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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
鬼灯夜行
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鬼灯夜行(9)

 カガキミの樹は、前へ進むごとにどんどん大きくなっていった。風が吹くと、しゃらしゃら、という音がする。それは、カガキミの樹から聞こえてきた。葉が揺れるたび、その音は鳴る。その音はとても涼しげで、歩き続けたせいで少し火照っている体を冷ましてくれた。


 妖怪達は、カガキミの樹を前に随分興奮しているらしい。気持ち早足になっているし、声はやたら大きくなってる。ああ、おまけにものすごく早口だ。目的地である動物園を目の前にしてはしゃぐ幼稚園児と同レベルだ。


 あたしは、興奮なんかしてない。といったら、微妙に嘘になるかもしれない。

 見たこともないような、綺麗で大きな樹は、あたしの心を少しだけわくわくさせた。少しだけだ。目の前にいる妖怪共ほどじゃない。多分。

 隣で歩いている出雲は、ただ、目の前にある樹などどうでもいいという風な顔をして歩いていた。樹なんて見て何が楽しいんだ、それより私の美しい顔を見た方がずっと楽しいだろうに、とかそういうことを言いたげだった。


「何かあいつら、随分と興奮しているな」


「そうだねえ。皆、楽しみなんだよ」


「何が」


「遠足」


「はあ?」


「こうやって皆でわいわいしながら、どこかへ行くことを君たち世界では遠足というのだろう?」

 まあ、ちょっと違うような気がしないこともないけど、いや、あっているかな。でもこれ遠足じゃなくてお祭なんだよな、一応、いやどっちでもいいけど。それにしても、いきなり何を言い出すのだろう。


「まあ、そんな風にいうな。で、それが何」


「遠足における、一番の楽しみって、なんだい?」


「は?」

 あたしは首をかしげる。一番の楽しみって言われても……。


「人間と妖怪は、違うようで同じ。こういう時何を一番楽しみにするか。それも、きっと人間と同じじゃないかな」


 最初は、ぴんと来なかったあたしも、しばらくすると段々奴が言いたいことが分かってきた。

 何やら、カガキミの樹のある方からいい匂いがしてきたのだ。何か肉を焼いたような匂い、香ばしい匂い、そして……何か酒っぽい匂い。

 おまけに、騒がしい声やら拍手のようなものやら、たいこや笛の音が聞こえてきた。カガキミの樹の葉が鳴らす涼しげな音とは正反対の、祭っぽくて騒がしくて、暑苦しいものだ。

 やがて唐突に、本当に唐突に、目の前に無数の蔦が絡まってできたトンネルのようなものが見えてきた。さっきまでは無かったような気がするのだけど、まあこの世界では別に珍しいことでもないのだろう。


「あれをくぐれば、カガキミの樹へ辿り着く。間近で見るあれは、とても大きいよ」

 今も十分大きい。運動場のトラック一周分位の高さはありそうな気がした。あたしという存在なんて、ただの豆だと思ってしまうくらいの大きさであることは、明確だった。もっと近づいたら、もっとすごいだろう。あたしは、ほんの少しだけわくわくした。


 蔦が絡まって出来たトンネルを、興奮した様子で妖怪達がくぐっていく。歩いている、というよりは走っているという表現の方が、正しいかもしれない。

 トンネルの中は、妙にひんやりとしていた。つるについている葉は、カガキミの樹が放っている光に照らされて、青色に輝いていた。

 先へ進むうち、手にある鬼灯の輝きが増していった。カガキミの樹に「今年もやってまいりました」と報告しているようだった。

 それに答えるように、蔦が震え、ハーモニカに似た音色を奏でた。ようこそ、と歓迎しているのだろうか。


 トンネルを潜り抜ける。

 その先に広がっていたのは。


 妖怪大集合の図、だった。東京ドームが何個も入りそうな、滅茶苦茶でかいスペースに、これでもか、という位の妖怪やら精霊っぽいのやらがいた。

 その中央に、あの美しいカガキミの樹がある。まだ、樹との間には相当の距離があるのに、それはものすごく大きかった。てっぺんが、ここからも見えないくらいだった。樹にはまだ鬼灯は吊るされてはなく、青い光を放ち続けていた。


 その樹の周りにいる妖怪達は、樹なんてろくに見ていなかった。奴らが何をしているのかといえば、飲んで喰って踊って騒いで……だった。


 樹と同じく青く光っている草の上に、傘にもできそうな、でっかな葉が置いてある。その上には、魚や肉っぽいものや、木の実らしきものなどが、沢山置いてあった。その横にあるのは、竹の筒。多分酒が入っているのだと思う。

 何千、いや何万もの奴らがぎゃあぎゃあ喚いているものだから、もう何が何だかさっぱりだった。

 あたしは頭を抱えた。セミの合唱より酷いものだった。


「これが、目的だったのか、あいつらの」


「そう。遠足で楽しみなのは、お弁当。あと友達と遊ぶこと。祭なら、屋台で売られている食べ物を食べたり、射的をしたり花火を見たり。花見なら、団子を喰らう。……何の祭だなんて関係無い。私達は祭や遠足等を口実に騒ぎたいだけなのだよ」

 出雲は、この光景にもすっかり慣れているのか、ただ笑っていた。


 確かに「○○に感謝するため」「○○の魂を鎮めるため」に祭というのは行われる。遠足なら「自然と触れ合う」とか「友達と仲良くなる」といったところだろうか。けれど、実際それらを意識して祭に参加したり、遠足へ行ったりすることというのは、殆どない気がする。

 花見に行っても桜には目もくれず、婆ちゃんの弁当を食っているだけのあたしも、カガキミの樹をスルーして喰ったり飲んだり騒いだりしているこいつらも同じようなものなのだ。妖怪と同じなんて、ちょっと嫌だけどな。


「しばらくは、こうして皆で飲み食いしている。普段は、我々妖と余り仲がよく無い……というか関わりたがらない精霊や神も、この日だけは我々を酒を酌み交わし、言葉も交わす。この祭は、不思議な日なんだよ。普段あるしがらみ一切から開放される」

 ふうん、とだけ答えた。出雲達の住んでいる世界の奴らのことなんてこれっぽっちも知らないあたしが見ても、その光景が不思議で奇跡的な光景かどうかなんてことはさっぱり分からなかった。

 さてと、そうつぶやくと、出雲はあたしの左手を掴んだ。いきなりすぎた上に、恐ろしい位冷たい手だったから、あたしの心臓はびょんと口から飛び出そうになった。


「迷子になったら困るだろう。私から、離れるんじゃないよ。今日は、君のことを喰らう者は誰もいないから、まあ命を落とす心配は無いけどね。けれど、知り合いが誰もいなければ、幾ら心臓に毛が生えていそうな紗久羅でも、不安になるだろう。だから、私の傍についていておくれ」

 心臓に毛が生えているのはお前の方だ、そう心の中であたしは言ってやった。しかし、確かにこんな得体の知れない奴らがうじゃうじゃしている中、一人でぽつんとしているのは、ちょっとばかり、辛い。仕方なく、あたしは出雲に手をひかれながら先へと進んだ。


 カガキミの樹があるその広場は、もう足の踏み場もないという風だった。何度も座ってわいわいやっている妖怪と、足がぶつかった。その度、あたしは小さな声で「ごめん」と呟いた。ぶつかられた奴らは、どうでもいいと思っているのか、あたしのことなどすっかり無視して、騒ぐことに夢中になっていた。まあ、その方が有難い。ぎろりと睨まれたり、好奇の目を向けられたりするよりは、ずっとましだ。得体の知れない奴らとは、関わりあいたくない。

 祭だか何だか知らないけれど、さっさと終ってくれ。あたしは、さっさと帰りたい。こんな祭なんてどうでもいい。けれど、出雲にそんなことを言ったところで、100%ドS男が、分かったすぐ帰すよという訳がない。かといって、一人で帰るのも厳しいだろう。


 全く、何であたしはこんな所にいるんだ。一つ目、からかさお化け、ぬりかべのようなトンデモ生物が集まっているこの場所に。


 出雲は、「自分のことを無視せず、化け狐化け狐といい続けたからだ、そうして自分が住んでいる世界とは違うところに住んでいる者と関わろうとしたからだ、紗久羅が悪い」と言っていた。婆ちゃんや母さんのように、何も言わずに稲荷寿司を売っていれば、こんなことにはならなかったんだよ、と。確かにあたしは化け狐とあいつに言い続けた。でも、それだけだ。自分の世界へ連れてきたのは、あいつだ。あたしは、ここに来たいなんて一言も言っていない。


 出雲が悪いんだ。妖怪のくせに、人間の世界にやって来た……出雲が悪いんだ。出雲が『やました』に来ていなければ、あたしはごく平凡な毎日を過ごすことが出来たのだ。

 逆恨みなのかもしれないけど、自分の「常識」には存在していなかった奴らがうようよしている、気味の悪い空間にずっといると、緊張して、イライラして、吐き気がする。そういう気分のときは、誰かにあたらずにはいられない。自分のせいか、出雲のせいかなんていうのは関係ない。兎に角、誰かを恨まずにはいられないのだ。そうでもしなければ、落ち着かない。


 見上げると見えるカガキミの樹。高貴で清浄なオーラのようなものを放っているその樹を見ると、少しだけ気分が落ち着く。けれど、少しでも視線を落とすと、不気味な集団が視界に入ってきて、結局元通りになった。


 高校の入学式の日に感じた緊張感と、少し似ている。中学の同級生もそれなりに多かったけれど、それ以上に全く知らない人間の方が多かった。見たことのない人間が、自分の横に、前に、後ろにいる。性格も、好きなものも嫌いなものも、名前も一切が分からない奴らに囲まれていると、いい気分は全くしない。あたしは、人見知りする方ではない。けれど、どうしても緊張する。辺りをきょろきょろ見回してみるけれど、知っている部分はどこにもない。壁に、校歌が書かれた紙が貼ってあって、でもそれは飽きるほど歌ってきた中学時代のそれとは違う。ステージの広さも、教壇の色も、そこに立っている校長も違う。

 慣れれば、何にも怖いものではない。体育館も、教室も当たり前の世界になっていく。逆に、昔いた小学校や中学校の体育館や教室の方が、未知の世界へ変わっていく(いや、居たことはあるんだから、正確にいえば未知とは言わないけど)


 それじゃあ、異様な空間に思えた高校にも慣れていったように、じきにここにも慣れるのだろうか。妖怪のいる世界に何の違和感も感じなくなるのだろうか。それは、いいことなんだろうか。

 考えているうち、出雲の動きが止まった。手をひかれていたあたしも止まった。出雲が、何かを探すようにきょろきょろしだした。


「何、やってんの」


「待ち合わせをしていた奴らを探しているんだよ。毎年、この辺りで飲み食いしていたのだけれど……と」

 何かが、出雲にぶつかってきた。見れば、それはクソガキ……鈴だった。鈴が、出雲に抱きついていた。出雲は鈴の頭を優しく撫でた。


「鈴じゃないか。いや、驚いたよ、もう着いていたのだね」


「出雲、胡蝶達があっちで待ってる、早く行こう」

 いつもあたしと話している時よりも大きくて、ずっと明るい声で鈴がそう言った。余程出雲のことが好きなようだ。見たところ、怒ってはいないようだった。出雲は、鯵の開きを買わずにすみそうだ。


「ああ、行こう。紗久羅、ついておいで。私の友人達を紹介するよ」


「出雲。……馬鹿狸もいる」

 ものすごく嫌そうに、ぼそりと呟いた。出雲の顔も、歪む。


「あいつは友人じゃないから紹介しなくてもいいや。全く、折角のご馳走も酒も、不味くなってしまうよ、やれやれだ」

 そう言って、肩すくめ。そんなあいつの袖をくいくい引っ張っている鈴が、ちらっとあたしを見た。


「なんだよ、チビガキ」


「別に」

 それだけぼそっとつぶやくと、それっきりあたしのことを無視して、さっさと出雲を引っ張って歩き出す。置いていかれると非常に不味い。あたしもその後をついていった。


 出雲を待っていた奴らがいたのは、広場のはずれで、やや静かな場所だった。

 そいつらは、食べ物や飲み物をぐるりと逆U字型に囲んでいた。


「やあ、出雲、来たね。隣にいる娘さんは、人間だね。そういえば、人間の子をこの鬼灯夜行に連れて行きたいと言っていたっけ」

 真正面にいた男が口を開いた。大きな葉に正座しているその男は、狐のお面を被っていた。だから顔は分からない。声を聞く限りだと、若くもないし老いていもいないと思う。どこから見ても人間だけど、きっと違うのだろう。


「ああ、そうだよ。予想通りぴいぴい泣いてくれて、嬉しい限りだ」


「いつあたしが泣いたんだよ、え、この馬鹿狐!」

 あたしは、出雲の頭を思い切り殴った。出雲が顔をしかめながら、頭を抱える。


「冗談の分からない姫様だねえ、君は。まあいい。私の友人達を紹介するよ。狐のお面を被っている彼は『鬼灯』という『向こう側の世界』で居酒屋を営んでいる。鬼灯の主人、と私は呼んでいる」


「名前は」


「さあ、知らない」


「知らないって……友人じゃないのかよ!?」


「だって、教えてくれないのだもの。名前なんてどうでもいいじゃないかって言ってさ」


「名乗るほどのものでもないからね。まあ、好きに呼んでくれ」


「そういうこと。それじゃあ、次。鬼灯の主人の右隣……こちらから見て左側にいるのが、柳。鬼灯の主人の奥さんだ」

 そういうと、柳と呼ばれた女の人が、手をつき丁寧に頭を下げた。細身で、顎がやや尖っている。切れ長の瞳に真っ直ぐな黒髪。何か、江戸時代とかの絵に描かれていそうな人だった。……女の幽霊として。

 そういえば、白粉とかいうろくろ首と出雲が話している時、そんな名前がでてきていたような気がする。その白粉は、鬼灯の主人の(あたしから見て)右隣に座っていた。なんかいやらしいポーズをとりながら、鬼灯の主人の方を見ていた。


「よろしくお願いいたします。人間の世界では柳女と呼ばれております、柳と申します」


「え、あ、うん、宜しく」

 一応、答えておく。


「次は、鞍馬。まあ、見ての通り、天狗だよ」

 本当に、見ての通りの奴が、柳の隣に座っていた。ものすごく図体がでかくて、肌は真っ赤で、鼻がピノキオみたいにびよんと伸びている。山伏っぽい格好をしているそいつは、ものすごくいかつい顔をしていた。地震雷火事親父よりも怖い。

 鞍馬は、ふん、とだけ言った。それだけで、後は何も言わなかった。鞍馬の旦那は人があまり好きではないからね、と出雲は笑い、そして紹介を続けた。


「鞍馬の旦那の隣にいるのは、胡蝶。蝶の魂が寄り集まって出来た存在。まあ、蝶の化身といったところかな」

 見た目は三十前後位の女は、頭のてっぺんにお団子を一つ作っている。それでも髪はまだ沢山あって、腰まで真っ直ぐな髪の毛が流れてた。お団子の付け根の方に、蝶の飾りがついたものや、金や銀の、きらびやかなかんざしを幾つか挿していた。虹色の蝶が舞う、黒い着物がよく似合う。胡蝶は、口にくわえていたキセルを離して、ふうと息を吐いた。吐き出された煙は、甘ったるい匂いがした。


「宜しくねぇ、おチビさん」

 にこりと、いやどちらかというとにやり、と胡蝶は笑った。


「で、その隣が狢。まあ、見ての通りの子だよ」

 本当、見ての通りだった。顔がない娘。のっぺら坊ならぬ、のっぺら女といったところだろうか。顔がないのを覗くと、江戸時代位に居た町娘Aって感じだ。


「顔無し能無し胸無しの無し無し無し娘だよぅ」

 白粉がそう言うと、狢が頭をぶんぶん横に振る。


「違います、違います! いえ、違うことはないかもしれませんが。ああもう、酷いです、白粉さん!」


「皆様、本当に仲がよろしいのですね」

 わあわあいいながら、じたばたする狢と、それを見てゲラゲラ笑っている白粉を交互に見ながら笑っているのは、あたしと同じか、それより少し年下に見える(あくまで見た目は、だけど)少女だった。ちなみに、白粉の隣、鞍馬の真正面に座っている。真っ黒い髪の毛を結んでいるのは、大きな、鬼灯の実のような色をした珠を連ねた髪飾りだ。巫女さんのような格好をしている。袴の色はやや褪せている。それもまた、髪飾りと同じような色をしていた。その上から、花の絵が描かれている真っ赤で立派な着物を一枚羽織っていた。

 少女は、あたしの方をみて、にこりと微笑んだ。可愛い。女の子のあたしでも、どきっとするくらい、可愛い。


「申し遅れました。(わたくし)、鬼灯姫と申します。以後、お見知りおきを」

 体の向きを変えて、こちらと顔を合わせ、両手を地面にちょこんとつけて、鬼灯姫は軽くお辞儀した。まあ、なんて礼儀正しい子なんだ。きっと婆ちゃんが見たら『紗久羅、あんたあの子の爪の垢もらってきな。煎じてあんたに飲ませてやるから』とか言うに違いない。悪かったな、礼儀知らずで。あたしは「どうも」と一言だけ言って応えた。


「鬼灯姫はね、元は人間だったんだよ。今は、精霊だけど。君達の世界で言うと……えっと、ヘイアンジダイだったかな? その時代の子なんだ。君にとっては人生の先輩と呼べる存在かもしれないね」


「平安時代? それじゃあ、もう千年位生きているってことか。すげえ」


「そんな、すごくなんかないですよ。此処の世界では、まだまだひよっこです」

 そう言ってクスクス笑う鬼灯姫。うわあ、やばい、可愛い。あの馬鹿娘の鈴もこの位笑えば少しは可愛くなるだろうに。

 そんな、愛らしい鬼灯姫の左横、狢同様一番手前側に座っているのは、むさ苦しいおっさんだった。

 でかい図体、ちらちら見える無精ひげ、たれ眼で、ボサボサの茶髪を下でちょこんと束ねている、緑色の半纏姿の、可愛らしさとかいう要素が全くといっていいほど見つからない、おっさん。おっさんといっても、見た目三十はいってないとは思うけど――――いや、いっているかもしれないが。よく分からない。

 まあでも、おっさんで十分だ。お兄さんというには……なんというか、ちょっと。

 その男には、見覚えがあった。さくら姉の爺ちゃんがやっている喫茶店で働いている、弥助だ。もしかして、と思ったけれどやっぱりというかなんというか、出雲達が言っていた弥助とは、こいつのことだったのだ。

 つまり、こいつも妖怪だったのか。ていうか、妖怪のくせして人間の世界で働いているとか……変な奴。


 けれど、出雲は弥助には目もくれず、少し前へ進むとさっさと座ってしまった。鈴も出雲の右横に座る。


「さあ、紗久羅。紹介も終ったし、さっさと食べよう。私の左横があいているから、こっちへお座り」

 そういって、出雲は自分の左横を指した。座れそうなところは、そこしかないので、仕方なく座った。ところで、弥助のことはどうでもいいのか、弥助のことは。

 どうでもよくなかったようだ。少なくとも、弥助からしてみれば。


「ちょっとあんた、あっしのことは無視っすか」

 早速弥助が出雲に抗議した。出雲は、弥助をまるでゴミでも見るかのような目で見た後、ものすごく嫌な笑みを浮かべた。


「いやだねえ、聞いていなかったのかい君は、最初の言葉を。私は鬼灯の主人を紹介する前『私の友人達を紹介する』と言ったはずだよ。私はきっちり、自分の友人達のことを紹介したじゃないか」


「弥助、友人じゃない」

 鈴が、しっかりちゃっかり、小声で補足した。


「ええ、あっしはあんたとは友達じゃないっすよ、ていうかそんなのごめんですからね。けれど、紹介位してくれたっていいじゃないっすか」

 

「嫌だよ、何だって君のような馬鹿狸を私がわざわざ紹介しなくてはいけないんだい。大体、紹介なんてしなくたって、紗久羅とは知り合いだろう? それでも紹介したいのなら、自分でおし。一応君には口も、人語を話す位の脳もあるはずだからね」

 弥助は、うぐぐと唸ったが言い返すことはなかった。というか、多分言い返せなかったのだろう。


 

「まあ、いいや。確かにそっちの方が早いっすね。陰険馬鹿狐に紹介してもらうなんて、よく考えれば気持ち悪いことこの上ないっすからね。というわけで、あっしの名前は弥助。って、まあそれは知っていると思いますけど。一応、化け狸っす」

 化け狸、か。化け狐の出雲とは相性が悪そうだ。なんとなくだけど。


「けれど、やっちゃん、今は元の姿に戻れないのよねぇ」

 キセルを口から離し、息をふっと吐いた後、胡蝶がくすくす笑った。


「そ、それはどうでもいいじゃないですか、胡蝶の姐さん」


「はあ? なにそれ、元の姿に戻れないって。呪いでもかけられたわけ?」


「呪い? あはは、残念ながら呪いじゃないのよねぇ。やっちゃんの場合は、人間の姿で、人間として長い時間を生き続けたせいで、自分が元は妖怪である自覚が薄れちゃったってだけの話。変身するには、自分と変身する対象を頭の中で結び付けないといけないのに。自分の姿をはっきり思い浮かべなくなるわ、自分と元の姿が結びつかなくなるわでさ」

 けたけたと笑う胡蝶からは、花のような、甘い匂いがした。弥助は、照れくさそうに下を向いた。

 つまり、弥助は自分のことを人間だと思い込んでいる、と。そうして生きることが当たり前すぎて、妖怪としての自分が非現実的な存在になってしまったと。なんじゃ、そりゃ。


「弥助の元の姿ってどんなのなんだ?」


「大きな狸っす」

 弥助がぼそっと答えた。


 大きな狸。あたしがそれを聞いた時、真っ先に思い浮かべたのは、信楽焼きの狸だった。間抜けな顔で、編み笠っぽいのを被っていて、とっくりもっていて、二本足で立っていて、何か汚いものが足の間でぶらぶらしている、そんな、焼き物の狸だ。まあ、そんなものに比べれば今の人間の姿の方がましっぽいよな。……うわ、やべえ、なんか笑いがこみあげてきた。

 思わず、あたしはぷっとふきだしてしまった。


「何笑っているんすか、そんなに元の姿に戻れない妖怪が可笑しいっすか。全く、皆して意地が悪いっすねぇ。ええ、別にいいですよ、あっしは元の姿に戻りたいなんて今のところ、これっぽっちも思っていませんから。別にこの姿でも力は十分発揮できるし、二本足で歩けて、手は自由に動かせて。喋ることもできますしね」

 彼はもう大分開き直っているようだ。とりあえず、あたしが大きな狸と聞いて、信楽焼きの狸のことを思い浮かべたってことは言わないでおこう。


「ささ、喋るのも楽しいですが、折角の美味しい料理。冷めないうちに頂きましょう。紗久羅様も、沢山食べてくださいね」

 そういって、鬼灯姫が小さな(といってもあたしの顔位はあるけど)葉をあたしと、出雲と、鈴の前に置いた。


「姫様がそんなことしなくても、私がやりましたのに」

 狢が慌てた風に言った。鬼灯姫が笑う。


「構いませんわ。私は、そういう妖だから、精霊だから、姫だから、というのはあまり好みません。楽しくやりましょう、狢様」

 まあ、なんて心の広いお姫様!菊野婆ちゃんが彼女と会ったら……ってそれはさっきもいったか。


「鬼灯姫の言うとおりだ、早速食べようじゃないか」


「食べるのはいいんだけどさ、これ、人間も食えるものなの?」

 大きな葉に盛られたものは、まあ肉とか木の実とか魚っぽいもので、ぱっと見は食べられそうだけど。もし食べて毒にやられでもしたら、たまったものじゃない。こんな所で死んでたまるかよ。


「大丈夫だよ、ここにあるのは基本的には君達の住む世界でも食べられているものだ。まあ、ねずみの串焼きとかも用意されているけれど、そこらへんは見れば分かるだろう」


「私も弁当を作ってきたが、これも全て人が食べられるものだよ」

 出雲に続いて、鬼灯の主人が口を開いた。彼は背に置いていた、紫の風呂敷に包まれた何かを自分の前に置き、結び目をほどいた。

 現れたのは、三段重ねの箱。中に入っているのは、黄色い卵焼き、いなり寿司、おにぎり、から揚げ、焼き鮭、煮物、てんぷら等だった。美味しそうだった。


「流石鬼灯の旦那。全部美味しそうだねぇ」

 などと白粉は言っているが、彼女の目は料理へ向けられず、鬼灯の主人の方へ向いていた。


「さあ、腹が減っては祭りも楽しめぬ。早速、食べようじゃないか」



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