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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪洞鉄道
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雪洞鉄道(7)

 さくらと老紳士は天満月がここ『翠竹海』を出発するのを待っていた。恐らく後五分かそこらで出るだろうと老紳士が言う。

 翠竹海の散策を終えた者達が続々と車内に戻ってくる。中にはぱっと見手の甲に判子が押されていない者もいた。恐らくこの駅から汽車に乗る者なのだろう。

 老紳士は窓の外に見える海を眺めながらほう、と息をついた。


「久しぶりに来ましたよ、この海には」


「そういえばおじいさんは何度かこの世界に来たことがあるんですよね。……でもおじいさん、ここへ来たことは朝目が覚めると忘れてしまうんですよね……汽笛の音を聞いてこの世界に来たらしい私の後輩は、汽笛を聞いてから目を覚ますまでの間のことを忘れていました。でも、おじいさんはこの世界に何度も来たということを覚えているんですよね」

 老紳士は頷く。


「私も、目を覚ますとここへ来たことは忘れます。素晴らしい夢を見た気がするが、それがどんな夢だったかどうしても思い出せない。ですが、不思議とこちらの世界に再び足を踏み入れた途端、ここで過ごした時間のことを思い出すのです。本当、不思議なものですね」


「そうだったんですか」

 さくらも老紳士にならい、窓の外に目を向ける。竹林の中を泳ぐ魚、海の空を飛ぶように泳いでいる鳥、きらきらと砂浜を輝かせる骸石――。

 どれだけその景色を目に焼きつけたとしても、目が覚めれば焼きつけた映像は忘却の炎に焼かれ、消えてしまう。耳に未だ残るすずらんや妖精、橙燈の工房通りに住む職人達が奏でたメロディは洗い流され、ここで過ごした時間のことは頭から消えてしまう。

 それをさくらはとても残念に思った。


(出来ることなら、忘れたくは無い。……しっかりと焼きつけよう、この景色を。どうしたって消すことが出来ない位しっかりと、この目に)

 窓のすぐ近くを泳いでいた一匹の鯉と目が合う。ぱくぱくと開けている口がとても可愛らしく、さくらはふっと笑んだ。


 その時、誰かが「あっ」と驚きの声をあげた。静かな海の世界に浸っていたさくらは女の人のものらしいその大きな声を聞いて驚き、心臓と体をびくんと震わせる。更に驚いたことに……。


「あんたもしかして……臼井さん? 臼井、さくらさん?」

 その声をあげた人物はさくらの名を呼んだ。仰天したさくらはひたすら口をぱくぱくさせている鯉に別れを告げ、通路に立っている人物の方にばっと顔を向ける。


「ああ、やっぱりそうだ。臼井さんだ!」

 確信したように言ったのは、さくらと同い年位の少女。平均より少し背の高いさくらよりも更に背が高く、細身だが筋肉は並以上にしっかりついている。

 細く凛々しい眉、やや吊りあがった瞳。髪はショートボブでこれが格好良く男っぽい顔を際立てている。

 彼女はさくらが何も言わないので、少し不安になったらしい。ぴんと真っ直ぐ伸び、逆ハの字型をしていた眉がハの字になっていく。


「……あれ、もしかして違った?」


「え、う、ううん、私はさくらよ。間違いなく、臼井さくら」

 慌てて首を振り、貴方は間違っていないということを伝えたが。さくらは相手が一体誰なのか、自分とどういう関係にある人物であったか未だ思い出せないでいた。

 貴方は誰でしたっけ、などと失礼なことを言うことは出来ずかといって自力で思い出すことも困難に思えた。


(初めて見る顔ではない。何度も顔を合わせている。それは分かっているのだけれど……思い出せない。ええと、ええと……)

 さくらが冷や汗流しながら唸るのを見て、相手は苦笑い。


相原(あいはら)優花(ゆうか)だよ。ほら、同じクラスの。一年の時も同じだっただろう」

 名前を聞いたことでようやく記憶の引き出しから彼女の存在を引っ張り出すことに成功したさくらは、ああと大きな声をあげる。彼女の私服姿を見て、ああ格好良いなあ演劇で男役をやったらさまになるだろうなあとぼんやり考えた修学旅行中の一場面が頭の中に浮かび、同時に彼女の存在を思い出した。


「ご、ごめんなさい私ったら……!」


「気にしなくて良いよ。一、二年同じクラスだったとはいっても殆ど顔合わせたり話をすることなんて無かったんだから。それに……こんな格好じゃ、気づくものも気がつかないよ」

 と言いながら優花は照れ気味に自分の格好を眺める。

 男っぽく格好良い彼女が今着ているのは、男っぽい・格好良いという単語から遠くかけ離れた衣装――純白のワンピース。正直、全くと言っていい程似合っていない。彼女は自分のそのちぐはぐな格好がさくらを混乱させ、結果さくらがなかなか自分のことを思い出せなかったのだと思っているらしい。


(確かにそれも原因の一つかもしれないけれど……)

 自分の世界の外側にいる人間に目を向けない、興味を示さないさくらは兎に角人の顔や名前を覚えない。ほのりや一夜に呆れられ、もう少し周りに目を向けろと言われても、向けない。

 結局の所、さくらが優花のことをすぐ思い出せなかったのは優花の服装云々、会話をした回数云々が原因ではなく、さくら自身にあったのだ。名前を聞き、すぐピンときただけでもまだましであった。しかしそんなことを馬鹿正直に言っても仕方が無いから、さくらは黙っておいた。


「似合わないだろう? でもあたし、本当はこういう服の方が好きなんだ。自分には似合わないことが分かっているから、普段は着ないけれど。可愛いものとかも本当は滅茶苦茶好きだけれど、そのことも一部の友達しか知らない」

 恥ずかしいのか、ぶっきらぼうに言いながら頬をかく。ふと二人の会話を黙って聞いていた老紳士が、空いている席――さくらの左隣にある席を指差した。


「そちらに座ったらどうでしょう?」


「え、ああ……ありがとうございます」

 優花は素直に礼を言うと、さくらの隣の席に座る。


「いや、びっくりしたよ。いつものように寝ようと思ったらいきなり汽笛っていうの? それに似た音を聞いて、そしたら急に眠くなって……」


「起きたらここへ来ていたのね」


「そう。化け物だらけのこのヘンテコな世界にさ。……ま、勿論夢なんだろうけれど……夢にしては妙にリアルなんだよね。匂いとか、寒さとかが。しかもそんな夢の中に唯一出てきた知り合いっていうのが臼井さんで……あたし、今まであんたと殆ど喋ったことが無いのにさ」

 優花は今、自分は夢の世界にいる、不思議な夢を見ていると思っているようだ。さくらも本物ではなく、あくまで自分の夢が生み出したさくらであってさくらでないものだと思っているらしい。


(普通はそう思うわよね。けれど、私は夢の世界の人間では無い。正真正銘の臼井さくらだわ。……すぐ隣にいる相原さんもまた、私の夢の中でだけ生きる幻の存在――ではなくて、本物の相原さんなのでしょうね……多分。本当のところは分からない。私達は『向こう側の世界』ともまた違う世界に体ごと、もしくは精神とか魂とかそういったものだけ飛ばされているのか、それともここにいる人全員がある一つの大きな夢を共有しているのか。ああ考えれば考えるほど頭がごちゃごちゃする)

 さくらがそんなことを考えている間も、優花は色々なことを喋っていた。自分がここに来てから何をしたかということを話していたのだが、さくらの耳には三分の一も届いていない。ただ、彼女もさくら同様以前この世界に来たことがある人と一緒に行動していること、戸惑いつつもそれなりに楽しんでいること――そのことだけはちゃんと耳に入っている。

 しばらくして優花が無言になる。そのことに気がついたさくらは自分が少しも会話に乗ろうとしないから機嫌を損ねてしまったのではないかと思い、少しばかりあせった。しかし見る限り、気分を悪くしているという様子はなく、どちらかというと何か考え込んでいるという風。


「あ、あの……相原さん?」


「あたしは今、夢を見ているんだよね。あんたは本物の臼井さんじゃなくて、あたしの頭が作り出した偽物の臼井さんなんだよね。……それだったら、聞いても大丈夫だな」


「聞く? 私に何か聞きたいことがあるの」

 優花は頷き、それからまたしばらく無言になる。いつの間にか天満月はホームを発っており、緑や青の炎の様なものが幾つも噴き出ている砂浜の中を走っている。その炎の中に貝か何かを延々と入れ続けている男を、優花が何か言うのを待ちながら外の景色をちらちらと見ていたさくらは見た。一体何の為にそんなことをしているのかは分からなかった。


「臼井さん」


「え、あ、はい」

 しばらくして、ようやく優花が口を開く。さくらは窓の外にやっていた目を彼女の方へ向けた。


「臼井さん……井上とは、付き合っていないよね?」

 やや頬を赤らめながら突然そんなことを言われたさくらは呆気にとられ、目をぱちくり。微笑を浮かべながら「青春ですねえ」と呟く老紳士。


「もしかして……付き合っているの?」


「ううん、まさか! 一夜はただの幼馴染で……付き合っているとか、そういうことは」

 不安そうな優花に見つめられ、さくらは慌てて彼女の言葉を否定する。

 そうしながらさくらは随分と戸惑っていた。今回のように、普段話したこともないような女子からいきなり「臼井さんと井上君って付き合っているの?」と聞かれることが過去幾度となくあったのだ。その度彼女はどうして皆どうして私と一夜が付き合っていると思っているのだろうと不思議に思った。

 さくらの言葉を聞き、優花はほっと安堵の息を漏らす。その反応も幾度となく見たもの。


「……井上のこと、臼井さんは好き?」


「え、別に……特別好きとか嫌いとか、そういうことは」

 

「あいつが、誰かと付き合っても少しも気にしない?」


「気にしない……と思うわ」

 

「そっか。ふうん……よく二人で楽しそうに喋っている所を見るからてっきり付き合っているのかと思っていた。ふうん、そりゃ良かった。……井上って今のところ、誰とも付き合っていないよな?」


「多分そうだと思うけれど。彼女がいるとか聞いたことがないし、それらしい人、見た覚えが無いし……」

 流石のさくらも優花が一夜に対してどんな感情を抱いているのか理解した。

 友人のほのり曰く一夜はそこそこ女子に人気があるらしい。しかしそれを聞く度さくらは、一体彼のどこに魅力を感じているのだろうと不思議に思っている。


「相原さん、一夜のことが好きなの?」

 ストレートにそんなことを言ったら、彼女は恥ずかしがりながらもうん、と答えた。その表情は恋する女の子そのもので、それを見て初めて彼女は優花のことを、ああ相原さんも女の子なんだなあ、可愛いなあと思ったのだった。

 

「これは夢の中でのことだから、臼井さんの言葉も全部あたしの願望が作り出したものなんだろうけれど、何だかほっとした。どうせ朝起きた頃には忘れているだろうけれど……まあ、いいや。忘れた方が、いい。覚えていてもただ恥ずかしいだけだし。それじゃあ、あたしそろそろ行くよ。じゃあね、臼井さん」

 私は決して相原さんの脳が生み出した存在ではない、本物の臼井さくらなんだけれどと思ったものの、そのことを口に出すことはしなかった。言ったからといって信じてもらえるわけもなし。

 優花は立ち上がると、別の車両へと行ってしまった。さくらが別れ際にかけた「頑張ってね」という言葉は果たして彼女の耳に届いたかどうか。


 彼女が去った後、さくらはアカリモドキのパイを老紳士と一緒に食べた。

 炒ったナッツの匂いと風味のする生地に包まれたアカリモドキの実。外はかりっとして、中はとろりとしている。味は素で食べた時とは全く違うものとなっていた。


「ああ、美味しい……酸味が少なくなって、甘さとこくと滑らかさが増したレアチーズケーキの様な味。とても濃厚だけれど、木の実の混じった生地と一緒に食べるとそんなにくどく感じない……」


「そうそうこのパイ、橙燈では主食として食べられているそうですよ。これと一緒におかずを食べるそうです」


「え、デザートではないんですか?」

 とてもパンやごはん同様、おかずなどと一緒に食べるようなものではなかったので、さくらは驚いた。もう少し甘みが少なければそうおかしく感じなかったのだろうが。


「パンや麦飯なども食べるそうですし、これが主食の時はこれに合ったおかずを用意するそうですがね。ある所ではデザート感覚で食べられているものも、ある所では主食として食べられている。面白いですね、世界というものは」


「そうですねえ」


 さくらは二度と味わうことの無いだろうそのパイを、ゆっくりと食べた。すぐに平らげてしまうのはあまりに勿体無いと思ったからだ。

 ちびちびとパイを口に入れながら、窓の外を見やる。海の中にも雪洞はあり、等間隔にずっと並んでいる。その向こう側にある竹林が途切れる様子は無い。

 竹林の中を、沢山の人魚らしき女性が泳いでいる。銀や青、朱色の鱗がきらきらと輝き、竹林に眩い光を与えていた。彼女達は皆胸を覆うものをつけていないようだったが、いやらしい印象は受けない。そうすることに恥じらいも思惑も何も無いからだろう。


 光る貝が沢山ついている洞窟『虹光(こうこう)(どう)』を抜け、十二単をまとった女性に似た形をした岩『乙女岩』を見た後、いよいよ翠竹海を出ることになった。再び安全帯をつけ、先程よりずっと緩やかな坂を上って水の世界とお別れ。

 

 坂を上った先は、赤の世界だった。

 空から降り注ぐ、赤い光の粒の雨。夜空と同じ色をした草原の上には何十何百もの金魚鉢。彼等は普通の金魚鉢と違い、生きていた。ゆっくりと場所を移動したり、もぞもぞその場で動いたり、ひっくり返ったり(老紳士曰く寝ているのだとか)するのが見えた。彼等は時々この地に降り注ぐ赤い雨を受け止め、食べ、生きるのだという。雨を一定量食べる度、鉢の中にいる金魚が赤く光る。


「綺麗ですねえ。とても素敵。淡く光る金魚……本当に綺麗です」


「あの金魚……どうやらあの鉢の内臓のようですよ」


「え、ええ?」


「綺麗ですねえ」


「え、ええと」


「内蔵だと知った途端、綺麗なものに見えなくなりましたか? これは失礼……余計なことを教えたせいで、貴方の世界を狭め、つまらなくさせてしまいましたね」

 心から申し訳なく思っているのか、鉢の中で輝く金魚が内臓であることを知った途端綺麗だと言わなくなったさくらのことを非難しているのか、その口調から推し量ることは出来ない。


 無数の鳥居で出来た森、蓮に似た花の集まる畑を飛び回る蟹そっくりの虫、数十人の人間が集まって出来た輪の中にある、正方形に組み立てられた薪。そこから出る炎――ではなく、無数の桜の花びら。蝶の様に舞う赤い扇……見渡す限り赤、赤、赤。


「すごい、どこもかしこも真っ赤だわ……」

 一面真っ赤な世界の中をもううおううんと言いながら走り回る茶色い牛の群れを見つめながら出たのは感嘆の声。

 赤い世界に、暗い色をした草原や木々がよく映えている。


 やがて聞こえるアナウンス。


「次は(めん)の郷、面の郷――」


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