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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
旅、準備、不可思議
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旅、準備、不可思議(2)

 夕方。十二月にもなると、世界が闇に包まれるまでの時間も早くなる。部活を終え、舞花市内にある本屋に二人が入った頃には、もうすっかり外は真っ暗になっていた。


「全くあんたって子は……店に入るなり迷わず新刊コーナーへ突撃して」

 店の端にある旅行コーナーにて。ほのりはガイドブックを広げつつ、隣にいるさくらを()めつける。睨まれた側であるさくらは困ったように笑った。


「ごめんなさい。お店に入る前までは、今日こそはガイドブックを買わなくちゃ、他のコーナーへ足を運ばないようにしなくちゃってちゃんと思っていたのよ。けれど中に入って、初めて見た表紙の数々を目にして、本の出す独特の香りを嗅いだら……体が勝手に動いて、本来の目的もすっかり頭から消え去ってしまって」


「はいはい、どうせそんなことだろうと思っていましたよ。そんなことより、どれを買うか決めないと。一口にガイドブックと言っても色々あるわけだしさ」


「確かに。……本当、色々あるのね。旅行コーナー見るのなんて、中学の修学旅行の時以来だわ」

 北海道、と書かれた本の内の一冊を手に取り、ぺらぺらとめくる。あまり旅行をしない者にとっては殆ど縁の無いもの。ほのりもさくらに続き、目の前にあったガイドブックを手に取る。


「あたしは時々見ているよ。別に旅行とかはしないんだけれど……こういうのって、ちょくちょく見るだけでも面白いしさ。読みながら色々想像するのって楽しいし……小説書く時とかの参考にもなるしね。インスピレーションが沸くことがあるのよね、こういうの読んでいるとさ」


「インスピレーション……成程。私も小説だけじゃなくて、たまには別のものにも目を向けないとね。ええと今書いているものの参考になりそうなのは……」

 良いことを聞いたとばかりに頷くさくらは手に持ったガイドブックを本棚に戻し、北海道とは全く関係ない場所のガイドブックを物色し始めようとする。

 これをほのりは言語――その前に『肉体』という言葉がつく――を駆使し、止めるのだった。


「本来の目的を忘れるんじゃないっての!」


「ご、ごめんなさい……」

 強かに殴られた頭を抱え、しゃがみ込む少女と拳を握りしめたまま、ものすごい剣幕でそんな彼女の姿を睨みつける少女の姿が、本屋の端の方にあった……。


「君達、本屋の中で位静かには出来ないのかい?」

 ほのりの怒りの炎を一瞬にして消し去る程の冷たい声。さくらは体を一瞬震わせ、それから顔をあげる。

 視線の先にいたのが予想通りの人物だったから、さくらは素早く立ち上がり、それからほのりの背後へ移動する。盾にされたほのりはため息。


「これはこれは、サクに滅茶苦茶嫌われている御影要君ではありませんか。何、あんたもガイドブック探しに来たわけ?」


「まさか。そんなのとっくに購入済みだよ。ここへは参考書を買いに来たんだ。そしたら聞き覚えのあるうるさい声が聞こえたものだから……見に来てみれば案の定だ」

 まるでロボットの様に表情一つ変えず彼は語る。それからほのりの背に隠れてしまったさくらを見、気のせいか少しむっとした表情を浮かべ。さくらはそれはそれは小さな声で「こんにちは御影君」とようやく一言。


「こんにちは、下らない夢物語を語っている時だけは無駄にいきいきしている臼井さくらさん」

 相変わらずのブリザードワード。つい先程の自分のことは棚に上げつつ、わざわざ「さん」をつけるあたりいやらしいわねとほのりがぼやく。一方、さくらの方はますます萎縮してしまう。


「で? あたし達に何か用でもあるわけ?」


「別に。用なんて無いさ。君達に構っている時間なんて、僕にはないんだ」


「それじゃあ何でわざわざ声をかけてきたのよ……本当、嫌な……ん? あんた、手に何持っているの? 紙?」

 要は左手に何かを持っていた。少し黄ばんだ四つ折りにした紙のようだ。彼はほのりにそれを指差されたことで、その存在を思い出したらしい。

 これ? とやや不機嫌そうに言いながら、ほのりに手渡す。


「本屋に入る直前、変な格好をした男に手渡されたんだ。頭に笠を被った、着物姿の男に。蔓か何かを編んで作ったらしい箱の中からそれを取り出しては、周りにいる人達に渡して……そうしながら大股で移動しているんだ。僕としてはこんな物さっさと捨てたいのだけれど、道端に捨てる訳にはいかないからね――捨てていた人もいたけれど――とりあえずこうして手に持っていたんだ」

 彼の説明を聞きつつ、ほのりがその紙を広げてみる。さくらも興味を示したのか、後ろから覗き込んだ。

 しかし二人、しばらくそれを見るなり顔をしかめた。


「何これ……みみずがのたうったような……昔の字? 絵も江戸時代とかにありそうな感じのものだし。でも、着ている服は着物じゃないわよね。これ、制服……学ラン?」

 紙面には同じような格好をした男が数人描かれている。中学生か、高校生なのか……どちらなのかは分からない。先頭にいる男は右手に本のようなものをもっており、左手で前を指差している。また、眼鏡らしきものをかけていた。


「見た目は新聞っぽいけれど……全然読めないわね」

 美吉先輩なら読めそうだけれどとその言葉にさくらが続いた。


「僕にも読めない。何となく分かる部分も所々あるけれど。……まあ内容に興味は無いし、家に帰ったらさっさと捨てるつもりだよ。しかし本当、変な人だったな。移動し、これを配りながら『みたり、みたり、さきみ、さきみ』って言葉を大声で繰り返していたっけ」

 思い出したことを要が呟く。……と、ほのりを盾に使っていたさくらの目が突然眩く輝きだし、表情がぱあっと明るくなる。彼女はそのままほのりから離れたかと思うと、ため息をついていた要の両手をぎゅっと掴み、自らの体をぐいと近づけた。急接近する二人の顔。要は突然のことに驚き、ぎょっとする。

 あれ、これはもしかして……とほのりは部活の時のことを思い出し。顔は一気にひきつり、それから心の中で要に合掌。


「それ、きっと『先見(さきみ)』だわ! 御影君がもらったあれは『先見新聞』もしくは『先見紙(さきみがみ)』と呼ばれたものなのよ! まさか本物をこの目で見ることが出来るなんて!」


「え、いや、君何を言って」


「先見は、桜村奇譚集に載っている妖の一人なの。彼には予知能力があって、自分の目に映った人の未来を見ることが出来るの。更に彼は紙に、自分が見た映像を元に作成した絵と文章を一瞬で載せることが出来る。そうして『先見新聞』『先見紙』は生まれるの。そして彼は自分が作ったそれを、先見をした相手に渡す……。大抵そこに書かれたことは当たるけれど、時々間違えることもあるらしいわ。完全な能力ではないみたい。その不完全さが魅力的なのだけれど!」


「あ、あの、ええと」


「先見は、相手に紙を渡す際『見たり、見たり、先見、先見』と言うらしいの。人間が『号外、号外』って言いながら号外新聞を配るのと同じようなものよね!」

 さくらは要がブリザードワードを放つ隙を全く与えない。いつになく要は動揺しており、幼馴染であるほのりですら見たことの無かった表情を浮かべていた。汗を流し、目を泳がせ、頬を染め、口を金魚の如く開け閉めし……。


「立場逆転って感じねえ……本気モードのサクには要も勝てないか」

 心の中で大爆笑しつつ、その表情や声は至って冷静なもの。彼女はさくらが先見新聞と呼んだものに再び目を向ける。


「言われてみれば、この先頭に立っている男子……要に似ているかも。これ、修学旅行の様子を描いたものかしらねえ。文字が読めればもっと詳しいことが分かるのに。っていかんいかん、サクの言うことを真に受けてどうする」

 妖なんているわけないじゃないと言い聞かせ、一瞬でも本気にしかけていた自分の頭をぺちんと叩く。

 一方。時間の経過と共に平静を取り戻したさくらは悲鳴をあげ、青い顔しながら要の手を離した。


「わ、私ったら……ご、ごめんなさい!」

 手の指をぐにぐにうにうに動かし、目を回しながら何度も頭を下げ、上げ、下げ。まるで、しし威し。

 普段ならここで要は冷たい表情を浮かべ、冷たいにも程がある言葉を言い放つのだが。


「……今日は、帰る……それじゃあ!」

 彼は何も言わなかった。彼が最も嫌う非現実的な物語を聞かされたのにも関わらず。いや、何度か息を吸い、何かを言おうとする素振りは見せた。だが吸い込んだ息は言葉に変わらず、ただの息として吐き出されただけだった。

 挙句、逃げるようにその場を去ってしまい。呆然とするさくらと、先見新聞(?)を広げていたほのりを残して。

 しばし、無言。


「これ、どうしましょう?」


「私、それ持って帰ってもいいかしら?」


「こんなもの、欲しいの? まあ……いいか。あいつも捨てる予定のものだったとかなんとか言っていたし、あんたにあげたからって文句は言わないでしょう」

 あたしだってこんなもの持ち帰りたくないしとほのりはさくらに紙を手渡した。

 それからようやく……ガイドブック探しを再開する。コンパクトなサイズのもの、見やすい地図が載っているもの、お店や観光スポットの紹介が充実しているもの……種類は様々。


「こういうガイドブック探しも旅行の醍醐味の一つのような気がするわ。何だかうきうきわくわくしちゃう」


「旅行ってさあ当日に近づくにつれ、どんどんどきどきしてきて、それが前日ピークを迎えるのよね。準備を進める段階も結構楽しいし。当日になるともう何もかもあっという間に色々進んでいって……どきどき感は薄れる感じ。まあ、楽しいけれどね。旅行いいわよね、旅行。卒業する前に、卒業旅行とか行きたいわねえ」


「ああ、それ面白そう」


「行っちゃう?」


「行っちゃいましょう」

 本当にやるかどうかは別として、とりあえず約束しておく。

 今は一年先の卒業旅行(仮)より、目先の修学旅行のことの方が大事である。

 二人はわいわい話しながら買うガイドブックを決め、購入したのだった。


「これ、どうしようかしら」

 夜、さくらの部屋。彼女が見つめているのは机の上に広げた『先見新聞』である。


「これが真実先見の作った新聞だとすれば、ここには御影君の未来――多分修学旅行前後――のことが書かれているのよね。何が書いてあるか気になる……けれど私も草書体は読めないし、仮に読めたとしても他人の未来を勝手に見るのは」

 机の下には旅行用のカバン。現時点で入れられる物は全て、入れてある。前日にばたばた慌てながら準備するより、出来る範囲のことは今の内にやってしまおうと思ったからだ。

 ちょこちょこっと準備を進めた後、先見新聞と睨めっこを始めた。何となく読める字もあるのだが、よく分からないものの方が圧倒的に多い。


「出雲さんや弥助さん……美吉先輩、おじいちゃんなら読めるかも。ああでも駄目、気になるけれど……勝手にそんなことするわけにはいかないわ。これは引き出しに」

 結局その内容を調べることを諦め、机にある引き出しにそれを入れようとする。そんな時、部屋の窓が誰かの手でこんこんと叩かれる音を彼女は聞いた。

 ここは二階のはずなのに。一体誰だろう。気になって窓を覗いてみれば。


 目に映ったのは白いパーカー、所々茶色っぽい色になっている黒髪、人懐っこい笑顔。


「ユウ君!」

 慌ててさくらが窓を開けると、ユウはそこからするりと軽やかな身のこなしで部屋の中へ入る。まるで、猫。いやまるで、ではない。どう見ても人間である彼の正体は、珍しい雄の三毛猫なのだ。


「久しぶり、さくら! 遊びに来たよ」

 言うなり彼はさくらに勢いよく飛びつき、その体をぎゅうっと抱きしめる。

 前回彼と別れる間際にも同じことをされたが、その時同様相手の正体が猫であることを知っているせいか、そこまでどきどきはしなかった。恥ずかしいとか、体がほてるとか、そういうこともなく。


「ユウ君、久しぶりね。元気だった」


「ああ、勿論元気だよ。僕は基本的にいつも元気だ。さくらも元気そうで何よりだよ」

 そう言ってようやく彼はさくらから離れ、そのまま床に座る。さくらもそれに合わせ、ぺたりと座った。

 ユウはさくらに『向こう側の世界』で起きた出来事を沢山話してくれた。代わりにさくらは自分の周りで起きたことを話す。主に修学旅行についての話。


「へえ、それじゃあ皆で一緒に旅をするんだ。いいなあ、面白そうだなあ。北海道といえば、この国の一番北にある場所だろう? 美味しい魚とか貝が食べられるっていう」

 けれどとても寒いんだよね、確か。僕は寒いのは大嫌いだと寒さで体を震わせる真似をしてみせる。その真似があまりに秀逸だったので、思わずくすり。


「そうそう。よく知っているわね」


「まあ、長生きしているからね。それなりの知識はあるよ。あくまでそれなり、だけれど。……基本的には、お馬鹿さんだ」

 ぺろっと舌出し。その表情を可愛らしいと思いつつ、ふとさくらは机の上に置きっぱなしにしてしまった先見新聞の方へ目を向けた。


(ユウ君、草書体とか読めるのかしら?)


「どうしたの、さくら? ん? 何だかあちらの方から『向こうの世界』の匂いがするぞ」

 さくらが見ている方へ鼻を向け、くんくんと匂いを嗅ぐ仕草を見せたユウは、そのまま立ち上がると匂いの出所である先見新聞まで一直線。彼は「これから匂いがする」と言って、それを手に取った。


「あれ、これってもしかして『先見紙』かい? これを今時の人間が持っているなんて、珍しいなあ。……ん、でもこれさくらのじゃないよね?」


「あ、それは」

 さくらは今日あった出来事を簡単に説明する。ユウは要のことを一応知っているから彼女の話を聞くと「ああ、あいつか」と頷いた。

 それから彼は。


「ええと、何々……」

 先見新聞に書かれていたことを読み上げ始めた。自称お馬鹿さんであるが、文字はちゃんと読めるらしい。自分の知らない単語が書いてあった部分以外は殆どつまらず、すらすらと読んだ。

 さくらは止めるタイミングを完全に逸してしまい、結局最後まで聞くことになってしまった。文字も昔のものなら、文体も昔のもの。さくらはその後ユウにもう一度文章を一から読んでもらい、それをノートに写した。一度聞いてしまったものは仕方が無いと開き直ったのだ。但し、それを現代語訳することはしなかった。


「明日これを御影君に渡そう」

 受け取ったところで彼が真面目に現代語訳するとは到底思えなかったが……一応。そう決めたさくらは文章を書いたページを破り、それをカバンの中へ入れる。ユウは新聞を読むことにすっかり飽きてしまったらしい。勝手にさくらのベッドへダイブすると、ごろごろ、ごろごろ。


「今度、旅の感想を話してね。僕もまた色々な話をさくらに聞かせるから。……ところでさくら、今日はここに泊まってもいいかな?」


「え?」


「僕、さくらと一緒に寝たいなあ」


「いいけれど……え、ええと……せめて猫の姿に戻って欲しい、かな」

 流石のさくらも、人間姿状態の彼と同じベッドで寝ることはためらった。ユウは不思議そうな顔をしたが、さくら就寝時には素直に元の姿へ戻り。彼女の傍らで、すやすや気持ち良さそうに眠った。


 次の日。さくらは昨日決めた通り廊下を歩いていた要に先見新聞に書かれていた文章を書いた紙を半ば無理矢理押しつけた。

 彼がその後それをどうしたかは分からない。ただ、修学旅行後も彼のさくらに対する態度は変わらなかった。一方で、さくらに渡された紙について触れることもなかった。いつもなら「あんな下らないものを渡して」とか何とか文句や嫌味を言うのだが。

 そのまま捨てたかもしれないし、現代語訳し、おまけに書かれていたことが本当に起きて驚いた……もののそのことをさくらに悟られてしまうのは癪だったから嫌味も何も言わず、その話題に触れようともしなかったのか。

 その真実、要のみぞ知る。


 それからあっという間に修学旅行前夜となった。さくらやほのり、要等は前もってある程度準備をしていたから前日はどたばたすることなく、穏やかな時間を過ごすことが出来た。

 しかし、前日の夜になるまで一切準備をしないタイプの人間はといえば。


「婆ちゃん、歯磨きセットとかこの家にある!?」


「そういうことを寸前になって言うんじゃないと何度言えば分かるんだい、この馬鹿孫が!」

 怒声と共に老婆――菊野が歯ブラシ、歯磨き粉の入ったケースを投げ飛ばす。

 それは見事馬鹿孫こと一夜の顔面にクリーンヒット。とりあえず、あったらしい。


「おお、やっているやっている。本当、行き当たりばったりな性格だよなあ馬鹿兄貴はさ。そういう準備は前もってしておかなくちゃ駄目だっての」


「あんたも中学の修学旅行の時、あれが無いこれが無いって前日になって騒いでいたくせに! この馬鹿孫その二め!」

 首にかけていたタオルで、湯気のほわほわ出ている体を拭いていた紗久羅の顔面にヒットしたのはその辺にあった置物。受けるダメージは当然一夜のそれより多く。ざまあ見ろと笑う一夜……めがけて飛ぶ置物その二。


「笑っている暇があったらさっさと準備しな! それでもってさっさと寝ちまえ!」

 言われ、止めていた手足を動かし始める。それからもやれあれがない、これがない、これは入れたっけ、あれはどうしたっけ……とそれ程大きくない家の中を縦横無尽に走り回る。

 必要な物をかき集めてから、自室へ戻る。後はそれらをバッグに詰めるだけ……なのだが。


「婆ちゃん! 母さん!」

 一夜は何度目か分からぬ叫び声をあげ、彼によって散らかされた場所を片付けていた二人の下へとやってきて。


「なんだい、今度は!?」


「旅行用のバッグどこにある?」


「それすら用意していなかったのか、このド阿呆!」

 菊野は押入れから旅行用バッグを取り出すと、強烈な蹴りと共にそれを彼にくれてやった。これで、やっと、本当に……後はバッグに物を詰めるだけとなった。

 一夜はバッグの中に着替えやタオル、折りたたみ傘等を次々と詰めていく。

 上手い人は綺麗に、そして取り出す時のこともちゃんと考えて入れられるのだが、一夜は残念ながらこういうことがド下手糞なタイプの人間。何も考えず、ぐっちゃぐちゃに詰め……結局本来なら入れられるはずの物が入れられなくなる。何回もやり直し、ようやくバッグのチャックを閉めた頃にはもうそれなりの時間になっていた。


「これでよし。後は寝るだけだな」

 ふうと一息。準備万端。後は明日を待つのみと部屋の電気に手をかけようとした……のだが。

 ベッドをつけている壁に何気なく目をやった一夜の動きが止まる。壁からにゅうっと何かが出てきたからだ。最初は黄色く見るからに硬そうなもの、次に黒い体、羽、黄色い足……。


「な、何だ、あれ!?」

 戸惑う一夜のことなどお構い無しに、部屋の中へ侵入してくる鳥らしきもの。最後、コルクの栓を抜いた時のような音と共に、その全体像が露になる。見た目は体がえらく丸い烏。その烏はぱたぱたと小さな羽を動かしながら一夜の目前まで飛んできた。間抜けな感じな瞳が、一夜を見つめ。


「ワスレテイル、ワスレテイル、ガイドブック! ガイドブック! シオリモイレワスレテイル、カメラモ、カメラモ!」

 やたら甲高い声で、その烏は喋った。


「え、ガイドブック……しおり、カメ……ああ!」

 一夜は明かりを消すのをやめ、机に飛びつく。その上に置いてあるラックに立てかけてある、茶色い紙袋。その中から慌てて中身――昨日一応購入をしたガイドブックを取り出した。この旅行で使わず、どこで使うというのか……という物である。

 そして次。ぱんぱんに膨らんだバッグの下。そこから微かに白い紙の角が覗いていた。引っ張れば、それはまさしく修学旅行のしおり。もうすでにぐっちゃぐちゃである。バッグと格闘中、下敷きになってしまったらしい。

 そして最後、デジタルカメラ。それは部屋の隅、ぱっと見分かりにくい所に転がっていた。何故そんな所まで行ってしまったのかは不明である。


「危なかった……こいつらは移動している時に持って行くカバンに入れないと」


「ワスレモノ、ヨクナイ、ヨクナイ! メザマシドケイ、アラームナルジカンチャントカエロヨ!」


「あ、そうだ……うわ、すっかり忘れていたよそれも」

 慌てて目覚まし時計をいじる。準備を始める前までは覚えていたのにと呟きながら。烏はそれを黙って見守っていた。


「ふう、これで良し……お前、妖怪か? 何かよく分からんがサンキューな」


「ドウイタシマシテ、ドウイタシマシテ!」

 烏はそう言うと、壁へ勢いよく突っ込み、そして消えていった。それを見てももう一夜は少しも驚かない。さっきはあまりに唐突な出来事だったから驚いただけで、ありえない光景を見たから驚いたというわけではなく。

 こういうのに慣れっこになってしまうっていうのもどうかと思うが……それもこれも大体さくらの所為だ、と幼馴染のことを少し恨みつつ、一夜は今度こそ部屋の電気を消し、眠りにつくのだった。


 そしてとうとう迎えた修学旅行当日。一夜はさくらの母が運転する車に乗せてもらうことになった。もうすでに起きていた菊野が作ってくれた朝食を静かに食べ、一言「行ってくる」と言ってドアを開けた。

 一夜は重いバッグを担いで階段を下り、一階へ。階段と弁当屋の間にある狭い通路を通り、裏口へ。そこのドアを苦労しながら開けると、道路がある。さくらを乗せた車はすぐ近くに止まっており、一夜はそこまで歩いていった。


「おはよう、一夜」


「おはよう」

 お互い挨拶した後、大きな荷物をトランクへ乗せる。一夜はさくらの母にも挨拶をし、更にお礼も言う。それから学校向かって出発。


 道中、一夜は昨日起きたことについてさくらに話してやると、彼女はたちまち興奮し、若干寝ぼけ気味だった瞳を大きく開け、大きな声で語りだした。

 曰く、一夜が昨日の夜会ったのは『忘れ烏』という妖だろうということだった。その烏は何かを忘れている人の前に現れ、貴方はこれこれこういうことを忘れていますよ、というのを教えてくれるらしい。その烏、元は人間だったそうだ。幼い頃から忘れっぽい性格だった彼(男らしい)は、その性格のせいで随分損をしたとか。そんな彼は「他の人に何かを忘れたことが原因で不幸になってもらいたくはない」と強く願い、結果死後『忘れ烏』という妖に転生したそうだ。

 その後は、一夜が全く興味の無い話を延々と始め。いつものパターンである。

 一度暴走しだすと、際限なく語りだす厄介な性格なのだ。


 こんな感じで始まった修学旅行は最後までこれといって大きなトラブルもなく(小さなものは幾らかあったが)無事終了したのだった。

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