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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
赤姫様
144/360

赤姫様(2)

 りん。


 心臓を潰すような、その冷たい音を一体何度聞いただろうか。闇に溶けていた姿がついに明らかとなった。

 赤い光の正体はこちらへ少しずつ近づいている人物――女が持っている手燭についている蝋燭の炎だった。風も無いのに揺れるその炎、彼岸花、見た者の心を奪う妖しの色。その小さな炎は周りをよく照らす。闇の中でも女の姿ははっきりと見えた。


 蝋燭の火は勿論、蝋燭自体も赤く……そしてその背後に立っている女の姿もまた。

 闇と同じ色の黒髪を飾る簪についているのは金魚、風車、赤い花。白い肌に咲く大輪の赤い花一つ、唇。触れたら最後、心も体も魂も全て吸い取られるだろう。それが分かっていても手を伸ばさずにはいられない……そんな妖しさと美しさをもっている――目の前にいる彼女に恐れを抱いている柚季でさえ、そんなことを思った。


 その唇よりも赤く鮮やかなのは彼女が身につけている打掛。金銀七色の草花、雲、川、水しぶきの描かれた華美、豪奢という表現がぴったりのもの。永遠に失われることの無いだろう輝き。

 その輝きはあまりに強く、只人が着れば自分の存在などそれにかき消されてしまう。着物を着るのではなく、着物に着られてしまう。しかし目の前にいる女は違った。着物の只人の手にはあまる輝きも鮮やかさも美しさも、彼女は全てものにしている。あくまで着物は自分という存在を引き立てる脇役。


 凛とした眉の下に沈んでいる瞳のなんと艶やかなことか。その瞳がそこから逃げることも出来ずただ震えている柚季をとらえる。出雲のそれと違い、冷たさというものはあまり感じられなかったが、恐怖さえ感じる程美しく整っているという点は同じであった。

 異質なもの――『普通』からあまりにかけ離れているものというのは人間に恐怖を与える。底抜けに醜いもの、あるべきものが無いもの、あるはずのないものがあるもの、元の形の面影すらないもの……。


 そして、あまりに整いすぎているもの。狂いも欠点も歪みも、何一つ無いもの。度を越えた美しさは人に感動ではなく、恐怖という感情を与えるのだ。出雲も、柚季の目の前にいる女の姿もそういうものであった。女は男の死体の真横程まで来た時その歩みを止めた。柚季ににっこりと笑み、それから転がっている男の死体を見、にやりと笑った。柚季に見せたものとは違う、ねっとりとした笑みだった。

 

「良さそうな獲物の匂いを感じ取ったのでこちらまで来てみれば。ふん、なかなかの上物じゃの。きっと美しい『花』を抱いているだろうね」

 独り言とも、柚季に話しかけているともつかぬ喋り。手燭についている蝋燭で、男を照らす。それからおぞましい、普通の人間なら直視したくないような姿をしている男の体を舐めるように見渡す。ご馳走でも見るかのような目で、頬を桜色に染め、喜びに満ちた笑い声を時折もらしながら。


 柚季の体の震えはまだ止まらない。出すに出せない悲鳴で詰まった喉ではまともに呼吸出来ず、とても息苦しい。その息苦しさが恐怖に拍車をかけ、冷静になろう心を落ち着けようとする柚季の邪魔をする。

 そんな柚季の存在は今の所女にとってどうでも良いものであるらしい。用があるのは、男の死体だけのようだ。

 惚れ惚れする位見事な裾さばきで来た女、座り方もまた素晴らしく。流れるような動きで彼女はその場に座ると、男の顔に自分の顔を近づけ、また笑った。

 真っ暗な地面の上に広がる、目を見張るような赤。煌く金銀、彼女の髪を鮮やかに照らす。


「まだ花は消えておらぬな。良かった良かった。だが早くしなければいずれ消えてしまうだろう。……そうなる前に、喰わねばな」

 地面に座り込んだ女は男の胸の上に細くしなやかな手を乗せる。よく見ればその指も真っ赤であった。化粧なのか、元からそうなのかは分からない。

 女がその手に力をほんの少し込める。するとその手がどんどん男の体の中に沈んでいく。ずぶずぶと沈む手。しばらくして女は男の体内に沈めた手をゆっくりと抜き取った。それから男にふっと息をふきかける。すると男の体は一瞬で灰となり、闇に溶けて消えていった。


 抜き取られた手には血一つついていない。見る限り男の胸から血が出ている様子も無い。そんな彼女は抜き取った手に何かを握っていた。呆然としながらその様子を見ていた柚季を、女が見、笑う。


「これが何か気になる? 気になるなら見せてあげよう。ほれ」

 立ち上がり、柚季に近づいた女は自分の手をゆっくりと広げた。そこにあったのは真っ赤な彼岸花。茎は見当たらず。花の部分だけだ。ひとりでに輝くそれはとても不吉なものに見え、柚季は喉に詰まらせていた悲鳴の一部をようやく口から出した。

 その様子を見てまた女が笑う。


「禍々しさを、不吉さを感じるか? 人間からしてみればそうであろうな。だが私にとっては極上の食べ物」

 言うと女は蝋燭の火にそれを近づける。すると火が急に大きくなり、口を開くように二つに裂けたかと思うと、その花を飲み込み、喰らってしまった。花を喰らった火は激しく燃え、揺らめき、やがて元の大きさに戻っていく。

 その火を女は恍惚の表情を浮かべながら見ている。逆に柚季はそれを見て気持ち悪くなり、呻いた。


「弱き者をじわじわと追い詰め、とらえ、いたぶり、殺して喰らう。なんと歪んでいるのだろう。だが、良い」


「あの花は……そ、そいつの魂?」

 ようやく出せたまともな言葉。女はこくりと頷いた。


「まあ、大体そんな感じじゃな。歪んだ心や力を持つ者の咲かせる花は美しく、そして美味い。私の大好物だ。これを喰らうことで私は命を得る。そして私の魂はより輝き、美しくなっていく」

 これが私の魂だと言って女が指差したのは、ついさっき花を飲み込み喰らった火。


「私がそれに息を吹きかけたら……その火は消せる? あ、貴方を」


「まさか。ただ息を吹いただけで消えるようなものではないわ。そなた達の魂だって、息で吹き消すことは出来ぬだろう?」

 面白いことを言う娘だと高笑い。それから少しだけ真顔になり「最も、そなたがもっているその力を息と共に吹きかけたらどうなるか分からぬが」と付け加えた。まさかそのようなことはすまい? と言いたげな瞳が柚季の体を縛りつける。


「貴方、私も食べる気? こんな変な所に引きずり込んで……も、もしそうだと言うなら私」

 死ぬ気で戦ってやる、という言葉は女の笑い声でかき消された。その声に柚季に対する害意は感じられない。


「安心おし、私は『白菊』は食べやしないよ。美味しくないから。私はね、自ら不味いものを口に入れるような被虐趣味は持っていない。美味しいものだけを口にするのだ」

 その言葉に嘘は無いようだった。そのことが少しだけ柚季を安堵させたが、それでもまだ体は思うように動かないし、口から出す声もがちがち。

 白菊の意味はいまいち分からなかったが、今の柚季にとってはどうでも良いことだった。喰われることはない、そのことが分かっただけで充分だった。


「そなたをここに連れてくるつもりはなかったのだが。……ただ美味しそうな獲物の気配を感じ取ったのでその者をとらえる為にやったら、そなたまで引きずり込んでしまったようだ。ここは、私が獲物をとらえる時などに使う私だけが自由に扱うことの出来る領域なのだ」

 一見そのことを申し訳なく思っているような言葉だが、喋り方から察するにあまり悪いことをしたとは思っていないらしい。まあすぐにでも帰してやるから安心しろと随分気楽な感じで言われたものだから、怒る気も起きず、ただ「はあ」と曖昧な返事をするしかない柚季だった。

 しかしそれにしても、と女がため息をついた。


「今の世に住む人間共は私が誰であるのか、本当に知らないのだな。私はつい最近偶然境界を飛び越え、こちらの世界に再び足を踏み入れることとなった。そうしたら世界の様相はすっかり変わっているし、私の姿を見ても誰も『赤姫様』と呼ばないし……本当、驚いたよ」


「赤、姫様?」


「昔の人間共が私につけた名だよ」

 確かに目の前にいる彼女にはぴったりの名前であるように思える。


「この辺りだと思ったのだがな、かつて私が主に活動をしていた土地というのは。昔の面影が全く無いから確証は無いが。昔は朝昼問わず、私の魂をより輝かせる獲物を求めて徘徊していたものだ」

 昔のことを懐かしむ声。その昔、というのは恐らく何百年も前のことだろう。


「昔は私の姿を見ると皆、赤姫様とその名を口にしていたというのに。私の存在を恐れる一方、ありがたく思ってもいたようだし」

 何故? と柚季が問う前に赤姫は答えを自ら口にした。


「悪しき者、歪んだ者をその魂を喰らうことで滅してくれる私の存在はありがたいものだったのだろうな。別に私は人間共の為にそんなことをしていたわけではないのだがな。しかしそれにしても、妖の数が本当に少なくなったなこちらの世界は」

 毎日のように彼らから絡まれている柚季からしてみれば、今でも充分多いのだが昔はこれ以上にいたらしい。そんな時代に産まれていたら自分はどうなっていたか。それを考えただけで寒気がする。


「馳走になる妖が少ないのは誠に残念なこと。……だがその分今の人の世は」

 赤姫がにやりと笑う。その笑みが柚季の緊張感を再び高まらせた。何故赤姫は笑っているのか。今の世に何があるというのか。それが分からないから、怖い。


「食事に困ることは無さそうだ……こちらの世界でもな」


「た、食べなかったら死ぬんですか貴方も」


「いや? 飢えて死ぬ、ということはない。だがより長い間、この火を灯し続ける為には食べ続けなければならぬ」


「食べるのに困ることはないって一体どういう」


「白菊は食べないから安心おし。……食事も終わったことだし、そろそろ私はこの辺で。ああ、ちゃんとそなたも元の世界に帰してあげねばな。そなたが獲物を殺めてくれたお陰で、何の苦労もせずに食事をとることが出来た……感謝するぞ」

 花を喰らい、柚季と少し話して満足したらしい女は回れ右。立ち止まることなく、闇の中へと消えていった。

 あの鈴の音を鳴らしながら。


 赤姫が柚季の視界から消えたのと同時に、世界は元通りになった。柚季が赤姫と対峙し、会話をしていた時もちゃんと時間は流れていたらしい。流石冬、さっきまで薄暗い程度だった空はもうすっかり真っ暗に。家や街灯の灯りがある分、赤姫の領域よりはまだ明るい。

 食事には困ることが無い、その意味を赤姫は教えてくれなかった。この土地にまだうじゃうじゃといるだろう妖のことを指しているわけではなかったようだが。


(まあ、どうでもいいや。兎に角良かった……喰われなくて)

 ほっと安堵の息をつく。本当はその場に崩れ落ちてしまいたかったが、誰に見られるかも分からない所でそんなことをするわけにはいかず。ようやく自由になった足を動かし、その場から離れる。もう一秒たりとてそこにはいたくなかったのだ。


「もう、今日は散々だったわ。嗚呼体にあの男の匂いが染みついちゃっている気がする。早く帰って、ご飯作る前にシャワー浴びようっと。しかし本当に良かった。あの赤姫という人に私を食べる意思が無くて。もしあったら」

 それを想像しただけでぞっとし、体が芯まで凍りつく。今の柚季では彼女には対抗できない。彼女に襲いかかられていたら、今頃柚季は生きていなかった。

 

(本当あの人が現れた時はどうしようかと思った。鏡女から奪い返した人生が終わるかと本気で思ったわ。もう本当怖くて怖くてたまらなかった……)

 それにしても、と柚季は辺りを見回す。


「ここ、どこ?」

 男の妖から逃げる為闇雲に走り続けた柚季。周りの景色はあまり見覚えの無いものだった。引っ越してきて三ヶ月、ビルや店が集まる街の中心や、学校・自宅周辺の地理は大分覚えてきたものの、それ以外の普段足を運ばないような場所に関しては微妙である。


(家から極端に離れた場所ではないと思うけれど……。同じような家、同じような道しかない……無個性の集合体みたいな場所。しかも今は夕方、すっかり暗くなって……余計分かり辛い。嗚呼、寒い)

 もうこうなったら誰かに聞くしかない、柚季はそうすることに決めた。普段通る道に出さえすれば後は簡単。とりあえず家に比較的近い所にある店の名を尋ねることにする。


「数日後のクリスマスパーティーは無事に出来るといいなあ。でも妖達と深く関わっている人達が集まるから……望み薄かも。って駄目駄目、ネガティブ思考禁止! そういうのが悪いことを引き寄せちゃうんだから」

 そんな独り言を言いながら歩いていた柚季の目に誰かの人影――どうやら男であるらしい――が映った。こちらに向かってくるその人を見て柚季は顔を輝かせる。


(人発見。あの人に道を聞いてみよう)

 段々柚季に近づいてくる男はどう見ても人間である。妖の気配などは感じない。相手が人間である、ただそれだけで安心する。陰気臭い顔をしたやや不気味な男であったが、それ以上に気味の悪い姿をした妖を見たばかりである柚季はそのことがあまり気にならなかった。大体道を聞くのにその人の顔が整っているとか、歪んでいるとかそんなことは関係ないはずだった。

 そう、顔は。


 柚季は「すみません」と近づいてきた男の人に声をかけようとした。しかしそれより先に男が口を開いた。


「……可愛いね」


「はい?」

 ぼそぼそとした声だったが彼が何と言ったかはしっかり分かった。予想外の言葉に柚季の頭は真っ白になる。ぱちくりまばたき。

 立ち止まる柚季、目の前の男も同時に止まる。柚季と男の目が合う。それから一時、空白、無言。


「可愛いねえ」

 下卑た笑いを浮かべ、男はもう一度……今度ははっきりと言った。

 心臓をねっとりと撫で回すような気持ちの悪い声。あまりの気持ち悪さに柚季は動くこともままならず。


「可愛い、可愛い、可愛い。可愛い唇、綺麗な髪、清純な感じがたまらないよう。胸も丁度良い大きさだね、僕は小さすぎるのも大きすぎるのも好きじゃないんだ。ああきっととてもいい形をしているんだろうねえ……触りたいなあ、触ってもいい? 触るだけじゃ、足りないなあ」


 柚季は悲鳴をあげた。それはそれは大きな悲鳴が。

 道を尋ねるどころではない。自分の悲鳴に反応した体はすっと動いた。もう後は男の妖に追いかけられた時よりも必死に、走った。

 柚季は強い力を持っている。妖に対抗できる力を。しかしその力は人間相手には役に立たない。人間の前では、柚季はただのか弱い少女であった。逃げる柚季の後姿を見て、男が興奮混じりの笑い声をあげる。その声を背中に受けながら、柚季はただただ走った。


(妖もあれだけれど、人間も大概あれだわ! 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い! 気持ち悪い妖に追い掛け回されて、怖い位綺麗な女の妖に肝潰されて、挙句の果てに人間の変態に……もう最悪、厄日、今日は厄日よ最低よ!)

 夢中に走る内、小さな交番が目に留まった。柚季はそこに駆けこむと変質者に遭遇したことを伝え、それから色々あった後ようやく家に帰ることは出来たのだった。


 全く今日は柚季にとって散々な一日であった。


 柚季に変態発言をした男は夜道をふらふらしていた。俯き、黒い道を見つめながらにやにや笑っている。震え、自分を見て悲鳴をあげた柚季の姿を思い出しているのだ。自分の言動、行動によって少女が悲鳴をあげたり恐怖したりするのを見るのが好きだった。捕まればまずい、やめなくてはと思ってもやめることが出来ない。ふらふらと適当な場所に足を運んでは好みの女性に声をかける……。

 まだ止まぬ興奮に身を震わせ、笑いながら歩く。


「今日の子、可愛かったなあ……」

 その言葉を口にしたらまた興奮し、呼吸が荒くなる。一度この喜びを知った以上、もう止めることなど出来ない。止めようなどと思っても無駄なのだ。


 もう今日は帰ろうか。そう思った時のことだ。


 りん。


「……え?」

 遠くから、鈴の音が聞こえた。


 りん。


 もう一度、聞こえた。その音は美しく、冷たく……聞いた途端男は得体の知れぬ恐怖に心臓を鷲づかみにされ、呻いた。一定のリズムでその音が鳴り響く度氷の杭を体に打たれたような感覚が襲う。

 世界がばっと暗くなる。暗かった世界が更に。街灯も、家の灯りも星の光も何も無い。道路や家、電信柱、空、何もかもが消えてしまった。世界が自分を残して消えてしまったような。口から漏れる涙混じりの呻き声。


 りん、りん、りん。闇の奥からのぞく人影。鈴を鳴らしているのはどうやらその人物であるらしい。人影と共に見える赤い光は人魂か、人に死を与える禍つ光か。

 人の姿がだんだんとはっきりしていく。やがて飛び込む目を焼き尽くす赤。


「おお、赤い、赤い。見事だな」

 鈴の音よりも美しくそして恐ろしい声が男の耳に届く。闇から現れたのは一人の女で驚くほど赤い打掛をその身にまとっていた。普通の人間でないことは異常とも呼べる程美しい容姿、人がもっていない異質な気が証明している。

 

(赤い? 何だ、何のことだよう……)

 女は男を見てそう言っているようだったが、今男は赤いものなど身につけていない。唇だって今は紫色通り越して白くなっているだろう。自分を指して赤い、という意味が全く分からなかった。


「今日は馳走だ」

 女が笑う。それに合わせ揺らめいたのは赤い光――女が持っている手燭についている蝋燭の火。


「ひいっ」

 男が最期にあげたのはそんな情けない悲鳴。それから先は悲鳴はおろか呻き声さえ出すことが出来ず。

 美しい女の瞳にとらわれた体。すうっと伸びる白い手、赤い爪。それが男の胸に触れ、それからずぶずぶと中へと入り込み。


 最期に見たのは自分の体から抜かれた手が持っている赤い、赤い、彼岸花とそれをうっとりとした顔で見つめる女の姿。


女子(おなご)に卑猥な言葉をかけ、恐怖に陥れ、泣かせることで快楽を得ることが何より好きとは。良いぞ、良いぞ。……見事な『花』をありがとう」


 その声は果たしてその場に崩れ落ちた男に届いていたかどうか。

 女は花を火に喰わせた後、静かに去っていった。


「人の世に、人の亡骸があっても何の問題もなかろうし、そのままにしておこう」

 という言葉をその場に残して。


 それから程なくして、彼の遺体が通行人によって発見された。目立った外傷が無かったことから、道中心臓発作を起こしそのまま死んでしまった――ということで片付いた。

 そのことは柚季の耳にも届いたが、それが自分に卑猥な言葉を投げかけた男であったこと、そして彼の人生を終らせたのが赤姫であることまでは知らない。


 そのことを一生柚季が知ることは無かった。


 ところで、赤姫様が喰らってしまうのはなにも妖の魂だけではない。

 赤姫様は、悪事を働いた人間の前にも現れるのだという。そしてその者の魂を手燭の炎の中に入れて喰らってしまうのだそうだ。特別歪んだ魂をもっていない人間などを襲うことはまず無いという。


 その為か、この辺りの地域には親が子供を叱る時の文句の一つとして「お前みたいな悪い子はね、赤姫様に食べられてしまうんだよ」というものがある。

 筆者も幼い頃母や祖母に言われたものだ。


 幸いにも私の前に赤姫様が現れたことは無い。

 しかし、身の毛もよだつ程美しいというその女の姿を一度でもいいから見てみたいという気持ちもある。

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