?」
「うん……ねえ紗久羅。もしかしたら本棚からわざわざ本を探す必要、無いかもよ」
「はあ?」
よく見れば柚季が持っているのは一冊の本だった。柚季はその本を開き、紗久羅の方へ向けた。近づいて見てみると。
「あ、地蔵!」
「そう……お地蔵様」
ページには細かい文字が沢山書かれており、左上にはその文章が説明している写真が載っている。写真には緩やかな坂、その両脇には沢山のお地蔵様が立っていた。
柚季曰く、このページが開いた状態でテーブル下に落ちていたそうだ。
「あの地蔵必死だな……」
簡単には見つけて欲しくない、適度に苦労はしてもらいたい。でも一刻も早く自分を見つけてもらいたい。そんな思いがひしひし伝わってくる。
「ああ面倒臭いなあの地蔵野郎!」
「やっぱりハンマーとかどこかの家で調達するべきかしら……」
全くの冗談ではないような口ぶり。そんなことを言いつつもテーブルにつき、お地蔵様が指定したページに目を通す。
一通り読んだ後柚季は本から得た有益な情報をまとめて紗久羅に聞かせてやった。
「ええと……三つ葉市には地蔵坂という所があるのですって。まあちょっと遠いけれど自転車で行けばどうにか。後でまた適当に調達しましょう。で、話を続けるわね。この地蔵坂、はじめは一体しかお地蔵様がいなかったそうよ。ところがありとあらゆる災厄や病気から自分達を守ってもらう為に色々な種類のお地蔵様をどんどん作る内、坂がお地蔵様でいっぱいになったのだとか」
「色々な種類の?」
「ええと腰痛、風邪、眩暈、眼病、飢え、あかぎれ、火事、水害、地震、落雷、台風、火傷……何かもう色々。最後の辺りは『全ての病気』『全ての自然災害』から守ってくれるお地蔵様とか作ったみたい。細かく分けずに最初からそうすればよかったのに」
「まあ本当すごい数を作ったものだ。……それで、あたし達をこんな目にあわせている地蔵らしき奴はその中にいるのか?」
「いる。多分この『妖から守ってくれる』っていうお地蔵様だと思う」
それぞれのお地蔵様に関する説明が箇条書きされている部分。その内の一つを柚季が指差す。確かにそこには彼らしきお地蔵様の説明が書かれていた。
「よし、この地蔵坂って場所へ行ってみよう。その本も持っていこうぜ。この世界にある道具は自由に使っていいはずだ、勝手に外へ持っていっても大丈夫だろう」
「そうね。……ねえ紗久羅」
「何、どうしたの?」
真剣な表情で柚季は紗久羅を見た。
「……ハンマー、探さない?」
「探さないよ……」
紗久羅以上にお地蔵様に対して腹をたてている柚季だった。
二人は図書館近くにあった自転車置き場から自転車を拝借し、地蔵坂を目指す。本に載っている地図を頼りにして。幾度か見当違いの方向へ行きそうになったが、その度一刻も早く自分のことを見つけてもらいたいらしいお地蔵様が『そっちへ行ってどうする』とか『お前達は地図もまともに読めないのか、そっちではない』とかうるさいことを言ってきた(姿は見えず、頭に直接語りかけられているような感じだった)おかげで無事二人は地蔵坂に着いた。
緩やかな坂には写真通り、沢山のお地蔵様がいた。彼等だけはセピア色に染まっておらず、本来の色のままそこにあった。皆殆ど掃除されていないのか、随分と汚い。手で触れたいと思わない位の汚れが、彼等が人間達から本当にすっかり忘れ去られていることを如実に表している。
「こういうのって結構近くにいる人達が定期的に掃除しているものだと思っていたけれど。そうでも無いみたいね」
何とも言えない臭いに包まれているお地蔵様の中から、二人をこの世界に閉じ込めた忌々しいお地蔵様の姿を探す。
彼はそう苦労せず見つかった。割と早い段階に作られたお地蔵様であったらしい。
「ああ、これだこれ、間違いない」
柚季が指差したお地蔵様は間違いなく数時間前、二人の前に現れたお地蔵様であった。
二人が前かがみになり彼をじいっと見つめていると、聞き覚えのある声が聞こえる。お地蔵様の笑い声だ。
「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」
その偉そうな口調に紗久羅の口元が引きつる。柚季はここで彼の機嫌を損ねたら今までの苦労が台無しだと紗久羅を小突いた。ハンマーを使って粉砕してやりたいと割と本気で考えていたはずの彼女だったが、移動中冷たい風を体中に受ける内頭がすっかり冷えたらしい。
「今のお前達には私の姿が非常にありがたく見えることだろう」
「ああありがたいね。ええ本当に。心の底からありがたいと思うよ!」
殆ど喧嘩ごしであったがお地蔵様は怒らなかった。自分のいる場所を見つけてもらえたことに満足しているからだろう。
「しかしお前達も愚かだな。あのバス、途中で降りずにそのままずっと乗っていれば……最後、この地蔵坂に辿り着いたというのに」
「え」
「わざわざ図書館まで行って調べものをすることもなかったのにな」
そう言ってまたお地蔵様は笑う。柚季はバスを降りた直後のことを思い出す。
一瞬見た『地蔵』という単語。あそこには『地蔵坂』と書かれていたのだ。
「この……」
今度は柚季が切れかけ、紗久羅がそれをなだめる番だった。紗久羅もかなり怒っていたが、彼女がその怒りを忘れてしまう位柚季の怒り方がすごかったのだ。
柚季は紗久羅になだめられ、ようやく落ち着いた。その後はもう余計なことは言わなかった。紗久羅も同様に。
二人はさっさと帰りたかった。一刻も早く。だからお地蔵様の望み通り目を瞑り、手を合わせ、彼に言いたくも無い感謝と謝罪の言葉を心の中で言った。
「ああ、久しくもらうことのなかったその言葉。私はその言葉を言われるのが大好きだ。さあ、約束通りお前達を元の世界へ帰してやろう。ありがたく思え」
「この野郎」
「紗久羅、落ち着いて。本当に落ち着いて。お願いだから落ち着いて。……お地蔵様、私達の荷物も返してくださいませんか?」
「おう、そうだったな。ほれ」
お地蔵様がそう言うと数時間ぶりに見た買い物袋が彼の前に現われる。二人はそれを手に取ったが、あることに気がつき悲鳴をあげた。
「ちょっとお地蔵様、明らかに袋に入っているものの量が減っているんですけれど!?」
「もしかして食っちまったのか!?」
お地蔵様に詰め寄る二人。買い物袋はかなり軽くなっており、あるはずの材料が大分無くなっていたのだ。
笑うお地蔵様。
「安心せい、食べてもおらぬし無くしてもいない。……家に帰れば分かるさ。悪いようにはしていないよ」
それが最後だった。
セピア色に染まっていた世界が元に戻っていく。元に戻った途端目が眩むような光が二人を包み込み。
咄嗟に瞑った目を開けると、そこは柚季の家――リビング。お地蔵様がそこまで運んでくれたようだ。
数時間ぶりに嗅いだ元の世界の匂い。外からは小鳥のさえずりや人間の話し声などが聞こえる。色味が戻り、鮮やかになった世界。
元の世界に戻ってきた、そう思った途端全身から力が抜け、ぺたりと床に座り込んだ二人。安堵。
しばらく呆けていたが、リビングにあった時計を見て我に返る。もう奈都貴達を迎えに行く時間をとっくに過ぎていたからだ。
案の定携帯はメールや電話着信でびっちり、びっちりどころか爆発している状態。慌てた紗久羅は奈都貴達に遅刻の原因を伝えようとしたが上手い言葉が思い浮かばず。結果『お地蔵様なんて大嫌いだ』などという相手に状況が全く伝わらない文章を送ることになったのだ。
*
「まあ……話すとこんな感じだ」
やっと全てを話し終えた紗久羅が空に両手を突き上げ、伸びをする。
熱心に彼女の話を聞いていたさくらは地蔵坂のことを知っていたらしく、そこにあるお地蔵様のことについてぺらぺら話しだしたが、途中で一夜に口を押さえられ止められた。
奈都貴はそれを見て苦笑い。それから前を歩いている紗久羅達に話しかける。
「何というか、散々だったんだな。ところで買い物袋から買ったものが消えていた理由は分かったのか」
奈都貴の問いに紗久羅と柚季は仲良く頷いた。
「元の世界に戻った後、台所を見てみたの。そしたら」
「もしかして料理が全部出来ていたのか?」
「ううん、全部じゃない。全部じゃないけれど私達が深沢君達を迎えにいくまでにやりたかったことがちゃんと出来ていたの」
「予定よりも少し進んでいたな。多分あの地蔵がおまけしてくれたんだろう。あ、念の為味とか確認してみたけれど不味かったとか、あたし達には絶対作れないレベルになっていたってことは無かった。あたし達が作ったらこうなるだろうって位のものだったよ。全く……もし不味かったらこっちの世界の地蔵坂まで行って、あの地蔵野郎が壊れるまでとんかちを振り続けていただろうよ」
お前なら本気で実行しかねないなと一夜と奈都貴がため息をつく。ちなみにその直後柚季が「私もきっと紗久羅と一緒になってやったでしょうね」と言っても、二人はあははと笑うだけだった。彼女が本気でそう言っているとは微塵も思っていないようだった。
「ところでそのお地蔵様、今後同じようなことを別の人間にするってことは無いのだろうか」
「そうねえ。また寂しくなったらやりだすかもしれないわよね」
奈都貴の言葉にさくらが頷く。それは紗久羅や柚季も思ったらしい。
「もしかしたら私達より前に同じような被害にあった人がいるかもしれないし、今後同じような被害にあう人が出てくるかもしれない。けれど相手はお地蔵様。性格は歪んでいるけれど、邪悪な存在ではない。私の力でどうこう出来る相手じゃないし……それに私は出来ることならああいうのには関わりたくない」
「まああたし達には関係の無い話だ。今日はもうあんな地蔵のことなんて忘れて、楽しもうぜ」
それもそうだ、と紗久羅の言葉に皆同意する。一方で、どうか今後お地蔵様が他の人に同じようなことをしませんようにと願うのだった。
そして一行は、奇跡的に途中妖達と遭遇することなく柚季宅に到着した。