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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪洞鉄道
132/360

雪洞鉄道(2)

 彼方へ消えていった意識が再び戻り、目に世界がぱっと鮮明に映る。

 布団にもぐっていたはずの彼女は今二本の足で立っており、しかも何故か室外にいた。


 空は紺碧、そこに貼られているのは大小金銀紙吹雪。雲は一つもなく、やや青みを帯びた銀色の大きな満月が静かで優しい歌でも歌うかのようにしいん、しいんと輝いていた。

 視線を足元に移せば、鮮やかな赤が飛び込む。その赤は遥か彼方まで横一直線に伸びている。どうやらひな壇等に敷かれる毛氈(もうせん)であるらしい。後ろを振り向くと、牡丹や椿、梅等の描かれている金屏風。それもまた毛氈の敷かれた舞台同様ずっと先まで続いている。金屏風の前には木の看板がぽつぽつと。描かれているのは鳥獣戯画を思わせるもの、花札の絵柄にありそうなもの。


 辺りを照らしているのは銀色、月光。それと頭上に吊るされている金魚型の提灯、橙色。冷たい風に揺れる度、鈴の様な音をたてる。舞台の果てにあるのは雪洞。黒い棒の上に赤青黄の光、それを囲むのは白い和紙。かぼちゃの様な形をしていて、可愛らしい。


 向かい側には今さくらがいる所と全く同じものがあった。赤い舞台、金屏風、看板、灯り。こちら側、向かい側、どちらの舞台の上にも人らしき者、明らかに人では無い者達がぽつぽつと立っていた。


 眼鏡を今はかけていないはずなのに、不思議と目の前の風景ははっきりと見える。


 この美しい場所は一体どこなのだろう、とさくらは一歩、二歩と前へ出る。

思ったよりずっと高いらしい舞台の真下にあるものを見て、さくらはここへ来て初めて声をあげた。


「これ……線路?」

 そこにあったのは、紛れもなく線路であった。びっちり敷き詰められている歪な形をした青や赤、黄、緑の透明な石――石というよりガラスの様――の上に、線路が。

 もしかして、ここは。


「私が今立っているのって舞台じゃなくて……駅の、ホーム?」

 改めて辺りを見回す。今自分が立っている場所の高さや広さは確かに駅のホームのそれに似ている。世間一般のそれとは全く違うものの、ホームといえばホームに見えないでもない。


 吐く息には月光と同じ色がついている。ふと布団で温かくなっていたはずの手が今はもうすっかり冷たい。さすってやろうと左手の上に右手を重ねた時、一際強く冷たい風が吹き、さくらは思わず小さな悲鳴をあげ、体震わせる。


 風が吹き止んだ頃頭上から聞こえたぴゅう、ぴゅうという甲高い笛の音のようなもの。何だろうと見上げてみると、金と赤、青の羽を持つ鳥が大きく旋回していた。


「宵日、宵日、今日も良い日、良い日。雪洞鉄道、本日も絶好調。間もなく『(あま)満月(みつつき)』が参ります、参ります、参ります、天満月が参ります。はらはらひらりと参ります」

 全長の大きさの割に華奢な体から出た声はとても渋くて気品ある、五十代程の男の声。


「あまり前に出すぎないように。毛氈を真っ赤に染めたくなければ。線路を覗き込まないように。空に散らばるお星様の様になりたくなければ」


 ぶおうん、ぶおうん、ぶおうん、ううん。しゅっしゅっごっご。

 遠くから聞こえてくる音。それは自分をこの世界に引き込んだ音だった。


 ぶおうん、ぶおうん、ぶおうん、ううん。ぶおうん、ぶおうん、ぶおうん、ううん。

 近づいてくる音。その音が体中に響き渡る。


 ああ、汽車がこれからここに来るのだ。そう思った瞬間目の前が七色に輝いた。閉じる瞳。脳裏に焼けついて離れない万華鏡。

 しばらくして目を開けてみれば、いつの間にか何もなかった線路の上に立派な蒸気機関車が現れていた。さくらは間近で蒸気機関車を見るのは初めてであった。形は恐らく自分達の住む世界にあるものとさほど変わりないと思われる。

 青白い光沢のある、漆黒の体。圧倒的な存在感。


「天満月、到着。宵日、麗しの月の日にのみ走ります。天満月、天満月。慌てず、騒がず、押さず、争わずお乗りください。天満月は逃げません」

 客車のドアが開いたらしく、皆実にのんびりとした足取りで乗車していく。

 さくらはその様子を遠くからぼうっと見つめていた。


(ああ、何てことでしょう。私は切符を持っていない。切符を持っていなければ、乗ることは出来ない)

 辺りを見回しても切符売り場らしきものは無い。あったとしてもお金が無い。

 ただこの汽車が通り過ぎるのを見送るしかないのだろうか――肩を落とし、ため息をつきながらその大きく美しいフォルムを眺めていた。


 その時、冷たくなっていた左手が急に温かくなったことに気がつき、さくらはぎょっとする。どうやら誰かに手を握られたらしい。慌てて左を向けば、いつの間にかそこには駅員らしい格好をした巨大だるまが。さくらの手を握っているのは、真っ赤な体から伸びている筋肉質な腕の先にある手。


「お乗りなさい」

 かろうじて聞くことが出来る位の低い声だった。乗れと言われてもとさくらは困惑する。だるまは筆で書いたような目をやや細め、にこりと笑った。


「お乗りなさい」


「けれど、私」

 切符を持っていないんです――そう言葉を続ける隙を与えず、だるまはさくらをそのまま引っ張っていくと開いているドアの前まで連れてきた。そして手を離すと、彼女の背中を優しく押し、中へ入れてやる。一体どうすれば良いのだろうと戸惑うさくらは振り返り。目が合う、さくらとだるまの目が。


「大丈夫ですよ。さらさら、ゆらゆら、良い旅を」

 ひらひらと、花びらのようにしなやかに揺れる手。やがてさくらは後から乗ってきた髪が葉と花で出来ている女性に押されるようにして奥へと進む。

 切符が無くても大丈夫なのだろうか。不安であったが、きっと降りてもまたあのだるまに乗せられてしまうだろうと思い、覚悟を決めて適当な座席に座ることにした。


 座席はボックスシート。肘掛け等は木製で、座席の色は青。すでに沢山の乗客がおり、それぞれ好き勝手に座っているようだ。

 どう見ても人間らしき者もいれば、異形の者もいる。さてどこに座ろうかと、あまり狭くない通路を渡りながら目を左右に動かした。


 紙の様にぺらぺらした体の者、とぐろを巻いている蛇、体がゼリー状のもので出来ている相撲取りらしき者達が傍らを通っていくさくらの方をちらっと見る。しかし特にこれといった反応も見せないまますぐ視線を外す。


 首が一メートル近くある男なのか女なのかよく分からない者と目が合う。女面そっくりの顔、瞬きをしない瞳、閉じない口。だが面を被っているわけではなく、元々そういう顔であるらしかった。その人はただ何も言わず、さくらの方をじいっと見つめていた。印象的な姿をしていたから、さくらも思わずその人の顔をじいっと見つめながら歩いた。


 余所見をしながら歩いた結果、誰かとぶつかる。ごめんなさいとそちらへ目を向ければ、そこには体中こぶだらけの男が立っていて「ぷう」と一言だけ言うと体を空いている座席の方へ入れ、さくらを通してやる。さくらはもう一度ごめんなさいと言った後、先へと進む。

 

「どこに座ろう……」

 空席自体は多くある。だが見知らぬ者と席を一緒に――しかも面と面を向かい合わせて――するのが苦手である彼女は、すでに誰かが座っているところには座りたくなかった。座っているのが大好きな妖だとしても。


(といっても、丸々空いているところなんて無さそうね。それに今は大丈夫でも、次の駅とかで乗車した人が)

 誰か他に座っている人がいても、座るより他無い様子。


「お嬢さん」

 さて、どの席にしようかと迷っていたさくらに声かける者あり。自分のすぐ右横の席に座っている人のようだった。どきりとしながらそちらを見てみれば、そこには一人の老紳士が座っており、さくらの方を優しげな瞳でじっと見つめている。見たところ人間であるようだが、もしかしたら違うのかもしれない。


「どうぞ、こちらに座って」

 その瞳と同じ、優しい声がさくらの緊張を溶かす。彼がどことなく祖父に似ているという点も、彼女の心を落ち着かせた要因であったかもしれない。

 老紳士の真向かいの座席にさくらは殆ど躊躇することなく座った。柔らかく、座り心地が非常に良い。

 汽車が駅を後にしたのは、それから間もなくのことであった。


「ここへ来るのは初めてですか」


「え、あ、はい……あの、ここは一体どこなんですか? どうやって私はここに来たんでしょう?」


「初めてここに来た方は皆その様な質問をしますね。私はその質問をされた時、いつもこう答えます。……ここがどこだっていいじゃありませんかって」


「どこだって、いい……」

 老紳士が静かに頷く。その時少しずれた帽子を直してから、また口を開いた。


「ここはどこだ、どういう場所だ、どうしてこんな所に来てしまったのか、自分は今夢を見ているのか、それともここは実在する世界で何らかのことが原因で飛んできてしまったのか……色々疑問に思うでしょう。でもね、そんなことどうだっていいじゃありませんか。理由、仕組、事実、法則、概念、常識、法……そういうものは時に人の自由を奪います。世界は果てしなく広いのに、そういうものが生み出した檻のせいで決まった所までしか飛べない。それってとてもつまらないことでしょう?」

 勿論そういう檻が無ければ困ることもありますがね、と付け加える。


「そういうものでこの世界を狭めてはいけません。周りの人にご迷惑をおかけしない……そんな最低限の『決まり』さえ守ってくだされば良いのです。後は、自由です。恐らく一生に一度しか出来ぬ旅、思う存分楽しみなさい」


 自由に。その言葉がさくらの頭を良い意味で空にする。妖怪など実在するわけが無い――周りにそう言われ続けながらも彼女が自分の考えを曲げることは決してなかった。世界の常識を受け入れず、自由に空想の翼を広げ続けた。本を読めば世界の境界を飛び越え、その物語の世界へと飛んでいった。勿論それが必ずしも良いことであるとはいえないのだが。

 妖の存在を何の疑いもなく信じ続けたように、どこにいても物語の世界に飛び込んでいったように、今宵も枠や世界に捕らわれず、自由に飛びまわっていればいいのだ。

 さくらがありがとうございますとお礼を言うと、老紳士はお礼を言われることなどしていませんよと笑うのだった。


「おじいさんはここへは何度も来ているんですか?」


「ええ。普通の人はそう何度も来られないそうですがね。一生の内一度もこの世界に来ることの無い人というのが殆ど、一度だけ来る者はごく少数、二度や三度――複数回来る者はごく稀、私位の回数来ている者は他にはいないだろう、ということです。……ああ、お嬢さん。私の顔など見ていないで外を御覧なさい。素晴らしい風景が広がっていますよ」

 老紳士に促され、さくらは外へ目を向ける。


 夜空の下に広がっているのはすずらん畑。しかし普通のすずらんではない。

 葉の大きさはあまり変わらなかったが、ベルの形に似たあの愛らしい花の大きさが普通のものに比べて大きい。しかもそれが眩く光りながら思い思いに揺れ動いている。明らかに風によるものではない、自分の意思で動いているのだ。

 何て綺麗なのだろうと思っていると、老紳士が汚れ一つ無い窓を上へあげる。


 りんころしゃんとん、りんとんしゃん。しゃんしゃんりんりん、ころりんとん。


 汽車の走る音に混じって、鈴とトライアングル、それからカスタネットを合わせたような音が聞こえてくる。

 それがすずらんの奏でているものであることはすぐに分かった。


 らんこんしゃんとん、とんりんしゃん。しゃんとんりんころ、りんしゃんとん。


 花の放つ光の色はそれぞれ違う。白、青、金。どうやら光の色によって、出る音が変わるらしい。老紳士はそのすずらんのことを特に説明せず、たださくらと一緒にそのすずらんの奏でるメロディーに聞き入っていた。

 しばらくしてすずらん畑に透明の羽を持つ何かがやってきた。最初さくらはそれを蝶かトンボか或いは鳥かと思っていた。そうでないことが分かったのは、その何かが上げた窓の下にちょこんと座った時。


「まあ……妖精だわ!」

 透明の羽、白い服に白い肌、青い瞳に銀の髪。身長十~十五センチ。間違いなく、それは妖精であった。

 妖精はさくらのあげた大声に驚くことなくにこりと笑うと、小さな口を開けて歌いだす。すずらん畑に降り立った者達もまた、歌い始めた。

 不思議な響きの言葉で紡がれる歌がすずらんのメロディーと溶け合い、すずらん畑を、そして車内をみるみる内に満たしていく。音楽の海。


(何て綺麗なのだろう。そして何て楽しそうに皆歌うのだろう! ああ、皆笑っている。きっと歌うのが好きなんだわ)

 窓に座っていた妖精はしばらくして飛び立ち、仲間の所へ行ってしまった。

 最後、さくらと老紳士に軽く手を振って。


 やがて遠ざかっていくすずらん畑、美しい歌と演奏。その音が完全に耳に届かなくなった後もしばらくの間、さくらは無言で頭と耳にまだ残っているそれを楽しんだ。


「素敵でしたね」


「ええ、とても素敵でした。言葉では言い表せない位素晴らしいものでした。おや、車掌が来ました。形ばかりの切符確認をしに来たようです」

 その言葉にさくらはぎくりとした。自分が切符を持っていないことを思い出し、体から血の気が引く。さくらの表情が変わったことに気がついたらしい老紳士が首を傾げる。


「おや、どうしましたか」


「あの……わ、私……切符を、切符を持っていないんです。それなのに、あの、駅のホームにいらっしゃった駅員らしきだるまさんに……その、引っ張られて、この汽車に乗っけられてしまって……」

 言い訳がましいことを、と自分で自分に呆れながら告白する。老紳士はそれを聞いても全く驚いている様子は無い。変わらぬ優しい笑みをさくらに向けていた。


「ご安心なさい。貴方はちゃんと切符を持っていますよ」


「でも」


「ここに来られる者は切符を持っている者だけなのです。貴方はここにいる。だからちゃんと切符を持っている。先程私は申し上げたでしょう、形だけの確認だと。貴方は切符を持っています、ちゃんと、持っています」

 そうはっきり言われても、さくらは自身を持てず車掌さんが来るまでの間ずっと体を強張らせ、緊張していた。一緒に座っていたのがこの優しい老人でなければもっと硬くなっていたかもしれなかった。


 突然目に映る世界が暗くなり、さくらはどきりとした。何か大きなものがすぐ傍に来たらしい。見上げれば、そこには一匹――いや、一人の――猫が。

 通路をすっかり塞いでしまう巨体を覆うのは、黒に近い紫のふさふさした体毛。頭にちょこんと乗っている帽子、車掌らしい服装の色は夜空と同じ色。


 猫の車掌は黄金の細い瞳をさくらに向け、それから大きな手を彼女の方へ差し伸べた。


「切符を拝見」

 その渋い声にどきりとし、それから一体どうすれば良いのだろうという思いによってどきりとし。助けを求めるように、老紳士を見た。


「右手を彼に見せて差し上げてください」

 言われた通り、おずおずとさくらは右手を差し伸べる。すると車掌はにこりと笑いながらその手を優しくとった。ふわふわの毛玉のような感触、ほっとする温もり。


「ようこそ。本日はご乗車ありがとうございます」

 そう言うと車掌はもう片方の手に握っていたスタンプを取り出し、さくらの右手の甲にそれを押しつけ、手を離す。開放されたそこには環が見せてくれたあの模様と同じものが。

 車掌はさっと手を差し伸べた老紳士にも同じようにそれを押す。そして軽くお辞儀をすると、他の乗客の切符を確認しに行ってしまった。


(ああ、これは切符を確認しましたっていう印だったのね。きっと御笠君も、同じクラスのええと……何とかさんも私と同じようにこの汽車に乗ったんだわ。そしてあの車掌さんにこれを押されたんだ)


「ね、大丈夫だったでしょう?」


「あ、はい。良かったです……ほっとしました」


「貴方の懸念は解消されました。さあ、体の力を抜いて。がちがちに固まっていたら旅は楽しめません」

 さくらはまだ抜けていなかった力を抜き、老紳士に笑顔で「はい」と答えるのだった。


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