雪洞鉄道(6)
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さくらと老紳士はおかみさんに家を追い出された後、工房の集まっているエリアを探索し、満足気な表情で天満月へと帰還。それからしばらくして汽車は橙燈を後にした。眩いアカリモドキの光が、段々と視界から消えていく様子は少し寂しく物悲しく切なく。灯りが消えていく度さくらの胸がちくちく痛んだ。地上に現れた星空はやがて完全に消えてなくなり、本来の星空だけが残った。
それからさくらは老紳士と一緒に、おかみさんの家で見たこと教わったこと、工房を歩いた時のことなどを話す。
「市場の方もとても賑やかだったけれど、工房の方も賑やかでしたね、とても。市場の賑やかさとはまた違ったもので。あそこに響いていた音がまだ耳の中に残っています」
工房には基本的にドアが無かったから、中の音は筒抜け。
鉄を打つ音、機を織る音、布にはさみを入れる音、何かを叩く音……。皆ばらばらに、自分のペース、リズムで自分の仕事をしているから、本来そういった音が全部合わさるとただうるさいだけの不協和音になってしまうはずなのだが、ここで聞こえる音は妙に調和がとれていて、結果一つの音楽が出来上がっていた。工房オーケストラの迫力ある意図せぬ演奏はさくらと老紳士の心を強く打った。
「奇跡の音楽でしたね、あれは。周りの音に合わせているつもりは無いが、何故か合ってしまう。更にその音楽に、仕事歌が入って」
老紳士は耳で聞いて覚えたらしい、一つの仕事歌を口ずさむ。ああ、確かにそんな歌もありましたね、とさくらはその心安らぐ歌声に耳を傾けながら目を瞑った。
仕事歌はおかみさんの言った通り、工房によって全く違うものであった。自分達のしている作業が生み出すリズムに合わせて、歌う。割合オノマトペが入っているものが多い。軽快なリズムとオノマトペ、その組み合わせの心地良さといったら無い。
こちらも矢張りそれぞればらばらなリズム、歌詞、メロディなのにそれら全てを一気に耳に入れても頭の中がぐちゃぐちゃにならなかった。彼等の声もまた楽器の一つとなり、老紳士が奇跡と称した音楽に深みを与えていた。
「きっとああいうものは意図的にやろうとすると逆に上手くいかないのでしょうね」
「意図しないからこそ生まれるものもあるってことですね。……あ、そういえばおかみさんから貰ったパイ、まだ食べていませんでしたね」
さくらは今自分が膝の上にのせている包みのことを今思い出す。アカリモドキの灯りと同じ色をした布、これも皮から作られたものなのかしらと思いながら彼女は結び目を解き、箱の蓋をあける。そこにはアカリモドキのパイが二つ入っていた。ランプを象ったらしい形が可愛らしく、甘酸っぱいレモンに似た香りがさくらの鼻をくすぐる。そして皮の汁も確か似たような匂いをしていたことを思い出す。
「とっても美味しそうな匂い。味は……そのままで食べた時とはやっぱりまた違うのでしょうか」
「お嬢さん。そういうことは」
「自分の舌に聞くのが一番、ですよね」
おかみさんの言葉を思い出し、さくらはくすりと笑う。百聞は一見にしかず、百聞は一食にしかず。
それでは早速食べてみようと思ったところで。また車内アナウンスが。
(あれ、もう次の場所に着くのかしら?)
しかしどうやらそうではないらしいことがすぐ分かった。
「間もなく『翠竹海』へと入ります。車内が傾いたり、揺れたりいたしますので、安全帯にてお客様の体を座席に固定させていただきます。少しの間、申し訳ございませんが、ご辛抱くださいませ。また、壊れやすいお荷物は足元にある箱に保管をお願いいたします」
何が何だか訳が分からなかったが、とりあえずパイの入った箱を足元にあった入れ物に入れる。
安全帯……シートベルトのようなものだろうか、と思っていると車両ドアが突然開き、そこからうさぎの大群がどかどかと入ってきた。
「まあ、可愛いうさぎ! もふもふふわふわ……!」
白や茶色の、耳が長いもふもふのうさぎの可愛さにさくらは興奮し、ああ触りたい抱っこしたいと連呼する。安全帯がどうこうという話をその時の彼女はすっかり忘れていた。
突如現れたうさぎの大群は二羽一組となり、乗客の膝にちょこんと乗る。
ああ、可愛い、可愛いとさくらは自分の膝に乗ってきた白いうさぎに手を伸ばす……が。
愛らしいうさぎの姿が突然変わり、さくらの手は寸前で止まった。彼等の胴がびょーんと伸びたのだ。胴を伸ばしたうさぎ、片方はさくらの下腹部、もう片方は彼女の肩を座席に固定した。彼等の足はぴったりと座席につき、何をしても外れない。そしてあっという間にうさぎ製シートベルトが完成。そう、これこそが車内アナウンスの言っていた『安全帯』だったのだ。
「もふもふで、とても温かくて、しかもこのうさぎ達生きているのね……鼓動を感じる。ああ、和む……のはいいけれど、一体これは」
「あそこへ行くのも久しぶりです」
「翠竹海ってどういった所なんですか」
「他人から答えを聞くよりも、自分の目に聞いたほうがずっと良いですよ。ねえ?」
老紳士は笑みを浮かべながら自分の体を固定している茶色のうさぎ二羽に離しかける。彼の言葉に対し、うさぎは鼻をもぞもぞ動かし、ぴゅいと鳥の鳴き声の様なものをあげた。
「間もなく『蒼境の坂』を下ります。一気に下ります」
その車内アナウンスが聞こえた直後。
がた、ぎい、きい。
音を立てながら、汽車が突如前へ傾いた。それもかなり急な角度。老紳士を下に見る形となったさくらははじめ何が起きたのかさっぱり分からず、戸惑いの声をあげるばかりだった。
やがて、困惑の声をあげる余裕すらなくなる事態が起きる。
汽車がその恐ろしい角度を保ったまま、ものすごい速さで前進――否、急降下を始めたのだ。その速さといい、急降下っぷりといい、まさにジェットコースター。坂を下りているというより、崖から落ちている――という表現の方が正しい位。
おしゃれで落ち着いた雰囲気の汽車型ジェットコースターなんて素敵……なんていうメルヘン思考に至る余裕も無い。さくらの頭の中は今自分の体をしっかり座席に固定しているうさぎの毛の色の様になり、口から漏れる言葉は言葉というより音、悲鳴、絶叫。
そんな彼女の耳にかろうじて入ってきているのは悲鳴と、この予想外の事態を心から楽しんでいる風な笑い声。さくらのほぼ真下にいる老紳士の顔は涼しげで、悲鳴も笑い声もあげていない。
混乱するさくらの頭を更に混乱させたのは、閉めた窓の外から聞こえた「どぼん」という音だった。そう、それはまるで水の中に思いっきり飛び込んだ時に聞こえるような音。何故そんな音が聞こえたのか、恐怖と混乱のあまりとうとう目を瞑ってしまったさくらには分からなかった。
だがその音を聞いた辺りからスピードが急にゆっくりとしたものになり、汽車の傾きも緩やかなものになっていった。
恐る恐る目を開いてみると。
「あらまあ……」
汽車の外で、魚が泳いでいた。宝石と見紛う程色鮮やかで、美しく光り輝いている体についている、天女の羽衣に似たひれをひらひらさせながら。その数は計り知れない。
天へとゆっくり上っていくのは泡沫、大小様々。漆黒の体を包むのは青白く光る水。どうやら今、天満月は翠竹海――すなわち海――の中を走っているらしかった。
今は夜なのに、海の中にあるものは全てはっきりと目に映っている。よく考えてみれば、ここに限らず他の場所や物も闇の中にあるとは思えない位はっきりとこの目に映っていた、とさくらは思った。
「汽車がそのまま海の中へ……あれ、でもあそこを泳いでいるのは金魚や鯉よね。ここ、本当に海なのかしら」
「良いじゃないですか、金魚や鯉が海の中を泳いでいても」
泳いでいるのは魚――金魚や鯉を含む――だけではなかった。鳥が、まるで空を飛ぶかのように翼をはためかせながら、すいすいと青い水の中を泳いでいる。魚と鳥が一緒になって泳いでいる光景は奇奇怪怪、ちくはぐ、しかし夢のように美しいものでもあった。きらきらと輝いている砂の上を、フラミンゴの群れが歩いているのも見える。彼等は水の中でも呼吸が出来るのか、水上へあがる様子は見せない。その光景が突然青みがかった灰色の何かで塞がれた。何かと思えばそれはイルカで、きゅうきゅう鳴きながらぽかんとしているさくらと、にこにこ笑っている老紳士の顔をじいっと見つめている。試しにさくらが手を振ると、イルカは窓から離れ、ひれを器用に使って手を振り返し、そのまま泳いで遠くへと行ってしまった。そんな彼の背に、雀らしき小さな鳥数匹ふが乗っかった。長い間泳いでへばってしまった体を休めているらしいその姿の愛らしさといったら。
彼等が泳ぎ回る海に、海草らしいものは無い。代わりにあったのは。
「竹林……」
青々とした竹が何十何百も生えていて、水の流れに葉がさやさやと揺れている。その葉の中を小さな魚達が泳いでいる。彼等にとってそこは格好の遊び場であるらしい。
(翠竹海……翡翠や翠玉を思わせる様な竹の林がある海だから、翠竹海というのでしょうね)
賑やかでそれでいて幻想的な風景にうっとりし、そしてまた翠竹海、という名に惚れ惚れするさくら。目の前に広がる夢の様な世界は彼女の心を瞬く間にわしづかみにした。それから次の車内アナウンスがあるまでは、老紳士と会話もせず、色々なことは考えず、ただ目の前に広がる光景を心置きなく楽しんでいた。
「間もなく翠竹海中、翠竹海中――」
この海の中にも駅があるらしかった。さくらはパイを後で食べることにし、この素晴らしい海の中に出る準備を始めた。足元の箱からパイ入りの箱を取り出す。それを自分の席の上に置いておけばここを誰かにとられてしまうことも無いだろうと考えたからだ。それを見て老紳士が自分のかぶっていた帽子をとる。彼も同じように、自分の席にそれを置くことにしたらしい。
さくらはう、ううんと軽く伸びをする。その伸びた体がぴたりと止まる。
「お嬢さん、どうなさいました?」
「ああ、駄目ですおじいさん。私は外へ出ることが出来ません。……服が濡れてしまいますし、第一水中では息が」
「大丈夫ですよ、お嬢さん。ふふ……この世界に、貴方の『常識』は通用しない。それを貴方はもうすでに幾度か目の当たりにしていらっしゃるでしょう」
(確かにそれもそうだわ……)
服がなる木、メロディ奏でるすずらん、畑になるランプの形をした果実、胴の伸びるうさぎ……。
そしてさくらは以前金魚捕りをした時のことも思い出す。それをした場所には虚水というものが満ちていた。水と同じ性質をもっているが、その中にいても呼吸は出来、話すことも出来たし、服も濡れなかった。
(この海の水も、そういうもので出来ているのかも。どちらにせよ、おじいさんが大丈夫と言っているのだから、きっと大丈夫)
天満月が駅のホームに止まる。黒い大理石らしきもので作られているホームと、絵の描かれた屏風がお出迎え。汽車の出入り口の開くおとが聞こえると、皆談笑しながら外へと出る。
外に出た途端、冷たい水がさくらと老紳士の体を包み込む。塩辛くは無いが、薄荷飴を舐めた時の様に口や喉がすうすうした。この水は薄荷水で出来ているのかもしれない、とさくらは思った。時間が経っても苦しくはならなかった。服が濡れている様子も無い。
「星空の下よりも、かえってこの海の中の方が温かいかも。温かいといっても、冷たい……寒いことに変わりはないのだけれど」
しかし、極端に水温が低いわけではない為かしばらくいる内その冷たさに慣れ、心地良いとさえ思うようになってきた。水温の低いプールも、入っている内に慣れてきて、かえって外に出た時の方が寒くて震える――ということもある。それと同じことなのかもしれなかった。
屏風に描かれていたのは竹林、屋敷、色鮮やかな着物を身にまとっている見目麗しい女性、翁、嫗……竹取物語の主な場面。かぐや姫達の詠んだ歌も、該当する場面に書かれている(実のところさくらにはそこに何が書かれているのか分からなかった。ただそれの書かれている場所の絵から推察しただけのこと)。
その絵を一通り眺めてからさくらは竹林の方へと足を踏み入れる。前進する度水がさくらの体を撫でた。まるで風に撫でられているようだとさくらは思いながら、目を色々な方向へ向ける。
翠竹海に住む魚や鳥達は人を恐れない。彼等が何をしていようと知ったことではないという風に、ただ自分のしたいことをしている。
口を開く度生まれる真珠、泡沫が天へと上っていくさまをさくらはぼうっと見た。水の中でしか生きられないそれは水面に映る星空に吸い込まれて消えていった。
水中だが、足を地上につけ普通に歩くことが出来る。泳ぎたい、という意思があれば泳ぐことも出来るようだった。
色つきのガラスの欠片の様なものが混ざっている砂浜を踏みしめ、竹林の中へ。天高く伸びる竹の色は溶けて消えてしまいそうな位淡い黄緑や闇のように深い緑。絶えず揺れる葉の音、さらさら、さやさや、ざわざわ。
小さな魚が葉の間を縫うように泳ぎ、鳥はさえずりながらぴょんぴょんと葉から葉へ移動する。腹を天へ向けイルカが口から放っている空気と水のリングをくぐって遊んでいる鳥や魚もいた。ふとさくらは自分の頭に生き物の気配を感じ、視線を上に向ける。しかし目には何も映らない。
今自分の頭がどうなっているだろうと、ちらりと隣にいる老紳士を見てみれば、彼はさくらの頭の上へ手を伸ばす。
「あの、何か私の頭に」
「貴方の頭の上に雀が三羽、止まっているのですよ。そしてその上で楽しそうにさえずりながら遊んでいます」
「ええ!?」
人の頭の上に乗る雀なんて信じられないと思いながら自分の頭のてっぺんへ手を伸ばすも、触れるのは水と誰かの口から吐かれているらしい小さな泡のみ。
貴方の手を皆さん器用に避けていらっしゃいます、と老紳士が言い楽しそうに笑った。
「私の頭を、巣だと思っているのかしら」
「確かに貴方の頭は鳥の巣に少し似ているかもしれません」
老紳士はさくらのあちこちはねている髪にそうっと触れる。
「何度か一夜……幼馴染に言われたことがあります。友人にも。……使い古した箒みたいだと言われたこともあります」
そう真顔で言ったら、傍らで泳いでいたイルカが声をたてて笑い出した。彼の背中に乗り、今までに覚えた言葉を延々と喋っていた烏にも阿呆阿呆と笑われる始末。
そんなイルカの体はまるで鏡の様に輝いていて、隣を歩いているさくらの姿をはっきりと映していた。あちこち髪が跳ねたり丸まっていたりしている頭と、その上をちちちちと鳴きながら動き回っている雀の姿が刻まれているイルカの体をさくらは凝視する。
「ああ雀可愛い、けれどちょっと恥ずかしい……」
イルカと烏は散々笑った後、さくらから離れた。彼等が向かった先には気ままに海の中を泳いでいる妖等異形の存在がいる。天満月に乗って旅をしている者なのか、元々この世界に住んでいる者なのか判別は出来ない。蛇の体を持つ女がゆらゆら海草の様に揺らめきながら泳ぎ、その後ろを真っ赤な金魚の群れがついていく。蛇女はそれが愉快でたまらないらしく、その場で一回転したり、急に立ち止まって進行方向を変えたり、踊ったりした。金魚はそれにあわせるように動いた。きっと彼等は彼女と遊んでいるのだろう。しまいにその金魚の群れの中に黄や青の小魚の群れが混ざり、海の中に動く花畑が生まれる。それを動かすのは蛇女。彼女は笑ったり、歌ったりしながら彼等と過ごす時間を楽しんでいる様子だ。
その他にも大の字になって水面に浮かんでいる者(そうしながら寝ているようだ)、竹林の中で鬼ごっこを始める者、近くにいた金魚を口の中に入れたり出したりして遊んでいる者……。
「とても綺麗な場所ですね、ここは。何だか心が落ち着きます」
「ええ。海に木々に動物に……癒し要素のみで出来ているような場所ですねえ。おや、お嬢さん。あちらで何かしている子供がいらっしゃいますよ」
老紳士の指差した先に、着物姿の子供が五人――男の子二人、女の子が三人。
彼等は皆しゃがんでおり、視線を地面に向けている。地を歩いている何かを観察でもしているのだろうか、地面にお絵かきでもしているのだろうかと二人で言い合っていたが、どうやら違うらしいことが彼等に近づくにつれ分かってきた。
子供達は皆手にふるいを持ち、それを砂の中に突っ込んでいる。そしていらない砂をふるい落とした後、ふるいから落ちなかったものを手に取る。あるものは地面に落とし、あるものは小さな皮袋の中に入れ。
「これはとても良いものね」
「こっちはとても大きいよ、磨いて冠の中央につけたらきっと素晴らしいだろうね」
「でもその色、お姉ちゃんの好きな色じゃないわ。真ん中につけるならこっちの方がいいんじゃないかしら」
「ああ、その色はお姉ちゃんの好きな色だ。僕知っているよ、お姉ちゃんはそれと同じ色をしたブックカバーやカバンを使っているんだ」
「そのことは私達皆知っているわ。その色で、他に良いものが見つからなかったらそれを冠の中央につけましょうね」
皆でわいわい言いながら手に持っている何かを見せあったり、首を振ったり頷いたり、袋の中をのぞいたりしている。
何をしているのか気になったから、さくらは彼等に近づくと膝を軽く折り曲げて、一番近くにいた坊主頭の少年に声をかけた。
「ねえ、貴方達今何をしているの?」
突然背後から話しかけられた少年は体をびくっと少し震わせてからさくらの方を見る。彼は困惑したような表情を浮かべたが、さくらが怪しい人物で無いことを理解したのかおずおずとその小さな口を開く。
「えっとねえ……『むくろいし』を探しているんだよ」
「むくろいし?」
さくらが聞き返すと少年は小さく頷いた。他の四人もさくらに気がつき、ふるいを置いて彼女の前に集合。
「お姉ちゃんの為に頑張って集めているの」
頭に桜の髪飾りをつけた少女がまず口を開いた。
「お姉ちゃん? 皆のお姉ちゃんなの?」
「本当のお姉ちゃんじゃないけれど。一緒に遊んでくれたり、お菓子を作ってくれたり、勉強を教えてくれたりしてくれる、優しいお姉ちゃんなの」
「そのお姉ちゃんが今度結婚するんです。優しくて、力持ちの素敵な男の人と」
次に答えたのは髪を下で束ねた女の子。彼女がこの中では恐らく最年長で、十二、三歳位。後の子供達は八歳から十歳といったところ。
「そのお祝いに、お姉ちゃんにぴったりの首飾りや指輪、冠を作ってプレゼントしようってことになったんだ。僕はそういうのを作るの苦手だけれど、お姉ちゃんの為に頑張るんだ」
「僕も苦手だけれど、頑張るよ。世界で一番立派な物を作って、お姉ちゃんを喜ばせてあげるんだ」
さくらに話しかけられた少年と、おかっぱ頭の少年。
「それを作る為に今、むくろいしを集めているんだよ。大きなもの、小さなもの、とっても綺麗なもの……色々」
小柄でほっぺがりんごの様に赤い少女が皮袋から『むくろいし』を取り出し、さくらに見せてくれた。
手には赤や黄色のガラス片の様なものが。ここ翠竹海に広がる砂浜中に散らばっているものだ。
「これを磨いて」
「削って」
「穴を開けたり、色々な形を作ったりして」
「紐に沢山通して首飾りを作ったり、銀色の冠やリングにつけたりして」
「世界に一つだけのものを作るんだ」
「まあ、素敵。皆本当にそのお姉さんのことが好きなのね。それにしても……本当、綺麗な石ね」
さくらにむくろいしを見せた少女がうん、と力いっぱい頷いた。
「これはねえ、ここを泳いでいるお魚さん達の『むくろ』なんだよ」
「魂が抜けちゃった体はかちこちに固まって、縮んで、目やヒレはぽろりと取れちゃって」
「こうしてとても綺麗な石になるの」
「まあ……」
さくらはそれを聞いて仰天した。むくろいし――骸石。この石はその名前の通り、死骸が石に変じたものだったのだ。
とても綺麗に見えていたものが、その正体を聞いた途端気味が悪く、恐ろしい物に感じられ。気づけばさくらの額からは汗が一滴。
「そんな……良いの?」
「良いって何が?」
「何が良いの? 何が駄目なの?」
「だって、それ魚の骸なのでしょう? それで作った物を大好きなお姉さんにつけさせるの?」
さくらはそのことが不思議でたまらなかった。少年少女は目をぱちくち、顔を見合わせた後さくらの言っていることが不思議でたまらないような表情を浮かべ、首を傾げる。年長者以外の子供達はそれから口々に、自分の言いたいことを言い始めた。
「どうして?」
「駄目なの?」
「何で駄目なの?」
「綺麗なもの、嫌い?」
「死んでいるから? 骸だから?」
「命をぼうとくしているって言いたいの?」
「そんなこと無いよ! 確かにこれは死んじゃったお魚さんだけれど、けれどとても綺麗だよ! それにお魚さんだって喜ぶよ! だって綺麗なお姉ちゃんをもっと綺麗にするアクセサリーになるんだよ。新たな生を手に入れられるんだよ、今度はアクセサリーとして生きていけるんだよ!」
子供達の純粋な瞳がさくらの胸を刺す。その瞳を向けられながら言われると、ああ自分の方が間違っているんだと思うようになる。
おかっぱの少年が急に手をぽんと叩いた。
「そういえば、異界の本で読んだことがある。あのね、なんかね、死ってケガレなんだって」
「ケガレ?」
「ケガレって何?」
「悪いことなんだって。汚れなんだって。だからそれに触れちゃいけないんだって。綺麗にしないといけないんだって」
それを聞いた子供達がええ、と驚いた声をあげる。意味が分からないらしい。
「どうして?」
「死んじゃうって悪いことなの?」
「死んだら汚れちゃうの?」
「どれだけ綺麗で良い人でも、死んじゃったら汚くて悪いものになっちゃうの?」
「そんなのおかしいよね」
「おかしいよ」
「死ってそんなに汚くて悪いもの? だからそんな悪くて汚いものをお姉ちゃんにつけたらいけないの?」
「でも皆、大切な人には骸石で作ったものを贈るよ」
「僕達は正しいの、それとも間違っているの?」
彼等の表情が俄かに曇りだす。さくらは慌ててしゃがみこみ、皆へ向けて頭を下げる。
「ごめん、ごめんね。大丈夫よ、皆間違っていないわ。ごめんね、変なことを言ってごめんね!」
必死に謝る自分よりも年上の女の子を見た子供達は、やがて自分達のやっていることが間違いなのかもしれないという考えを捨てたらしい。彼等の顔に笑みが戻る。
「何だ、大丈夫なんだ」
「良かった、良かった」
「それじゃあまた骸石を集めよう」
「遠くへ行くお姉ちゃんの為に」
「お姉ちゃん喜んでくれるかな」
「きっと喜ぶわ!」
「見る度に私達のことを思い出してくれるようなものを作ろう!」
「作ろう、作ろう!」
彼等はもうさくらのことなど忘れてしまったように四方に散り、砂に眠る骸石を探す作業に戻る。皆とても生き生きとした表情をしている。ああ皆本当にそのお姉ちゃんのことが好きなんだなと思う一方、そんな彼等の表情をほんの一時の間とはいえ曇らせてしまったことを心から申し訳なく思うさくらだった。
最年長の娘はまださくらの前に立っていた。
「ごめんなさいね、あの子達に変なことを言ってしまって」
「いいえ。お姉さんが不思議がるのもよく分かります。けれど私達には死がケガレであるという考えはないんです。むしろ、死んでしまった者の体の一部――『死』を身につけることで逆に不幸な死や災いをはねのけ、幸せを得るという考えが普通なんです、この辺りでは。だから私達は大切な人、幸せになってもらいたい人に骸石で作った物を贈るんですよ」
「そうだったの。……素敵なものを作ってね」
「ありがとうございます。あ、そうだ……もしよろしければこれ、持っていってください。さっき拾った骸石で作った首飾りです」
彼女は自分がつけていた青と赤、黄色の骸石三つが通っている首飾りをさくらへ差し出す。
「けれど」
「良いんです。持っていってください」
そこまで言われてなお断る理由は無い。さくらはありがとうとお礼を言い、それを受け取った。手のひらに乗った石が、眩く輝いた。
少女は一礼すると皆のもとへと駆け寄る。骸石よりもずっと輝いている彼等のもとへ。
さくらはその首飾りをつけ、老紳士と翠竹海を歩き回る。
途中出会ったえらく陽気ないるか二頭の背に乗って、水晶で出来た洞窟をくぐったり、巨大ヤドカリに追いかけられたり、背に沢山の鳥を乗せたままぐうぐう寝ている虎と出会ったり。
そして、二人天満月に戻るのだった。
ところで雀は、彼女が汽車に乗り込むまでずっと頭の上に乗っていたそうな。
散策に夢中になっている上に、雀が乗っていることに慣れたさくらは気がついていなかったが。老紳士が後で笑いながら教えてくれた。