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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪洞鉄道
139/360

雪洞鉄道(9)

 幾らかの時間を過ごす内、ようやくさくらの気持ちが落ち着いてくる。両手から離した顔をあげると、胸が痛くなる程優しい笑みを浮かべている老紳士と目が合う。彼はさくらが泣いている間、何も言わなかった。変に慰めの言葉をかけられなかったことが、さくらの心に平静を与えたのかもしれない。


「……彼は、あの狐面はこうなることが分かっていたけれど……私にそのことを話さなかったんですね」


「そうだと思います。貴方が優しい人間であることを、彼は分かっていた。ですから鳥居を抜けると自分は死んでしまうだろうと正直に言ったら、絶対貴方は自分を『つけて』はくれない、外の世界に出してはくれない……仮に承諾してくれたとしても、自分がいずれ消える存在であることを貴方が意識してしまって、自分と過ごす時間を楽しんでくれないだろうと思ったのでしょう。……鳥居を抜けても大丈夫かもしれない、という希望ももっていたのかもしれません。だから、言わなかったのだと思いますよ」

 確かに、狐面からその事実を聞いた上でこの郷から自分を連れ出して欲しいと言われたら、そんなことは出来ないと答えたに違いないとさくらは思った。

 

(命と引き換えてまで外の世界に出ることが本当に幸せなことなのか、私には分からない。でも少なくとも……彼にとっては幸せなことだったんだ。後悔もしていないんだよね……きっと)

 さくらはそう思うことにした。自分の為にも、あの狐面の為にも。


 そんな彼女や老紳士を乗せた汽車は、軽快な音をたてながら走り続ける。

 今は大きな鉄橋の上を通っている。その下に広がるのは巨大な川。その川を構成しているのは水ではなく、無数の青や黄、白等の大小様々な光の粒――まさに天の川。

 その橋を渡りきり、等間隔に並ぶ妖しく光る彼岸花型の照明に照らされた巨大トンネルを抜けると、今度はまた別の川を下に見る鉄橋が現われる。そこに流れる川は虹で出来ており、そこで獲れるニジウオは絶品であるという。


 やがて車内に色々な商品を乗せたカートを押す蛙が現れた。蛙といってもその体は破格の大きさで縦は180位、横は通路をほぼ占める位ある。しかも二足歩行をしている。黄緑色の背、青白い肌。真っ赤な口紅を巨大な口に塗り、目の周りに化粧を施しているところを見ると、どうも雌であるらしい。橙と白の縦じま模様のカップの様な形をした帽子は決して小さくはないはずだが、つけているのが巨体の彼女(?)であるから、とても小さく見えた。


「お、大きい蛙……」

 車掌さんらしきあの巨大猫よりもインパクトのある彼女をやや離れた所から見、さくらはぽかんとするしかない。常に上(というか後ろというか)の方を向いている小さな子供位の大きさはある目玉をぐりぐり動かしながら、食べ物等を求める乗客達と接していた。やがて遠くから悲鳴が聞こえる。


「蛙、蛙、かか、蛙ぎょろぎょろ見ぎょろぎょろ、吐かせて下さいうげろげろ……蛙、かか、げろげろ、帰って! むしろ私が帰る! 蛙! いや、いや!」

 蛙が嫌いらしいその人(人間なのかは分からないが)は大声でよく分からないことを叫んでいる。周りに座っているらしい人はその人を落ち着けようと奮闘している様子。


「おい、しっかりしろ!」


「おい、泡吹いているぞ、しかも白目剥いちゃって! 誰か医者はいないか、この汽車に!」


「あたし、昔病院で看護師やっていましたよ。今からそちらへ参りましょうか?」

 と妙に間延びした声で言いながら手を挙げたのは、泡を吹かせた張本人であるあの蛙であった。医者を求めた者が速攻「あんたは駄目、あんただけは駄目!」と彼女の申し出を拒否。げこお、とため息をついた蛙はカートの下から何かを取り出し。何か喋っている。どうやら車内にいる他のスタッフと連絡を取り合う為の通信機であるらしい。それからしばらくして、蛙がいる方とは正反対の位置にあるドアが開き、スタッフらしき者が入ってきた。その人は気絶し泡を吹いた者を背負うと再び元来た方へ。奥にある部屋か何かで介抱するらしい。


 蛙はそれを見届けると、何事も無かったかのように自分の業務を再開。これを下さい、あれを下さい、それはどういうものですか、お金はいらないのかそれは良い――などといった言葉がさくらの耳に入る。

 外の風景を眺め、あれ綺麗ですね、あんなもの初めて見ました、あれがとても気になります……と話している内、蛙がカートと共に二人のすぐ隣までやって来た。遠くから見ても大きく見えたその体、近くで見るとますます大きく迫力がある。てらてら光る体、濃い上に派手な化粧、呼吸する度動くぷっくりした腹。


「何かお食べになります?」

 蛙の目がぎょろりと動く。あんなところに目がついていて、はたして目の前にあるカートとそこに乗せている商品は見えているのだろうかと不思議に思った。

 さくらは蛙の迫力にやや圧倒されつつ頷き、カートに乗っている商品に目を向ける。そこには木製の弁当箱、紙コップ、細長い随分しゃれたガラス瓶、果物、パイやクッキーなどのお菓子らしきもの等が。他にも星座早見盤の様なもの、万華鏡らしきものもある。どれにしようかと悩むさくらを見つめる蛙の瞳。


「それでは私は『(せい)(すい)』をいただきましょう」

 先に注文をしたのは老紳士だった。蛙の瞳が今度は老紳士の方へ向けられる。


「赤、青、緑、黄がございますがどれになさいます?」


「それでは赤をいただきましょう」

 頷いた蛙は赤色のガラスで出来た瓶の中に入っている液体を紙コップに入れ、彼に渡した。コップから聞こえるのはしゅわしゅわという音。色と味のついた炭酸水といったところか。さくらもそれにならい、青の星水を貰った。

 二人はその他にサンドイッチ、巨大里芋、パイ、クッキー等の食べ物と、先端についているレンズを向けた場所の朝や夕等別の時間帯の風景を見る事が出来るという筒、息を吹きかける度模様が変わる玉を蛙から受け取った。


「沢山貰っちゃった……テーブルがあれば貰ったもの全て置けるのに」


「ああ、それなら良いのがありますよ」

 けろっと、いやさらっとそう言った蛙が取り出したのは手のひらサイズの青い板。それをさくらと老紳士の間にやり、手を離す。板は床に落ちず、宙にぷかぷか浮いている。蛙がその板を指で軽く弾くとその板は一瞬にして巨大化、宙を浮くテーブルに。

 さくらは貰ったものをテーブルの上に置く。それを見届けた蛙は先へと進んだ。そしてげこげこ言いながら接客を続けた。


 蛙が消えた後、二人は貰った食べ物をちまちまと食べ始める。

 

「このお芋美味しいです。味としては里芋に近いですね。ほくほくで、粘り気もあって、素朴な味で、なんというか食べるとほっとする……そのまま食べても美味しいですね、お芋って。マヨネーズなんかも合いそうです。……ああ、でも少し大きい……食べきれるかしら」

 などと言いつつしっかり完食。野球ボール並の大きさの芋はあっという間にさくらの胃の中に。サンドイッチは辛めの味つけの肉と甘い実、香ばしい匂いのする木の実とやや酸味のある葉を挟んだもの、苦味の強い野菜と卵で作ったサラダを挟んだものだった。


「美しい風景を眺めながらする食事というものもまた格別ですね」


「おじいさんが食べているのはお弁当ですか」

 老紳士の前にある木製の弁当箱。そこに入っていたのは鮮やかな花びららしきものときのこの入った炊き込みご飯らしきもの、魚の煮付け、桃色版うずらの卵、何かの漬物。老紳士はその弁当箱をさくらの方へやる。


「一口ずつお食べになりますか? 代わりにそちらのサンドイッチ、少し下さい」


「あ、いいんですか? それじゃあ交換しましょう」

 さくらは喜んで食べかけのサンドイッチを彼に渡し、彼から弁当箱を受け取る。醤油と一緒に炊いたらしいご飯と、それに混ざっている花びらをぱくりと口の中へ。噛んだ途端、じゅわりと口の中を満たす汁は花びらが出したものらしい。野菜――葉っぱ系の味がするものなのだと思っていたら、甘みの強い鶏肉の様な味がした。花びらの色によって味は変わるらしく、他にもピリ辛のものや小豆に似た味のもの、酸味とほろ苦さのあるものなどが。きのこや醤油の風味を殺さず、かといって自分達の味を全く主張しない訳でも無く。最初口に入れた時はやや物足りなさを感じるのだが、噛んでいる内に風味がどんどん増していく。他のおかず類はやや濃いめの味つけだった。

 

「このサンドイッチもなかなか美味しいですね。こちらのお肉と実、葉を挟んだものはきっとそのままで食べるとかなり濃い味付けなのでしょうが、パンと一緒に食べるとそこまで濃さを感じませんねえ」


「この桃色の卵、辛い……あ、でも噛んでいると……黄身甘い……ちょうどよくなりました」


「星水もどうぞ、飲んでみてください」

 老紳士に勧められ、コップに入っている青いジュースを口の中に入れ、目をぱちくり。


「わあ、口の中がぱちぱちいっている!」

 味はサイダーと大して変わらない。しかし飲んだ途端口の中でぱちぱちと何かが弾けた。まるで弾けるキャンディーを大量に、一気に口の中へ放り込んだような状態に。喉を通りながら弾ける液体はやがてさくらの胃の中へ。

 これは一気に飲むと時々むせたり、とてつもなく口や喉が痛くなったりするんですよねえと老紳士はそれを軽く口に含み、それから、悶絶。


「だ、大丈夫ですか?」


「はは、心配には及びません。……へ、変なところに入ってしまっただけですから。昔この世界を訪れ、こうして汽車に乗っていた時……。ある一人の乗客がこの星水を瓶ごと貰い、一気飲みを試みたことがありました。ですが半分もいかない内に派手にむせ、しばらく咳き込んでいた……なんてことがありました。ちまちまと、一口ずつ飲むのが一番のようですねえ」

 ちなみに赤い星水はいちご味、黄色はレモン味、緑はメロン味だそうだ。


「口の中が同じようなことになるものを小さい時何度か食べたことがあります……時々ものすごい勢いで弾けて、思わず顔をしかめてしまうことがありました。この星水はその食べ物――お菓子のそれよりずっと強烈ですね」


「ですが一度口にすると、癖になるのです」

 と言いつつ今度は肉と玉ねぎ、甘酸っぱい木の実などの入ったパイを一口。

 さくらもそれを食べてみる。すると出てきた出てきた、熱いが美味しい汁がたっぷりと。パイというより小籠包だ。

 もう一種類のパイは一癖どころか五癖はあるような代物で、強烈過ぎて最早臭いのか辛いのか苦いのか分からない味。初め口に入れた時思わずさくらは悲鳴をあげそうになった。ごくりと飲み込み、これはちょっと……と思ったのだが何故かまた食べたくなりぱくりと食べ、ああやっぱりきついと思い、でもまた口に入れ――を繰り返し、気がつけば一ピースしっかり食べきっていた。


 汽車の中はもう色々な食べ物の匂いでいっぱい。あんまり色々混ざっているから、何がなんだか分からないことになっている。口に合わないもの(さくらが先程食べたパイかもしれない)を食べてしまったのか、聞く者の魂を体から追い出してしまうような、それはもうすごい悲鳴をあげた者、気に入った食べ物があったらしく「これ、今あるったけくれ!」と叫びながら蛙に突進したらしい者も現れ。


 汽車は様々な場所に止まった。さくらと老紳士は全ての駅で一度下り、その場所の散策を楽しむ。


 気を抜くと消えてしまうという小さな雲の上に座り、お経らしきものを唱えながら移動をするお坊さんが街中にいる『天坊(てんぼう)』。

 物言わず、動くこともない人形だけが住んでいる不気味な村『人形村』。

 楽器を演奏することで生成された音符を食べる街『彩音(あやおと)』。

 街全体が巨大な双六となっており、サイコロを振らなければ先に進めず、あがりに着くまで外へ出ることも出来ない町『賽の目』という所にも行った。住人及び誰かが住んでいる建物は特定のマスの上以外に存在せず、彼等は自分に与えられた役目を延々と、そして淡々と行なっていた。さくらの運が異様に悪かった為、町に出、駅まで辿り着いた時には天満月出発寸前となっていた。

 その他にも建物や住人が巨大化したり逆に小さくなったりする街、巨大ひょうたんで作られた家の並ぶ村、住人及び建物が飛び出す絵本が至る所にある街、川で釣れる巨大魚を頭につける(頭を魚が半ば飲み込んでいる状態)のがおしゃれであるらしい町、手をぶんぶん振り回し住人を襲う招き猫が定期的に出現するという村などなど……。


 美しい風景に感動したり、変なものに追い回され走り通し走ったり、常識では考えられないものを前にして驚愕したり、心の底から笑ったり、背筋が凍るような思いをしたり。

 色々な体験をした。消えてしまった狐面の分も。


 しかし旅というものには必ず終わりというものがある。さくらは何となくだが、もう少しでこの旅が終わることを察していた。汽車の走る音が寂しげな音に聞こえ始める。もっともっと旅をしていたいと思うのだが、そうもいかず。

 ため息をつきながら食べるのは、見た目はどう見てもとんぼ玉の砂糖菓子。

 ただ甘いだけだったそれに仄かな苦味を感じたのは切ない思いに因るものだったのか。


 やがて延々と続く雪洞と林の奥に大きな街が現れた。今まで見た街や村には高い建物などは殆ど無く、あっても一つ二つ位だったが汽車が段々と近づいていっているその街は違う。

 青白く光る巨大な建物の束、遠くから見ても目が眩んでしまいそうになる位明るい灯り。その建物の上部、中部、下部を囲んでいるものは道路か、何かのレールか。


(あんな近未来的な雰囲気の街が、この世界にもあったなんて)

 この世界へ来て初めて見た都会風、近代未来風の景色。汽車がその街に近づくと、そこにそびえる建物はぐんぐんと大きくなっていき、あっという間に全体の姿を把握出来なくなってしまった。


「間もなく研究都市『脳回し』、研究都市『脳回し』――」


「研究都市……」


「ここはこの世界唯一の研究都市だそうです。何かを研究する者の九割以上がここで暮らしているそうですよ。この街では日夜様々なことに関する研究が行なわれているとか」

 都市を構成している高層ビルの殆どが研究施設であるらしい。


「研究内容は様々――この世界にある村や街の文化から、この世界に住む人々を脅かす病のことまで……。中には自分以外誰もやっていないような研究をしている人もいるそうです」


「そうなんですか……色々な研究……ちょっと興味があります」


「そうですか。それなら是非汽車から降りて見に行くと良いでしょう。私はここで待っていますよ」

 てっきり老紳士も一緒に降りるものだと思っていたからさくらは驚きの声をあげ、まだ走っている汽車の中、思わず立ち上がってしまった。


「おじいさんは降りないんですか?」


「ええ。……私はあまりこういう所が好きではありませんので」

 そういう彼の表情は何故だか悲しそうだった。さくらもあまりこういう無機質で、背高のっぽな建物が密集しているごみごみとした所は好きではない。しかし色々な研究には興味がある。老紳士と一緒に行動出来ないことは少し残念であったが、結局彼女は一人で目前に迫っている研究都市を巡ることにした。

 

(おじいさんはどうしてあんなに悲しそうな顔をするのかしら。気になる……けれど……きっと聞かない方が良いのでしょうね。聞いたとしても多分答えてくれないだろうし……)


 しばらくして汽車が駅のホームに止まる。他の場所と違い、その見た目はさくらの住む世界のそれそのもの。飾り気も幻想的な雰囲気も無い、つまらないものだった。

 さくらは他の人達と共に、天まで届くのではないだろうかとさえ思う位高い建物を見上げながら、研究都市『脳回し』入り口の門をくぐるのだった。

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