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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
出雲の一日
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第二十八夜:出雲の一日(1)

 昔、まだこの桜町が桜村と呼ばれていた頃のこと。桜山に一匹の狐が暮らしていた。その狐は長い時を経て妖しい力を手にした化け狐だった。その名を、出雲という。

 白雪の毛に覆われたしなやかな体、見た者を骨抜きにするといわれる程美しい、赤い宝石、柊の実を思わせる瞳。妖しく、美しい容姿。

 しかし美しい容姿が抱く心はどす黒く。他人の不幸は極上の飯、己の不幸は不味いからお断り。騙す、誑かす(たぶらかす)、いじめる、嘲笑う(あざわらう)、苦しめる、追い詰める、奪う、傷つける、殺す……。妖に対抗出来る力を持たない、弱い人間の前に現れてはろくでもないことをした。彼にとってそれは遊びであり、暇つぶしであり、生を実感する為の手段であり。しかし悪さだけをする、というわけでもなく、ごく稀に、気が向くと人助けをすることもある。親切心でやっているわけではない。ただの気まぐれ、その行動に一切の気持ちは無い。


 彼は桜村とその周辺にある集落に住む者達、桜山等で暮らしている動物や妖には当然のことながら嫌われ、恐れられていた。一時期は他の化け狐と一緒になって悪さをしていたが、いつの間にかその化け狐は姿を消し。以後誰かと行動することは村人達の知る限り、無かった。


 彼は長い時を生き、そして人や妖達の肝を喰らい続けた彼はどんどん強くなっていった。しかしかといって自身の力を過信することはなく、自分の力では絶対に勝てないと思った相手に牙を向くことはなく。自分より優れた力をもったもの、関わらない方が良いと思った相手からは迷わず逃げた。彼は逃げることを恥だとは思わなかった。それより、無茶をして今まで溜め続けていた力と、一向に消える様子の無い命の灯を失うことの方が余程恥ずかしいことだと思っていたのだ。死ぬことが分かっていながら、自分や誰かの為に死ぬことを美談だと思っている人間のことを、彼は馬鹿だと思っていた。


 そんな彼は、ある日美しく強い巫女・桜の肝を喰らうことで強大な力を得ようと桜村へ。彼に巫女の存在を教えたのは昼寝の邪魔をした二羽の烏。といっても実際の所、彼は話を聞く以前から村にとても強い力を持った存在がいることには気がついていた。だが桜が巫女を勤めている間、出雲はあまり村には近寄らず(桜がいないことを感じ取った時は別として)、他の村にちょっかいを出していた……下手に手を出して、返り討ちにされるわけにはいかなかったから。また、桜の方が出雲を退治せんと山へ赴いたことも幾度となくあったが、わずかな気配を察知しては逃げた。だから詳しいことは二羽の烏から聞くことで初めて知ったのだ。

 その後まあ色々あり、出雲は桜と戦った。結果桜は死に、出雲は彼女の肝を喰らうことに成功した……が、直後桜の魂によって心臓を焼かれ、長きに渡り人々を苦しめ続けていた出雲はとうとう死んでしまったのでした……めでたし、めでたし。


 ……嘘である。いや、全てが嘘というわけではない。最後以外は全て本当のことである。

 出雲は死んでなどいない。今も、生きている。桜の肝を喰らったが、その肝に秘められていた彼女の魂によって心臓を、身を焼かれることは無かった。死ぬことなく、出雲は彼女のもつ強大な力を手に入れることに成功。妖でありながら魔を祓い、穢れを浄化する力を得た。雨や日差しを呼ぶ力や、未来などを見る力などはほぼ受け継がなかったが。


 その後出雲はこの世界ではなく、向こう側の世界――異界を主な活動の拠点にするようになっていき、昔ほどは村や山に現れなくなっていった。とはいえ、全く姿を見せなかったわけではなく。たまにひょっこり姿を現しては、今まで通り悪さをした。ただ、人間を殺し、その者の肝を喰らうことは無くなった。

 肝を喰らいはしないものの、戯れに人を殺めることは多少、あったが。


 今も彼は生きている。当分の間は……少なくとも、寿命で死ぬことはないだろう。そして彼は今もなお、人間の世界と関わりを持ち続けている。

 これからお話するのは、そんな彼の日常。出雲の一日。



『出雲の一日』


 朝。太陽が世界に顔を出す。この太陽が向こう側――人間からしてみれば『こちら側』である世界に現れる太陽と同じものなのかは、分からない。少なくとも見た目や性質に何ら変わりは無い。

 陽が当たっているにも関わらず、木々は夜の空と同じ色のまま。風に揺られ、葉の一つ一つが低くぼそぼそとした、人の声に似た気味の悪い音をあげる。耳にしただけで呪われてしまいそうな音、声。風が吹いていない時はただ俯き、地面をじいっと見つめている。その姿もまた不気味である。朝なのに、朝特有の爽やかさが全く無い。昼間もこの調子だ。


 ただ、その木々に囲まれた館――満月館だけが、陽光を浴びて輝いている。

 レトロな雰囲気漂う洋館。陽を受け、伸びをし、すっきりした顔を浮かべていた。


「出雲、ご飯出来た……起きて」

 二階にある出雲の寝室――畳張り、(きり)箪笥(たんす)、違い棚、掛け軸、部屋の外から見ると確かにドアなのに室内から見ると何故か障子になる戸、同じく室内から見ると和風のそれになる窓等がある――に入ってきて、部屋の真ん中辺りに布団を敷いて寝ていた出雲を起こすのは、彼が猫かわいがりしている化け猫の鈴。彼女の小さな手で、出雲の細く、少しの無駄も無い線で作られた体が揺らされる。

 鈴が何度も声をかけ、そうして揺らすと、出雲の赤い瞳がゆっくりとその姿を現した。小さく微笑む鈴を、出雲は優しく撫でた。


「おはよう、鈴」


「おはよう……出雲。先、下りているね」

 部屋を出た鈴を見送った出雲はむくりと布団から起き上がり、しばらくぼうっとする。少しも乱れていない髪を撫で、小さくあくび。

 

(こうしてじっくり寝たのは何日ぶりだろうね)

 妖はあまり睡眠をとらない。とる必要が殆ど無いのだ。一切とらなかったからといって、人間のように意識が朦朧としたり、集中力が無くなったり、死んでしまったりすることも無い。しかし特に何もすることが無くて暇な時や、ちょっとした息抜きをしたい時、すっきりしたい時などに寝ることはある。


 障子を右に滑らせ部屋の外へ出、出た瞬間ドアへ変わったそれをぱたんと閉める。目指すは一階にある居間。

 広めの部屋にあるのはやや低めの茶色のテーブルと椅子。それ以外特に目立った物は無い。


「うん、良い香りだ。今日はご飯にお味噌汁、それから焼き魚だね」

 鈴の真正面にある椅子に座り、今日の朝食を眺める。そして二人で手を合わせ、いただきます。

 程よい色のついた、ふっくら焼きあがった魚の油とさっとかけた醤油がじゅわりと混ざり合い、深く香ばしい匂いをあげる。その匂いに思わず出雲は頬の筋肉を緩め。箸で丁寧に身をほぐし、真っ白なご飯と一緒に口へと入れる。

 ふんわりした身を噛むと、醤油の香りがぶわっと口の中に広がり、後を追って魚の油の風味がふわり。さっぱりとした醤油の風味に深みを与え。噛めば噛むほど増す魚と米の持つ甘味。その香り、味が完全に消えてしまう前にごくりと飲み込む。すると僅かに残った味、香りが喉や腹にもじんわり染み渡り。

 わかめと豆腐の味噌汁を飲んでから、出雲はほっと息をついた。


「やっぱり和食は落ち着くねえ。……ん、美味しい。やっぱり鈴の作る料理は美味しいね。きっと鈴は良いお嫁さんになるよ」

 そう言って出雲が微笑むと、湯気の殆ど出ていないご飯入りお味噌汁――早い話がねこまんまを口の中へ入れようとしていた鈴がその手を止め、顔をぱあっと輝かせた。


「本当? 嬉しい」


「本当だとも。それは素晴らしいお嫁さんに……いや、でも鈴を私以外の男のところにやりたくは無いなあ。もし鈴をお嫁さんに下さいとか言う男が現れたら、ああ、それを考えただけで胸が苦しくなる。うん、きっとその男のことを八つ裂きにしてしまうだろうなあ」


「私、出雲のお嫁さんがいい。出雲のお嫁さんに、なる。……他の人と結婚するなんて、絶対、嫌」


「ありがとう、鈴。私だけの可愛いお嫁さん」

 ぱっと見、三十前後の男と十歳位の少女……親子。しかし実際の所、二人の年の差は二十やそこらどこの話ではない。かたや約千六百歳、かたや二、三百歳。親と子どころか、ご先祖様とその子孫程の差がある。

 しかし、とご飯をもぐもぐしつつ室内をきょろきょろ見渡す。


「どうしたの、出雲」


「いや、この洋館にもそろそろ飽きたなあって」


「……また、変える?」


「変えようかな。純和風のお屋敷辺りに。あれを買って、力を注げば変えられるからね……まあかなり力を使うけれど。ふふ、ここが洋館から和風の家に変わったら、お転婆紗久羅姫やサク、大層驚くだろうね。通しの鬼灯握ったままぽかんとその場に突っ立ってさ『あれ、私達どこかで道間違えた?』とか言いそうだね、あ、それ良い、ものすごく良い」

 箸を握りしめ、二人が呆然とする姿を想像し悶えるその姿は美しくも妖しくもなく、ただひたすらに気持ち悪い。

 鈴はといえば彼が二人の話で盛り上がっていることが面白くないのか、むっとしている。


「うん、決めた。今日は買い物だ。あれを買うついでにぶらぶらしよう。……鈴はどうする、一緒に行くかい?」


「……いい」


「どうしたんだい、むにむにの頬を焼いた餅の様に膨らまして」


「……膨らましてない」


「そんなそっぽ向かないでおくれよ。ああ、もしかして妬いているのかい? 私が二人のこと考えて盛り上がっていたから」


「妬いてない」


「ああ、もう本当に鈴は可愛いね。美味しい魚をうんと沢山買ってあげるから、機嫌を直しておくれ」

 両手を軽く合わせながら言うと、鈴が「本当?」とむすっとしていた顔を輝かせる。本当だともと頷けば、鈴の機嫌は完全に元通り。そういうところがまた可愛らしいと出雲は思う。


「だから、一緒に」


「……行かない」

 がくりと落ちる肩。彼女は出雲のことが大好きであったが、滅多に彼の買い物についていかない。基本的に人(妖)が沢山いるところは好きでないのだ。

 出雲は仕方無いと思いつつ、一人だとなんだか寂しいなあとぽりぽり頬をかく。今日のお供候補を脳内で検索。しばらくして出たのは。


「仕方が無い。あいつ等でも連れて行くか。……色々こき使えるから便利だしね」

 出雲の脳内に浮かんだ者達は、鈴のように出雲の申し出を断ることは無い。……断ることが出来ない。

 すっかり冷めてしまう前に料理を胃の中へ納め、玄米茶を飲んでほっと一息。

 それからしばらくした後、自室へと向かう。入り口正面にはインク瓶や万年筆、お飾りの水晶玉、本等で埋め尽くされた机、びっしりと本の詰まった棚(実際に目を通した本はごく一部)、部屋の左側にはお客さんとお菓子を食べたり、お茶を飲んだりする為に用意されたテーブルがある。


 入り口正面にある机の真後ろにある窓を、開ける。出雲が手に持っているのは小さな笛。彼は静かにそれに息を吹きかけた。その笛から、人間にも、ましてや出雲にも聞こえない音が出て、出雲が買い物へ連れて行こうとしている者達を呼ぶ。

 しばらく、窓の前で待つ。だが誰かがこちらへ来る様子は一向に無く。出雲の人形より無機質な表情に変化が現われる。彼は明らかに機嫌を損ね、いらついていた。


「全く、この私をここまで待たせるなんて、下僕……使い魔の分際で。もしかして、どこかで飢え死にしてしまっているとか? 昨日までぴんぴんしていたのに、嘆かわしいことだ。まあ、飢え死にしているなら仕方が無い、うん、まあ、後で骨になった彼等を探しにいってやるとするか。骨はちゃんと埋めてやろう……肥溜めに」

 突っ込み所満載な独り言。その最後「肥溜め」という単語を丁度口にした時、ばさばさばさという騒がしい羽音と共に、二羽の烏が窓の(さん)に止まる。三本足の彼等はくちばしを限界まで開け、黒い体を激しく上下させながら呼吸する。

 そんな二羽の烏を、出雲が氷を抱く瞳でじろりと睨んでいる。


「……随分遅かったじゃないか」


「ご、ごめん出雲の旦那……今日は、ここ、こ、ここから大分離れた所に、い、いい、いたものだから」

 出雲から見て左側にいる烏は赤い勾玉のついた首飾りをしている。


「この私相手に言い訳するなんて、いい度胸じゃないか。この八咫(やた)(がらす)もどきの化け烏が。焼き鳥、焼き烏にされたいのかい?」

 本気でやりかねない出雲を相手に、二羽の哀れな烏はぶるぶると体を震わせる。それから先程喋った方の化け烏――やた吉と、その隣にいる青い勾玉のついた首飾りをしている方の烏――やた郎は小さな声でごめんなさいと謝罪。

 出雲は相変わらず冷たい視線を二人に向けたまま「ふん」と一言。


「まあ、良いよ。許してあげる。……私の懐は海より広いからね」


「……旦那の懐は猫の額より狭いような」


「何か言ったかい?」


「いいや、何も!」

 全力で首を横に振るやた吉。彼はこうして余計なことをうっかり声に出してしまうことが多々あるが、幸いにも出雲と出会って数百年経った今も生きている。


「ところで出雲の旦那、今日は何の用で?」

 やた吉よりはずっと出来た烏であるやた郎が首を傾げ、そのくりくりとした瞳を出雲に向けた。


「ああ、今日はお前達にお供をしてもらおうと思ってね。紅都京へ買い物に行くんだ。……この館にも飽きたから、そろそろ純和風のお屋敷にしようと思って。その為にはあそこへ行って、あれを買わないと。ま、ついでにあの辺りをふらふらしようかなって感じだね、予定としては」


「また変えるの? 何十年か前にも変えたよね」

 そう出雲に聞いたのは、やた吉。


「同じ家で何十年も暮らしたら、飽きてしまうよ。……以前は三日で変えたこともあったんだし、それに比べればもったほうだ。それで、行くのかい、行かないのかい」

 彼等の答えが分かっていながら、聞く。


「行くよ、勿論」


「行かないなんて言ったら、殺されちゃうからね」

 やた郎、続いてやた吉。出雲はその回答に満足し、うんうん頷く。


「ありがとう。……さて、やた吉には後で紅都京にある『黒黒亭』名物、烏の干物を奢ってやるとしようか。それとも、あの店の商品になる方が良いかい?」


「どっちも嫌だ、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 ばさばさ広げる羽をぎらぎら輝かせる、動揺と恐怖の感情。やた郎は自分の顔にばちばちと当たるやた吉の羽をうっとおしいと思いつつ、ため息。


「学習能力が無いな……やた吉は」


 こうして、一人と一匹、或いは三匹――は、この世界にある京の一つ『紅都京』へ出かけるのだった。

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