おとうさんと呼ばないで(3)
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「とはいったものの。……まずはどこに行くか。銀坊はどこへ……って聞いても仕方無いか。こういう所、殆ど来たこと無いもんな」
銀太がこくりと頷く。
「でも、どこでも良いよ。おとうと一緒に行けるなら、どこでも」
本当にそれでいいらしい。弥助とただ手を繋いで歩いているだけだというのに随分上機嫌であった。そして彼はうるさい位頻繁に弥助に話しかけてきた。
弥助も子供と話したり遊んだりするのは決して嫌いではないから、彼の言葉全てに何かしらの返事をする。そうして弥助が返事をすると銀太は喜び、また話しかけてくるのだ。
一方、銀太は満月や瑠璃とは殆ど話をしなかった。彼女達から話しかけられれば、一応返事はする。しかしその声は小さいし、センテンスも非常に短い。
(そういやこいつ、人見知りが激しいんだっけ。その上、一緒に暮らしているのは父親やあいつら――赤梅と野蒜――野郎ばっかりで、女相手には特に人見知りするんだったなあ……)
一度思い出すと、次から次へとどんどん色々なことを思い出してくる。
さっきまで忘れていた坊主とひょろりの名前も自然と出てきた。ちなみに坊主が赤梅、ひょろりが野蒜である。
そうして色々なことを思い出す作業を続けつつ、三人の会話にも耳を傾け続ける。銀太が妙なことを口走って、満月と瑠璃に色々怪しまれないようにする為だ。
銀太は弥助が妖怪であることを二人に知られたくない、ということを全く理解していないわけではない。しかし赤梅や野蒜のように機転はあまりきかないし、どういうことなら素直に話していいのか、何は話してはいけないのかといったことがあまり分かっていないから、時々弥助にとって非常に不味いことを口走ってしまう。その度満月と瑠璃が戸惑い、弥助が慌ててごまかす。
(こいつが子供の姿で助かった。……子供だからとか、小さい子ならではの言い回しだ……とか言い訳出来るから。しかし本当、殆ど成長していないな……銀坊。本来ならもっと大きくなっているはずなのに。未だ父親と一緒に暮らしているようだし、全く、困ったもんっすねえ)
そんな彼の思いなど知る由もなく。銀太はひらひら落ちてきたいちょうの葉を捕まえ、くるくる回しながらにこにこ笑っている。
どこへ行こうか。銀太以外の三人で話し合った結果、まずは近くにある満月お気に入りの喫茶店で昼食をとることになった。
「銀太君はどんな食べ物がお好きですか?」
満月に話しかけられた銀太はいちょうの葉を回す手を止め、俯き。そんな彼を彼女は優しい笑みを浮かべ、じっと見つめている。
銀太から答えが返ってきたのは、それから十秒後位。
「……どんぐりを花の蜜で煮たやつ」
「え、どんぐり?」
予想外の答えに満月が固まる。どんぐりが食べられることを知らない彼女ではない。しかし、好きな食べ物は何かと聞いて「どんぐり」と返ってきたら誰だって驚くだろう。
「……おとうは蜜無しの方が好きだって言うけれど、おいらは蜜で煮ないと食べられない。渋いから」
「へえ……また変わったものを食べているのね。私どんぐり、食べたことが無いわ」
瑠璃の顔は引きつっている。私も一度食べてみたいですという満月の声も微妙に上擦っていた。弥助は頭抱え。
「後、芋虫と木の実の蜜煮」
「いやあ朝比奈さんオススメのお店とか、楽しみっすねえ! そのお店ってどの料理が美味しいんすか!? コーヒーとかもやっぱり美味しいんですか!?」
どんぐり以上に衝撃的な料理名は弥助が張り上げた声にかき消された。あまりに大きな声に、満月は目をぱちくり。
「え、ええと……パスタが絶品なのですよ。私はそのお店に行く度、パスタを頼んでいます」
それを聞いた銀太が弥助をじっと見つめる。彼は当然のことながらパスタの存在を知らない。好奇心パワーによって輝いている瞳が、弥助をとらえた。
ああ、パスタって何って聞いてくるんだと思った。実際その通りで。
「おとう、パスタって何? 蓮の仲間?」
「違うっすよ。細長い麺だよ……いや、短くてころころしたのもあるけれど」
「細長い……みみずみたいなもの?」
三人の脳裏に、皿にこんもり盛られたみみず(しかも生きている)の上に赤いミートソースをたっぷりかけた『パスタ』の図が一瞬で浮かぶ。そのグロテスクっぷりは筆舌しがたいものである。
「これからそれを食べようって人の前で何てことを! というかみみずは食わないだろう、みみずは! よりにもよって何でそれに喩えちまったんすか!」
「え、おとう達は食べないの」
「ああ、ああ、ああ!」
ごまかしようの無い発言を二人の耳に届けぬようあげた声。もう言葉ですらない。
「銀太君、もしかしてパスタ、食べたことが無いのでしょうか」
「いや、きっと食べたことはあるんじゃないっすか。でもそれがパスタって名前だということを知らないとか……スパゲッティは知っているけれど、パスタは知らないとか。まあ、でも子供に着物着せて生活させるような父親ですからね……本当に食べさせたことがないのかもしれないっすねえ」
そういうことに、しておいた。
それから程なくして着いた喫茶店。弥助と満月が働いている店よりずっと大きい。店の中に入るとオレンジ色の灯りと、コーヒーの香ばしい匂い、そしておしゃれで心落ち着く音楽が出迎えてくれた。
テーブルに置いてあったメニュー表を見て、食べるものを選ぶ。
「こういうメニュー表見ていると、どれも食べたくなっちゃって、なかなか決まらないのよね」
「どれも美味しそうだから、余計迷うっすね」
弥助も瑠璃同様、どれにしようか悩んでいる最中であった。写真に映った料理は魅力的で、ああ全部食べてみたいなという衝動にかられてしまう。
また満月がこれも、これも美味しいですと何個もオススメを挙げるから、余計悩んでしまう。
「ああ、デザートもいっぱいある。一個に絞るなんて、私には出来ないわ!」
「でざあとって美味しいの、おとう」
メニュー表を弥助と一緒に眺めるものの、知らない料理ばかりで、どれを頼めばいいのか分からない(おまけに彼は殆ど文字が読めなかった)銀太が小声で弥助に聞いてきた。デザートという言葉を彼は初めて聞いたのだ。
「美味いっすよ。銀坊、甘いものは好きだろう?」
「でざあとって、甘いの?」
「全部が全部甘いってわけじゃないが、甘いものが多いっすね。プリンアラモードとか、チョコレートケーキとか。……食ってみるか? パスタも食べさせてやろう。何事も経験。聞くより、食え、っすよ」
「うん、それじゃあ食べる!」
いい笑顔。弥助の顔も思わず綻ぶ。彼は銀太の為にミートソーススパゲッティとチョコレートパフェを頼んでやった。勿論代金は弥助持ち。しかし彼はそんなことなど全く気にしていない。
同時に自分が食べる為のもの、銀太に分けてやる為にプリンアラモードを一つ、頼んだ。満月と瑠璃も食べるものを決め、注文をした。
頼んだ商品がテーブルに運ばれてきた時浮かべた銀太の表情は、見る者をほっこりさせ、連れて来て良かったなと思わせるものだった。
弥助は彼にフォークを持たせ、それから一足先に自分が注文したカルボナーラを口に入れる。フォークを初めて使う彼に、その使い方を教える為だ。
「あ、美味い」
舌を優しく包み込む、まろやかなクリーム。濃いチーズの香り、ほっとする牛乳の香りに混じって黒胡椒のぴりっとした匂いと風味が鼻を程よく刺激する。
銀太はそれをじいっと見つめ、それから弥助に握らされたフォークを見、少ししてからぎこちない動きで甘酸っぱいトマトソースのかかった麺をすくい取る。
口を開け、ぱくり、ずるずる、もぐもぐ。
彼の反応が気になり、三人して食べる手を止め様子をうかがった。銀太が口に入れたものを飲み込む。
「……しい」
「ん?」
「美味しい! とっても美味しい! うわあ、こんなの初めてだ……美味しい、とっても美味しい!」
口を大きく開け、その中にどんどんフォークに絡めたそれを放っていった。
フォークの使い方は決して正しいものではなかったが、まあいいかと弥助は思う。変に細かいことをぐちぐち言うより好きなように食べた方が絶対美味しいだろうと考えたからだ。あまりに非常識で、滅茶苦茶で見ているこちらが不快になるような食べ方だったら別だが。
カルボナーラを一口あげたら、銀太は喜んで食べてくれた。またそれを食べた時の表情が可愛いことこの上なく。子供の笑顔は本当に良いものだとしみじみ思うのだった。満月や瑠璃もそう思っているようで、母のような眼差しを食事に夢中になっている銀太に向けていた。
「あんまり慌てて食うなよ。喉につまっちまう。……ああほら、言わんこっちゃない……ほれ、こっち向いて。うわ、口の周りにべったりソースをつけて。困った奴っすねえ」
などと言いながらテーブルにあったナプキンで銀太の口の周りを拭いてやる。
それを見て、満月がくすくす笑った。
「弥助さんと銀太君、本当の親子みたいですね」
その笑顔が弥助の体温を上げる。ああやばい、本当やばい、可愛すぎる朝比奈さん、朝比奈さん可愛い、可愛いよ朝比奈さんと彼女にばれない程度に悶える。兎に角もう、彼女の一挙一動が愛しいのだった。
「銀太君のお父さんって庄司さん……隣に居るおじ……お兄さんに似ているの?」
銀太は首を横に振る。弥助も彼の父の顔は知らない。声だけは聞いたことがあるのだが。銀太を父の下まで連れて行く最中に赤梅や野蒜から聞いた話によれば、体は細く、細くやや吊りあがった瞳が印象的な男であるそうだ。また、銀太とはあまり顔が似ていないらしい。
「でも、おとうも、おとうも、とっても優しい。そこは似ているよ」
「そうなんだ。銀太君はお父さん、大好きなのね」
「うん、大好き。おとうも、おとうも、どっちも好き」
美味しい食べ物を口にしたお陰か、さっきまで満月や瑠璃と会話する時はかっちこちになっていた表情は大分柔らかくなっている。顔の筋肉が緩んできているようだ。
「銀太君は、どこに住んでいらっしゃるのですか?」
「大きないちょうの木」
「いちょう?」
被る満月と瑠璃の声。ああ油断しているとこれだ、と弥助は心の中でため息をつき。
「ああ、こいつの住んでいる街には大きないちょうの木があるんすよ。ここから結構離れた街なんですが」
そういうことですか、と二人は納得した様子。今度は心の中でほっと息をつく。銀太は弥助の嘘を指摘することなく、再びスパゲッティと格闘を始めた。
(実際はいちょうの木の中で暮らしているんだがな、銀坊は。何せ父親は大きないちょうの木という衣をまとった精霊。こいつ自身も一応妖より精霊に近いんだよな)
口の周りを真っ赤に染めながらもぐもぐとスパゲッティを頬張っている少年はとても精霊などという神秘的な存在には見えなかった。銀太は両手でコップをつかみ、ごくごくと水を口の中に流し込んでいく。その仕草は人間の子供のそれそのもの。
(殆ど成長していないところを見ると……今も勝手に父親の体から飛び出して、遠くへすっ飛んでいって……迷子になって、泣き出して、探しに来た赤梅と野蒜に連れられて帰っていくっていうのを繰り返しているんだろうな。桜村にも二度だか三度位来たようだし……桜村奇譚集にも迷子になった銀坊の話が載っているし)
弥助と銀太が初めて出会った時も、彼は迷子の少年であった。桜村で人間として暮らしていた(それが何度目のことだったかまでは流石に覚えていなかった)ある日、弥助は見覚えの無い少年が桜村の麓で泣いているのを見つけた。
その少年こそ、銀太である。銀太は弥助が何を言ってもまともに返事をしてくれず、ただ「おとう、おとう」と言いながら泣いているだけ。弥助はそんな彼の手を引き、他の村人に彼に心当たりはあるかと訪ねて回ったが、誰一人銀太のことを知っている者はいなかった。
霊的な力を今以上に持っていなかった弥助は、銀太が人間では無いことにも気づかず。一体どこからどうやって彼は来たのか、そもそも彼は何者なのか。
弥助は頭を抱えつつ、泣き続ける銀太をなだめ、どうにか安心させようと頭を撫でたり、抱っこしてやったりした。辛抱強くそんなことを繰り返す内、徐々に銀太は心を開き、やがて、泣き止んだのだ。
(あの時は大変だったなあ。おまけに村人には『お前の子供なんじゃないのか』とか『相手は誰だ、今すぐ吐くべし』とか冗談半分で言われたっけ。あの時のあっしには子供も奥さんもいなかったっての)
五年どころか三百年も前のことを思い出し、目を細める。そんな遠い過去にスリップしてしまった弥助を満月や瑠璃が首を傾げながら眺めるのだった。
「おとう、これも食べていい?」
弥助を現代に引き戻したのは、チョコレートパフェを指差しながら問う銀太の声。見れば彼はスパゲッティをすっかり平らげていた。弥助は「おう、食え、食え」と言いつつ、再びソースだらけになっていた口の周りを拭いてやる。
「良し。それじゃあ、食って良し……ってうわ、ちょっと待て、そのフォークで食べるんじゃない」
「これでこれを食べると、死んじゃうの?」
「死にはしないっすよ。でも……まあ兎に角、今度はこっちを使え。より美味しく食べたいなら、こっちを使った方がいいっすよ」
銀太からフォークを取り上げ、今度はスプーンを手渡す。銀太はそれをぎゅっと掴み、チョコレートソースのかかった純白の生クリームをすくい取り、口の中に入れた。
「うお、ふお、おおお!」
感動と興奮のあまり随分滑稽になってしまった声。今日一番の笑顔、瞳の中で輝く星屑きらきら、赤く染む頬。
それから隣に座っている弥助を見、両手をぶんぶん振りだす。握りしめ、まあるくなった手が上へ、下へ。余程美味しかったらしい。微笑む満月、テーブルに突っ伏し何あれ可愛いと悶える瑠璃。
「ほい、それじゃあこっちも」
弥助はプリンアラモードのプリンを掬い取り、口をぱくぱくさせながら手を振り続ける銀太に食べさせてやった。よく味わい、飲み込み、笑顔。
(これ程食べさせ甲斐のある奴もそうそう居ないっすね)
「銀太君は甘い物が大好きなんですね」
「うん! 大好き!」
今度は口の周りを真っ白にしながら銀太は夢中になってパフェを食べ、それをあっという間に平らげてしまった。おまけに弥助が頼んだプリンアラモードも殆ど胃におさめ。ものすごい食欲だと三人そろって、感心。
腹ごしらえを済ませた四人は店を後にする。
そして今度はショッピングセンターへ。目的は買い物、というよりあまりこういう所へ出かけたことが無い(という設定になっている。実際、こういう所は初めてである)銀太に色々なものを見せてやるというものであった。
銀太は何にでも興味を示し、弥助にあれは何、これは何と矢継ぎ早に聞いてくる。時々、満月達にも質問した。おもちゃに目を輝かせ、(見た目のみ)同じ位の年の子を見て興奮し、目についたものをぺたぺた触り、弥助にあれが欲しいと掃除機やらポットやらゲーム機やらをねだり(結局全て却下したが)。
子供服専門店では、様々な服を試着した。服を着せてやったのは弥助である。
「人間の着物って変わっているね。何か変な感じ。でも嫌いじゃない。だって色々な模様や形があるんだもの。とても面白い」
一応外にいる二人に聞こえない様に配慮してくれたのか、興奮しつつも小さな声で、銀太は語った。ああ、面白いなと相槌をうちながら、弥助は次々と色々な服を着せてやる。
その度、銀太は試着室から出、満月達からの賞賛の声を欲しいままにし。
結局服を買ってやることは無かったが、それでも充分彼は楽しんでくれたようだ。
「ああ、楽しいなあ! ねえねえおとう、今度はどこへ連れて行ってくれる?」
「そうだなあ……」
弥助は銀太が喜びそうな場所がどこか、考えるのだった。