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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪洞鉄道
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雪洞鉄道(3)

 雪洞鉄道。何故その名前がついたのか、さくらは外の景色を眺めている内に理解した。すずらん畑を見ている時はそちらに夢中で気がつかなかったが、線路の両脇にはあの駅のホームで見たものと同じ形の雪洞が等間隔に並んでいたのだ。背高のっぽだから、電車の窓から顔を出しつつよく見ないと灯りの部分が見えない。雪洞には絵が描かれているようだったが、流石にどんなものが描かれているのかまでは分からない。


 それと同時に、さくらは自分が寝巻き姿のままであることに気がついた。灰色上下のスウェットは、この幻想的な世界に少しも合っていない。せめて寝る時用の服ではなく、普段外出している時に着ている服でここに来たかったとさくらは酷く残念に思った。といっても普段の格好も今と大差の無いものではあるが……寝巻きか、私服か――という気持ちの問題である。

 そういえば、とさくらは目の前に座っている老紳士の格好に改めて注目する。

 彼は寝巻き姿には絶対に見えない、ちゃんとした衣装を身にまとっている。

 もしこの世界が、眠ることでしか行けない場所であるのなら彼は帽子を被り、ぴしっとしたスーツを着たまま眠ったということになる。よくよく周りを見てみると、明らかに寝る時に着るものではないものを着ている乗客がちらほらと。


「おじいさん、あの汽笛を聞いて眠ってしまう以外にこの世界へ来る方法ってあるんですか? おじいさんのその格好、どう見ても寝る時のものではないですよね」

 細かいことは気にせず旅を楽しめと言われても、その通りにしようと思っても、どうしても気になることは気になるし、尋ねたくなってしまう。老紳士は特別さくらが質問をしてきたことを不快に思う様子は見せず。


「私の知る限りでは、眠りにつく以外ここへ来る方法はないようですね。私も貴方と同じようにしてこちらへ来たのです。……何故このような格好をしているか? ふふ、実は今夜なんとなくあの音を聞くような予感がして事前にこれを着て寝ていたのですよ」


「まあ。何度も来ていると予想が出来るようになるんですね」


「冗談ですよ」


「あらまあ……」


「実は私の住む世界では、これが定番の寝巻きなのですよ」


「まあ!」

 文化の違いというのはすごいものだと感心し、驚くも。老紳士の悪戯っぽい笑みを見て、矢張りそれも冗談であったことが分かる。貴方はとても素直で純粋な方のようですね、という言葉は一応褒め言葉だろう。


「私も実際ここへ来た時は寝巻きでしたよ。ふふ、ここには何箇所か(ころも)(もり)という場所がありましてね、そこで気に入った衣装を貸してくれるのです。これは本当ですよ」

 衣の森。一体どんな所なのだろうと考えを巡らせながら、窓の外を見やる。

 風にそよぐ稲穂、そこからする実りの香り。あれは水晶の実をつけるそうですよと老紳士が教えてくれた。とった水晶は食べてしまうのだろうか、それとも別のことに使うのか。きっと器具を使って脱穀するのだろう、そして青く光る水晶の山が出来上がっていくのだろう――そんな光景を想像してみた。


 窓の外を時々大量に横切る、小さな金銀の光の粒――まるで天の川。

 どうもそれは車両の前の方から後方に向かって流れているらしい。もしかしてこれは汽車の煙突から出ている煙ではないだろうかとさくらは考えるのだった。しかし特に吸っても臭くなかったし、人体に影響も無い様子。


 ぶつり、車内の上から聞こえた音。その音が聞こえた直後、あの車掌の声が。

 車内スピーカーのようだ。どうやら天井に幾つかついている、暗い金色で出来た百合の花に似た物がそうであるらしい。


「次は(きみ)(かげ)(そう)の衣森、君影草の衣森――」


「おや。次は衣森前に止まるようですよ。自分の格好が気になるというのなら、是非次の駅で一度降りるといい。大丈夫、汽車は駅に着く度しばらくの間止まります。それにたとえこの汽車の出発に間に合わなかったとしても、また別のものが来ますから」


「おじいさんは降りますか?」


「私はここにいます。さあ、行っておいでなさい。勿論無理にとは言いません」


「いいえ、行きます。折角だから外に出てこの世界を眺めたいです」

 老紳士は満足そうに微笑んだ。そうこうしている内に汽車は元々そこまで早くない速度を更に下げていき、やがて先程のと同じようなホーム(こちらは銀の屏風だったが)の前で綺麗に止まった。

 汽車を降りる者はそれなりにいた。その殆どは衣森というのがどういった場所か分からない、だから実際に行って見てみようという者達である様子。恐らくさくら同様、今日初めてこの世界へ来たのだろう。


(ここは、出雲さん達の住んでいる世界とはまた違う所なのかしら。世界というのは二つだけではないのかな)

 沢山の異形達にもまれながら電車を降り、ホームの裏側にあった階段を下りていく。その先には広い道があり、その両脇にはあのすずらんが。

 道の先には森――らしきものがある。らしき、というのは目の前にあるそれが緑色ではなく、やけに鮮やか、カラフルであったからだ。

 皆そこに吸い込まれていくかのように、歩を進める。その光景まさに百鬼夜行。

 すずらん畑を眺めつつ、その強烈な姿に時々目をやる。近づくにつれその『森』の全貌が明らかになっていく。


「嘘……全部……ふ、服?」

 目の前にある木。伸びる幹、途中で一度止まり、放射状に、地面とほぼ平行に伸びる枝らしきもの。その中心から更に伸びる幹、また途中で枝、幹、枝……。

 そしてその枝の殆どに衣装が『なって』いる。着物、ドレス、ブラウスやスカート、ジーンズ、見たことの無い形状のもの。木の高さ、なっている服のサイズはばらばら。恐る恐るさくらは近くにあった白いカーディガンに触れてみる。見た目は毛糸製だったが、肌触りはシルクのそれに近い。鼻を近づけてみると微かに甘い香り。


「お嬢さん、ここは初めて?」

 頭上から声が聞こえ、何だろうと思って見上げてみればそこにはやたら手の長い猿が。猿はひゅっと華麗に飛び降り、さくらの足元までやって来た。


「ええ、初めてよ。この森の木の枝は全部、服をつけているのね」


「そうだよ。この木はね、世界の情報を養分にして、その情報を元にしたものをつけるんだ。気に入った服が見つかったら僕達の仲間にお願いするといい。どんな高い所にあるものでもすぐ『採って』みせるから」

 そう言うと猿はさっきいた木へと戻っていく。


 自分にふさわしい服はあるだろうか。さくらは立ち並ぶ木を眺めながら着たいと思う服を探す。無限といっても差し支えないだろう数があるから、きっとお気に入りが見つかるだろうと思った。

 すでに着たい服を見つけたらしい者達が猿にあれを採ってくれ、それじゃない、ああやっぱりやめよう――等と口々に言う声が耳に入ってくる。背中に羽の蝶を持つ女が空を飛びながら服を物色しているのを見た。しかし彼女が今着ているのはワンピース。下着丸見え。さくらは何だか恥ずかしくなって思わず俯いてしまう。一方本人は下を歩いている者に自分の下着を見られることを、少しも気にしていないようだった。


 ごつごつの、灰色の肌を持つ女が猿に命じて、派手な模様の入った赤い着物をとらせる。しかしその着物は猿が触れた途端ぼろぼろとくずれ、彼の手から落ちていく。女と、それをたまたま見ていたさくらは口をぽかんと開け驚いた。


「ああ、すまない。あれはもう駄目だったみたいだ。すっかり枯れてしまっていた」

 どうやら枝になっている衣装は、ごく普通の木の実同様一定期間経つと駄目になってしまうらしい。

 ならば逆にまだ熟していない衣装というものもあるのだろうかと思いながら、少し歩いた先で見つけた桃色のドレスに触れようとする。


「何だかやけにくにゃくにゃしているわね。形が定まっていないというか」


「あ、お嬢さんそれに触っちゃ駄目だ。それはまだ熟していない、今触ったら駄目になってしまう!」

 ……本当にそういうものがあったようだ。


 木の根には、(かんざし)や髪飾り、幹には指輪が生えている。それはどうやら力を少し入れれば簡単に採れるらしい。根元から指輪をぽんぽん採っては自分の指にはめている、藁束を被っている太っちょの女を見かけ、さくらは苦笑い。

 周りの様子を眺めるだけでもかなり楽しい。しかし折角来たからには自分も何かここで衣装を拝借したいと思う。

 

「良いもの、何かいいものはないかしら。派手なものは嫌いだし、けれどいつもと同じ衣装というのも何だか勿体無い気が。それにしてもすごい数」

 吐き出された白い息の向こう側に見える、七色。どこかクリスマスのイルミネーションの様である。


 どう着るのかよく分からない、布製の巨大金魚が三つ連なっているだけのもの、桃色の地に水色と黄色の水玉が描かれているシャツ、スリットの深い青のチャイナドレス、桔梗や百合、牡丹などがあちこちについているドレス、黒の袴、フリル付の黄緑色のレオタード、SF映画の登場人物が着ていそうな銀色の衣装、魔除けにでもなりそうな模様の入った茶色のポンチョ、豪華絢爛彩錦、びっちりと小さな向日葵(ひまわり)がついているワンピース……。

 

「ちょっとごめんよ」

 ある木のすぐ近くにいたさくらの横を通り過ぎる、頭にハチマキ、紺の甚平姿のおじいさん。彼は手に巨大なはさみを持っていた。一体何に使うのだろうと思っていると、そのおじいさんは木についている指輪や簪の一部をはさみを使って器用に切り取っている。


「何をしていらっしゃるんですか?」


「もう古くて駄目になったもの、もう長くもたないものを除去しているんだよ。そうしないと新しい物がいつになっても出来ないし、他のまだ状態の良いものに悪影響を及ぼすから。わしはこの森の管理人で、こうして毎日ここへ来ては手入れしているのさ」


「この森を全部? 大変じゃないですか?」


「そりゃあ楽ではない。だが、楽しい。歌を歌いながら作業するとより楽しくなる。……ところで嬢ちゃんはまだ着るものを選んでいないのかい」

 さくらの着ているものがこの森でなったものではないことを一瞬で看破した様子の男。どれにしようか迷ってしまってとさくらは困ったように笑った。

 そりゃこれだけあれば、迷うだろうなあと暢気な言葉が返ってくる。


「それじゃああの服とかはどうだい? 案外似合うかもしれない」

 と男が指差したのは、真っ赤なドレス。赤いバラとカスタネットがよく似合うもの。いやいやとんでもないとさくらは即首をぶるぶる横に振る。


「私は派手なもの、あまり好きではないのです。……そういえばおじいさん、この森って、私達旅人の為に作られたのですか? それとも別にそういう訳ではなく、元からこの世界に存在していたのですか?」

 どうしても、質問をしてしまう。男はさあな、と首傾げ。


「そんなこと、どうでも良いじゃないか。ここに森はある、衣が次々となる、この世界に住む者、旅人達はここで好きなものを採って着る、わしはここを綺麗にする為作業する。……それでいいじゃないか。何だってそんなこと、聞くんだね? 聞いたからって何が変わるわけでもなし」

 素っ気なく言うと男は木の上へ登っていき、上機嫌で歌を歌いながら駄目になったものをはさみで切っては腰につけているびくのようなものに入れていく。

 確かにそれもそうだとさくらは納得し、服探し。


 それからしばらくして、ようやくさくらは着てみたいと思える衣装に出会うことが出来た。

 それはベトナム衣装――アオザイに似たもの。水色で、裾の方に藻をイメージしているらしい緑色の模様と真っ赤な金魚が描かれている。着物や袴も魅力的だったがさくらは着つけが出来ない。どうも着つけをしてくれる者がいるようだが、初対面の人に話しかける勇気がなく結局自分で着られそうなものを選んだ。


 着替えは森に幾つかある、とんでもなく大きい切り株をくり抜いて作られた更衣室でするらしい。男女共用だったが、天井から床までちゃんとある仕切りに区切られていた為、あまりそのことを気にせず着替えることが出来た。

 元々着ていた服は木のケースにしまい、汽車の後方にある荷物保管室にて保管。帰りに引き取り、保管室より更に後ろの車両内の更衣室で着替えれば良いらしい。


 今にも溶けてしまいそうな肌触りの服を着た自分の姿を眺める。いつもとは違う服を着ただけで別人になった気分がした。ただ身につけるものを変えただけで気分ががらっと変わってしまうから不思議だ。日常を動かす歯車を一つ変えれば、何もかも変わる。そんな気持ちを抱いているのは何もさくらだけではないらしい。着替えを終えた者達の様子を見ればそのことは一目瞭然だった。


 老紳士は先刻と変わらぬ席に座っている。彼はさくらを笑顔で迎える。


「おかえりなさい。素敵な衣装を選びましたね、とても似合っていますよ」

 自分の格好を褒められたことなどまず無かったさくらだったから、それを聞いて照れくさくなり赤く染まった頬をかく。


「不思議です。いつもと違う格好をした途端、目の前に広がる世界が様相を変えて。着るものって大事ですね」


「ええ、大事です。名前、衣装、個性――自分に『ついて』いるもの自分が『つけているもの』は『自分』を表すもの。それが一つでも変われば、自分という存在は変わる。自分が変われば、世界もまた変わるのです」


 そう彼が言った辺りで、汽車が走り出す。今度は一体どんな場所へ向かうのだろう――さくらは期待に胸を膨らませた。

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