第三十夜:クリスマス・クライシス?
クリスマスは死の香り――という言葉を述べた人間は誰であったか。
他でもない、俺である。
『クリスマス・クライシス?』
金銀赤青の飾りを全身につけてめかしこみ、頭に燦然と輝く星をつけたクリスマスツリー、商店街やTVのCM、様々な店の中で絶えず鳴り響く有名なクリマスソングの数々、クリスマス仕様のラッピング用包装紙、全身赤尽くめの白ひげをたくわえたおじいさん、あらゆる店中に貼られている『クリスマスセール』という文字の書かれたポスター、妙に良い子になったりそわそわしたりする子供達、世界を包む冷たい空気を吹き飛ばすような熱気。
それらを見たり感じたりする度、逢坂勇輝は憂鬱になった。ひゅおお、ひゅおおと吹く風が、沈んでいる彼の心を凍てつくす。
今彼は三つ葉市内を歩いている。自分が現在住んでいる隣町・桜町よりもこの街はずっとずっと大きい。街中を包み込んでいるクリスマスオーラ及び熱気の量もずっとずっと多い。
その日が来れば、弁当屋やスーパーには甘いタレもしくはスパイス味付けされたチキン、普段はまずお目にかかることの無い七面鳥、様々な種類のお惣菜が盛りつけられた、クリスマスカラーのプラスチック製の皿が並び、ケーキ屋には行列が出来、しんしん降り積もる雪を思わせる真っ白なクリームのたっぷり塗られたスポンジの上にろうそくの炎を思わせるいちご、サンタやトナカイのマジパン等が乗ったケーキが並び、聖夜に愛を深めんとするカップル達が人目も気にせずいちゃいちゃしだすだろう。
長い間見ている光景だから、努力せずとも鮮明にその光景を思い浮かべることが出来る。否が応にも頭の中を巡るその美しく、賑やかでおぞましい映像に勇輝は唸りながら頭を抱えるのだった。
「クリスマスなんて無くなっちゃえばいいのに……ああ、くそ、畜生……」
鮮明な映像のラストに出てきたのは、ボロアパート二階にある自分の部屋。
その部屋の壁にはカレンダーが貼られている。二十四という数字を囲む赤丸、その下に書かれているのは『地獄の日』という、クリスマスイブという素敵イベントには全くもってふさわしくない不穏な文字。
そして最後の最後に現れたのは『彼女』の姿。勇輝は周りに人がいることも忘れ、その場で立ち止まり抱えた頭を振りながら奇声を発する。
勇輝がクリスマスイブを呪い、その日が来ることを憂鬱に思っている原因。
それこそが『彼女』であった。
「来てしまう、また来てしまう。あいつは必ず来る。……俺の……十二月二十四日という日を滅茶苦茶にしに」
傍らの店の入り口ドアに貼られているセール実施を告知するポスター。そこにはサンタコスに身を包んだ可愛らしい女の子の絵が描かれている。
それを見た瞬間、勇輝は『彼女』と初めて出会った日のことを思い出した。
思い出してしまった。
五年前の十二月二十四日のことを――。
*
五年前、勇輝は大学二年生だった。実家を離れ、桜町にあるボロアパートにて(本当は三つ葉市の方が何かと便利だったが、知り合いが桜町にいるから、何かあった時その人に色々相談するといいと親に言われた為、素直に桜町を選んだ)仕送りとバイトで稼いだ金で日々を過ごしていた。
その日は幸いバイトもなく、この辺りの地域に住んでいるTVゲーム愛好家の集う『遊の会』メンバーの中で今日という日を共に過ごす恋人も友人も家族もいないような寂しい者達同士で集まり、ささやかな『クリスマス会』を行なうことになっていた。皆で食べ物や酒をもちより、飲み食いしながらわいわい騒いだり、ゲームで遊んだりする。別名『ぼっちの会』だ。
適当にぼうっと見ていたTVを消し、ローストビーフ、手巻き寿司、つまみ(どれも市販のもの)、安い酒をビニール袋に入れ、バッグに携帯ゲーム機やソフトを入れ、さあそろそろ出かけようか――という時のこと。
どんどん、どんどんとドアを思いっきり叩く音が聞こえてきた。最初勇輝はお隣さん辺りのドアが叩かれているのかと思っていたが、どうやら違うらしかった。大きくてとても不快な音を立てているのは、勇輝の部屋のドア。塗装がはげまくった、冬触れると異様に冷たいそれは誰かが叩くのに合わせて小刻みに震えている。チャイムが一応ついているんだから、それを押せばいいのにと勇輝は舌打ちしつつ、一体ドアを叩いているのは誰なのだろうと首を傾げた。
(ユーイチか? いや、でも一緒に行くって話は)
無かったはずだが、と思考している内もずっとドアは叩かれ続けている。
あまり長い間叩かせていると周りの住人に文句を言われそうだったから、仕方なく勇輝は「はい!」とややイラついた声をあげながらドアを開けた。
「遅い!」
開口一番、ドアの前に立っていた人物は勇輝を怒鳴りつける。その声は明らかに若い女のものであった。
恋人も女友達もいない、姉も妹もいない、人が出てくるまでドアを延々と叩き続けるような女の知り合いもいない――そんな彼は来訪者が女であったことに酷く驚き「え?」と思わず声をあげる。
顔を上げ、目の前にいる来訪者の全身に目を向ける。
(初めまして、だよな……?)
どう考えても初対面の人間であった。
雪のように白い肌は外人(白人)を思わせたが、顔立ちは日本人のもの。胸まで伸びている真っ直ぐな黒髪、何日も丁寧に磨いたような、きらりとした強い輝きを持つ瞳。細く、ぴっと真っ直ぐ吊りあがっている眉を見る限り彼女は相当不機嫌な様子。瞳に負けず劣らず魅惑的で蠱惑的な唇をぎゅっと噛み締めている。
目を見張るような美少女だったが、それ容姿以上に印象的なのは彼女の格好。
赤い帽子、赤い服、黒いベルトに赤いミニスカート、赤いブーツ。裾や袖には白いもこもこ、帽子の先端や胸には白いぼんぼんが。
どう見てもそれはサンタクロースの格好であった。サンタのコスプレ、いわゆるサンタドレス。アパートの住人でないこと、恐らく近所の住人ではないことを考えると、どうやらそれなりの距離をこのなかなか強烈な格好で歩いてきたようだ。しかし彼女がそれを恥じている様子は少しも無い。
彼女は両手を腰にやり、足を広げてドアの前で仁王立ちしている。
(誰だ、この人。……もしかして他の部屋と間違えた?)
きっとそうだ、そうに違いないと勇輝は思い、どなたに御用ですかと聞こうと口を開きかけた。が、しかし。
「ちょっと、いつまでこの私をここに立たせているつもり? さっさと入れて頂戴!」
先程よりも更にきつい口調で彼女は勇輝を怒鳴りつけると、彼の体を押しのけ、ブーツも脱がずにそのままずんずんと部屋の中へ入っていった。知らない人に怒鳴られた挙句、勝手に部屋の中へ入られてしまった勇輝は呆然とその場に立ち尽くす。
(何だ、何だ、これ。新手の強盗か?)
状況が全くつかめていない勇輝を他所に、女は部屋中を見渡し、それから舌打ち、続いてため息。
「小さい上に汚い部屋! うわ、少しいただけでこの清浄な体に穢れが溜まっちゃいそう……帰ったら速攻穢れを落とさなきゃどうにかなってしまうわ」
などと失礼極まりないことといまいち意味の分からないことを言いながら、それは綺麗な所作でその場に座り込む。
「こんな所に平気で住んでいられるなんて、信じられない。全くこの世界はどこも世界も汚らわしい……汚らわしい人間だからこんな世界でも生きていられるのか、こんな世界で生きているから汚らわしい存在になったのか」
(いや、あんたも人間だろうが。何だこいつ勝手にあがりこんできた挙句ものすごく痛い発言を恥ずかしがりもせずぺらぺらと……これがあれか、中二病とかって奴なのか?)
勇輝の思いに気がついたのか、偶然なのか。女は突然振り向き、まだ玄関にぼうっと突っ立っている彼を睨んだ。その目力の強さといったら無い。
「何あんた、いつまでそこに突っ立っているわけ? さっさとこっちに来れば?」
トゲトゲした口調で言った言葉に勇輝はああそれもそうだなと頷きかけたが、その後すぐ我に返り、首を横に振った。
「何勝手にあがりこんでいるんだ、何我が物顔で座っているんだ、ていうかあんたは誰だ、あんたは! 俺はあんたのことなんて知らないぞ!」
怒鳴りつけると女は一瞬拗ねたような表情を浮かべ、それからすぐ元の不機嫌顔に戻る。立ち上がり、再び仁王立ち。
「あんた? たかが人間の分際でこの私のことをあんた呼ばわりするなんて、失礼千万ね! 私はね、精霊なの。人間よりずっとずっと格上で高貴な存在なの。分かる?」
分かるわけがない。少しも予想していなかったファンタジーな単語を耳にした勇輝は呆然。ツッコミを入れることさえ出来ず、ただ間抜けな声で「せいれい……?」と呟くことしか出来なかった。その反応が気に入らなかったのか、女は呆れた風にため息をつき、それからまた勇輝のことを睨みつけてきた。
「精霊よ、精霊! あんたまさか精霊も知らないの? 馬鹿じゃないの!」
家に勝手に上がりこんできた挙句意味不明なことを言いまくり、終いに人のことを馬鹿扱い。
この女にだけは馬鹿と言われたくない、精霊だか敬礼だか黎明だか知らないが、腹が立つ。女が着ている衣装と同じ真っ赤な真っ赤な血が頭めがけてぴゅううと上ってきているのを彼は感じた。
玄関から室内へ戻り、ふんぞり返りながら自分のことを馬鹿にしているかのような目で見ている女の目の前に立つ。ぎろり、女を睨んでやる。だが女は少しも怯む様子が無い。酒を飲んで酔っ払っているという感じも全くしない。
「見ず知らずの、常識のじょの字も無い女に馬鹿と言われる筋合いは無い! 大体あんた、何者なんだよ!」
「だから精霊と言っているでしょう、精霊と。物覚えも物分りも悪い奴ね!」
怒鳴り声と共に、女の右足が飛んできて勇輝の腹を直撃する。太すぎず、細すぎずの、スカートとブーツの間から除く素晴らしい生足が間近に迫ったのと同時に激痛が彼の体を襲った。女のものとはとても思えない強烈な蹴りに勇輝は沈み、死にかけの虫の如く悶え、無様に震える。
「全く、感謝しなさいよ。私はあんたに恩返しをしにきたのよ」
「お、おん……?」
激痛と衝撃のせいでそれ以上は言えなかった。腹をさすりながら、恩返しという意味を脳内辞書から引っ張り出す。その辞書には少なくとも人の腹を思い切り蹴ること、とは書いていなかった。
痛みをこらえながら頭上にいる女を見る。その顔はえらく誇らしげであった。
「そう、恩返し。記憶力が悪いあんたは覚えていなかったようだけれど、昔私はあんたに助けられたことがあってね……その時受けた恩を返しに来たってわけ。ふふ、感謝しなさい。これから毎年この日の夜、ここへ来てあげる。そして楽しいクリスマスイブとやらの時間を共に過ごしてあげるの」
「拒否権は……」
「あるわけないじゃない」
即答であった。
勇輝はもう訳が分からず、頭に上った血は混乱という名の炎に温められたことでぐつぐつ煮えたぎり、視界は時々白くなり、腹の痛みはますます強くなっていき。
兎に角、この女を追い出さなければ、やばい。勇輝のまだかろうじて正常な部分の頭が警告を発する。
この女は危険だ。絶対に関わってはいけない。
「訳の分からないことを言いやがって! 恩返しだか何だか知らないが、俺はそんなのお断りだ! 見ず知らずの女と今日という日を過ごすつもりはさらさらないんでね。それに俺は今日仲間と飲む約束が」
言いかけたところで、ポケットに入れていた携帯電話が鳴った。こんな時に一体誰だとそれを取り出し、画面を開いてみればそこには今日のクリスマス会の主催者の名前があった。
「もしもし?」
「ああ、逢坂か。……まだ家は出ていないか?」
「え、あ、はい。今から出ようと思っているところなのですが」
女のことはとりあえず言わないでおいた。すると画面の向こうから何故かほっと安堵の息を吐く音が聞こえ、勇輝は首を傾げた。
「そうか、まだ出ていなかったか。いや実は誠に急で申し訳ないのだが――今日のクリスマス会、中止になった」
「は、はい!?」
中止になった。その言葉は今の勇輝にとって死刑宣告にも等しい言葉であった。主催者曰く、何故だか参加を希望したメンバー全員に急用が出来てしまい、自分自身も今日になって急に体調を崩してしまったそうだ。
そういうわけで、会はまた後日と言うことで……本当に申し訳ない――という言葉を最後に、電話は切れてしまった。
何が何だか分からずぽかんと口を開けていた勇輝はふと、女の方へ目を向ける。女は満足気に笑っている。
「まさか、あんたが何か」
「さあ、どうかしら? とりあえず言っておくけれど、他の予定を今から無理矢理作ろうとしても無駄よ。絶対に上手くいかない」
「やっぱりあんたの仕業なんだな! なんて奴だ、この化け物!」
彼女が精霊だということはまだ信じていなかった。しかし思わずそんな言葉が勇輝の口から飛び出す。
すると女は先程まで以上に不機嫌な顔になり。
「化け物!? この私を化け物とか妖怪とか、そんな低俗な者と一緒にしないでよ、この無礼者!」
そう言ったかと思うと女は辺りをきょろきょろ見回し、部屋の隅の方に置いてあったしおしおくたくたのクッションをむんずとつかみ、勇輝めがけて思いっきり投げつけた。それは見事勇輝の頭にクリーンヒット。恐ろしいまでの衝撃。クッションではなく、鋼鉄の塊を投げつけられたかのようだった。
「あ、あんた……本当に恩返しに来た、のか?」
「そうよ! この私と二人きりの時間を過ごすことが出来るなんて、この上なく幸福なことなの! あんたと一緒にクリスマスイブというものの夜を過ごす、それが私の恩返し!」
「ふざけるな、そんな上から目線な恩返し、俺はいらない!」
「いるかいらないか、するかしないかを決めるのは私。あんたはただ私の選択をありがたく受け取るのよ」
距離を詰め、女は勇輝の右腕をがっちりつかむ。そして、上目遣い。但しそれは決して可愛らしいものではない。明らかに人を脅す顔であった。
勇輝はその恐ろしい形相を見て背筋が凍りつくのを感じた。人には決して無い異質な何かを感じ取ったからだ。
そういえば女につかまれている腕が異様に冷たい。見れば、自分の肘から先がかちこちに凍りついていた。それが女の仕業であることは一目瞭然。おまけによく見てみれば、微かに開いている彼女の口からは雪の結晶らしきものが幾つも出ていた。
ああ、この女は本当に人間では無いのだ。
そのことを認めざるを得ず、勇輝は顔を真っ青にしながらその場にへたり込む。逃げることはどうやっても無理そうであった。
女はそれを見ると嬉しそうに笑った。
「やっと大人しくなったわね。あ、そうそう。私の名前は柊というの。ちゃんと呼ぶ時は様をつけてね、様を」
それから柊は本当に勇輝の家に居座った。
勇輝がクリスマス会用に買ったチキンやローストビーフを美味しいのか不味いのかよく分からないなどと言いながらも殆ど一人で平らげ(とても女一人で食べ切れる量ではなかったのだが)、いきなり面白い話をしろとかなんとか言い出し、つまらないと感じると勇輝の頭や顔を容赦なく殴り、勇輝が眠たくなってあくびをすると頬をつねり、うとうとと眠ってしまうと「何寝ているのよ!」と怒鳴りながらまた殴り、それでも起きないと今度は立ち上がって男の急所を力いっぱい蹴りつける。
「何それ、からくりかなんか?」
勇輝がバッグから取り出した携帯ゲーム機に柊は興味を示し、それを彼の手から奪い去る。返せ、と言おうとしたが下手に逆らうとまた殴られそうだったから仕方なく電源を入れてやり、彼女にゲームのやり方を教えてやることにした。柊は画面にゲームキャラクターが現われると心底驚いた表情をし、それから色々なことを聞いてきた。彼女曰くこちらの世界のことはある程度勉強したらしいが、流石にゲームの存在についてはお勉強していなかったようだ。
ゲームだったら小さな子供だって出来る。精霊だって慣れれば少し位はゲームで遊べるはず、ゲームに上手いこと夢中になってくれれば万々歳――などと都合の良いことを考えていたのだが。現実派そう甘くなく。
柊は何回丁寧に説明してやっても少しもゲームの操作が上手くならなかった。
ボタンを乱暴に扱うし、人の説明を素直に聞こうとしない。聞かないからいつになってもまともに操作出来ない。まともに操作出来なければゲームというのは楽しくない。彼女のイライラ度が目に見えてあがっていく。
このままではゲーム機を壊してしまうかもしれない――そう思い、勇輝は彼女の手からそれを奪おうとするが。一足、遅かった。
「ああもう何これ、少しも楽しくないじゃない!」
柊は手に持っていたゲーム機を勢いよく投げた。ゲーム機は目にも留まらぬスピードで吹っ飛び、向こう側の壁にぶつかった。とても良い音がした。
少し位の衝撃なら耐えられるはずのゲーム機は、うんともすんとも言わなくなっていた。
「あ、ああ……発売当日に買った、俺の、俺の相棒が……なんてことしてくれるんだ、この乱暴女!」
怒鳴り、真っ赤になった顔に柊の投げたビール缶が直撃(これは殆ど勇輝の飲んだもの。柊は一口飲んで「苦い」と言いそれから少しも口をつけようとしなかった)。ビール缶なのに、ダンベル並の威力。
「つまらないなあ! ちょっとあんた、面白いことやりなさいよ!」
また無茶振り。仕方なく勇輝は今流行のお笑い芸人のギャグと顔芸をやってみせる。しかし彼女の反応は芳しくなく。
「私は面白いことをやれと言ったのよ、誰もつまらないことをやれなんて言っていない!」
と言って再び勇輝に近づき、彼の顔を思いっきり蹴飛ばす。
そして深夜。柊が急に、甘いものが食べたいと言い出した。
「ねえ、コンビニって所に行って何か甘いものを買ってきてよ」
「コンビニ!? 今からか!?」
時計を見、勇輝は絶句。桜町に一軒だけあるコンビニは二十四時間営業ではない(そもそも桜町に二十四時間営業の店など無かった)し、閉まるのも早いからもうとっくに閉店している。となるとお隣、三つ葉市に行くしかない。車やバイクは持っていない。あるのは自転車のみ。
「こんな時間に外なんて出たくない!」
「この私の命令に逆らう気? あんた、今度は全身を氷漬けにされたいわけ?」
……されたくなかった。
仕方なく相棒であるボロ自転車に乗り、全速力でもう誰も歩いていない道を駆け抜けていく。早く帰ってこないと許さないんだからと言われたからだ。
寒いし、暗いし、彼女に殴られたり蹴られたりした全身がずきずき痛むし、もう最悪であった。地に沈んでいる、夜特有の陰鬱な空気が勇輝の心をずんと沈ませる。
三つ葉市は桜町に比べればずっと明るかったが、それでも矢張り、暗い。
ヤンキーな兄ちゃんに危うく絡まれそうになりながら、どうにかコンビニでスイーツ数点を購入した勇輝は、死にそうになりつつ必死にペダルを漕ぎ、やっとの思いで帰宅。
柊はへとへとになっている勇輝に労い(ねぎら)の言葉一つかけず、あまつさえ「遅い!」と罵った後彼からビニール袋をぶん取ると早速中に入っているものを食べ始めた(スプーンの使い方などが分からず、何度か勇輝に尋ねながら)。そしてそれをすっかり食べ終わると。
「今度は……あ、そうだ。私肉まんとやらが食べてみたいわ。緑色のお店の」
どうやらあるコンビニの肉まんを買って来いということらしい。そのコンビニは先程勇輝が行った所よりやや遠い位置にある。
「俺は、もう無理だ、へとへと」
「いいからさっさとお行きなさい! 命を削ってでも行って来い!」
行くしかないようだった。
結局勇輝は再び自転車に乗り、全速力で駆け、再びヤンキーに絡まれそうになりながらもどうにか肉まんを買ってくると、柊に渡した。
しかし柊は肉まんに触るなり「熱い!」と叫び、それを勇輝の顔面へ思いっきりぶつける。
「私が熱いものが苦手だということを知っていてこの仕打ち!?」
「俺が一生懸命頑張ったことが分かっていてこの仕打ちかよ……そもそも肉まんっていうのは熱いんだ、熱くて当たり前のものなんだ。それを知らなかったあんたが悪いんだ!」
「この私に口応えしようっての!? 大体あんたがそのことを教えてくれなかったのが悪いのよ!」
「そんな滅茶苦茶な!」
滅茶苦茶である。
柊はそれから夜明けまでずっと勇輝の家にいた。終始我侭ばかり言い、彼を振り回し。へとへとになり完全に死人と化した勇輝が数分間眠りこけ(この時は叩き起こされなかった)、次に目を覚ました時には彼女の姿はどこにも無かった。
痛む体、ぐちゃぐちゃの室内。
(あれは夢じゃなかったんだ……)
夢であったらどれだけ良かったかと思う。
その後適当につけたTV、流れたのは地方ニュース。
内容は、三つ葉市にある店で盗難事件があったということだった。盗まれたのは――サンタドレス。店にいた店員、客達が突然眠くなり、眠りこけてしまった。目を覚ますと売り場にあったサンタドレスが消えており、代わりに現代日本でまずお目にかかることの無いような衣装が残されていたという話。
もうどう考えても犯人は彼女である。彼女以外に有り得ない。
「いや、そんなことより。あいつ毎年クリスマスイブの夜にここへ来るとか何とか言っていたよな。あれが本当なら来年も」
そのことを考えた途端、血の気が引いた。
そしてその通り、彼女は次の年、また次の年もやって来たのだった。
勇輝がどれだけ無理矢理予定をその日に入れても、直前で駄目になってしまう。バイトを入れてもやっぱり今日は来なくていいよと言われ、外出しようとしても何か奇妙な出来事が重なって結局部屋の中に籠もらざるを得なくなり、柊が幾らドアを叩いても無視を決め込んでいると、どうやったのか鍵も持っていないはずなのにドアを開け無理矢理侵入してきて。
「あんた、この私から逃げようと色々予定入れまくったでしょう! 何て無礼な奴なの、最低、本当人間って下賤なのね! おまけに今年は私を家に入れようとしなかったでしょう!」
と怒鳴り散らした直後、とび蹴り。勇輝がそのすぐ殴ったり蹴ったりするのやめろと抗議しても聞く耳持たず。
「この私に殴られたり、蹴られたりする者なんてあんた以外いないんだから。私のこの手や足に触れられることを誇らしく思いなさい、そして私に感謝なさい」
「精霊っていうのはこんなにも凶暴で自己中心的なものなのか……」
「何か言った?」
「いいえ、何にも!」
毎年柊は我侭を言い、やりたい放題。二年目のクリスマスイブの時には「この私に何の贈り物も用意しなかったの?」などと言い、殴り、勇輝にクリスマスプレゼントを買わせた。以降彼は恋人でも友人でも無い女にプレゼントを用意するようになった。その他にも彼女に食べさせてやるもの、彼女を楽しませるものなども用意しなくてはいけないから、この日勇輝の元々貧しい財布はますます残念なことになる。
勇輝は柊の為に色々買ったり、したりする。だが柊は勇輝にプレゼントも感謝の言葉も与えなかった。与えるのは暴力と暴言、無茶な命令のみ。
「私が来てやること、それこそが最高の贈り物じゃないの!」
その言葉に冗談というものは微塵も含まれていない。本気で彼女はそう思っているのだ。それはそう言った時の彼女の自信たっぷりな顔と声でよく分かる。
*
五年前から始まった、一年に一度の地獄イベント。その時の様子を思い出すと、ああもういっそ死んでしまいたいと思ってしまう。
したくもない回想をした勇輝はまるで死人の様な目をしながら、ふらふらと街中を歩く。これから柊へのプレゼントを買いに行くのだ。
「何が恩返しだよ、どう考えたって恩を仇で返しているじゃないか……ああ、俺一体いつどこで、どんな風にあの女を助けたんだ? 全然思いだせん。それを思い出せたら……後、どうにかしてタイムマシンを手に入れられたら、俺は真っ先にあの女を助ける少し前に飛んで……当時の俺があの女を助けないよう奔走する。ああ……なんでだよ、何で何年だか前の俺はあんな女のことを助けてしまったんだ。馬鹿、うんとか年前の俺の馬鹿野郎」
とどれだけうん年前の自分を呪っても、何にもならない。時間は流れる。そして近い内に十二月二十四日という日は訪れる。訪れてしまう。
「俺のクリスマスイブは今年も滅茶苦茶になるに違いない……」
勇輝は柊にされそうなことを色々想像し、がっくり肩を落とし、暗い色をした重い息を吐いた。
地獄の日まで――後、少し。