出雲の一日(2)
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「見渡す限り、赤灯り、紅屋根に朱鳥居の赤紅朱。全て足しゃあ、亀の寿命をひょいと飛び越える。空の海に沈む紅蓮山、燃えて燃えて燃え盛り、来た者全ての心を激しく燃やし、溶かしつくす。うつくし、あやし、たのし。暮れない、紅の京、紅都京へようこそ!」
館の壁に貼った紙から生じた障子をくぐった先には真っ赤な柱が二本。そこから更に真っ直ぐ進めば、赤く立派な鳥居がお待ちかね。紅都京の入り口である。
鳥居のてっぺんには一匹の狐がおり、柱の上であくびをしつつ毛づくろいをしていたが、出雲を始めとした者達が鳥居の下をくぐろうとしていることに気がつくと「客だ! よおしここは俺様の考えた口上を披露してやろう」などと言い、それからこおんと鳴いてその場で一回転。それから口上を述べ、もう一度こおんと鳴くと鳥居からさっと離れた。その体は地上へと向かわず、当たり前のように空を駆け、あっという間に京の風景に溶けて消えていく。
「ここは相変わらず赤いね高いね大きいね」
人型に変化したやた吉が、眼前に広がる京を見上げて感嘆の声をあげる。
「ここは良いねえ、どこもかしこも、真っ赤だ。まあ昼間より夜の方が赤いけれど。ふふ、赤は私の一番好きな色だ」
「出雲の旦那、本当に赤が好きだよね。……なんか好きな女の人が血だらけになって倒れているのを見ても、衝撃を受けたり悲しんだり慌てたりするどころか、何て素敵な姿なんだとか言いつつ興奮しそう」
「さあ、それはどうだろうねえ。……ああそうか、実際にやってみればいいのか。好きな女性ではなく、数百年の間愛情を注ぎ続けている可愛い可愛い使い魔を血だらけにして」
出雲は可愛い可愛い使い魔の片割れ――好きな女の人が云々言っていたやた吉の左肩をがっちりつかむ。目も口も一切笑っていない氷の顔にやた吉はわあぎゃあと悲鳴をあげ、ごめんなさいを連呼。嫌がることはないじゃないか、死なない程度にやってやるよ、痛いのなんて最初だけどうせすぐに神経と意識が馬鹿になって楽になるさ……などと淡々とした口調で述べ、散々彼をいじめてから、ようやく開放。
「全く、お前はいつもいつも。この馬鹿烏、八咫烏もどきの化け烏め。良かったねえ、主が慈悲深い人間で。そうでなかったらとっくにお前は死んでいただろうさ。仏より優しいこの私が主であるということに感謝するんだね。……それはそうと。馬鹿吉……おっと間違えた、やた吉、お前先に深緋屋まで行ってこい」
出雲にいじめられ、魂が半分抜けかかっていたやた吉はそれを聞くと正気に戻り、こくりと頷いた。
「深紅の姐さんに、出雲の旦那があれを買いたがっていることを伝えればいいんだね」
命令の意図をちゃんと汲んでいたやた吉を見、満足気に頷くとさっさと行ってこいしっしとばかりに雑な動きで手を振った。その態度に酷いや旦那と呟きつつ、やた吉は烏の姿に戻り、二人の視界から消えた。
やた吉が『深緋屋』へ向かって飛んでいったのを確認すると、出雲は軽く伸びをする。
「……さて、少しの間この辺りをぶらぶらするとしよう。ここへ来るのも久しぶりだねえ」
頭上を見上げれば、空飛ぶ車。空を飛ぶことの出来る妖達が傍につき、操っている。空を駆けるその車は次々と目の前にそびえたっている京へ吸い込まれていった。
紅都京。それは狐が歌うように述べた言葉の通りの場所。
ずらりと並ぶ無数の建物で出来た山。首が痛くなるほど顔、頭を上げても見えぬ果て。建物は大きさや形こそ違えど、どれもその屋根の色は、赤い。朱、紅、茜、濃紅、臙脂、深紅……濃淡や色合いは様々だが、赤系と呼べないような色はどこにもなく。紅蓮山とも呼ばれるこの京の頂にあるのは、超巨大温泉宿、真向かいには朱雀宮。
山の裾にも多くの宿屋や、ここに住み着いている妖達の家等がある。そしてその建物の屋根もまた、赤いのだった。
「ここは相変わらず他の京以上に賑やかだね」
「温泉、宿、廓、珍しい道具を売る店、死ぬほど遊べる娯楽施設が沢山集まっている京だからね。騒いだり遊んだりすることが何より好きな我々にとっては極楽だよ、極楽」
まあ私はあまり騒がしいのは好きではないけれど、と最後付け加えつつ出雲は建物に挟まれるようにして存在している石段を上っていく。頭上には無数の割と背の低い、小さめの鳥居。それぞれの建物、或いは建物と建物を結ぶ黒い紐にとりつけられているのは、提灯。大きさや形はばらばら。ごく一般的なものだったり、鬼灯型、だるま型、唐辛子型といった変わった形状のものだったり。今は昼間であるからあまり目立たないものの、夜になると橙や赤色の灯りがつき、京中を赤く染める。
漆黒の闇に溶け込んだ鳥居や建物は灯を受け、昼間には見せなかった妖しく、恐ろしく、またどこか艶かしい姿を見せるのだ。その美しい姿を見る為にわざわざこの京を訪れる妖も少なくない。それぞれお気に入りのポイントがあるらしく、仲間同士集まってはお気に入りの場所から見る紅都京がどれだけ美しいかということについて延々と語り合うこともするとか、しないとか。
見渡す限り、赤、紅、朱。京中を散策する妖、そんな彼等を呼び込もうとしている店の者達の声も熱く、そして赤く燃えていた。
「ここって一度や二度ちょいちょいっと来ただけじゃとても回りきれないよね。何も考えずに歩いていると迷子になるし」
よっと、おっと、ひょいっと。石段をぴょんぴょん飛び跳ねる今のやた郎は烏というより、兎であった。ただ普通に歩いているだけだとつまらないのか、先程からずっとそのようにして上っている。
石段は所々途切れており、そこから左右に伸びる道は、ぐるりと京、紅蓮山を囲いやがてはごっつんこ。その道――石畳――を挟むのは無数の建物。円状の道は通りと呼ばれ、それぞれ名前を持っている。通りの途中にある小さな石段を上り下りしないと行くことの出来ない店も中には多くある。単純なようで複雑な構成なので、無闇やたらに歩いているとあっという間に現在地点が分からなくなってしまう、そんな迷路の様な京だ。
「ここに比べれば、翡翠京はかなり分かりやすい、単純な構造をしているね。……さて、どこへ行こうか」
石段の切れ目から伸びている通りをきょろきょろと眺める。建物が密集しているにも関わらず、どの通りも、明るくずっと先まではっきりと見える。日が沈んだ後も提灯によって都は鮮やかに彩られる。完全な闇を知らない京、静寂という言葉を一切知らない京、ゆえに紅都京は『暮れないの京』とも呼ばれるのだ。京の中でも特に規模の大きいところにはこういった別名が多く存在する。
出雲はしばらく歩いたところで石段を上るのをやめ、ある通りを歩き出す。
その通りに決めた理由は特に無い。ただ何となく進んだ、それだけの話。
「からから、赤花、風車。たった一つで千の花。風車、風車はいらんかねえ」
竹の棒上部に空けた穴、そこにささっているのは風車。赤、黄、青などの紙と金魚や花、手毬等の絵、もしくは模様の描かれた紙を組み合わせて作られたそれは、からからと音を立て、回り、咲き、行き交う人々の目を奪う。
その風車は、ただの風車では無い。それは近くにある温泉の成分、温度等によって色や模様を変えるのだった。色等の変わり方は風車の種類によって変わる。そこらの土地では只の風車同然だが、この温泉街ではころころとその様相を変えてくれる。
その風車を手に持ち、わああと言いながら弾むように走り、出雲達とすれ違う子供の鬼。その隣には兄弟らしき鬼がおり、そちらは口に桔梗色のカタツムリのような形をした笛を加えていた。その笛から聞こえてくるのは、小鳥のさえずりを思わせる音。
それを見かけたやた郎が懐かしいなあ、と呟く。
「湯の笛だ。俺も六、七十年前に買ったっけ。丸っこい部分に入れるお湯の成分とか、量とか温度とかによって出る音が変わるんだよね。ふくろうの鳴き声の様なものになったり、鈴の様なものになったり、鬼のくしゃみみたいなのになったりさ。やた吉と色々な音を試して楽しんだっけ」
湯の笛を買っているのは何も先程の子鬼二人だけではないようで、あちらこちらから涼しげな音、思わず吹きだしてしまう音、何とも形容しがたい音が聞こえてくる。勿論全てが湯の笛によるものではなく、店の者達が客を引き寄せる為に色々な道具を用いて出している音というものもあるが。
「ああいうくだらないものは、我々世界の住人の大好物だから……常に売れているようだ。かくいう私も昔買ったよ。捨てた覚えは無いから、今も家のどこかにあるんじゃないかな。しかしここは暖かいを通り越して、暑いねえ。とても冬だとは思えないよ」
この京に腐るほどある温泉から出る湯気、熱。宿で支給されたらしい浴衣を身にまとい、天狗の団扇に似たものをぱたぱたさせつつ歩いている、湯から上がったばかりらしい者達、店に客を呼び込もうとしている者達から放たれている熱気らが、それ程広くない通りに充満しているのだった。
「確かに、冬でもここは暑いね。温泉に入らなくてもここに来るだけで充分体が温まる。温泉に浸かればより温まるし、ほっとするよね。……出雲の旦那は今日、温泉には入らないの?」
どうだかなあ、と言いつつ出雲が見ているのはある土産屋に並んでいる饅頭。
ふっくらほっこりしており、食べればきっと口の中がほんわりほかほかになるだろう。専用の器具の中に入っており、常に出来たてほやほやのものをいただけるようだ。
「美味しそうな饅頭だね。……二つ貰おうか。やた郎も食べるだろう」
「うん、食べる食べる。やた吉には買わないの?」
「あいつが帰ってくる頃には折角の饅頭が冷めてしまうよ。ま、気が向いたら後で買ってやるさ。……それで、温泉に入るかどうかだっけ。多分今日は入らないだろうね。深紅と会って目当てのものを買ったらすぐ帰るつもりだし」
鳥の頭をした大柄の女から茶色の饅頭を二つ貰い、その内一個をやた郎へ渡す。やた郎は一言礼を言うと、がぶりと一口。余程熱かったのか口をぱくぱくはふはく開け閉めしつつ、じっくり味わった。出雲はふうふうと息を饅頭に吹きかけ、それが程よく冷めるのを待ってから口に入れる。
「ここへはいつだって行けるから、また別の機会に入るとするよ。人間達と違って私達は年中お休みだからね。全く彼等は大変だよねえ、我々よりずっと軟弱な体を毎日のように酷使して馬鹿みたいに働いて。可哀想に」
「旦那、全く可哀想だとは思っていないような顔して言わないでよ。……人間は大変だね。子供は学校って所に行って、大人になったら今度は色々な場所で働かなくちゃいけないのだから。お金が無いと何も出来ないなんて、変な世界」
こちらの世界ではお金などなくても生きていける。お金を払わなくてもある程度飲み食いは出来るし、サービスも受けられる。お金やそれに準じたものは、通常よりレベルが上のサービスを受けたり、高級な食べ物を買ったりする時のみ必要。紅都京の宿も、ほぼタダで泊まったり温泉に入ったり出来る所もあれば、結構な代価を支払わないといけない所もある。
「人間になんて生まれなくて良かったよ。……そうだ、人間といえば……今度、温泉旅行と称して、紗久羅やサクをここへ連れてきてあげようかな」
ああ、それ面白そうだねとやた吉がくつくつ笑う。
「忘れていなければ、今度誘ってみよう。そして紗久羅達女の子が入っている女湯に、女に化けた私が何食わぬ顔で入る。一緒に温泉楽しいね!」
「旦那、ものすごく良い笑顔で助平発言をするな!」
「混浴、一糸纏わぬ姿同士でのお付き合い、頬に桃色の花咲かせる乙女の姿を間近で拝む……うん、良いね良いね」
「旦那、無視しないで旦那!」
店に売っている、入浴する女の姿が描かれた絵をつんつん突きつつ、どんどん脳内が桃色になり、暴走していく出雲をやた郎は必死に止めようとするも、完全に自分の世界に入った出雲に彼の声は少しも聞こえず。
その姿を見ていた、紅都京に多く住む狐を象った面を被っている子供の妖が「あのお兄ちゃんおかしな人だねえ」と無邪気に言いながら笑っている。その母親らしき者に「ああいう桃色な妖になってはいけませんよ」と言われ。少年妖は、今度はげらげらと笑いつつ「はあい」と答えるのだった。
やた郎はどんどん危ない方へ話を進めてしまっている出雲を無理矢理引っ張り、その場を離れた。
しばらくしてようやく落ち着いた出雲とやた郎は、散策を再開する。
中に湯を入れると動く人形を使った劇を披露する劇場、家でも温泉気分が味わえる、入浴剤の様なものが入った玉を専門的に販売する店、野菜や果物、魚などありとあらゆるものを温泉の蒸気を利用して蒸したものを販売する店、こういう所には必ずあるお土産屋、綺麗なお姉さんと飲食が出来る店などなど。
兎に角店の数、バリエーションが半端無い。遊んでも遊んでも、遊び足りない。折角疲れを温泉でとっても、結局その後遊びまくって元通りに……ということもこの京ではよくある話。
「鈴に美味しいお魚を買わないと。ここ、美味しいお魚を売っている店とかあったっけ?」
「近くに『御社』があるから、そこで聞けばいいんじゃない?」
「あそこにいるの、八助だろう? あいつはろくな情報をくれない。聞くだけ無駄さ。……仕方無い、帰りに橘香京に寄るとするか。ああ、後午後のおやつも買っておかないと。今家にお菓子があまり無いんだよねえ……さて、どれにしよう」
「旦那、こっちに変り種饅頭の店っていうのがあるよ。最近出来たみたい。……甘いやつとか、お惣菜が入っているものとか色々……うわ、何か変なものがいっぱい売っているみたいだ」
店の軒下に、売っている饅頭の具の種類が書かれた板がずらりと掲げられている。人間にとっては当たり前だがこちらの世界の住人にとっては「え?」というようなもの、饅頭の具にはしないが食べられないわけではないもの、変な組み合わせのもの、妖でさえ食べられるかどうか分からないもの、などなど。
「こういうのは自分で食べるのではなく、他人に食べさせるものだね。後でやた吉にこの闇鍋饅頭っていうのを食べさせてやろうかな。ありとあらゆる具財を何も考えずつっこみまくったというものらしい。……こんなの、美味しいわけがない。あいつがこれを食べて悶絶するのを見て私は抱腹絶倒してやる」
「やた吉……」
合掌。
「紗久羅達にも食べさせてあげようかな。蛙ととかげの激甘煮込み饅頭とか、ねぎ林檎饅頭とか、きのこの蜜炒め入り饅頭とか五種の唐辛子を使った饅頭とか」
「や、やめてあげてよ……」
「想像するだけでわくわくする。けれど、想像するだけでは物足りない。こういうのは矢張り実行しなければ」
「逃げて、皆超逃げて……」
ただぶるぶる震えながら両手を合わせ、祈ることしか出来ないやた郎。
出雲が店主に饅頭を注文する為、店の奥へ行こうとすると。
「出雲の旦那、やた郎、みっけ!」
素晴らしいタイミングで、出雲の言いつけどおり深紅という女の所まで行っていたやた吉が帰ってきた。やた吉は急いで降下すると、やた郎の肩へぴょこんと止まる。
「おややた吉、どうしたんだい」
「どうしたんじゃないよ! 出雲の旦那がおいらに深紅の所へ行って来いって言ったんじゃないか!」
「ああ、そういえばそうだったねえ。……で?」
「ようやく準備が整ったから、さっさと来いだって。あれを探すまでにものすごい時間がかかったよ……琴子や蓮助がいればもう少し早く準備が出来たんだけれど」
やた吉の報告を聞き、ふう、と出雲は息を吐く。
「深紅の店はいつもすごいからねえ……まあ、いいや。それでは早速行くとしよう」
出雲は変り種饅頭を買うということをすっかり忘れたようで、そのまま店を出るとさっさと深紅のいる『深緋屋』へ向かう。
幾度となく足を運んでいる場所だから、迷わず行けた。深緋屋は頂上に程近い所にあり、下にある通りほど建物は密集していない。
赤い屋根、派手な外観、店の前には様々な物が置かれている。ぴょんぴょん飛び跳ねる金魚のいる石鉢、両手を交互に上下させる巨大招き猫、鉢に植えられているガラスや石で出来ているらしい草花、逆さ吊りにされている烏の剥製、葱を持った鴨の置物、ぷかぷか風船の様に浮かんでいる、氷で作られた像……売り物なのか、ただの装飾品なのか判別が全くつかず。
深緋屋、と書かれた看板も色々な物で隠れており、殆ど見えなかった。
「ここは相変わらずごちゃごちゃしているね。そういえば鈴が初めてここを訪れた時、あまりのぐちゃぐちゃっぷりに卒倒したっけ。あの子は綺麗好きだから……」
「琴子や蓮助も、ここはもう片付けないらしいね。やっても無駄だから」
「店の中も殆ど放置しているんだよね。やってもやってもぐちゃぐちゃにするから、諦めたんだっけ」
やた吉に続いてやた郎。確かに何度片付けてもすぐこうなったら、大抵は諦めてしまうよねえと出雲は頷く。ちなみにそんな彼も片付けは苦手であった。
店の中は、外以上に混沌とした状態。足の踏み場は無く、店内の壁が何色なのか確認することさえ出来ない位の数の売り物などなどが並べられている。いや、並んでいるという言葉は正しくない。……目当ての売り物を探そうと店内を引っ掻き回した後、ろくに後片付けをしなかったらしく……いつも以上にしっちゃかめっちゃかに。
人を笑わそうと四六時中様々な変顔をする達磨、首を絞められたような声をあげながらくるくる回り続ける風見鶏らしきもの、飛んだり跳ねたり回ったりするお手玉、甘い匂いを出し続けている巨大桃、ぷかぷか店の中に浮かぶ金魚入りしゃぼん玉、真っ赤な骸骨型木魚……まともなものは何一つ無く。
「……本当、この店は何度来ても飽きないよ。さて、深紅はどこかな。店の奥だろうか」
「あら、出雲さん? いらっしゃい」
出雲が後ろを振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。年は十三~五歳、おかっぱ頭に赤い着物。さらさらした髪とくりっとした瞳がなんとも愛らしい少女である。
「おや、琴子じゃないか。久しぶりだねえ」
「お久しぶりです。……深紅様に御用ですか?」
「ああ、ちょっと買い物をね。少し前にここへやた吉をやって、買う予定の物を探してもらっていて……先程ようやく準備が終わったらしくてね、こうして来た次第さ」
成程、と琴子は店内を見渡し、はあとため息。
「もうまたこんなに滅茶苦茶にしちゃって……元々汚いのが、ますます汚くなっているわ。ああもう! はあ……いっそ深紅様のように適当でいい加減な性格だったら、少しも気にしなくてすんだのに」
育ての親が反面教師になって、几帳面で綺麗好きな性格に育っちゃったんだねえ……と呟く出雲。
その時、店の奥にあった障子ががらっと開いた。
障子の向こう側に居たのは一人の女性。見た目は三十代半ば位。石で出来た赤い花を連ねた髪留めを使って上の方で束ねられた長い髪、紅を塗ったまぶたの下にあるきつく吊りあがった瞳。赤い着物、黄色い帯、上から羽織っているのは漆黒の着物。
「全部聞こえているよ、琴子! 誰が適当でいい加減な性格だ、こら!」
勇ましい、やや低めの声。叱りつけられた琴子はぺろりと舌を出しつつ「ごめんなさい」と一言。
「全く生意気な奴だ。……ったく、いつまでそこに突っ立っているんだい。さっさと台所へ行って、あたしや出雲に出すお茶と菓子の用意をしておいで」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はあい」
わざとはといの間を伸ばしてから、琴子は店から消えた。それを見送った後、女――深紅はにっと笑う。
「いらっしゃい、出雲。まあゆっくりしていきな」