出雲の一日(5)
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素敵なお土産をたんまり貰い、すっかり上機嫌の鈴は慣れた手つきでお茶の準備を始めた。出雲が自分でお茶を淹れることは殆ど無い。不器用な上にいい加減で面倒な作業を嫌う彼は家事の全てを鈴に任せている。ゆえに彼は自分でまともにお茶を淹れることも出来ないし、千年以上生きているのにも関わらず、おにぎり一つまともに作ることが出来ない。
鈴だって、始めの頃は料理も洗濯も掃除も全く出来なかったが、自分以上に何にも出来ない駄目狐と長い時間を共に過ごす内、自然と家事のスキルを身につけていった。
「今日のおやつは橘香京で買った抹茶あずきカステラと宝饅頭。いいねえ、お菓子の甘い香りというのは最高だ。それに加えて、鈴が淹れてくれた茶の上品な香り。ほっとするよねえ、落ち着くよねえ……お腹の虫は暴れるばかりだけれど」
お茶を淹れ終えた鈴が椅子に座るのを待ちながら菓子と茶の香りを楽しむ。
いつの頃からか、出雲はほぼ毎日この時間にお茶をするようになっていた。
大抵は鈴と二人きりで。気が向いた時はやた吉ややた郎と。館を訪れた胡蝶や白粉、最近は紗久羅やさくら、奈都貴とこの時間を共にすることもある。
「……満月館、いつ、変えるの?」
「今日は面倒だから、明日にでも。いつもながら随分と高い買い物になったけれど……まあ、その分素晴らしい建物になるだろうさ。紗久羅達をうんと驚かせることも出来るし……何も知らない彼女達がすっかり純和風の屋敷に姿を変えたここを見た時の顔を想像するだけでわくわくするよ」
実際わくわくしているらしく、その顔にはいやらしく、意地の悪い笑みが貼りついている。それを見て再びやや不機嫌な表情になる鈴。彼女は人間である紗久羅達が好きではない。そしてまた、出雲が自分以外の女のことをぺらぺら話しているのを聞くと胃がむかむか、胸がちくちくするのだった。
出雲はそんな鈴を可愛い、可愛いと思いながらも話を続ける。
「それで今度、紗久羅達を連れて紅都京へ行こうと思うんだ。温泉旅行というやつさ。季節は冬、丁度良い時期だ。何でももうしばらくすると冬休みとかいう短いにも程がある休みを貰えるらしいからね。後で『やました』に行った時、紗久羅にこの話をするつもりだ。勿論あちらに拒否権は無し。後さくらも誘って……一夜や奈都貴も連れて行こうか。あの柚季とかいう娘を連れて行くのも面白そうだ……きっと紅都京を見た途端失神するね、うん。いや、或いはこちらとあちらを繋ぐ『道』を見ただけで倒れてしまうかも。まあ、どちらにせよ面白い。彼女とこちらの世界の間にある縁をもっと深いものにしてくれる……ああ、でも多分紗久羅に止められるだろうなあ」
鈴が口を挟む隙も与えず、まあぺちゃくちゃと一人楽しそうに話すのだった。
一気に話し終えた後は、むうと頬膨らませふてくさっている鈴の顔をちらちら見てにやにやしながらお菓子とお茶を口に入れる。
まずは抹茶カステラ。鼻に途中で引っかかることなくすうっと入っていく上品な抹茶の香り。ふんわり広がる甘味の中にある苦味。舌に心地良い痺れを与えるそれは、砂糖の甘味の中に完全に隠れるわけでも、甘味を押しのけて自分の存在を強く主張するわけでもなく。春、桜や梅の木にちょこんと止まっているメジロの体と同じ色をした生地の中から顔を出しているのは、小豆。カステラの生地の甘味と苦味を包む深く優しい香り。味付けらしい味付けはされていないから、豆本来の香りと風味を楽しむことが出来る。
「うん、美味しい。素材の味を殺さない味付けのされたお菓子は矢張り最高だね。……悪い菓子はただ甘いだけ、辛いだけで旨みが少しも無いからね。ああいうのを食べると腹が立つ。作った者を意地でも見つけだし、半殺しにしたくなるよ、うん」
「……実際そうしたこと、あったよね」
大量の木の実、果実と少量のあんこの入った宝饅頭を食べ、少しだけ機嫌が直ってきたらしい鈴の呟く声。出雲はその小さな声を聞き逃さず、やったことあったっけ? と口元に手をやり、記憶を閉まっている引き出しをあけまくり。
「馬鹿みたいに……甘いだけで……少しも美味しくないお饅頭を『天下一品、自慢の一品』って言って売っていた……人間の、男を……確か、桜町とかから……随分離れた街にあった……お菓子屋の、店主……」
「全然覚えていないや。覚えていないんだから、きっと大したことはしていないのだろう」
「……店、焼いた。周りの家も、燃えた。ついでにその男も死なない程度に燃やした」
「やっぱり。大したことはしていないんだね。だから覚えていないんだ」
ぽん、と両手を叩き納得してこくこく頷き。
引き出しの中に入っていた記憶をしっちゃかめっちゃかにしたが、結局該当する記憶を引き出すことは出来なかった。もう残っていないのだ、彼の引き出しの中に。恐らく彼の脳内にある記憶の埋め立て場のどこかに埋まってしまっている。
まあそんなつまらないこといちいち覚えていたら、頭がどうかしてしまうよねえ……と暢気に言って、お茶をすすった。
鈴がそんな出雲に呆れることは無い。不味い菓子を売っていた男と、その男が営んでいた店諸々を焼いた――なんてそんな『どうでも良い』ことを忘れてしまうのは少しもおかしなことではないと思っているからだ。これを聞いていたのが紗久羅だったら呆れ、そして烈火の如く怒ったに違いない。
「つまらないことなんて、覚えていたって仕方が無い。楽しいことは毎日を生きる糧になるけれど、くだらない上につまらないことは少しも役に立たない。くだらないけれどなんか面白い深紅特製の商品とは違って。ああ、しかし美味しいねえ……宝饅頭もやっぱり良いね。中身盛り沢山で。それぞれの具が自分の味を主張していて、それでいて喧嘩はしていないというか」
「お店によって入れているもの違うし……あ」
饅頭を小さな口でもぐもぐはむはむしていた鈴が、前髪の奥に隠れたくりっとした目を開き驚いたような表情を浮かべる。どうしたのと尋ねる出雲に、鈴は食べかけの饅頭を見せた。
「……当たり」
「おや、本当だ。黄金桃だね……良いなあ、羨ましい」
どの店に売っている宝饅頭にも必ず『当たり』が存在する。当たりの饅頭には、その名の通り金色に輝く黄金桃なるものが入っている。この黄金桃は当たりの宝饅頭以外ではまずお目にかかることが出来ない、非常に珍しい果実だ。
味も天下一品。甘味も風味も普通の桃とは訳が違う――まさに最高の宝。
鈴は黄金桃入りの饅頭と、出雲の顔を見比べ。
「……出雲、食べる? 私の食べかけでも良ければ……」
「いいよ。鈴が引き当てたのだもの、鈴がお食べ」
出雲はそう言ってにこりと微笑む。だがその視線は宝饅頭に釘付け。明らかに欲しがっている顔を見て、今度は鈴が微かな笑みを浮かべた。
「……半分こにして、一緒に食べよう?」
思いが顔に出ていたことに気がついた出雲は苦笑しながらも、鈴の申し出を断ることはなく。彼女が小さな手で割ってくれた饅頭の半分を受け取った。
お茶を一口、それから饅頭をぱくり。
噛んだ瞬間口の中に沸いた泉。極上の甘味、さっぱりじゅんわりとした酸味をもつ水。口から鼻へすうっと通っていく香り。幸せと極上の果肉を噛み締め、小刻みに体を震わせる。
「……出雲」
「ん、どうしたんだい鈴」
「出雲は……いつまであの人達……紗久羅達と付き合うつもりなの?」
お茶を口に入れてから、鈴が小さな声で聞いてきた。出雲は突然の質問に眼をぱちくりさせながらもさてどうかな、とふうと息を吐く。
「興味が無くなるまで、彼女達と遊ぶことを楽しいと思えなくなる日までは。ま、当分は飽きないだろうさ。私は人が大好きだからね。……彼等は弱い、そしてとても脆い。こちらが少し力を入れただけで、簡単に壊れるんだ。粉々に砕くのってどうしようもなく楽しいんだよね。けれど、一度壊してしまうと二度と元には戻らない……そしたら二度と遊べなくなってしまう。壊さず、そのままにせずが一番だ」
「……飽きたら、紗久羅達のことも壊す?」
「どうかなあ。さくら――サクの方はどちらでもいいけれど、お転婆紗久羅姫の方を壊しちゃうと菊野に怒られるし、嫌われる。そうなるとあの美味しいいなり寿司が食べられなくなってしまうからなあ……」
そう話しながら手に持っていた饅頭を皿の上に置き、それから指についたかすを舐める。瞳の色、顔に貼りついている笑みはどこまでも冷たい。
「今はまだ、遊んでいたいねえ……折角の素晴らしい玩具、失うわけにはいかない」
「飽きて……壊したら、紗久羅達のことも忘れる?」
「忘れるんじゃないかな。壊れたものに興味はないし。それに壊したもの、壊れたもののことをいちいち覚えていたら頭が破裂しちゃうよ……ああ、やっぱり黄金桃は美味しいねえ。いつ食べても美味しい。毎日食べていたら流石に飽きるし、感動も薄れるのだろうけれど……滅多に食べられないものだからね」
「黄金桃ってどこで作られているんだろう……」
さあ、と出雲。黄金桃がどこでどんな風に作られているのか、それを知る者は誰もいない。宝饅頭を販売している店の者でさえ、そのことを知らないのだ。
仙人の住む岩山で作られているとか、橘香京の地下にあると云われているありとあらゆる食材を不思議な機械を用いて製造する工場製のものだとか、桃泉なる泉の底から昇ってきた無数の泡沫が、水面まで来た時黄金桃に姿を変えるのだとか、実は何かの死体を加工して作られた桃であって桃でないものなのだとか……黄金桃に関する噂は多い。
「さて、明日は何を食べようか」
今日のお菓子を堪能しつつ早くも明日のティータイムのことを考える。
選択肢は限りなく無限に近い。あまりに多すぎて、迷ってしまう。あれ、これ、どの店の何とすっかり饅頭を平らげた後、次々とお菓子の名前をあげていった。声に出して挙げた名前のお菓子が、脳内にぽんぽんと現われ大お茶会が開かれている。
カステラをお茶と共にごくりと胃の中に収めた鈴がじいっと出雲を見て。
「……溶岩おかき、食べたい」
「ああ、良いねえ溶岩おかき。緑茶のお供にぴったりだ。あれなら翡翠京で買えるね……よし、それじゃあ明日は溶岩おかきにしようか」
出雲の言葉を聞いた鈴はぱちぱちと小さな拍手。前髪に隠れた瞳は今爛々と輝いているに違いなかった。ちなみに溶岩おかきというのは溶岩の様に黒くてごつごつしたおかきである。魚介エキスたっぷりの、食べた瞬間口の中、鼻、はては頭の中にまで昆布や帆立、魚の香りでいっぱいになるという代物。少し味が濃いから、お茶と一緒に食べるのが丁度良い。このおかきをご飯にのせ、お茶をかけて食べる者もいるとか。
それから以前買った菓子の残りも食べながら、二人のんびり和やかな時間を過ごすのだった。
そして腹にまだお菓子やお茶が残っている状態で、出雲は大好物のいなり寿司を買う為……向こう側の世界――紗久羅達の住む世界へ。